はてなキーワード: 青春とは
いやね、その気持ちすげえよくわかるんだよ。
でもさ、そういう七癖くぐり抜けて
「まあ、それはそれで・・・」って
フワッと批判の声かわして、
でもそのかわしかたがイキってる感じじゃなく、
人を好きになったことは、まだない。
2度ほど告白されて、とりあえずでいいから付き合ってみないかと言われ頷いたものの、いずれも所謂男女の関係にはなれずお別れした。
「まだ運命の人に出会ってないだけだよ」「今は他のことで忙しいからじゃない?」
と言われ、まともに取りあって貰えない。
ネットとかで色々調べてみたら、どうやら自分のような人間は一定数いるらしく、"アセクシャル"(無性愛者)と呼ばれていることを知った。
ただ、確証が持てない。
wikiとか見ても自覚時期については「第二次性徴期以降であることが多い。」としか書いてなくて、自分が無性愛者なのか、レズビアンなのか、はたまた友人たちの言う通り単なる奥手なタイプなのか、それは一体いつ判断していいんだろう。
そもそも元から執着心や依存感情に縁が無く、広く浅く淡白な人間関係しか築いたことがないので、これがセクシャリティの問題であるのかすら定かでない。
ちなみに男女問わず美しい顔が好き&刹那的な青春っぽいエモさに弱いのでアイドルとかは好きでよく観に行く。
しかし当然ながら恋愛感情ではないと思う。推し多数だし、認知欲求もないので。
あと子どもも好きだし、いつか自分の子どもが持てたらとは思う。まあ現実的に無理だな。
別にこのままボンヤリと生きていけばいいかなと思ってたのだけども、最近あまりに上記のやり取りをすることが多く、しかもそれが結構なストレスであることに気付いた。
だからこの際ハッキリ決めて宣言してしまおうと思ったものの、これ他のセクシャリティに比べて判断基準がぼんやりしすぎてないか?という印象が拭えず躊躇われる。
だから誰か教えて下さい。
私はAセクなのでしょうか?
モヤモヤするわ~。
前回
https://anond.hatelabo.jp/20180110011450
※全アニメ見ていません、抜けいっぱいありそう
刀使ノ巫女 まだわかりません
クレイジーサイコレズが足りないと思った
ラーメンに期待
高校を卒業して、進路担当の先生に勧められるまま地元の工場に就職して働き始めてからもう6年になる。
23歳になった。
世の中に楽な仕事はそんなには無いのは知っているが、零細企業の工場で働くというのは、まぁ、それなりにキツい。
体力勝負だし若い社員が少ないせいで、年配の上司にこき使われる様にして毎日働いている。
若いんだから、という理由でキツい仕事はこちらに回ってくる事も多い。
そんなこんなで仕事を終え、家に帰って両親や弟と夕食を食べる。
大学生の弟が今度彼女とデートしてくると両親に話していて、青春してんなぁと俺は嬉しくなった反面、こう思う。
んー、なんか俺このままで大丈夫なのかなぁ、って。
インターネットでここ最近、所謂「キモカネ」という単語を見かける様になった。
キモいせいで性的な魅力も無ければ、経済力もなく、もう若くない人の事。
三重苦だ。
しかしこういった概念に人を当てはめて、抽象化して判断するのは良くない事かもしれないし、こういう事は個人の問題、という意見もある。
だけれど俺は自分自身に対して将来自分がそういった所謂「キモくてカネの無いオッサン」という存在になってしまうのではないかという危惧感を抱いている。
これは肉体労働系の仕事だから仕方がない事で、そしてコレは全く個人の意見でその上ちょっと極論的でもあるから一般論としては見ないでもらいたいのだけれど、男というのは視野の狭い生き物だ。
話題に上がるのは大体風俗とギャンブルの話ばかりこれに辟易している毎日なのだがこれに加えて、肉体労働系の仕事ではまず自分の見た目に対して物凄く無頓着になる。
まずヒゲを剃らなくなる。ヒゲを剃るために早起きしなくてはいけないぐらいなら伸ばして週一で剃るぐらいが丁度良い。
そして次に顔を洗わなくなる。
うちの工場は粉塵が舞うので人によってはマスクを着用して作業するが、そうすると顔を晒す事が飯を食う時と昼の休憩中ぐらいしかないので、誰も見ないなら良いだろうと、俺のような自堕落な人間は考えてしまうのだ。
そうすると、キモくてカネのないオッサンの「キモい」という条件が完成する。
不潔にしてる奴はキモいのだ。
そして次の問題はカネだ。
カネを自らの欲しいものと交換して得られる幸福感というのは、得てして他人から自分への愛によって得られる幸福感の代替と成りうるので、これを欠かしてはいけない。
うちの会社は金払いが悪い。
俺達は金に飢えたマネー・ドッグスなので金払いさえ良けりゃどれだけこき使われようとも納得出来るのだが、うちの会社の社長というのは安く労働力をこき使おうとしやがる上変な所で見栄っ張りなのだ。
社長が「ウチの会社一部上場したぞう」とドヤ顔で言ってきた時は、これで俺たちの給料も上がる!とまだ若い同期や先輩達と喜んだものだったが、社長がしたのはまず自分のダサイ型落ちのスポーツカーを真っ白の高級ベンツと取っ替えた事だけである。
もし日本が法に縛られていない無法地帯の荒涼たる大地であったならば「白は血が映えるから良い色だよね!!」と叫んで、マチェテを振りかざす気の触れた俺と対峙する事になったであろうから。
それはともかくとして、こういうことがあるのを踏まえた上、6年間も働いているのに未だ昇給しない事も考えると「全く金のない」という事にはならないだろうが、「同年代の中年男性と比べて」金のないオッサン、という事にこのままではなりそうである。
やがて訪れるその瞬間まで人々は悲しみを味わい喜びを噛みしめるのだ。
その様子はまるで狂乱の渦に巻き込まれていくパレードの様で、誰ひとりとしてその宴の列を抜け出す事は出来ないししてはならないのだ。
だがなっていたいのは、自らをキモくて金のない中年だと自称して悲しみに暮れるおっさんではない。
俺はモテなくてもいいし、特別金持ちでなくても良いから(ポップコーンとドリンクを買って映画館で映画が見れて、楽しみにしていた新作ゲームを躊躇なしに買えるぐらいには金が欲しいけれども)ユーモラスなおっさんでありたいのだ。
支離滅裂な怪文書の様になってしまったけれども、自己肯定感さえ持っていればキモカネおっさんから抜け出せると信じていたい。
創価二世の子供とその親達で集まって子供版の創価新聞を読まされる。
そして皆で記事を読んでどう思ったか意見交換。将来の夢を語り合い、池田大作先生が作詞作曲を手がけた子供向けのテーマソングを歌う。
あんま覚えてないけど、エンジン~全開とっびっだそーうー♪みたいなフレーズだけ頭に残ってる。最後は勤行(お教の読みあげ)で締める。
各地域にある創価学会の文化会館で行われる座談会?にも参加させられた。月一くらいで開催されてて、100人以上いたんじゃないかな。
池田大作先生の説法っていうのかな、ありがたいVTRが放映された後に全員で勤行をあげる。
100人以上の勤行は圧巻だよ。
勤行のクライマックスになると、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経…って延々繰り返す所があるんだけど、
あの大合唱は圧巻だよ。
そんじょそこらのコンサートや映画なんかよりいろんな意味で大迫力だよ。
中1の頃の年越し前の座談会に連れていかれた時は青年部の人たちがいて、
大学生くらいの美人なおねーさんやかっこいいお兄さんたちが私たちの前に出てベートーヴェンの第九を歌ってくれたんだよ。
最初はにこやかに歌ってるんだけど、途中から感極まって泣いてんの。
泣き笑いながら青春ドラマみたいに皆で肩を叩き会いつつ第九を歌ってんの。
その後は恒例の勤行で締めて、紅白餅もらって帰ったよ。
どうでもいいけど勤行の最後の南無妙法蓮華経の繰り返し読み上げって回数決まってなくて、その場の盛り上がりと、勤行のリーダー役みたいな人のさじ加減で決まるんだよな。
盛り上がってる時は10分くらい南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経繰り返すんだぜ。
逆に時間が無い時なんかは数回繰り返して終わり。なんか面白いよね。
今のスポーツ漫画や青春漫画はたいてい部活に依拠してるストーリーが多いのだけど、はてなで叩かれてるみたいに部活がなくなったらどうなるのだろうね。
まず強制入部がなくなったら物語のとっかかりとなる入学シーンで主人公の「どの部活に入ろう」からのそのジャンルとの出会いというパターンが使いにくくなる。読者の共通体験じゃなくなるから。
運動部のスポ根練習はすでになくなって久しいから部活がクラブチーム化しても練習や試合描写はあまり変化はしないだろうが、チームが学校単位でなくなることで目的・目標はだいぶ変わらざるを得ないだろう。「この学校には○○部が強いから入ったんだ」という部活を目的とした進学描写がなくなる。
また、今まで学校ごとに不良とかガリ勉とか色をつけて作られてたチームが、地域ごとのクラブチームになることでそういった特徴をつけられなくなる。
1期放送当時、OPで目が痛くなって切って以来ずっとそう考えていた。そもそも、中二病と邪気眼をゴッチャゴチャにするようなアニメが面白いはずがない。だってそうだろう。表題にしてることに対してすら無理解な作品が面白いはずがないじゃん。つうか見ていて痛えんだよ。高校生にもなって痛い言動連発して周りに変な空気作ってるようなオタクを見てると、あの頃の自分達が邪気眼でこそないなりにオタクであることにイキって変な言動してたの思い出すから見てらねえぞと。それ以前にこれって田中ロミオのAURAのパクりじゃねーかよくこんなの堂々と世に出せたな!と。そこでもう既に信用できねえ!と。
それから5年して、ニコニコで一挙放送を見る機会があって、自分の頭も冷めてきたので見ることにした。それなりに人気のある作品だし第一印象だけでコケにして見ないままにしておくのも勿体無い気がしたから。流石に映画化されるならそれなりに面白いのかも知れないんだろうなと。だって田中ロミオのAURAも映画化したし。あれは面白かった。映画館にいた連中が後ろ姿だけで濃ゆいオタクだと分かる所なんて特に。あの映画は本当に面白いよ。映像で見るとヒロインの気合い入りっぷりの痛さと必死さが強烈に伝わってくる。
中二恋の感想を簡潔に言うと『普通の良作』でしかなかった。良作ではあった。加速する自意識形成に現実の自分を追いつかせたくて特別になろうと必死にあがく中高生の姿を通して青春を描くというコンセプトをしっかりとなぞれていた。ひたすら邪気眼の痛い言動とそれの映像化だけで乗り切るのかと思ったら、以外にもシナリオはそれなりの物だった。普通の学生という幻想を求める主人公も、モテたいから軽音楽部に入る男友達も、リアルタイムで邪気眼を続けるヒロインも、高校デビューで頂点を目指すヒロインも、誰もが自分の自意識を受け止めてくれる場所を求めてそれぞれに必死に生きている。いつもいつでも本気で生きている。そこに特別な理由が加わってしまっていることにノイズのようなものを感じはするし、そんな特別を用意して結局オチがあの程度なのはどうなのかと思うが、そういう結局何も起こらないような所を含めて高校生の青春を描いていると見ることも出来る。本人たちは必死なのだが傍から見るとアホらしい日々の滑稽さと、結局世の中そんなもんだけど自分のことなんだから必死になるしかないという気持ちが渦巻く世界を可愛く楽しく描写されている普通の良作だ。
で、話がタイトルに戻るけど。普通の良作すぎて映画化されるほどの作品には感じないんだが、これ二期からスゲー面白くなったりするのか?まあ今から見るんだけど。
追記:
二期見たぞ。普通の良作から、ちょっといい凡作まで下がったぞ。
邪気眼という設定がただの三角関係に飲み込まれてしまってただ展開の遅いだけの恋愛物になった。そもそも自分はこのアニメに多くを求めすぎていたんだろう。これだけ人気があるならただ可愛い子とイチャイチャするだけの疑似ハーレムなはずがないと思っていた。違った。オタクの中にはそういったただの疑似ハーレムで終わっている作品を求めている層がいることを完全に忘れてた。そういう層向けに全力投球して見事に萌えにしか興味がないオタクを一本釣りしたのがこの作品だったんだ。いやー勉強になった。自分には合わなかったけど、ああいうのが大好きと臆面もなく言えそうなオタクの顔は結構思い浮かぶわ。ちょっと評判がよくて、自分にもフックしそうな部分を感じても、直感的に駄目そうだと思ったら辞めておいた方が無難って事かな。今後のアニメ視聴プランに活かそう
今回は少年ジャンプ+
ああ、終わった。
本作のテーマを大まかに語るなら、“役割”や“虚構”みたいな話になると思う。
当初期待されていたような、悲しき宿命を背負ったヒーローの活劇ものでは決してない。
むしろそういったものを虚構とし、その偶像に翻弄され、各々の役割に苦悩しつつも時に順応し、時に戦い生きようとする者たちの群像劇みたいな感じ。
話は二転三転しつつも、実はこのテーマ自体はちゃんと一貫していたりする。
最後のサンとルナの邂逅だって、二人は本来のサンとルナではないわけだからね。
そういったテーマや作者の伝えたいであろうことを踏まえたうえで、私が本作を面白かったと思っているかというと……うーん。
展開は行き当たりばったりのように感じるけれども、連載当初の作者のインタビューから解釈する限り、大まかなプロットは決まっていたっぽいんだよね。
それであの始末なのだとすると、構成力不足か読者との意識のズレがあるのかなあと思う。
私もよく感想書いていたから、少なくともある程度は本作を評価していたのは間違いないんだけれども、喉に小骨が刺さっているような気分だ。
主人公が部活に誘われて、最初のうちは渋るものの最終的に入部する、まあ紋切り型。
とはいっても紋切り型が悪いわけではなくて、大事なのはその型に何を入れるかだからね。
その点で「書道」などといった選ばれにくい題材をチョイスしたのは妥当な判断だと思う。
難点は主人公の苦悩が陳腐で、思春期特有の漠然とした虚無感の延長線上でしかない点かな。
だから身内の死という要素を付け足して、その動機の希薄性を緩和しているわけだけれども、そのせいでかえって主人公の苦悩が身内の死のせいなのか若者の陳腐な万能感からなのか有耶無耶になっている。
そもそも芸術的な話って、一般人から見て「何がどうすごいのか」についてアカデミックな解答がないと共感しにくい。
その状態で、肝心の「なぜ書道なのか」について観念的なことばかり並べられても、結果として雰囲気だけで描いているという印象から抜け出せない。
まあ一番悪いのは謳い文句書いた人だよね。
「衝撃作」とか謳っておいてこれといったインパクトがないんだから肩透かし食らう。
キャラクターの描き方が上手いなあって印象。
主役はタイトルにもなっているノリなんだけれども、言動の突飛さと激しいスケート(?)シーンを同時進行で見せることによって、「変人だけどすごい」という説得力が増す。
コメディやギャグ漫画でも、絵の説得力って大事だなあと改めて実感した。
まあノリの造形はあんまり好みではないけれども、見せたいものが伝わっている時点でデザインとしては成功だと思う。
それぞれが「友愛か、恋愛か」みたいなことで悩んでいるんだけれども、これが三者三様であることを改めて見せてくれたなあっていう。
他の主要人物が一応の答えを出して立ち回ろうとしているのに対し、二葉の場合はそこら辺が漠然としている状態。
YESにしろNOにしろ相応の立ち回りをするべきなのに、二葉の消極的な性格もあいまって上手くできない。
それが前半の、二葉の将来に対する煮え切らなさと本質的な部分では重なっているわけだね。
学生たちが進路について考え始める時期に設定したのは、話がゴチャつくか空気設定になる可能性もあったけれども、なんか上手いこと繋げていくなあ。
まあ、タイトルからしてアンドロイドの人格に焦点を当てた作品であることは明らかだから、話は最初からスッと入っていく。
SF要素や哲学的な話は希薄で、矛盾はしていないように見えるけれども陳腐だとは感じる。
そもそも主題は「過去に辛い経験のある二人が、共に前向きに生きることを決意する」といった話だろうから、まあ作りはこれでも良いと思う。
期待していたものとは違うけれども、ストーリーと紡がれるドラマ自体は割と嫌いじゃないよ。
週刊ジャンプで連載されてたのに、コミックス発売記念の漫画をジャンプ+でやるのかっていう印象はあるけれども、まあ本誌でもジャンプ+の宣伝はよくするから細かいこと気にしたって仕方ないか。
この手の転移モノの話で未来に飛びたがるってのが逆に珍しい気がする。
現代だと、むしろ旧文明な異世界とかのほうがポピュラーなイメージがあるし、磯兵衛が過去に飛んで原住民相手に知識をひけらかしてドヤ顔するほうが“らしい”気もしたから。
でも、ここで「未来のほうが楽ができる」っていう発想は確かに“らしい”。
それに転移ものとしては最低限のツボは抑えていて、ジェネレーションギャップ(?)や、順応しようとする描写、肝心なところは大体「母上」というチートで解決っていうのも(笑)
とはいえ新鮮味は薄く、周りの登場人物が明らかに子孫で実質同一人物なので、現代を舞台にしつつも空気感はいつも通りだね(まあ、本作はもとから現代の話がちょくちょく入り込むことが多かったけれども)。
最後に磯兵衛はちょっとした成果を出すけれども、いわゆる枯れた技術の水平思考になっているのはちょっと感心した。
近年の異世界転生・転移もののマンガ読んでいる私からすると、現代の文明を旧文明の世界で活かすパターンが多かったから、その逆パターンもポピュラーになってもいいよねと思った。
子供を主人公にして過激なことやらせるってのは、まあ鉄板といえば鉄板。
主人公であるギコの序盤のアクションはケレン味が強く、まああんまりマジになって見るべきものじゃないことはすぐに伝わる。
ギコの人格を成熟させるのではなく、あくまで年齢相応に設定したのは良かったと思う。
アクションとのギャップでメリハリが出るし、分かりやすい未熟さはキャラクターとしては魅力にもなりうる。
反面、プロットは前時代的な勧善懲悪ものにしかなっていないのは残念。
結果としてはギコの一方的な勝利で終わるので、バトルシーンは総じて面白みが薄い。
例えるなら、小学生向けの漫画誌で描いていた作家がちょっと過激な描写に挑戦してみたものの、その頃のクセが抜けていない作風っていう感じ。
ボクシングを題材にはしてあるものの、スポーツものというよりは青春ものって感じ。
ほとんどモノローグ調で語られる主人公のセリフと、反して明朗快活なヒロイン。
だが本質的には同じ苦悩を抱えており、互いが想いを分かち合おうとすることでトラウマを払拭するという構成は良いと思う。
気になるのは、主人公の設定がボクシングシーンと噛み合っていないというか、分かりにくいところかな。
今までは防衛本能で殴っていたけど、共有できる仲間がいることを自覚したので冷静になれた、みたいな感じに解釈したけれども。
部活モノとして表面的に見るならば、今回感想書いた『I WILL ROCK YOU』と似ているんだけれども、テーマによって印象は大分変わるね。
正直葉鍵世代とはずれててあそこら辺もやってないしきのこ作品は分量が多いし避けてたからここにくっつけていいのか解らんけど年末に当時の物を見返してたりして思う所あったのでざっくりと書く
田中ロミオは完全にラノベ作家になっちゃったし、まあ人類は衰退しましたの出来には満足してるし他作品を見ても上手くゲームからスライド出来た方かなあとは思う。
虚淵玄があんなに出世したのは一番以外だったけど、まどマギ反逆で「凄え上手くなってる、構造は変ってないけどもこれと比べれば沙耶の唄は習作だ」って思ったからまあ納得してる。
大槍葦人はlittlewhich解散してほぼ同人作家になっちゃったし(画風も変った、変わる事は仕方がないけれど白詰草話のころの憂いのある少女の絵はいまでも見るとヤバい、クラウドファウンディングかなにかでお金集めてあの頃の画風に近付けてフルFFDでゲーム作ってくださいよって言えばやってくれるんだろうか??)
元長柾木(ちょっと時期的にはずれてるか)はエロゲの世界に帰ってきた(ギャングスタ・リパブリカ)けどそこまで思い入れのある作家ではないのでやってみようかなとは思うけれど結局手をつけてない。
で、型月なんだけどさ、月姫リメイクもそうだけど個人的には星空めてお企画のGirl's Workを一応期待して待ってるんだけど……どうも最近の彼の作品を見てると元増田と同じように自分が好きだったのは腐り姫→Forestの頃の作風と名作を作ったあとに怪作を作ったっていう勢いなんじゃないのかって不安は拭えない。
まあ型月ならいつかは出てくるだろうし新規にコンテンツを供給出来る能力もあるのでまだ安心出来るかなとは思ってるだけどね。
なんか(おそらく)完成してるのに出てこない末期、少女病とからくえんPB2とかの方が残念だ、あいつらが日の目を見る事はあるんだろうか……
まあ全部いまさら出てこられてもどんな態度で見ればいいのか解らないという気持ちのほうが今は強い、あっと言う間に15年も過ぎてあそこら辺のゲームはなんか青春のいい思い出みたいになりつつある。
大学の先輩に紹介されて3年前に始めたこの仕事も、今年の大学卒業を機に辞める。
大学には友達もいるし恋人がいたこともあるけど、銀座で働いていることは誰にも言わなかった。ガールズバーやキャバクラで働いてることを大っぴらにしている大学生も少なくはないけど、私は徹底して隠していた。お客さんには「なんで隠すの?」ってきかれるけど、わざわざ自分から銀座のイメージをつける必要もないと思ったから。銀座のクラブに縁もゆかりもない大学生の恋人が噂できいたらいい顔しないだろうなとか。
「銀座のクラブ」ときくと敷居が高い、ものすごい美人しかいないイメージがあるかもしれないけど、銀座にも色んなお店がある。芸能人やスポーツ選手御用達の、本当にびっくりするような美人しかいないお店もあれば、お店の女の子の半分くらいは私のような普通の大学生がアルバイト感覚で勤めていて、お客さんは接待のサラリーマンがメインというお店もある。昔のことはよくしらないけど、昔とは違うんだと思う。銀座には女子大生が本当にたくさんいる。中でもいわゆるMARCH以上の大学に通っている子が1番多い。女子大の子はそんなに多くない印象。
(余談だけど、銀座の高級クラブがたくさん入るビルでは、いわゆる大御所芸能人だけでなく、某女性アイドルグループのメンバーとかも良く見かけた。どこで飲むんだろ?)
よくお客さんに「大学生からここで企業のお偉いさんをたくさん見て、良いお酒飲んで、たまにお寿司とか食べて、それでお金もらったら若い男なんて付き合えないでしょ」と言われるけど、それは男性の幻想だと思う。少なくとも私は、むしろ自分の置かれている状況に対して冷静になった。
いくら景気が良くなってるとメディアが煽っても、私は銀座にいたって景気の良さを実感したことはほとんどない。酒代もタクシー代も経費で落とせる会社は多くないみたいだし、豪快にお金を使う人はいても、お客さんの大半は月給のほとんどを家族に使い、小遣いは少ないが経費で落とせる接待で銀座に来ている(来ざるを得ない)疲れ気味の(エリート)サラリーマン。
大学の友達や後輩含め、若い人はお酒が飲めない人が多くなってると感じるし、基本的に早く帰りたいと思っている、そして本当に帰る若者が増えている現代では、こういうタイプのお酒の文化は斜陽と感じる。ストロングゼロが持て囃されるのがわかる。
そもそも「男は女を好き」という大前提なしには成り立たない空間では、連れて来られてもきつい思いをする人もいる。
それでも私はここで働けて本当に貴重な体験ができたと思う。普通のレストランで働いていたこともあるけど、その時の代替可能な働き方とは違って、自分次第でどうにでもなれる世界は面白かった。レストランだったら土日丸々働いて手に入るのと同じお金が、平日の夕方に数時間入るだけで稼げるので、単純に勉強する時間が増え、学業も充実した。
銀座という土地柄、社会的地位があり品のいいお客さんが多いから、ほとんど嫌な思いをすることがなかった。働いてる女の子同士がお店では仲良く話すけど、外では連絡先はもちろん、本名も知らないような関係も心地よかった。いつも湿り気のない笑顔で、だけど決して太陽ではないようなあの見事な美人の先輩もいつのまにかいなくなった。あの先輩が作るお酒は濃くって美味しかったこととか、更衣室で一緒になった時珍しく先輩が酔っ払っていて、普段プライベートの話はしないのに、「2年以内には東北に帰ろうかなって」と屈託のない笑顔で話してくれたのを思い出したりする。あの先輩のまぶしいくらいに白い肌と、烏の濡れ羽色の長くてきれいな髪が今でも目に焼き付いてる。
いろんな出会いがあり、いろんな別れがあり、いろんなことを考え学んだ。誰にも話せないけど、間違いなく銀座はもう1つの私の青春だった。これからは普通の社会人になるけど、銀座はずっと私の中にある。お世話になりました。