はてなキーワード: 勘違いとは
正直、ソロアイドルなのに「冗談は顔だけにしろ」と言いたくなるようなクオリティだったので人気はお察し(似ている有名なものはホームベース)、Twitterも全件フォロバしてるのにフォロワー1000人もいないような状況だった。
シフト提出する時に休み取る理由聞かれて、某アイドルのライブだと素直に伝えたら、店長に俺がアイドルオタクだと知られ、「アドバイスをしてやってほしい。日当を出すからサクラをやってくれ」と言われて、娘が出演するイベントに行った。
知らない女のオリジナルソングなんて誰が聞くんだよ……権利問題とか云々言ってないで、1,2曲めは客層に合わせて赤いスイートピーとかAKBの曲とか歌って、アイドルだと知らせつつ聞き馴染みのある曲で客を集めろ、とか、至極当たり前なアドバイスをした。
そしたら次のイベントは結構盛り上がったらしく、サクラの日当も上がったのでしばらく現場に行っていた。
いわゆる地下アイドルの現場だけじゃなく、地元のお祭りみたいなのにも出るようになって、子どものファンが増えたりして。
リアルアイマスみたいでちょっと楽しかった節はあった。まあ、育成するアイドルを選べないところは致命的なバグだったけどw
それなのに、ある程度ファンが付いてきた頃、急に辞めたいと言い出した。
俺が日当をもらってたことを知らず、純粋に自分を好きで、自分の活動を応援してくれていたと思っていたそうで、俺が交際相手の女性をお祭りイベントに連れて行ったのがショックで、裏切られたと思ったんだそうだ。
娘の父親である店主が、娘に謝罪したそうだけど、自分の1番のファンで支援者だと思っていた人が、身内の雇ったサクラだったと知ったら、そりゃ悲しいよな。
その上、アイドルがうまくいかなかったら、俺に嫁にもらってもらって家庭に入るつもりだったらしかった……勘弁してくれよw
出演予定だったイベントは全キャンセル。とはいえこういう規模のアイドルのイベントは、出演者の方が出演料を払うような感じなので特に大きなトラブルもなかったそうだけど。
その頃には3000人くらいになっていたフォロワーも、最初は体調を気遣うリプライを送っていたものの、しばらくすると他の似たようなアイドルに推し変していったのか、ジワジワ減っていった。
俺がいなければ、あの子は勘違いしたままアイドルの真似事をしていられたのかなと今でも思う。
次が自分の降りる停留所だったから、手前の停留所をバスが出た瞬間に降りますボタン押したら
運転手が降り忘れた客がおると勘違いして、バスをバックさせてしまって気まずい思いをしたやで
それ以来ワイは早押しを封印したやでという話
「弱者男性」って言葉、最近よく聞くよね。彼らは社会的に不利な状況にある男性のことを指すんだけど、なんでそんな彼らがえり好みをするのか、ちょっと考えてみようじゃないか。今回は、少し煽り気味に、その理由を探ってみるよ。
まずはこれ!弱者男性って、なんでそんなに理想が高いの?って思うことあるよね。まるで自分がプリンスかのように、高嶺の花を狙ってることがある。
「いやいや、あなたのステータスでそれは無理でしょ」ってツッコミたくなるよね。
メディアの洗脳: 映画やSNSで見かける完璧なカップルに憧れて、自分もそうなりたいと思っちゃう。
自己評価がぶっ飛んでる: 自分に自信がありすぎて、実際の自分の価値を見失ってる。
夢見るドリーマー: 理想の恋愛を妄想して、それを現実にしようとしちゃう。
えり好みしてるのは、もしかして「自分こそが選ばれるべき」っていう勘違いした競争心からなのかも。現実は甘くないのに、なぜか自分だけは例外だと思ってることがある。
社会的プレッシャー: 恋愛がステータスとされる世の中で、パートナーを見つけることが成功と思い込んでる。
仲間意識の暴走: 似たような仲間内で、「俺たちが選ばれないわけない」って無駄に自信を持っちゃう。
実力不足を隠したい: 実際には大したことないけど、理想の相手を見つけることでカバーしたいって気持ち。
弱者男性のえり好みは、単なる現実逃避の手段なのかもね。理想の相手を追い求めることで、日々のストレスから逃れようとしているのかも。
社会の厳しさから逃げたい: 仕事や人間関係で疲れてるから、理想の恋人との妄想で癒やされたい。
経済的な不安: お金がないときに、理想の恋人と一緒にいる夢を見て、何とか気持ちを保とうとしてる。
孤独感の克服: 寂しいときに、理想の相手を見つけることで孤独を埋めたい。
実は、えり好みってただの自己防衛だったりして。傷つくのが怖くて、完璧な相手を探すことでリスクを避けてるのかも。
過去の恋愛のトラウマ: 過去に痛い目を見たから、次は失敗したくないと高い理想を持つ。
偏見からの防衛: 自分が弱者男性として見られたくないから、理想の相手を手に入れて見返そうとしてる。
心の壁: 心の中に壁を作って、新しい人を寄せ付けないようにすることで、自分を守ってる。
結局のところ、弱者男性がえり好みする理由って、自分に対する勘違いや過剰な自己評価が原因ってことが多いみたい。
でも、そんな彼らの行動を見てると、「本当にそれでいいの?」って思うこともあるよね。
いずれにせよ、彼らが選り好みをする理由は色々あるけど、結局は自分の中の不安や劣等感を隠そうとしてるのかもしれない。
もしかしたら、彼ら自身が自分の現状を見つめ直して、一歩踏み出すことで、本当に大事なものに気づけるかもしれない。まあ、その時が来るまで、彼らのえり好みは続くのかもしれないけどね。
アジア人蔑視や日本文化軽視の問題が改善されなくても、日本やどっかの個人が爆破するわけじゃ無い
ごめん、互いに勘違いしていたけども隅ってのは四隅のことね
自分の無知さの理由を若さに、相手の博識さの理由を老いに決めつけるタイプの年齢透視をするのは、自分自身が自分が物心ついている時代の出来事しか知らない・学ばないから相手もそうなんだという極めて浅はかな推定が通用する極めて狭い世界に生きている、社会に出た事のない引きこもり系なのかなって邪推しちゃう
加えて老人認定が煽りになると思っている点、これを『人を煽る時に使う言葉は自分が言われて嫌な言葉』のセオリーで解釈すると、自分が若くないことを気にしているおじおば入ってる人であることが某水原尊師じゃないけど『認知プロファイリング』できちゃうよねw
自分の世代に属さない事を学ばないなら、たとえソイツが若くても将来は年寄りの癖に無知な愚鈍老害にしか進化先はないだろうし、おそらくコイツはもうそういう存在になりかけている。だからそういう自分の無知自慢が若さアピールとして有効だと感じてしまうのだろう
本文
逆にエアコンの配置を考えて窓や室外機をつけないんだろうか
四隅ではなく壁の中央なら安いエアコンでもきちんと機能すると思う
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たぶん多くの人が勘違いしているけど天井につけろとはいってないからね???業務用じゃないんだからさ
なんかみんなわかっていると思っていたけど、普通は壁の四隅にエアコンはあるでしよ?
それを壁の中央に寄せるほうがいいって話ね
中央という書き方が、ブクマカにはシーリングライトみたいな場所に感じていたのなら、それはちょっと申し訳ないな
中央にあるって人もいるよね
実際俺の家は一階がそうなんだよ
けど他の部屋は全部が四隅
もっというと色んな家を内見してると、大概の賃貸や戸建ては四隅にエアコンあって、しかも気流を考慮していないことも多い
エアコンは穴と壁の補強が必要だけど、窓との兼ね合いで四隅になりやすいんだろうか
追記2
ブクマカに言っておくね
君達が勝手に解釈してコメントしている一方でちゃんと壁の中央のことだと判断してる人もいるんだよ
わからない人が勝手に天井直付けとか思って批判しているけどさ、君等がわからなくともわかる人が分かればそれでいいんだし、何よりブクマカに回答は求めていないんだよね
無理に批判するためにコメントしている奴等はマジでうざいからね
中央が天井かどうかなんてのは日本語の問題ではなく、俺の日記の書き方と君等の解釈の相違でしかない
それを俺が「天井ではなく壁の中央」といったらそれでおしまいじゃないか
なぜいつまでたっても日本語ニホンゴというんだ?
日本語の話なんてとっくに終わってるんだよ
追記3
あのさ、何度も書いてるけど君等がわかりやすいように質問しているわけではないからね
本記事を開いていただきありがとうございます。
前提となるイラストレーターかかげ先生の炎上を巡る騒動について、資料として簡単に共有させて頂きます。
概ね把握されている方は飛ばしてください。
本題に入る前にひどく長くなってしまいました、申し訳ありません。
彼個人については、私もあまり良い印象を抱けませんでしたので、やや乱暴な纏め方になってしまっているかと思います、ご容赦ください。
私が雑考したいのは、一連の騒動を追う内に頻繁に目に入ってきたフレーズである「かかげ先生の添削動画を見ているのは『本気』で絵が上手くなりたい人たち」は真か、という点です。
結論から言えば「そういう人もいるが、恐らくあなたはそうではない」というのが正直な考えです。
結論から言ったはずなのによく分かりませんね。順を追ってお話させていただければと思います。
では、そもそも「本気で絵が上手くなりたい人の行動」とは、どういった行動なのでしょうか?
「毎日毎日毎日毎日デッサンとクロッキーと模写を繰り返し、親に土下座でもなんでもして作業環境を一式整えて技術書で理論や技法をデジタルも含めて学び、毎日毎日毎日毎日デッサンとクロッキーと模写を繰り返し、親に土下座してでも専門的な学習ができる環境で添削してもらう」。
端的に、それが私の思う『本気』です。
更に覚悟が決まった人ならば専門の教育機関で勉強し、毎日毎日ノウミソを煮ながら作品制作に勤しむでしょう。
そこまでやってようやく画業の卵に成りうるのです。
もちろん環境的な要因もありますし、それが出来ないから本気ではないとは言いません。
しかし、絵にせよ、スポーツにせよ、勉強にせよ、仕事にせよ、『本気』とは大なり小なりそういうものです。
「やるべき事をやっているか」と言い換えても良いかもしれません。
それができているか否かは、きっと自分が一番良くわかるはずです。
真剣に向き合えば、「やったつもりになっている」というのは自分でもわかってしまうものですからね。
「自分はやるべき事をやったし、最低限の基礎に関しては習熟している」。
そう胸を張れる人ならば、かかげ先生の動画を見るのは非常に参考になると思います。
一家言あるだけに、かかげ先生の動画は「見栄えを良くする」「バズりやすくする」「いいねを貰いやすくする」という点に置いて非常に参考になります。
「今このキャラの二次創作を描いても伸びない」という余りにも明け透けすぎるアドバイスもありますが、なりふり構わず本気でやる上で必要なアドバイスである事に私も否やはありません。
かかげ先生に添削を依頼する方たちの水準は他の添削動画と比べてハイレベルに見えますし、モチベーションも高く、糧になるか、あるいは良い思い出になるでしょう。
繰り返しになってしまいますが、「かかげ先生の添削動画を見ているのは『本気』で絵が上手くなりたい人たち」とフレーズは、一連の騒動を追う内に頻繁に目に入ってきました。
そう言っている方々のアカウントのメディア欄を全て確認した訳ではありませんし、安易なレッテル貼りになってしまうのであまり言いたくはないのですが、あえてハッキリ言わせてもらうなら「やるべき事をやっている」とはとても思えない人達が非常に多い。
もし『本気』で絵が上手くなりたいのなら添削動画なんかを見ている場合ではない。
そういう方たちが、本当に多い。
これもぱっと見の主観になりますが、平均して年齢層も低く見えました(先だっての例に学生さんを想定した理由でもあります)。
なぜそういう方々が多いのか。
私も明け透けに言ってしまいますが、かかげ先生の動画は「本気でやってるつもりにしてくれるから」です。
かかげ先生の辛口、あるいは暴言と言い換えても良いですが、その口撃はファンサービスであり、むしろ糖衣なのです。
かかげ先生はデッサンが狂った絵を添削する時に「複雑骨折してる」「化物になっとるやん」「この絵は伸びへんよ」等々の言葉を使って、逐一「こうする」という訂正を行います。
私が思う辛口です。
「デッサンが出来てませんね、次」
終わりです。
適当なだけに思われるかもしれませんが、これは実際、合理的なのです。
そもそもデッサンが狂っている絵を逐一直した所で、その人のデッサン力が向上するわけではないからです。
言い換えるなら「根本的な基礎となるデッサンが狂っている以上どれだけ作品を直しても無駄です。評価する基準に達していません。出直してください」と暗に言われている訳ですね。
端的な事実の指摘というのは、下手な罵倒よりもよっぽど心を抉ります。
それと比べれば、なるほど、確かに「かかげ先生の辛口は愛のある辛口」「関西人なら分かる」という評価があったのも頷けます。
個人的には「関西人は毎度毎度テメーらの文化が全国に通じるモンと思い込んで当然のように全国ネットに脳死で流し込んでくるけど何で高々47都道府県のうち2府4県周辺しかないクソローカル文化にそんな影響力があると思ってんだクソ土人共が関東関西じゃねえよ全国ネットあんだから関西以外:関西で分かれるの理解して弁えろカス」とも思いますが、そこは一度置いておきましょう。
かかげ先生は本当に巧みな点は、まさにそこなのです。
意識的にやっているのかはともかく、「この動画を見ているあなたは本気でやっていますよ、正しいですよ」と思わせる雰囲気作りが非常に上手い。軽快な関西弁も一助を担っているのでしょう。
それが時に「オンラインサロンっぽい」とも揶揄される独特の空気感の正体です。
本当は薄っすら自分が「やるべき事」をやっていないのに気づいているし、
しかし、面白くもないデッサン模写クロッキーを毎日あらゆる娯楽を犠牲にして数時間繰り返すだけのモチベーションもない。
もっと単純にイキりたい、背伸びをしたいと見てもいいかもしれません。
そういった方々にとって、暴言じみた辛口で叱る動画は福音に見えるでしょう。
「こんな辛辣な動画をあえて見ている自分は『やるべき事』をやっている」と自分を誤魔化せるからです。
断言しますが、何にもなりません。
そういう方がやるべきは鉛筆を握ることで、動画を見ることではありません。
辛口の添削動画を見て何か成し遂げた気になるのは、例えるならサウナのようなものでしょうか。
私はサウナが好きでよく行くのですが、不思議なもので全身から汗を吹き出しながらサウナ室を出るとひどく何かを成し遂げたような心持ちになるのです。
その後に水風呂に浸かる時などは自分が苦行僧になった気さえしますし、外気浴の心地よさは今までの苦行の報酬のようにさえ思えます。
そうして整った帰りは心身がリフレッシュされて、健康になった気がします。
全て勘違いです。
健康になりたいのならば毎日運動して食事制限を行い酒を減らして煙草を絶ち規則正しい生活をすれば良いだけの話です。できやしません。
それなのに「サウナとは自分が気持ちよくなりたいから入るのだ」という自覚を忘れてしまう。
下手な例えで申し訳ありませんが、辛口の添削動画を見る時の怖さはそこにあります。
もしこれを読んでくださっている方の中に感ずる所があった方がいらっしゃるならば、その方に言いたいのは見ただけで自分が上等になれた気がする何かがあったならばそれは単なる勘違いであり、あなた自身の成長にとって害であるということです。
絵が本気で上手くなりたいなら、やるべき事は先程も申し上げた通りですし、 「人を描くのって楽しいね!」など、優良なサイトは世の中に沢山あります。
修了するのは中々高いハードルですが、もし本当に『本気』で絵が上手くなりたいのなら是非ご一考ください。
そして、ここまで長々と説教じみた話を繰り返しておきながら最後にちゃぶ台を返すようですが、絵を描くという事を趣味として楽しむことは何も悪いことではありません。
今は描けなくとも、20年後30年後に描けるようになればそれで良いというのが絵の良いところです。
何かを表現したいという意欲があるならば、たとえそれが趣味であったとしても『本気』に繋がると思います。
楽しんでください。
最後に、2009年の書き込みな上にやや畑違いではありますが、古のコピペを貼って締めさせていただきたいと思います。
どこの馬の骨とも知れぬオジサンの何の根拠もない雑考(というより半ばお説教になってしまいましたが)に長々とお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
よう、ニートども!
元気か。
今日はオレ様がお前ら腐れ豚でもアニメーターになれる方法を教えてやる。
鉛筆が無いやつは画材屋か文具店かホームセンターかスーパーで買ってこい。
ネット通販は駄目だ。
今すぐ買え。
Bを買え。
消しゴムは買うな。
必要ない。
紙はA4のコピー用紙だ。
これも手元に無い奴は今すぐ買いに行け。
用意ができたら描け。
すると手が慣れてくる。
緊張もほぐれる。
ウォーミングアップは終わりだ。
次に模写をやってもらう。
他の本では駄目だ。全く駄目だ。
消しゴムは使うな。
失敗した線を残したまま描き進めろ。
決して小さな絵を描いては駄目だ。
肩を動かして描け。
全身で描くんだ。
この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる。
間違いない。
この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる、というのは嘘だ。
理屈はその後でいい。
注文して買ってもらう。
その他の本は一切読まなくていい。
『ディズニーアニメーション生命を吹き込む魔法―TheIllusionofLife―』
も良書だが、
『アニメーターズ・サバイバルキット』は2~3日あれば読める。
もう一度読み直せ。
ただし今度は模写をしながら読め。
全ページ分の模写だ。
この再読&模写の作業が終了する頃にはありえないほどの自身が付く。
騙されたと思ってやってみろ。
ポイントは、教科書は『アニメーターズ・サバイバルキット』のみに
絞るということだ。
多少の違和感もあるだろうが、
勉強はまだまだ続くが、順番は守れ。
そうすればお前もアニメーターになれる。
上に挙げた2冊の模写が終わったら、『アニメーションの本』を注文しろ。
この本には、近藤善文が作った練習課題が載っているから、それをやれ。
2冊分の模写を終えた奴なら必ずできる課題だ。
だが、何の勉強もしていなくても、
そういう天才もいるが気にするな。
必ずだ。
巻末にある動きの実例集が役に立つ。
値段も安い。
動きの基礎が分かってきたら、今度は絵の練習をしてもらう。
絵は上手ければ上手いほどいい。
練習をしすぎるということはない。
たぶん、これはもう持っているだろう。
だが、持っていても、
全ページ分の模写をやった奴はそんなにいないだろう。
やれ。
ここで色々な本に手を出して、
この本を模写すると、
“あ、人間と~、動物って~、同じ~じゃん~”ということが分かるはずだ。
今のところは『やさしい人物画』で学べる内容で十分だ。
あせってマグの本に手を出すな。
現代のように容易な収益機会が落ちていなくなったマーケットというものは、丁半博打を細かく繰り返すようなものでしかなく、そこの浮沈に何か理由なんてない。
資金を1000倍にするような人だって、アイコ再戦でのじゃんけんで10連勝するくらいの確率で発生するが、そのじゃんけんの勝ちに理由をつけても馬鹿らしいだろう。ところが投資事になると自分の勝ちの理由を賢しらに語り出したり、それを聞いて膝を打つような勘違い聴衆がなぜか出てくるわけだ。
フェイクを入れながら私が描いている漫画のコメント欄の気持ち悪いやつの愚痴を書いていく。
少年漫画と少女漫画で両方のストーリーや絵のテイストはかなり違うが美少女が出るという点は共通している。
それぞれそこそこコメントが付き九割は丁寧で優しいコメントである。たまーにアンチっぽいコメントもつくがそれも全く気にならないタイプだ。
それでもとてもゾッとするコメントをつける人がいる。ここで彼をBとする。
Bは少年漫画の初期の頃からコメントをつけていた。最初は「おもしろい」ぐらいで特に嫌な気持ちになるコメントではなかったかと思う。
しかし段々馴れ馴れしく「上から目線のアドバイス」をしてくるようになる。
例を上げるとイケてないおじさんが女性に「そのメイクや服似合ってないよ」とニチャニチャ言ってくるあの感じ。お前に向けてやってねぇよ&お前なんで上からなんだよのアレである。
あまりに毎回ストーリーからズレたそこじゃねぇよなコメントなのである。少年だけでなく少女漫画の方にもコメントしてくるのだが他の方が「胸キュンだった」とか「尊い」とか書いてくださるなかで一人主人公の女の子の私生活についてつらつらと説教的なコメントをするのである。
もうこの時点であちゃ~感はあるが私も漫画家、このレベルのキモさはスルーしていた。
ある日他のファンの方たちのコメントが嬉しくて私は「いつもコメントありがとう!うれしい!」的なことを読者に伝わる箇所に書いた。
察しの良い方ならおわかりいただけると思うがこれでこのB「俺に言ってる!」と勘違いしてもはや作者の後方彼氏気取りでコメントしてくるようになった。普段どれだけ人とコミュニケーションをとっていないとこんな勘違いをするのか知りたい。
・おそらく中年のおじさん
もうね、別にこれ全部当てはまってようが上から目線後方彼氏面コメントしなきゃどうでもいいんですよ。
でもね、
少女漫画の方にまで「女キャラへの説教および私生活へのアドバイス()」「イケメンキャラを出すとめちゃくちゃ憎んだ嫌味」「頭の良いキャラへの見下しかつ嫉妬」「ストーリーが読めず他の人のコメントの空気感も読まないあまりに的はずれな自分の言いたいことだけを言うコメント」「もはや漫画を読んでいるのかわからないが作者のコメントには彼氏気取りで馴れ馴れしく返してくる」はやめてくれませんかねぇ!?!?
キモいんだよぉ!!!もう読まないでくれ!!特に少女漫画の方お前を対象にした話じゃねぇんだと気づけキモB!!!
スッキリした。
まぁBは例えこれを読んだとしても自分のことかもとは夢にも思わないやつだ。アホだから。
漫画家の友達数人にもこれを話しコメントを見せたのだが反応が様々だった。
まぁ酒の肴にはなったよBおじさん。消えろや。
コメント欄閉鎖できねぇかな〜!!でも九割は本当優しかったり丁寧で一生懸命感想くれる良い人たちなんだよな〜!
他の読者がBおじのコメントを通報したらしくコメントが消えた。Bおじは作者の私が消したと思って無事アンチに反転してイタイイタイなのでした