2018-10-21

プライド自意識が異様に高い惨めな絵描きの話

私は産まれからほとんどをオタクとして過ごした。

息をするかのように絵を描き、ゲームをし、漫画を読みアニメを見るような生活をしてきた。

pixiv歴は9年、Twitterアカウント作成しては潰してを繰り返してはいるが、初めてアカウントを持ってから6年が経過した、一般的オタク絵描きだ。

ただ、どんな時もオタク絵描きとして生きていて楽しいことはほとんどなかった。厳密には人と関わって楽しいと思えたことがなかった。

私の異常なプライド自意識邪魔をするのだ。

今、本当にオタク絵描きである意味を見い出せないほどに楽しくなくなってしまっているので、整理の意味を込めて自分語りをさせてほしい。

小学校では教室で絵を描いても、どの学年のクラスにいても1番にはなれず、いつも2番かそれ以下だった。

パッとすることもなく遠足のしおりの表紙を任されることもなく、1番絵の上手い子がちやほやされる姿を眺めては羨む日々が続いた。

中学校では「クラスという狭い世界でも1番なれない私は、相当絵が下手なのだろう」という自覚も持ち、イラスト部のような部活はあったが入部することはなかった。

画力人格までも叩き潰されるのが怖かったのだ。

この時点でもう十分無駄自意識が身に付いていたと思う。

高校に入る頃には某マイナーゲームシリーズを主とするTwitterアカウントを作った。

メジャーアニメ漫画も好きではあったが、自分のような低い画力ではそのような世界では淘汰されてしまうという自覚が十分にあり、その上そのマイナーゲームシリーズ物心がついた頃から家族の影響で好きだった。

狭い世界古参な方であったので、まずそれだけでマウントが取れると踏んだのだ。

予想は当たり、数年はイマイチ画力でもちやほやされる日々が続いた。

私が何かしら絵を描けば相互達がある程度のふぁぼをくれる。ゲームステージ構造音楽に関する深みを持たせたツイートをすれば空リプやふぁぼをくれる。気分のいい日々が続いた。

ただかなり古いシリーズであったので、再熱と飽きで人の出入りが激しく、たまにいわゆる「神絵師」のような人も現れた。

古いゲームなだけあって古参新参が、という話が盛んに行われる界隈であったので、そういう話はタブーであることは分かっていたが、ハマって数ヶ月の神絵師がその界隈で大きな波を作り出すのを何度か目撃した。

絵師擬人化を好めば擬人化流行り、あまり人気のないキャラを好めばそのキャラ神格化された。

私は正直、激しく嫉妬した。

この人はゲームシリーズを全作やってないではないかシリーズの中でたった1作やってイラストを描いただけで大きい顔をしないでほしい、といったどす黒い感情が渦巻いた。

結局2年経たない内に妙な輩に絡まれ、それを理由アカウントを消した。

その輩も不快ではあったが、それよりも界隈で波を作り出す「神絵師」を見ているのが辛かった。今思うと被害者面してアカウントを消す理由と機会がただ欲しかっただけだと思う。

それから半年、私は某アニメシリーズとあるAというキャラに本気で惚れた。

それまでゲームアニメを嗜んではいたが、特定キャラクターに入れ込むことはあまりなかったため、大きな衝撃を受けた。

ただ、それとほぼ同時に自分性癖の異常性にも少しずつ気がついた。

Aが洗脳されている姿が見たい。

Aが痛がる姿を見たい。

Aが致命傷や後遺症を負わない程度にあらゆる手を使って痛めつけてやりたい。

いわゆる「精神リョナ」というものだと、しばらくしてから理解した。

その性的趣向に嫌な予感と前述の苦い思い出もあり、すぐにTwitterアカウントを作ることはなかった。

しかしそのキャラにハマって半年ほど、できる限りイラストの腕を磨きペンタブレットの扱いに慣れ、そのジャンル流行っているものに媚び、溜めに溜めたイラストまとめのようなものpixiv投稿したところ、予想以上の反響を得た。得てしまった。

気分が良くてたまらなかった。

同時に、「今ならあの時の神絵師たちのように、私の趣味趣向で界隈に波を起こすことができるのではないか。私が好きなもので界隈を満たすことでできるのではないか」と妙に高い理想を抱いてしまったのだ。

それから少しした頃、そのAがいるアニメを主としたTwitterアカウント作成した。

できる限り周りの空気に媚び、私自身の趣向を出さず、ふぁぼやRTにより私の存在を知らしめるために絵を描いた。イラスト漫画RTが多めな絵師を中心にフォローした。

ツイートもそのアニメ話題で徹底し、他の話題自分語りをすることも控えた。

客観的に見て私の画力はそうでもないが、そういうことを続けているとアナログ適当落書きを描いても100ふぁぼはもらえるようになった。

その頃に界隈の流行りと自分性癖半々くらい織り交ぜた、オールキャラギャグ本を自身初の同人誌として出したが、完売させることもできた。

こうして私の実力が全てでない、媚びによって得た数値と実績による自意識プライドが着々と育っていった。

同人誌を出した少し後くらいからであろうか、私は自分趣味趣向を全面に押し出しイラスト漫画ツイートをするようにした。

媚びた絵よりも数値は減るがふぁぼやRTをしてくれる人も多くいて、正直投稿不安ではあったが予想よりは上手くいった。

ただ、私の絵(性癖)に便乗してイラストが描かれることはおろか、そういったツイートや私のイラストに対する言及空リプも見られなかった。

私は悔しかった。あそこにあるふぁぼやRTは惰性に近いものしかないのだ、と思ってしまった。やり口からして勿論なのだが。

そして、引かれているだろうな、とも思ってしまった。それまで好きだった相互の方々にも、ツイートを読むのが辛くなるほどの疑いを不安を抱くようになってしまった。

私の中の冷静な部分は「そりゃそうだ、精神リョナなんて倫理抵触する趣向広まらなくて当然だ」と思えているのだが、私の拗らせた部分は「なんで流行らない?擬人化の方がキツイでしょ。他の人の性癖を歪めることもできないなんてこの絵公開してる意味ある?」と思ってしまう。

私には波が作り出せないことが、あの羨んだ神絵師たちの足下にも及ばないことが自覚できてからは、自分趣味趣向が急に恥ずかしくなり、FFの極端に少ない身内アカウントに引きこもった。

身内アカウントに引きこもったまま数ヶ月。現在に至る。

結局は私の実力不足と、歪んだ自意識プライドが悪い。分かっている。

Aに対する熱意や、自分趣味趣向に刺さる創作物を見た時の衝迫を、自分表現して他人を揺さぶ画力や魅力はない。

他人を揺さぶらない創作になんの意味があるのだろうか?だったら絵なんて公開しないでパソコンファイルの中で腐らして、自分けが眺めている方が幸せなのではないだろうか?

最終的に私の趣味趣向を認め、同意し、同じ熱量で盛り上がってくれる仲間がほしい。

だって趣味趣向の合う仲間とオフ会がしたいし、Skypeだってしたいし、趣味から知り合った仲間とプライベートな話がしたい。

人とオタクとして接することが楽しいのは中途半端に知っているので、私が理想とする仲間とオタクとして楽しく生きたい。

そういう界隈を自力で作り出そうとしたのが失敗だった。

そして画力がそうでもないまま大人になってしまったのも失敗である

イマイチなままで固まった画力無駄に高いだけのプライド自意識をもって絵を公開して、何が楽しいのだろう。

何も楽しくないに決まっている。

Twitterで絵を描くようになってからというものの、評価評価をくれる人々の動向にばかり目を向ける癖が付いてしまい、私一人で何をすれば楽しいのかわからなくなってしまった。

絵描きなんて趣味やめた方がいいんだろうな、私には向いてないんだろうなって、今はそう思うのです。

力不足を痛感してとても悲しいです。

お目汚し、失礼致しました。

  • 人を見ることをやめろ

  • 自分と他人を比較して、優劣を論じても意味ないよ。 だって自分と全く同じ人間なんて一人もいないじゃん。 他人の価値観に合わせて生きるよりは、自分の価値観で自分の人生を生きた...

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