高校を卒業して、進路担当の先生に勧められるまま地元の工場に就職して働き始めてからもう6年になる。
23歳になった。
世の中に楽な仕事はそんなには無いのは知っているが、零細企業の工場で働くというのは、まぁ、それなりにキツい。
体力勝負だし若い社員が少ないせいで、年配の上司にこき使われる様にして毎日働いている。
若いんだから、という理由でキツい仕事はこちらに回ってくる事も多い。
そんなこんなで仕事を終え、家に帰って両親や弟と夕食を食べる。
大学生の弟が今度彼女とデートしてくると両親に話していて、青春してんなぁと俺は嬉しくなった反面、こう思う。
んー、なんか俺このままで大丈夫なのかなぁ、って。
インターネットでここ最近、所謂「キモカネ」という単語を見かける様になった。
キモいせいで性的な魅力も無ければ、経済力もなく、もう若くない人の事。
三重苦だ。
しかしこういった概念に人を当てはめて、抽象化して判断するのは良くない事かもしれないし、こういう事は個人の問題、という意見もある。
だけれど俺は自分自身に対して将来自分がそういった所謂「キモくてカネの無いオッサン」という存在になってしまうのではないかという危惧感を抱いている。
これは肉体労働系の仕事だから仕方がない事で、そしてコレは全く個人の意見でその上ちょっと極論的でもあるから一般論としては見ないでもらいたいのだけれど、男というのは視野の狭い生き物だ。
話題に上がるのは大体風俗とギャンブルの話ばかりこれに辟易している毎日なのだがこれに加えて、肉体労働系の仕事ではまず自分の見た目に対して物凄く無頓着になる。
まずヒゲを剃らなくなる。ヒゲを剃るために早起きしなくてはいけないぐらいなら伸ばして週一で剃るぐらいが丁度良い。
そして次に顔を洗わなくなる。
うちの工場は粉塵が舞うので人によってはマスクを着用して作業するが、そうすると顔を晒す事が飯を食う時と昼の休憩中ぐらいしかないので、誰も見ないなら良いだろうと、俺のような自堕落な人間は考えてしまうのだ。
そうすると、キモくてカネのないオッサンの「キモい」という条件が完成する。
不潔にしてる奴はキモいのだ。
そして次の問題はカネだ。
カネを自らの欲しいものと交換して得られる幸福感というのは、得てして他人から自分への愛によって得られる幸福感の代替と成りうるので、これを欠かしてはいけない。
うちの会社は金払いが悪い。
俺達は金に飢えたマネー・ドッグスなので金払いさえ良けりゃどれだけこき使われようとも納得出来るのだが、うちの会社の社長というのは安く労働力をこき使おうとしやがる上変な所で見栄っ張りなのだ。
社長が「ウチの会社一部上場したぞう」とドヤ顔で言ってきた時は、これで俺たちの給料も上がる!とまだ若い同期や先輩達と喜んだものだったが、社長がしたのはまず自分のダサイ型落ちのスポーツカーを真っ白の高級ベンツと取っ替えた事だけである。
もし日本が法に縛られていない無法地帯の荒涼たる大地であったならば「白は血が映えるから良い色だよね!!」と叫んで、マチェテを振りかざす気の触れた俺と対峙する事になったであろうから。
それはともかくとして、こういうことがあるのを踏まえた上、6年間も働いているのに未だ昇給しない事も考えると「全く金のない」という事にはならないだろうが、「同年代の中年男性と比べて」金のないオッサン、という事にこのままではなりそうである。
やがて訪れるその瞬間まで人々は悲しみを味わい喜びを噛みしめるのだ。
その様子はまるで狂乱の渦に巻き込まれていくパレードの様で、誰ひとりとしてその宴の列を抜け出す事は出来ないししてはならないのだ。
だがなっていたいのは、自らをキモくて金のない中年だと自称して悲しみに暮れるおっさんではない。
俺はモテなくてもいいし、特別金持ちでなくても良いから(ポップコーンとドリンクを買って映画館で映画が見れて、楽しみにしていた新作ゲームを躊躇なしに買えるぐらいには金が欲しいけれども)ユーモラスなおっさんでありたいのだ。
支離滅裂な怪文書の様になってしまったけれども、自己肯定感さえ持っていればキモカネおっさんから抜け出せると信じていたい。
作業内容にもよるが、工員と言うのはその作業についてプロフェッショナルなわけで、それで得る技能は立派なスキルだし、務めた期間が長ければ立派なキャリアだ 胸張っていいぞ
自己肯定感を持ち続けたいなら「おっさん」という単語を使うの止めたほうがいい