はてなキーワード: 競争原理とは
はーい、フリーライドおじさんだよー。貧困フリーライドおじさんが来たよーって。今回もフリーライドしちゃうよー。気に食うとか食わないとか、はてなやさんに削除依頼だせばこんな記事はサクッと消してくれるから、通報したらいいよー。どだい原稿料ももらえないのにこんなもん書いてんだからなばーかばーかばーかイラストなんかねーよぷううううううううううううううううううううううううう。
生活コストを把握するの、大事。自分自身の「ミニマム生活コスト」を把握しておけば、なにかと便利。最低限こんだけあればなんとか生きていけるんだなー、ってラインを知っておくことはとても大事。
なんで大事か。選択肢を増やすため。自ら退路を断って自分自身を追い込んで頑張ろうとする人がいるけど、あれはやめたほうがいいよ。「選択肢を残しておく」、これ大事。選択肢がない状態だと、間違っているとわかってるのにそれを決断・実行しなければいけなくなるから、どんどん間違った方向にいっちゃうからね、常に選択肢を残しておく、これ大事。
んで、どうやって生活コストを把握するかってーと、まあ「家計簿のようなもの」だよね。でもそんな厳密にやらなくていいよ、10円単位100円単位の大雑把でいいよ。チラシの裏でいいからメモするぐらいのかんじ。
項目も4つでいいよ。「食費」、「おやつ・趣味娯楽費」、「生活雑費」、「固定費」のよっつ。それらを月末に集計して「もっと落とせる部分はないか、落とす方法はないか」を探って、いったん「ミニマム生活コスト」を把握しておく、これが大事。「ミニマム生活コストで一生涯 暮らし続けろ」ってんじゃないよ、誤読しないでね。把握ね把握。
まあ、だいたい米味噌調味料コミコミ食費が1万円、おやつ間食が5千円くらい、趣味娯楽費1万円くらい、生活雑費で5千円、保険税金水道光熱費通信費町内会費こみこみで固定費2万円、トータルで1ヶ月 5万円くらいに落ち着くんじゃないかな(住居費は地域差があるので別計算)。
そのコストで実際に生活してみて継続可能であることを実証しておく、これ大事ね。はい、ここがスタートライン。
「お金」は人類共通の価値基準。わかりやすい。でも、一方で自分の価値基準を確立しておくことが大事。
たとえば「お金を節約しようね」というと「歯医者はお金がかかるから行かない」とか判断しちゃう人がいるけど、そうじゃない。「歯」には値札がついていないけど、「歯の価値」を自分のなかでちゃんと確立しておけば、そんな結論にはなりにくいのじゃないかな。
同じように「健康」だとか「お陽さまを浴びられる時間」だとか「ネコと暮らす生活」だとか「娘の寝顔」だとか、身の回りで値札のついていないものすべてにちゃんと値段を付けておく、自分の価値基準を確立しておく、これ大事。
自分の価値基準を確立しておくことで、いざ何事かあったときに「なにを優先してまもるべきか」をすぐに判断して行動に移すことができるからね、大事。人間、腕は2本しかないから、なにを持ち出してなにを守るべきか、ちゃんと決めておく。
「お金」は人類共通の指標、それに囚われがちだけど、そうじゃなくて、利用していく。値段のついていないものに「自分なりの値札」をちゃんと貼っておく。いやらしいかもしれないけど、ちゃんとコスト換算しておく。むしろお金のもつ価値水準を利用していく。
例えばクーラー、今どきのクーラーは電気代が安くて冷房消費電力500Wとか。「電力500W」という表記は簡単に言っちゃうと「1時間で500W消費しますよ」ということ。一方で電力会社は「1kWh 20円(1000Wあたり20円請求しますよ)」と言ってるので、計算すると「クーラー1時間10円だな」と計算できる。そんで「クーラー1時間10円」なら「クーラー10時間つけても100円だな」と計算出来て、暑くて炭酸ジュース1本飲んじゃうぐらいならクーラー10時間つけておいたほうが快適だなと判断できるのね。「快適さ」にも値段をつけておく。
逆に、たとえば「貧困生活はまったく苦にならない。馬鹿に囲まれて豊かな暮らしをするぐらいなら、貧しいほうがいちおくまんばいマシ」みたいな、たまに価値基準の狂ってるひとがいて、世間から理解されない生活を大切に守り抜いているいる人がいるけど、それはもう放っておいてあげて。そのひとはそのひとで「価値基準を確立」した結果だから。
快適な状況を作りあげたら、そこから離れるかどうか、よくよく考えたほうがいいよ。
他人が競争原理を笠に着て「もうやめたほうがいい」だとか「情けない」だとか「みっともない」「かわいそう」「もっとがんばれ」だとか言ってくるかもね。でも、それはその人の競争原理から発生した価値観だよ。あなたの価値基準じゃない。他人の競争原理に自分から巻き込まれる必要はないよ。
自分の競争原理は自分でつくる、他人の競争原理に巻き込まれない、これ大事。山の麓に住んだほうがいいのか、山の頂上に住んだほうがいいのか、自分で判断しようね。他人の競争原理に従って行動するとたいがい惨めな気持ちになるからやめたほうがいいけどね。
それでも人間は社会のうちで生きていかなければいけないからどうしても他人の競争原理に従わなきゃいけないときもあるのね。でも、だからといって「尊厳」まで売り渡す必要はないからね。あなたの尊厳はあなただけのもの。じぶんでちゃんとまもってあげてね。
自分にとって何が大切なのか、それは自分で決めることだよ、他人に決めてもらうことじゃないよ。
逆にいうと、自分の競争原理にたくさんのひとを巻き込むことができるなら、その人は商売の才能があるよ。一儲けできるよやったねおめでとう!
お金に結びつく能力をもってるひとはシアワセだけど、たいがいのひとはそうじゃないんだよね。でもそれでいいと思うよ。
お金にならない能力も一種の才能だよ。本を読んでるだけでいくらでも時間を過ごせる、絵を描いているだけで幸せ、毎日10キロくらい散歩しているけど楽しい、なんでもいいよ、「お金にはならないけど、ひととちょっと違う」それも一種の才能だから「自分の資質」をちゃんと棚卸ししておくことが大事。
ちょっと贅沢をいえば、まわりのひとが少しだけ笑顔になってくれることを探すといいよ。簡単な絵を描いてあげると、ちょっと喜んでくれる。スポーツ観戦するときに少し解説をしてあげると、ちょっと喜んでくれる。そのひとにあったオススメの本を紹介してあげると、ちょっと喜んでくれる。
ひとの笑顔は一番の娯楽になるからね、まわりのひとが少しだけ笑顔になってくれることを、少しだけやるといいよ。
逆に「周りの人を泣かせるし自分も不幸になる」のは能力でも娯楽でも趣味でもなくて「病気」だからね、いますぐ病院を探そうね。
やっぱり「体質をつくる」ってことなんだと思う。無理は続かないよ、どっかで破綻しちゃうから。
自分にあった体質をつくって自分にあった生活をする。少しでも選択肢を残しておくことで間違った決断をなるべく避ける。ひとを少しだけ笑顔にする努力をする。迷ったら一歩前にでる。
「自分」を知っておけば意外となんとかなるよ。
じゃあな!
先の記事 anond:20190704095800 はたくさんの人に読んでもらえたようで嬉しかったです。もちろんそれは御本家があってのことではありますが。お目汚し失礼しました。
ブクマコメントも楽しく拝読しました。驚くことに、書いてないこともちゃんと見抜かれていてハテナ界隈の方たちのご慧眼に恐れ入りました。だからぼくはハテナのみなさんが大好きです。
なかでも「これはこれで特殊な才能が必要な暮らし方だから、下手に真似しないほうがいいよ」みたいなコメントや「心(精神衛生面)」に興味を持たれているコメントがあって、確かにそのへんのことを書かなかったなあと思ったので、もうちょっとだけ続きます。本当ならあのまま終わりにしておいたほうがキレイなのでしょうが、あえて蛇足をつけて終わりにしたいと思います。
あまり多くの人に読まれなくてもいいけど、届くべき人にちゃんと届いてくれるといいな、と思います。
お金や人の笑顔に直結する能力は「才能」と呼ばれるよ。でも、お金にもならないし誰も笑顔にしないけど他の人には出来ない「能力」もあるよ。これを「異能」と呼ぶよ。
「節約生活がまったく苦にならないどころか、むしろ楽しい」これもきっと「異能」だよ。他にも例を考えてみるよ。
こういうのも「異能」だよ。異能は誰も褒めてくれないし指摘もしてくれないから、自分でも気が付きにくいけど、ちゃんと棚卸しして自覚しておくことが大事だよ。
自分の異能が活かせるフィールドはどこなのか。勝てるフィールドで勝負していくことがだいじだよ。
勝てないフィールドで勝負をするのはやめようね。少なくとも勝てない勝負に全額ベットするのはやめようね。
「社会」では誰もが数字を背負わされて競争させられているよ。学校の先生や病院のお医者さんでさえ、数字を背負わされて競争させられているよ。
でも、何も持たないぼくらは「競争から降りる」という選択肢をもっているよ。
宮本武蔵が「殺し合いの螺旋」から降りたように、ぼくらは「勝てない競争原理」からさっさと降りようね。イチ抜けた。あとはみなさんでどうぞ。
弱いぼくらは、勝てない勝負からはさっさと逃げて、「異能」を活かせるフィールドでサバイブするしかないよ。
この世のあらゆる競争原理からさっさと降りて、らくちんおだやかなせいかつだよ。その穏やかな生活は、あなたにとってお金では買えない価値を持っているよ。
ぼくらはお仕事をする上で仕方なく「時間」と「責任」を切り売りしているけど、「人としての尊厳」まで売り渡したわけじゃないから、その線はちゃんとまもる必要があるよ。
競争原理から降りると、この世のだいたいのことはどうでもよくなるよ。馬鹿が騒いでても頭のいい人が叫んでいても、いっさいどうでもよくなるよ。楽ちんだね。
それでもあなたを競争原理に巻き込もうとする人がいるし、競争してもないのに上下の格付けをしてくる人がいるよ。その人はまだ競争原理の内側にとりこまれているんだね。そんなときは可哀想なケモノを見る目で見てからニッコリ微笑んでこう言ってあげようね。
「そうですか」は魔法のことば。そうですか。そうですかー。そうですか!! そうですか?? そうですかあ? そうですか…。そう…ですか。
「てめえ殺すぞ」と内心思いながら、グッと相手の目をみて「そうですか」とニッコリ微笑めば、丁寧に会話を終わらせることができるよ。べんりだね。
自分のことを虫けらだと思っていると、他人もあなたを虫けらとして踏みつけてくるよ。あなたの自尊心はあなた自身でまもる必要があるよ。誰もまもってはくれないよ。あなただけのものだよ。
「自分の中にある小さな優しさをまもるための最低限の残酷さ」くらいは隠し持ってても誰も怒りはしないよ。
ぼくらは弱いしお金がないけど、この日本に日本人として生まれた時点で、超ラッキーだよ。
考えてご覧。喉が乾いたら公園に行って蛇口を捻れば水が飲めるんだよ。すごくない?
上水道が整備されてるだけじゃなくて、それが飲める国って数えるぐらいしかないよ。しかもそのへんの公園で飲めるんだよ。ちなみに公園の外に水を持ち出すと窃盗になるから気をつけてね。
水だけじゃないよ。スイッチひとつで冷暖房完備だよ。ボタン一つで火がついて料理ができるよ。図書館に行けば本も新聞も雑誌も読み放題だよ。コンビニではおにぎりとお弁当が 毎日たくさん捨てられているよ。
ちょっとすごくない?世界規模でみたら上位数パーセントの環境だよ。この日本に日本人として生まれた時点で、宝くじにあたったような超ラッキーだよ。当たりくじを握って産まれてきたようなもんだよ。お釈迦様もびっくりだよ。
みんな超絶ラッキーなのに、その中でも俺が上とかお前が下だとかいうおばかさんがいるけど、どんぐりの背比べだよ。きっと頭がよわくてなにも見えていないんだね、可哀想なひとだね。
遠慮することないよ。この超絶ラッキーな環境を最大限に活かして愉しめばいいよ。最悪でも生活保護があるからね。
なんなら、自己責任の名の下にぼくらを見捨てたこの日本を、足元から喰らい尽くしてあげようね。
正しいとか正しくないとか良いとか悪いとかじゃないですで。ぼくらには転んでも資産というクッションもなければお金という杖もないので、致命傷を負いやすいし起き上がることすら難しいので。せめて強いこころを。そのからっぽの手に。砂をつかんで立ち上がれ。怒りをこめてふり返れ。
あ、あと背筋を真っ直ぐ伸ばして胸を張って毎日を過ごすことは、とてもだいじです。根拠なんてなくていーです。背筋を伸ばすのにいちいち根拠なんていらないです。
お金の話について | ヨツピー | note anond:20190704095800
続・お金の話について | ヨツピー | note anond:20190707094714
終わりの話について(完結) | ヨツピー | note anond:20190708072506
財政赤字が拡大してくると、政府は貨幣を発行して支出に充てる。貨幣を大量に発行すると市場には金があふれ、金の価値が低下してインフレが起きる。これがこれまで主流の経済の考え方だ。実際にジンバブエやベネズエラではやりすぎてハイパーインフレーションを起こして経済が大混乱に陥っている。MMTでは「財政赤字」と「民間の富」は借方と貸方のような関係なので、民間が豊かになるにはそれと同じ額の財政赤字を抱えているのが普通である、だから財政赤字を嫌がって財政支出を制限する必要はないと考える。MMT擁護派の一部の人達は「財政支出をどれだけしてもいい」と言っているがこれは誤解である。。MMTの特徴を理解してもらうためにあえて強調しているのかもしれないが、そんなことをすれば反発を生むだけだ。MMTでは「市場に存在する資源や労働力などの価値」と同じだけの財政赤字を政府が抱え、それと同じ額が民間の資産額となる。資源以上の貨幣を発行するとインフレが起きるので、インフレターゲットまで物価が上がってきたら追加発行を止めなければならない(貨幣を発行しすぎるとインフレになるという考え方は主流派経済学と同じ)。デフレの起きている現在の状況では財政赤字が膨らむことを恐れて緊縮財政にする必要はない、だからインフレが起きるまでは財政支出しろ、というのが正しい理解である。そしてこの考え方は正しい。ただし、50年前までなら。
昭和の時代、国民の大多数がマイホーム・マイカーローンで家計のやりくりにあえぎ、余裕がでればテレビ・洗濯機・冷蔵庫を買っていた。1960年(昭和35)に公務員の大卒初任給が12,000円の時、電気冷蔵庫は60,000円した。5倍である。現代の初任給20万円とすると冷蔵庫が100万円する計算だ。当時は氷を使った冷蔵庫が一般的だったし、洗濯はタライで、掃除はホウキとチリトリでおこなっており、家事を劇的に改善してくれる家電製品はみんな欲しがったのである。ご存知の通り、この時代は10年で物価2倍のインフレだ。公共事業で民間に金を落とし、経済が活発化し市中に出回る金が増えればインフレになったのである。公共投資も、例えば道路の舗装化や高速道路であれば流通の効率をあげ、上下水道や団地を整備すれば人が集まって地域が活性化したのだ。
現代はどうか。日銀はずいぶんと財政緩和しているがデフレが長いこと続いている。今は公共投資をするといっても、一通り需要の有りそうなところの道路は舗装されていて、道路を舗装しても流通効率はあがらない。既にある道路の水道管補修などでは利便性に変化がないので、経済の活性化には貢献しない。上下水道や電気もあって当たり前の時代だ。公共投資で市中に金を落とすことで若干購買意欲を高めることはできるがそれだけでは弱い。文化的にも成熟してきてマイホーム・マイカーを信奉するような時代ではなくなった今、多少金銭的な余裕ができても大きな買い物などはあまりしない。製造や流通も効率化され、安く生活しようと思えば100円ショップやスーパーの衣料品などでずいぶんと安く生活できるようになった。年金の先行きは不透明だし貯金がないと老後が不安である。このような状況では貨幣の供給が増えても、その分貯蓄に回るだけで経済は好転しない。
また、貧富の差は大きくなっている。戦後はGHQによる財閥解体などがあったが、基本的には金持ちはさらにお金を儲けるために金を使うので、富めるものはますます富むのである。貧するものは生きていくために悪条件でも仕事をせざるをえず、なかなか裕福になるチャンスは得られない。これは資本主義経済が抱える根本的な問題で、過去には革命や敗戦などで富の再分配がされることはあったが、平和な現代ではその圧力も少ない。いや戦争で殺し合いが起こるよりは遥かにマシではあるが。
19世紀からこの問題の解決策を提案していたのはドイツ人マルクスであるが、マルクスのとなえた共産主義は失敗に終わった。ソ連は崩壊したし、中国も私有財産を認めて経済に関しては自由に商売をさせ、社会主義の名の下に共産党一党独裁体制を敷いて反抗する企業は締め上げるという独裁ぶりである。大きな組織に強い権力を持たせると、腐敗して独裁化して富と権力を独占化してしまう。理想をもって最初に体制を作った時は良いかもしれないが、指導者が数回交代した後には無様なものでる。
人間が欲をもった生物である以上、これは避けられないのではないだろうか。
貧富の差が根本問題である以上、是正するには富の再分配しかない。しかし例えば巨大企業を国有化してベーシックインカムで再分配しようなんてことになると、これは失敗した共産主義の後追い自殺になるのではないだろうか。国有企業は競争原理がうまく働かず効率化されずに無駄が多くなったり、働いてる従業員がなぜか自分個人が偉いと勘違いして業務が怠慢になったりする。ベーシックインカムを行うための企業だけが富を独占化し、そこの社員でないものの人権が蹂躙されるという社会主義国家になるのではないか。
財政的にはベーシックインカムも可能かもしれないが、導入後50年100年経った後の日本は競争力をもった国でいられるだろうか。リン鉱石でベーシックインカムをしていたナウル共和国では、国内の農業・漁業が衰退した後にリン鉱石が枯れて経済的に立ち行かなくなり外国からの援助に依存している。
筆者個人としてはもういい年齢なのでベーシックインカムもらって引退したいところではあるが、未来の日本が衰退して行くのは忍びない。ホリエモンはベーシックインカムを導入しても、もらえる金額が今の年金より少ないのでみんな頑張って働いてもっと稼ぐよ、という意見のようである。果たしてそうだろうか。彼自身はは思春期に高度経済成長期を経験しているし、才能もハングリー精神もあるから成功しているんだろうが、現代の若者のどれくらいの割合の人が同じように考えるのか。働かずに生きていけたら贅沢しなくていいやっていう人は昔より増えている。ベーシックインカム二世や三世の世代にはさらに労働意欲がなくなっており、ナウルのようになってしまうのではないか。
厚生年金の標準報酬月額みたいななんの生産性もないクソみたいな事務は一切なくしてベーシックインカムに一本化して、公務員や生産性のない事務員の人数を減らしてもっと生産的なことに時間を割いてもらうっていうのは良いことだ。生産的なことが苦手で定形作業しかできないような人もいるが、定形作業自体はなくならないだろう。AIやRPAで減ってはいくだろうが。
不況を改善するために「財政赤字を気にせず財政出動する」というのは資本主義が成熟した現代では解決策にならない。財政赤字はある程度あって問題ないが、破綻したときに爆発する爆弾を抱えているようなものであり小さいに越したことはない。破綻時には財政赤字相当額の民間資産が消えるのである。問題は貧富の差にあり、平和的公平的な解決策は今のところない。俺はベーシックインカムが欲しいが、国の制度として導入するのは日本の未来の為にならないと思う。
この手の競争原理を煽りさえすればみんな努力して金持ちになれるはず論は
社会構造的に、全員が高給取りの上流階級にはなれないようにできてるんです
仮に年収200万円台の人間が全員年収1000万円台になっても
今度は年収1000万円台が年収億円台の人から見ての「相対的」貧困ラインになる
カールルイスやフサインボルトは100メートル10秒で走れるから
全人類みな100メートル10秒で走れるかといえば、おのずと限界はあるんですね
で、高給取りは全員、当人の努力100%のみで高い給与を得ているかと言えば
必ずしもそうとは限らない
親の資産、人脈、コネ、たまたまの運、先輩や創業者がすでに作り上げた従業員を薄給でこき使えるシステムetcetcのおかげで高給を得てる場合だって少なくない
ちな、近代以前の社会インフラは、民の年貢で足りない分は、王侯貴族が個人資産から持ち出しで整備するもんでした、軍事も王侯貴族が自腹で金を払って兵隊を養ってた
累進課税廃止の代わりに、ちょっとでも金持ちが使う(貧乏人も使う)道路や電氣水道ガス公共施設や防災対策や国防は全部、ワタミや孫正義や高須院長みたいな人が自腹100%で負担してくれるならよいですけどね☆
アメリカより競争原理も働かない硬直した市場と起業風土の中でそれを言うのはナンセンス
というか、職場としての理想像は決してアメリカではなく、北欧にあると思う。
就業時間を6時間にして寧ろ作業効率が上がった、もちろん給与据え置き。
https://m.huffingtonpost.jp/2017/01/06/sweden_n_13992182.html
勿論コスト増した所などもあるが、全ての人が8時間働く必要もないという事が示唆される。
過労死が多い日本なら法定を6にしてそれ以降を残業代発生にすれば、企業も色々と変わる可能性がある、過労死は減るかもしれない。(その前に労働基準法遵守していない企業への罰則強化が先だが)
また、教育全般、社員教育も遅れている部分は見習うべきだし、第一やれる事に限界あるのは中小企業であって、NTTなど大企業は金を内部に溜め込んでる上に、銀行から莫大に借りられて、それで色々社内システムに投資できるんだから、自分で雇っておいて無能を無能のままにしとく会社サイドに大いに問題がある。
見習うべき所を見習った上で、現状も踏まえて、北欧等の後追いでなく、美味しい所どりをいち早く実現させれば、もっと、世界で類をみない良い国になれる。
無能でもコネがあれば良い会社に入れるのが日本だよ、競争原理が働かない、利権体質の格差ならぬ階級(カースト)社会。
金持の子供に生まれ、親の努めてる会社に入ったなら、あなたもそういう風になれたのだよ。
あなたの親が利権を持ってなかった、階級が上でなかった、ソレを持っていたとしても子供に分け与えなかった、いずれかの理由であなたは自分が満足しない収入になる。
そして、それが何かを見つけるのは大変な作業。
ただ、世界に無関心であるなら、あなたが悪くなくても、状況はもっと悪くなる、空き巣に入られる人は悪くはないが、自己防衛しなければ続けて入られるのと同じだ。
だからあなたの暮らしと命と生活にしっかりと鍵をかけるために、世界で何が起きているのかあなたは知ろうとしなければならない。
発想が逆
如何にして無能な社員を育成し、有能な社員のモチベーションを上げ、会社が稼ぎ、社員に払い続けられる給与を毎年上げていくかを考えなければならない、会社の発展とはそれに尽きる。
無能をクビに出来るようになったら、今度はお金を要求したり、お金がかかったりする有能も、お金のかからない有能と比べて切られていき、過渡競争で、薄給激務の有能がブラックな環境でも仕事無いからと働き、それ以外の金をせびる有能と無能が浮浪者や失業者、自殺者、犯罪者に落ちるだけ。
人を簡単に切れるなら有能は切らないと思う、その考えが甘い、経営者なんて、自分以外の才能は認めない、嫉妬する、潰したくなるなんていう人種はいくらでも居て、少しでもミスをしたら憂さ晴らしに切るなんて事を平気でする。
これの元記事のような、NTT社員の子供だけが残り、その他は使い潰されるか使えないと少しでも思えば育成なんかされずに切られる運命。
自民党の強さって組織票の強さだと思うけど、具体的には経営者や教育や宗教なんかの団体が、がっちり自民と結びついてて離れないのだと思う。その組織に属して自民を応援しているかぎり安泰が保証されるのであれば、そりゃ離れたくない気持ちもよく分かる。もしも自分がこれらの組織の中にいて、自民党のおかげで日々の生活が保証されているのだとしたら、きっと他の政党を支持するなんて考えもしないに違いない。たまたま自分はその好循環には入り込めず外側から眺めているから、他の政党を支持しているだけだ。
もうすこし言うと、いまの日本社会は、自民党を支持する経営者たちにとって有利にできている。その代表格がパソナの竹中平蔵だったり、広告業界なら電通だったりする訳だけど、これらの会社は実力があるからシェアを握っているのだとは思えない。自民党政権との結びつきが強いだけでしかない。言い換えれば、その他の実力ある無数の会社が、活躍できていない可能性がある。実力はあるのに仕事がなかなか取れない会社は、もちろん営業がただ弱い場合もあるけれど、それを自己責任と切り捨ててしまうと、世の中は要領が良い人ばかりが蔓延って社会全体の生産性は落ちていく。
そこでいま必要なのは、経営者たちが野党支持を表明することと、政権交代によって起こりうる社会の変化を語り合うことではないかと思う。もちろん経営者にかぎらず教育者や宗教者、サラリーマンや学生たちでもよいのだけど、もっとも影響力があるのは経営者かなと思う。
たとえば立憲民主党が政権の座についたなら、とりあえずパソナのような不当に厚遇された企業が市場から淘汰され、かわりに今まで抑圧されていた優良企業が伸びてくる(かもしれない)。本当に実力のある会社はどんどん業績をあげるかわりに、実力ないけど要領だけが良い会社はつぶれる。ただし、会社がつぶれても人々が路頭に迷うことはなく、社会保障でしっかりと生活は支えられる。……というのが立憲の政策として掲げられているかどうかは知らないけど、草の根の民主主義っていうんだから、こういう社会にしてくれと経営者のほうから党に意見していく。
適当に考えた名前だけど「立憲経済連」みたいな団体を作って、国の経済政策にどんどん意見をいう仕組みがほしい。ただし経団連とか経済同友会とか連合みたいな巨大な組織だと、けっきょくは俺みたいな零細企業の経営者は弾かれてしまうので、そこはまあ上手いことやってほしい。
自分が零細企業を立ち上げてみて痛感するのだけど、いまの世の中は競争原理が働いていなくて、ダメなものがずっと残り続けている。そこに違和感を持ったり苛立っている経営者たちが本当は多いはずだと思う。その思いを政治へ吸い上げる仕組みがほしい。
いまの世の中がずっと続いていくのだと思うと、せっかく優秀な俺が会社を立ち上げたというのに俺はいつかやる気をなくして会社をたたみ、旧態依然としたダメな会社だけが残ってしまう、それは社会にとって大きな損失である。……というのは大言壮語かもしれないけれど、とりあえず、平等な社会にはしてもらいたい。本当に。
親の与えられる遺伝的能力(知能・運動神経)、教育資金、文化資本が多けりゃ多いほど子供が競争社会で有利になりやすいんだから、
ジェンダーフリーが進んで女子供養って一人前みたいな価値観がどっか行けば、男も下方婚しないほうに収束してくだろ
いまどき三角関数も因数分解もできねーような女に自分の子供育てさせたいか?
男女間の収入ギャップはまだあるにしろ、夫婦の知能格差はどんどん埋まってんじゃないの
つーか、自由恋愛そのものが優生思想の観点で導入され推奨されてきたんだもん、こうなるのが必定だよ
要するに競争原理だもん
あぶれた非モテがエリートカップルの子育てに税金絞られたくないってなら、ほーらマルクスは弱者の味方、家族解体論者になるんだよ
Amazonで日用品の買い出しから欲しいものまで全部まかせてるし
なんでこう何もかも生活に密着するサービスが海外製ばかりになっちゃうんだ?
俺ははてなーと違って日本が普通に好きだからできる限り日本のサービス使いたいと思うけど
当然生活の質や利便性は犠牲にできないから結果海外製を使うことになる
もういっそ、中国みたいに完全な管理経済にするか、アメリカみたいにゴリゴリの競争原理を組み込んだ資本主義やるしかないんじゃないか?
俺は貧乏人が死のうが老人が死のうがどうでもいいからもっと日本が浮上する政策とって欲しいよ
死にたくなかったらみんなが言ってるようにとっとと海外逃げなよ
Aらしいほど高く評価される競争社会においては、Aらしさからの解放と競争原理は対立する・・・とお考えのようですけれど。
Aらしさからの解放とは、新たにBらしさ、Cらしさという競争軸を作り出すことで達成されると思うんですよ。
「『らしさ』から解放されようよ!」という主張に対して胡散臭さを感じてしまう人が多い理由は
結局の所、世のシステムが「競争原理」で動いてるからだと思うんですよ。
ここで言う競争とは労働だのお受験だの恋愛だのまあ色々あるけど、
そして競争に敗北したとして、救済措置が存在するわけでもない。
いや世の中の人って99.9%以上は「らしさから解放されたい」って思ってると思うんですよ。
でもそうならないのは、繰り返すけど、世のシステムが「競争原理」で成り立っているから。
負けた後お前がなんか救いの手を差し伸べてくれるわけじゃねぇんだろ!?知るかボケェ!」
としかならないと思うんですよね。
いやいや、私はらしさの解放なんて有り得ん!なんて頭ごなしに否定したいわけではありませんよ。
でも結局世が「競争原理」で成り立っていることに関して目を背けるのはナイーブが過ぎないか?と。
まーあれですよ。
「らしさの解放」だとか、他には多様性だとか、ジェンダーフリーだとか、
そこに関して論じてる人があまりにも少ないと思うんですよね。