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2024-08-11

要旨を理解してないコメントって、面白くないし結構多い。

最近このサービス日記を書きはじめ、コメントがつくのは嬉しい。こんなに反応がもらえるとは思ってなかった。

ただ、「文章が読めてない脊髄反射コメント」が多くて、まあそんなものよねと思ってしまう。

匿名コメントなら、別にそれも理解できるのだけど、匿名じゃない方コメントのほうが、そういうのが多くて、あなた本当にそれでいいの?って思ってしまう。

文章は本筋の内容を具体的な説明と補強のために「例え話やエピソードを交える」わけだけど、そこについて噛み付き持論を述べる人がすごく多い。

中学高校の論説文の読み方で、「例は要旨には関係ない」って習ったはずだと思うけど、それができてない人ってすごく多いのだなと思う。

それはメディアとかの「切り抜き報道」にもよく言われることだと思うわけで、要旨を捉えることが出来ない人が多いからこそ、その切り抜き報道がまかり通ってしまうのかなとも思う。

メディアはあえて切り抜いて扇動してるのか、もしくは本当に頭が悪いのかはわからないけど。どちらも存在するかもしれない。

とにかく、多くの人間感情的理性的物事を見ることが難しいのだなということを、ここで日記を書き始めてよくわかった。

こう言うことを書くと、確実に「長くて分かりづらい文章を書く方が悪い」というような言い方をする人が出てくると思うし、そういう方が3行でまとめろと言うのだろうけど、3行でまとめたらまとめたで書いてないことを想像で補って噛み付く人もたくさん見てるから、多分読解力の問題なんだろうとは思う。

中でもちゃんコメントとして参考になる人もあるし、明らかに要旨を理解しようとしてないボケ?なのかなんなのかを目的としたコメントは、賑やかしとして面白いと思ってるからそれはそれで良いと思う。

最近スカッとするニュースが多すぎる

こんな幸せでいいのかな

最近弱者男性フェミ化してない?

しまむら男性蔑視キャンセル

男性体臭に苦言を呈した女子アナキャンセル

チー牛→いつの間にか差別用語になる

弱者男性女性キャンセルするのが普通になってきてる感

男なら男らしく女に何言われても耐えるのが美学じゃなかったのか

そういえば最近オモコロポテチ光秀見かけないな

ストレスが毛になってる気がする

ここ最近で腕毛が1.2倍くらい長くなった

しんどい

最近Tik Tokでよく流れてくる男女混合アイドルグループ女の子、歌もダンスうまいのに喋ると天真爛漫を絵に描いたような笑顔が可愛らしい

anond:20240811140710

日本国憲法には全ての国民生命自由及び幸福を追求できる幸福追求権が明記されています。なので、「死ね」という発言、「死んでくださーーーい」という記述のいずれも基本的に許されることもなく、故に最近急速に芸人がその言葉を発する頻度は減少しています子供がよく「死ね」を発するのはアニメ漫画の影響が大きいと思いますが、適切な教育によって改善されますね。どちらかと言うと、

場合によっては「死ね」が許されるのだから「死んでくださーーーい」を書くのがダメ理由がわからない

というあなたの考え方は非常に歪んでいて、

やっぱり私たちも「死ね」とか軽々しく言ったり書いたりしちゃいけないんだよねって再認識しました

くらいがちょうどいいのだと思いますよ。

あってよかったハンドブレーキ

なんか最近フットブレーキ調子が悪く、赤信号で止まれなくてクラクションハザードで譲ってもらっていて申し訳ない思いをしていたんだ

今日ふと思いついてハンドブレーキ使ったらピタッと止まれるようになって、かなり運転やすくなった

anond:20240811133006

最近見かけなかったけど何してたん?婚活?うまくいくといいね

最近のツクラー無恥厚顔すぎんか?

〇〇と言うゲームに影響を受けました!とかリスペクトしてます!とか言って話や結末が全く同じ内容の作品作ったり、ソックリな敵キャラとか出て来る。マジで倫理観無い。

うる星やつらアラレちゃんケンシロウウルトラマン無許可で出て来る80年代と何ら変わらん。やっぱ歴史って繰り返すんスね~

遅刻する人(発達障害以外で)

って何で遅刻するんだろう?

障害がある人はまぁ分かるから置いといて。


私は絶対遅刻しないタイプ絶対絶対に30分以上前に着いておきたい。

前日から、どの電車に乗るか、その電車に乗るためには何時に起きて何時にご飯食べて何時にメイクして何時に家を出ればいいか逆算して

すべてメモ帳に書き出し、余裕を持ってその+30分前に行動するタイプ

軽めの強迫観念ある。

万が一遅れたら、そっちの方が精神的にキツイので。

遅れてしまっている、どうしよう、って心臓バクバクしてこんなことなもっと早く起きればよかった、もっと早く行動していればって

ずーっと後悔し続けて吐き気がしてくる。

そんなことになるくらいなら遅刻しないという選択肢を選ぶ。

どんなに時間無駄になっても早めに行動したい。

ちなみに、待ち合わせ相手がいる場合相手が遅れても特に何も思わない。どうでもいい。

自分がその時間を守れているかどうかだけが大事


自分がこんな感じだから遅刻する人って本当になんでなのかが分からない。

遅刻した、最悪だという感覚はないのかな?

キドキしないのかな?


フワちゃんとか中丸とか稲田とか最近言われてるけど、遅刻魔らしい。

まぁフワちゃん障害ありそうなので分かるんだけど、他ふたりはそうも見えない。

なんかこう、私とは見えている世界が違いそう。

全然違う感覚で生きてそう。

ある意味でうらやましい。


そもそも日本時間に厳しすぎると思うし、もっとゆるくてもいいとは思うんだけど、

自分にその感覚適用できないため

どうやったら遅刻してもまぁいいか!みたいなメンタルになれるのか知りたい。

私には無理のような気もするけど

anond:20240210182230

ブコメ最近トレンドは詰め替えを詰め替えずに使うことだよってあるけど、これできるのキャップタイプのやつだけなんだよね……

完全に切り口を切り離してしまタイプの詰め替え、まあワイドハイターEXなんだけど最初に買った本体のが小さい方だったかいつまでも詰め替えが割高の小サイズしか買えない

だってサイズも切り離すタイプなんだもんな

そういうサイズの大小の問題もあって不便だなと思う

詰め替え全部キャップタイプになってくれ~

一回でかいボトルを買えばいいだけなんだけどな

シャンプーとか食器用洗剤とかもこのタイプ結構いから……

スタバコーヒーとか高くてよう飲まん。コンビニコーヒーの話をしろ

スタバコーヒーチェーンのテッペンだぜぇ~馬鹿にする奴らは味覚障害だぜぇ~!!!

っていう増田がバズってたけど、スタバタリーズエクセルシオール最近高くてな

店のコーヒーコンビニコーヒーしかほぼ飲まん

個人的にはセブンローソンが別方向に美味くて二大巨頭だと思ってるけど最近リニューアルしたファミマコーヒーはまあまあだった

コンビニコーヒーの中でもちょっと高いモカブレンドとかあるけどあれは各社ちゃんと美味いよな

ファミマコーヒーモカブレンドに絞ってもうちょい安く売ってくれんかと思う程度には美味い

とまあここまでがワイの推しコンビニコーヒーの話

お前らの推しコンビニコーヒー教えろや

anond:20240811121841

いや清潔感ルッキズムじゃ無いぞ?

プライベートな場面だろうと差別差別ルッキズムも良く無いって最近問題視されているが、そもそも清潔感ルッキズムじゃないんだよ・・・。なんか誤解されがちだけど。

昔は読んだ漫画小説タイトルとか覚えてられたのに最近全然無理。

人に薦めるとき

「あーえっと、なんとかって風のタイトルがー」

ってなる。

例えば「こち亀」って何やねん!

って当時は思ったけど、あれは正しい戦略だったんだね。

あの時は、こちら葛飾区亀有公園前派出所って、ソラで言えたんだけど。

若者に媚びやがって!」って思ったけど

こち亀」は老人対応だったんだね。

もちろん、こちら葛飾区亀有公園前派出所は今でも言えるけど

追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフ謳歌する。 ~俺は武器だけじゃなく、あらゆるものに『強化ポイント』を付与できるし、俺の意思でいつでも効果を解除できるけど、残った人たち大丈夫?~」とか覚えるの大変だし、しか

雑用付与術視が自分の「最強」に気付くまで〜迷惑をかけないよう、出来れば役に立つように生きてきましたが、追放されたので好きに生きることにしました。そちらのパーティー崩壊しているようですが知らないです〜」とか

予算ゼロ!? 錬金術協会で基礎研究をしていましたが、退職して学生時代の友人(女騎士)の開発環境を手伝うことにしました。下準備を一手に引き受けていた古巣から泣きが入りましたが、今さら戻るとか無理なんで。」

とか

生産魔法師、休みなし・安月給のブラック騎士団に、生産職のくせに生意気だとクビにさせる〜代わりが見つからす、金も武器もなかなったから戻ってこいと言うが知らん。こっちは辺境で楽しく生産ライフを送っているので」

とか、しっかり内容説明されてるのに、他のタイトルと何故か印象が交じるんだよね。

「砂魔法で砂の王国を作ろう〜砂属性なんて使えないと国から砂漠追放されたら、魔法砂の城を生み出し、オアシスを作りスローライフ満喫していた筈が、いつの間にか祖国を上回る巨大国家が出来上がっていた!〜」

とかちゃんとタイトル読むと全然内容が違うのは分かるのに、脳が勝手に同じジャンルカテゴライズしてしまう。

 「無駄だと追放された【宮廷獣医】、獣の国に好待遇で招かれる~森で助けた神獣とケモ耳美少女達にめちゃくちゃ溺愛されながらスローライフを楽しんでる「動物が言うこと聞かなくなったから帰って来い?今更もう遅い」~」とかもそうだけど、文字数制限無いのかな??無いならいっそ、ジュゲムジュゲムくらい限界に挑戦したラノベが出てきても面白そうなんだけど、不思議とそーゆーラノベはまだ出てきてないみたいだね。

anond:20240811094930

最近ミステリ読むけどSFよりはマシ大抵のなろうよりも上

でもラノベの方が読ませる文章してたりする

SFはなろうの上澄み以下だけど、なろうレベルではSFは書けないか問題なし

(長文愚痴失礼します)成長した「障害児」である私と、母

使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名場所に吐き出したかったので失礼します。

読みにくい文章だと思います。ごめんなさい。

私は生まれた時から発達障害であったらしいです。

そんな私は障害言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分自己嫌悪を抱いて生きてきました。

そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。

ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。

いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のもの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴しかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。

現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています中学の途中からいじめ不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります本来大学生社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在高校生活4年目を過ごしています

また、普通ことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイト面接でずっと落とされているのですが……

母は50代。私が生まれから範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています

他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在単身赴任中ですが。

現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。

正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから

ですが、私視点言い訳しかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパン放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手食器を洗ってくれます。そうしては

「なんで私に食器洗いをさせるんだ、私は召使か」

と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳しかなりませんが。

洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると

「腐るでしょう」

と怒ってきます調味料トラブルもこのせいです。

先述しましたが、こんな状態リビングにいては私も疲れてしまます我慢できれば良いのでしょうが毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、

「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」

と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。

あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨誘導してくることがあります

たとえばラーメン屋に一緒に行った時。

「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」

別に嫌じゃないから早よ食べたい」

「でもママは嫌だよ?」

これはほとんど本来の会話そのままで最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。

その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も

テイクアウトどれがいい?」

餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」

「あれは冷凍食品だよ」

「知ってる、関係ない、餃子がいい」

「あっこれも美味しそうだよ」

餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!

「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」
と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。

こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチン冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います

「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」

内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまたかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると

「できない子なのに頑張っててえらいね!」

といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。

なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。

そこからは当たり前に母の説教が始まります

「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」

「どうせできないから、無理だから、って言うんでしょ」

ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」

「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」

「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」

「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」

「頑張って大人びないの」

料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」

「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」

など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます

極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。

結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」

母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。

思えば昔からずっと苦手でした。

比較最近出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日とある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。

「声が出なくなった」

と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断しました。

結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親から説教の内容に私は耳を疑いました。

多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教覚悟はしていました。

「なんで救急車を呼んだ、社会迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」

なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。

リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。
そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。

この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。

この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後

毒親系の本買って勉強してみたけど私は全然マシだよね」

と言ってきたり、反抗期のような状態にあった中学時代の私が

他人が私の気持ちがわかると思わないで」

といったら、

他人!?家族他人だって言うの!?

と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスシルバニアの家が欲しいと言えば最初から

「さすがに子供っぽいよ」

と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、

私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティ写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら

「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」

と大泣きしたり、いろいろなことがありました。

こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。

私はこれらの経験を通じて出した結論として、

ペット愛玩動物扱い」なのか、

自分の子供で、自分の一部扱い」なのか、

自分という可愛い存在の装飾品の一部」なのかわかりませんが

少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。

自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分料理をするようにした際も、

「私の料理が食べられないのか」

露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。

おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。

いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。

そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物ケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。

こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています

私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います

私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます

結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います

別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。

本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。

ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手戯言最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから綺麗事しか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。

過去1384日間で393回セックスした

40代男性。買い置きのコンドームが無くなったのでアマゾンで注文した。

ここ数年、コンドームは必ずアマゾンで購入している。ふと気になって購入履歴検索した。

初めてコンドームを購入したのは2020年10月27日で、それから今日までに393個のコンドームを購入したらしい。

最近買っていなかったが、サガミオリジナルを買う時はLサイズを買っている。別にチンコデカいわけではなくポリウレタン製で伸びが悪いかなのだが、

巨根になった気がして気分が良い。使用感は特別良くもなくて買うのをやめた。

雑に単純計算すると、1384日間で393回≒約3.5日で1回の頻度でいたしていることになるらしい。日に数回したとか、生でやったとか、破れたとかはあるけど。

anond:20240811094013

ごく最近やらかして亡くなった人いたねぇ。騎手だっけ

あれ、擁護できないからどう言っていいやらわからんかった

anond:20240811075331

最近は「コミュニティの一生」って長いライフサイクルじゃなく、「コミュニティの一瞬崩壊」っていうのに近い

馬鹿集団がThreadsとかBlueskyとかに一気に流入する現象

誇らしかった瞬間

小学生のころ

ある日、「校庭でボール遊びをしていたらうっかり学校の窓ガラスを割ってしまったので、職員室にいる担任に話しかけて謝る」というシチュエーションのロールプレイをさせられた。趣旨としては、やらかしときに失礼ではない謝り方ができるようにしましょう、ということだったんだと思う。

僻地クラスメイト10人もいなかったから、みんな順番に、みんなの前でロールプレイをしていった。

先生!ごめんなさい、ボールで窓を割っちゃって……」みたいな感じで、みんな順次謝っていく。俺もよくわからんままみんなとほとんど同じような演技をした。

で、ひととおり終わった後、先生は言った。「みんな悪くはなかったんだけど、合格だったのは増田くんだけでした。増田くんのどこがよかったかわかる人?」

みんな分かんなかったし、俺も分かんなかった。沈黙……

「正解はね、増田くんは『先生、…今いいですか?すみませんボールで窓を割ってしまって…』って、最初に私の都合を確認してくれたの。相手がいま忙しいかもしれない、っていうところにまで気遣いをしないとね」

正直完全に無意識だった。

からこそ誇らしかった。

俺は小学生にして無意識気遣いができるようになっていた。今はむしろ気が利かないほうだと自認しているが………

最近

ちょうど正月あたりに彼女の家に泊まっていた。

店も閉まってるし、わりと何をするでもなくダラダラ過ごしていた。

三が日の気だるい朝、彼女が話しかけてきた。

「ね、これって(増田)が書いたんじゃない?」

見せられたのはTwitterで誰かが俺の書いた増田を紹介してプチバズしているポストだった。

その増田炎上系とか知識系ではなくて、素直な気持ちを書き殴ったような、いうなればポエム系の増田だった。

すげーいい記事だとして紹介されていて、1万いいねとか集めていた。正直ビビったし、その時点でかなり嬉しかった。

俺は素直に認めた。文体の感じや、書いてあるエピソードで分かったということだった。

認めたら、彼女は「やっぱ(増田)が好きやなあ…」と感慨深げに呟いて抱きついてきた。

俺はこんなに嬉しいことってある?となかば信じられない気持ちになった。そのあと、動じてないフリをしながら2時間くらいエゴサしていた。俺はカス

anond:20240811030147

最近テレビで見掛けないけど、フワちゃん自殺してたりしないかフワんだわ。

anond:20240810180901

ひとくちに右翼といっても旧来のゴリゴリ教条的なやつから最近参政党や日本保守党ファンみたいなフワフワした空気で動く情緒保守層までいるわけだ。

「旧来のゴリゴリの」が親イスラエルというか、はっきりと反パレスチナなのは不思議という方が不思議ではないだろうか? 重信房子とかテルアビブ空港乱射事件歴史的インパクトに照らせば。

一方の「最近情緒保守層」は妙にトランプを慕っている。アメリカ宗教保守にもどちらかといえばシンパシーを持っているだろう。シオニスト友達の友達友達というわけだ。そこにはやや飛躍があるが、それは本邦ネトウヨの発想が飛躍してると言うより、アメリカ国内でのキリスト教右派シオニズムの結びつきにそもそもギャップを無理やり繋ぐ飛躍があるというべきだろう。


しかし彼ら情緒保守層が何を支持するかの選択誘導してるのは「〇〇が好きだから応援したい!」というプラスインセンティブより強く「✕✕なんかとつるんでるやつはどうせろくでもない」といった負の感情だろう。

そこでは「バカ右翼の考えることはわけがわかりませんなぁ〜」という蔑視の目が重要役割果たしている。

百田とかがテキトーに示した道筋の沿道両脇を和式リベラルが固めてコースを逸れないようにがっちり協力しているのだ。

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福音派シオニズムの結びつきのシリアスさについての理解も肌感覚当方持ち合わせない。それは日本人がキビヤック作法に通じないくら本来アタリメエのことだが、「なんで欧米がああまでユダヤイスラエルキンタマ握られてるのか」不思議に思うならそこは調べないといけないだろうな。とはいえ表面的な記述をなぞっても意味なさげ

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保守というのはリベラルと同様に自称であり僭称であって本来もっと適当呼び方を考えるべきではある

anond:20240810194529

ドン引きさせたり面倒くさがらせたりしたら勝ちなのが最近レスバや だから極端な話意味があることをいう必要すらない 5chの荒らしみたいにスクリプトとかでもいい そんで相手が去ったら勝利宣言すればいい 最近の頭悪い人負向けにシンプルになったんだよな

文章を書くことは苦しい営為

中学生の頃からはてな、なろう、Twitter個人ブログnote、某ゲームファンサイトなどを渡り歩いて、エッセイからファンタジー小説に至るまで思いつく限りほとんどのジャンル文章を書いてきた。主戦場匿名はてなとXにして、小説を紡ぐことよりも自分の考えを言語化することのほうが増えたという違いはあるが、今でもこうして文章を書いている。

このような過去から察せられる通り、自分文章を書くことが好きだ。ただ、好きかどうかと得意かどうかは別だというのは世の常で、好きではあるのだがいつも途中で投げ出してしまう。長編小説には幾度となくトライしてきたが、結局一本も書ききることはできなかった。短編小説はてなダイアリーなどの比較的短い文章であっても、さらに言えば140文字制限があって小学生の作文用紙の半分以下しか書けないXの投稿であっても、ブラウザの戻るボタンを押して、途中まで書いた文章を、途中まで書いたという事実ごと消し飛ばしたことが多々ある。

最後まで書ききれないということに自分はある種のコンプレックスを感じる。「あいつ途中で辞めたな」とか思われたくないからやめるときサービスアカウントごと消すこともあるし、リアルでの知り合いにははじめから絶対に見せない。

このコンプレックスを解消するのはとても簡単で、ただ単にとりあえず最後まで書けばいいのである。こんな性分であっても、繰り返すようだが自分文章を書くのが好きなので小説家になるための本みたいなのを読んで自分の本が八重洲ブックセンターの目立つ棚に置いてあるイメージを膨らませたりもしていた。その本を執筆したプロ小説先生も「はじめはとにかく一作品書いてみよう」と仰っているのである。その本によれば、最後まで書くというのはストーリー矛盾やほころびには完全に目を瞑り、書きたかったラストまでを勢いで書き通して「めでたしめでたし」で締めくくるということだった。文章を書いている中で一番迷い、投げ出したくなるポイントストーリー構成がしっかりしていて、論理的妥当であるかどうかを黙考するところであるのでそれを無視していいのなら時間と道具さえあれば誰だってできる。

しかし、この誰にでもできそうなことが思ったようにできないのである。「難しいことはいったん無視していいよ」とどんなに高名な先生が仰ったところで、ほかならぬ自分自身がそれを許さないのである。とりあえず最後まで書く、ということが三日坊主自己嫌悪を解く鍵であって、その上で作品主観的客観的分析する初めの一歩であることは理解しているが、それよりも今目の前にあるプロットに悩むのである

このような事実について考えてみたが、結局文章を書くということは必然的に苦しみを伴うのだと思う。小説を書く場合でも、自分意見を表明する場合でも、脳内にある自分アイデアパソコンディスプレイ上に映っているときにはすでに元の形を残していない。言語化ができなくて自分脳内と外の世界の間にある壁を越えられないアイデアがあるし、脳内からうまく取り出した言葉の塊を読むに堪える文章にするためにつなぎが必要になる。要するに、自分脳内にあるもの自分が書いたものの間には共通項もあるが、脳内しかないもの、書いたものしかないもの無視できない量存在するのだ。しかも、文章化には自分が現時点でもっているありあわせの知識しか使えない。ところで『もしもピアノが弾けたなら』という西田敏行名曲があるが、この曲の中では「もしもピアノが弾けたなら思いのすべてを歌にしてきみに伝えることだろう」から「だけどぼくにはピアノがない きみと夢みることもない」と続く。文章を書くのも同様で伝えたい思いがあっても、それを媒介する道具がなければ伝えることができない。それは当然の事実ではあるがとても辛いことである。ありあわせの知識、というのは青を表すのに群青、藍、瑠璃色スカイブルーなどがあるみたいな表現するための単語としての知識だけでなく、物語に転機が訪れるのを天気の移り変わりに描写する、賛否両論あることについて自分意見を述べるときにはたしかに~と言われているが私は~と思うという議論の流れにする、みたいな文章の書き方の知識も含まれる。

そうすると言いたいことを言語化するとその瞬間、自分がもともと言いたかたことと一般常識が混濁するのだ。言語化するまでは、よしこれを文章にしてみんなに教えてあげよう、と思っていることが明確な仕切りをもって脳内にあるが、文章にする段階でありあわせの知識という不純物が入り、ボーダーラインが薄れていく。これは辛いことであるだけでなく、不気味なことでもある。自分の言いたいことを言っていたはずが、自分普段そんなこと考えないけど、知ってはいるような言葉が混ざっている。自分の書いた文章を読むと離人症のような恐怖に襲われる。この恐怖を避ける方法は3つしかない。1つ目は自分が書いたもの100%他人のものである断じてしまうことである中学生の頃の日記が掘り起こされたときに、「あれは黒歴史だ。」と言うのは暗に今の自分はそんなこと考えないし、そんなこと言わないと表明しているのであり、過去自分現在自分の間を壁で分断することで自己防衛を試みている。2つ目は繰り返し考えていた自分文章をまるごと消すという方法である。つい最近書いたものを見て、あれを書いたころの自分と今の自分は違う、と断言するのは無理があるので怖いものを見えなくするのは当然の反応だ。文章を途中で投げ出さないためには一番手っ取り早い恐怖の取り除き方を乗り越えて恐怖と向き合う必要がある。そのうえで自分自身と目の前の文章の間に壁を作らない方法で折り合う必要がある。つまり、3つ目の方法文章100%自分のものにすることである。もちろん、自分が書いた文章にらめっこするだけでは、ただ嫌気がさしてさらなる自己嫌悪に陥るだけであるし、バックスペースを押してすべてを無に帰すまでの時間を延ばすに過ぎない。まず自分が書いた文章を読んだときに感じる恥ずかしさやもどかしさを我慢する必要がある。そのうえで文章を丁寧に精査して、自分意見と異なるものに関して、別のありあわせの知識と置き換えるか、反芻することによって自分意見の中に吸収する。それを繰り返していくことでいつか自分脳内文章が一致する。

根本的に言葉というのは他者と、お互いの内面を交換するためのメディアであるから自分意見が初めから脳内に整然とした文章存在していることはあり得ない。そう考えると文章化というのはなにか義務のような行いで、自分意見言語化せずに完全な状態のまま保っておくのが良いように感じるが、恐怖に向き合って自分の考えを文章にすることに意義はあると思う。先ほど文章100%自分のものにする方法最後で、自分意見と異なるものを反芻して吸収すると言った。これによって自分意見言語化するあいだに自分意見をより大きくすることができるのだ。だから文章を書くことは苦しいが、何度失敗してもやめられないのだろう。

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