はてなキーワード: 青春とは
もうすぐ離れる人を好きになってしまった。
いや、正確に言えば昨年の夏あたりからいいなとは思っていた。
現在、理系学部4年。私も相手も学部卒で地元就職のため、月末にはさよなら。
各々旅行に行ったり引っ越しの準備をしたりするから、何もしなければ次に会うのは卒業式。
自他共に認める優柔不断である私だから無理もないのだが、何故ここまで引っ張ったのかというと、研究室内恋愛のリスク(笑)と、気になっている異性が他にもう1人いたからだ。
前者の研究室内恋愛については賛否両論ある。でも今気づいたのは、そもそも付き合える前提でリスク考えてるのおかしすぎないか自分?
まあぶっちゃけそんなものは建前で、私がここまで悩んだ原因は後者だ。
これがアイドルグループの選抜であれば「次のシングルはWセンターでいきます」で解決だろうが、私は秋○康ではない。
かといって具体的な行動をするわけでもなく、あっちでもないこっちでもないと思いあぐねていたら後期が始まり年が明け、2月も終盤に差し掛かり、研究室におけるほぼ全てのタスクを終えようとしていた。
そして「終わり」が見えてくると同時に目の前のもやが晴れたように、明確に好きだという感情が湧いてきた。
教授からの無理難題や進まない研究に対して共同で乗り越えてきたこと、何てことない日々の会話、時々盛り上がる趣味の話題。当たり前のようにあったそれらは、今の私にとっては必要不可欠なものになっていた。そうだ、私は諦めも切り替えも悪いんだった。私がプロデューサーだったら新曲のセンターを決める前にグループが解散してしまう。
私自身、学生生活最後の最後でこんな青春めいた魔法的なものに襲われることになるとは思わなかった。
論文の提出・発表も済ませたことによる若干の燃え尽き感も相まって、この1週間ほど宙に浮いているような感覚だ。
特にこの週末はかつてないほど冷静さを欠いていたので、頼れる友人達に連絡しまくって現状を相談した。まあ、皆「行っとけ」って言うよね。何事においても攻めにいかない私を知っている人間ばかりだから当然か。
そういえば研究の進捗が悪いとき、教授から「結果を待つな。解決のために自分から動け。」と口酸っぱく言われていたが、実は研究に対する姿勢のみならず私の生き方に対する指摘だったのだろうか。
さて、この遅れてきた青春がどのような結果になろうが、1年も経たないうちに(少なくとも私の中では)懐かしい昔話になることは明確であろうから勝負に出るべきか、
それとも、人生23年目にして初めて、人を好きに「なる」経験をくれたあなたに感謝しながら、残りの休みを静かに過ごすべきか、もう少しだけ考えてみようと思う。
↑で予告した通り、ゆるキャン△と宇宙よりも遠い場所を見始めた。
現在3話まで視聴済み。早く続きを見て最新話に追いつかないと…。
いや、両方共良いよ、とても良い。
何が良いって「まったく、女子高生は最高だぜ!!」という、クッソ雑な要約では何も伝えられないレベルで感動が詰まってたよ。
てか、そもそも俺要約下手なんで、以下2作品の現時点での感想をクドクド書いてみる。
まずゆるキャン△。
正直、絵のクオリティはそれほどでもないというか、京アニみたいな神作画スタジオは置いといたとしても、大して良くないかな?
でもOPムービーを始め、要所要所をそれなりにキチッと締めていて、絵の良し悪しが最前面で目立たないよう、実に上手く作ってある感じ。
そもそも「アニメは絵だけの問題じゃない」のは去年のけもフレという神事例があるからな。
てかいくら絵が良くたって、声優さんのお芝居が良くたって、それらが表現してるお話がつまらなかったら見るに堪えない、これ。
で、そのお話なんだが、1話からいきなり冬キャンプとかやってる内容全然ゆるくねーなというツッコミは既出だったりする?
でもそれなのに、ストーリー自体は超ゆるいの。何もかも全てがゆるいと錯覚して和むの。これだけ取っても凄いってかヤバい。
そしてそのゆるい中で、なでしこがリンをはじめとする周囲の子達の心に分け入っていくことで、各人の人生が良い方向に変わりつつある感が描かれてるの。
まあベタな作劇なんだろうけど、もうヤバいってか尊い…あれ、目から汗が(ry
そしてよりもい。
俺は女じゃないからわからないけど、これ響け!ユーフォニアムとは別の切り口でリアルJKっぽいんじゃね?というのが一番の感想。
そんで、そのリアルを感じる言動というフォーマットを通して、4人それぞれが相手の心に踏み入ってく描写に痺れてしまった。
このアツさと爽やかさはまさにベタ過ぎるくらい青春なんだけど、なんかこう、それを俯瞰するのではなく、渦中にいるみたいな引力があるんだわ。
例えるならジェットコースターに近いかも。超気持ちいい!マジで。
本編への期待が沸き立つ、躍動感溢れる神OPなんてジェットコースターそのものだし。
そして本編はもう片時も目を離せないまま声を上げて笑い、そしてウルッと…あれ、目かr(ry
彼ら彼女らの放課後と土日を「強制管理」する手段として部活が強化される。
強制的な部活動の悲喜こもごもはいろいろと聞いたことがあるだろう。
しかも、運動系の部活に参加しない人間は、まともな扱いをされなかった。
せめて卓球部……とまで言われたが、初志を貫徹した。
歴史研究部では遺跡の発掘調査に参加して話題になったりとそれなりに頑張ったつもりだ。
それでも、(運動部じゃないから)「部活動に熱心ではない」と本当に内申点を下げられた。
志望校の公立高へ合格するには、本番の試験でリカバリーするしかなかったのを思い出す
おっさんになると、管理する中学当局や教師、PTAの立場も理解できるが、
現場の空気が相も変わらずと聞くと、なにか遠い目をしたい気分になる。
部活動のリスクが大きくなり、学校や教師は本音ではやりたがらない。
そんな話を生で聞いていると、
好きなアニメのジャンルで、その人の状況が分かる気がするので書いてみる。
日常/ほのぼの → 今の日常に疲れた人。 または、のんびりしたい人。
若かりしころの日常を見て、若返りたい人。
恋愛/ラブコメ→ 愛に飢えている人。 または、人の恋愛事情を見てニヤニヤしたい人。
ドラマ/青春 → 上に同じ。 若いときの日常を見て、「そういうこともあった…?」と思いたい人。
コメディ/ギャグ→現状を笑い飛ばしたい人。疲れたからとりあえず笑いたい人。
何も考えたくない人。
SF/ファンタジー→日常から抜け出したい人。新しいことを想像するのが好きな人。
「もし自分がこの場所にいたら~」と俺TUEEEEやりたい人も含む。
アクション/バトル→諦めずに戦いを挑む主人公に元気をもらいたい人。
ホラー/サスペンス/推理 → 現実ではありえない事でも、考えるのが好きな人。
恐怖を楽しむ人は、現実との違いを楽しむ。
はてなブックマーク - ロンブー淳、青山学院大受験すべて不合格「とても辛くも、青春を味わせてもらった時間でした」 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180303-00000292-sph-ent
再挑戦を応援とか全くウソだっていうのが判る。学歴自慢勉強できる自慢とそうでない相手への蔑み。そして、その蔑みを正当化する為の「どうせ有名人が金貰ってやっている」「どうせ金持ちの道楽だ」「番組の企画での受験なんて他の受験生をなめている」的なエクスキューズをしながらのバッシングが本当に露骨で気持ち悪い事この上ない。
ライトノベルブームの記事を見た。自分の認識では漫画もラノベももう売れなくなっててゆるやかに終わりつつあるジャンルという感じなんだがそうでもないのかね。年取ったせいで自分はもうああいうのは楽しめなくなったというか、小説やアニメや映画も含めてフィクション全般バカバカしくて見てられなくなった。なんでこんなもんに熱中していたのか、時間の無駄だったなと後悔している。
こういうことを言うとすぐ「時代についていけなくなった老害」だと非難されるわけだが、40代50代にもなって漫画、ラノベ、アニメ、小説、映画とかにはまってる人間は「老害」ではなくて賢い人間なんだろうか。たかがフィクションを楽しんでいるだけの人間がなぜそんなに偉そうにしているのか。ある程度の年齢になればフィクションの底の浅さに気付くだろう。それでもまだ若い頃はそういう底の浅い陳腐なものをあえて楽しんでいたりもした。しかしそれも限界に達する。もはや底の浅い陳腐なものをあえて楽しむという趣味にも飽きてしまう。
真性オタクは底の浅い陳腐なものをあえて楽しむ趣味を40代50代になっても依然として続けている。現代の出版事情においては彼らのような真性オタクが漫画やラノベを買い支えている。記事によるといまだにブームということらしいし、ますます拡大を続けているという。底の浅い陳腐なものをあえて楽しむ趣味を飽きずに続けている40代50代がこれからもどんどん増えていくんだろうか。
あえて「時代についていけなくなった老害」として言わせてもらうと、自分はそういう連中を不気味だと思うし、不憫だとも思う。しかし同時にすごいことだとも思う。その辺の底の浅いつまらない作家が書いた陳腐な作り話に熱中して子供のように感動してしまう真性オタクたちはある意味で時間を超越した存在でもある。彼らは年を取らないし、永遠に子供と同じ感性のままで生きている。飽きるということがない。同じような感動ストーリーを見てもまるで初めてそういったものに接したかのように純粋に感動するし、「既視感の牢獄」などといって作品批判をすることもない。彼らの漫画・ラノベ体験はつねに新鮮で、生き生きしていて、色彩豊かで、刺激に満ちている。正直うらやましい。
話が飛ぶが、自分はもう人生に飽きてしまった。何をやってもつまらない。人間の限界を感じるし、さらに壮大なことをいえば宇宙の限界を感じる。毎日が無力感との戦いだ。すべてが想定の範囲におさまってしまう。想像力の飛翔とも思えた漫画・ラノベですらもう自分には何の目新しいこともない。どの作品も既存の設定や筋書きの配列や条件や固有名詞をちょっと変えただけ。すべてが想定の範囲できれいに丸く収まる。想像力は飛び立つのではなく、磁力に引きつけられて大地に叩き落される。ああやっぱりそうなったか。飛ぼうとした人間はいくらでも見てきたが、結局だれも飛べなかった。
とまあこんなことを書いてみたが、こういう老害のぼやきすらすでにテンプレであって、こういう言説自体にすでに飽き飽きしている。そしてこういう文章に対してどういった批判がくるかもまた自分にはわかってしまうし、多くの人はそうなんじゃないだろうか。作品があり、老害からの作品批判があり、作品批判する老害への批判がある、ここまでがセットだ。そしてこの一連のテンプレ的やりとりにすら飽き飽きしている。もしかしたらすべてのやりとりは簡単なAIで十分なのかもしれない。飛べていると錯覚している真性オタクたちと飛べていないことを自覚している老害。飛べているという錯覚はいつでも想定の範囲の陳腐さだが、飛べていないという自覚もまた同じくらいに陳腐なものだ。ここには弁証法的なものはない。反発しあう二つの力が化学反応を起こして何か新しいものを創造するわけでもなく、目新しくもないその場限りのテンプレ的反目が未来永劫断続的に続くだけ。端的に言ってすべてにもう飽きている。飽きていること自体に飽き飽きしている。
こうやって死を受け入れていくんだろうなどと最近は思うようになった。子供のころはなぜ人間は死ななければならないんだと苦悩していた。そんな理不尽があっていいのかと。しかし自分も年をとってきて、人生に飽きてきて、だんだん死に対する態度が変わってきた。死は救いであるとまでは言わない。自分の中では死というのはそんなに肯定的で前向きなものでもない。死は眠りに例えられることが多いが、まさに穏やかな眠りといった感覚に近い。肯定でも否定でもない。ごぼごぼとあぶくの音がする。そこに自分がとけていく。
世界はとてもつまらなくなった。それは自分がつまらなくなったからだ。そういう反論は多い。たしかにそうかもしれない。自分はつまらなくなった。射精の快感も最近は全然感じなくなった。ただ精液が弱々しく飛び出るだけ。初めて射精したときのあの凄まじい快感は一体何だったのか。あのころは自分が本当の意味で人生を知ったのだと思った。射精のない幼少期はピントの定まっていない夢のように思えた。あの凄まじい覚醒感はなんだったのか。生きてるって感じはなんだったのか。いまはもう射精にも飽きてしまった。自分の射精は想定の範囲におさまっている。天井まで飛んでいくように思えたあの青春はなんだったのか。
すべてに飽き飽きしていて、刺激に対して鈍感になってしまった。資本主義社会の虚飾にはうんざりしている。どうして馬鹿騒ぎできるのか、どうして楽しめるのか、自分にはもうわからない。つい最近、オリンピックをやっていたが、当然まったく見ることはなかった。子供のころそんなものにワクワクしていたのはなぜだろう。
つらつら書いてたら凄く長くなったので時間のある人よければ。私のクズっぷりにイラつくかもしれません。
クソつまらん理由というのは、部活のとある仕事をマジで絶対クソほどやりたくなかったから。以上。ちなみにこの仕事は私が高二の時に廃止になった。ちょっと笑った。
その頃の私は毎日活動のある部活に所属していて、学校に行く=部活に行くだと思っていた。部活のアレをしたくない→部活に行きたくない→学校に行きたくない。我ながら酷いダメ人間だと思う。
母は学校に行かないことにちょっと、いや本当はかなり反対していたのかもしれないが、「もう義務教育じゃないからね」と目を瞑ってくれていた。その代わり引きこもる間は私が家事をしていた。と、言っても洗濯と皿洗いと肉屋のタイムセールに行くくらい。かなり優しく甘い。でも部活が嫌すぎて精神が弱っていた私は否定されなくて安心した。本当にいいお母さんだと思う。
父は良くも悪くも寡黙な人で、私が学校を休んでいて暫く言わなかった。逆にドキドキしてたが、母には「あいつは学校に行かんのか」と相談していたらしい。わたしにも「高校なんて行かなくてもいい。大学で何をどのくらい勉強するかが大事」と言ってくれた。マジで優しい。大学生一年目に全然勉強してなかったら怒られた。二年目は頑張るよ。
最初一週間は風邪なことにしていた。症状が酷いことにして友達からのLINEもみなかったし返さなかった。見放さないでくれた友達全員が聖人過ぎる。きっとこの人たちは長生きするし良いことがある。
一月下旬、部活の仲良しグループのLINE通知を見て思わず既読をつけた。
「今から〇〇の家行くわ」
部活終わりの18:30過ぎの通知。見たのは19:15。お風呂で見た。学校から家までは大体1時間。私は大慌てで髪やら体やらを洗って風呂を出てまたグループを見た。
「マジでいってる?」
1ヶ月弱ぶりの返事に既読は即ついた。四人グループだから既読3。驚いた。
「ちょっと迷ったけどもうすぐ着く」
三人は本当に来た。お風呂上がりで髪の毛も濡れてるし死のうと思ってドアを開ける。学校来いとか部活こいとか言うだろうか。何を言いに来たんだ、どうしてきたんだ。
「あ、なんか思ってたより元気そうでよかった」
三人はそう言って笑って私に次に出る公演のチケットを渡すだけ渡して帰ろうとした。私はとりあえず三人にチョコパイを渡して、慌てて外に出れる格好に着替えて最寄り駅まで送った。
駅までの道で「死んでるかと思ってたー」「なんかこれ青春っぽいね」「お腹すいた」みたいな話をした。私はあーとかうんとか言うばかりだった。混乱してたし。
別れ際に一人が言った。
来たくなったらでいい、来れそうならでいい、とか続けてて私はちょっと笑った。この人たちは今でも仲が良い。本当にいい人達だ。誰も彼氏はいないけど。
でも私は行かなかった。本当バカ。行けよ。
二月。バレンタインの季節だなんて思ってたら担任から二者面談のお誘いが来た。外に出たくないわけではなく、部活に行きたくない、授業に行きたくない、学校の人に会いたくないだけだったので行った。家庭科の先生だったから家庭科室で面談した。
「やっぱり、部活のせい?」
私のいた部活は辞める生徒も毎年何人かいて、まあ厳しい部活だと思われていたのだろう。私は部活が厳しいから辞めるわけじゃないし、そこまでヘタレじゃないし。と謎の意地を張って(しなきゃいけないことがしたくない、つまり部活のせいで学校に来てないわけだけど)「違います」と言った。で、まぁぼんやり考えていたことを担任に言った。転校しようかなと思ってるとか、高卒認定試験受けようかなとか、学校にいく意味がわからなくなったとか。担任もまた良い人で、無理に来いとは言わなかった。「二年生として転校したいなら協力はするから、三学期末テストだけは受けて欲しい」とか「合唱コンの練習を頑張ってるから見に来て欲しい」とか言われた。私は三学期末テストを受けて合唱コンを見にいくことを決めた。
ちなみにこっそり見に行った筈の合唱コンなのにクラス全員に私が行ったことはバレていた。
Twitterの裏垢というのがある。仲良い友達同士だけでフォローし合う身内アカウントだ。そこで「三学期末テスト、受けるだけ受けようと思う」みたいなツイートをした。
クラスの仲良い子から電話が来てびっくりして出た。聖人二人組だった。
「一緒にテスト勉強をしよう」「いつもしてた(定期テスト前はグループ通話をしながら勉強した)みたいにしよう」「範囲は全部教える」私は受けさえすればよかっただけのテストを勉強しはじめた。
テスト一週間前くらいから聖人コンビはほぼ毎晩電話をかけてくれた。内容はほぼ雑談で何を話したかあんまり覚えていない。「一回学校来てみて」「一回きたらするっと復活できるよ」と言われたのは覚えてる。でも学校に関すること本当それだけ。嘘、合唱コンの結果も聞いた。一年生ではトップだった。
その日の朝は死ぬほど嫌で嫌で嫌で嫌で死にたかった。ヒソヒソ話されたら死ぬ。でももうあと3.4日でこの学校とはおさらばだ…四月から二年生として生きるために耐えるしかない…。
そう思っていたけど周りは普通だった。普通にインフル明けの人みたいに接してくれた。元気?とか遅刻してないねとか、覚えてないけど超普通でなんというか拍子抜けした。
次の日もその次の日もテスト最終日まで私は遅刻せずテストを受けたし赤点はなかった。なんなら数学は普通に点数良かった。
テスト最終日、数日後のレクリエーションの球技大会の競技決めをした。私も普通に頭数に入っていたし、私含めた八人グループみんなでドッヂボールにした。学校行ってこの人たちとドッヂボールしてからやめても良いか。
球技大会まで学校に行っててふと気づいた。別に普通だ。学校行って虐められるわけじゃないし普通に楽しいし、多少先輩がいるかもとか気を使うけど超普通。え?じゃあ学校行けば良くね?
学校は辞めなかった。転校もしなかった。
でも部活はやめた。でも家に来てくれた三人は変わらず仲良くしてくれた。
特に盛り上がるところは無かったが私が高校を辞めそうだった時の話はおわり。
話の構成下手ですまん。
とにかく両親と担任、友人五人に支えられて、この人たちのおかげで私は高校二年生になれた。
もちろん高校の人がみんないい人で私を指差して笑う人がいなかった(いたかもしれないけど私は知らない)から二年三年と辞めずに済んだ。
特に友達五人には感謝しても仕切れないしなんていうか意味がわからない。
出会って一年ない他人にここまで尽くせるか? 家まで行ったりテスト範囲教えて一緒に勉強したり、普通に学校戻っても仲良くしてくれたり。
私は高校三年間でたくさんの人にお世話になった。ここであげたのは八人だけど、私はこの八人なら誰の連帯保証人にでもなれる。
(追記)
映画見終わったら上の方にあってびっくりした。読んでくれた人本当にありがとう。
私がいいやつだったかは自分ではわからないけど、本当に周りに恵まれて愛されて育ったんだなって思います。あと連帯保証人はやめます。私の自慢の友達に限ってそんなことはないと思うけどね。
誰かを助けられるような人になるよ、ありがとう。
やりたい娘と ヤったもん勝ち 青春なら~
カーリングに詳しい人ならみんな知ってると思う名前だが、五輪しか見ない人のために紹介する。
スポーツ全般を扱うライター。生島ヒロシの実弟。トリノの熱狂をきっかけにカーリングの世界に進出。
代表作は、トリノの熱狂が落ち着いた2006年5月のNumberに寄稿した「青春ストーン」というノンフィクション。トリノからの参戦組とは思えない緻密な取材と文章で、当時のチーム青森の主力二人のカーリング人生を見事に纏め上げた。これは図書館か古本屋で探して一度全文読むことを推奨する。
最近では文春に寄稿した「悪女の誘惑」という記事ではてな界隈のタイトルしか読まない人達からの評判が悪いが、生島氏の当時からの姿勢を知ってるならば、記事全文を読んで「流石」とうなるはずだ。ミュアヘッドのラストストーンを投げた瞬間からミスと気づいたのは生島氏だけだ。
カーリングに関わるライターとしては、レジェンドといって良いだろう。
フリーの五輪競技ライター。記事は冬季競技が中心。カーリングだけでなくフィギュアスケートやスキージャンプ等についてもかなり執筆する。氏もトリノからの参戦。
代表作は、トリノのチーム青森の主力二人が現役復帰した時の単独インタビュー記事二つ。http://number.bunshun.jp/articles/-/56130 http://number.bunshun.jp/articles/-/65810
言葉を引き出す能力が高く、取材相手への思い入れの強さが感じられる。
2010年あたりはかなりの記事を書いていたが、最近はあまりカーリング記事を書かなくなってるのが残念。
余談だが、氏は女子ジャンプの高梨沙羅をソチのかなり前から取材していたのは良いが、ソチ前に「フライングガールズ」という本を出す暴挙に出てしまった。これは今となっては黒歴史か。
先述の二人と比べるとかなり後から参戦。元々はサッカーライターで、海外開催のワールドカップに一人で取材しに行くような人。カーリング記事で名前を見るようになったのは2013年あたりから。
先述の二人と異なるのは、冬季競技はカーリングしか扱わない点。ヤフーニュースを通じて去年のミックスダブルス世界選手権の試合結果を毎日紹介したりもする。
平昌では何故か飛び抜けた本数の記事執筆をこなし、ヤフーニュースだけでなく、ゲンダイ、週刊ポスト、週刊プレイボーイなどのゴシップ雑誌にも寄稿しまくっている。おそらく今が人生で最も稼いでいるのでは。
ただ、記事の質は先述の二人と比べると落ちる。生島氏、松原氏の記事が「北見のジンギスカン鍋」であれば、竹田氏の記事は成型肉鍋くらいの差がある。
具体例としてこの記事を挙げる。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180223-00054584-gendaibiz-bus_all
今は訂正されてるが、公開当時は「韓国は五輪初出場」というあり得ないミスを書いていた。韓国を皮肉りたい思いのほうが出てしまったと思われる。こんな粗末なミス、先述の二人は絶対にやらない。
以上三人を紹介した。最後の竹田氏については辛く書いたが、それでも「カー娘」「もぐもぐジャパン」と変な別称を付けるマスコミ記者より遥かにマシな記事を書く。
楽しめないのがツライ
ほら、リアルだぞ!みたいな動き、あれ「うわあああああ」ってなるの、何で?
(追記)
ああ、演劇じみてるって言えばいいのかな
創作ダンスでも良い、「示し合わせた動」みたいな感じで強い「青春感?」「リアルだろ感?」を出してる気が
皆はあれを見て「すごい」と言う
苦手になったのはいつごろだろう
ハルヒの頃はまだ大丈夫だった、らき☆すたも、けいおんも苦手だけど大丈夫、中二病あたりで怪しくなってきた、その後はうひゃぁ!ってなる
無彩限のファントム・ワールドが分かりやすい気がする、動きを含めた全体的な雰囲気・・・?
ディズニーも若干似てるかも
君の名はも似てる
ジブリが大丈夫なのは、キャラ全員がワチャワチャ動いたとしても
方向として「青春感」や「リアル感」より「アニメっぽさ」を出すからだと思う
昨日、アニメ版BANANA FISHの第一弾PVやキービジュアルやスタッフ・キャストが発表された。出来栄えは悪くなかったが、舞台が現代になるという決定的な改変が加えられることが明らかになり、非常に不安になった。でも、それ以上に大きく不安を掻き立てられるのが、監督である内海紘子の次の発言だ。
初めて原作を読ませて頂いた際、とても重厚なストーリーに惹き込まれ、その中心であるアッシュと英二の関係性に凄く惹かれました。
なので私としてはとにかくアッシュと英二激押し!!
内海監督はこの話を受けてからBANANA FISHを読んだらしい。新たなファンが生まれて、アッシュと英二に惹かれてくれて、それは嬉しい。ただ、いみじくも制作側に立つ人間が、アッシュと英二の関係性を「とにかくアッシュと英二激押し!!」なんて薄っぺらい言葉で表現してほしくなかった。
内海監督にはもしかしたら、この二人の関係が恋愛関係のものに思えているかもしれない。その二人のカップリングに萌えていて、だから、こういう表現で自分の感情を表したのかもしれない。しかし、長年この作品に死ぬほどの愛着を抱いてきた自分からすれば、この二人の関係を安易な恋愛感情やカップリングとかでたやすく消化しないでほしいのだ。
確かに、光の庭でシン・スウ・リンはこの二人の関係性をたとえるために恋人という言葉を使った。でも、この二人の関係がそれを遥かに凌駕する、もっと大きく、とてつもないものであったことは、登場人物も我々読者も分かるはずだ。二人の間にはたしかに愛が存在したが、それは男女、男男、女女の間に生じる恋愛的なそれではなかった。それは肉体的な何かを超えた、本当に純粋な魂と魂の間に生じる眩しくも美しいものであり、おそらく人間の言葉で定義できるような類のものではない。原作の凄まじさはそれを漫画という表現媒体を通してみごとに描ききったことにある。
受容する側の読者がそれを恋愛として解釈し、大いに萌えることは全然ありだし、自分もそうする。これが二次創作なら、そういう発言もオッケーだった。でも、これを作る側が、あの二人のことを、「アッシュと英二激押し!!」なんて薄っぺらく表現したことが、本当に残念でならないし、本当に苦しい。あなたが激押しなんていう浅はかな言葉を使っている間に、あの二人は、青春の一番輝かしい時期に、宇宙全ての存在よりも愛おしい相手を見つけ、相手のためにすべてを犠牲にして、互いの魂を捧げあったのだ。そしてアッシュは死に、英二は光の庭まで、ずっとアッシュに囚われたままだった。頼むからその二人のことを、もっと尊敬して尊重してくれ。
自分は幼稚園ぐらいの時から男の子に恋していたし、バイセクシャルだとは思っていなかった。高校時代も好きな男の先輩がいた。
全く似たような状態だったのが部活の友達、Aさんだ。彼女も彼女で別の先輩が好きで、私たちはお互いの恋をひっそりと応援しあう仲だったのだ。結論から言うと、私たちの恋はどっちもかなわなかった。
たくさん話しているうちに、私たちは親友といえる仲になっていた。ある日、部活が終わったあと、学校に残って合宿のパンフレットをコピー、製本、なんて雑務をしていた。
二人きりの部室でキスした。へへ~ってお互い笑った。
でもそれ以降は何もなかった。女子同士ってけっこうおおっぴらにハグしたり、手をつないだりするから何も思われなかったと思う。あいつら仲いいな、くらいか。
お互い別に好きな人がいるのに、二人きりになるとドキドキして、見つめ合って笑った。キスは、前述の1回だけでそれ以降はなかった。
今思い出してもあれば恋してたんだよな。付き合ってなかったけど。
だって好きだったもんな。お互いほかの男のことが好きだったのに。
高校を卒業しても私たちは変わらず仲がよかったけど、違う大学に進学したし、会う頻度はガクンと落ちた。お互い彼氏ができればよかったねぇと言い合った。
先日、Aさんが結婚したので、記念に書き残す。
バイセクシャル同士の恋だったのか、青春の気の迷いか。今でも恋愛感情を持った女の子は彼女だけなので、後者のような気がするけど、それでも恋だった。
アニメ版けいおん!元ネタになった(と僕は思っている)「青春デンデケデケデケ」はやはり日常系萌え作品と通じるところがあって、
その「青春〜」は出版社や東映から「男子高校生がじゃれ合うだけの作品が売れるもんか、ヒロインを出せ。登場人物の誰か性別変えろ」と横やりが入ったんだけど、
原作者の芦原すなおや映画版監督の大林宣彦はそれを無視して「男子がバンド組んで高校生活を楽しく過ごすだけの作品」に仕上げた。
よって「青春デンデケデケデケ」は何も考えずに仲間とつるむだけの日々の尊さを描き出した名作になったわけだけど、
日常系萌えも根底にあるのは特に目的もなく日々が浪費されるモラトリアムの賛歌だと思う。
その楽しく空虚なモラトリアムは、将来の進路や恋愛事情というシリアスな問題を前にするとたちまち崩壊していく。
「青春デンデケデケデケ」にしたって「けいおん!」にしたって高3の文化祭をピークにして、以降は高校生活の終焉に対するノスタルジーや将来の不安にフォーカスを当てている。
日常系萌えは恋愛に無頓着なのではなくて恋愛といった題材を排斥することで、なんとか脆く歪な青春のモラトリアムを表現しているんじゃないかと僕は思う。
でも「青春〜」やけいおんの登場人物は奔放で、しれっと異性への興味を口に出したりはしているんだよな。