はてなキーワード: 小学校とは
二人目のB子さんは、ある意味で私と同期だった。私がK市に採用された年に、高校を出たばかりの彼女が入庁してきた。
K市に入ってからの私というのは、せっせと新人公務員として基本的な事柄を勉強したり、各庁舎をぐるぐると見回って雰囲気を掴んだり(大抵は職員への挨拶を兼ねている)、K市が主催するイベントにスタッフとして十数回と参加したり、多くの自治体の職員が集まる研修に出席したり、ほかの幹部がまとめた人事政策に対してフィードバックを述べたり……あっという間に5ヵ月が過ぎていった。
その頃だった。B子さんについての苦情が寄せられたのは。毎年9月にある新人職員への人事面談の折に、B子さんのいる課から上がってきた。一応、直属の上司も事実であると認めた苦情ということで、今度はB子さんと面談室で話をすることになった。指導的な色合いが強い内容になる。
今でも思い出す。あの女は人生をナメていた。なめ猫なんて甘っちょろいものではない。すでに組織を蝕む害獣となりかけていた。
面談室に入ってきた彼女を見て衝撃を受けた。髪の毛は脱色しているし、恰好は女性向けファッション誌に出てくるそのものだったし、朱色のスカートの丈は相当な短さだったし、口紅は真っ赤だったし、ピアスをしていたし、首に〇〇〇〇〇もついていたし……どこから突っ込んでいいのかわからない。
私も、世間一般では活発で知られた営業会社で働いていたが、彼女ほど派手な恰好の女子社員はさすがに見たことがない。せいぜい茶髪や控えめなチークだった。多くのお客様の前に出ないといけないからだ。
A夫さんの時と同じく、面談室の両側のソファにお互いに座った。こちらには人事課長が、向こうにはB子さんの直属の上司がいる。
面談が始まった。初めに私の方から、「B子さんですね。お仕事で忙しいところすいません。まずは事実の確認ですが、今着用しているような衣服を先輩に注意されたことはありますか」と尋ねた。
以下、大まかなやりとりになる。
「その先輩には、なんて言って答えましたか」
「私の自由です、と何度言ってもわかってもらえないんで、『ハラスメントです、やめてください、気持ち悪いです。これ以上は親に話します』と伝えました」
「それは、先輩があなたのことを思って言ってくれたのではないですか?」
「違います」
「では、どんな気持ちだったと思う?」
ほかの行動、例えば自分が気に入らない職員を無視するとか、夜の窓口勤務中にチョコレートを食べながらほかの女性職員と雑談していたとか、勤務時間中に携帯をいじって過ごしていたことなど、色々と聞いていったが、終始ブスッとした調子で返答するのみだった。最後に、だるそうな口調で「何とかやってみます」とだけ告げた。
面談中、私はB子さんの履歴書や採用試験時の成績を見ていた。偏差値50くらいの公立高校を出ていて、英検や漢検の初級程度を持っていて、採用試験(筆記試験)ではほぼ満点を取っていて、性格適性検査ではやや嘘つきと出ていて、肝心の面接試験では、「明るくハキハキしていて、利発な印象を受ける」とあった――採用試験でわかることなど、この程度のものだ。
いったん話は逸れる。私が採用された背景(どんな目的を叶えたくて私を採用したのか)、当時の市長から受けた勅命を述べる。
「優れた職員を残し、不要な人間は残さない」「次世代に残すべき職員を採用する」「そうした職員が辞めない環境を作る」といったものだ。
冒頭に述べたように、このK市の新規採用職員の3年以内離職率について、十数年前は1割未満だったものが、私が市長からスカウトされた年には約35%まで悪化していた。20人採用したら、3年以内に7人が辞めていることになる。3年超えになると、もう数パーセント上昇する。
辞めた者の中には、将来を嘱望される人材が何人も含まれていた。ボリュームゾーンは30才手前で、これまで将来を期待されて県庁や国の機関に出向したり、エース級の職員が配属される部署で頑張っていた職員らが退職を選んでいた。この状況を正すことが、私に課せられた任務だ。
市長の談によると、人事課が収集した退職理由の中でトップだったのが、「将来、昇進しても幸せになる未来が見えない」で、肉薄して2番目だったのが、「異常な言動を取る職員が多いうえ、上の人が彼らに何の対策もしない。働いているのがばかばかしい」というものだった。
このうち、私が解決に役立ちそうなのは二番目の課題だった。一番目の課題は、プロパーの職員が自ら考えて実行すべきことである。外部の人間である私が考えるのはお門違いだ。アドバイスはさせてもらうが……。
話を戻す。
これらを踏まえて、B子さんへの対応を考えることになる。面談を終えて、私はその場で人事課長に目配せをして問いかけた。
「B子さんを切りましょう」
「試用期間とはいえ、難しいのでは。やめておきましょう。あの子はまだ若い。立ち直るかもしれない」
ツッコミが入った。想定どおりだ。
試用期間中の分限免職処分は、K市はもちろん、県内他市町でもほとんど例がない。が、私はそれに成功した市町村のいくつかを研究していた。
「試用期間での成績が不良である場合、正式に採用しないことができます。判例を調べましたが、いくつかの市町村では実際に行われているようです」
「うん……考えるべきところではある。あの子は、ちょっとひどいとも思います。ただ、私の権限ではちょっと決めかねます」
「わかりません。市長にも副市長にも総務部長にも伺ってみないと。これは全庁的な問題なので、もっと、いろいろと議論を重ねてみるべきかと」
「市長は問題ないでしょう。ほかの人は私が説得してみます。しかし、第一には人事課長であるあなたの職分ではないですか」
「それはそうですが、職員の進退そのものを判断することはできません。それを言うなら、私さんの役職は一応は部長級なんですし、私らと違って一流の会社にいましたし、市長の元部下なんでしょう。私よりもやりやすいんじゃないですか。とにかく、私にはどうすべきかわかりません。例年であれば、あの子はそのまま正式に採用されます」
人事課長は乗り気でないようだった。
それから面談室を出て、人事課に戻って、課内の奥野須美に着席した。
私の机と椅子は人事課の奥にある。
2022/01/02 追記 奥野須美さんには着席していません。奥の隅の誤りです。
その後も何度か討論を重ねた後、B子さんへの対応が決まった――退職勧告だ。
後日、総務部長の口頭での承認を得た。市長は、「お前の好きにやれ。判は押す。証拠は絶対に固めるように」とのこと。副市長は猛反対だった。予想どおりの瞬殺だった。
そして、不安そうにする人事課の職員らに対して私は、「市長からは、現場で判断していいとの答えをもらっています。何かあれば私が責任を取ります。あなた達に迷惑はかけません。協力を求めます」と答えた。
責任など取りたいはずもない。が、ここはレイズの場面だ。攻めるのだ。戦え。今しかない。ここで勝てれば、私の信用は外部登用組の管理職(※当時、国や県や民間から計4人の出向を受け入れていた)の中でも相当に高くなる。ここは何としても取りたい。
方針が決まったとなれば、後は実行だ。
今回のメンバーは、人事課長と私だった。前回は私が面談を主導したので、今回は課長が行うことになった。こういう貴重な経験は、多くの人間でシェアすべきという考えによる。
人事課長は、不安そうな顔つきだった――この人は将来を嘱望されている。当時は50代半ばで、順当に上の人間の席が空けば総務部長にもなると言われていた。
「安心してください。上の人間は『方針』を認めています。あくまで方針だけですが。今後のK市のためにも、ぜひあなたが実施すべきです」
私が激すると、彼はしぶしぶ動き出した。
そして、いよいよ始まった面談は、思ったよりも淡々としていた。B子さんが面談室に1人で入ってきた時、人事課長がソファの中央に腰掛けていた。話の最中は、私が脇にある椅子で見守っていた。
さて、Bさんとのちょっとしたやりとりの後、人事課長は「あなたを本採用できません」と告げた。それから、理由などの説明が終わると――B子さんは顔を一瞬だけ歪ませて、また元の顔に戻ると、「わかりました」とだけ告げた。面談後は、泣きそうな表情でその場を後にした。抵抗はなかった。
あっけないほどすぐに終わった。時間にして5、6分だった。もっと抵抗されると思っていた。本人もわかっていたのではないだろうか。自分がこうなることを。
「〇〇課長、やりましたね。苦しかったでしょうが、これが新しい一歩なんですよ。踏み出せたじゃないですか」
私は、片方の拳で人事課長の脇腹を貫いた。彼はちょっと痛がるようにしてから、拳を額に当ててソファの上で態勢を沈ませる。
神妙な面持ちで、「B子さんは何とかなるんですかね。これは脅しの一種ですよね。反省すれば、クビにはならないんですよね?」と呟くように述べた。
「お前みたいな悪いお人好しが組織を腐らせるんだよ。もっと組織のために悪者になってみろ」
という言葉を飲み込んで私は、その場の片付けを始めた。
B子さんの退職の話を聞いた副市長が、再び私と総務部長を呼び出した。やはり逆鱗に触れたようだった。今回は稟議書(※B子さんの聴取記録のこと。A夫さんは犯罪の関係で市長までそれを回す必要があった)を回すほどの案件ではなかったのに、なぜわかったのだろうか。私だってB子さんの今後を考えている。分限免職だが、形式上は年度末での通常の退職という形にしていた。
副市長とは激しい議論になった。彼が退職するまで、少なくとも5回は苛烈な論戦をした思い出がある。私は何度も説明した。これから公務員業界が厳しくなっていく中で、これまでの人事政策を変えていく必要があることを。勤務成績が極端に悪い職員を追い出すことの合理性を説いた。
が、わかってもらえることはなかった。副市長は、人事課の主導で職員を辞めさせるのを避けたいようだった。最後に、こういうやり取りがあった。
「市長が「それでいい」と、どうしても言うなら私は反対しない。一番に重い責任を取るのは市長なんだから。しかし……こうした案件について私は承認しない。法令上は、市長の意思さえあれば有効な意思決定だ。やりたいなら好きにやれ。もうこういった件は私のところに持ってくるな。不愉快だ。いいね?」
「いえ、それでも副市長に話は持っていきます。ここのルールですからね」
数日後、B子さんの母親から人事課に電話がかかってきた。電話を受けたのは私だった。「B子の母です」と名乗る声を聞いた時、私はB子さんに関係する資料を手元に手繰り寄せた。
「この度は、娘が申し訳ないことをしました。本当にすいません」
開口一番がそれだった。
B子さんが本採用にならなかった理由は本人に説明したが、母親が再確認をしたかったようだ。
「理由はB子さんが述べたとおりです。公務員、いや社会人としてよくない面が多すぎました。もちろん、いきなり職場に来るなということではなく、来年3月末までは在籍できます。給料もボーナスも満額払われます。その間に、また就職活動の方をしていただいて~」
「本当にすいませんでした……お給料までお支払いいただいて。今回はご迷惑をかけましたが、何かあったらまたよろしくお願いします」
終始謝りっぱなしだった。この子にしてこの親あり、という俗諺の例外を今まさに見ていた。
「この親からあの子が育ったのか!?」とその時は何となく考えていたのだが、後日、答えのようなものが見つかった。申し訳ないが、ここで公表することはできない。一線を越えていると判断する。
その時、私の中に罪悪感のようなものが込み上げてきた。世の中には、どうしようもない事情というものがあって、それに翻弄され続ける人間も当然に存在する。B子さんも、その1人だった。
少しだけ話そう。あの後、総務部長が、「せっかくだから、もっとあの子を調べてみたら」と助言してくれた。指示されるがまま、市民課(住基ネット)や税務課(税務情報システム)や福祉課(福祉情報システム)でB子さんの情報を集めてみた。すると……。
今の私が、当時の私にアドバイスをするとしたら、「あと1年は様子を見てもいい」(地方公務員法には試用期間延長のルールがある)と告げるに違いない。
いかに私が民間企業で人事責任者をやっていたとしても、人にはその数だけ事情がある。即座にすべてを把握する力はない。結果的に、私はそれを汲み取ることができなかった。もっと、深く細かくB子さんに寄り添っていたらよかった。
ここまでの描写だと、まるで私と副市長が犬猿の仲だったように映るが、実際には違う。仕事で一緒になることがあれば、普通に冗談などを言い合っていた。
例えば、遠方にある他市町の児童福祉施設を視察していた時だった。市長、副市長と私その他は、保育の現場を見た後に自由見学していたのだが、やがて2階の大きな吹き抜けになったフロアの隅に辿り着いた。そこには、「幼児 プレイコーナー」と看板に書かれたスペースがあって、どうやら小さい子ども向けの遊び場のようだった。プラ素材の小さい滑り台から、小学校低学年向けのジャングルジムまで、様々な遊具が置いてある。
副市長は、「あの名前は気に入らない」と呟いた。文書のインデントが0.5文字ズレているだけで不機嫌になる人だ。例えば、いま私は、上の「幼児 プレイコーナー」を半角スペースとしたが、K市で働いている時なら公務員業界の慣行に従って全角スペースにしただろう。
私は、「一般的な名称だと思いますが……どこかおかしいところが?」と意見したところ、「色々ある」とだけ返ってきた。
夜になって、視察終了祝いの一次会があった。さあ次はどこで飲もうかと、市長や副市長その他と歓楽街をうろついていた。このレベルの役職の人はK市内で飲めないため、こういった視察が貴重な機会になる。
と、酔っぱらった副市長が私の襟ぐりを掴んだ。風俗街の一角を指さしている。
「幼児プレイあります」「ママに甘えたい!」「授乳もOK」などと書かれた看板やのぼりが立ち並んでいた。
「後で行ってみるか。おごるぞ」と意気込む副市長に対し、市長が「昼もやってるみたいだ。なあ副市長、視察の前に(以下自主規制)」とツッコミを入れていた。
それで私は、「もしかして、副市長はあのとき風俗のことを考えてたんですか!? あの真剣な顔で、さっき現場で見たどの先生がよかったとか? ねえ副市長」
「ふざけているのかお前はッ!! 真面目にやれ!」
副市長は激昂していた。
歓楽街の一角で怒鳴られる私を尻目に、市長とほかの幹部はどこかに行き始めていた。
「わからないです」
「法律では満1歳から就学前の子どもを幼児と言うんだろうが!! あそこには小学生も遊べる立体遊具があっただろうが!! 矛盾に気づけッ!」
「すいませんでした」
年に一度は視察などで副市長と飲む機会があったが、普段が真面目すぎるだけで、面白い顔もちゃんとある。
人間は基本的にそうだ。あなたにとって好きな面も嫌いな面も、両方ちゃんと澄んだ目で見ることができるのなら、ケンカになっても関係が壊れることはない。
あなたは、自分が嫌いな人間のことを認めることができるだろうか。人のいいところを見つけることができるだろうか? 自分でも今、何を書いているのかわからなくなってきた……。
小学校はエアコン設置ですら揉めるから元々コストがかかってないよね
そこそこ良い家の生まれの子供も親がそういう環境で過ごさせるのが正しいと思ってるのか給食が貧しかったりする
なんでなんだろうなあれ
俺には1つ上の兄がいるんだけど、小さい頃から仲が悪かったし、もう15年くらい顔を合わせていない
兄は陽キャだが自分は陰キャだったためか、まるで好みや性格が合わなかった
喧嘩も絶えなかった、といっても以下のように一方的なものだけど…
小学生のとき、父親から買い与えられてた月間漫画2種のうち面白い方を、兄が突然俺のだと主張し、読むなと言い張ってきた
それでもこっそり読んでいたのだが、うっかり見つかるとブチギレられて、俺は一目散に鍵のかかる部屋に逃げ込む
すんでのところで間に合ってドアに鍵をかけると、兄は罵詈雑言を浴びせながらドアを壊す勢いでこじ開けようとする、すると祖母がやってきて30分くらいかけてなだめる
というのを100回くらいやった気がする
また中高生の頃、兄の買った漫画をこっそり読んだり、(兄にゲーム機本体を占有されていたので)自分のゲームソフトで遊ぶために兄の部屋に忍び込んでたところを見つかってキレられ、逃げ出す、というパターンもあった
(俺には自分の部屋を与えられなかったし、漫画を持ってなかった、だが欲しいとも思わなかった)
兄は大学卒業後正社員になって、結婚して子供もいて東京で暮らしてる
俺は兄より断然偏差値の高い大学に進んだけれど、その頃から人間関係がうまくいかなかったり、勉強のやる気がなくなったり将来への不安から、引きこもったのち実家暮らしで派遣の工場作業員として働いてるわ
親の庇護下にあったときは、勝手に人の部屋に入るコソ泥みたいなやつなのに何のお咎めもないため、俺は兄から憎まれていたし疎まれていた
俺は反抗期がなく良い子だったが、兄は中高生の頃は反抗期真っ盛りで母親とよく口論する悪い子だったと言える
だが大人になったら俺は駄目人間で兄は立派な一人前の社会人になったんだ
死にたくなるし、兄に対して(社会に対してさえ)憎しみが沸く
兄はきっと、昔と今を比べて、胸の内でガッツポーズを取っているだろう、いや、あまりに格下の存在に対し比較することさえないかもしれない
トラウマなのか都合の悪い事実もあってか、兄についての記憶は今まで思い出すことがほとんどなかった
だが暇さえあればネットに齧りついてる俺にとってこの冬休みはあまりに暇で、ふと書き出したくなったのだ
にしても、祖母や両親はいつも兄を宥めたりするだけで、俺や兄を叱ったり、何かしら対処したりということをしなかった、事なかれ主義なんだな
兄は癇癪持ちだったし(今は真人間らしいのが不思議で悔しくてならない)俺は偏屈だし、教師である父親はアスペの毒親だし、同じく教師だった祖母も毒親だった…母親はいくらかまともだが、父親の愚痴を俺に吐き出してくるので困る
家族全員歪んでる気がするよ
祖母の善人のような振る舞いが子供ながらに信用できず、小学校から帰ってきたとき出迎えてくる祖母が、もしかしたらルパンのように巧妙に変装した強盗かもしれないと妄想し、怖かった
後々になって聞かされたが、嫁である母には当たりがきつかったようだから、警戒しておいて間違ってなかったと思う
小1の頃の祖父の葬式ではワンワン泣いたのだが、高1の頃の祖母の葬式では一滴も涙が出なかったし、出す気もしなかった、それを陰で親族の人に指摘されたのが耳に入ったっけ
過去のトラウマに向き合わなければ救われることはないだろうが、普通の家族関係がわからないから、今振り返ってみても何がおかしいのか自分でわからない
こうして言葉に表すのも、子供の頃の記憶というのは妙に客観的に捉えづらくて難しい
向き合うにしたって、心が苦しくって中々できるもんじゃないね、頭を巡らせているうちに何を考えていたか忘れてしまうのも厄介だ
生きていたって何も良いことがない、そればっかり心の中で繰り返している
今の子達は優しいから、もし同じ事態に陥っても、障害者に左腕を噛まれたら右腕も差し出すキリストの教えを実践するね。
小学校6年の時にすれ違った1年生男子に、なんの脈絡もなく「クソババア!」って言われたのをいまだによく覚えている。
その時は苦笑いして流したけど、それからずっとことあるごとに「ああ、まぁ自分は見ず知らずの人にクソババアって言われるくらいの容姿なので、色々しかたないな」と思ってきた。高校時代ろくに恋愛できなかったのもクソババアだからだし、彼氏が酒クズになった結果に同棲解消しちゃったのもクソババアだからだし、アパレルショップの店員とかすれ違って目が合う人々から内心クソババアは消えろカスとか思われてそうと勝手に被害妄想膨らむのも本質がクソババアだからだ。そう考えるとあの1年生男子はすごかったんだな。本質を見抜かれてたんだな。
そんなこんなで30代になったので、ちゃんと言われたとおりに年齢的にもクソババアになった。クソババアはクソババアらしくせめて世間様の邪魔にならないようにこっそり生きていく。せめて、50代くらいには青少年たちのピンチに駆けつけるバイク乗ったかっこいいババアコピペみたいなクソが取れたババアになれるようにバイクの免許取得でも目指そうか。
いじめが何故起き、そして何故黙認されるのか、それは学校という空間が異常だからだ。
個人的背景も経済的背景も違えば勉学に対する意欲も成長の度合いも違う人間を集めて管理するなどそもそも無理がある。
その無理をどうにかするために行われているのが学校の治外法権化である。
治外法権となれば当然「外の世界」の法律は適用されなくなり、中の都合によって法は定められていく。
多くの教師が考えているのは生徒を管理下に置くことであり、分かりやすいヒエラルキー構造が教室に広がるのは管理するのには都合がいいのだ。
端的に言えば教師にとってはいじめは程度さえ大きくなければ歓迎してもいい状況である。
個人が個人の感情で暴力を奮っても、力関係が強いものがやったのであれば黙認されるべきであるという風潮は、教師が体罰をするにあたっても都合がいい。
クラスのリーダー的な存在が生まれれば、教師が機嫌を取るべきはそのリーダーと取り巻きであり、下位層にいる生徒は卒業までの間に壊れないかだけを注意しておけば良くなる。
社会が教職者に押し付けた無理を、教職者は学校という空間の法とモラルを歪めることで解決しているのだ。
もし、その歪んだ法を正そうとすれば何が起きるか?
「いじめ問題だけを隠蔽することを辞めさせれば良い」なんて簡単に考えているのだろうか?
そんなことを生徒や親が許すはずがない。
生徒が法によって裁かれるなら教師も同じでなければならない。
逆を言えば、生徒が法で裁かれることを免れているという後ろめたさが学校の治外法権化を支えているのである。
鎖はどれか一つの輪が断ち切られれば全体が意味を為さなくなるという話である。
学校とはそもそも教育施設を兼ねた監獄であり、現代の社会が抱える無理難題を無理矢理に押し込めた地獄の釜である。
この状況を生み出しているのは教育の現場であり、そこに子供を預ける両親たちであり、子供というものを無知な獣としか思っていないこの社会全体である。
そもそもをして全く違う背景を40人の人間に対して1人の人間が監視を行って管理するということ自体が容易ではないのだ。
これはなにも相手が子供だからではなく、大人であっても同じだ。
免許の更新、職場における集合教育、失業保険目当てで通う職業訓練センター、そういった所で後ろ側に席をとって周りを見渡せば話を聞いているフリをして寝ている大人やバレないようにスマホを弄っている大人が如何に多いかを目にできるだろう。
大人か子供かではなく、意欲もないのに教育の場に参加させれば自然とそうなるのである。
だが多くの大人たちはそういった場面で見かけ上はマジメに聞いている。
彼らには、免許を更新したいとか、教育を受け直しになりたくないとか、失業保険が欲しいとか、そういった極めて直接的な理由がある。
だが、小学校や中学校においてはこういった要素が薄く、それこそ出席をしなくても卒業をして次のステージに進むことが出来てしまう。
学校という空間は如何にして1人につき40人を真っ当な報酬系統も存在しない状況で監視するという異形をなしているのだろうか?
答えはシンプルだ。
教師と生徒という関係に超巨大な傾斜を設けて、教師が白を黒といえば生徒はそれに従うほどの力関係を用意するのだ。
これにより教師が与える体罰、精神的苦痛、各種のハラスメントは教育という概念として昇華され、一生傷が残る行為と物理的な接触を伴うセクハラ以外はあらゆる行為が黙認されることになる。
そもそもをして、強制的に集められた40人を1人が管理するなど、こういった異常な環境下でなければ容易には実現し得ないのだ。
もちろんキチンと環境を構築するという容易でない道を選ぶことも出来るが、それを実行しようとしたものもゆくゆくは燃え尽きていく。
25歳で教職についたとして定年までは40年、個々人の意欲のみを報酬とするには長すぎる時間なのである。
かくして学校という空間は独自の法によって運営される出島、監獄となる。
ではこの監獄島に外の世界をルールを真っ当に適用したらどうなるだろうか?
教師と生徒が平等になれば、暴走する生徒を止める手段は通報のみとなる。
教室において教師が出来るのはハラスメントにならない範囲までの注意、いわば善良な管理者の注意義務までである。
その範囲は決して広くはなく、今までであれば先立って体罰によって躾けることで無理やり予防できた数多くの人災に対処が及ばなくなるだろう。
教師は超人ではないので、人間としての限界を超えることは出来ないが、法の縛りを逸脱することを許可することで擬似的に半超人化していたものがなくなるのである。
授業や生徒の管理を妨害された時、今まであれば超法規的措置によって体罰をして解決していた。
だがそれが不可能になったらどうなるか?
証拠を集め、公務執行妨害を適用し、少年院に送られてもらうことを選ぶしかない。
他の生徒のことを考えればそうならざるを得ない。
生まれついての犯罪者として真っ当な職業に付く機会は、少なくともテレビで名前を聞くような企業に入る機会は場末のアルバイト以外では望めないだろう。
今までであれば鉄拳制裁を受け、顔の腫れが3日後に引けば終わったものが、これからは一生消えること無い履歴書の傷を引きずって生きることになるのだ。
そしてこれは何も極めて救いがたい悪童に対してのみ行われるのではなく、多動性を持つ生徒、注意力散漫な生徒、偶然虫の居所が悪かった生徒、いわばほぼ全ての生徒がそう言ったリスクを背負って通学するようになるのである。
元からそうだったと言いたい人にはこう言おう、もし治外法権がなくなれば通報されるリスクが10000000倍になった学校に通うことになる、と。
我々が声高に「いじめをなくせ。隠蔽を辞めさせろ」というのは簡単だ。
だがそれは「学校への治外法権の適用をやめろ。これからは学校で起きたありとあらゆる犯罪行為が法的措置の対象となるべきだ」ということなのだ。
さて、貴方の家の子供は悪戯の一つもしないで今日まで生きてきただろうか?
悪戯とは、相手が許さなければ犯罪になる行為であり、犯罪歴がつけば人生の可能性が半分以上消えるということを理解できているだろうか?
そんな自信は自分にはないなあ
小学校6年生の時にミステリを含む犯罪小説を読むのにハマっていて「クラス全員を効率よく殺害する計画書」をガチで考えていた。
そういう小説を読んだのだ(そして粛清の扉を、だったか。最近似たような内容のドラマがあったな)。
町内地図(市営図書館でコピーできた)に4か月ほどかけてクラス全員のおおよその行動パターンを書き込み、
見つかりづらそうな場所を選定し、殺害方法もなるだけ現実的な方法を選んだ。凶器の入手方法までちゃんとシミュレートした。
そして完成した計画書を机の一番下の引き出しの奥(引き出しを一度抜いた裏)に仕舞い、たまに取り出してはニヤニヤ眺めていた。
が、それが親に見つかった。
なぜ母親は子供の部屋の裏の裏まで掃除しようとするのか。俺がもしエロBooksを隠していたら気まずくなるとは思わないのだろうか。
その詳細な内容にドン引きした母親は父親とあろうことか学校に相談した。
どうやら俺が学校内で問題を抱えており、そういう犯行計画を立てていると勘違いしたらしい。
担任も計画書を見てびっくり仰天、校長に相談し俺は校長室に家族ともども呼び出され厳しい尋問を受けた。
それくらい俺が書いた計画書は真に迫っていたようだ。
両親がなんとか懇願し警察への相談だけは免れたが、学校からの希望で俺は9月から卒業まで出席停止(俺都合にされた)。
まぁ、クラスメイト全員をぶっ殺してやろうと考えているような奴を教室に入れるのは怖かっただろう。今では理解できる。
俺は月に2度のカウンセリングの日以外は家にほぼ監禁状態にされた。
そしてどこから漏れたのか(担任に決まってるが)、校区内で俺がクラスメイトの殺害計画を立てていたことが広まり、
地元の公立中学に通うこともできず、中学3年間ほぼ引き籠ることになった。
両親は俺の教育方針で揉めてめちゃくちゃ険悪な雰囲気になって俺が定時制の高校の2年の時に離婚した。
でもさ、誰でも犯罪に憧れて犯行計画を立てたりすることってあるじゃん。普通だろ。
タイトル通り
当方ガチアスペ。会話のグラデーションがわからないは当たり前。そもそも会話が成立するか五分五分。
共感能力も低いから情緒にも乏しく、言ってはいけないことを平然と言ってしまう。
おかげで家族からはずっと「他人の言ったことは真に受けるな。マイナスなことは絶対に口にするな」と言われて育った。
そのせいで自己肯定感は育たず、人より優れたところはないと本気で思っている。
他人に褒められても「信じてはいけない」という、本能にも近い信条が働きかけて、せっかく褒めてくれた人を全力で否定して不愉快にさせる。
小中高といじめられ、小学校のときはレ○プ寸前の性被害にも遭ったせいで人間不信。
どう考えてもめちゃくちゃ生き辛さを抱えてる。
それでもなんとか自立して、自分に合った仕事を死にものぐるいで探してもぎ取って、現在は奨学金を返しながら猫と一緒に二人暮らしを楽しんでいる。
この「なんとか自立」できてしまったせいで、タイトルのような連中を心底軽蔑してしまう。
これはマジのガチでただの妬みだし、自分が狭量であることを理解しつつも、最近よくある弱者ムーブに甘んじる人間を見ると吐き気がする。
「お前は自分の立場を選り好みできるような人間か?努力したんか?」と本気で思う。
社会に出たら仕事さえできればある程度重宝してくれる現場なんて腐るほどある。
そういう仕事を探したり、そういう職に就く努力をほんまにしたんか?と言いたい。
自分の生き辛さを少しでも減少させる自助努力は大事やぞ、と言いたい。
何度も言うけどこれはガチでただの妬み
でも流石に最近そんな話をめちゃくちゃ見かけたり、聞いたりする。
そして自分の中の嫉妬心が膨れ上がってハゲそうになったんで、とうとうここに吐き出した。
自分もこの人のように自信がなくて、人生のあらゆるチャンスを逃した。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44079653
平均的なセックスの初体験は10代後半とされるが、ジョセフさん(仮名)はそうではなかった。現在60歳で寡夫の彼は、童貞であることが非常に恥ずかしく、いら立ちを感じていたという。ジョセフさんが自分の体験を語ってくれた。
30代後半まで童貞でした。どのくらい珍しいことなのか全く分かりませんでしたが、それを恥ずかしく思い、人には言えないと思っていました。
僕はとても人見知りするし、不安を感じやすいのですが、孤立してはいませんでした。いつも友達がいました。しかし、親密な関係に発展することはできませんでした。
小学校から大学進学課程まで、周りには女の子や女性がたくさんいましたが、普通の人が通常するような女の子を誘うことは全くしなかった。
大学に入ると、その傾向はますます強くなった。女性と付き合えないとはおもっていませんでした。自信のなさと、自分を魅力的だと思ってくれる人などいないという気持ちが心の奥底にあったのが大きな理由です。
10代後半と20代前半ずっとデートしなければ、自分が心の中で「ほら、あの子はガールフレンドになったし、あの子もそうだった。そうだよ、お前を好いてくれる人はいるよ」と言えるような証拠が積み上げられません。それで、自分に魅力がないという考えが消えなくなり、強まっていく。
友達に相談したことはないし、聞かれたこともありません。正直言って、もし聞かれたら過剰に自己防衛的になったでしょうね。恥ずかしいという気持ちが強くなっていましたから。
人はセックスをしないと社会で見下されるということはないかもしれないけど、普通じゃないと少しでも思われたら、何か異常だと見られる可能性がある。
女性を「ものにする」ことへの文化的な投資がされていると思うんです。大人になることを扱った有名な歌や映画をとってみても、恋愛関係の始まりがテーマになっているものが多いし、一人前の男になるという文化的な「パターン」がある。フランキー・ヴァリが歌う「あのすばらしき夜」は、女性が少年を受け入れて男にするという感じになっている。
友達のほとんどには彼女がいました。付き合い始めてから、やがて結婚するまでを、傍観者として見ていた。そのことは私の心にポタポタと落ちてきて、自尊心を腐らせていきました。