はてなキーワード: 自力とは
国民が自発的に対処すればどんな政権だろうと手を出される心配はなくなるんだよね。
政府はニュースにしてやって一応国民が自力で何とかするかと様子をみたけど
でも何もしなかったから仕方なく手を出してくるんだ。
付き合って約半年の彼女(20代前半)が嘘をついているのではないかと悩んでいます
会社の行事でカレーとか焼きそばとか芋煮とかを作るところを見ていたので
付き合うようになって、彼女の料理を個人的に食べられる日が来るのを楽しみにしていました
先日、彼女が初めてうちに泊まったので
うちにある食材をなんでも使っていいから朝食を作って欲しいとお願いしてみました
実家からちょくちょく野菜や乾物、缶詰なんかが送られてきますし
ガスコンロが二口あって、調理器具は定番各種、オーブントースターと電子レンジがあります
彼女はキッチンや冷蔵庫を確認してから、何使ってもいいんだよね~と、自分のお願いを承諾
30分くらい経って、出てきたのが以下のメニュー
余ったツナ+余った海苔+千切りキャベツ+薄切りキュウリのサラダ?(マヨとめんつゆで味がついてた)
このメニューで気になったのは、自力で味付けをした料理がひとつもない点です
具材(ツナとか)そのものの塩気とか、カレーとかマヨとかめんつゆとか…
スープは、インスタントのコンソメスープを鍋で作って、そこに余り野菜を入れたみたいです
ちょっと薄味でした
あと、トーストに海苔とか、温かいスープにキュウリとか、普通ですか?
変わった物を作るなあというのが正直な印象
客観的に見て、このような朝食メニューは料理上手だと思いますか?
・早めに出勤してパソコンで情報チェックしてたら新人バイトちゃんがバックヤードに入って来て、ボン!ガン!バコン!とすごい音を立てて籠にホット用飲料をぶっ込んで、それを持って出ていった。なんなのこわい。
・そこまで手荒に扱ってもホット飲料は意外と無事、という知見を得た。
・でも真似はしたくない。
・相棒は疲れ切っていた。最近勤務時間を極限まで長くし、他にも内職やらなにやら仕事をしているらしい。自力で老後というか老中?資金を稼いでいるらしい。
・義母(アラ還。色々あって現在無一文。都合の悪いことは何でも天下国家のせいにする)にも見習って欲しいものだ……。
・プロアルバイター氏のお母様ご来店。あまり似てないから言われるまで全然気付かなかった。
・相棒から聞いたが、イケメン正社員氏のお母様がこの前やって来て、こんな安月給じゃ息子が結婚出来ないから給料上げないなら辞めさせてくれと言って来たらしい。
・イケメン正社員氏に結婚のご予定があるのかどうかは知らないけど、「好きなタイプはお金持ちの人」って半月くらい前に言ってるのを聞いた。
・相棒が休憩に入った後、暇すぎて沢山掃除した。掃除しながら、このままこのお店で働き続けていいものかどうか考えた。
・だって私の時給、夕勤の癖にうちの近所のスーパーの昼勤よりも安いんだもん!
・でも近所のスーパーじゃママ友に会いまくりだしうちの夫と子供達までお買い物に来てしまうので、こっ恥ずかしくてオラ勤められねえだ。
・プロアルバイター氏やイケメン正社員氏みたいに親に職場に凸られても平気な強メンタルを持っていればもっと稼げるんだがなぁ。
・それに、もっと「私はコンビニで働きました!」と堂々と言えるくらいに熟練してから転職したいという気持ちもある。
・こういう事ばっかり言ってるから安くこき遣われる人生から脱却出来ないんだよ。
・とか考えてるうちに棚(の一部)がピカピカになった。
・どうせ誰も気付かないけど。
「こんなうすら寒い日にこたつでアイス食べるのって最高の贅沢でしょ?」
確かに。
・そしておでんは全く売れなかった。
週3回、って元増田さん大変やね。元増田さんは「自分に自信がない私を救ってくれる白馬の王子様」なんて来ない、ってわかってるから自力でなんとかしたんだよね?でも自分に自信がない人は自力で解決しなくちゃいけないことがたぶん根っこの部分でわからない、はず。「自分に自信がない」といって動かないのは、そのほうが楽だからで、その人たぶん、楽なことしかしないのかもしれないね。白馬の王子様が来ることを願って永遠にそこに居ると思うなあ。
大学は受け身で授業を受けるところではなく、自分で勉強していくところだ。
嘘だと思うなら好きな大学に潜り込んで授業を聞いてみるとよい。「こんなものか」と思うだろう。
もし東大に優秀な学生がいるとしたら、彼が優秀なのは「東大の授業を受けたから」ではなく彼自身が自力で勉強したからだ。
あなたのいる大学が東大だろうが偏差値の低い大学だろうが学問を学ぶためにやるべきことはあまりかわらない。
その分野の名著、定番書と呼ばれるものをどんどん読んでいこう。
ただ読むのではなく数年後に自分が研究者側になることを意識して考えながら読もう。
この記述は正しいのか?反例はないのか?全体の論理の流れはどうなっているのか?もっとエレガントに証明できないか?
東大生に比べて偏差値の低い大学の学生が不利なのはおそらく共に学ぶ人がいないことだ。
議論する相手や輪講をする相手が見つからないなら教授陣に相談に行こう。
どんな偏差値の大学だろうが教官はまともな研究者だ。彼らはあなたの強い味方になる。
そうしたらその研究室の教授にメールを出してみよう。東大だろうがハーバードだろうが臆することはない。
「研究生にしてください」「学科を転向したいのですが相談に乗ってください」「あなたの研究室に入るにはどうしたら良いですか?」
といったメールを彼らは国内外からよく受け取っているので対処に慣れている。
仮に返事がないならおそらくあなたのメールは迷惑メールフォルダに入ってしまったのだと思う。めげずに別の人にも送ってみよう。
(フリーメールアドレスは迷惑フォルダに入りやすいので大学のメールアドレス xxx.ac.jp から送った方がよいと思う)
あなたの知識と理解度が研究レベルに達していればどの大学でも入ることができる。
(ただし分野による。例えば物理学科なら素粒子理論と宇宙論は別格。どの大学でも入るのは厳しい。)
増田は悪くない。運が悪かった。
そして娘さんの人生は終わっていないよ。
ここがスタート地点だ。
よかったら娘さんに印刷して渡してほしい。(anond以下を削ってね)
それから検索すると「XX研究室に入るにはどうしたら良いですか?」といった FAQや、勉強法、心構えをまとめたページがたくさん出てくると思う。
数学は体力だ! - 筑波大学 理工学群数学類/大学院数学専攻
すぐに思い出せたもの3つだけ載せておく。
学歴や経済力を身につけても、「社会的強者」としての義務を負う自覚が無いから結婚できない。
社会は、学歴や経済力を自力で身につけた女を強者と認定し、「社会的強者」らしい振る舞いをすることを求める。
すなわち告白やプロポーズは女からするべきだという規範である。
経済力を身につけても、未だに弱者根性が抜けない女は受け身の姿勢のまま変わらず、そのまま行き遅れるというパターンが一番多い気がする。
先日の昼過ぎ、ウチの猫が居なくなった。
朝から見ていない。まぁ、どうせ隠れんぼしてるんだと思い、家の中の定番の隠れ場所を回る。
「ナナ(猫の名前)ちゃ~ん、ナナ~、ナナ~」と呼びながら倉庫の方も探す。
まさか家の外…?
いや、ありえない。ナナは一度外で他の野良猫にひどい目に合わされてから外に出るのをためらっている。
母親が見かねて、いつもいる部屋に行く。「どうせ、出てないで。」と言った後「ナナちゃん、ちゅーる!」という。すると
「にゃーお」
「ナナ?ナナ!?ちゅーる!」
「ナーウ」
「ナナ!?」
「…」
「ちゅーる!」
「にゃーお」
ソファの間に挟まって出られなくなってました。
なんで、ナナって呼んでも反応してくれないのにちゅーるって呼んだら鳴くのか。
着なくなった服を知人・友人に配るのではなく、極力バザーでもフリマでもネットオークションでも何でも良いので売ってほしい。
これは別に本人のお金儲けのために言っているのではなく、趣味の合わない服を押し付けられる知人・友人の迷惑を考えてほしいからだ。
たとえ持ち主本人が着ていればお洒落だった服でも世代や趣味の違う人にとっては断りにくいやっかいものでしかない。
私は職場の同僚経由で「こういう服があるからどう?」と勧められて無難な感じのブラウスを1枚だけもらったが、直接持ち主から勧められたら趣味に合わない服も断れなかっただろうなと思う。
あと、昔衣装持ちでお洒落な友人から「着なくなった服を引き取ってくれないか?」と言われて困ったことがある。確かに彼女の着ている服は可愛いものばかりだったが、当時の彼女の服のサイズは5~7号。9号でも試着しないと着られるかどうか分からないサイズの私に勧めるなよ。「サイズ的に無理」と断ったが、ボトムスは無理でもトップスは何とかなるんじゃないかとしつこかった。
頼むから要らない服は古着屋とかに持って行ってほしい。特殊なサイズの人はなおさらだ。相手が明らかに欲しがっているとか経済的に困っているならあげるのも一法だけど、着たい服を自力で買える人に自分の不要品処分を押し付けないでほしい。
ちなみに先述の5~7号サイズの友人は、他の友人に「売り上げを全部自分のものにしていいからネットオークションとかで服を売ってほしい。」と持ちかけて断られたそうだ。当たり前だ。買った本人ですら面倒くさいものを他人に押し付けるとはどういう根性だ。
あと、手芸が好きな人があちこちに作品を配りたがるのもどうかと思う。決して出来の悪いものではなくても趣味に合わないものは結局使わないのだ。最近はレンタルボックスなどで気軽に自分の作品を売ることができるのだから、そういう場所で、気に入ってくれる人の手に渡るのが一番良いと思う。
要らない服を配る人も、趣味で作ったものを配る人も「自分は金目当てでやっているわけではない」と言いたいのだろうけど、相手がそれを本当に喜んでいるのか考えてからやってほしい。
私はただでさえ片付けられない、捨てられない人なので、趣味に合わないプレゼントなんかもらった日には「余計なものを寄越しやがって」と逆ギレしかねない。自分もあまり人にプレゼントしないので、幸か不幸かそういう事態はあまりないけど、消えものでないものを人にあげるのは難易度が高いと思っている。
新型のMacBook AirやiPad Proの発表を待ってはみたが、結局、秋葉原に行って再生品のThinkPad X240を買った。中古ではなく、再生品だ。
37000円くらいだった。RAM が4GBのモデルだったので、Amazonで8GBのメモリを6000円くらいで買った。だから合計43000円くらいだ。
新型のMacBook Airで最低スペックのものを買う代わりに、このThinkPadが3台買える計算だ。
X240はいまから5年も前のモデルなので、もちろんCPUの速度は最新型のMacBook Airより遅い。
でも普通にネットサーフィンをしたり文章を書いたりするくらいの用途だと、第3世代のCore i5はじゅうぶんすぎるほど快適で、起動も早い。
重量はMacBook Airとほとんど変わらない。
IBM Refreshed PCという、IBM委託工場のラインで検査を行いリファービッシュしたものなので、パーツがきれいで不具合もいまのところない。正規ライセンス品のWindows 10もついてくる。
なぜこんな古いモデルのPCを買ったのかというと、自分で分解して、自分で取り寄せた部品で修理して、使い続けることができるPCが欲しかったからだ。
Apple製品を買うようになってから、PCを含む電子機器を少しずつアップグレードしたりメンテナンスして使い続けるのではなく、まるごと買い替えることに慣れてしまった。
iFixitというサイトでは、電子機器の修理のしやすさに点数をつけて評価しているのだが、最近のApple製品は軒並み最低評価となっていることは、よく知られている。
つまり、Apple製品に不具合が起こった場合、素人が自分で分解修理することはまず無理なので、Macはブラックボックスになってしまっている。
最新テクノロジーを詰め込んで、しかも軽くしようとしたら、こんな構造になってしまいました、という言い訳もたつのかもしれないが、結果的に、Apple製品が分解できないという事実は、PCを使う人を完全な消費者にしてしまう傾向を強めていると思う。
毎年Apple新製品の発表をそれとなく待ってみても、前のモデルから少しずつスペックが増すだけで、さほど変わり映えのしないものがどんどん高くなって登場してきて、買ってもさらに買い替えなくてはならないと思うと、最近はなんだかもういやになってしまった。
ThinkPadを使っていると、PCは概念にすぎないのだと思えてくる。
X240というモデルに限らず、ThinkPadの旧製品の主要なパーツは、秋葉原のジャンクパーツ屋を覗かなくても、eBayを検索すると、いくらでも中国製の新品が見つかる(しかも秋葉原より安い)。
換えようと思えばだが、マザーボードまで買って取り換えることができる。
ThinkPadの旧製品を分解してパーツを換装するための情報は、検索すればほぼ必ず見つかる。Lenovoはご丁寧に、自社製品を分解するための動画まで公開している。
このように、部品と分解のための情報が充実しているので、ThinkPadを使っていれば、世界中どこにいても、自力で部品を取り寄せて修理することが(ある程度まで)できる。
バッテリー、キーボード、ファン、スクリーン、筐体等はどんどん交換していくことができるので、ThinkPadという同じPCでありながら、気づけばほとんどの部品が別のものになった状態でも、使い続けることができる。
ThinkPadのこういう周辺環境は、不思議な安心感と楽しさを与えてくれる。
まるで、旧式の戦車やバスや列車の部品を自分で換装しながら、運用していくような楽しみを感じる。
これは、Apple製品を使っていた時とは違って、自分が受動的な消費者ではなくなった安心感と楽しさなのではないかと思う。
ThinkPad X240の弱点は1366x768という解像度の低いディスプレイなので、あと1万円くらい追加して、フルHDのディスプレイに換装しようかと思っている。
本来なら人格・財力・能力・社会的地位の面で結婚する資格がない人が、無理やり結婚しようとするのが婚活だ。
結婚できるまともな人は自力で結婚し、結婚できるがしないことを選択した人は婚活をせず、残りの結婚できなかったはずの人達が集まるから、婚活市場にはバケモノしかいない。まさに現代のパンデモニウムである。
自分の価値を顧みず高望みする人、不潔なまま人前に出る人、まっとうな職歴のない人、精神的に独善的で幼稚な人、会話が成り立たない人、変人、他に取り柄のないチビデブハゲ、結婚できないことを自覚せず婚活市場に搾取され続けるだけの人。
そういう社会に出る以前の問題を抱える人間をマッチングするのがそもそもの間違いではないのか。
結婚はゴールじゃない。長期的な共同生活のスタートだ。仮にこういう人達が結婚したところで、結婚生活は直ちに破綻する。
全人類が結婚しなければならないという思い込みが人々の中にあるから不適格な人間も結婚を求める。結婚は義務だなんて誰が決めた?無理なものは無理だ。
「結婚した」なら言ってもいい。
どうして非モテの俺みたいなのが払った税金で、リア充カップルが楽しくセックスした結果生まれた子供の面倒を見ないといけないの?
子供を社会で育てろとか言われてもさぁ、自分で育てる機会すら与えられない人間にとっては知ったこっちゃ無いわ。
お前の老後の面倒は誰が見る?って言う人も居るだろうけれど、俺は毎月20万くらい年金や健康保険料払ってるし税金入れると総額40万くらい払ってるから一生で払い損だわ。
別に税金や健康保険は稼いでるやつの義務だと思うからとやかくは言わん。
でも赤の他人がセックスして勝手に作った子供の後始末を税金で賄うのは違うと思うわ。
子供が居るのに離婚すんなよ。養育費ちゃんと払えよ。イヤなら子供作るなよ。
でも俺みたいなキモくて小金だけが取り柄の独身おっさんの意見なんて、多数のリア充に踏み潰されるんだろうな。
反応多いな。
嫌いなのは、可愛い子供に恵まれながらその養育を社会に押し付けようとする親なんだよ。
子供が居る夫婦は恵まれてんじゃん。愛するパートナーと可愛い子供がいるじゃん。
俺は小金しかねーよ。何で恵まれてるお前らの為に俺が払った税金使うんだよ。
どう考えてもお前らの方がQOL高いじゃん。
障害者や介護老人は、俺もなるかもしれんからお互い様だと思ってる。
LGBTとか、俺も生まれた時にそういう性的志向になったかもしれんから他人事と思ってない。
年収950万以上は国に世話になっていない状態だと聞いた事が有り、俺は独立しているという自負にも一役買ってくれる。
でも子持ちの親に金やるのは賛成できん。お前ら幸せは独り占めで負担は社会に付け回しかよ。おかしいじゃないか。
双方が合意して楽しくセックスして、子供がうまれて楽しい毎日を送りますが、負担はみんなでヨロ!って言われて納得できるかよ。
一晩あけて日本語が読めない人が増えているので書いておく。
俺も健康保険や税金で僅かばかりの貢献をしているつもりだが、いつ障害者になるとも知れないのは理解している。
年を取れば誰かの税金で生かされるというのも、一理はあるかもしれない。
9割以上の人が歩むソコソコ健康な人生を送った場合には俺の払った総額を使い切る事は無いと思うし保険としては随分と割高だが、安全で快適な日本に住む代償だと思えば気にはならない。
国家の再分配は幸運な人や実力が有る人から、不運な人、恵まれない人へ配るものだろ?
俺は現在金銭的に恵まれている方だから、再分配をする側である事には異存は無い。
しかし、愛するパートナーとセックス出来て子供を持てた幸せな人に分配するのはおかしいと言っている。
お前らはもう十分に恵まれているだろうと。どうして更に高みへ行こうとするのか?
しかし、だ。
不運にも非モテに生まれた奴が払った税金で、どうしてリア充カップルの幸せを支えなくてはならないのか?
お前らの更なる幸せの為に、どうして非モテが負担をせねばならんのだ?
もう十分幸せだろうが。それ以上を望むなら自力で上がればいいだろ。
俺の老後を支えるのはリア充カップルの子供だと言われてもな、数十年後には介護ロボットが売られているだろうから俺は自分の金で買うよ。
自動翻訳もかなり進化しているだろうから、何なら海外の老人ホームに入ってもいい。
正当な対価を払う取引にまで「私の子供が居なければ」と言われても知らない。
別にお前の子供じゃなくても、正当な取引をしたい人は世界中に居るわ。
今まで払った社会保障費と税金を計算してみたが、4000万少々だった。消費税その他を入れると5000万を超えるだろう。
子供の頃に国に使って貰った分も返せているとは思ってる。
お前も子供の頃に~と言っている人の大半は返せていないと思うのだが、どの面下げて説教しているのか聞いてみたい気分ではあるな。
答がでないので増田で吐き出してる。
前にホームレスにまで墜ちた人が自助努力で立ち直った人の話が話題になってた。
あの人は本当にすごいと思う。なぜならここまでどん底に堕ちても自力で立ち直れる精神を保っている人は稀だからだ。
元々のメンタルが強い方なのかもしれない、または文面になかっただけで精神的に頼れる親族や恋人がいて、見守ってくれていたのかもしれない。
残念ながら大抵の人はこうはならない。心を徹底的にたたき折られて自力で立ち直ることが不可能になる。
僕の知っている限りここまで墜ちてダメになった人がたどるパターンは2つ。自分を責め続けて鬱状態になって自殺願望の塊になる。もしくは責任を他者や社会になすりつけてに被害妄想の塊になる。精神が荒廃した状態になる。
ここまで墜ちて心を折られた人は、もう自力で立ち直るのが不可能になる。親しい家族や親族がいたら彼らに支えてもらって回復を試みることも可能であるが、そこまで墜ちる過程でそういった大切な人間関係を自身の暴言や暴力でぶち壊した人も少なくなく、家族や親族も誰も近づこうとしない。
こういった人が生活保護案件になると、「国の金で支えてもらっているのに感謝するどころか周りに悪態つきまくって刹那的に金を使い果たす生活しかできない」というネットでもフルボッコな案件ができあがる。心がある程度正常でないと将来に備えてお金を管理して使うということができないのである。そしてそれを注意してくれる家族もいないのである。
僕の身内にも後者のケースが一人いる。何度も話し合いをしても被害妄想の塊で、彼自身の言動や行動で家族との絆を粉々にして、年老いた両親とあいつの息子はあいつを残して他県に引っ越した。そして彼は現在住む場所もなく軽自動車の中で寝泊まりしてる。
僕からも何度か仕事を紹介したが、初めて数日で「俺をだました両親やお前に落とし前つけるまで仕事なんてする気にならない」とバックレてもう紹介するのも無理になった。
なんとか彼が通えそうな病院や施設への入居を勧めたら激怒されて、それっきり連絡も途絶えた。
何を話しても過去の自身の失敗を認めることができず、結局他者や両親に責任をなすりつける。
正直彼がどうやって立ち直ったらいいのか見当もつかない。生活保護でも受けたらいいんだろうが、そうしたら彼が大事にしてるあの軽自動車も手放すことになるので申請してないらしい。
僕も彼の件があっていろいろな制度を調べたが、どれも当人が自発的に動かないと使えないものばかり。
世の中の制度というのは「自分のことは自分で解決できる大人」むけに設計されていて、彼のようないいおっさんなのに自分では何もできないクズが使える制度は見当たらない。
精神病院などの強制入院も人権侵害に引っかかるのでハードル高い。そりゃ俺や周りの人間が素人判断で「精神病案件だわ」って思っても、医者の診断なしで入院させることなんて無理筋だろう。だがこういった人間は自分で精神科に診察すら行ってくれない。心が壊れているのに自分が正常で回りがオカシイと思い込んでいる人間に何ができるのか。
高校時代はあんなに活発で面白かったあいつが、あそこまで墜ちて、それをみて僕や両親すら何もできないのが現状である。このままだと万引きなどの軽犯罪を犯して刑務所に入れられるのがベストシナリオなんじゃないかとすら思えてくる。
彼のように心が折れてしまった人はどうやって生きていけばいいのだろうか。答が出ない。
追記:これの末路です
息をするかのように絵を描き、ゲームをし、漫画を読みアニメを見るような生活をしてきた。
pixiv歴は9年、Twitterのアカウントも作成しては潰してを繰り返してはいるが、初めてアカウントを持ってから6年が経過した、一般的なオタク兼絵描きだ。
ただ、どんな時もオタク兼絵描きとして生きていて楽しいことはほとんどなかった。厳密には人と関わって楽しいと思えたことがなかった。
今、本当にオタクや絵描きである意味を見い出せないほどに楽しくなくなってしまっているので、整理の意味を込めて自分語りをさせてほしい。
小学校では教室で絵を描いても、どの学年のクラスにいても1番にはなれず、いつも2番かそれ以下だった。
パッとすることもなく遠足のしおりの表紙を任されることもなく、1番絵の上手い子がちやほやされる姿を眺めては羨む日々が続いた。
中学校では「クラスという狭い世界でも1番なれない私は、相当絵が下手なのだろう」という自覚も持ち、イラスト部のような部活はあったが入部することはなかった。
高校に入る頃には某マイナーゲームシリーズを主とするTwitterアカウントを作った。
メジャーなアニメや漫画も好きではあったが、自分のような低い画力ではそのような世界では淘汰されてしまうという自覚が十分にあり、その上そのマイナーゲームシリーズは物心がついた頃から家族の影響で好きだった。
狭い世界で古参な方であったので、まずそれだけでマウントが取れると踏んだのだ。
予想は当たり、数年はイマイチな画力でもちやほやされる日々が続いた。
私が何かしら絵を描けば相互達がある程度のふぁぼをくれる。ゲームのステージ構造や音楽に関する深みを持たせたツイートをすれば空リプやふぁぼをくれる。気分のいい日々が続いた。
ただかなり古いシリーズであったので、再熱と飽きで人の出入りが激しく、たまにいわゆる「神絵師」のような人も現れた。
古いゲームなだけあって古参が新参が、という話が盛んに行われる界隈であったので、そういう話はタブーであることは分かっていたが、ハマって数ヶ月の神絵師がその界隈で大きな波を作り出すのを何度か目撃した。
神絵師が擬人化を好めば擬人化が流行り、あまり人気のないキャラを好めばそのキャラが神格化された。
私は正直、激しく嫉妬した。
この人はゲームシリーズを全作やってないではないか、シリーズの中でたった1作やってイラストを描いただけで大きい顔をしないでほしい、といったどす黒い感情が渦巻いた。
結局2年経たない内に妙な輩に絡まれ、それを理由にアカウントを消した。
その輩も不快ではあったが、それよりも界隈で波を作り出す「神絵師」を見ているのが辛かった。今思うと被害者面してアカウントを消す理由と機会がただ欲しかっただけだと思う。
それから約半年、私は某アニメシリーズのとあるAというキャラに本気で惚れた。
それまでゲームやアニメを嗜んではいたが、特定のキャラクターに入れ込むことはあまりなかったため、大きな衝撃を受けた。
ただ、それとほぼ同時に自分の性癖の異常性にも少しずつ気がついた。
Aが洗脳されている姿が見たい。
Aが痛がる姿を見たい。
Aが致命傷や後遺症を負わない程度にあらゆる手を使って痛めつけてやりたい。
いわゆる「精神リョナ」というものだと、しばらくしてから理解した。
その性的趣向に嫌な予感と前述の苦い思い出もあり、すぐにTwitterアカウントを作ることはなかった。
しかしそのキャラにハマって半年ほど、できる限りイラストの腕を磨きペンタブレットの扱いに慣れ、そのジャンルで流行っているものに媚び、溜めに溜めたイラストまとめのようなものをpixivに投稿したところ、予想以上の反響を得た。得てしまった。
気分が良くてたまらなかった。
同時に、「今ならあの時の神絵師たちのように、私の趣味趣向で界隈に波を起こすことができるのではないか。私が好きなもので界隈を満たすことでできるのではないか」と妙に高い理想を抱いてしまったのだ。
それから少しした頃、そのAがいるアニメを主としたTwitterのアカウントを作成した。
できる限り周りの空気に媚び、私自身の趣向を出さず、ふぁぼやRTにより私の存在を知らしめるために絵を描いた。イラストや漫画のRTが多めな絵師を中心にフォローした。
ツイートもそのアニメの話題で徹底し、他の話題や自分語りをすることも控えた。
客観的に見て私の画力はそうでもないが、そういうことを続けているとアナログで適当な落書きを描いても100ふぁぼはもらえるようになった。
その頃に界隈の流行りと自分の性癖半々くらい織り交ぜた、オールキャラギャグ本を自身初の同人誌として出したが、完売させることもできた。
こうして私の実力が全てでない、媚びによって得た数値と実績による自意識とプライドが着々と育っていった。
同人誌を出した少し後くらいからであろうか、私は自分の趣味趣向を全面に押し出してイラストや漫画、ツイートをするようにした。
媚びた絵よりも数値は減るがふぁぼやRTをしてくれる人も多くいて、正直投稿は不安ではあったが予想よりは上手くいった。
ただ、私の絵(性癖)に便乗してイラストが描かれることはおろか、そういったツイートや私のイラストに対する言及や空リプも見られなかった。
私は悔しかった。あそこにあるふぁぼやRTは惰性に近いものでしかないのだ、と思ってしまった。やり口からして勿論なのだが。
そして、引かれているだろうな、とも思ってしまった。それまで好きだった相互の方々にも、ツイートを読むのが辛くなるほどの疑いを不安を抱くようになってしまった。
私の中の冷静な部分は「そりゃそうだ、精神リョナなんて倫理に抵触する趣向広まらなくて当然だ」と思えているのだが、私の拗らせた部分は「なんで流行らない?擬人化の方がキツイでしょ。他の人の性癖を歪めることもできないなんてこの絵公開してる意味ある?」と思ってしまう。
私には波が作り出せないことが、あの羨んだ神絵師たちの足下にも及ばないことが自覚できてからは、自分の趣味趣向が急に恥ずかしくなり、FFの極端に少ない身内アカウントに引きこもった。
結局は私の実力不足と、歪んだ自意識とプライドが悪い。分かっている。
Aに対する熱意や、自分の趣味趣向に刺さる創作物を見た時の衝迫を、自分に表現して他人を揺さぶる画力や魅力はない。
他人を揺さぶらない創作になんの意味があるのだろうか?だったら絵なんて公開しないでパソコンのファイルの中で腐らして、自分だけが眺めている方が幸せなのではないだろうか?
最終的に私の趣味趣向を認め、同意し、同じ熱量で盛り上がってくれる仲間がほしい。
私だって趣味趣向の合う仲間とオフ会がしたいし、Skypeだってしたいし、趣味から知り合った仲間とプライベートな話がしたい。
人とオタクとして接することが楽しいのは中途半端に知っているので、私が理想とする仲間とオタクとして楽しく生きたい。
そういう界隈を自力で作り出そうとしたのが失敗だった。
そして画力がそうでもないまま大人になってしまったのも失敗である。
イマイチなままで固まった画力と無駄に高いだけのプライドと自意識をもって絵を公開して、何が楽しいのだろう。
何も楽しくないに決まっている。
Twitterで絵を描くようになってからというものの、評価と評価をくれる人々の動向にばかり目を向ける癖が付いてしまい、私一人で何をすれば楽しいのかわからなくなってしまった。
絵描きなんて趣味やめた方がいいんだろうな、私には向いてないんだろうなって、今はそう思うのです。
実力不足を痛感してとても悲しいです。
お目汚し、失礼致しました。