はてなキーワード: 元ネタとは
去年
https://anond.hatelabo.jp/20200101232410
を書いた増田です。
去年は散々な一年でしたね。
私も、去年は個人的にも色々と散々な年だったんですが、そんな中でも「年始には半分釣りでタイトルつけたけど、ほんとに人生変わったかも」と思うところがありました。
まぁ正確には、変わってきたかも、、、?ですが。
以下つらつらと書いていますが、まとめると
「100分で名著とは別のジャンルで、去年実感した「知識がつながって読めるようになる」が再現できた」
それでいて、
それによって、去年一年で少し世界が広がったと思いますし、それでいつつ、本業で必要な知識の深化も出来たと思っています。
これが何故出来たかと言うと、一昨年本業と関係ない本を100冊読むという行為をしたメタ効果じゃないかな、と思うわけです。
以下詳細。
いきなり自分語りスイマセン。
去年もちらっと書きましたが、私は趣味の一つとして持久系スポーツをやっています。
レベルとしては社会人アマチュアでは上位1-2%くらいには入っていましたので、まぁまぁ本気の趣味です。でした。
が、一昨年(2019)の末に足をボキッとやりまして、都合4ヶ月ぐらい走れませんでした。
長い時間をかけて鍛えてきたものが為す術なく失われるのを見ているだけという喪失感は中々きつくて、だいぶメンタルやられました。
の上、御存知の通りコロナで夏以降の大会も全て中止、日常復帰後の練習モチベーションも上がらず正直一年で別人レベルまで体力落ちたと思います。
健全な肉体に健全な魂が宿る、あれは「だったらいいな」という話らしいですが、少なくとも肉体が「健全でなくなるカーブ」を描いているときには魂も降下カーブを描きますね。
振り返るとマジで生活全般にやる気の出ずやっとメンタルが上向いてきたのが晩秋ごろ、という一年でしたが、唯一分量を維持ないし増加させられた生産的アクションが読書でした。
結構これに精神的に救われていた部分もあると思います(クソみたいな1日だったが一応本は読めた。。。と言う感じ)。
春頃はもう死にたいとか思った瞬間もあった気がしますが、今は寝たきりになっても少なくとも本は読めるな、という心持ちでいます。
気持ちがどんだけ落ち込んでいても、ベッドの中でできる生産的活動がある安心感があるという感じです。
100分で名著解説本で掴んだペースを維持したかったのもあり、読書の方向性を広げる方向として去年はNHK出版のテキストを中心に選びました。
本の物理的サイズ、厚さ、章毎の分量等々が似ていたからです。(これは今まで読んでいた場所、時間、等々がそのまま続けられるということです。)
あと、NHKが好む文化人というのは大体決まっているので、百分で名著シリーズで知っている人が著者だったりして安心感あります。
結果読んだ数(下記しますが、28冊)が物語っていますが、良かったです。
NHKは番組内容とか受信料であれやこれや言われることもありますが、教育系のコンテンツは極めて良質だと思います。
前置きが長くなりましたが、特に読んでよかったのが宗教の時間シリーズです。
最初の7-8冊程度は、これは求めているレベルを超えている、九分九厘内容忘れるなと思いながら読んでいましたが、
これも何冊か読んでいうちに「知識がつながって」読めるようになってきました。
この年になっても、何かを身につける、学ぶことができる。それは読書による独学だけでもある程度可能である、ということは個人的に心強いメタ経験になっています。
逆に言うと最初の数冊はほぼわからないままなので、数年後また一気に読み返したいですね。
去年は、自発的にはまず読まないであろう本も、読んでみたいと思っていました。
そのための方法として、友人におすすめの本を聞くという方法を取りました。
また、一週間以内くらいには実際に読んで感想を伝えて内容についてやりとりするというマイルールを作りました。
これによって狙い通り、新しい関心フックが幾つか作れましたが、想定外の効果としてある程度親しくなった人とさらに距離を縮める手段としてかなり有効だったように思います。
一昨年以前の私だったら、それが有効だと知っていても負荷が大きかったでしょうが今なら別に無理せずやれる、むしろ楽しい、というところがポイントです。
今のところ猛烈につまらないものを紹介してきた人がいないのもありますが。。
何かについて知りたいと考えた時、ネットで検索するという初動は変わりませんが、さらに知りたいことがあるor体系化したいor記憶への定着率を挙げたい時、本を読むというアクションが自然に追加されました。
また、読書をするにあたって、ちょっとした障害になっていた事が怖くなくりました。例えば下記のように。
・中断:面白そうな本を見つけたらそっちを読み出してしまう。中断してもまた一週間もしたら読めるのだから。もし中身忘れていたら都度振り返ればいいのだから。とシンプルに考えられるようになりました。自由です。
・積読:いま読めなくても恐れることはない、そのうち読めると素直に考えられるようになりました。流石にそろそろ消化に一年ぐらいは掛かりそうなくらい本が積まれていますが、現在のところ三年後の自分を信じられます。
・読書履歴・読書キュー汚染:穏やかでない単語を使いました。これは要するに「話題になっているけど、こんな俗っぽい本を読む時間を~もっと重要な本が~」とか考えなくなったということです。気になったら読みます。
これらって結局全部やらない言い訳だと思うんですが、単純に読書に対する心理的ハードルを下げて読書量で解決するというパワープレイ(一昨年の私比)が可能になりました。
一昨年解説本を100冊読んだのは運動部一年生がやるような練習のための練習だと書きましたが、あれはそんなに外してないなと今でも思います。
百分で名著シリーズ:12冊(2021年1月分の「資本論」も、もう読みました)
で、個人的に出色なのは教養系の読書がたっぷりできたことより、仕事の本がたくさん読めたことです。
去年までは年間7-8冊ほど読んでるかな?という感じでした。
ところが、今年は読書に占める仕事本の割合は減ったにも関わらず、倍以上読めました。
本を読むという行為自体がスムースになったと言うか、「仕事の本は(趣味・教養の本より)重要である」という心の中の序列がどうでも良くなり、いつかは読めるのだから、になった効果だと思います。
はてなあたりで使われがちな「文化資本」「分断」あたりの用語の社会学的なバックボーンについて理解できました。
はてブ見てると「社会学者って、、、」と思うシーンも多いですが、必要な学問だと捉えなおすいい機会になりました。
面白くない話として社会を伝えて分析するのが社会学、という分類はなるほどと思いました。
逆に言えば、美しい弱者、貧者のストーリーなんかばっかり見ている人は社会学者とは言えないのだなと。こういう人はてブあたりでよく見る気もしますが。。。
年末だったのもあり、久しぶりに放送の方も全て見たのですが、やっぱりできたら放送も見るべきですね。
解説本の著者の言いたいことが、スルスル入ってきます。それと、伊集院光さんやっぱすごいなと。ああいうレスポンス返せる人間になりたい。
能楽師の安田登氏解説の古典説明本です。下記する「史記」でもそうですが、
漢字の成り立ちに纏わる深い知識(今ある漢字が成立した年代には開きがある)から独特な解釈をされています。
これが真実なのかはわかりませんが非常に興味深く、この著者の著書をあたったり、この視点で更に歴史を追ってみたいなと思わせてくれる本でした。
安田登氏の能舞台も見てみたいと思ったのですが、昨今の状況では難しいですよね、、、今年あたり何処かで見に行けるといいな。
タイトルのとおり、経典や歴史的事件ではなく残っている手紙から親鸞聖人の人物に迫ろうという趣旨の本です。
上記したとおり「何冊か読んだ効果」が大きいのでしょうが、これ読んで、はじめて浄土真宗わかった気分になりました。
ちなみにうちは曹洞宗なんですが、曹洞宗はいまのところわかったと思う瞬間がないです、、、
観無量寿経をベースに、浄土系の教えが中国~日本で花開いていった過程を追った本です。
私が読んだ中では最も単独で理解しやすく、去年おすすめした「集中講義・大乗仏教」と合わせて読むとより日本仏教の流れが理解できるかなと思いました。
宗教の時間は多くが前後編の2冊構成なのですが、1冊構成なのも読み返しやすくて良いです。
著者の釈徹宗さんには、もっといろんなお経の解説書を書いて欲しい、、、!!
単純に、日々の話題の元ネタとして興味深くまた著者が「面白い人」であると感じてとても読みやすかった。
独立した章立てで分割した読書もしやすく、何方にもおすすめできる本だと思います。
子供向けに実施された19世紀の科学講義を書籍化したもので、科学レクチャーの傑作と言われているそうです。
当時はプロジェクター等も無いため図があまりなく、正直、本として読んだだけでは当時の雰囲気を十分に味わうことは出来ないかと思ったのですが、
ファラデーという当代最高の学者がが全力をもって子供たちに科学の楽しさを伝えようとしていることはとても良くわかりました。
去年は西欧文明というか西欧社会の限界的なものが色々見えた年かなとも思うのですが、ソロモンの指輪もそうですが、こういった本を著した方々が繋いできたものはやっぱり尊いなと思います。
100分で名著の解説本を読んでから、絶対に読もうと思っていた原典の一つ。
下記の、薩摩焼窯元めぐりと合わせて水俣に行く前に読みました。
内容については私が今更感想をいうのもあれなんですが、「読む前と後で違う自分になっているような気がする」読書体験ができる数少ない本の一冊と思います。
あとがきにある通り、書かれていることは読んだ印象より遥かに創作の比率が高い、ということを差っ引いてもこれは日本人全員が読んだほうがいいんじゃないかと。
恥ずかしながら初・司馬遼太郎でした。焼き物が好きで窯元めぐりも趣味なもので、薩摩焼の里をめぐる前にと思って読んだんですが、面白かったです。
声に出して読みたい日本語というか、何でしょう、文章がうまいと言うより文章の響きが格好いいというか、流石昭和の大作家ですね。一気に好きな作家リストに載りました。
今、ちょっと重めのものもと思って坂の上の雲もちょっとずつ読んでいます。
タイトルの付け方も最高にうまいですよね、、頭にのこるというか。
パクリ映画とかパクリ曲ってあるけど、あれ9割くらい元ネタを知らないオレはどう評価したらいいわけ?
割とオモロいと思ってレビュー見たらパクリの文言が並んどる。大抵劣化と蔑んでるけど、たまに元ネタわかっててアゲてるレビューもあるわな。
曲はパクリ疑惑が言いがかりだったりするしはっきり言うてどうでもええけど、映画だったらオレ自身はストーリー云々よりオモロいと思う刹那が良かったりすんねん。だからパクリ云々は受け流してるんやけど。
予防線として、映画言うても総スカンくらう最近のじゃなくて50年くらい前の昔のやつだから印象はまだええはずなんや。元ネタの存在が見終わった後にチラつきつつ、正直に言って良かったら良かったでええのかな。今は一応そうなってんねんけど。
誰向けでもない。ヘビロテした曲たち
お姉さんの世界は自分のジャンル(銀魂、最遊記などハマっている作品)しかなく、増田よりも遥かに狭い。増田は普通に音楽を聞いたり映画を観たり本を読んだりするだろうし、もっと他の趣味もあるかもしれない。だがお姉さんは感受性の基礎をそこに建ててしまい、他に手を伸ばさない。音楽はサントラで、物語は作品ストーリーで賄えてしまうからだ。しかし、実際のところ、ゲームやアニメのサントラは幅が決まっているし、漫画やアニメのストーリーも元ネタがあるのに原典に触れる事もしないし、アニメ漫画ゲームの枠の中にある娯楽しか受け付けようとしない。
何故か。その外はお姉さんを受け入れようとしない世界だからだ。受け入れないのではなく、何となくそぐわない、しっくりこない、ノーメイクでよそ行きの服を着ているようなちぐはぐさが恥ずかしくてアニメ漫画ゲームの枠に逃げてしまうのだ。
もちろん、生身の恋愛に身を投ずる事もしない。BL世界の空気になって男二人の恋愛とセックスを見ていればノーメイクの自分が品評される事もないから。
自分のハマっている物を増田に押し付けてくるのは血の繋がったという姉弟という関係に甘えからきている。自分の楽しむ物を共有したいという善意が半分、友達を作る手間を省いている怠惰が半分だ。
腐女子以外の人間関係を構築しようとした事がないから増田がBL作品に屁ほどの興味もない事を認識できない。腐女子同士の人間関係は同ジャンル同CPでさえあればある程度の線引き以上の繊細さは求められず、感性が合うと判断されれば布教(共通項以外の好きな作品を教え広める事)も行われる。
オィィィィとか言っておけば、コンテンツとして成り立っている銀魂の面白さを自分も被れると勘違いしている。実際の自分が痛々しく寒い事には実際は気付いている。動画でも撮ってやれば暗黒微笑を浮かべて「…殺すよ?」と芝居がかった発音で言うか、何かのキャラを演じて殴りかかってくるだろう。
お姉さんはそういう生き物なのだ。そして、ここまで書いた自分も腐女子である。嘗ては同じような痛さを持っていた。しかしお姉さんのジャンルから推測するに私より更に年上だろう。
増田にまだお姉さんと関わろうという気があるのなら、脱喪女、つまり化粧をして毛玉のない服を着て友達と遊び恋愛をする普通の女になる事を求めているのかもしれない。
だが、積年の便器の尿石を落とすように難しい事はわかってほしい。そしてそれが落ちた時の快感も積年の便器の尿石と同じくらいだということも。
これ俺に言ってる?元ネタの女の話?
みんなサンタサンタっていうけどさ、大事なのはクロースのほうじゃないの
いうてみればサンタとかサンタさんっていってるのは聖とか聖さんっていってるようなものでしょう
元ネタ見てないんだけど、そもそも何のために女はコーヒー豆あげたの?
元ファンの人間がうっかり真実に気づいてしまい、気づいたことに結構後悔しながら書くエントリだ。
アニメおそ松さんの話であり、ここに書いてもファンが見るかどうかはわからない。
知ったからには公表の義務がある雰囲気になってしまい、重い腰を上げた。
現在おそ松さんHPではコンテ松さんという企画が開催されている。ショートアニメの元ネタを視聴者から募集し、特典としてDVDに収録する企画だ。
これが発表直後からwebで賛否両論化。特典の話題とは思えないくらいの状況となった。騒動の様子はおおむねこのエントリの通り。
https://anond.hatelabo.jp/20201111230105
これに関して11月上旬頃、twitterにコンテ松賛成派を名乗るアカウントが現れ、反対派を異常な程苛烈に中傷・脅迫し始める。
「コンテ松」で検索すると必ず引っかかったので、知っている人も多いだろう。
そのアカウント主が公式関係者だったという話である。判明するまでの経緯を記す。
自分はおそ松さんの元ファンだ。申し訳ないながら、現在放映中の3期もたまにしか見ていない。
松関係は小規模な鍵アカを一つ残すのみで、既に活動としての本命は別ジャンルに移っている。
コンテ松のことを知ったのも偶然だった。しかしオタク的にあまりにアレな企画だったので、反対運動がピークだった頃に、元ジャンルのよしみくらいの気持ちで公式宛に意見メールを送っている。
問題のアカウントの存在を知ったのは、まあまあ遅めの時期だ。(コンテ松賛成垢を略して賛成垢と呼ばれているようなので、以下そう呼ぶ)
久々にログインしたtwitterで賛成垢の存在を知り、興味本位で覗きに行く。
まだ松にもヤバい奴がいるんだなあと一通り投稿を見た所でアカウントを離れようとした、その寸前でスクロールする手が止まった。
自分が公式宛に送ったメールが、そのアカウントに載っていたからである。
目を疑ったが、何度見返しても、自分のメールとしか思えなかった。
正確に言うと、文面そのものがコピペされていた訳ではない。自分のメールの一部抜粋が記載されていたが近いのだが、たまたまと思うにはあまりに内容が似通いすぎていたのだ。特に目を引いたのは、ある特殊な言い回しだった。メール本文に使った特殊な言い回しが、そのままツイートに転載されている。
恐らくこのアカウント主は、ファンの振りをすればバレないという慢心で、うっかり自分が見た内容そのままを、文章に混ぜてしまったのだろう。
奇しくも元ファンであることが決定打となった。自分はメールを送った事すら誰にも言っていない。既に松界は引退したも同然で、そもそも言う相手が居なかったからだ。
つまりメール内容を知っているのは自分と公式――もっと言えば、宛先のエイベックス・ピクチャーズだけということになる。
ここまで条件が揃えば、その推察に辿りつくのは簡単だった。
とはいえ、それを即webに公開するのは短絡的すぎた。まずは低浮上だった鍵垢に、顛末を記載の上、他に同じ体験のあった人がいないか呼びかけてみることにする。
そもそもtwitter上では、賛成垢に憤る人は数あれど、公式の人間という疑いを持っている人は居なさそうだった。
更新停止しているフォロワーも多い中、どこまで効果があるかは疑問だったが、ここで思いもよらなかった新たな情報が得られることとなる。
「賛成垢が、企画の未公開情報を投稿していたのを見た」という人が現れたのである。それも2人も。
未公開情報というのは以下の通りだ。
コンテ松さんは主人公6人に纏わるネタを公募して、アニメ化しDVD特典にする企画である。応募作品はすべて企画ページで公開される。
キャラごとに募集の締切は異なっており、ひとつの締切が過ぎると該当キャラのネタは非公開になるという仕組みだ。
例えば「おそ松」の締切が過ぎると、「おそ松」用の応募作品は見れなくなる。(※このシステムは途中で変わったようだが、少なくとも当初はそうだった)
このシステムは事前公表されていなかったため、一般ファンがその仕組みを知ったのは当然初回締切の後だった。
しかし何故か賛成垢は、締切前に「締切を過ぎたら作品は消えるので、twitterアカバレが心配な人は締切直前に投稿を」等と呟いていたのだ。
その呟きを見たという人が、別ルートから2人、ほとんど同時に現れた。
せいぜい同様のメール一致くらいしか予想していなかったため、これには非常に驚いた。
一人目はフォロワーさんの知人。二人目は自分の投稿を見たフォロワーさんが某所に情報を投稿し、それに対してポロリと「そういえばそういう呟きを見た」と書き込んだ人がいたとのことだった。
投稿を見た時は引っかかる程度だったが、公式関係者という切り口を得て初めて意味が分かったのだという。
見る側の先入観が判断を曇らせていただけで、賛成垢は他にも幾つも迂闊な発言を繰り返していたのである。
公式しか知らない情報を2つ以上呟ける人間とは、それ即ち公式関係者しかいないだろう。
加えて公式関係者疑惑に対し、賛成垢はあからさまな反応も見せている。
フォロワーさんが情報を投稿したのはオープンスペースだったため、誰でも見れる状態だった。これを賛成垢も見ていたらしい。
公式関係者疑惑がそこへ投下された途端、毎日の様に中傷を繰り返していた賛成垢が停止。
しばらく間を置いて、今度は激しく「自分が公式関係者だと言っている人がいる、バッカじゃないの、そんなわけないのに」と疑惑を否定し始めたのである。
その時の賛成垢の主張をまとめる。
突っ込み所しかないが、まずこのアカウント、意外に寄せられる批判は殆ど無視していた。それがなぜ、関係者疑惑だけは過剰に否定するのか。
他人のアカウントが公式と勘違いされても、アカウント主は何の被害も受けない。この時点では情報もさして広がっていない。必死に否定する規模の話でもないのである。
情報開示の下りも全く意味が通らない。他人のアカウントが公式と勘違いされることは、何の侮辱にもならないためだ。
開示理由に「公式関係者だと言われ精神的苦痛を負ったから」とでも書くつもりなのだろうか。それが痛手になるということは、公式関係者であると認めることになる。
発言者を特定しようとする言動も、無関係を装うなら不自然極まりない。メールと同じ投稿が分かっても、本当に一致するかどうかは依然公式か本人にしか判別できないのだ。
それこそ公式関係者にとってしか役に立たない情報を、なぜ他人アカウントが欲しがるのだろう。
まだ沈黙を守っていた方が他人を装えただろうに、メールの件と言い、未公開情報といい、本当に迂闊としか言えないアカウントだった。
しかし、この関係者がコンテ松企画担当か近しい位置の、エイベックス・ピクチャーズ社員であることはほぼ疑いようがないだろう。
中傷が殆ど全てコンテ松に偏っており、かつ他の呟きもエイベックス関連のものに限られているからだ。
賛成垢が触れている話題に、オシタイというサービスがある。これはおそ松さんにも関わりつつ、ParadoxLive(パラライ)でプチ炎上したサービスだ。
運営元の株式会社Y'sは過去にエイベックス案件を複数受けており、その実績をHPで公開しているため、エイベックスと関連が深い企業とされている。
賛成垢はわざわざ「おそ松さんとは関係ないけど」と前置きし、オシタイ批判をも引用RTで脅迫している。その様子を見ると、そちらとも繋がりの深い人物なのかもしれない。
http://gakyusoku.blog.jp/archives/36387125.html
また、上記の推測が正しかった場合、もしかすると賛成垢の持ち主の氏名は、アニメや今後発売されるDVDのクレジットにあっさり掲載されているのかもしれない。
もしくは賛成垢に中傷された方は、可能であれば情報開示請求をすればクレジットに同じ名前を見つけられるかもしれない。
可能性に過ぎないが、参考まで。
冒頭で言った通り、自分は元ファンだ。この件に巻き込まれたのはたまたまだったし、他にも晒されているメールはありそうなので、他に誰か気づく人がいないかと思っていた。
好奇心もあり正体は追ってみたものの、だ。上記が全て明らかになった後も、鍵アカに分かった情報を流し、それは好きに使ってOKと注釈した上で、以来何もしてこなかった。
少し状況が変わったのは11月末頃だ。
情報を元に公式に通報したいという方がフォロワーさん経由で現れ、一週間程経った後に再度報告が来る。
「公式に通報後、ほとんど毎日中傷を投稿していた賛成垢の更新がぴたりと止まった」
「停止したまま1週間程経って、公式Twitterでコンテ松さんのDVD収録が決定したと発表があった」
何とも説明しがたい心情だったが、それを見過ごすのは寝覚めが悪すぎた。
それでもやりたくなさが先立って、公表までここまで期間が経ってしまった。
本当に犯人の名前が書いてあったら気まずいので、DVD発売前には滑り込ませた。
ちなみに通報はエイベックスに限らず、アニメーション作製のぴえろと、原作であるフジオプロにも行ったそうだ。
企画の方が中止可能なタイミングだったかは微妙だが、言わばその3社は企画関係者がファンを広く中傷していた可能性を把握していながら、実行を発表した事になる。
通報後に更新が完全に止まった所を見ると、投稿者の特定と叱責にまで至ったのかもしれない。
それ以上の事は知るよしもない。
このエントリを書くに当たり諸々調べ直した。
元々自分はメールが送れる程度には否定的な立場だったが、改めて、コンテ松さんはファンのための企画などではないと感じた。
関係者がファンを中傷して回っていたことを別にしてもである。この企画は他者のアイディアを募集しておきながら、それに対する「報酬」が全く設定されていないのだ。
従来の公募企画(キン肉マンの超人募集など)とこの企画を同じとする人はちらほら見かけた。しかし、そういった公募の類には通常何らかの報酬が設定されている。
賞金やグッズ等の差はあるが、そこには創作に対する敬意と対価を払おうという姿勢が見える。
対してコンテ松さんは、アイディアそのものを特典として売り出そうとしているにも関わらず、その姿勢の片鱗すら見えないのだ。
どころか、応募要項には念押しのように「作者は作品の著作権を無償で譲渡」との記載もある。
確かにファンにとっては採用こそがご褒美で、賞品は二の次かもしれない。
しかしそれはひとえにファン側の心情であって、公式、ましてや普段創作物に価値をつけて売る立場の企業が取るべき姿勢ではないだろう。
後出しで報酬を出せという事ではなく、もはや創作物に対する姿勢そのものがおかしいのだ。
おそ松さんは3期でドラマCDの焼き直しが放映され、深刻なネタ切れを囁かれている。
パッケージメーカーであるエイベックスは32億の赤字によるリストラと資産売却が報道されており、資金繰りが苦しいことは明白だ。
そこに上記の無報酬規約を加えれば、この企画がひたすら企業側の都合で「ファンからタダでネタを集める」目的であったと推察するのは容易である。
賛成垢には以下のような投稿もあり、その姿勢を伺うに十分な内容が見て取れる。
コンテ松さんは、最初からファンのための企画などではなかったのだ。
少し前に「公式に問題があれば黙ってメールで送ればいいだけで、webで騒ぐのは単なるお気持ち」といったようなツイートがバズった覚えがある。
だが実態はこんなものである。(元ツイは見つからなかったが、投稿者さんへ批判の意図はない)
結局は「炎上しなければ、通らない意見」の方が多いという事だ。
賛成垢がtwitter上での反対意見をとにかく嫌がったことからも、企業が一番“嫌がる”“動かざるを得なくなる”のは、やはり多くの人の目につく意見ということになる。
考えてみれば当たり前だ。でなければ、デモもストライキも法律で保護されてはいないだろう。
それが意見を表明するのに不可欠の手段であるとみなされているからこそ、守られている。
今後公式がアレな企画を立てたジャンルの方は、公式にメールも送りつつ、twitterでもガンガン反対意見を表明して欲しい。
同様の事件が二度と起こらないことを願っている。
【追記】
もうひとつ思い出した。
賛成垢を見ていたら、特定のコンテ松参加者の名前が投稿にあった。 (存じ上げない方だったが、投稿作品に同じ名前があったのを発見した)
もしかするとこの企画は、担当者の個人的嗜好で参加者を選び、公式化するための企画でもあったのかもしれない。
現段階ではそれも可能性に過ぎないが、結果はほどなく分かるだろう。
ひとりなのか複数いるのかわかんねえけど、「これはすごい」「これはたいへん」みてえなタグ使ってるブクマカがいるんですよ
大冒険セントエルモスの奇跡の名ゼリフに由来を持つと伝わる「これはひどい」 これはいいんだ 古式ゆかしいネットスラングだ 素敵だ
で、まあ形容詞の形を保った「これはすごい」くらいまでならまだ許そう 元ネタの亜種みたいな改変で、OKだ
「これはたいへん」 コレむかつくんだよなあ! なぁ〜にがこれはたいへんだ、コンニャロ、はっ倒すぞ!と見るたびに思う 思うに「たいへん」が平仮名なのがムカつくんだと思う 「これはすごい」と並べられてる以上「これは ひどい」に源流があると解するべきなんだろうけど、その中途半端にひらがな表記だけ残す根性が気に入らない
ジジイが若者文化の表層を真似てるのを見た時と同じ不快感があるんだよな 実際「これはひどい」の時点で老人フレーズなので事態はもっとひどいのですが……
なんか、なんつうのかな、亀仙人みたいな顔したジジイがすっとぼけたヒョットコみたいな顔で「これはたいへん」つってるイメージが頭に浮かび、非常に不愉快
隠居しろテメー隠居 二度と出てくるな そういう気持ちになってしまう
でも、一方で多分これ書いてんのいい人なんだろうなって感じもすんだよ それが一番嫌なんだ
いい人が微妙にハズした発言してんの見るのメチャクチャ嫌じゃん 優しくて気も利くおじさんが「ふいんき」とかガチで言ってたらかなり気持ちが沈むじゃん そういうところもある
これはたいへん じゃあないんだよ!!!!