昨日、アニメ版BANANA FISHの第一弾PVやキービジュアルやスタッフ・キャストが発表された。出来栄えは悪くなかったが、舞台が現代になるという決定的な改変が加えられることが明らかになり、非常に不安になった。でも、それ以上に大きく不安を掻き立てられるのが、監督である内海紘子の次の発言だ。
初めて原作を読ませて頂いた際、とても重厚なストーリーに惹き込まれ、その中心であるアッシュと英二の関係性に凄く惹かれました。
なので私としてはとにかくアッシュと英二激押し!!
内海監督はこの話を受けてからBANANA FISHを読んだらしい。新たなファンが生まれて、アッシュと英二に惹かれてくれて、それは嬉しい。ただ、いみじくも制作側に立つ人間が、アッシュと英二の関係性を「とにかくアッシュと英二激押し!!」なんて薄っぺらい言葉で表現してほしくなかった。
内海監督にはもしかしたら、この二人の関係が恋愛関係のものに思えているかもしれない。その二人のカップリングに萌えていて、だから、こういう表現で自分の感情を表したのかもしれない。しかし、長年この作品に死ぬほどの愛着を抱いてきた自分からすれば、この二人の関係を安易な恋愛感情やカップリングとかでたやすく消化しないでほしいのだ。
確かに、光の庭でシン・スウ・リンはこの二人の関係性をたとえるために恋人という言葉を使った。でも、この二人の関係がそれを遥かに凌駕する、もっと大きく、とてつもないものであったことは、登場人物も我々読者も分かるはずだ。二人の間にはたしかに愛が存在したが、それは男女、男男、女女の間に生じる恋愛的なそれではなかった。それは肉体的な何かを超えた、本当に純粋な魂と魂の間に生じる眩しくも美しいものであり、おそらく人間の言葉で定義できるような類のものではない。原作の凄まじさはそれを漫画という表現媒体を通してみごとに描ききったことにある。
受容する側の読者がそれを恋愛として解釈し、大いに萌えることは全然ありだし、自分もそうする。これが二次創作なら、そういう発言もオッケーだった。でも、これを作る側が、あの二人のことを、「アッシュと英二激押し!!」なんて薄っぺらく表現したことが、本当に残念でならないし、本当に苦しい。あなたが激押しなんていう浅はかな言葉を使っている間に、あの二人は、青春の一番輝かしい時期に、宇宙全ての存在よりも愛おしい相手を見つけ、相手のためにすべてを犠牲にして、互いの魂を捧げあったのだ。そしてアッシュは死に、英二は光の庭まで、ずっとアッシュに囚われたままだった。頼むからその二人のことを、もっと尊敬して尊重してくれ。