はてなキーワード: 日本企業とは
父親がオムロンで電気治療器を購入したのだが、強さを調整する段階で、すぐにエラーが出て使い物にならなかったので、当然保証期間内なんで修理のために送り返した。
不良品売りつけておいて、送料はこっち持ち。
これだけでも腹が立つのに、早々に自宅に戻ってきたと思ったら「そんなエラーはでませんでした」とのこと。
試してみるとやっぱりエラーが表示されて使い物にならん。
最近日本企業の不祥事が多すぎるし、日本クオリティー神話はまがい物だったことがはっきりしたわけだが、オムロンもひどすぎる。
遠くない将来、中国製のほうがいいよねってなりそう。
アニメーター、イラストレーターが引き抜かれるという話を聞いて。
僕も起業しての技術持ちだが、役所は書類の山と費用の枠組みとスケジュールがめちゃくちゃなのであてにできない。
これで育つベンチャーなんかおるんか?って感じ。
ただ、中国企業が、これなら中国で売れる、近くに来たらよってという話がある。日本企業は、、、、まあ、一社おっかなびっくりで話を聞いてみたいというのが
一応あるけどね。ほかに筋良さそうかな?と話した企業にアポの依頼したが全然返答がない。事情があってスケジュールが確定できないのもあるんだが、、、。
うちの開発がまだ実用からは遠いというのはそうではあるんだけどね。
でも、説明してすぐにこれいいよ、来てと言ってくれた中国会社と雲泥の差があるのは感じる。
まあ、僕もそりゃ認められたい人間なんだろうね。そう言われて悪い気はしない。技術奪われるだけかもと考えたりする。
日本企業は違うの?と言われたら日本企業も技術を奪って捨てるだけかもしれないとは思う。企業のえげつなさだけなら万国共通かもしれない。
また、僕の技術は一応は特許も出しているし。できればパテントマップ構成できるぐらいいっぱい出したいし、技術的なネタはあるけど、費用的に無理だけど。
そりゃー、なあなあでおだてて心地よくさせてくれて上の覚えが良いやつを情で昇進させてりゃそうなるよねー。
そのおだてしかできない奴も渡り続けてれば会社の重鎮になっていくんだがねぇ。
上が心地よいことが大前提で、実際に売れるものを作るというのはだいぶ後。
むしろ上司に逆らう奴はさっさと人事権行使して首にしろと。まあ、僕やめたんだがもう潰れるって話なんだが。それが日本の多くの企業。
技術や営業頑張るやつではどうにもならない厚い天井。いや、そもそも、技術営業頑張る奴が必要とされてるのか?と感じる社会。
本当に売れる技術、営業を視野に入れた開発、そんなものを主張するより、今上が現場ガン無視で思いついたアイデアが優秀だから、
それを失敗じゃない形でこなしてくれるヤツのほうがいいんだろうね。
上の覚えよくしてくれるホストがほしいだけじゃないのかあんたら。ホストに溺れるネーチャンばかりかこの国の会社の管理職は。
最後其のネーチャンみたいな管理職は金が詰まって風俗送りになるだけなんだけどね。
日本もう終わりなんだなーという感じがしてくるね。
昔から頭脳流出によって、優秀な学生ほど海外に出ていったりしていたけど、それが加速するだけだよね。
結局、その英語教育の結果、今の日本に残って働きたいって人間は味噌っカスばかりで全然国益のためにならないと思うんだけど。
いや、日本がどんどん成長していって、あらゆる分野で先端を突っ走っていて給料水準も他国と比べて高く、普通に60歳で定年後、十分な年金受給みたいな老後の心配なく生活できるような社会だったらその英語力を日本企業のために使おうってことになると思う。
政治家が長きにわたって馬鹿な政策をし続けたおかげで、世界一の超高齢社会ができあがり(逆にこんな悲惨なことで世界一になるってすごい)、負担ばかりが増え、増税しか脳のない政治家が行う政策は増税増税、
増税だけじゃない。将来の保証も削りに削る。年金なんてもう75歳から発給開始することを議論し始めている。今の自民を支持する若者なんてどれだけ将来が絶望的かわかってるのかな?
高齢化だけでも悲惨なのに、子育てしにくい社会を作り少子化が加速することになったが、少子化対策はとことん無視し続けて、政治家は今のこの悲惨な日本社会を意図的に作ったわけだけど、国民も馬鹿でそんな目先の経済政策を望んで支持したんだから自業自得か。
この超老人社会を資源国でもない日本がどう立ち回るつもりなのか見ものだが、政治家にまともな思考があれば高齢化を止めようとするけど、今なお超過剰医療で介護老人を大量量産。病院は病気でもないジジババ集めてお薬大量投与。
あとわずか23年後の2040年には老人だらけで若者がおらず、国際競争力はゼロに近いだろうし、内需も老人だけじゃ何も生み出さないだろう。
現時点で、あらゆる業界が新興国に抜かれ、これからさらに伸びていくIT業界なんて超後進国。ビジネスはビジネスで欧米で流行ったビジネスのコピー。まあ今に始まったことではないが。
うちの娘も「日本ヤバイ」をよく口にするのだが、12歳のガキとは思えんほどの危機感を持っている。
日本国内で子供の未来が本当に見えない。日本の未来も見えないけど。
だから自分は、英語教育は政治家の俺たち日本を内部から回復不能なまでに破壊するから、助かりたかったら脱出しろってメッセージとして受け取っている。
もうすぐ二十七歳になる。
紙に書いて壁に貼って、誕生日になったら剥がせばいいのかもしれない。
「今、俺は26歳! 社会人4年目! ここが頑張りどき!」
みたいなことを正月にでも筆で書いて、壁に貼っておく。
誕生日が来たら剥がす。そして次を貼る。
「今、俺は27歳! 社会人5年目! 上からの評価だけでなく、後輩の育成も、ね!」
時間は流れてゆく。
いや、流れているはずだ。
僕の中の時間は止まったまま、現実世界の時間だけが過ぎている。
27歳になるのもビックリする。
22歳になったときはまだ覚えている。
そこからの5年、何かあったのか?
子供のいたずらで、時計を針をぐるぐると何回も何回もまわして、気がついたら2017年になっていたような気さえする。
サラリーマンになんてなりたくなかった。
フリーターになって夢を追うとか、まあそのぐらいの選択肢はあったけれど、実質的に就職する以外の選択肢はなかった。
労働ということに、価値を見出せなかった。今もそうだが、昔からそうだった。
就職活動。
長い年月を費やしたけれど、今の僕にはほとんど記憶がないのは、忌々しい記憶だったからだろう。
長い就職活動だった。
会社に入ってくる後輩は、学歴も就職活動のハードさも、ワンランクもツーランクも落ちるような奴らだった。
結局は運なのだと思う。
僕の同期は、就職留年したり、未だに実家に寄生したりするが、それはなんだったのだろうか?
そんなものは存在しなかったかのように、日経平均は上昇し続けている。
そして僕もまた、そんなものは存在しなかったかのように、安定した暮らしをしている…
リクルート的な価値観に従うならば、仕事というのは自己実現の手段でなければならない。
仕事を通して、大きな変化を社会に与えて、それを通して自分という存在が救われるのである。
その文脈において、僕がしている仕事は、まったく価値のないものでしかない。
僕の勤めている会社の利益だけを考え、その関係者だけが幸せになるものでしかない。
やっていることが、FAXからExcelの穴埋めに変わったくらいか。
技術者気質だが、管理職としての自分の役割も理解して、高いレベルでバランスのいい部長がいて、
放任気質でどうでもいいところはノータッチにして、締めなければいけないところは締める課長がいて、やりやすい。
そういう上司のもとで、それなりの成果が出せている気がする。
そんな恵まれた環境でも、三年目くらいまで、どうしようもないくらいの焦燥感があった。
自分の技術力とか、会社の求めているマネジメント能力とか、そういうものへの反発があった。
早晩潰されてしまうのではないか、という不安は常にあったけれど、色んなものに恵まれて、そんなことはなかった。
僕が居心地がいい環境というのは、ずっとなかった。
家庭でも、学校でも、バイト先でも、そんな環境はなかった。友達や恋人の部屋でさえも、僕は居心地の悪さを感じていた。
極力シンプルに生きようと思っている。
平日はそれで過ぎていく。
休日に色んなことを考えてしまうが、それだけが僕の生きている時間なのだと思う。
平日はそれでいいと思う。
よくもわるくも、僕はサラリーマン(社畜)である自分を受け入れつつある。
今の日本には、僕と同い年で、同じくらいの給料をもらえている人間なんてほとんどいないのだ。
けれど、それは結局、失われた20年に突入した日本の大半の若者が得られなかった、ある時代は当たり前だった待遇でしかないのだと思う。
もちろんそういう詭弁をもって、仕事をやめて、自由を手にしようということではない。
何が言いたいかというと、このままだと、僕に許された幸福に続く道のりは、
いい奥さんをもらい、仕事を頑張り続けることだということしか残されていない、ということなのだ。
幸福に関しては書きたいことがたくさんあるけれど、はたしてそんなことなのだろうか?
僕にはわからない。
わかる人間なんているのだろうか?
この文章で、誰かを批判しようとか、肯定しようとかいう気持ちは一切ない。
確かにそれはそうだと思うし、そこでは日本国の理念とは何か?が問われる訳だが、誰も何も考えてないんじゃないかな、という点が一点と、逆に「全く変えない」となると、現実との乖離が出てくるわけでそこをどうするかが問題になるが。
例えば、安保法制も基本的には米国からの指示だろうし、どうこう足掻いた所でどうにかなる問題でもないと思う、日本共産党が独裁を始める等の例外事項が起こらない限り。
また、現実的に自衛隊がある訳だが、「今まで通り自衛隊を憲法に明記しないで、ナアナアで行くのか?」という点もある。
でもそうすると、あれほど忖度忖度と言っていた人達が静かになる訳だが。
結局、神戸製鋼も東芝も日本郵政もシャープも「ナアナアで忖度してやってきたからこんなことになったのでは無いか?」という疑念はぬぐえないし、今の日本企業の大半もそうでは無いかと思う。
要するに「怠惰」や「驕り」だと思う。
あんなモノはイキりオタクのするものであると。憑き物に憑かれているんじゃねーか(ワラワラ、的な感じ。
いやどうかな、という話だと思う。
はてなでは「そんなもん気にする人の方が少数派なのに
そんなノイジーマイノリティの為に下らない配慮をさせられて表現の自由度が減っているのはけしからん」
的に決めつける物言いが多いけど
実際は「そうすると売れるから(そうしないと売れないから)」って商業的な事情の方が大きいんだろうな。
つまり、「そんなもん気にする人」は沢山いるわけで。
その辺を配慮したワンダーウーマンは大ヒットしたし(日本ではいまいちだが、世界的には)、その前にアナ雪が大ヒットしたのも記憶に新しい。
それ以外にも、洋画や洋アニメの世界では「ポリコレを配慮した作品でなければ売れない」と言うのが定説になって来ている。
LGBT市場も人口の1割と言われて、相当大きいと言われてるのに
今の所まだまだ商業介入が少ないブルーオーシャン扱いだからこそ市場として狙われているだけで、
別に「儲かりもしないのに嫌々配慮させられている」訳ではない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171029165127
hanyan0401 素朴な疑問ですが、その人権意識が日本の遙か先を行っている欧米で、現代的な感覚が希薄な日本企業である任天堂謹製のマリオやゼルダ等のゲームが、日本と変わらず人気を博しているのはなぜなのでしょうか。
恐らくゲーム、それもストーリー性やキャラクター性で売れている作品ではないものの場合は
「ゲームとして面白いかどうか」が最優先されて、それ以外は二の次になるからだろう。
しかもどちらも昔からゲーム界でブランドを確立しているシリーズだから、既に熱心なファンが多数いるわけだし
これから新たにゲームを始める子供に売り込むとしても、完全新作より知名度という点で断然有利だしね。
(まあゲームでも、最近の完全新作であるスプラトゥーンなんかは割とその辺配慮しているように見えるけれど)
でも映画やアニメの場合は、ストーリー性やキャラクター性が第一のジャンルなのでそうはならない。
同じような設定で新作映画作品なら容赦なく叩かれる、或いは「これではヒットしない」と最初から予算が下りない・作らせて貰えない、んじゃないか。
だけど
往々にしてこの手の問題を話したがる意識高い人は、メンバーシップ型雇用=安定という物語が大好きだ
だからジョブ型にしたらいいなんて考えは彼らにはないし、彼らはジョブ型の話をしたら死ぬ、謝ったら死ぬ政治家のように
結果、メンバーシップ型のせいで発生する問題の解決方法が議論されず「ちゃんとしなさい」みたいな母親が子供に叱るレベルのことしか言えない
あげく嘆き芸というんだろうか、「こんな日本だめだよね~」と、はてなーがセルフプロデュースに利用するだけで終わる
カウンターである彼らにしても忖度で何とかしろと言ってるだけなのが日本の現状
自民党は旧来型日本企業のメンバーシップ型の護送船団方式の企業が大好きだ
カウンターだった民進党はそれ以上にメンバーシップ大好き人間の集まりなんだから笑ってしまう
だから問題の本丸のメンバーシップをどうにかしようなんて議題は当然のようにされず忖度で解決を試みるしかできない
せめてジョブ型で先進的な働き方を推奨してれば俺も投票したけど
けっか中途半端に流動性を確保しようとしてできたのが日本の派遣社員という制度だ
派遣でも技能を高額で取引できるなら歓迎する人が出てくるだろうが、日本の派遣制度はメンバーシップをまもるためのひずみ要因でしかない
品質も育児も同じことが言えるがひずみを解決する手段がさらなるなにかしらの忖度でしかないのが日本のカウンターイデオロギーだってのが救いがない
飲みにケーションなんかしちゃうあれ
解決できる問題はみんな力を合わせて解決しましたなんて成功体験になってますますメンバーシップ型労働いいよねって話になる
学生時代はろくに友達も作らず、そして勉強もせず、かといって部活や学校行事に精を出さずゲームばかり、
一日8時間フルタイムで働くが最低時給なので手取りは9万円、もちろん交通費や住宅補助等は一切なし。
一人暮らしはしたいが一生無理だろうと諦める。家も持ち家ではなくアパートなので将来性もない、死にたい。
今の日本は私みたいな”無能”に対してあまりにも不寛容なのではと思う。
新卒の就活は公務員でも企業でも求める人材は第一にコミュニケーション能力(笑)、そして即戦力(笑)
主体性があり協調的でかつ元気で若者らしく大学時代は海外留学(笑)やボランティア(笑)、部活(笑)サークル活動(笑)に精を出しリーダー性(笑)もある、
そういうスーパーマンばかりを求めるこの時代。それでいて薄給でも文句を言わないやつ(笑)
それらの能力を持った”有能”はらくらくと就活をこなし内定を取る一方、コミュ能力や学生時代に頑張らなかった”
無能”は非人間、非国民として奴隷として最低時給でこき使われるのである。
たしかにそうだ、高校大学で一生懸命勉強やコミュ能力、そして部活やサークルボランティア等に精をだせばたいてい就活は乗り越えられるし、
普通に働いて普通に恋愛・結婚して普通に子育てして普通に家を建てて普通に退職して普通に老後を生きることもできる……。
そういった普通の生活を昭和の時代は”無能”な人でも大抵の人は送れたわけだが、今はその普通の生活すら努力のボーダーが高い。
相当努力しなければ普通の生活は送れなくなったのがこの日本社会。
企業は人件費削減の嵐でリストラを敢行した会社が評価されるという異常な時代。昔なら手厚く研修をやり、
できるだけ長く働いてもらおうとしていた日本企業の面影はもはやない。能力!即戦力!コミュ能力!
それすらできない”無能”は切り捨て!かといって一度正社員・正職員というレールから外されると再起は難しい……。
「努力は報われる」と言われていたのは過去のことであっていまや寝ているだけでも株の配当や家賃収入、その他不労所得を得たり、
タックスヘイブンで課税逃れをする富裕層がいる一方、庶民は働けど薄給サビ残で少ない給料から年金税や保険税をひかれさらに
そもそも日本で「富裕層」という言葉が使われてきた時点で相当持つものと持たざる者の格差が広がっているということを意味していると思う。
中置半端な努力ではバカを見る、まして私みたいな努力をしないやつは奴隷同然の地位。
若者が努力をせず底辺へ落ちぶれていく原因は私みたいに単に怠け者なやつばかりではない。
家が貧困で努力しようにも学ぶ教材が買えなかったり進学できなかったり……。
親からの虐待、学校でのいじめ…そういったもので努力しようとしたら阻害されたりしたり……。
そういった努力をしない、できなかった”無能”な人種に対して今の日本社会は「甘え」「お前が悪い」と切り捨てて奴隷のように扱う。
”無能”を養える余裕がない日本ははっきり言って未来がない、有能な人はぜひ海外へ脱出するべきなのでは?
余談だが私みたいな”無能”は成功している奴に対して極度のコンプレックスを持っている。
同級生が公務員や大手企業の社員として人生で成功を収めている一方、
人生で成功している奴の人生をどんな手段でもいいからメチャクチャにしてやりたい!!!!!!!!!!!!
と思う毎日だ。
ドクターストレンジに「日本に行けば200万ドルで再生医療が受けられる!」と言うくだりがあるんだけど、これは2つの観点で面白い。
1つ目は、200万ドルと言う数字が日本で今承認されてる再生医療と大体同じ価格と言う事。
2つ目は、日本に行けば最新治療が受けられると言うのが海外富裕層の間で認識されているということ。ただし、現実の日本ではちゃんと承認されてるものと怪しいアレが混在している。何故なら、医師の裁量の名の下にそれを認めているから。
ドクターストレンジに出てきた再生医療が日本企業による承認済みのものか怪しいマッドな闇医者がやってるアレか、200万ドルと言う価格が保険償還価格か外国人向けのものなのか、妄想が膨らむ訳で。
結局、映画の中ではお金が無いから日本には行かなかったんだけど、もし日本に再生医療を受けに行って腹黒い日本企業かマッドな闇医者と対立とか喧嘩とかするエピソードがあっても面白かったんじゃ無いかなーと。
スルガ銀行のシステム開発にかける覚悟が表れたのが、日本IBMとの訴訟です。同行は基幹システムの開発を日本IBMに依頼しますが、契約通りに開発できなかったとして'08年に損害賠償を求めて提訴しました。
これまで日本企業の多くはシステム会社に対して要求された額を唯々諾々と支払ってきましたが、スルガ銀行はその悪習にも風穴を開けたんです。
判決は、日本IBMがスルガ銀行に約42億円を支払えというものでした。これで他のシステム会社も、スルガ銀行には開発費をふっかけられないと思い知ったことでしょう。その結果、システム開発費は他行より安くなっているはずです」(前出・加谷氏)
スルガ銀行には開発費をふっかけられないと思い知ったことでしょう。その結果、システム開発費は他行より安くなっているはずです」(前出・加谷氏)
いや、むしろ高くなってるだろ。この案件はパッケージ使って安価に作りましょうってスタートしたが、そのパッケージではスルガの要望に全部は沿えないってのが判ってきて、仕切り直しが泥沼化して契約解除なのだから、次のベンダーは(見えていない)リスク分を多めに積むようになるでしょ。ふっかけたのがばれたんで、金返せとかじゃ全くないし。(泥沼の中で色々やらかして不信感持たれたとかもあるようだけど)
今回の京都市の例もそうだけど、システム開発には地雷多すぎで当初見積もり金額で一括受託は無理ありすぎるよなぁと。その辺りのリスクをユーザとベンダが納得する形でうまく扱える契約形態が一般的にならないものかと妄想中。米国にはいろんな契約形態があるっぽいが良くは見てない。ベンダーのスキルが~とかユーザーのシステムに関する知識が~とかもあるがその辺は置いておく。小さなプロジェクトだとSESでアジャイル系ってのが一番良いのだろうけど。なんか良いのないですかね~、正直大手SIerも新規ではぶっこきまくってるから欲しいはずなんだけどなぁ。まぁ、下請けに被せてるから良いっすと思ってるかもだが。
日本は海で隔てられてるから文化が違いすぎて細々した対応項目が多すぎる(個々の難易度や個々の予算じゃなくて積み重ねた量やオーバーヘッドが異様に大きくなる)し、その割に50年前みたいに日本企業が世界中を握ってる訳でもないから購買力がない。だから日本で本気で売れても儲からない。もう日本の動向を探っておかないと、日本企業が売り始めたものが他国に波及してボロ負けするということもなくなったから、市場調査という意味で出す必要もない。
国内からすれば国内の企業にとってはホームグラウンドだから重要だと錯覚してしまうが、日本市場を捨ててもビジネス的に影響はあまり無い。むしろ今後を考えて中国市場で名前を定着させる方が重要。営利企業には儲かるから広く世界中で売りたいという動機はあるが、貧乏人にあまねく普及させる義務はない。だから捨てられる。