はてなキーワード: 正攻法とは
ここ1ヶ月、図らずも『結婚』について考えることがとても多かった。
本当に偶然色々なところから結婚とかそれに関係するものを見せつけられたというか、「目を逸らすな」と言われている気がした。今までも度々結婚に関して否定的なことも確かに書いてきたけど、手放しに「結婚なんてクソだ、絶対したくない」と思っているわけではない。
ただあまりにも「結婚=幸せ」の価値観を、全くの思考停止で受け入れている人間が多すぎることに辟易としていることは事実。それへのアンチテーゼというか、警鐘というわけではないけど「あんたらそれちゃんと考えて言ってんの?」と言いたかっただけ。
結婚にはメリットもデメリットもあると思う。今の自分にとってはデメリットの方が大きいような気がする、というだけで否定的なこともつらつら発信してきたのもまた事実なので、しっかり言語化して考えないとな、と思った次第であります。
まあメリットデメリットと言ってもそれらは結局表裏一体で、扱う人間やタイミングによって良くも悪くも簡単に変わってしまうもの。まずその良し悪しは考えずフラットに、恋愛から結婚に変わることによる影響を挙げてみる。
…あれ、こんだけ?って感じだけど、マジでこんだけ。この二項の中に色々な面が潜んでて複雑に入り組んでいるだけだと思う。
強いて言えば、⑶ 社会的立場の構築 ってのも追加できるけれど、自分にとってそれは全くメリットでもデメリットでもなければ、何かアクションを起こすに当たって原動力になるものではない。一緒にいることの周囲への説明が楽になるぐらい?
結果としてついてくる分には勝手にしろって感じだけど、社会的立場のために何かをしたりしなかったり、という判断はしない。それは結婚云々に限らず。
てことで⑴⑵について順番に書いていくけど、既に長丁場になりそうな予感がプンプンする。
それによって生まれるのは①安心感と②義務感。この時点でも善玉と悪玉に分かれてそうだけど、実はもう一つ階層がある。
①安心感
安心感がもたらすのは、文字通り “不安が取り除かれた心地よさ” ともう一つ、あらゆる人間関係において最大の敵 “馴れ合い” だ。
文字通りの意味については書くまでもないけど、やっぱり本能的に人間が自分以外の人間に求めるものってこれしかない。「愛されている」っていう実感が欲しいし、そこからの変化が一番恐ろしいものだと感じる。
つまり愛し愛されていると思っていた人が目の前から消えてしまう、という最も恐るべき状況に陥るリスクを最小化してくれる正攻法として、婚姻届という書類を提出して認められる結婚という契約が、最も手っ取り早くて一般的な手段であるということ。それによってお互いがある程度心地よく生活できるし、信頼にも繋がってくる。するとパートナーにも自由を与えることが容易になる。
それが一つ。厄介なのはもう一つの馴れ合いというやつで、先述の通り男女中に限らずあらゆる人間関係において最も脅威になるのがこいつ。
これは交際前と交際後という比較的浅い次元の関係性の変化でも猛威を振るう。「付き合ってから冷たくなった」だとか「もっと誠実だと思ってた」だとか、こういった類のパートナーに対する愚痴って全て馴れ合いから来ていると思うのだ。それは言う側も言われる側も同じこと。
言われる側からすえば、付き合う前だったら「この人に好かれたい、嫌われたくない」という一心でどんなことでもできてしまう。親切にするし、優しく受け答えするし、浮気な様子は見せない。けれど付き合い始めて「この人は自分が好きだ」と認識できた途端、「これぐらいいいだろう、許してくれる」という感情が生まれて、それまでとは違った対応や行いをしてしまうようになる。
言う側からすれば、付き合う前であれば「自分はこの人の何でもないし、相手にされなくて当然」という謙虚な気持ちでいられるのに、付き合い始めると「自分はこの人に大切にされて当然、自分のために動いてくれて当然」という傲慢さが顔を出して自分の勝手な期待を相手に押し付けて、それが叶わないと裏切られたような感覚になる。だから上記のような愚痴をこぼす。
言う側と言われる側は固定された立場ではなくて、どちらともがどちら側にもなりうる。こうしてすれ違って、ある日プツンと切れて、もうバイバイ。これがよくあるカップルの破局パターンなんじゃないかと思う。し、自分もこれまでほとんどそうだったような気がする。
浮気、冷たい、優しくない、好きじゃない、…どこにでもありふれた別れの真因としてこの馴れ合いがある。
人と人との関係を良好に保つには、「それぞれの人間だ」と認識できるほどの距離感が常に必要だ。
付き合う前のような「好かれたい」「嫌われたくない」というある種の緊張感が、その最たるものだということ。それがあるからこそ気遣いや思いやりが生まれるし、欠けてしまったところも受け取る側がカバーできる。
交際前から後への距離感の変化を乗り越えられたとしても、結婚前と後ではまた違ってくる可能性は大いにある。それは交際という口約束とは異なり、婚約というものが法的拘束力を持つからだ。
これが安心感がもたらす負の側面。乗り越えるには所謂「親しき仲にも礼儀あり」という先人の智慧を、片時も忘れないよう脳裏に焼き付けておくこと。しかない。
②義務感
さっきの安心感に比べればこちらはシンプルなもので、「この人を幸せにしなければならない」とより強く思うことができれば、そのおかげで仕事のモチベーション向上に繋がる良い面がある。
その代わりに、義務感という言葉に強制的な印象を持ってしまうと一気に嫌悪感を覚えてしまうことが大いにある。
人間は何でも強制されるものが嫌いだ。「好きだった物事も、強制されると嫌になる」なんてのは世の中にありふれた陳腐な言葉だが、それだけ多くの人に当てはまってしまう内容でもあるということだ。
できちゃった婚、なんてのが存在することからも分かるように、一般的に真っ当に子どもを育てようとしたらその両親は夫婦であることが望ましい。
とされている、と言った方が正しいのかもしれないけど。
まあともかく、「子ども作るなら結婚するでしょ」「子どもできたなら結婚するでしょ」という発想が当然という世の中であるということ。それが⑵の文意だから、必然的にここで議論を進めるのは、子どもを作る・子どもがいることによるメリットデメリットになる。
子どもが家庭の中で担う役割はやはり二つあると思っていて、一つは①家族の一員としての役割、もう一つは②夫婦の間に生まれた子どもとしての役割、というこの二つ。
これはやはり一般的に幸せとされていること。「家庭を持つことが全人類の夢」とでも言わんばかりの勢いで押し付けられがちな価値観だけど、確かにそれも一理ある。
正常に機能している家族であれば、そこに帰属する幾人かの繋がりはとても強くて、無条件に愛し愛され、外敵からの攻撃から守ってくれる居場所になるはずだ。そこに血縁関係が有るか無いかなんてそこまで重要な問題ではないとも思う。これが家族であることの幸せ。
ただ、現実問題そのように理想的に機能している家族は少ない。と思う。そんなことないのか?いや、きっとそうだと思う。そうだと思いたい。良いな、と思う家族は知り合いの中でも一握りだし、実際SNSなんかでも家族に対する愚痴ばかり流れてくる世界。
そして自分が育った環境もあまり良いものとは言えなかった。育児放棄だったりアルコール中毒者による虐待だったり、そんなような何か明らかに大きな問題を抱えていた訳ではないけれど、家族であることの決定的な意義でとなる、愛されているという実感や安心感、自己肯定感を育む教育、そんなものを一切享受することはできなかった。
それに、世間一般の家族における父親に対する風当たりというのは、相当に強いものがある。自分も父親が大嫌いだし、母も姉も、だ。家族から愛されている父親なんてパーセンテージでみたらほんのわずかだろう。
ほとんどの家族で見られる構図として、まず夫婦仲は良くない。子どもたちはずっと面倒を見てくれている母の味方につき、母を攻撃する存在である父を敵とみなす。ありふれた構図だ。
それだけならまだいいのだが、何故か、いくら育児に協力的であっても、家事をこなしていても、父親というものは基本的に孤立するようにできているらしい。悲しい習性だけど。
世の母親が「腹を痛めて子どもを産んでよかった」と答えるのは、そういうことだと思う。そこに綺麗なものは何もない。
もし自分が父親になったら、と考える。先述のように「愛されたい」という欲求を家庭で満たされることなく育ったがため、自分はこうも恋愛依存的になってしまったのだと確信している。他にその欲求をぶつける対象として友人や集団帰属などの手もあったにはあったんだろうが、自分にはそのどちらも受け入れられなかった。
まあともかくそうやって、ようやく見つけた「自分を愛してくれる人、肯定してくれる人、守ってくれる人」と結婚したとして、その人との間に子どもができれば、それがまた全て奪われて無に帰してしまう。
子どもにとっては母である自分のパートナーを奪われ、挙句の果てに家庭という場所から孤立する。そうなるとまた生まれ育った悪夢のような家族に逆戻りだ。それを恐れている。
「子は鎹」という言葉がある。
こんなクソみたいな言葉はこの世にないってぐらいクソみたいな言葉だと思う。鎹がなければ離れてしまうような関係の人間と一緒に過ごさざるを得ない上に、それに子どもを付き合わせるなんて最悪だ。
けれど皮肉なことに、その離れる原因はほとんどが子どもだったりもする。
子どもができることによって夫婦の関係は父母という関係にもなって、彼氏と彼女、夫と妻、という1:1の関係性ではなくなる。その変化の中で上手く2人の間を擦り寄せていかないと、育児や教育や家計の問題でやっかみ合うようになり、関係は悪化する一方だ。そうして子どもが原因で離れていった2人を、繋ぎ止めるのもまた子どもなのである。
…とまあ、長々と書いたけど今の自分で考えが及ぶ範囲はこれぐらいだ。
あとはもっと歳をとったり、独り身になったり、自分が結婚してみたりして見えてくるものもあるのだろうなとも思う。それはその時にならないとわからないし、とにかく今はこう考えている。
という記録。
復帰49年沖縄の課題にどう取り組むか?河野太郎沖縄相インタビュー全文【WEB限定】 - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1321874.html
さすがに全文引用したら怒られそうなので、沖縄の貧困解決へ向けての取り組みについて、沖縄タイムスでは触れられなかった部分のみ引用する。
―「子どもの貧困対策事業」については、貧困の連鎖の根本的な解決にならないとの声も上がる。今後の事業存続の可能性と、新たな貧困対策に取り組むべきかどうか。
(河野)「コア(中核)の原因にいかないといけない。対症療法だけではなくて根本をどうするという議論をしていかなければいけない。そういう意味で、母子世帯や子どもたちを支えていくということをしっかりやらないといけない。その問題を解決すると同時に、新たに生み出さないというところを強力に進めていく必要がある」
―先ほど発言のあった「母子家庭を少なくする」が具体策の一つか。
(河野) 「そういうところがある。コアが何なのかというところにいかないといけない」
(河野) 「それは要するにスタートしているのはそこの部分は相当ある。生活も安定し、親としてしっかりやっていけるという2人が家庭を持つというのは非常にいいことだ。それでも出生率が高いのが喜ばしい」
―新産業ということで、若年層の雇用創出、所得向上で具体策は。
(河野) 「一つは『沖縄の若者はみんな英語ができるぞ』という、要するに沖縄や日本のどこかで働くだけじゃなくて、行こうと思えば、世界のどこでも行ける。それが一つ大きいと思う。その機会はあるわけだから。やはり、そこに力を入れるというのは沖縄の歴史からしても『万国津梁』という伝統がある。沖縄の若者に「世界を目指せ」というのは歴史に根付いている話だ。東南アジアで仕事したって中東に行ったっていい。そういうやる気のある能力のある子どもがむしろ高校・大学から外に出るのを応援してもいい。海外で成功した人がまた沖縄に戻り、次の世代にバトンを渡していけばいい」
(河野)「教育が大事だ。渋沢栄一の大河ドラマを見てもそうだ。いろんなものがある」
(河野) 「OIST(注:沖縄科学技術大学院大学)並みの教育機関を持ってくると当然、研究者もいるけれども、その機関を支える人も必要になる。そういう所にも雇用の機会は生まれる。外国語の習熟度が高まれば、観光産業だけでなく、いろんな産業にチャンスができる。沖縄の人がみな言語が通じるとなると、海外企業から見ても、進出先にもなり得る」
つまり、ブックマークコメントなどで多数見られた「貧困対策や雇用対策をするのが先だろうー!」というのはお門違いもはなはだしく、
貧困対策はそれはそれでやるよ、と言った上での、若年妊娠を避けるための性教育や、英語教育その他『も』行っていく、が主旨だ。
あと、「若年妊娠率を下げる/母子世帯の発生を抑える」を、勝手に「自民党的家族観の押し付け」と読み替えている者もいるが、真逆だよ。
性教育という科学的知見を広めることによって、個々のカップルの意思を尊重した上で自立させることでそれを回避したいという話は、自民党的家族観の否定に他ならず、
そもそも沖縄タイムスの引用部分にすら「沖縄は家族の支える力が強く、親族らの支援が手厚い部分があるかもしれないが、そこに甘えては駄目だ」との河野自身の発言がある。
なぜマスメディアは、いちいちこういった面倒を生む、恣意的な引用を行うのだろう。
そして情報を受け取る側も、AとBは両立可能なのに「Aだけ言ってBを言わなかったなー!(実は言ってる)」とか、「Aに触れるとは何事だー!」という、議論を硬直させる批判はもうやめようよ。
はてなから、次第にメディアリテラシーが失われていくのを見るのは、長年のユーザーとして悲しいものがある。
沖縄の構造的貧困については、沖縄大学准教授樋口耕太郎氏のこの辺の記事が参考になる。
沖縄から貧困がなくならない本当の理由(7)貧困の合理性(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/300288)
「変われない沖縄」が生まれ変わるために(https://politas.jp/features/7/article/406)
性教育が果たしてこの構造的貧困の解決にどれだけ効果があるかは疑問だが、この文脈で言えば、全く正攻法ではあるとは思われる。
【追記】
【識者談話】「母子家庭になるな」は国の責任放棄 上間陽子氏(琉球大教授) - 琉球新報デジタル
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1321729.html
沖縄で未婚の出生率が高い歴史的背景には、沖縄は米国の占領地だった時期があり、バースコントロール(産児制限)が効かない中で子どもを産むことが形成されていったことがある。
いやだから性教育を、と河野は言っているのだから、何も間違ってはいないでしょうが。
インタビューの全文を参照するなら、これは言い掛かりに近い。
突っ込むべきは、むしろ母子世帯を減らすために、性教育が果たして有効なのかといった所の方だろう。
あと、b:id:le_cinema 氏やb:id:aya_momo 氏、わざわざ太字にした部分が読めないのかな?
都合のいい解釈とかじゃなくて、河野が普通に「そういう意味で、母子世帯や子どもたちを支えていくということをしっかりやらないといけない。その問題を解決すると同時に、新たに生み出さないというところを強力に進めていく必要がある」と言ってるだろ。
「母子世帯を支える」貧困対策は、母子世帯を減らすという文脈と全く独立して述べられていることが分からん?
こういう脊髄反射で書き散らかしたコメントに星を付け合うの、ホントはてなを劣化させるからやめようぜ。
【追記2】
1日経って、トラバやコメントの反論見てみたけど、いやー酷いもんだね。
ちゃんと「理」を示して反論しようよ。ていうか、あっちもこっちもほとんど読んでないだろ。
理詰めで反論してくれてんのは、Pgm48p氏だけだよ。これはありがたい指摘。
反論てそうやってするもんだよ。
このやり取りが分かりやすいですが、子持ちと子なしの利害というのは鋭く対立します。
https://anond.hatelabo.jp/20210417233936
剥き出しのホンネを取り出せば、
子持ちは、子育て(社会の再生産)に貢献しない子なしは働けなくなったら(納税できなくなったら)速やかに死んで欲しいと考えています。我が子や孫が社会のフリーライダーの子なしの介護要員にされるのが嫌だというのです。
一方で、子なしは、自分が死んだ後の社会など心底どーでも良い、となります。老後を安楽に過ごすためのリソース(年金や介護要員)を社会に求めはしますが、死後の社会の存続には関心が無い。
私自身は既婚(DINKS)なので、自分だけでなく連れ合いにも幸せなまま寿命を迎えて欲しいと考えていますが、二人とも死んだ後の日本のことは正直知ったこっちゃありません。
現在の日本は少子高齢化が大きな問題と認識されていますので、私たちのような「子なし」の立場は厳しいものになると予想できます。
老人福祉を政府が放棄し、老後の世話は基本的に子や孫に看てもらう、という制度に日本が先祖返りする可能性は高いと考えています。それで生きていけない老人(子なし)は「安楽死」ということになるでしょう。
私たちが殺されないためには、まだ頭と体が動くうちに「子なし」の利害を代表する圧力団体のようなものを作る必要があると考えています。
主張はたった一つ「安楽な老後の生活は基本的人権であり、政府はその実現のために全力でリソース(人・モノ・カネ)を投入せよ」。
手段は正攻法の民主主義で、子なしの利益を実現する政治家に投票し寄付し、できれば代表者を国会に送り込むことです。
私たちを殺そうとしている子持ちとその子孫から生きる権利を獲得し護持するために政治参加しましょう。黙っていたら連中に殺される。
私個人は、普通に働いている今はまだ「子なし老人党」を創設するほどの暇は無いので、どのような政策が子なしの利益になるのか、どの政治家が子なしに有利な法律に賛成しているのか、などの情報発信を続けていきます。
例えば、外国から移民や出稼ぎ労働者を介護などの低賃金労働のために大規模に受け入れる政策転換は、(おそらく)子なしの老後の生活を維持するのに有利。移民二世三世は高確率で治安の悪化や社会の分断を招くが、その頃には私たちは寿命を迎えている(子孫がいる人にとっての問題に過ぎない)。
といった感じです。
ヤレるとおもったらヤる男だったら、いくらでもワンチャンつくれるけどさ。
おまえそういう時にヤる男が好きなのかよ。違うと思うぜ。
正攻法でいけ。
おしゃれして、楽しく会話して、笑顔でいろ。
その後どうなりたいかによらない?
→正攻法しかない。「好きです」って言わないゲームか?ってぐらいギリギリまで好意を伝える。
例)
◯◯さんのXXなところすごく素敵です。
◯◯さんの夢よく見ます。
◯◯さんと一緒にいれる子は幸せだなあ。
→結構直接ヤリたい旨を伝える。
例)
終電なくなりました。
お家で映画見たいです。
なんかすごい眠くなっちゃいました。
手、すごい大きいですね。(手を重ねる)
→ボディタッチも有効だけど、男女ともに慣れてない人がやるとなんか痴漢っぽくて男は怖がるからあんまりお勧めしない。
例)
◯◯さんともっとくっつきたいです。
◯◯さんにぎゅってしてほしい。
→超絶酔っ払う。お酒の力を利用してくっつく。(ボディタッチというより、体を寄せる的な)
※これは諸刃の剣で、その後連絡がぱったり途切れる可能性大。最終手段。
グッドラック!
コロナには気をつけてな!
これは本当にその通りだと思う。元増田じゃないけど、自分の好みを書くからおすすめを教えてください。お願いします。
ジャンルでいえばRPG・シミュレーションが好き。アクションが苦手。
Horizon Zero DawnとゼルダのおかげでオープンワールドRPGが面白いことがわかったが、なんせ3D酔いが辛い。ドラクエビルダーズでも酔うくらい耐性がないです。
オンライン対戦や協力プレイには興味がない。マイペースで遊べるゲームが好き。
<好きなゲーム>
Championship Managerだった頃から大好き。
毎年新しいのが出ており、マイナーチェンジを超えない作品もあったが近年はどんどん良くなっている。2021は最高傑作。
・ロマンシング・サガ
技のひらめきが楽しい、技をひらめく度に戦略性が変わるので戦闘に飽きない。
『スカーレットグレイス・緋色の野望』『スカーレットグレイス』『ミンストレル・ソング』の順番で好き。2と3もスーパーファミコンでかなり遊んだが、リメイクは期待外れだった(背景だけきれいになってキャラクターのドットの粗さが目についた、Reユニバースのキャラ絵のほうがきれいに見える)
先月『ファイナルファンタジーX』をプレイしたが、始まって3分で"FF10 ムービー スキップ"をググっていた。長いムービーを見るのがだるい、その時間の分遊びたい。
演出薄目のコマンド式RPG『オクトパス・トラベラー』は悪くなかったけれど、戦闘が単調で2週目をやろうとは思わなかった。(『スカーレットグレイス』は12週クリア済み、『スカーレットグレイス・緋色の野望』は9週目)
・女神転生
ペルソナは1・2の雰囲気が好き。3以降のコミュニティシステムも面白いけど、高校生の悩みとか聞くのはだるい。
初めてクリアしたアクションRPG。世界観とストーリーが良い。
狩りゲーだが、狩る対象が機械なので動物虐待的な感じがしない。
地形を利用する・ワイヤーや爆弾を使う等、アクションが苦手でも作戦で勝てるのでその工夫が面白かった。
3D酔いが辛かった。
・ゼルダBoW
Horizon Zero Dawnがクリアできたので、これもイケるのではと思い手を出してみた。
こちらも正攻法できつい敵には爆弾やマグネキャッチなど工夫で何とかなるので、クリアできた。
お使い感がほぼないところが好き。気ままに祠をやったり、料理したり、犬をなでたりとまったり楽しんだ。
焚火や夜空を眺めたり、まるで一人でキャンプをしているような楽しさがある。
3D酔いもわりと少な目でよかった。
<好きだったが新作はやらなくなったゲーム>
・三國志
たぶん10(武将プレイメインと君主プレイメインが交互に出ていた頃)までプレイしていたはず。
とくに代り映えせず必要スペックだけ上がっているのか、ゲームのテンポが悪くなっている気がするので最近はやっていない。
創造までプレイ。こちらも三國志と同じく代り映えなしかなと思っている。
お馬さんを育てるゲームは好きなのでまた遊びたいけれど、三國志・信長と同じくゲームシステムは代り映えせず、必要スペックだけ上がっているのだとしたら最新版を買うのも躊躇われる。どれを買えば良いのかわからない。
・アトリエ
アイテムを合成する系のゲームが好きなので、黄昏シリーズまではプレイ済み。
ユーディのアトリエが一番好きだった。どのシリーズも期限までに何かをすることが求められるが、ユーディはそういうのが無いのでひたすらまったりできる。
新しくなるたびに調合システムが複雑になって、もうそろそろ着いて行けなくなりそう。
ライザはシリーズが完結したら買うかもしれない。
新作出ない。Wizライクを探して遊んだりするが当たりは少ない。
最近のダンジョン潜る系はキャラが使い捨てになるゲームが多い気がする。キャラは愛着をもって育てたい派なのでそういうゲームがやりたい。
『ザンキゼロ』はダンジョンのギミックや武器の作成などは進化したウィズのようにも思えるが戦闘が十字キーを使ったヒット&アウェイ方式で忙しい。
そしてストーリーに癖がある。ゲーム途中でこれまでのお話が読める機能が使えるようになるが、「こんなしんどいストーリーを繰り返し読むユーザ居るのか?マジか?ボケてんのか?」と思ったのが印象に残っている。
何故かやらなくなった。
シムシティライクな『Cities Skyline』も買ってみたけど、Switch版だったせいか操作性がピンと来ず、遊ぶところまで行かなかった。
ヨーロッパのNGOがユニクロ告発したりウイグル関係でいろんな企業を攻撃している。
そりゃ不買運動になったら少なからず売上には響いてくるとは思うけど、中国とヨーロッパを天秤にかけた時、どっちが選ばれると思っているのだろう。
中国のことを悪者扱いすると客が怒り不買運動を始めるようになった。
昔は中国のお客様も比較的大人しかったから、西洋諸国も偉そうなこと言えたけどさ。
こうなった時、中国と比べてウンチみたいな市場しかないヨーロッパや日本に発言権はあるの?
(ユニクロ限定なら日本の売上が圧倒的なので日本に発言権はある)
そりゃ最近の資本主義では"正しくないこと"をすると売上が下がるけど、"正しくないこと"は国によって変わる。
そうなると一番お客様の多い国=市場規模の大きい国の"正しさ"が選ばれるようになる。
製造は東南アジアに移ってきたと言われているけど、正直東南アジアも実質中国だと思ってる。
西洋諸国が資本主義のルールで肥やした化け物はもう資本主義のルール無視の国の介入というズルいやり方でしか止められない。
資本主義を生み、資本主義で成長した国が資本主義無視のズルをすることは許されるのか?
ただ、中国から言わせてみれば、そもそも資本主義ではない国にお宅が成長するために無理やり資本主義を導入したことが原因であり、国の形を歪めないために必要な施策だったと言われるだろう。
そして、西洋諸国はそれでもメリットがあるからとその例外ルールを受け入れて中国市場にどんどん参入してきた。
まぁ本当は資本主義で中国を飲み込むつもりだったんだろうけど、中国に数の暴力で上手く立ち回られちゃって逆に資本主義が中国に飲み込まれちゃったね。
能力が高くなればなるほど、全体の平均から乖離が大きくなり、少数派になっていく。
頭が良ければ良いほどに正確な答えを出せるとして、全体で多数決を取るとどうなる?
その頭の良い人は少数派で、淘汰の対象になってしまう。つまり能力の高い人は、その能力を証明できなければ正攻法で勝つことができない。
サイコパスは、共感力がなく、無感情で、人を騙すことが得意だという。
相手を騙して主導権を握り、権力を得てから裏切る戦略が成立するなら、一見して悪人でも生き残る価値がある。
普通の人が普通に考えて普通の行動をしていたら、味方を吊ってしまうかもしれない。
そして、本当の狂人はそうなるよう仕向けてくる。平凡な善人が騙されて、村は終わりだ。
「生きる理由はないが、また、死ぬ理由もない。人生への軽蔑を示すべく、我々に残された唯一の方法は、それを受け入れることである。人生は、苦労して捨てるほどの価値もない。」
死にたくなる度に「人生は、苦労して捨てるほどの価値もない。」の一言で踏みとどまれる、なんとも救われる言葉だ。
この人の言葉をお守り代わりに持っておきたくて、詩集を近場にあった書店で注文したところ、既に絶版になっていた。
辛いことがあったなら、力をつけて何度もチャレンジして突破するのが正攻法なんでしょう。
でもそんな辛いことにわざわざ何度も当たっていけるなんて、そもそも芯の強いお方じゃないか。
社会の日陰者、クソ雑魚ナメクジにとっちゃ、そんなことめんどくさいじゃない。どうせ無理じゃない。
それならいっそ、墜落は避けつつ、ただ無理に上昇しようとせずに、低空飛行で淡々と生きる。そんなのもいいじゃないか。
忘れもしない高校2年の春、人生の転機となる出会いがありました。シンガポールへ家族旅行に行った時に、偶然出会った現地の日本人起業家です。緊張で何を言われたのか覚えていませんが、世界で事業を興す楽しさについて語りかけられた時、全身に鳥肌が立ったことを覚えています。心が震えて、その日の夜、一睡も出来ませんでした。
帰国すると、「世界で事業を作りたい」という想いを止められず、高校に行くのをやめて、海外に出ることを決めました。同時に、学校に自分の居場所を見つけられず、そのプレッシャーから逃げたかったのだと思います。英語圏で物価が安く、日本人がいなさそうな場所を探して、フィリピンのダバオという町を見つけ、ここに住むことを決めました
その後、2017年に事業作りの拠点を探してシンガポール、カンボジア、タイを周り、マレーシアを選びました。
東南アジアの英語圏で、シンガポール・香港は既に成熟して物価も高い。それに比べてマレーシアはまだ発展途上ですが着実に成長している、かつ様々な人種・宗教が入り混じる多国籍国家に魅力を感じました。
また、高校もろくに通っていないような自分が普通の正攻法を辿っても、大きな結果は生み出せないだろうと思いました。これから伸びる、成功例のまだ少ない場所から勝負する必要があった私にとってマレーシアは最良な国に思えました。
マレーシアの首都クアラルンプールに降り立ち、電車に乗ると、顔にターバンの様な布を巻いた人(ヒジャブと言います)に溢れており、中国語やヒンドゥー語、英語が飛び交うまさに異国の地でした。
こんな場所で本当に事業は興せるのか、不安でしたが、やれるという根拠のない自信だけはありました。
とはいえ、右も左も分からない状況だったので、現地で結果を出している起業家の元で働き、事業の作り方を学びたいと思い、気になった企業へ手当たり次第メール/電話をしてみることにしました。
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