はてなキーワード: 萌えキャラとは
このエントリーを読んで、どうしても萌え絵フォビアについて言いたくなったことがあります
http://anond.hatelabo.jp/20151203015340
それは「一部の女性は母親、特に娘のいる母親になると、一部の萌え絵を嫌いになる」ということです
うちの母と友人がそれでした
しかも彼女らはギャルゲーなどソフトな男性向けコンテンツも楽しむような元オタクです
親になってから子供を傷つけそうな大人、例えばロリコンを許せなくなった
吾妻ひでおの描く女の子は子供に見えるので、吾妻ひでおのエッチな漫画がロリコン漫画に見えるようになった
だから吾妻ひでおの漫画、ひいては頭身の低い幼児体型の萌え絵が嫌いになった
例えば、まどマギの頭身と体型はアウト、けいおんの頭身と体型はセーフ
また、頭身があっても10代の女性キャラが男性に媚びるような描写やパンチラにはドン引きする
例えばけいおんだと、あざといけど小動物的なかわいさが目立つうんたんはセーフ、萌え萌えキュンはアウト
ジブリアニメだと、男性に媚びない思い出ぽろぽろはセーフでパンチラだらけの魔女宅はアウト
友人は、子供が生まれても「かわいい」「ほっこりする」と言って非オタの旦那に隠れて萌えアニメを見ていた
ある日2ちゃんねるのまとめサイトを見ていて、10代のキャラに欲情する男たちの存在を再確認した
しかし学園ものの萌えアニメを見ながら「うちの娘もいつか学生になるのか」と感慨にふけっていたところ、そのキャラを性的な目で見る男たちを思い出した
そして自分の娘も男性から性的な目で見られる可能性にも気づいた
それ以来、10代の萌えキャラが好きな男たちと成長した娘を性的な目で見る男を重ねてしまい、萌えアニメを楽しめなくなった
母も友人もオタクでしたが、母になったがゆえに萌え絵フォビアになりました
都道府県や市町村、もちろん国家だとか、公共性の高い観光協会だとか商工会だとかもそうですが、そうした団体が、アニメやゲームとタイアップとか、さらに言えばツタヤとタイアップとか、こうした事象が「社会問題化」しています。
なぜ問題になるのかその原因はというと、私は「デモクラシーが成立していないから」だと考えるわけです。
例えば市町村が、「萌えキャラ」にしろ「ゆるキャラ」でさえも、そうした広報、というかむしろ広告宣伝ですが、そういう行政をします。そうすると、市町村の構成員であり最も基本的な利害関係者(ステイクホルダー)は、そこの市町村民です。そこではたして、そこの市町村民の意思が、その広告宣伝活動に反映されているのでしょうか?
例えば武雄市などがツタヤと「タイアップ」したわけですが、これも市民の意思が反映されているのでしょうか、また、市民の利害に目を向けられているのでしょうか。
「選挙で勝ったから」という理由で、首長が何をしてもいいという風潮になっていますよね。その選挙でその候補者に投票した人がどのくらいの割合なのでしょうか? そもそも、全員一致で当選したとしたって、個別案件で市民の意思を完全無視していいという理屈は立たないと思います。
それに、投票の拒絶されている人(例えば未成年者)の利害に目が向けられていますか?
また、その施策が実行された後、将来になってその施策の利害を負わされる人への眼差しにも欠けています。典型的には、日本の「借金」の件もそうです。世代間の「支えあい」モデルの破綻した公的年金もそうです。だから率直に言って、「こういう無責任な人たちには人間の血が通っているのか?」と思いますよ。強権的(ポピュリズム的)な思想と、儒教的な(年長者を尊敬し、子孫に責めを負うという)思想が混在し、致命的な矛盾を起こしていると思います。
さてともかく、「選挙で勝ったから」という発想でさえも問題があるし、「俺が責任をとる」と云われても、損害が出てからお前が腹を切っても損害が無かったことにはならないわけですね。
ましてや、具体的で個別的な施策決定はむしろ、首長ではなく職員が決めていることが多いと思われます。首長は、上がってきた案にサインするだけかもしれませんし、ましてや「聞いていない」ことすらありうるのではないかと思います。そうするとつまり、その施策には住民の意思を反映するプロセスがあるのか、ということが問題であるわけです。
例えば、東京オリンピックのエンブレム問題もやはりそうなんですね。東京都がやるんだったら、東京都民の意思を反映しないといけないのに、むしろ密室的に行われていたわけですよね。
このような問題はですね、そのまま、「日本国」の問題でもあります。政策決定にしろ、道路を敷くだのダムを建てるだの原発を建てるだのもそうですし、「消費税」を上げるとかいうのもそうです。さらには、広報ポスターやCMに誰を採用するかというところにも、1件あたりならばたかが個別案件でも、継続的に、特定のタレントとか広告代理店とかを使っていくことが慣例化するともう、個別案件だといって済むとは思えないと感じます。(ちなみに、こうした問題点を軽減するための手法に「パブリックコメント」の制度があるわけです。)
そして、例えば、市町村だとか商工会や観光協会が特定のアニメとタイアップすると、当該市町村はそのアニメのイメージを負うことになります。そうすると、市町村民もそのイメージと影響を負うことになってしまいます。市町村民は意思決定プロセスに関与していないのに、利害を負わされるわけです。
それがかりにどっかの中小企業が宣伝でタイアップしたというのならば、それはその企業の「自由」だということになるのでしょう。上場企業だったら株主に責を負いますが、少なからぬ株主は「儲けてくれればいい」と思っているので、実際に収益が出れば文句は出にくい、つまり問題化はしにくいかもしれません。
それでも例えば鉄道事業者がやったら、その列車に乗る人みんなが、その作品だかなんだかを(事実上強制的に)見せられたり、さらには車内アナウンスまでも差し替えられて聞かされたりするわけです。そうすると、たとえ私鉄、「民間事業者」であったとしても、無難な選択にとどまって、「大冒険」はすべきではないというのが原則だと思われます。
ですから、事業の性質や規模によっては公共性が高くなり、決してプライベートでは済まされないことがあります。
話が長くなりましたが、昨今の騒動をみると、「大冒険をするな(最大公約数的であれ)」という主張と、「大冒険を許さないと社会が改まらない」という主張の二極対立、デジタル的・バイナリ的なコンフリクトになっているように思います。
しかし問題の本質は、「大冒険」をしても良い場合でも、その決定プロセスで構成員や利害関係者の意思を聴き反映させなければならない、ということにあるのです。
それを言い換えればデモクラシーだというわけです。
問題の本質は通底しているのに、そうした事件一つ一つを分断して個別化し、洞察や反省をしない習性が今の「日本人」にあるように思えます。
そこで出るならお前よりくまモンとかの方がいいんじゃねえの
まあでもこの辺の方が萌えキャラより遥かに人気あるし金も稼いでるよな
萌えキャラで町おこしってもうとっくに飽きられててオタクですら大して金落とさないのに
今更企画するのって未だオタクブームが続いてると思ってるオッサンがやってるのか、公私混同のオタク職員がやるのかどっちなんだろう
「覚悟」があってちゃんと説明すれば収まるのなら、五輪ロゴ問題は存在しなかったな。
五輪ロゴを論理でなく圧力で潰しておきながら、萌えキャラに対する圧力を批判する手合が多すぎる。
結局気に入る気に入らないで判断して、後から論理をひり出してるだけなんだよな。
それはともかく本件は表現問題ではなくゾーニング問題で批判は当然だろう。
個人的には萌えキャラで町おこしって嫌なんだよな。某大洗とか町そのものの魅力があるのにナマの景観を損ねてしまっていて、なんだかなと思った。
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│ ├─ 萌えキャラを使うのは許せないよ派
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│ │ └─ 卑猥でも色気があるのはいいけど今回のは下品だよ派
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│ └─ すべての人が不快にならない表現をするべきだよ派(過激派)
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├─ 素材をそのまま使うのは適当だよ派
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└─ ポスターダサすぎるよ派
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└─ 他の名物を作れよ派
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└─ こんなに騒ぐ規模じゃないよ派
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こういった問題になるとまず間違いなく「オタクカルチャーが差別されてるから叩かれている」という言説が飛び出す。
また、例の楽器が男根と言い出した人の例を引くまでもなく、萌えキャラ・アニメキャラを嫌う人というのは存在する。
しかし、そういう人は決して多数派ではない。もしそうだとしたら、各地にいる無数の萌えキャラはすべて大なり小なりの炎上をしているはずだろう。
実際にはそうはなっていないのだから、炎上したキャラには「ほかのキャラにはない(問題)点」が確かにあったと考えるほうが妥当である。
美濃加茂市の『のうりん』良田胡蝶、志摩市の碧志摩メグは共通して、そのイラストの性的アピールが過剰であるという意見が多く見られた。
自治体、それに準じる第三セクター(=ここでは「お役所」とする)の表現にふさわしくない、公共の場に掲示していいものではない、一般人の羞恥を呼び起こすセクハラである。
それらに対する反論も噴出している。
客観的な基準が示せない、個人の「不快である」という感情の言い換えに過ぎない、ファンに向けたイベントなのだから問題ない。
そのどちらも決して間違いとは言い切れない。
理論上は、R-18に相当する表現がなければ、子供が見ようが女性が見ようが問題はないはずだ。
だが実際には女性の乳房や肢体を強調するのは「公共の場にふさわしくない」し「お役所らしくない」。
つまり、我々はいつの間にか、暗黙のうちに、お役所にふさわしい「表現の範囲」を定めていたのだろうか。
それを逸脱したことが今回の問題の核心であり、今後、その「範囲」を明確化して、その中に納まる表現だけが認められるのだろうか?
そもそもお役所がアニメとコラボしたり萌えキャラをつくること自体、今までの「表現の範囲」から脱却しようとする動きではなかったか。
無難で、地味で、つまらないお役所イメージから飛び出そうとするからこそ、オタクカルチャーを取り込もうとしたのではなかったか。
その意味で、じつはこれは「お役所の表現の範囲」のなかにはそもそも収まらない問題なのではないだろうか。
この関連の論争を眺めていると、「じゃあ○○もだめになるな」という言葉が散見される。
家族の楽しげな写真は、ぼっちに配慮がないよ。猫が嫌いだから子猫の写真で精神的苦痛を受けるんだけど。
それに対し、「それとこれとは違うだろう」と思う向きは多いだろうと思う。
あたりまえのことだ。
単なる個人であったとしても、ブログを書くたび、一言ツイートするたび、一言喋るたび、視線を誰かにぶつけるたび、
もしかしたら誰かを不快にするかもしれないし、「不快になった誰か」が多数になれば叩かれるかもしれない。
今までの「お役所らしさ」は、そのリスクを最小限にしていた。だから「無難」だった。
しかし、いくつかの町が萌えというカンフル剤を手に入れ、そして成功した。
各地が我も我もと続き、ご当地アニメという言葉が生まれ、萌えキャラが量産された。
今やどこでも見るメジャーな戦略になったから、一部のお役所の皆さんは忘れているのではないか、と思う。
「無難」にほんわかしたイラストは、目に留まりにくい代わり、どんな層にも受け入れられやすい。
対して、萌えキャラというのはそもそも、ごく一部のオタクに対してのアピールに特化してできている。
そこには女性に対する性的視線が織り込まれている。既存アニメならば、アニメ視聴者しか知りえない文脈が隠れている。
オタク以外には不快かもしれないし、ついてこれないかもしれない。でも確実に『一部』は喜ぶ。
「無難」ではなく、リスクが高い代わり、リターンが見込めるからやるはずのものなのだ。
そう思ったとき、表現する側に必要なのは「ディレクション」だ。
ターゲットは誰か。ターゲットにリーチするために、どんな方法を取るか。
そして、もちろん、苦情が出ないかどうか。苦情が出るリスクが高い部分は、先んじて対策を取る。
リスクが高くとも、コンセプトとして譲れない部分はどこかを見極める。
「攻めた」表現をする人たち――広告や出版や放送にかかわる人たち――は、当然それを考えて動く。
今回、美濃加茂市の観光協会は、苦情が出たことに「困惑した」という。
「支給された素材を順番に使っただけだ」と。
はっきり言うと、つまり、考えが足りなかったのだ。
苦情を言うほうが悪いのではない。苦情が出ることを想定できないほうが悪い。
そして、苦情に対し「これこれこういう理由でこの表現は適当です」と、きちんと説明できないのが悪い。
萌えおこしに頼らざるをえないような田舎の観光協会に、そんなことを求めるのは酷だろうか。
わかってもらえないとしても、それでも、この戦略は間違ってない。
でも、仕事ってそんなもんではないだろうか?
全体的に「のうりん」ポスターや碧志摩メグを肯定する書き方になったが、
私個人としては、やはりあれは「性的アピールが行きすぎで、TPOを弁えておらず不愉快だ」と感じているし、
いくつかの場でそれを表明してきた。また、そう感じている人が少ないとは思わない。
だがしかし、今回の二つのバッシングに、一切問題がなかったか、と言われると、それも首肯しかねる。
ツイッターで似たような意見をまとめ、センセーショナルな見出しをつける。
同じ意見の人がたくさん見えるから、自分の意見が「常識」「良識」の側であると信じる。
だからそれをかさにきて叩く。
ネットでは非常にありがちな光景だけれど、しかし、これが正しい状態だと私は思わない。
私は「個人の不愉快」を表明することを擁護するし、「常識」が結局は多数決の結果であることを否定しない。
しかし同時に、他者が「多数」「常識」に従わない自由を、いつも頭の片隅に置かなければならない。
いかに自分が「多数派」で「常識」で「正しい」と信じようが、法に反さない限り、何を採用するかの決定権は相手にある。
それを尊重する態度を忘れてはならない。
叩きはネットの華だ。きっと今後もなくならない。
いつもの。
お馴染みのあのアニメを見てるんだけど、このアニメ見てるとテンプレラノベっぽさっていかにアホの子を出すかなんだろうな…と大真面目に思えてきた。昔から「自分のことをかわいいと理解した上で色気を振りまいてくる娼婦のような女子高生キャラ」はいたんだけど、最近のテンプレラノベはそれよりも…ある時期までは「(自分がかわいい・お色気を期待されている理解してる)娼婦のような女子高生」が出てくるラノベが増えていると思うんだが、最近はそれをさらに突き抜けて「男子中学生の恥ずかしさを詰め込んだようなアホの女の子を入れる(むしろ、彼女達こそラノベらしさ)」になってない?
例えば、西尾維新(というよりも、この場合は物語やめだか)がラノベかどうかを議論する上で、ヒロインの娼婦っぽさとか設定の中ニっぽさに着目するならラノベよりもクサいから、ラノベにカテゴライズしてもいい。でも、ある時期からのハーレムラノベに出てくるアホの子はほぼ出てないから今の基準だと。僕が西尾維新が苦手(少なくとも、あんまり文学的だという評価をしたくない)なのはめだかボックスに代表されるような「読んだだけでお腹いっぱいになるような中二」なんだ。ある時期までラノベには多かれ少なかれそういう雰囲気を入れるものだったが、最近のは形骸的に中ニという作品が増えた? 落第騎士で学んだことはアホの子も萌えキャラにすると許されるというかいじりがいがあるという「可愛い子は正義」「オタクは本質的にはフェミニスト(女の子びいき)」ということだと思うの…。個人的感想だから、異論は認めるし、僕自身おかしな事言ってる自覚はある。落第騎士見てると頭悪くなりそーだけど、逆に言うとテンプレでラノベ書いている人がなんでそんなことをするかを考えながら見てると「あー読者的にはこうだから、こうなってるのか」と感じることがしばしばある。頭悪そーなことには変わらないけど、自分が好きな作品・ガチで語る作品はウケへんもん…
主人公が唐変木すぎてセクハラにも相手からの好意にも気づかないというラノベの主人公の設定って要約すると(というよりも、女性が身もふたもないツッコミをするとするなら)「ガキ」なんだろうね。それも悪い意味ではなく、煩わしい性欲がない代わりに性を隔てるデリカシーもないという両方の意味で。すご~く変な言い方かも知れないけど、落第騎士ってホモアニメだと思ったほうが(登場人物全員男子で、男子校的な場所にいると思ったほうが)ぶっちゃけしっくり来ると思うんだよなぁ…。ちゃんと女の子らしい視点とか、キャラを持ってる人がいないし、女性目線入れると簡単に崩壊しそうな意味で…。女の子を女の子として書く必要がなくなってると考えるとテンプレラノベって童貞でも…いや、むしろ童貞の方が書きやすい?男がかっこいい男を主人公とかすぐ死ぬキャラとして配置して、男子的な幼さは女の子に埋め込んでしまえばいい。あーそう考えると、女の子っぽさが何かとか考える必要ないわ。
ハーレムラノベでドンドンヒロインの影が薄くなって、主人公が他の女の子には親身になって行くという現象を学術的に言い表すと「クーリッジ効果(ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF…)」と言っていいと思うの。浮気は本能。新しい女の子は別腹!!
萌え豚はフェミニスト ※半分はネタだけど、もう半分はジブリ社屋のトイレが女性のモノのほうが広い理由を尋ねられた時に「それは宮さんがフェミニストだからです」と鈴木さん(だったかな?)が答えたのを元ネタにしてる
姫さんなんか言動の(斜め上な)色ボケっぷりを外して評価すれば、刑事モノとかアクション劇の“バディ枠”ですわね… 負けず嫌いが過ぎて時々逆噴射する熱血・正義漢だと思えばいいと。「男子中学生の小っ恥ずかしさを女の子に詰め込んでかわいいかわいいという系統のキャラの代表格は柏崎星奈だと思う」的なことを1,2週間前ぐらいにいったらヴァーミリオンが肉っぽくなり始めてきた…。予想どおりっつうかなんつうか
禁書からずっと続いてる、ラノベ世界に都合よく湧いてくる悪役のヤンキーってなんなんだろう?悪く言うつもりかどうか以前にあいつらの存在自体が謎。本来、フィクションの中で出てきたヤンキーって主人公一味よりは現実味を帯びたキャラクターのはずなのに、なぜかヤンキーの方が現実味がないキャラクターに感じて萎えるんだよなぁ…。アレなんでだろう?数日に一度は、近所でヤンキーらしき人見てるから「いない」とはおもってないんだけどなぁ。異能力使いよりも非実在性をヤンキーに見出してしまうのはなんでだろうか?NPC的な割に人間味を見いだせないラノベに出てくるヤンキーほど謎なキャラクターも珍しい。舞台装置といえばそれまでなんだけど、もっとうまくやれないのかが謎。いや、下手だと感じるライトノベルにしか出てきてないからヤンキーが出てきちゃう時点で下手くそなラノベなんだけどぱにぽにとかパンストみたいにヤンキーが楽屋裏で出演陣と楽しく盛り上がってないと整合性が取れないぐらいの舞台装置っぷりに困惑する現象を何と名付ければいい?
志摩市の海女の萌えキャラ騒動は個人的には全く興味がなかったので全然経緯とか追ってないんだけど、そういえば新潟県粟島の「泡姫ちゃん」ってゆるキャラが騒ぎになったよね。
一瞬ネットで大騒ぎになったけどすぐに下火になっちゃったから、検索するとその時の記事ばかりが出てくる。ちょうど2年前だったんですね。
もともと自治体の公式キャラじゃないから新潟県や粟島のサイトには載っていないし、温泉施設の公式サイトも無いようなので、まだ現役なのかどうかも分からない。
便りがないのは元気な証拠っていうけど、少なくとも表向き変な団体に目をつけられたりした気配もなさそうではあるけど。
誰か知ってる人いないかな。
そのあたりは、わかりました。
ただ、例えばすこし前に海女さんの萌えキャラが問題になったりして、アレは問題だなぁと思うとともに似たようなことは自分でも日頃やってるんですよ
「海女さん」を「女性」に置き換えればほとんどの二次元がそうだし、そうでなくても「ナース」とかはわりとそういうことがポピュラーです。
「それをわかるように表に出した」ことが問題なのかもしれませんが、似たようなことはやっぱりどこにでもあります。
ネットを少し探せばいくらでも出てくるし、CMとかでもライトではあれやっている。
自分が発信したことはないですが、それを買い支えているのかもしれない。
そもそも海女さんの件に関しても自分が果たしてちゃんと違和感を感じられているのか自信が無い。本当は「別にいいじゃん」と思っているような気もする。
あとはうまく言えませんが、やっぱり罪悪感のようなものはどこかに確かにありつつ、それを行動や行動の抑止に移せないのが偽善だなぁとも感じる。
という具合です。
でもこういうのは誰かに言ったり、誰かに何か言ってもらったりするのではなく、自分で抱え続けるしか多分無いんだろうなとは思います。
「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、申請しようとするのは承服できない」
問題になること自体はいいよ、そもそも公式見解と違うようだし。
でもその反応が気にかかる。「一部の人間がこうやって反省してない姿を見せるからいつまでも許されない」
ツッコミどころが多すぎる。
なに簡単に人の心コントロールしようとしてるのよ怖いわ。それとも「反省してるポーズだけ見せとけ」ってことですか?永遠に?金を渡しながら?
だいたいどんな原則であれ一人の例外もなくコントロールなんてできるわけないでしょ。永遠に無理だわ。ドイツにだって一部はいるだろうよ想像だけど。
仮に日本国民全員がいっせいに反省のポーズをとって一度許されたとして、そのあと反省ポーズを解除した途端にまた炎上するわけでしょ、怖いわ。
だいたい南京大虐殺もなにもやっていない俺が何故?反省しなくちゃならないの?え?俺じゃない?政府の人間だけ?どういう理屈なのかわかるようでわからんわ。
外交を有利に運ぶためのカードとして、という意味なら何故「反省」だけが有効カードだと信仰されてるのかわからんわ、なんかそういうデータあるんですか?むしろ中国みたいな強硬な態度の方が結果的によくね?だって「全員一致で反省」のポーズ取らないと成功しない大技でしょ、何の組体操だよ、怖えーよ、エクゾディアかよ。
だいたい責める方も責める方だよ。なんで「日本人(政府)全体が反省しないと許さない」とか意地悪設定なんだよ。鬼か。反省した奴から順々に許してけよ、可哀相だろ反省したのに許されてない奴が。どういう思考回路してんだよ。
で、なんで可哀相なはずの「反省したのに許されてない奴」が嬉々としてんだよ。マゾかてめぇら。自分のマゾに他人を巻き込むな。
マジでなんで政府の人間とかいう俺に何の関係もない奴が反省のポーズ取らないと俺まで巻き添えで日本全体が許されないの?金払い続けて嫌なこと言われ続けるの?それ我慢しなくちゃならないの?
そもそも政府が慰安婦とか認めたり、他国でもやってることを他国のやったこと以上の意味を持つかのように反省を示すこと自体に不快になってしまう人間のことは無視ですか。それともそんな感情持ってはいけませんか。いけないっつったってそういうもんじゃないだろ感情って、どうすりゃいいんだよ。また感情のコントロールですか、怖いわ。
「日本とか日本政府はお前じゃない、日本や日本政府の反省はお前個人の反省じゃない」
って言われてもそう思えるかどうかはまた別だろ。
そんなこと言ったら表紙に描かれたアンドロイドのメイドはお前じゃないし、海女さんの萌えキャラはどの海女さんでもないし、ブレンディ行きの女子高生もお前じゃねーよ。アンドロイドがメイドになろうが海女さん萌えキャラがエロかろうが濃いミルクを出し続けようが誰の気にすることでもないんだよ。
でもそういうことじゃないんだろ、そういう表現に傷付いたりする奴が面倒だがいるから気を使って差し上げろよって話だろ、じゃ、なんで俺は気遣われないの?クズだから?非国民だからですか?それとも日本国民だからですか?
前々から思ってるけど、nakaharamei さんは僕が盛り上がってる時に遊びに来てはちゃぶ台返ししようとするケースが多すぎる。しかも、彼自身に自分の意見がなくて、屁理屈で僕の意見の逆を押し通そうとするだけだから、彼と話してもあまり生産性がないのが悩ましいところ。好きすぎやろ
ああ、自分の反応されない人は偉くないという俺様基準を頂きました。僕もあんたになんかしらのツッコミをいただかないとほとんどやり取りしてないから、そういう存在という事を察していただきたいものだ。これは僕にとってね
おおよそ8000万人いるドナーカードの保持者がいる国でアニメの中でドナーカードの名前を出し、全く嘘っぱちの虚構で作り上げた設定を根拠に物語を展開し、それがいい話であればいいということに違和感はないとお考え?
あと、艦むすの弓の持ち方が間違っててもそもそも弓が戦闘機になるというアニメ版艦これの場合はストーリーに大きく関係しない。だが、ABはドナー自体の設定が嘘だとその先の音無と天使の関係が成立しない。ストーリーへの影響が全然違う
そもそも、弓道警察って艦これが人気を集めた理由(艦むすが萌えキャラとしてではなく、装備がマニアックに再現されてて、萌え以外のオタクも反応した・艦これの世界観を説明する上で装備が大事なファクターになってる)という理由の裏返しなんだよなぁ…悪いものだとされてるけど、そこまでは…
むしろ熱心な艦これファン(敵と艦むすの装備が実は一致するキャラが居る、装備の再現がパない事を知ってる)人なら「そこまで完璧で、動いてこうなるのかよ」という気持ちがするのはわからなくもないんですよねぇ…注目と期待、期待と批判は紙一重なものだし
それよりもよくないのは東方警察や無断転載警察で、東方警察なんて同人ゴロの言い換えでしかない(同人ゴロという言葉にだって、実態があるか疑わしい)し、無断転載警察は無断転載ですよね?も制作者本人が追求するならまだしも、作った人でもない人が追求するのは筋違い。後者は本物川による弊害
kanose 自分のブログで横須賀線を始めたしたインチキ情報を下調べなしに書いてみたり、躁うつ病とうつ病について適当なことを書いて記述の正確性にケチを付けられると逆ギレする人と同一人物とは思えない。
萌えキャラ(アニメの女の子)に生活感がなくなってどこで寝て、どこで生活してるかわからなくなっていく00年・10年代までの流れってむしろ、親世代が青春の時期に見てたアニメの一番めんどくさくて疲れるところを間引いて気楽に、できれば頭使わないで見たいという願望の具現化なのかもしれん…アニメのキャラって執着や女々しさ、情緒の不安定さ(成長や新庄の変化といったゆらぎも含む)を取り除いていくほど、キャラクターは生活感と社会的ジェンダーを失う代わりに、親しみやすくなるからなぁ…。人間ぽくないから会話してても疲れないというか、妄想ベースで扱いやすくなるというか…
Q それはアニメキャラに「生活感があった」時代を漠然とでも想定しているんだろうけど、どのあたりというかどういうものを指してる?
A 現実で割りと多くの悩む問題(友達・男女関係・毒親問題・個人的なコンプレックス)に対して実践できるようなヒントになるような描写や説明がある作品、もしくは悩み過ぎるあまりキャラがめんどくさい言動をして他人をうんざりさせる作品…というのが漠然とした定義ですかねぇ…。
Q それが生活感と呼べるものなのかはさておき、そのへんを描いていたのって少女マンガ原作アニメとかじゃないかなあ。
A それがこの問題を考え始めたのがZガンダムだったのです。Zガンダムでのカミーユがエマ中尉から距離を置かれる理由が、理屈っぽいモテ本である「全てはモテるためである」の自信がなくて臆病になってるから気持ち悪い男そのまんまで、とてもしっくりきたのです。その後、たまたまカードキャプターさくらを見る機会があった時にさくら周辺の男が「モテそうだけど兄フィルターかかってるから好きになれない兄」「やたらと清潔感と余裕があってモテそうな兄の友人」「自意識過剰をこじらせててモテなそうな同年代」とこれもかなり忠実な観察でして
A さくらはリーくんを気持ち悪くは思ってない(かといってそこまで好意の対象にもしてない)ので、「リーくんが考えすぎて空回りしてることが見える視聴」及びそういった男のおどおどしたさまを気持ち悪い・うまく距離が取れてない男と解釈するモテ系の本かと。たしかに、時間軸ではなく、女性向けの作品のキャラの作り方を見ると未だにある傾向なのかもしれません。最近やった女性向けのフリーゲームがキャラをジョブの属性ではなく、モテの属性(どうモテそう・キモいか)で作ってた作品も見ましたので
Q あと「兄フィルターかかってるから好きになれない兄」ってのはさくら視点?
A これらについて言及したものを2つ送ります。まず、女性向けのゲームでのキャラの作り方の発想の違いについてとZガンダム実況で毒親やモテをどこらへんが切り取っているかについて。行動ややり取りはさくら視点であり、さくらの行動を見て自分の兄妹関係やモテ本の話を分析した自分の解釈です。年の離れた妹をいじる兄は桜が嫌ってるほどモテそうもない人でなく、余裕があって、いい距離のとり方も知ってる違う系統のモテ系。さくらが嫌がるほどキツい描写もないかと。あとは昨日も書いたけど、CCの兄妹関係は、かなり自分の知ってる(田舎の同級生の兄妹とか、僕自身の家族事情)とかに沿ったもので、妹って兄がうざいとこそ思えどキモいとは思ってない場合が多い。兄に自意識過剰な作品が多い中適度な無関心というかうんざり感(嫌悪とは違う)を描けてるのはすごい
Q うーん。気になるのは、おそらくその「モテ本」というのは男性向けなのだろうけど、CCさくらのような作品での描写や人間関係を男性向け文脈でそのまま解釈できるのか、という点。
A ただ、その「全てはモテるためである」について言えば、男性に好かれてるモテ本(恋愛光学的なもの)とは逆に、上野千鶴子が帯と解説を書き、僕自身その続編を青柳美帆子さんから勧められているので、男性向けの文脈…とも言い難いところがあるので判断しかねますね…
kanose にわかな人ほど2、3作品見ただけでこういう全体の話をしたがるのはさけて通れない道なんだろうな。それにしても受け答えがまるで受け答えになって無くてすごい。相手の質問の意図自体が理解できないのか。
一昔前(と言っても10年前以前の、僕が高校生になる前ぐらいまでの)アニメって、変態的なぐらい小学生の萌えキャラと言うか、あの子どもっぽさと男の自意識過剰で勝手に気恥ずかしくなるなるような官能があるキャラいたよなぁ…。今は中学生ぐらいから垢抜けてない高校生と設定することが増えたが
超がつくほど今更感しかないけど、まどマギの1話ってカードキャプターの1話そっくりそのままなんやなぁ…。どっちがパクリとかって話じゃなくて、わざと「魔法少女ってこうでしょ?」という記号としてやったことだと思うけど
いいたくないけど、さくらが初登場シーンで制服を着るシーンの上着から顔を出した時の顔だけ切り取ったらエロマンガとかに同じ表情あるぞ!あの眠くてとろ~んとした顔ってむしろ一般のアニメよりも最近だと成人向け作品の方がよく見かけるようなきがするのよね…
小学生の寝ぼけ顔から始めるカードキャプターさくらは高度すぎる萌えアニメだと思う。最近の萌アニメをやれポルノだ、卑猥だと言ってるが、それは露出とかあざとさが増えただけで、萌えっぽいことはもっと昔のほうがやってるし、むしろシチュエーションや属性だけ見ると昔の作品の方が掘り下げてるよね
今まで人をアスペだのゆとりだの罵る人の気持ちがわからなかったけど、今さっきおでんを買いに行った時に、おでん種4つに対して、からしを4つつけようとしたお兄さんを見て流石に「ちょっと抜けすぎだろ!」と思った。それこそ、ゆとりとかアスペとかそういう言葉が頭に浮かぶほど…