はてなキーワード: 判別とは
(1).正式版を発行する前に、作者や家族や子どもに下読みさせない。これらの人は、説明書の欠陥を見抜いてしまうからだ。中学生が読んでも分からない程度の難解な説明書なら、威厳が出てよい。
(2).ルールブック風に書き、レシピ風には書かない。「何が許容され、何が禁止されるか」だけを書き、「次に誰が何をどうすべきか」は読者に考えさせるべきである。道路交通法さえ読めば、自動車の運転は完璧にできるはずだ、と同じである。
(3).読者に「注意」させよう。「なお、〇〇に注意すること」と書くべきであり、「○○なら機械を止めよ」などと具体的な指示は書かないことだ。
(4).否定を使おう。「猫ではない場合」と書くべきであって、「犬か馬の場合と具体的なイメージが生まれる書き方はしない。
(5).堅苦しく書くこと。漢字を6個以上並べて熟語を作ろう。動詞は名詞化しよう。「歩く」ではなく、「歩行を行う」がよく、「歩行作業開始を行う」はさらによい。
(6).既存の説明書を参照させよう。読者が今読んでいるページで説明するのではなく、「詳しくは○○文書の○○ページを参照のこと」と、ページをめくる手間をかけさせるのだ。
(7).1ページあたり、10カ所ほどは下線や太字、傍点などの文字修飾を使って重要部分を目立たせよう。新聞記事では文字修飾は使わずに、小気味よい体言止めの大見出し・小見出しを使って、要点を目立たせているが、面倒だ。文字修飾は安直で、使い勝手がよい。
(8).絵や写真を絶対に使ってはならない。特に、部品の組み立て方などの幾何学的な指示や、良品と不良品の判別など実物写真があれば分かりやすい題材に対して、ビジュアルを使うのは厳禁である。何でも、言葉で表現しよう。
(9).説明書は、分厚く、長い方がよい。何でもちゃんと書いてあったというアリバイができるので、事故が起こっても説明書の作者は責任が問われない。どこに書けばよいか分からないが、書かないとアリバイにならないという情報は、「その他」や「注意事項」という章を作って、書き連ねておけ。「その他」が肥大化した説明書は素晴らしい。
(10).最後の1文で、どんでん返しをしよう。説明書の末尾に、「なお、○○の場合は上記の限りではない」と付けておけば、読者は最後まで気が抜けない。
(11).索引はつけない。PDFの説明書なら、キーワード検索ができないようにしておくこと。
(12).説明書の作成や改訂の理由や執筆者は書かないでおこう。そうすれば、数年もすれば、なぜこのようなルールができたのは誰も分からなくなる。
誰かに報告したかったけど知り合いに話せるような内容でないからここに書いておく!
興味はあったものの、ネットに上がっている女性用風俗のレポのほとんどが男性経験豊富な方とか処女ではない方によって書かれているのが気になったので、私の様に迷ってる人向けになれば。
タイトル通り25歳処女が女性用風俗へ行ってきた話。
行こうと思ったきっかけ:
生まれてから25年、性別関係なく他人を好きになった事がない。25年(もうすぐ26)そうなら、これからいきなり誰かを好きになる事もないだろう。結婚願望も特にないので、死ぬまで彼氏作らないんだろうなと思ったら一度くらい経験としてセックスしてみてえ!と思った。
性欲自体は薄い(今まで片手で数えられるくらいしかオ○ニーした事ない)が、なんとなくこの歳で処女なのがコンプレックスでもあったのでタイミング的にもちょうどいいかなと思った。
というわけでどこかで処女捨ててくるか!と決めたものの知り合いに頼む訳にもいかず、かといって逆ナンや出会い系でワンナイトするのも怖いし…と思っていたところ、深夜番組で素人童貞の特集をしているのを見てこれだ!と思った。お金を払ってサービスを受けた方が後腐れもないだろうし、金で解決しよう!
早速「女性用 風俗」でググってみるとどうやら性感マッサージというものがあるらしい。早速ネットで店を検索しいくつか候補を選んだ。
店を選んだ基準:
いくつか候補を探した中で、最終的に店を決めた基準はこんな感じ
予約を入れる:
思い立ったが吉日!がモットーの私だったが、今までセックスとあまりにも縁遠い生活をしてきたので生理周期を把握していなかった。とりあえず次のが来てから…と思っていたら行こうと決めてから3週間程開いてしまう。
個人情報はあまり出したくなかったのでとりあえず捨てアドを作成。偽名で予約するのができるとの事だったので好きな漫画のキャラから苗字を、女性タレントから下の名前を借りて新しい名前を作った。
HPには所属キャスト(男性風俗でいうところの嬢)のプロフィールが載っており、好みの男性を指名することもできる。ざっと見てみたが、先述した通り人を好きになった事がないのでマッチョだとか高身長だとか言われてもピンとこず店側にお任せにする事に。あと備考欄に男性経験がないという事を書いておいた。
不安:
風俗を利用するに当たって一番不安に思っていたのは盗撮だった。私なんかを盗撮して楽しいのか、金になるのかというのは置いておいて、まあ自衛しておくに越したことはない。普通のセックス動画がネット流出とかだったらまだいい。いや、全く良くないけど、最悪「元カレに流出させられた」でどうにか言い訳はできる。でも今回はマッサージという明確に女性側がお客の行為だ。盗撮を予防する方法を検索しまくって寝不足の一週間が続いた。
因みに盗撮が怖すぎてこの時のGoogle検索の履歴を見ると
「デリヘル 盗撮対策」とか「AV ばれ」とか「AV 素人 やらせ」とか
事情を知らない人が見たら何か勘違いされそうな検索ワードばかりが並んでて笑ってしまった。
デリヘル嬢の盗撮対策が一番役に立ちましたありがとうお姉さま方。あとAV出たらほぼ確実にバレるので生半可な覚悟で出演は決めない方がいいという事もわかった。
で、とりあえず下記を順守する事に。
ラブホ自体の盗撮はこの記事が割と現実的に思えたのでそこまで心配していなかった。
指定したホテルもチェーン店で女子会プランに力を入れているところだったので、悪評が経つ事に敏感だろうと思ったし。
この件についてはキャストも理解を示してくれ帰る前に鞄チェックをさせてくれたし、何も回収していない事を証明する為に先に一人で帰ってくれた。本当いいキャストさんに当たったと思う。仮面とか先に帰れとか我が侭言ってしまったかなとちょっと反省はしたが、風俗客のクソ客レポ読んでたらこいつらよりはマシかな…と思ったし、自分の身の安全には替えられない。
当日/本番:
先にホテルで待っていると着いたとの連絡が入る。緊張しながら降りていくとそこにはイケメンがいた。女性相手の商売という事で、清潔感がある男性しかできない、みたいな話を聞いたがそれ以上に普通に(という言い方も失礼か…ごめんなさい)ルックスもよくびっくりした。
一緒に部屋に向かい、シャワーを先に浴びた件を告げる。入室してからNG行為や好きなスポットを確認されるがなんせ経験がないのでわからない。全部お任せにして、キャストさんにシャワーを浴びにいってもらった。。。
で、施術。今回は90分コースをお願いしたのだがあっけなく終わった。詳細な体験とかはもっと文才のある方がどこかに書いてると思うのでここでは割愛するけど、結論から言うとイケなかった。あと処女だからか入口が狭くて途中から体力的な意味で辛かった。日常的にセックスする人の体力どうなってるの。
膣の中に指入れられてもあんま気持ちいいと思えなかったけど、これはもう何回かやるとスムーズに入るようになるし気持ちよさも感じられる様になると思います、とキャストさんから言われる。疲れはててる私を見てごめんなさいと謝られてしまって逆にこっちが申し訳なかった。いや、すごい頑張ってくれたのは伝わって来たし、まず私みたいな女が来た事自体がイレギュラーだろうし…。相手プロなのに気持ちよくなれなくてごめんなさい…。
そもそも今回行こうと思ったきっかけが今まで他人を好きになった事がなかったからだし、それ以上に性欲が強い方だったらもうとっくに相手を作っていただろうと思うと、どこかで聞いた「恋愛をするのにも才能がいる」という言葉を思い出す。今回風俗行って得た一番大きい収穫がその才能が自分にはないんだなと再認できたのと、特にセックス自体もそこまで好きじゃないというのがわかった事だと思う。あといい歳してこういう経験がなかったコンプレックスも解消されたし。
正直迷っている女子がいたら行ってみるのもアリだと思う。もちろんリスクが0という事はないので全力でお勧めできる訳ではないんだけど、選択肢の一つとして持っておくのは悪くない。
結局今回そこまでこういう行為が好きではないなと思った事を考えると、今後もし誰かを好きになる事があって、運よくつきあう事ができて、体を求められた時、あの辛さを「愛」で乗り越えられるんだろうか。好きだったら多分OKはするだろうけど、体力的にも割ときつかったし…そういうの一切なしでのお付き合いを申し込まれたら自分喜んで承諾してしまうかもしれない。
まあでも多分誰かを好きになる事はないので、それを実感する事はないんだろうな。とりあえず経験でもだけできてよかった。
とあります。
トランスジェンダーの中にはそもそも診断を受けていない人もいるし、性同一性障害と診断されても、手術や戸籍変更をしない人も多いです。
しない理由は人それぞれですが、する必要性を感じない、お金がない、健康上の問題で手術出来ない、時間がない(いわゆる性転換手術には、まとまった休みが必要になるし、術後もすぐに元と同じ生活が出来るわけじゃない)など。
むしろトランスジェンダーの中で戸籍の性別変更までする人は少数派で、この方法だとトランスジェンダーで現在トイレで困ってる人の問題は解決されません。
戸籍の性別は変えてないけど、社会的な性別は変えて上手く社会に溶け込んで生きている人が、戸籍の性別でトイレを使うと、当人も周りの人も困るでしょうし、
特に20歳未満の当事者は、戸籍の性別変更を出来ないので、学校のトイレが安全に使えず、学校に通うこと自体が困難なケースも出るでしょう。
具体的にはタレントのはるな愛さんのように、服を脱いでも女性にしか見えないけど、戸籍上は男性のままって人が男子トイレに入るようになり、
活動家の杉山文野さんのような、見た目はひげ面のおじさんだけど、戸籍上は女性の人が女子トイレに入るようになり、かえって混乱を招く事態となるでしょう。
戸籍分けの問題は、NHKでやってたレインボー風呂ジェクトを見ると分かりやすいと思います。あれはトイレじゃなく温泉だったけど、そこそこ問題が共通してるので。
https://www.youtube.com/watch?v=slTtgwCSyXI
この場合だと、はるな愛さんのような人は女子トイレに入れるようになりますね。
ただ杉山文野さんは男性ホルモンの注射や胸の縮小手術はしても、子宮や卵巣はそのまま、男性器の形成手術もしていないので、女子トイレのままです。
また女→男で戸籍の性別変更する場合、子宮や卵巣の摘出は必要ですが、男性器の形成は必須ではありません。
なので戸籍を男に変えても、男性器は作っていない人も多く(理由は手術代が高い、今の医療技術だと本物の男性器と同じクオリティの見た目や機能のものは作れない等)、こういう人たちは戸籍上男性だけど女子トイレを使うべきなのでしょうか。
またトランスジェンダーかどうか関係なく、病気や障害、ケガや事故で生殖器を切除したりユニークな形の人はどうするんでしょうか。
そして何より、生殖器の形を確かめる方法が難しい。トイレに入る前に下着を下ろして、形を見るのは非現実的ですし、
事前に病院等で発行された男性器、女性器認定証を持ってない人はトイレに入れないようにするとかでしょうか。
しかし見た目だけだと、男女どちらとも判別しづらい人はどうするかが難しいです。
戸籍の性別変更をしている人でも、見た目の性別も変更出来ているかは人によります。日本での戸籍の性別変更には、医師の診断や手術してるかが重要で、望みの性別で社会で通用出来るかは問われません。
なので戸籍の性別変更したのに、変更前の性別のトイレを使う事態になる可能性もあります。
またあくまでファッションとして異性装してる人や、ショートヘアで化粧もしなくてよく男性に間違われる女性とか、こういう人たちもどうするのか。
それと外見上、女性に見えない人は女性として扱わないとなると、フェミニストからの批判も想定されます。
盗撮など性被害を心配する意見もありますが、それらは同性間でも起こることですので(女子トイレで盗撮して、映像を売る女性とかいますし)、トランスジェンダーだけを排除する理由にはならないでしょう。
むしろトランス女性に男子トイレを使わせることによる、トランス女性の性被害リスクもあるわけで。
職場や学校など、利用者がある程度決まっている場所なら可能な選択です。
ただこの場合、他の利用者の反対があれば利用できないこと、新しい人が入ってきたり、トランスジェンダーの当人が部署移動などしたら、その都度理解を求める必要があること、理解を求める為にはカミングアウトをしなければならないなど問題が多く、安心してトイレが使える環境とは言いづらいです。
トランスジェンダーの側からみると、1番良い選択かと思いますが、問題はトランスジェンダーの人とは同じトイレを使いたくないという人との、軋轢が恐らくもっとも深くなる選択肢だと思います。
アメリカで2016年、当時のオバマ大統領がトランスジェンダーの生徒たちが自分の望む性別のトイレや更衣室を使うことを認めるよう公立学校に通達しましたが、全米で抗議の声が上がりました。
あと自己申告の都合上、男性(女性)としては社会で通用しづらい人が男子(女子)トイレを使用するケースも出てくると想定されます。
数が少ないです。トイレに行きたいのに近くない。あっても使用中で使えないといった事態が起こります。
数を増やせば解決しますが、トイレを設置するスペースや費用が課題になります。
そしてトランスジェンダーであることを明かさずに生活してる人にとっては、多目的トイレを利用することで、トランスジェンダーであると不本意な形でバレてしまうリスクもあります。
またトランスジェンダーの中でも、障害者やベビーカーを押してる人を待たせてまで、多目的トイレを使うのは気が引けるといった意見や、
自分は男(女)なのだから男子(女子)トイレが使いたいのに、これでは隔離されてるようで嫌だという意見もあります。
ただ反面、男女で分けられるのが嫌だという当事者もいます。そういう人からすれば、むしろ自己を尊重してくれた選択ともとれます。
あとは男性用のパウダールームや、男子トイレにサニタリーボックスの設置も検討も。
トランスジェンダーがトイレで何をしているかと言えば、おしっこやうんちをしたり、ナプキンを変えたり、手を洗ったり、化粧直しをしたり、髪型を整えたり、シスジェンダーの人と同じことをしてるので、
女性にタックルする行為はよくない、完全によくないが、それをしてしまうほどの精神状態というのはわかる。
仕事がキツくて頭がいかれそうになってた(自分ではそう思ってただけで既にいかれてたのかもしれない)時期、電車に乗って座席が全部埋まってるだけで発狂しそうだった。
前で居眠りこいてるオッサンの顔面を蹴飛ばしてやろうかと本気で思ったことも何度かある。
車内で突然ぶっ倒れてやろうかと思ったことも数えきれないくらいある。
足を踏んできたバカを追っかけてボコボコにぶん殴ってやろうかと思ったこともあった。いや、殺してやろうと思ったこともあった。
全員死ねと本気で何度も思った。
だが実行すると他人に迷惑をかけるし、自分に得なことが一個もないとわかっていたのでやらなかった。まだその抑制はできていただけよかった。
女性にタックルしていた男もおそらく何かで大きなストレスを抱え、精神状態が危ない状態だと思う。実際に他人に危害を加えるのはよくないが、たぶんその判別もできない状態で、誰か助けてあげたほうがいいと思う。
現在では事実上、結果だけを見るのであればWindowsやMac、UNIX、Linuxなどで実現可能な課題は変わらない。
ただ、商業的に一定の予算を持って開発されたプロプライエタリなアプリケーションソフトウェアの中には、その実現可能な課題までの手順を省力化できるものが多い。
システムは実装の違いがあれどPOSIXを基準に実装され(サブシステムとしてPOSIX基準を実装している場合もある)、操作性はCommonUserAccessを参考として実装されていることが大半でOSが違ってもほぼ迷わず操作することが可能だ。
これまで、こう言った話題の類似したものに「iPhoneを求める子供へAndroid端末を買い与えるのは虐待か?」などがある。
今回の話題の発端となったエントリでは娘さんはCLIP STUDIO PAINTを求めるまで、Linuxディストリビューションの1つであるUbuntuをある程度は使えていた様子が見て取れる。
更にUbuntuではファイルのドラッグ&ドロップによる移動操作などが当然可能であるが、娘さんはCLIの基礎的な操作まで行えるようになっており、PCスキルは同年代の子供よりも「できるほう」のようだ。
学校教育ではWindowsに触れていたようだが、Linuxの特性上デスクトップ環境を変更することによって見た目や操作性を著しく変化させることが可能で、娘さんからすると「パソコンによって見た目や操作性に多少の違いはあるもの」という認識だったようで、WindowsとLinuxのOSプラットフォームとしての違いをそこまで気にしていなかったようだ。
娘さんは今回の件でWindowsとLinuxの違いを認識していくようになるであろうが、この違いを経験することがプラスになるのかマイナスになるのかは、まだまだ稀少な事例過ぎて判別が難しいように思われる。
ただ、少なくともWindowsとLinuxの違いに良くも悪くもストレスは感じるのではないかと推測できる。
例を挙げれば、よく言われるようにLinuxにはPhotoshopやIllustratorは提供されておらず、ゲームの選択肢も少ない。逆にGIMPなどX Window Systemを前提に実装されているGIMPなどのアプリケーションはLinuxの方が軽く、パッケージ管理システムによるアプリケーション管理の容易さなどがある。
ちなみに父親はWindowsは高価なので誕生日プレゼントとしてならばWindowsを買える(おそらくCLIP STUDIO PAINTも同時購入)という道を示していた。
https://www.businessinsider.jp/post-169009
今後に注目、上限(10枚/日)決まってるので無茶はないと思うが、落ちてるレシート拾って送る奴もいそう、
写メとって送る
結論を先に述べると、人にとって分け隔てなく愛するということは不可能で、愛することはすなわち差別することにつながる。
それでもなお、それを理想として追いつづけていくしかない。それが神を捨てた人の宿命。
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愛には、対象を特定せずに広く与える愛と、対象を選り好みして特定のものにだけ注ぐ愛とがあるという。
前者の愛は、一神教における全知全能の神が人々に与えるものであるし、日本においては万物に宿る神が織りなす世界からの加護、あるいはお天道様が見て下さるという感覚が近いものだろう。
前者の愛をもたらす対象が人ならざるものであることからも分かるように、物事の如何に区別なく愛情を注ぐというのは、人にとって不可能にも近い不得手なことがらである。
人が織りなす愛というのは、何かと何かを区別する、あるいは誰かと誰かを差別することで特定のものに注ぐものである。それは肉欲によるようなものばかりではなく、優れたもの・素晴らしいものを愛でるときにも当てはまる。なぜなら、そのとき人は、劣ったもの・醜いものを選り好みして差別しているからだ。勿論、その選り好みは外見だけの評価とは限らず、内面や行動などで判断される場合もある。
美術が美術として評価されるのは、他のものと比べて美しさが秀でているからであって、誰か素人が作った作品よりも他人からの愛を受けているからだ。平等に愛を注ぐのなら、そうした素人作品と美術品すら区別なく差別なく、愛を注いでしかるべきだ。残念ながら、選り好みをしてしまうということ自体が、平等に愛を注ぐということに反しており、結果としてそのように世界を愛するというのは一般の人には到底不可能なことなのである。
それが不可能で、それでいてなおかつ愛を受ける身としては理想的であったからこそ、全知全能の神という概念を人々は作り出したとも言える。なにしろ、どんな存在であっても愛を受ける資格はあるのだから。たとえどんな悪事を働いていたとしても、無為な存在であったとしても、そんなことは関係ないというのだから。人々が与える愛は、相対的な肯定はあっても、絶対的な肯定はありえない。それは秀でたものがより愛され、劣ったものがより愛されないという状態であり、その基準は各々異なっていても、対象によって愛を与える程度が異なるというのは変わらない。その優劣は非常に恣意的で、単に身近にいるかそうでないかという差異であったりもする。親が子を無条件で愛すると言っても、子として存在しているからこそ他人より差別して愛するのであって、どんな人であっても同様に愛するというのとは全く異なっている。そうした相対的な愛ではなく、絶対的な愛を誰も分け隔てなく与えてくれる存在、それこそが理想でなくてなんなのだろうか。
かような神という概念を創出したことで、人々は平等に愛を得ることが可能になった。その愛が空想上のものであったとしても、構わない。重要なのは、当人が愛を受けていることを感じているかどうかであって、実体として誰かが愛を与えているかどうかではないのだから。
このように考えてみると、万物に対する差別なく区別ない愛というのは、人々の空想上のものに過ぎないと分かる。ただ、それは空想の産物であったとしても、非常に賢い発明であったことは確かだ。それに、実体がなかったとしても何の問題があるだろうか。愛を与える存在がいるかいないかに関わらず、愛を受けているという感覚があるということこそが重要なのだから。
いずれにせよ、これまでの議論から導き出されるのは、人は区別・差別することなしに愛することはできない、ということだろう。言い換えると、区別することで初めて愛することができる、とも言える。それは人種や国籍・身分その他という分け方でなくても、ヒトかヒトでないか、動物かそうでないか、生物かそうでないか、石ころだって特定の、例えば花崗岩や砂岩などと判別することで初めて対象を特定化て愛情を注ぐことができるのではないか。漫然と、自分の子供と野良猫とそのへんの石を全く平等に愛するというのは不可能なのだ。そのへんの石だって、他の石と区別することで初めて愛しうる対象になりうる。区別できなければ、その対象にすらなり得ないのだ。
故に、人を愛するにはその人を他人と区別することが必要となり、集団を愛するにはその集団を他のものと区別する必要があり、地域を愛するには他の地域と区別する必要が、国を愛するには他国と区別する必要が…となっていく。愛国心などと言っても、日本という概念があまり一般的ではなかった江戸時代には、諸藩における郷土愛はあっだだろうけれども日本を愛するという考え方はごく一部の外国を認識している人を除いて存在しなかっただろう。列島を束ねる存在(日本)が当たり前過ぎて、認識するに至らなかったというほうがより正確なのかも知れない。
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左翼のというより、人権思想などの近代思想の出発点は、フランス革命の自由・平等・友愛から始まっている。ここで友愛とは博愛とも同胞愛とも訳され、仲間に対する愛を示しているのだけれども、これも特定の集団に対する愛を唱うことで他の集団を差別している。平等とはあくまでその集団の中だけで適用される概念で、他の集団に対しては平等であることは必要ではないのだ。だからこそ敵であるフランス王家は斬首になったし、信条が異なる集団に対してはリンチが横行した。これは左翼思想を発展させた共産主義に引き継がれ、今なお信条の正統性を主張する形で争われている。
この近代思想は、神が行ってきた(と人々が空想した)分け隔てない愛を与えるという行為を、人が自らの意志で執り行おうとして産み出したものであろう。それは確かに理想ではあるけれども、実態として分け隔てなく愛するということが不可能であるが故に、ときに空想となり、あるいは夢想となって人々を混乱に陥れたようにも思う。
結局、現代人はその理想を、限定して扱うことで現実と妥協しているのではないだろうか。
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人は誰も、差別されることは拒絶するが、他人を区別することなしに過ごすことはできない。
基本的人権として求められるべき最低限の平等を規定しつつ、それ以上の区別は互いに棍棒で殴り合う、もっと文化的に折り合うなどして勝ち取るものではないだろうか。
日本の社会制度は子供の居る家庭を重視するし、日本の社会通念も子供の居る家庭を重視する
それらを無視して子供の居る家庭を貶める連中は相互扶助的サポートを得られやすいコミュニティから早かれ遅かれ勝手に出て行く
相互扶助を得られるコミュニティと相互扶助が得られないコミュニティのどっちに生活の余裕が生まれやすいのかは簡単に判別付くだろ
外見上の誤差5%って感じ
試しに自分の小さな頃の写真フィルムを10枚現像し、息子のデジカメ写真を10枚プリントアウトしてみて、友人にどれが息子でどれが自分かをやらせたら半分くらい間違ってる
よーく見ると耳の形が妻のそれだったり、眉毛の形が違うのだけれど、結果を見るに親族じゃないと判別が難しいレベルのようだ
というか自分の親父お袋(息子から見ると祖父母)が誤って俺の名で息子を呼んで居ることが結構あるところを見ていると、気をつけてないと親族ですら間違うんだと思う
お姫様になりたい当人がその意思をわかりやすい形で示してくれなきゃ判別しようがない。
でなきゃ周りも「あなたは私のお姫様だ」なんて相手にいえない。
お姫様になりたくない奴にそんなこといったらハラスメントだからね。
だから増田が言う「周りが認めなきゃお姫様じゃない」を実現するための土台として
お姫様になりたい当人が「本気でお姫様になりたい」って周りにわかりやすく示す必要があるんだよ。
「男の子だってお姫様になれる」は呪いにはなり得ない。むしろ本気度を測る門番みたいなもんだ。
お姫様になりたいと思う当人がそれを呪いだと感じるなら、自分の「お姫様になりたい」っていう思いと向き合ってどれだけ本気なのか己に問わねばならない。
仕事柄、勉強の苦手な中学生を指導することが多いのですが、極一部に「惨憺たる」としか表現できない生徒が居ます。
具体的には
「秩序」が読めない。
「understand」の意味を知らない。
といった生徒です。
そのような生徒たちには、3つの共通点がある事が分かりました。
(全ての人間が学力を要する職に就く訳ではなく、現代社会にそのような職は必要不可欠である。)
といった事実を踏まえてもなお、進路を実現するためには学力を要します。
この事に類似した事実を、彼らは教えられていません。彼らは受験に際し、初めてこの事実に触れるのです。
②楽しめる活動がない。
部活動、学校行事、読書やイラスト、ドラマやアニメの視聴など、何か一つでも楽しいと思える活動があれば、それをストレスの発散や、人との交流に使うことが出来ます。
③基礎知力が足りない。
自習して学力が伸びるためには、最低限の考える力や知的好奇心が必要です。
それは、オセロやすごろくなどのボードゲームや、しりとりや駄洒落などの言葉遊びで培うことができる程度の物です。
それさえあれば、日常生活から語彙や知識を増やすことができます。
以上を満たした生徒は、急に勉強を強要され、分からないことを教えられ続け劣等感や反感を抱き、それを解消できない。
といった状況に陥ります。
①から③の共通点は、幼少期に親子で会話をしたり、音楽が好きそうであれば楽器を習わせたり、一緒に遊んだりする事で回避できるはずです。
最も劣悪な場合は、親がそれらの事をしておらず、子供の学力は学校や塾の責任と捉えている場合です。
その場合、親の勉強に対する態度により、子供が社会的にも精神的にも不利益を被ることになります。
これは最早「知的ネグレクト」と言う形で捉えるべきではないでしょうか。
ならないと思うんだよね。
ポケモンとかNARUTOとかワンピースとか、らんま1/2とかその他たっくさんある。
コレを全世界に発信したとする。
すると、どこかの国が「似ているけど全然別物なんだ!」と主張してパクリもんを出す。
自分の国が全世界に「すごい」って伝わるのは嬉しいだろうからね。
で、こういった行動をするのは「一部のガメツイ奴」だけなんだよな。
便乗して「パクッて何が悪い」とか言う奴も居るが
たいていは「いい加減にしろよ」って自分の国にあきれてたりする。
中国は……知らないけど。
人のレベルに大した違いは無いと思う。
日本の何倍も大きい国だったらもっと大変なんだろうなって少し同情する。
ま、自分の国だって結局は他国に関係ないんだからどうでも良い存在じゃん?
なんでそんなに敵視してるのか意味が分からないよ。まぁ、戦争とか言われたなら分かるけど
歴史を辿って文句いったところで、「お前その時に実際に生きてたの?」って時代がそろそろくるよ。
いい加減、国で判別するのはやめたほうが良い。
その人の言動だけに気をつけようよ。合わないなら逃げれば良いし。