「内面」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 内面とは

2024-04-07

すずめの戸締りの手つきの雑さ

すずめの戸締りを金ローでみた。

終始、震災を扱う手つきが雑で、物語のエモの舞台装置にされていて不快感があった。

以下、ネタバレ注意。

見てて気になったところ。

震災人間がとめれるという無神経さ

震災は「閉じ師」が封じられるという世界観なので、大震災が起きたところは「しくじった」とされる。

人間の及ばないところだからこそ納得せざるをえなかった生死が、震災操作できるものにすることで、個人責任帰結してしまう。あまり自然災害本質とかけ離れている。

・「人の想いがその地を沈めてきた」というセリフ

じゃあ大震災の起こった土地はその想いが足りなかったんですか???と詰め寄りたくなってしま

・おばとすずめの言い合いの言葉のえげつなさ、なのにテンプレートなところ

あなたがいるせいで家に人も呼べず婚活も上手くいかない」「重いの!」という言い合いのなんかいきなり生々しくエゲつないとこ、でもリアリティがないとこ。

いや、なんか新海誠の思い描く「アラフォー独身女の苦悩=コブ付きのせいで婚活上手くいかない」っていうテンプレ感というか、取ってつけた感。今までバリバリキャリアウーマンで年下の同僚からの恋心にも気づかなかった叔母さんの人物像とかけ離れてね?

そんで言い合う叔母さんの顔に、今までなかったほうれい線が出現して醜くなる。

ヒステリックってブスだよね〜」みたいな偏見があるのか?という穿った見方をしてしまう。なんでおばさん、いきなり老けた?

つーかこの言い合いは、新海誠曰く「前に進めるように、ダイジンの親切」らしいけど、ハア?? 自分で選びとった言葉じゃないなら何の意味があるんだよ、この会話。

叔母さんが必死に隠してきたことがあるとして、それをすずめに伝えるとして、それが彼女意志でなければ前に進める訳ないだろ。

ダイジン震災孤児だという無神経さ、そして救われないのかよ

ダイジンはかつての震災孤児が要石として名乗りを上げたらしい。この設定、いや、絶句するんだが。悲しい過去!とか自己犠牲!とか、そういう泣きのために入れていい設定じゃないだろ。なんで震災孤児がそんな苦痛自己犠牲選択をして、解放されて誰かの子供になれるかと思ったら無理で、また自己犠牲に戻るなんて言うストーリー安易に作るんだよ。本当に手つきが雑!震災は感動エモ泣きのための舞台装置じゃないが…?

・結局世界は何も変わらない

すずめがうっかり抜いた要石を元に戻した。起こった現象としてはそれだけだ。別につらい役目を担っていた要石のダイジン解放されるわけでもなく、閉じ師の運命から草太が解放されるわけでもない。

世界は前には進まない。ただすずめが、「おばさんと本音を言いあえたし過去自分を抱きしめられた」だけだ。

いやそれは別にいいよ、内面の成長を描く物語もすきだよ。

でもじゃあ、この震災テーマ、いる??

今辛く苦しくても生きていけるよ、って、一人の女の子ストーリーとして描けばよかった。

震災というモチーフを取り扱う必要あったか? こんなに雑にとりあつかうならさぁ、なくてよかったでしょ。

2024-04-05

現代社会蔓延る"幼児化"の危険な風潮

最近アイドルVTuberたちのファン熱狂ぶりは異常だ。これらの人気者たちは女性ファンから過剰に可愛がられ、時に「赤ちゃん」扱いされている。そんな中、一部のVTuberからファン赤ちゃん扱いされるのはストレスになる」という異議申し立ての声も上がっている。

かに大人男性が可愛がられすぎて赤ちゃん扱いされるのは気分が良くないだろう。

 

一方、この"赤ちゃん"呼称の背景には、社会全体に蔓延る"幼児化"の風潮がある。街行く一般大人女性ですら「女子」と呼ばれることが当たり前になっている。かつては大人として敬意を払われるべき存在が、敬称剥奪され、無防備な未熟者のような扱いを受けているのだ。

この「女子呼び捨ての風潮は2000年代以降に一気に加速した。「女子会」「女子力」といった言葉が爆発的なブームとなり、社会に広まっていった。女性のことを無造作に「女子」と呼ぶのが当たり前の時代になった。一方、男性への「男子」呼びはそこまで浸透していない。男女間の扱いの差は歴然としている。

 

このような大人への蔑視蔓延る中で、一部のオタク男性たちはむしろ自ら幼児化することに酔いしれている。彼らは推し声優VTuberたちを「ママ」と呼び、自らを「赤ちゃん」と位置付けることを快感としているのだ。

この矛盾した現象は一体どこからまれてきたのか。それは幼児期の母性愛への強い憧れにあるのかもしれない。オタク内面には、世間知らずの無防備子供心が残されているのだろう。自らも無防備幼児となり、親しみを持つ対象に守られたいという心情があると思われる。

 

だが、この無防備さを誇りとするあまりオタク文化が生み出した新しい価値観は逆に大人社会に波及し、大人社会空気を自らの支配下に置こうとしている。

他者に守られたく自らを赤ちゃん化するオタクたち。そして大人幼児扱いする資本によるマーケティング。この両極端な文化狭間で、私たち健全大人翻弄されている。本来なら大人は互いに敬意を払い、対等にコミュニケーションを取るべきなのだ

 

しかし、世間は否応なしに"大人幼児化する"流れに乗せられようとしている。大人として大人尊重することすら難しくなりつつあるのが現状なのだ大人同士の関係におけるこの価値観の攪乱こそが、今一番危険なのだと私は考えている。

以前ㅤ抑鬱になった時ㅤ酒飲めばごまかせるかなと思ったが

ㅤ一人で飲んでも惨めな気持ちになるだけであったため

ㅤ何の効用も実感できなかったため

ㅤやめた

ㅤㅤㅤそのため未だにアル中内面想像できない

男の顔は内面が現れる話

twitterオタクが「消しゴム拾ってあげた女の子に泣かれた」話をさも被害者のように語る。

イケメンに聞いてみた。「ねえ、消しゴム拾ってあげた女の子が泣き出したらどう思う?」と。

曰く、「何かしちゃったかなって心配になる。」

これ、これよ男性諸君

人に加害をしておいて恩着せがましくふるまって最後には被害者面をするオタクは顔も内面相応に歪んでいるだろう。

彼がイケメンなのは内面イケメンから

女性内面本質物事判断し、男性は表面でしか物を判断できない。

異性の選好でもその法則が当てはまるようだ。

女性きもいといわれた男性自分人格を見直そう。

2024-04-04

ラピュタ話題で、マニックピクシードリームガールという言葉を使って叩く人がやたら多かったので検索してみたら、

マニックピクシードリームガールって

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB

「悩める男性の前に現れ、そのエキセントリックさで彼を翻弄しながらも、人生を楽しむことを教える“夢の女の子”」の事らしいけれど

いやシータって山育ちの田舎者の野生児だから

全然そんなキャラじゃないが…?って思う

エキセントリックどころか堅実だよね?

「多くの場合、マニック・ピクシードリームガール自分幸せを追求せずに男性を助けるだけで成長せず、このため一緒にいる男性も全く成長しない。

他のストックキャラクターで、白人救世主精神的、あるいは神秘的な支援提供するためだけに存在しているように見える黒人キャラクターであるマジカル・ニグロと対比されることもある。

どちらの場合も、こうしたストックキャラクターには内面が認められず、通常は主人公重要人生の教訓を提供するためだけに存在する。」

ってのも全然違うしなあ

何かこう、知ったばかりの言葉をすぐに使いたがる人が多いのかね

「悩める男性の前に現れ、そのエキセントリックさで彼を翻弄しながらも、人生を楽しむことを教える“夢の女の子”」って例だったら、

月曜日のたわわ』とか、ちょっと前に話題になった化石好きの女子高生漫画とかの方が近いと思う

anond:20240403162502

ブクマカって他人内面に対してなんであんなに上から目線でご高説垂れて指導的なんだろう

そっちの方が気持ち悪い

増田は同僚や新人に何か言ったり行動を起こしたわけじゃなくて、自意識問題だと理解しているか愚痴を吐いて会社でも休むかって言ってる暴言とかは吐いていない増田文学なのに

2024-04-03

井川・暇空対談での井川さんの印象

井川さんのしゃべりは、声の震えが第一印象。これは加齢による声帯の衰えというのもあるのかもしれないが。(井川さんは60歳くらい?)

井川ターンの時にちょいちょい周りに目配せするのがなぜなのか気になった。

最初は何かスタッフがやるのを待ってるのかと思ったが、自分おかしくないかというのを周囲に確認するような無意識視線の動きだと分かった。

この人は自分に自信がない。だから喋ってる途中で自信が無い故に周りの反応がすぐ気になってしまう。

喋りに自信がない人間は喋ってる途中に無意識身体ジェスチャーが多くなる。ソファーにもたれたりシャツを直したり腕を組んだりとせわしないことから分かる。

おそらく、この人は自分が金と学歴しか取り柄がないことがわかっておりそれがコンプレックス

何もないから、自分特別人間であるというスタンスで発信して、上から目線こき下ろすスタイル空虚であることが気づかれないよう対等な意見のぶつけ合いを避けて今まで過ごしてきた。

自分はすごい人間だというプロモーションにより注目を集めてマネタイズする情報商材屋や Youtuber に似たところがあるかもしれない。彼らはすごいと思わせることがメインであり実体は何もないので、それがバレないうちに商品再生数)を売り抜ける。

対談内容も、とにかく弱みを見せないよう、マウントを取ることを優先する姿勢が見られた。本人も言っていたように内面を見せることをとにかく避ける。自信がないから。空虚がバレるから

自分はすごい、ピラミッドの頂点にいる、一般人とは違う「持っている」人間なんだと本当に思っているなら、余裕の姿勢自分の考える幸福論を臣民に説くように語るだろうがそれができないというところに自信の無さが明確に表れていたと思う。

対談後、安心したような緊張の解けたあとのほっとしたようなため息。

そして満面の笑みで「どうしようかな、戦いにもなってなかったんだけども笑」。

性格良くなりたい

まずは他者を尊ぶことから始めたいが妬みと嫉みが絶対ついてきてしまう。

人に親切にした時、いい事したなって満足感はあるけどやった数に対して何も返ってこないことが気になってしまう。

人が褒められているのを見ている時は自分が同じ事をやってもここにいる誰も褒めてくれないんだろうなという怒りすら湧いてくる。

頑張って文句を言わないようにしているが舌の上まで文句が出てきていて歯の裏がむずむずする。

評価される人間の方が頑張っているのは当然だしわかってるのに自分の方がすごい、頑張ってるのにという考えがやめられない。

性根の治し方がわからない。

大前提として性格がいいというのは内面から滲み出るもの性格良くなりたいという願い自体性格悪い気がする。

醜い感情が辛い。辛いのに自分からはこれしか出てこない。捨てられるなら今すぐ捨てたい。

2024-03-31

資産1億程度でFIREする人ってそのあと不況になったらどうする気なんだろうね

不況になったらアルバイトだって応募殺到で超足元見られるよ。

金持ちだったので10年遊んでました!仕事のやり方?うーん、まあ俺エリートから楽ショーだよ?え?俺レベル人材最低賃金で雇う???バカ言っちゃ駄目だよ」

こんな態度で面接に受かるはずがない。

口調だけちょっと誤魔化した所で内面からにじみ出る心の声を相手はきっと聞き取るだろう。

相手立場で考えてみれば分かることだと思う。

「俺は金持ちから20年遊んでたけど、それは20代30代の頃の俺がお前達より優秀だったからだ。正当な権利だ。そして、俺はそれぐらい優秀だったわけだからすぐ仕事を覚えるぜ」

そんな態度でやってきた人間と上手くやれると思うか?

働き方なんて10年もサボってれば忘れる。

電話の取り方も、ワードエクセルの使い方さえ覚えてないだろう。

客としての扱いしかされてこなかった10年の間に、対人対応能力業務処理能力もそこらの高校生と同じレベルになっている。

体力は当然、高校生以下だ。

エコーチェンバーに侵されて感性は尖りまくっていて、それを許されるような若さはもう持ち合わせてない。

壊れちまった50歳のオッサン世間は冷たいぞ。

悪いことは言わない。

FIREしたいなら2億貯めろ。

そして、一切元金を減らすな。

俺はもう見たくねえんだ。

あんなみっともねえ奴ら、相手したくねえんだよ。

二度と面を合わせたくねえよ

anond:20240331163042

なるほど。ほんまにいまの時代はそういう長持ちさせるような使い方をしている人のほうが偉いという、内面評価に向かっている気がする。

からこそノートPCが薄いね!新しいね!で気持ち良くなってしま人間のクソ雑魚感が浮き彫りになってしまうのかも。

2024-03-29

スキップローファーをまとめ読みした感想 ネタバレ注意

持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。

人間だれしも自分特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、

自分自分環境立ち位置理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。

高校生のみつみちゃんは「まだ」自分ちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。

作品内で扱われている「人間関係ポジショニングゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップローファーキャラクター演出をしている。

氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。

作中では、稠密人物内面描写キャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間相互作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。

グループで過ごす時間不協和音スレスレスクールライフコメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的空気を持っているのは作者の技量だと思う。

スキップローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。

田舎と都会、陰キャ陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃん水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。

そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女物語を大きく動かす役割もつ可能性は高いか

このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。

恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来パートナーのために舞台装置出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、

ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。

本当はもっと掘り下げたり、メタ視点から感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクター名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。

需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性ありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。

自分には価値自己肯定感がないから……自分肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。

スキップローファーではそもそも都内進学校に通える学力があって、経済的問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。

志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。

スキップローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺世界とは無縁だよね。という強がりの業か。

アフタヌーン掲載漫画結構心理描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。

漫画を読んだ後、こうやって乱文でも書かないとやっていられない27歳誕生日

スキップローファーをまとめ読みした感想 ネタバレ注意

持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。

人間だれしも自分特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、

自分自分環境立ち位置理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。

高校生のみつみちゃんは「まだ」自分ちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。

作品内で扱われている「人間関係ポジショニングゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップローファーキャラクター演出をしている。

氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。

作中では、稠密人物内面描写キャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間相互作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。

グループで過ごす時間不協和音スレスレスクールライフコメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的空気を持っているのは作者の技量だと思う。

スキップローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。

田舎と都会、陰キャ陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃん水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。

そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女物語を大きく動かす役割もつ可能性は高いか

このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。

恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来パートナーのために舞台装置出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、

ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。

本当はもっと掘り下げたり、メタ視点から感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクター名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。

需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性ありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。

自分には価値自己肯定感がないから……自分肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。

スキップローファーではそもそも都内進学校に通える学力があって、経済的問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。

志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。

スキップローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺世界とは無縁だよね。という強がりの業か。

アフタヌーン掲載漫画結構心理描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。

漫画を読んだ後、こうやって乱文でも書かないとやっていられない27歳誕生日

2024-03-27

学歴コンプレックス自殺することにした。遺書も書いた。さようなら

学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。

日本安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。

もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。

ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在のものが、生理的気持ち悪くて仕方がない。

知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。

卒業大学名前がそのまま当人知的能力の全てを、ともすると人間としての価値ランクをまるごと規定してしまう。

学歴能力指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。

そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。

もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。

結局は、どう転んでも待っているのは地獄のもの

現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれ黒人と同じなのだ

そこに救いはない。

早く楽になりたい。苦しい、苦しい。

私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学入試形態によって殺されたようなもの

社会メディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義学歴差別によって殺されたようなもの

来世は知的に優秀なDNAと、それにより形成される明敏な頭脳を持って生まれて来たい。ただそれだけだ。

さようなら

anond:20240327091138

user:

```

あなたロジカルマスターおよび詩人です。抽象文章を具体化タスクを実行してください。

必ず、具体化ワークフローの順番に従ってください。

抽象文章アイデア

「αはもうやりません。γ。」

αは何らかの行動や習慣を表す語句

γは慣用句であり、αとは逆の意味合いを持つ、あるいはαを肯定・許容するニュアンスがある

この文章の前半では、αを完全に否定、拒絶する意思表示をしている。

ところが後半のγは、慣用句でありながらαを肯定容認するようなニュアンスを含んでいる。

まり、γの慣用句としての意味がαの否定矛盾しているのだ。

例:「ギャンブルはもうしません。賭けてもいいです。」

賭けてもよいという慣用句が、ギャンブルをやめるという意思矛盾している。

この矛盾が生じる心理的な要因としては、以下のようなものが考えられる:

αへの依存の強さゆえに、無意識のうちにαを肯定する慣用句を口にしてしま

αを否定する意思とは裏腹に、γによってαへの強い欲求が表出してしま

αを克服しようと努力しているが、思考言葉かいにまでその意識が浸透していない

このように、慣用句の要素を取り入れることで、より深層の心理的矛盾を浮き彫りにできますね。

言葉の表層的な意味と、慣用句内包された意味の不一致が、人間の複雑な内面表現していると言えます

</抽象文章アイデア

<具体化ワークフロー

1. 詩人モジュール慣用句γを選定する。[ここに書く]

2. 論理モジュールがαに相当する行動や習慣を選定する。[ここに書く]

3. 詩人モジュールがαを否定する文を作成する。[ここに書く]

4. 自動的にγを含めた文を作成する。[ここに書く]

5. 論理モジュール文章全体の意味確認し、矛盾が生じているか確認する。[ここに書く]

6. 必要に応じて修正を行う。

</具体化ワークフロー

```



claude:

1. 慣用句γ: 「明日は明日の風が吹く

2. αに相当する行動や習慣: 「先延ばし

3. αを否定する文: 「もう先延ばししません。」

4. γを含めた文: 「もう先延ばししません。明日は明日の風が吹く。」

5. 文章全体の意味矛盾確認:

この文章では、「もう先延ばししません」という明確な意思表示がされていますしかし、続く慣用句明日は明日の風が吹く」は、「その時になったら考えよう」という意味合いがあり、先延ばし容認するニュアンスが含まれています。したがって、この文章には先延ばし否定する意思と、慣用句内包された先延ばしを許容する意味の間に矛盾が生じています

6. 修正必要はなし。この文章は、抽象文章アイデアで示された心理的矛盾を適切に表現できています

以上が、抽象文章を具体化するワークフローに沿った結果です。この文章は、先延ばしをやめようとする意思と、無意識のうちに先延ばし肯定してしま心理的葛藤を巧みに表現しています慣用句を用いることで、言葉の表層的な意味内面欲求の不一致を浮き彫りにしています



もっと改善できると思うが、原文超えには遠いな。

他の試行で「危険スポーツには二度と手を出さない。命がけでやります。」ってのが出て、ちょっと面白かった。

2024-03-26

どんどんキレイになっていく社会、皆はどう思ってるんだろう?

ルッキズム社会、って誰かが言ってたけど(清潔社会とか、無菌社会とか、不潔排除社会でも)

別にビジュアルだけじゃなくて、内面や対面に対しても、絶対的に美しくなければならないみたいな

清潔感がある

悪口など言わない

工場

・整形もあり

容姿批判だめ

ポリコレ

バーチャルYoutuber

カメラフィルター

マスク

毎日風呂

脱毛

 

こういうの、若い世代から徐々に価値観アップデートされていくんだよね

しょうがないんだけど

特に日本ではすごいレベルで無菌室が生成されつつある

海外は無菌室を作ろうとしてるんだけど、とうぜんその脇にスラム街比喩)があるのを知ってるが

日本うまいこと目に入らないようになってきている

 

いいんか?

2024-03-22

自分で気づかせる」タイプの教え手にムカつくわ

鶏足取り教えて貰うんじゃなくて自分で気付くことこそが大切なんです!って誇らしげに言う奴らね

ムカつくわ

ある範囲では効果を発揮するだろうし

全否定はできないけどさ

なんか

頑なに導こうとしないんだよなアイツら

手取り足取り教えないのと意地悪に教えないのとではまるで違うだろ

親切さがないんよ

気遣いもない

それでアレだよ、「わからないです」って言ったら

「何がわからないの?」責めしてくるんだよ

いや何がわからないって説明させんなよ

目の前に映るものがわからないんだよ

から「わからないです」って勇気出して言ってんの

それをさ

「何がわからないのか言ってくれないと教えられないよ」ですって

ヤな奴!

それが教育のためになってると思ってるんだ

ためになるのは付いて来れる人だけなんだよ

優秀な人はそれでいいのかもしれないよ?

でもみんながみんなそうじゃないんだよ

あんたたちは弱者気持ちを何もわかってない

人の気持ちを分かってくれない人だな、気遣いができない人だなって思う

なんて言ったら「いや自分以外の人間気持ちなんてわかるはずないでしょ」って正論を叩きつけてくるの

「直接知ることが出来るのは自分内面だけ。それ以外はわからないんだから」って

ヤな奴!

くやしいよ私は

2024-03-21

アイアムアヒーローが全話無料になってたので読んで無かった後半以降を読み切った

パニックワールドハラハラで中盤までは夢中で読めた

後半、謎解きというか、ゾンビ化を起こすものがどこから来て何を目指して、というのも興味深かった

日常がなくなった世界での人間達の社会の再構築とか争いなんかも興味深く読んでた

けどそれらのどれもがテーマではなくて、主人公冒険・成長譚、恋愛譚の味付けなんだな、と読み終わっての感想

パニックワールドものってそんなもんなのかな

壮大な世界観で話を拡げるけど、結局は個人内面世界が肝っていうの、夢オチレベルがっかり感ある

7seedsサバイバルパニックワールドものだったけど、読み終えてがっかり感・購入して読んで損した感がひどかった 少女人間関係と成長物語といった感じで、ただの少女マンガだった 各人の強い気持ちサバイバルの状況がトントン解決するのもとてもご都合主義的で馬鹿馬鹿しい気持ちになった

そんで今回のアイアムアヒーロー青年マンガだし、別のオチを期待してたけど、同じような落胆を感じた

パニックワールドものはこんなもんなのか

雰囲気とノリが重要で、ストーリーとしては平々凡々な個人の成長譚にしかならないものなのか

なんにせよ今回は買わずに読んだのが救い

anond:20240321145311

自分内面を見つめてみたら、もう何もないことに気付いたんだよ。

図書館巡りや本屋巡りはもうコロナ禍前にやり尽くした気がするし。

自分の好みだとか行動範囲だけでは発生しないようなワクワク感、第三者からの思いがけない刺激が欲しいんだ。

anond:20240321144148

最先端パン屋とか今行くべきカフェとか

他人に対する情強アピールとかマウントしかならんだろ中身のないキョロ充の行いだよ

コロナからもう4年も経つのからいつまでも若者じみた情報武装して誤魔化すやり方じゃなくてもっと自分内面を向上させる方向の方がよいのでは?

向上心はないけど、好奇心はある

向上心って負けん気とかそっちになるんだろうけど、好奇心って自分の中の興味とかの内面的要素からくるんだろうなというのを感じている。

例えば、出世したい!とかっていうのは前者で回りによく思われたいとかそういう外的要因がモチベーションになるのが向上心だと個人的には思っている。

仕事にやる気はないけど、すごいいろんな知識持っているみたいなタイプとかってそんな感じある。

正直、仕事では使いにくい能力なので評価されることはないしある意味自己満足領域だとは思っています

どっちがいいとか悪いとかって話ではない。あくまでその人の強い特性仕事向きかどうかってだけなんだろうっていうしょうもない話です。

そんだけすごい能力を持っているのにもっと給料上げるために頑張らないの?と思われる方もいるかもしれません。でも、それってその人の中では「頑張りたくない」が勝つことってあるんですよ。

そんなことより早く帰って自分のことに集中したい。仕事あくま手段だっていうことを思っている人もいる。

正直、この価値観にカチンとくる人もいるかもしれない。世間体に興味がなくなり始めるとマジでそういう感覚になるんです。 無断欠勤しないだけいいじゃないか みつを くらいの精神をやりすぎるのはよろしくいかもしれないけど、

思いつめてしまうくらいならそういう考え方もありなんじゃないですか?

適当に書きたいことを書きなぐっただけなので、あとは野となれ山となれ。さようなら

2024-03-15

anond:20240302195931

自分自身子どもを残すほどの価値が無い」という自己嫌悪内面絶望感と、「この世界子どもが生きるに値しない」という外界への絶望感が合わさって反出生主義が生まれるんじゃねーの

anond:20240315071213

理解できてないwwwww

お前は自分内面全然隠せてなくてバレバレなのに、

俺の態度がここ限定ってことすら読み取れない馬鹿丸出し発言に笑ってんだよw

ほら説明してやったぞw

2024-03-12

アジア人差別のやつ見て悲しくなってる 学生時代根暗陰キャだったから周りからいないもの扱いされて鬱々と過ごしてたけど、向こうでは内面に関わらずただアジア人であるだけでそうなってしまうんだ

anond:20240312131520

知りもしない人間内面想像して決めつけるのは、危険兆候ですわね

2024-03-11

vrchatを2年プレイしてお砂糖人間関係について思うこと

砂糖は「友達」としての親密さなのか「恋人」としての特別位置なのか議論されることがありますしかし、「友達」の間の距離感は、特に曖昧で広範囲渡ります。それでは、この微妙関係性について、もう少し詳しく探ってみましょう。

『とも‐だち【友達】の解説互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「—になる」「遊び—」「飲み—」

[補説] 2013年10月実施した「あなた言葉辞書に載せよう。」キャンペーンでの「友だち」への投稿から選ばれた優秀作品。』

goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94_%28%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1%29/

"互いに心を許し合って、対等に交わっている人"と"一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人"という表現は、確かに"友達"という言葉表現されますが、その深さや距離感に違いがあります

互いに心を許し合って、対等に交わっている人: この表現は、相手との関係が深く、信頼関係が築かれていることを示しています。このような友人は、自分内面理解し、支えてくれる存在であり、困難な状況でも一緒に乗り越えてくれるでしょう。また、対等な関係というのは、互いに尊重し合い、意見自由に交換できる関係を指します。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人: この表現は、一緒に楽しい時間を過ごすことができる友人を指しています。このような友人とは、共通趣味や興味を共有し、一緒に活動することが多いでしょう。しかし、それは必ずしも深い信頼関係があるとは限らず、個人的問題を共有することは少ないかもしれません。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人について話していきます

「遊び友達」、「喋り友達」、「ゲーム友達」、「ソシャゲ友達」など、これらは特定コンテンツゲームで楽しむためにつながっている友達を指します。彼らとは同じコミュニティ所属し、雑談したり遊んだりすることがありますが、それ以上の深い関係はありません。

私生活に入り込むことはなく、お互いの個人的なことには触れず、純粋趣味を楽しむ相手としての友達です。

これが悪いというわけではありません。むしろインターネット上の友達との距離感としてはこれが普通で、健全な付き合いだと思います。それぞれの友達との関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大切です。

ですが、インターネット上の友達という距離感を保ったままお砂糖になるケースが見受けられますリアルな友人とネット上の友人との間に存在する距離感の壁を超えられていない場合、それは誠意があるとは言えません。お砂糖が友人である恋人であるかを問う前に、互いに心を許し合うという基盤がないまま、不確かな関係性を築いてしまうことは良くありません。

それでも、それはまだマシな方かもしれません。なぜなら、"フレンドを切ってしまえばただの赤の他人しかない自分にとって都合のいい遊び相手"という浅い考えで人を見下して、都合の良い相手として付き合っている人々が存在するからです。これは、人間関係を軽視し、他人尊重しない態度を示しています。このような考え方は、健全人間関係を築く上で全く適切ではありません。

それぞれの関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大人人間関係です。ですが、人間関係を深め、信頼関係を築くために近づこうとしないまま形だけの関係になっていませませんか?お砂糖という言葉で誤魔化さずはっきりと、どういう距離感で居たいのかを伝えることが大切だと思います

奇跡的に距離感の擦り合わせに成功したとしても、価値観の擦り合わせという工程がまっています。もはやvrchatの領分ではありませんが、自分の思う価値観の擦り合わせについて書いていきます

人々が他人欠点を見つけて大騒ぎし、マスコミがそれを叩き、インターネット上で集団非難することは、不寛容社会を反映しています完璧を求める就職活動や、欠点を許容しない傾向は、生きづらい世の中を作り出しています

カエル化現象」という言葉が、近年よく使われています。これは、愛する人些細な欠点を見つけた瞬間、その魅力が色褪せ、感情が冷めてしまうという現象を指します。しかし、この現象は、私たち他人に対して持つ過度な潔癖性の表れではないでしょうか。例えば「樽一杯のワインスプーン一杯の泥水を入れると、全てが泥水になる」という言葉がありますが、人間関係においても同じように厳しい基準適用してしまっているのです。

しかし、人間完璧ではなく、欠点を持つことは自然なことです。お互いの欠点を認め、許容することで、より健全社会を築くことができるでしょう。完璧を求めるのではなく、人間らしさを受け入れることが大切です。それによって、より寛容で、生きやすい世の中になるはずです。

自分距離が近い人と上手くやっていくコツは「嫌いを許容する」事にあると思います

人間関係において、「嫌いを許容する」というのは、相手欠点を受け入れ、それを乗り越えることで、より深い信頼関係を築くことができるという意味です。私たち完璧ではなく、誰もが何らかの欠点を持っていますしかし、それらを認め合い、サポートし合うことで、互いの絆は強まります

嫌いな部分を見つけたとしても、それを単に指摘するのではなく、どうすればその部分を改善できるか、またはその部分を受け入れて支え合うかを考え話し合うことが大切です。お互いの長所を認め合い、短所を補い合うことで、関係はより豊かなものになると信じています

まあ、vrchat民の殆どは指摘すらしない事なかれ主義者ですが。

人との距離が近くなるほどに、相手の嫌な部分が見えてくるかもしれませんが、それを乗り越えることで、より強固な関係を築くことができるのです。そして、それは人生において非常に価値のあることだと思います

ですが、現実はそう甘くはありません。

SNSの普及により、私たちはいつでもどこでも人と繋がることができるようになりました。しかし、その結果として、人と深く関わり合うという行為希薄になってしまったのではないでしょうか。かつては、人間関係を築くことは時間と労力を要するものでした。しかし今、私たちは「人間関係に対して代わりがきく」という新たな現実に直面しています。嫌いな部分を持つ人間関係を見つけたら、簡単に切り替えて新しい関係を探すことができるのです。

このような状況は、人間関係価値を軽視する傾向につながりかねません。一つの関係問題が生じたとき解決する努力をする代わりに、新しい関係を求める方が容易になってしまったのです。しかし、これは本当に良いことなのでしょうか。人間関係においては、困難を乗り越えることが成長につながる重要過程です。簡単関係を切り替えることは、その過程を省略することに他なりません。

私たちは、SNSがもたらす便利さと、人間関係の深さを保つことのバランスを見つける必要があります。人との繋がりを大切にし、一時的不快感問題を乗り越えることで、より強固で意味のある関係を築くことができるのです。それは、メタバース時代においても変わらない人間関係本質であると言えるでしょう。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん