はてなキーワード: 国民性とは
フィリピンで昏睡強盗に遭ったので、同じような被害者を増やさないために、インターネット上に遺産を残しておく。
自分は一般的な大学生男子で語学留学とインターンシップのためにフィリピンを訪れていた。
留学も終盤にさしかかり、フィリピンに到着してから10ヶ月のところで事件は起こった。
治安が悪いと専ら有名なマニラの中では、マカティは比較的治安の良い場所とされていたため油断していた。
夜の飛行機で国外へ移動する予定だったため、その日の昼頃はマニラで暇でも潰そうかとマカティのショッピングセンターで買い物でもしようと街を歩いていた。
そのとき、老人と婦人の二人組が話しかけてきた。優しそうな顔をしていた。
日本人と名乗ることは少しだけ躊躇いがあったものの、日本人で観光をしていると告げた。
そしてその老人は、自分は中国籍で久々にフィリピンに帰ってきたのだと話す。同じく観光をしているのだと。
婦人は老人の案内役のようなもので、久々に会ったからエスコートしていると言っていた。
続けて老人は暇なら一緒に買物でも行こうと誘ってきた。タクシー代も折半すれば安くなるだろうと。
共に土産などを買いにショッピングセンターに立ち寄る。
旅の思い出に写真を撮ろうとすると、あとで良い場所があるからと断られた。今思えば怪しい。
クバオという場所に連れて行かれて、そのあたりにあるショッピングセンターに立ち寄った。
マニラの地理は詳しくなかったが、ショッピングのためにマカティから移動するには少しばかり遠い不自然な場所だった。
そして、夕方になり夕食を一緒に食べようということになった。
レストランに立ち寄ると人数が7人に増えていた。
たまたま知り合いに出会ったという感じで、なぜか7人に囲まれる私。
ボス格のババアは指輪やネックレスなど高級そうな装飾品をジャラジャラとつけている。怪しい。
レストランで食事をほとんど注文もしていない。出てきたのはスープとライスだけ。
突然ボス格のババアは私に向かってチョコレートを差し出してきた。
横にいた老人はそのチョコレートを食べてみせる。
しかし明らかに怪しい。以前インターネットで見た昏睡強盗の手口そっくりだ。
手作りのチョコレートやマンゴーを食べさせる手口で、中には睡眠薬が混入していると。
周りもなぜ折角つくってくれたのに食べないのだと何やらピリピリした空気を作り出された。
暴力沙汰になっても困るので、口に入れたふりをして後から気づかれないように吐き出そうと思って、チョコレートを口に投入。
これも甘い選択だった。
口に入れた瞬間、ハッカのような味が舌を刺激する。
その後飲み込んだふりをしてトイレに行って吐き出したが、チョコはやはり口の中で溶けていた。
案の定睡眠薬のようなものがはいっていたのか泥酔したような気分になってくる。
これはまずいと、店を出てタクシーを探すがなかなかこの地域にはタクシーがないようだ。
マカティで出会った婦人が私のことを逃すものかと右腕を強く握ってくる。
やっと見つけたタクシーに乗り込み、すぐに空港へと告げたそのとき、集団がタクシーに乗り込んできてしまった。
現地語でタクシーの運転手と会話をはじめ、タクシーは発進してしまった。
そして見知らぬ場所へ連れて行かれてしまい、その後の記憶はほとんどない。
翌日、空港から飛行機でフィリピンを離れたが、どうしても、どうやって空港に来たのか思い出すことができない。
暗証番号もどこかで盗まれていたようで、どこからつけられていたのかと思うと怖い。
睡眠薬のせいか、右腕を強く握られたせいか、翌日から右腕の握力が極端に低下してしまった。
メチコバールを処方され、一ヶ月ほどで元の握力に戻ったが、その間は利き腕が使えず大変不便だった。
飛行機の航空券は改めて買い直した。学生の身には痛い出費となった。
後々調べてみると、昏睡強盗によって捕まったとしても、日本円で数万円ほどで釈放されてしまうようだ。
彼らにとっては昏睡強盗は完全なビジネスであり、日本人は格好のカモだ。
彼らの手口は巧妙だ。
何があっても初めて出会った人と行動を共にするような事をしないというのが今回の教訓である。
知人からはトランプ詐欺で数十万を騙し取られたという話も聞いた。
チョコレート以外にも、飲み物の中に睡眠薬が混入していたり、マンゴーに塗りつけられている場合があるという。
臓器売買や人身取引の被害ではなかっただけ、今思えば救われたのかもしれない。
フィリピン人は陽気で気さくな国民性であるが、中には本気で騙しに来ている人もいることを忘れてはいけないと感じた。
追記:
小学校の帰りの会で、ケンカ相手の男子生徒を憎むあまり「○○君はいけないと思います」つって直接関わってないクラスメイトを強引に自分サイドに引き込もうとする頭の足りないブスみたいだ。
んで引き込まれる人々のまた滑稽なこと。
甚大なダメージをくらったフランスを応援したいという気持ちもそれ自体はいい。
プロフィール写真に国旗を重ねるというその発想が気持ち悪いのよ。
国旗掲揚とは愛国心のひとつの発露であり自らの国民としてのアイデンティティを示すものだ。
震災以降の、頑張ろう日本の日の丸掲揚の数々は、そういった動機によるものだと理解している。
お前はフランス人なのか。親兄弟にフランス人がいるのか。フランス人の友達がいるのか。
あるいはフランスを旅行したときにその風土や国民性に魅せられ、なにがしかのシンパシーを感じているのか。
それならまだわかる。
友人に、フランスに短期留学を繰り返し、学んできたことを仕事に全面的に活かしている人がいる。
しかしそれ以外のやつら。
あるいはテロに対抗してるつもりになっていいことしてる気分になりたいだけだろ。
フランスを応援したいなら、フランスを応援しますという声明を出せ。
軽々しくプロフィール写真にそんな加工を許すな。
ただ顔写真が三色になってる大部分のやつらの軽薄さが気にくわないだけだ。
若者というより、敗戦後の日本人気質だと私は思います。SNS環境が生まれその中で生まれたまとめサイトという背景にたまたま居合わせたのが今の10代〜20代なのでは?だから昭和生まれの10代をタイムスリップさせてこの環境下に放り込んでも似たような結果の反応になると思います。
マスメディアに対するメディアリテラシーの教育は義務化すべきですし、日本人はGHQに侵されてから根本を蔑ろにする国民性となってしまったんです。
血液型性格判断なんて根拠のないものをなんの疑いもなく信じているのが世界の中で日本人と韓国人だけという事実が物語っています。
ICJとかユネスコの件でまたぞろ「松岡洋右の再来か!!!!」と腐れ外交官の代名詞みたいな扱いを受けている松岡洋右さん。
しかし、彼はゴリゴリの右派とはいえ、「なるべくなら国連脱退したくない派」でした。連盟を脱退し、国際秩序へ挑戦状をつきつけるヤバさは認識していたのです。
国連を説得できないなら脱退しろ、と言ってきたのは本国政府のほうで、
アメリカに遊学した経験を持つ松岡さんにとっては「無茶振りにもほどがあるだろ」だったらしいですが、
そこはホモ・シャチクンスである日本人であるかなしさ、負け戦とわかっていながら国連へ赴きます。
で、一縷未満の望みに賭けて国連で大演説を行うわけですが、そもそもの満州国擁護からして無理筋もいいところなのですから
いくら弁舌さわやかな松岡さんも無理なものは無理。無茶振りやっといて、やっぱりダメした、からの暴発。このへん古きよき日本の惨敗パターンをなぞってますね(rf. 沖縄戦)。
彼も「全権」と名前はついてるとはいえ、実態としては本国の使い走り。大臣でもなければ現役の外務官でもない。「A(無理な命令)ができないならB(脱退)をやれ」という指示に従うしかありません。ここで本国に楯突いたらそれこそ独断です。
(無茶振りとはいえ)使命を果たせず、日本を孤立化への道に導いてしまった松岡の挫折感は相当なものでした。
彼が肩を落として議場を退場する様子を「堂々退場す」と書き立てたのは新聞でした。
国民は帰国した松岡を旗振って出迎えます。外交的には大失敗を犯した人物を立派な外交官として歓迎したのです。
「国益」と「浪花節」を取り違える国民性はこのころから変わっていません。
落ち込んで帰ってきた松岡さんでしたが、英雄として出迎えくれる国民を見てすっかり気をよくします。その後、右派から更に針を倒してファシスト的な方向へ進みます。
国連脱退により軍部のおぼえよろしきを得ていたこともあって、40年には外務大臣に就任。
香港工作など平行していわゆる三国同盟を推進するものの、そのドイツとの同盟が仇となって日米関係は悪化。ついには真珠湾へと至ります。
ところが、何をどうしたらそういう思考になるのかしりませんが、松岡さんはまさかアメリカと戦争になるとは考えていなかったらしい。日米が開戦すると男松岡は「陛下や国民に申し訳のしようがない」と泣きながら辞任。アメリカとの国力差を認識していたのはアメリカ帰りらしい慧眼でしたが、いかんせんその他が無能すぎました。その後、終戦までの四年はあんまりぱっとしない生活を送ります。
終戦後はA級戦犯として裁かれ、本人も死刑になる気まんまんで望みますが、ここでも彼らしいヘタレぶりを発揮。持病の結核が悪化し、法廷から「まあとりあえず裁判とか後でいいから病院いけよ」と病院送りにされ、そのまま不帰の人となります。享年66歳。最後まで、なんだか咬み合わない人でした。
ブコメに「出版社は公益のためにブラックリストを共有すべき」とか「作家は交易のために損害賠償請求すべき」なんて意見が散見されるんだけど、そういう追加コストが支払えないからこういう事件が起きてるんだよ。ちょっとした追加コストであっという間に立ち行かなくなる、それどころかなんの問題も起きてなくてもちょっとした人気の陰りやスケジュール遅延であっという間に赤字になるような商売をやってるんだ。そしてそういう利益率の片棒担いでるのは消費者なわけなんだよ。
こういう「正しいことを言ったつもりの悪意のないコスト要求」って小売店のレジでもカスタマーでもいやっていうほど触れるんだけど、みんなびっくりするほど無邪気だよな。お金を出した瞬間、それがたかが数百円でも無限に大きな顔をするようになるのは国民性なのかなあ。人間のさがなのか。
安保法案可決に関して、結局のところ何がアレを可決まで進めてしまったのか。っていうのはもう国民性とかの問題ではない。
単純に政治家というものの質がアレを可決に進めてしまったのだろう。
端的に言えば『嘘吐きがいるならそっちの方は信用しないほうが良いんだね』と皆が思ったまでのことだ。
それが政治家のやり口だ。
国会前に集まった人間達も、反対だと言って止めている人間達も一人の暴走しすぎる人間が行った暴走を見て
識者が『犯罪紛いの行動して反対するのはテロと変わらないんじゃねえか』と言ってしまえば
犯罪紛いの集団、と呼ばれ、暴力を揮ってNOと言わせようとした愚か者と呼ばれ、そいつらの言ってることが当たってようが当たってまいが却下されてしまうのだ。
とかそういうのはもう十分議論されてると思うし、安倍ちゃんとかもそういうのに『最初は強く押して後は流れで』みたいなこと言ってんだろうなってぐらい茶番が酷くなってきた。
まぁ、もしそういう打ち合わせ無しに『Isayするな』とか言ってたら本当に馬鹿だし、その後『手は出しておりません』とか言ってるのも一度裁判沙汰にならないと理解できないレベル、だったりするんだと思う。
どちらにせよ、そういう政治家は取っ払っていかないと二大政党にしている意味合いは無い。
与党とそれの法案にとりあえず反対したいけどよくわからないから暴れながら賛成する馬鹿達にしかなっていないから。
選挙の時点でそれを篩い落としていけるよう、今後も頑張っていきましょうね。
おちんぴっく、もといオリンピックエンブレム騒動でネット世論()を煽って美味しくアクセスをいただいている糞バイラルメディアのNETGEEK。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という国民性を利用してもうひと稼ぎとばかりに、保守速報や痛いニュースなど憂国の士()連合と徒党を組んで多摩美の卒業制作やらグッドデザイン賞に放火してまわり、下級国民()の皆様がアクセスして溜飲を下げる度に広告費がチャリンチャリンで美味しいですぅ~(^q^)♪と、右手でワイングラス左手でバカを転がしてウハウハするも、情強の皆様から「パクリではなくオマージュ」「グッドデザイン賞はそういう賞だ」との指摘がなされて形勢不利と見るや、知ったかぶりがバレた男子中学生のように「そういう意見もあるね」と「ネットで賛否両論」みたいな見出しをつけて記事化して海底のサンゴに自分でイニシャル刻み込んで記事にしちゃった朝日新聞もビックリの捏造開き直りを絶賛展開中!!(イマココ)
ところでNETGEEKのサイト紹介「NETGEEKについて」を読むと、「著名人もNETGEEKを読んでいます!」という体でネット有名人()の皆様がいかにNETGEEKを支持しているかがツイートを引用()する形で記載されていて、いうなれば書籍の帯に「○○さんもお勧め!」みたいな感じでお墨付きを与えているわけですが、twitterでは今回の炎上に対していろいろ含む感じの発言をされているジャーナリストの津田大介氏(41)も永遠のスーパー中学生Tehu君やはちまこと清水鉄平などそうそうたる顔ぶれとともに「NETGEEKまたスクープだな!」という絶賛ツイートが大・掲・載されていて信頼と実績の糞サイトに太鼓判を押しちゃうの? 押しちゃってるの? みたいになってるんですけれど、こちらジャーナリストの津田氏におかれましてはご納得の上で掲載されていらっしゃるんですかね?
いやまあツイート引用されてるだけですしね、ちょっとtwitterガイドラインに違反する形で画像掲載されてるけど大した問題じゃないからいいよね? みたいな感じなんですかね。もしくは過去に「これからはバイラルメディアだ!」みたいなTOSHINAO SASAKI的な熱に浮かされて(TABILABOも海外メディアの記事をパクってる!とNETGEEKに糾弾されてたのがお笑いだけどネ!)、ついうっかり褒めて称えて持ち上げちゃったけど、昔の話だから仕方がないと思っているのかな?
いやーさすが津田さん懐が広い!!
NETGEEKみたいな糞捏造炎上サイトにお墨付きを与えているかのような形で自分のツイートを使われても文句の一つも言わないなんて!! そんじょそこらのアナルの小さいネット民にはできないことをやってのける! そこに痺れる、憧れるゥ!!
それとも本当にNETGEEKを支持してるの? 実は裏でネットジャーナリスト仲間としてつながっていて相関図とか書けちゃったりするの? 元ネトランでアングラ情報を書いていたライターとして「新しいメディア()のカタチ」だからとかシンパシー感じちゃってたりするの?
気になって夜も眠れません!
そう聞かされて来た。
それに対してどうのこうの言うつもりは毛頭なく、ただ、何かに似てるなと思ったら、
日本は9条があるから守られていると言う変な幻想を未だに唱えてる集団と、根本は同じじゃないだろうかと。
戦前、日本はその特殊なメンタリティ、国民性、さらに外交の稚拙さ故に世界から孤立し、戦争へ走った。
きっとばあちゃんの「神の国」という言葉も、そういう中で周囲からそう教育されて来たんだろうと。
でも、その周囲を作ったのは誰なんだろうと考えると、それは当時の政府・軍部もあるだろうけど
それを煽り立てたメディアであると言う事は、今では誰もが知っている事。
翻って現代、「戦争法案」を唱え、本質を歪曲し誇張して煽動しているメディア。
9条と言う実体のない「神」が居れば救われると思ってるお花畑の人達。
そういう意味で、「戦争は悪だ」「日本が悪い」だけを植え付け、「なぜ戦争に走ったのか」について
正面で向き合ってこなかった戦後教育の恐ろしさが、ここに凝縮されている様な気がする。
神である9条を唱え、自分たちは独立独歩でやって行くと、他国に一切干渉せずやって行くと、
それが出来るならそれでいい。だが、それならば尚の事軍備を強化する以外、自国を守る手段が無いよ?
おいおい、これって戦前と同じ構図じゃないか?
「守るものとされているものを守らないと、信用が下がる」のが問題なので、海外の電車のように社会的に「そういうもの」と認識されてしまえば問題ないとは思うよ。
その場合、「遅刻」なのではなく、時間の方が「目安」なのであって、その前後に電車が来るであろう、という曖昧な認識だから「遅刻だ!」とは言われないんだろう。
だから厳密に言うとそれは、待つ側の認識としては遅刻ではない。状態として「遅刻」だったとしても、それの是非を判断するのは結局人の心なので、受け手が遅刻と思わなければそれは許容される。
でも、日本の電車は時間を守るものとされている。明確な理由がない限り、単に怠惰な理由で遅刻すれば、信用が下がる。
「だらしない人」が「だらしない事」をしてもあまり信用はさがらないだろうけど、「ちゃんとした人」が「だらしない事」をすると、信用が下がる。
言い換えると、「ちゃんとした社会」で「だらしない事」をすると評価が下がる。
だらしない事をした人の信用が下がると、その属性としての信用評価となりやすいので、怒られる。良くない事とされる。
海外は遅刻に寛容なのに、日本だとどうして駄目なの、とそこだけ切り取っていわれれば、そういう社会であり文化だからとしか言えないと思う。
海外みたいに遅刻に寛容になれ!と言っても、そこだけを切って持ってこれないのが社会性やら国民性やらだから、しょうがない。
でもそういう日本の几帳面な部分って、世界で評価されやすいので、やはりいい事なんじゃないかな。全体にとっては。個々人にとっては生きにくいのかもしれないけど。
年齢を気にしすぎる その年々でこうであるべき感半端ない 上下関係を気にしすぎる
自分で考えることをしない 常識を疑わない 多数派の流れにのるだけ 自分の考えをもたない 考えがないがゆえにただ感情任せ こうであるべきという風潮に縛られまくり
違いを許容する力がない みんな一緒 同調圧力 出る杭は打たれる 周りの目を気にする
働きすぎて人生や幸せについて深く考えない 人生を仕事にウエイトおきすぎる
女は男にたかる 奢りが当たり前精神 経済的リスクを負わないから積極的に楽しもうともしない 経済的自立心がない
建て前が多すぎて本心がよくわからない もはや面倒くさいレベル 無駄に駆け引きする
原因として考えられるもの: 奴隷養育機関(学校)の教育 テレビ 単一民族国家 バブル老害 女性の社会進出雇用問題 国民性
元だけど投票には行ってるよ。野党に入れる。本当はその野党のことも好きじゃないんだが、抑止力になりえるものが他にないからね。
だからこそ野党の先生方のアホさ加減に改めて絶望していたところだよ。
強行採決が違憲かどうかについて私は特に言及していないけれど、どうしたのかな。
そしてなぜ、他人事のようだと断罪されねばならんのかね。君、手頃な対象を見繕ってはケンカふっかけるのが好きな年頃の高校生か何か?
君と私はたぶん目指す方向自体は同じなのだと思うが、そういう無駄な軋轢を生むような言動はやめたほうがいいね。生産的じゃないから。せっかく同じことを考えている人間同士がそんなふうにケンカしてどうすんの。
で、現状についてだけど、近々戦争で日本人が死ぬ。これはもう避けられない。
君の言うとおり、与党に投票したり棄権したりした人間のせいでもあるし、また、そうならないようにできることをしてきたつもりだったが結局力及ばなかった私達ひとりひとりの責任でもある。
日本は本質的に先進国になりきれなかった。根底にある精神は発展途上国のまま、戦争に負けた、当時のままなんだ。
今私達がいるのは、そういう国なんだ。
選挙に無関心な人々の意識を変えることは、少なくとも私にはできない。
目の前のひとりを変えることならできる。
しかし、5人、10人は無理だ。
これは君の憂慮にまったく共感する。
君や私のように一票の価値を知っている人間がみんな、まず目の前のひとりを変えることに努めていれば。
このままではいけない、と思いながらも、周囲と話そうとする人間がどれだけいるかというと意外に多くない。
デモや座り込みをする人々は、基本的に相手方と「対話」をする気はない。
彼らの中にごく少数ではあるが手段が目的になってしまっている人が存在し、そしてデモを主導するのは往々にしてそのような人々であることが少なくないからだ。
家庭で、学校で、職場で、世間話としてではなく我が身に迫る重大事として、たとえば反抗期の親子関係、住宅ローンや介護について、上司との折り合い、リストラの噂、そういったこととまったく同列に真剣に顔突き合わせて与党の政策について意見を交換し、熟考する場がどれだけあるか。
うちの父は新聞記者であったが、そういう家庭環境でも政治の話は世間話レベルから発展することはなかった。そもそも父も実際あんまりよくわかっていなかったようだったし、母は夕食時に政治の話をするのを嫌った。
これを変えることは至難の技だと思う。
実際に自分や家族が命の危険に晒されて初めて事態の深刻さを理解するのだろう。
これから起こりうることを想定しながら、できるだけの備えをしておく。
できることはそのぐらいだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20150416/280063/
エコキャップ運動のみならずベルマークから千羽鶴まで言及されているが、「協力しないと善意がない反社会的な悪人とみなされ集団から排除される」とまで飛躍し得るのが日本の村社会たる所以だと思う。
なにもベルマークやらペットボトルのふたを集める事が人格の高さにつながるわけじゃないのに、そんなことまで序列化されていく世界と視野の狭さは驚くべきものがある。どんな事にも比較と優劣を付けないと気が済まない国民性が良くあらわれている。
こうした見当違いの善意には、しばしば論理と合理性が欠けている。そして本人は「善意ゆえに」正しいと思い込んでいる。
いらないと言っているのに色々押し付けてきて、相手が感謝しないと怒りだす人がいるが、こういう運動をしたがるのもそういう手合いが多そうである。
結婚式の日取りを占いで決めつけ、従わないと怒りだす母親などは代表的であるが、これこそまさしく「呪い」だ。
(「あなたのために」と言いながら、良いことが起きれば自分のおかげ、悪いことが起きれば「お前の行いが悪い」。そういったものに振り回され、一生懸命他人を呪っている姿を見ると滑稽を通り越して哀れですらある。)
仮に、ペットボトルより現金の寄付を募ったらどうでしょうか、などと言おうものなら、発案者は己のメンツを潰されただのという理由で怒りだしそうである。
日本が母性社会と言われることが、この記事を読んでありありと感じられ、そのねばねばした気持ち悪さは、きっとよく言われる「田舎」な地域ほど強いのだろうと感じた。
集団や組織に属すると「個」が消え、「属性」にしかならない気持ち悪さは、しばしばそうした「善意による協力活動」に感じられる。
それが本当に本来の目的に合理的な方法を提案できる個人の集まりならいいが、たいてい理事長だの会長だの、あるいは声の大きい者によるトップダウン型な「お達し」によるものが大きいような気がする。会社組織などは言うまでもない。
なかなか勘がいいね、確かに都市伝説的に関心はある。
集ストの記事はここ数年新しいネタが出てきていなくて、読み物として純粋に面白くない。
つべにいろいろ賑やかなものを上げている人は、うっすら手帳査定対策ってのが分かる。ううーん、そんなに働きたくないのかぁ。
はっきり言うと各地の集ストは概ね失敗の様子。理由はターゲットが基本良識的で真面目であったことと、無関係の第三者まで実態を知ってしまったから。それから悪人判定されていたターゲットと全く別個な人々の凶悪犯罪のほうが目立ってしまい、リスト作った人らが面目丸潰れだから。
でここ何年か慌てて方々で火消しに走ってるみたいだからそっとしておいてあげるようにw
集ストというのは勘違いによる一種の地域トラブルなので、対象が無害と第三者判定を受けたら氷解するのよ。
そんなことよりバナナ食おうぜ。
肉やらなんやらが実質タダでもらえるっつうけど、
ふるさと納税を利用するための労力の対価って思えばそんなにお得じゃない場合もあるのがないがしろにされすぎ。
高額所得者じゃないともともとそこまでお得でもないし。
株主優待のために株買えっていうのと似てる。
費やすお金で最初から肉なりなんなり買ったほうがマシかどうかホントにわかってんの?。
みみっちく労力かけてちょびっとリターンあるとかそれほんとにお得なんかよ暇人かよっていう。
逆にそこまでやる労力と時間あるなら別のことやったほうがよくね?っていう。