はてなキーワード: チャリンコとは
中学生、高校生の頃に電車通学だったので家から駅までは自転車に乗っていた。
当時地元(関東、地方都市)はそんなに治安がよろしくなく、ワゴン車でナンパして女の子を連れ去ったり、露出狂の変態に遭遇したり等の噂がよく立っていた。私も白いワゴンから声を掛けられ、無視して自転車で走り去ったら「ブース!!」と大声で罵られたことがあった。駅前でそれなりに人もいる中でブス呼ばわりされたことに傷ついたけど、さらわれなかっただけ良かったんだと思うことにしていた。
痴漢にあった日は、部活で少し遅くなり暗い中自転車で帰宅していた。寒かったからマフラーをぐるぐる巻いてた。
後ろから原付か小型のバイクが走ってきていたのは、ライトでわかった。追い越して貰おうと少し左に避けると、その瞬間右から手が伸びてきて私のスカートをバッと勢い良く捲った。
私は混乱して右を向いて、私を追い抜いていこうとするバイクの人を睨んだ。凄く驚いていたし怖かったけれど、声をあげることは出来なかった。
バイクはそのままスピードを急に上げて私を追い越して、道路を斜めに(右端へ寄るように)走って、電柱に激突した。グシャっという音がした。
車通りもそれほど多くない道で、普段の私なら事故を見たら駆け寄るなり救急車呼ぶなり出来ていたと思うけど、直前にスカートを捲られたことがショックで近寄れなかった、というか手助けする選択肢が頭の中に全く生まれなくて、そのまま全速力でチャリンコを漕いで帰宅して、ご飯食べてお風呂入って寝た。
グシャってなった人がどうなったかは知らない。死んではないと思うけど…。まあ十年も前だし、グシャってなった人もわすれてるくらいの怪我だったらいいな。
この日のことについてずっともやもやしていて、私には罪悪感があるのかなと思っていたけど、もしかしたら「なんで見えもしない(その後追い越してしまうから)パンツの為にスカートを捲ったの?」というのが気になっているからかもしれない。
・なんで見れないかもしれないのにスカートを捲るの?この女のスカートを捲ってやったぜ、というのは、例えば最終的にリリースはするけど、この大きさのブラックバス釣ったぜ。みたいな、ハンティング的な気持ちが満たされるのかな?
・なんでナンパ断るとブース!っていうの?ブスだと思ったら声かけなくない?ブスが万が一応じてきたらブスと仲良くすることになるじゃん?
どれくらい好きかっていうと、サンドを包んでいたビニールについたたまごを綺麗に舐めとりたいくらい好きだ。
鼻に抜ける、一歩間違えたら「くさい」に分類される濃厚なにおい。
たまらん。
春ということで、ランチは最近オフィス近くの公園で食べている。
年明け早々寝過ごして終電を逃し、タクシーのおっちゃんにいかに自分が哀れか、金がないか、ここからどれだけ遠くに住んでいるかアピールし、媚を売り、それでも「あーそーなんだねー」と流され続け、
泣く泣く諭吉を差し出した(当たり前)、当時はまだ23歳だった私が見れば
「おい弁当はどうした?」「断腸の想いで手放した緒川先生のサイン入り漫画は?※1」と
ぶん殴られるだろうが、24歳となった年長者だからこそ言えることもあるのだ。
「パタゴニアのフリースにダボダボのチノパン履いてる女に媚を売られて鼻の下伸ばすじじいがいるかよ」
公園に話を戻そう。
千切りキャベツと冷凍コロッケと白米の入った私の弁当を見て、何か言わなきゃ気が済まない先輩も、
(「ずいぶん大胆なお弁当だね〜」)
こちらが舌打ちしてもかき消されてしまうほどデカい音でタイピングをする上司も、
(バチバチ、、、バチバチバチ、、バチバチバチバチ、、、バチッ「Enter」)
(「なに食ってんすか」)
ここにはいない。
代わりにいる奴らがいる。
私のランチ仲間を紹介しよう。
「鳩」、「(鳩のケツを追いかける)クソガキ」、そして「自転車おじさん」だ。
春が鳩にとっても「春」なのかは知らないが、奴らは常に3羽で行動している。
まずはじめにやってくるのはやたら黒ずんだ(多分)メス。
正面に座って、じっと見つめてくる。
初めて会った時、片足しかなくて大好きなたまごサンドをうっかり与えそうになったが、
ちぎった瞬間二足歩行で突進してきたので、思わず「殺す」と言いそうになった。
だから女って嫌いだ。
続いてやってくるのはそいつ狙いの(多分)オス。
鳩特有の気味の悪い緑がかった光沢のある首を膨らませ、「ホホホホー」なんて言いながらメスのケツを追いかける。
そして3羽目も(多分)オス。
ただこいつはオス①の子分のようなポジションで、金魚の糞のように①の後ろをついて歩くだけ。
彼らは食べ始めに1度、思い出したように中盤に1度、そして食後に1度、必ず挨拶に来る。
律儀な奴らだ。
そんな奴らを狙っているのが「クソガキ」だ。
めちゃくちゃ短いズボンの制服を着た、目玉親父もびっくりの4頭身。
にしても子どもというのはどうしてこうも視界が狭いのだろうか。
いや、決して将来展望とか思考について語られる時に使われる「視野」ではない(なんせ奴らは人間未満だからだ)。
鳩を見つけたら、鳩しか見えない。
黒目を3mmでも動かせば、たいそう旨そうにたまごサンドを頬張る私という人間が目に入るはずなのに、見えない。
生物は自分よりも強い奴からは逃げるという習性があるんじゃないのか。
まず、食べ物を持つ私は「与える」側なので、間違いなく鳩より格上。
そして、追いかけ回して相手にとうてい手の届かないところへ行かれてしまうクソガキは、
間違いなく鳩より格下だ。
しかし、クソガキは私から逃げなければ、恐れることもない(いかにも自分を嫌いそうな生物(私)が近くにいたら萎縮するもんじゃないのか)
なぜなら、見えない気づかない怖くない、からだ。
(予定は一切ないが、自分の子どもにはこの3つの「ない」は言い訳にならないことをぜっっっっっったいに教えよう)
さて、そんな「私に萎縮しない」鳩を見つけたクソガキが何をするか。
答えは簡単だ。
追いかけ回す(地面を歩くアリを潰すように、地面を闊歩する鳩を追いかけるのは、子どもの性らしい)。
ダッ(クソガキが鳩を脅す)
バサッ(鳩が飛び立つ)
この瞬間、つい3秒前までの私が信じていた勢力図が一変する。
間違いなく私はこの3者からなるヒエラルキーの最下層へ転落する。
そして「満足にたまごサンドも食べれないランチタイムなんて…」
と、悲劇のヒロインに甘んじるのだ。
そんなどうでもいい勢力抗争に一瞥すらしない人物、それが「自転車おじさん」だ。
おじさんは、いつも公園の桜の木の下で自転車の修理をしている。
それもいつも同じ自転車だ。
春とは言え、まだ吹く風は肌寒く感じるなか、おじさんはいつも半袖を着ている。
自転車の後ろのカゴには空気入れとボコボコのアルミバケツが積まれていて、
蛇口で水を汲みながら、器用に(そもそも何を修理しているのかわからないが)タイヤをいじっている。
その作業を私はぼーっと眺めながら、
「ホームレスはみんなチャリンコ修理できますよ(関西弁)」と真顔で言っていた先輩を思い出すのだ。
このおじさんはホームレスなんだろうか。
修理はどこで学んだんだろうか。
なぜ一回で修理を済ませられないんだろうか。
いつもいるということは、まさかここが家なんだろうか。
どこでお金を稼いでるんだろうか。
自転車はおじさんをどこへ連れて行ってくれるんだろうか。
私がここに来なくなったらクソガキに危険が及ぶんじゃないだろうか。
etc…
こんなしょうもない妄想をするのが、ここ最近のランチタイムの楽しみだ。
おじさんが修理を終えた時、
クソガキが鳩に満足した時、
鳩がパンを飲み込んだ時、
公園はまた静けさを取り戻す。
くぐもった鳩の鳴き声も、クソガキのランドセルについた鈴の音も、私がランチの入ったビニール袋を漁る音も、おじさんがタイヤをクルクル回す音も、一斉になくなる。
残るのは春風に舞う桜の花びらだけ。
駅まで10分ならチャリンコでいいじゃん。
面白いよー、何て言われて試しに初めてみましたよ。
てくてく10分ほど外を出回ってみる。酒飲みながらだとあれだね、足元が、いかんね。
都会だったら死んでた。多分、車とかにひかれて。田舎住まいでよかったね。車通らねえんだもん。びっくりした。消耗してないね。
クソ田舎なのに3人ほど、プレイ中と思われるトレーナーを見かけた。いずれもチャリンコ乗りながらスマホいじいじ中高生。
気いつけろよ。
しかしこの調子では、オラが町のトレーナー、軒並み中高生なのでは。
というか、この町のポケモングランドオーダー、俺が一番年寄りトレーナーなのではなかろうか。
勝てる。
これは勝てる試合だ。
スカサハとギャラドスだったらギャラドスの方が取るの楽でしょ。
この町の誰よりも強い男に。
まさか。
この俺が。
左手の中で温んでいく金麦の500ML缶さえ、アレキサンダー大王の乾かした盃のように感ずる。
俺が。
「マスコミが貴重な食料を横取りした!ガソリンを横取りした!」
時間も人員も機材も限られている中で、あらゆる場所の被災状況を取材して報道するほどマスコミ各社は暇じゃない。
その上食事もガソリンも持ち込みとなると、人を減らすか補給車を伴わないといけない。
ところが人を減らしたり補給を含めた取材隊となると、取材できる範囲は限られてくる。
おまけに「マスコミは大量の食料やガソリンを被災地に持ってきておいて、被災者には米一粒もガソリン一滴も譲らない!マスゴミ死ね!」とおバカな連中に叩かれるのが目に見えている。
ネット上で吠えてるおバカたちは、マスコミがどうすれば満足なのか?
記者が一人太陽光発電カメラを携えて徒歩かチャリンコで被災地入りし、野草でも食って生きながらえながら被災地をくまなく移動し、逐次YouTubeにでも映像を公開すればいいの?
でもそれって、マスコミを叩いてるおバカちゃんたちでもできるよね?文句言う前にやれよ。
「今のままで十分だよ」と思っている人はわざわざそう思っていることを声に出さない。
一方で不満を抱えている人は極めて大きな声で各所で喚き散らすので目立つ。
そして、とくに日本はこの風潮が強い気がするのだが、基本的にあらゆることが満場一致、悪く言えばなあなあで進むことが前提になっていて、批判されることに慣れていない。
それで「批判される → やめる」と安易な決断を下してしまう。
何事にも批判はつきものなので、批判を受けた上で「やめるべきか、改善して続けるべきか、然るべき対応をして現状維持か」を判断するプロセスがあるべきだ。
なんとかならないのかな。
逆ギレするかひたすら聞こえない振りをするあやつら。
そもそもたまたま1匹追い払ったところで
コバエかゴキブリかのように沸いて出るあやつら。
平日朝に車に乗る一般市民はほぼ出勤通学のためだ。
空き缶乞食は日々増えている。
この町全体に30匹いるとしたら1080万だ。
毎日毎日300kg近い空き缶が出るというのもスゴイ世の中だが。
1080万丸々とは言わないがいくらか自治体を潤すわけだろう?
こちとらただでさえ少ない給料からクソ高い税金払ってるってのに
勘弁しろよ。
複雑な話なのはわかってるさ。
家捨てて乞食やれって勧めるみたいだしな。
マジで。頼むわ。
ことの始まりは先週の木曜に、ネットの、2015ベスト・アルバム50とかの記事で、水曜日のラ・カンパネラの「ジパング」がランクインしてるのをみて、アップルミュージックで聴いたんだ。
1位から順にアップルミュージックで探して聴いてたんだけどな。
それがめちゃくちゃかっこよくて、金土と仕事中や、帰りのチャリンコで、家でと、聴きまくったんだ。
ただなんの情報もなく、その「ジパング」ってアルバムを聴きまくってたんだ。
で、今まで知らなかった人の、ひとつのアルバムにこんなにハマったの久しぶりだなー、どんな人達なのかなー、と思って、昨日の寝る前にウィキペディア読んで、ユーチューブで動画をあさったわけ、そしたら、なんか、なんだろうこの気持、「なにこいつ、、、。??」みたいなの。今まで3人ぐらいのグループかと思ってたら一人しかいないし、なんだこのいかにも音楽舐めてますってつらしたかわいこちゃんは。なんだろう、なんか得体のしれない黒い感情、こいつムカつく、みたいな、ムカムカムカがもう溢れかえってきたんだ。今まで「めっちゃかっけぇ、ジパングやべえ!!」って10代みたいに夢中になってたのがウソみたいに、嫌悪感がすごかったわけ。
それで、今までのディスコグラフィー全部聴いて、けちょんけちょんにディスこきまくってやんよ(知り合いに向かって)と思って、今朝は「鬼ヶ島に連れてって」を聴いたわけ、まあ鼻につくつく、やっぱりこいつぁワックの風上にもおけねぇなって感じで出社したんだ。
出社してから、今度は「シネマ・ジャック」を聴いたんだ、その一曲目が「ミツコ」。サビになって、震えが止まらなくなった。3,4年前にDVDで観た映画「恋の罪」が、それは自分にとって「まぁ面白かった」ぐらいの映画だったんだけど、記憶の片隅にもなかった映画のシーンがめちゃくちゃフラッシュバックしてくるわけ、サビで。「やっぱりコムアイちゃん(昨日覚えた)はすごいのかも」って思い直して、アルバム全部聴いて、まぁ他の曲は普通だったんだけど、ミツコが忘れられず、もう今日一日ずーっと「ミツコ」を一曲リピート再生してた。毎回サビになると鳥肌が立つ。どうやったらあんな感じであの歌詞を歌えるんだ。この人「恋の罪」に出てたんじゃないかってぐらい、すごいんだよ。コムアイをけちょんけちょんにディスってやりたいと思ってたのに、今はなんかもう崇拝するような気分、で、改めて「桃太郎」聴くとまたムカッムカッってするみたいな、完全に振り回されてる。
なんかね、音楽の力ってこんなにすごいのか、ってのと同時に、映画の力、素晴らしさみたいなものまで同時に思わせられちゃって、音楽の力すごいですね。。。
オートロックで締め出しを食らってしまった。引っ越してきて日も浅かったということと、疲労困憊で頭が回っていなかったことが災いした。近所のコンビニでちょっと買い物、と思って鍵もケータイも未所持だった。
とりあえず、エントランスのインターホンで部屋番号を端から押して応答を待った。しかし、入居戸数が極端に少ないのと、17時という微妙な時間なので誰からも応答がない。
マンションの外周をウロウロして、管理会社の電話番号を探すも、どこにもない。
じわ〜っと、嫌な汗をかいた。
そして思い出した。駅のそばには交番があったはずだ。
ワラにもすがる思いで交番へ駆け込み、「交番で聞くことじゃないのかもしれないですけれど…」と事の顛末を話した。
すると、ムネリン似のおまわりさんは真摯に聞いてくれた。奥から小遊三さん+高田純次さんのようなベテラン風のおまわりさんも登場し、管理会社の電話番号を調べてくれたり、管理会社の番号をマンションまで行って探してくれたり(私が見落としていただけで変なところにあった)した。
その結果、非情にも管理会社の答えは「解錠はできかねます」ということだった。片道1時間弱のところにある管理会社まで行けば鍵を貸してもらえるということだったが、営業時間は18時まで。現在時刻は17時55分。…無理だ。
すると、二人のおまわりさんは「じゃあ行って俺らがインターホン押せばいいか」と言ってくれた。ムネリンが「警察なら出てくれるということもあると思いますので」と付き添ってくれて、端から番号を押した。結果は私の時と同じだった。
気長に待ちます、いろいろお手数かけて申し訳ないです、ありがとうございますと言うとムネリンは「何もできなくて申し訳ない」と言った。ムネリンはチャリンコで交番へ戻っていった。
あと2時間も待てばさすがに誰か来るだろうと、締め出しの原因となった牛タンをもぐもぐ食べながら待った。すると、30分ほど待っていたところでいかにも親切そうな入居者の方が来た。黙って一緒に入るのも気が引けたので、「あの!鍵を部屋に置いてきてしまったので、一緒に入れていただいていいですか?」と言ったら、入居者の方はちょっとびっくりして「じゃあちょうどよかったですね」と言ってくれた。
部屋に戻ると、点けっぱなしのテレビが夕方のニュースを映していた。なんだか気が抜けたのと、締め出されたこと以上におまわりさんや入居者の方がいい人だったことで、なんだか涙が出てきた。
私はもう眠りはしない。
私には時間がない。
騒がしいバスターミナル
じわりと肌を湿らせる汗を拭いた
夏が来ると次は秋だと忙しない
誰も気には止めやしない
私の事もそう。
静けさがやってくる。
繰り返す毎日
無関係の誰かを横目に走る。
私は見た、帰り道にラジオを聴きながら
私は橋の上で肉を食う。
私は道で大声で笑う。
私は蛭子能収が好きだ。
私は必要以上の金に執着しない。
私の何がいけないのだろう。
それを宇宙人にぶつけたのだ。
すると宇宙人が微笑んだ気がした。
さすがに宇宙人と一緒に暮らす場合はおっぱい丸出しで体に変なペインティングをし槍を持って儀式をしなくてはならない風習があるならば私も少し躊躇うが、宇宙人は真夏に灰色のダウンコートを羽織りジーンズ的なものを召していた。
いや、どのSNSでもそうなんだろうけど、なんであんなに気持ち悪いんだろう。
作品に対する愛が強いとかほざいてるくせに、チャリンコ漫画からモヤシみたいな刀擬人化ゲームにすぐ鞍替え。その前はどうせバスケ漫画でキャーキャー言ってたんだろ?
しかもあいつら、自分がミーハーなのを「沼」にはまっただとか、昔のジャンルのことはつぶやかないだけで好きなんだからだとか、不愉快極まりない漫画を描きやがる。
それを「すごい分かります…‼︎」とか返信するあの流れ、皆どこかで罪悪感感じてるのかな。気色悪いけど。
気持ちの悪い馴れ合い、悪趣味なポエム、似たようなあの絵柄、「◯◯ちゃん尊い…」とかいうところ、全てが嫌い。
ただの好き嫌いの話で、長い思い出話。
思い出話で恥ずかしいから、特定されないように細かいことをごまかして書いた。
長えよ、と言われる前にまとめると
「ただの長い思い出話で、宗教が原因で好きな景色が無くなったから、俺はこの宗教が嫌い。」
というだけの話だ。具体的な宗教名は書かない。
六月になると亡くなった祖父を思い出す。祖父が亡くなったのはずっと前の年の瀬、来年は会えないかもと入院中に見舞ったのが最後になる。
田舎に住んでいた。両親は同じ地域で出会い結婚したので、母方の実家もチャリンコで必死に行けばたどり着く距離だった。車では20分くらいか。
思い出す祖父というのは母方の祖父。母はパートがあったので、小さい頃は週の半分以上、学校から帰ると姉と一緒に預けられていた。
その頃は祖父との思い出はあまりない。働き者だったので、俺と姉が預けられるとすれ違いで仕事に行ってしまう。あとから聞けば介護施設のボランティアみたいなことをしていたらしい。祖父が出勤前、早めの夕食をとる食卓で、俺と姉が一緒に座って、その日の出来事を喋ったりしていた。たまに仕事のない日には、ご機嫌、というかんじでビールを飲んでいた。この家は小さな商店だったので、好きなジュースを選んで良いぞと言われて、俺たちは普段の食事時には飲めないジュースを喜んで飲んでいた。
もちろん遊んでくれた記憶もある。夏休みはクラスでただ一人乗れていなかった自転車の特訓に付き合ってくれた。川で泳いだりとか。姉ちゃんと喧嘩して両成敗でゲンコツとか。
母方の実家、小さな商店をやっている、ややこしいのでA家としよう。
A家に頻繁に預けられたのは小学生の頃で、中学高校と成長するとそういうのは無くなった。
頻繁に預けられたA家は、よくある、たまに帰省するじいちゃんばあちゃんち、になっていった。
祖父はある病気になった。不調を誤魔化しごまかし過ごしていたのが、発覚したというか。A家の家の中は帰省するたび介護向けに変わっていった。母の兄弟、俺の叔父の趣味が日曜大工だったので、楽しい変化だと思ってた。(おっちゃんスゲー!階段つけ直したの?!みたいなかんじだった)
手すりが付く。急な階段は段数が増える。トイレが洋式になる。手すりが増える。掘りごたつからテーブルになる。布団がベッドになる。自動で昇降するベッドに変わる。喋れなくなったのでナースコールのボタンが付けられる。指先で押せなくなったから顔の横にボタン。
じいちゃんはどんどん悪くなる。ばあちゃんのやっている介護は、自宅介護でそんなことするんだ、というくらいプロみたいな作業までこなしていく。詳細は省くけど、いま思い返すとあんなことを無給で、かつ無休でやっていたのは驚く。もちろん医者やヘルパーさんが来てはいたけれど。
中学の後半くらいから、俺はデジカメを触るようになって、ホームページを作って風景や花の写真を載せていた。季節ごとにA家に顔を見せる程度の帰省をしていたので、A家の裏の田んぼだとか、家の軒先にあるバラだとか、そういう写真を撮った。本当にきれいだった。通り雨のあとの、雫が付いた葉っぱとか。俺には写真の才能があるんじゃねーのかと、進路相談の時、ニヤニヤを隠しながら担任に見せたら、景色やバラを褒めるので、あ、俺じゃなくて被写体がよく出来てるんだな、と気付けた。(担任も良い趣味だね、とだけ言う程度のレベル)
それでも見せれば褒めてくれる祖母にプリントアウトして渡した。次に帰省すると写真立てに入れてあって、寝たきりの祖父が見るテレビ台の横に飾られていた。
正直に言うと、帰省してもすることが何もない田舎の家で、あんなに元気だった祖父が寝たきりの様子を見ていたくなかったから、理由をつけて外を散策するために写真撮影を趣味だとしたんだった。そんな写真を、飾っている。申し訳なく思った。
大学に進学して実家を出た。一年に一度か二度、実家に帰省するついでにA家にも顔を出す。時々A家ではなく病院だった。
大学二年の頃だったか、帰省するとバラがなくなっていた。A家は小さな商店かつ小さな農家でもあったが、家の裏手、裏庭のようなスペースはすっきりとなにも無いような、更地というほどじゃないけど、なにも、なかった。
母に尋ねると、手入れがねぇ、みたいな答えで濁す。そりゃあ、あんなに大変な介護だ。仕方ない。でもどうしても寂しい。友達が知らぬ間に引っ越していた、という感覚が近いかもしれない。A家の周りががらんとして、入院しているため家の中もがらんとしていた。窓の外から見える裏庭みたいな農地の緑がない。小さなぶどう園は支えの柵だけになっていた。姉は俺よりは多く帰省していて、草花を刈った話は聞いていたらしいが、目の当たりにしたのは初めてらしく、ショックを受けていた。というかちょっと泣いていた。俺よりずっと思い入れがあったらしい。その時まで知らなかったが、初孫である姉が生まれた年に植えた木があって、その木までも全部なくなっていたのだ。
それから数年も経たないうちに、祖父が亡くなった。小学生の時、きげんよく晩酌していた祖父に○○ちゃんが大きくなったらこれを飲もうなと言われた。俺は本当に未成年のうちに酒を飲んだりしなかった。でも成人したところで、祖父は寝たきりだったし、普通の食べ物すら食べられない状態だった。
葬式が終わって、A家から実家へ帰った。親戚が父と俺と姉を車で送ってくれた。母はA家に留まった。父は禁煙していた煙草を吸いながら、運転手をしてくれた親戚のおばちゃんとコーヒーを飲みながらぽつりぽつり喋っている。姉はその輪の脇で黙って座っている。俺はすぐにでもスーツを脱ぎたかったが、とりあえずその部屋からは出ないでおいた。葬儀のあとの食事?宴会?で、これでもかと酒を飲んだので、半分寝ながら部屋の隅にいた。従兄弟が下戸で、その分まで飲んでたからほんとフラフラになりつつも、みんなまだ着替えないから着替えちゃ駄目とかそういう決まりがあんのかなと寝そうになりながら携帯をいじる。
変な葬式だねとか、やっぱり○○だねとか、そういう話から、姉も会話に加わる。
「たぶんね、そういう仕組みはよく知らない」
「○○の木を切れって言ったのあいつなんだ」
なにそれ。俺は隅っこで携帯をいじってたけど、思わず声になった。
祖父が寝たきりになってから数年して、仏壇の雰囲気が変わった。その頃俺は中学とか高校くらいのガキなんでよく分かってなかった。いまでも詳しくは知りたくない。
有名な、ある宗教だ。この長い思い出ばなしはこの宗教が嫌いだと言うだけの長話だ。たんに俺の好悪の話なので、具体的な名称は伏せる。
経緯は分からないし知りたくないが、浄土真宗だとかのいわゆるよくある宗教から、その宗教に変わったそうだ。祖父が寝たきりになったところにつけ込んだような気がしてしまう。
祖父が患ったのは国の指定を受けるような難病で、そんな夫と共に生きるためには、新たな宗教は必要なのかもしれない。それは仕方ない。祖母が生きるためには必要だったはずだ。
その宗教の、導師さまとかいう地位の人が、A家に来てくださって、アドバイスをくださったらしい。
伝聞の伝聞くらいのことしか俺は知らないため正確にはどう言ったか分からないが、そいつは、A家にある緑が祖父の生命力を奪っていると言った。
だから草花を切りなさいとまで言ったかは知らない。じゃあ切らなきゃねと祖母が感じただけかもしれないが、そいつはそんなことを言って、次にA家へ来たのはじいちゃんの葬式の時だけ。
俺だって、風水で西に金色のものを置くと金運アップと聞いたらなんとなく西に金色を置きたくなるし、ラッキーカラーは青ですなんて言われたらメモを取る時のペンを青にしようかななんて思う。ただ俺の機嫌がよくなるだけだ。その程度でいい。
祖父は、ALSだ。筋萎縮性側索硬化症。根本を治すような、有効な治療は確立されていない。指定難病だ。
導師さま曰く、祖父の健康を吸い取っているのは、ぶどうの木や、小さな露地栽培の野菜、姉の生まれ年に植えられた木、雨露がかかると一層美しいバラたちだそうだ。
腹が立つというより、呆然、というかんじだった。
A家周辺の景色や、草花の写真がきれいに撮れたから、嬉しかった。ばあちゃんも褒めてくれた。寝たきりのじいちゃんが見るテレビ台の所に飾ってくれた。姉ちゃんが泣いたくらい思い入れのある木。いろいろある。いろいろあった。
祖父が亡くなって一人になった祖母は、田舎の狭いコミュニティの中で孤立したりしなかった。宗教のおかげだ。会合に参加したり、そこのひとたちとバスツアーで旅行に行ったり。それだけは、よかったと思う。
それでもあの宗教は、嫌いだ。祖母も草花を刈ることで病気になにか影響すると真に思っていたのではないと思う。俺の撮った写真だけでなくほかの人が撮ってくれたバラの写真も残していたし。本当に病状に関わっていると信じていたら、写真すら残さないと思う。
祖母も亡くなり、何年も前から、このA家にまつわる話をぼんやりと思い返しては、増田にでも書こうかなあと考えていたが書き切れたことはなかった。
五月や六月の、バラがきれいな時期になるとどうしても書いておきたくなった。
あんなにきれいな景色が寝たきりの祖父の生命力で育っていたらロマンチックだ。ファンタジーだ。ふざけんなあり得るか。
先日、姉が結婚した。なにか特別に贈ろうと写真のデータを見返していたら、姉と同い年のあの木が写った、緑豊かな写真があった。あげたらすんげー喜んで泣くから俺も泣いちゃったよ。
じいちゃんもばあちゃんも大好きだ。病気はどうしようもないし、ばあちゃんの選択は過ちではない。必要だった。生きる上で、大切な指標で、手段なのだろう。
何もない週末の最終日は、近所の用水路をチャリンコで散策することにしている。そこで二つの光景に出会った。
コスモスのお花畑に佇む家族や恋人たち。田んぼで炭をくべて野焼きをしているおじいさんらの姿。
お茶でも飲もうと足を止めたその場所はちょうど両者の風景が収まる所だった。
あちらこちらにたなびく白煙。
黄金色の田んぼと真っ黒に染まった野焼き跡がモザイク上に並んでいる。
その奥にピンク色の絨毯。
雲に隠れて少し弱々しい光が、それでも燻りがちな風景に輝きを増していた。
田んぼの間を縫うようにして生い茂った白いススキの藪が、目に見えない風になびいた。あれも耕作放棄地……ふと、今の私には手前の野焼きの風景の方が自分には合っている気がした。この煙たい匂いが目に染みて辛い。立ち上がると、身体はすっかり冷え切っていて、帰りしなに買おうと決めたおでんの具材に思いを馳せた。
帰り道、あんなに遠かったコスモス畑は、道に乗ってぐんぐんと近づいていく。子供の嬌声に混じって強い花の香りがした。コスモスの匂いだ……やっぱり私には野焼きのあの炭の匂いが合ってる。そう、強く思った。
そんなに大きな罪じゃないと思う。
あのまとめのコメント欄をながめてもはてブのコメントを眺めても全然建設的な議論になってない。
まあこれは程度問題で白か黒かで結論が出る話だとも思わなかったけど、それでも佐々木さんの発言はひどかったとおもう。
「吹聴するのがなんでいけないの?」
「そんな事を気にするくらいならなぜ中国野菜を使った弁当を食べられるの?」
他にもっと悪い事があるからこっちはええやん、という言い方は理性的ではないし反感も招くのは当然。
こういう言い方を変えれば話の流れも少しはかわったのに、と思ってます。
実際佐々木さんに否定的な意見をもったひとでも、あのアイスクリームをまちがえて食べたからって健康に影響が出るとか、
そういうふうに考えてる人は少ないと思うし、言いたかったのはそこじゃないと思う。
Togetterのコメントでも多かったけど、「俺も昔は悪かった、若いときはみんなそうだろう、通過儀礼じゃないか、なぜ寛容になれないんだ」
的な物言いに反感を抱いた人がいたんじゃないだろうか。
自分もそんな偉そうなことを言えるような倫理的な人間じゃないけど、でも能動的に人の迷惑をかけるような行動はしてこなかったつもり。
だからといってむかしバカやった人の事を責めてるんじゃなくて、でも過去の自分のバカを少しは反省してるようでないとこっちはイラつく、てのが正直なところ。
昔バカやった人が今一丁前の大人になって分別ありげに「こんな息苦しい社会じゃだめだ、寛容さはどこへ行った」ていうのは簡単だけどね、
その「バカ」「ヤンチャ」のかげで汗を流している人のことは忘れたらいけないと思う。
「ウェーイ」て居酒屋で騒いでグラス割ったりこぼしたり駅でゲロ吐いたり、どんだけいい思い出か知らないが、それを陰で片付けてる人は必ずいる。
壁にかかれた落書きのスプレーを必死で消してる人もいるだろう。チャリンコ盗まれて困った思いをしてる人も多いだろう。
佐々木さんの一連のツイートからはそっち方面への想像力が感じられなかったなぁ。
「昨今の倫理を過剰に求めすぎる社会は」とか、悦に入って論じてるひと、言葉だけ聞けばそれは全く正論だけど、倫理や規範は厳然としてあるんだよ、
そこをふまえた上ではじめて、「ゆるそうや、固い事いうなよ」、ていう話が出てくるんじゃないの?逸脱する為にはその元となる規範がいると思う。
実際に「社会」を成り立たせてるのは、黙々と道のタバコのポイ捨てを拾ってる人とか、理不尽に客に絡まれる駅員さんとか、そういう地道な人の営みなんじゃないの?
そこに目を向けずに「昨今の社会は」とか能書きたれられてる様な気がして、その「寛容」論は、違うやろう。という気になる。
で、そういう人の営みに敬意も何も抱いてないから、ああいう写真をアップする輩が出るんでしょう?
彼らは別に冷蔵庫に入る事が主目的じゃないよね、SNSにアップして注目を浴びたい、承認欲求を満たしたいからでしょう?
これは別に今に始まった事じゃなくて、海水浴場で監視員の制止を振り切って高い岩場から飛び込む若者とか、ある種普遍的な事ですよね。
そしてそれを自らネット上にあげる。それを見かけた我々がそれに対して「否。」ということがそんなに悪い事だとは思わないんだけど。
時にはそれがすごい数の否定が突きつけられるかもしれない、でもそれが社会的に間違った行為なら、それを指摘するのは間違っているとは、おもえない。
そこで悪い事を悪いと言わない事が寛容さでは、ないと思う。そしてそれは、「その店の関係者でも直接的な客でもないのに言う資格がない」
という話でもないと思う。だって彼らはアイスやピザを汚して、客に売りつけようとしてやった行為ではないのだから。
もっと普遍的な、人の仕事の、社会の営みの重さを知らずに、いちびりが賞賛を得られると思って世に吹聴する、という行為を目の当たりにして、
それは違うと意見表明するのはそのコンビニやピザ屋の客であるかどうかは、さして重要ではないのでは?
だってかれらは、SNSを通じて、我々の目に届けてしまったのだから。そして我々もそのコンビニに行かずとも、意見を表明する場を得てしまったのだから。
ネットにあげられる前なら、その店の上司が、社内規定をまげて温情で彼らをゆるす、ていうのはあるだろう。
そういうのは今までも、現在もよくある話なんだと思う。それを否定する気は全然ない。
その上司なりが自分の責任の範囲において規範をちょっと逸脱させて部下を許す、そういうのが「寛容さ」ではないのかな。
ただ彼らはいきなりそれをネットにあげてしまって、ローカルな問題をグローバルな問題にしてしまった。
ローカルでは逸脱できる規範も、グローバルではそういう訳にもいかない。規範をすべて壊してしまう訳にはいかないから。
ルーターがサブネットマスクを設定するように、身内と世間でルールを使い分ける、こういうタテマエ論が社会の規範を守ってきたのではないのかな。
今までは一つの出来事でドミノが一つ倒れるだけだったのが、今では一気に100個も1000個も倒れちゃう時代なんだと思う。
佐々木さんは最初のドミノを倒す人の事は放っておいて、末端のドミノに踏ん張れ、倒れるな、って言ってる印象なんだよなあ。
こういう事件があった時、我々はその商品を買う消費者であり、事件を起こした企業の一員であり、同時にネット上の傍観者であり得る。
無責任にならない為には、いろんな立場を考えて行動、発言しないといけないとは思うけど、事件を引き起こした彼らの立場は、いちばん共感し難い位置にあるのは確か。それに対して「俺も若いときは悪かった」てな事で共感はできないし、それができる人間にも共感したくない。
彼らの事をネット上で非難する人達は、決して安全なところから暇つぶしに言ってるんじゃなくて、
消費者としての自分、当事者の企業の一員になった自分を想像するからこそ、否定的な意見が出るんだと思う。
もちろんそれでネットによる過剰な叩きを肯定するわけにはいかないんだけど、でもやっぱり「悪い事は悪い」。