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はてなキーワード: グラビアアイドルとは

2023-05-16

anond:20230513232056

これホストじゃなくて風俗嬢が書いた文章な気がするな

風俗嬢境遇をあまりにもホストのせいにし過ぎている

風俗嬢って大体夜の街に憧れている人がなるんよ。風俗嬢になってちやほやされてみたいけど、理由が無いかホストに通って押しを作って

風俗嬢になる原因を全てホスト貢ぐためとか言ってるの。ブランドのバックを買うのも化粧するのも整形するのもホストのためって言って。

特にやりたいものもやりたいことも無くて、これから先輝けることは無いって知ってるからホスト恋愛ごっこして最後に華を咲かせたい。そういう奴ばっかよ

社会的には男より女の方が貞操観念がしっかりしているとか言われているが、実際は同じよ。

そこら辺のOLとか、たまにいる金持ちバサンとセックスすれば、キャバクラグラビアアイドルとHができる、それが風俗嬢世界

2023-05-11

はてなアンフェやばすぎだろ・・・

https://b.hatena.ne.jp/entry/himasoku.com/archives/52220783.html

「昔は大きな胸にコンプレックスがあったけど今は誇りを持って仕事をしています」っていうグラビアアイドルのTHE・定番インタビューにも

「男の性欲はしょうがないんだギャオオオオオオオオン!!!」って群がってきて100ブクマ超え

もう異常者だろこれ

2023-05-06

グラビアアイドルアスリートアイドル俳優学者も等しく政治家になるべきじゃない

「明確に自分知名度によって商売をしていた人」は政治家になるべきじゃない。

会社経営者はギリセーフということにしたいが、経営者としてのネームバリューを全面に押し出すような商売の仕方をしていた場合はアウトだ。

ジャパネットワタミホリエモン辺りが該当する。

たとえばこれが今のホンダみたいにコロコロ頭が変わっていくタイプ会社だったら超大手企業であってもセーフとしたい。

社員が何人いて組織票がどうこうという話ではなく、「名前を聞いたとき政治家以外として活躍した実績で何らかのハロー効果が発生してしまう人」かどうかを基準とする。

たとえばAKBの元センターなんかが出馬表明したら、全国津々浦々のアイドルオタク達が投票してくるし、テレビが好きなだけのミーハー投票してしまうだろう。

そうなったらもう選挙なんてまともに成立しない。

公約もクソもなく「知ってる人に政治家をやって欲しい」というどうでもいい友達感覚政治家が選ばれてしまう。

おしまいだ。

実際日本はそれをやって何度もおしまいになっている。

ハッキリ言って、お茶の間的な人気が高い政治家ほどクソだとさえ言っていいだろう。

何をやっても勝手に盛り上がってもらえるからやることが適当になってくる。

目立てばいいからで雑に首を突っ込んで意味不明なことをする。

その代表小泉親子じゃないか

ここで親子といったのは、一族まるごと含めてクソということにするには直近の駄目さが桁違いすぎるからである

正直言って、世襲の時点で政治家ゴミだと思うのだが、それにしたってあそこまでゴミに落ちぶれたのはお茶の間で人気ものになったことに端を発している。

そういうことになりかねない以上は、政治家として以外の部分で民衆に人気があるもの政治家になってはいけないのである

正直、グラビアアイドルはまだマシな気がする。

だってグラビアアイドルって時点でいいイメージがない人も多いだろうから

相殺されるのだ。

だがこれがアスリートなんかになると最悪だ。

スポーツしかしてない脳みそ筋肉客寄せパンダのくせに国民イメージだけはいいのだ。

何もしない無能で終わればまだ良い方だ。

法律出馬禁止にした方がいいレベルである

2023-05-04

AIイラストで抜いてる

最近ピクシブにアップされてる、AIが生成した作品群で抜いてるんですよ。

AVだと局部が見えちゃってるのと、男優が映ってて没入できないので、グラビアアイドルIVで抜く生活をずっと続けてきた。アニメとかイラストでも没入感がなくてだめ。もう10代の頃からずっと。

それでも、性癖にビシッと合う作品なんてないものから最大公約数的な性的興奮で対処してきたわけですよ。

それが、最近AI技術進歩で、ありとあらゆる性癖に向けた、レベル解像度も高い作品が次々にアップされるようになってきたんですよね。

自分は体格のいい女性物理的にも精神的にも見下されるのが最高に興奮する性癖なんですけど、それを満たしてくれるAVIVもなかったんですよ。あったとしても、「う~んもう少しこういう女性だったらな…」とか「こういうシチュが欲しいんだよな…」みたいな些細な不満があって、まあそんなに理想作品なんて無いわけで、ある程度興奮できればよしとしてきたんです。みなさんそうですよね。

ところが、AIの出力したイラストだと、性癖ドンピシャのものゴロゴロ出てくる。しかもぱっと見リアルと見紛うような解像度リアル度だから、もう迷うことな絶頂を迎えることができるんです。

妥協した作品で抜いてしまうと、事後に「どうしてこんなもので興奮してしまったのか…」と自責の念が湧き上がってくるのに対して、性癖にぴたり合ったものだと、事後でも「いやこれは興奮するでしょ…」となって、全然落ち込まないから、気分が全然違うんですよね。まるで、パートナーとS○Xした後のような、心身ともに満たされる感覚

しかも、子どもは二人までにしようと妻と話し合っていて、二人目の子どもが2月に生まれて、その子育児真っ最中なので、言ってみたら自分生殖機能はもうあってもなくてもみたいなものなので、「精子無駄にしちゃった…」という背徳感にも襲われないのも大きいと思う。

ここまで来たら、後は自分プロンプトを書けるようになれば好みのイラストを出力できるわけだからさらにこの道を究められるかもしれない。そのためだけにPythonプロンプトエンジニアリング勉強してみようかとも思ってる。

2023-05-01

anond:20230501165357

若手IT社長が集まるパーティーモデルグラビアアイドルアイドルアテンドする仕事ってのがあるんや。

若手IT社長は若くてきれいな女が手に入る、女側は若くて金持ちの男が手に入る。

Win-Winパーティーやね。

2023-04-23

こうやってネットでやり取りするどこの馬の骨ともわからん増田とか、SNSにいるファック出来ないグラビアアイドルとか

AIと何の違いもありゃしないよ

「君より優秀な人なんていくらでもいる」とも何度言われたか知らないか

ChatGPTが人間より優秀と言われても何の感慨も無いね

ハイハイつよいつよい

2023-04-16

anond:20230413163447

イエローキャブの元社長

売り出すグラビアアイドル決めるために服の上から胸触ってたのは結構有名な話だけど

あれも今だったら燃えるのかね

2023-04-06

実はおっぱいに興奮していなかった

推しグラビアアイドルが昔太ってたんだが、相変わらずおっぱいは大きいのに全然エロくなかった。むしろ現在よりデカイくらいなのに。

そこから年月の経過とともに痩せていったらしいのが昔のグラビア確認できたのだが、痩せるエロくなっていく。おっぱいは少しずつ小さくなってるのに。

俺はおっぱいを見て興奮していたのではなく、スレンダーな体つきのほうを見てたんだな……と思った。

そりゃ女子ダイエットするわ。痩せたらエロく見えるだもんな。モテるようになるだろうし。

2023-04-03

anond:20230403045605

それって反論になってないよ

反論したいなら

女が男児エロ絵を駅のあちこちに貼ったという事実がなければ

 

だってグラビアアイドルが表紙についた雑誌売ってるわけだしな

やめた方がいいよ?不愉快から

 

それにお前が例に出せるのはanan一冊だけだけど

男向けの雑誌は3桁超えるんじゃないか

その辺も非対称だしな。

 

女のそれを排除すべきだと思うなら男の方も全部排除しなきゃならないな

anan雑誌で飯食ってる人間についてはどう考える?

お前は製作者が失業すれば満足なのか?

 

そもそもananを利用しているのは犯罪者ではなく

性的弱者じゃないのか?社会的弱者を追い詰めて楽しいのか?

2023-03-21

anond:20230321102134

ワイちゃんもそれは思う

学生時代ブサイクなワイをガン無視してたくせに、正社員共働き可能な女だからって今更寄ってくるな」

永遠に女子アナとかミスコン優勝者とかグラビアアイドルみたいな女追っかけてろ」

これは本当に思う

都合良すぎなんだよ

 

少なくともそういう奴は

顔面が良くて働かない女がお似合いだと思うんだよ。

そういう女を一生追いかけていればいいんだよ。

2023-03-14

林田百加と似たタイプグラビアアイドルを紹介してください。

chatGPTの答え:

林田百加さんは、清純な雰囲気と美しいスタイルで人気のグラビアアイドルです。同じようなタイプグラビアアイドルをいくつか紹介します。

 

藤田恵名ふじためいな)

藤田恵名さんは、可愛らしいルックスと豊かなバストが魅力のグラビアアイドルです。清楚なイメージがあり、ファンからは「めいちゃん」と呼ばれ親しまれています

 

小倉優香おぐらゆか)

小倉優香さんは、透き通るような美肌と美脚が自慢のグラビアアイドルです。可愛らしい顔立ちとスレンダーな体型が魅力で、グラビア界ではトップクラスの人気を誇っています

 

明日花キララあすかきらら

明日花キララさんは、巨乳が自慢のグラビアアイドルで、セクシーイメージが強いですが、清楚なイメージ水着ショットも多数披露しています。また、演技力にも定評があり、映画ドラマにも出演しています

 

桃乃木かなもものぎかな)

桃乃木かなさんは、スレンダーで美しいボディラインが魅力のグラビアアイドルです。可愛らしいルックスと、しなやかな身体つきが人気で、ファンからは「かなちゃん」と呼ばれ親しまれています

 

以上のように、林田百加さんと似たタイプグラビアアイドルには、清純な雰囲気や美しいスタイルを持った女性が多くいます

 

答えの体裁がそれっぽいというだけで、言ってることはめちゃくちゃだな……

2023-03-07

グラビアアイドルを脱して「いっちょまえ」の女優かになれたとしてさ

「でもこいつ好き好んで水着下着写真撮らせて見せびらかしてた女なんだよなぁ」って印象になるくらいなら

とりあえず「本当は嫌だったんですけどね」って言っとくのが人情ってもんじゃないの。

2023-02-25

アニメーター本業としている人の美少女イラストが好き

線やエフェクトシンプルながらも、感情表現が豊かで絵全体に動きがあるのもいい。

漫画家本業の人も似たような傾向があると思う。


一方で、専業イラストレーター美少女イラストは対極をなしているように感じる。

眼球や細かい服飾や背景やエフェクトがやたらと込み入っているけれども、構図やポーズが単純で(ひどいものだと人体デッサンが崩れてる)表情も動きも死んでいることが多い。

例えるなら、モデルコスプレイヤーが全力メイクかつ死んだ表情で静止画を撮って、フォトショップで盛りまくったような感じだ。

それなら、美少女イラストではなくてグラビアアイドル画像を見たほうがましだ。

昨今はAIで描かれた美少女イラストを目にすることが多くなったが、そこでも専業イラストレーターのような絵ばかりで、動きや感情に乏しくて鑑賞に堪えうるものではない。

AIで描かれたグラビアアイドル風の絵でも同じことが言える。

AIでは、コミカル感情表現豊かで今にも動き出しそうな美少女を描くのはまだ難しいのだろう。

2023-02-18

オレは恋愛に失敗してない。

近所に女子が住んでいなかった事もあり、小学校低学年の時点で既にもう、女と縁遠かった。オナニーオカズとしてはグラビアアイドルとか漫画の女体はよく利用してきたが、女の性格というか、感情的になって無視してきたり、集団で結託して個人を追い詰める傾向は苦手だった。それでも好きになれた女子は何人かいて、告白しようと一念発起した時もある。だけど結局、すべての告白が決行直前に中止された。でもオレは恋愛に失敗したとは考えてないんだよ。

理由❶・中止と失敗は定義されてる

相手女子たちの気持ちが雲のように捉えどころがない以上、告白運ゲーになる。だから結果を評価するために、明確に、中止と失敗を定義する必要があった。中止とは、気持ちを打ち明ける前に思い留まること。こちらの気持ちを気取られず元のクラスメイト同士の関係性に戻るのが中止成立の条件。失敗とは、告白した後に振られるか、あるいはイエスと答えてくれたとしても、その後BにもAにも進めずに自然消滅すること。オレは過去一度も失敗した事はない。

理由❷・異常事態は想定済み

元々女子と関わってこなかったので経験値が足りてないのは自分でも分かってる。こちとら女子と手を繋いだことさえないんだぞ? 告白の直前で意味不明心臓がドキドキして挙動不審になってしまったり、女子にどうやら意中の男がいるっぽいことが判明したり。そういう異常事態が発生することは全部事前に分かっていた。強行して心に致命的な傷を負う前に、なにかヤバイ、と感じたら告白中断するのに躊躇は無かった。もちろん中止は泣きたいほど悔しいけどさ。だけど告白の機会は一度きりじゃない。誕生日告白できなくても、文化祭下駄箱に呼び出せばいい。それも厳しいなら卒業式にチャンスがある…

理由❸・オレ自身ダメージを受けてない

ティア1の女、クラスのマドンナを見送ったときメチャクチャ辛かった。焦って家まで追いかけたのはあのとき一度きりだ。だけどそれでもオレは別の女を好きになれた。惚れた女に強引にアプローチしたりはせず、興味ない女子とは不意の接触でお互い傷つけあうリスク回避するために普段は避けているので、誰かに面と向かってキモいと言われた事もない。フラれた経験もないかトラウマも抱えてない。心の傷を負って再起不能になったりしてない。致命的なダメージを受けてない。だからオレは恋愛に失敗してない。

理由❹・諦めてない

オレはアラフォー差し掛かる年齢だが、恋愛を諦めるつもりは毛頭ない。世間ではおひとり様を楽しめればいいじゃないかと性のゲーム下りた気になってる敗北者の傷の舐め合いがブームだが、生き延びた老後を少子化で数の少ない子どもたちに支えてもらう気満々なのに、フリーライドを認めず子持ちを偉いとさえ思わない、傲慢なあの自己中どものように、欺瞞に溺れて甘えた余生を過ごすつもりは一切ない。ここしばらく女っ気が皆無なのは認めるが、ただ今は少し、休んでるだけだ。

2023-02-17

エロ同人声優が世の男性から抜き取ってるザーメンの量を計算した結果

自分お気に入りエロ同人声優計算結果がこれ。

 

 

計算方法

1ダウンロードにつき、1発(3.5ml)で計算

 

 

■陽向葵○か

販売数:11,512,658 ダウンロード

ザーメン量換算:40,294.30 リットル

 

■秋野○えで

販売数:7,765,896 ダウンロード

ザーメン量換算:27,180.64 リットル

 

柚木○ばめ

販売数:5,988,471 ダウンロード

ザーメン量換算:20,959.65 リットル

 

大山○ロル

販売数:5,887,736 ダウンロード

ザーメン量換算:20,607.08 リットル

 

■涼花○なせ

販売数:5,215,000 ダウンロード

ザーメン量換算:18,252.50 リットル

 

逢坂○美

販売数:4,029,263 ダウンロード

ザーメン量換算:14,102.42 リットル

 

分倍河原○ホ

販売数:2,959,874 ダウンロード

ザーメン量換算:10,359.56 リットル

 

■沢野○ぷら

販売数:2,918,803 ダウンロード

ザーメン量換算:10,215.81 リットル

 

■伊ヶ○綾香

販売数:2,768,795 ダウンロード

ザーメン量換算:9,690.78 リットル

 

■御子○泉

販売数:2,396,515 ダウンロード

ザーメン量換算:8,387.80 リットル

 

■そ○まめ。

販売数:2,373,955 ダウンロード

ザーメン量換算:8,308.84 リットル

 

野上○月

販売数:1,958,855 ダウンロード

ザーメン量換算:6,855.99 リットル

 

 

12人の合計

販売数:55,775,821 ダウンロード

ザーメン量換算:195,215.37 リットル

 

 

【備考】

*総販売数:DLsiteFANZA販売されているR18作品対象2024年7月1日未明時点)

*別名義での作品販売終了の作品対象

 

 

あとがき

1ダウンロードにつき1発として計算したけど、実際はもっと多いはず。

買ってから一度も聞かずに積んでるって可能性もあるけど、

複数トラックがあることや、ヘビロテでの使用違法視聴分を考慮すると、

実際は1ダウンロードにつき、3回くらいの割合でシコらせてると計算しても妥当だと思う。

 

マイナーな界隈の彼女達でこの量なんだから

テレビ動画によく出てる有名なグラビアアイドルとかセクシー女優かになってくると、

25メートルプールが何杯分っていうくらいのスケールの話になるんだろうな。

マジですごい職業だわ。

 

 

更新日2024/07/01

2023-02-08

おすすめグラビアアイドルAV女優を教えてほしい。

好きな身体は、寺本莉緒大原優乃沢口愛華みたいなぽっちゃりではなくてお腹は出てないで、胸が大きい感じの体型が好き。

最近だと菊池姫奈もいい。

昔だと堀井美月身体がとても良かった。

AV女優はあまり分かってないので有識者教えてください。

2023-01-25

anond:20230124163604

はいエアプ。 

・やわらかい脂肪の塊なので力入れて押せば潰れる

・胸だけ巨大でウエストは引き締まってるなんてグラビアアイドルしかないようレア体形で、胸が大きければ腹にも脂肪ついて出てるるのが普通

2023-01-16

anond:20230116125233

グラビアアイドル自体ハラスメント我慢する事で金貰う職業

認識されてる面もあるからなあ

そこから這い上がれた人が、後からあれは嫌だったと言う事まで含めて想定内

anond:20230116125008

グラビアアイドルとして写真を撮られて公開されることは業務ですが

パワハラされることは業務に入ってませーん

はい論破

2023-01-10

ブラジャーを買いに行って衝撃を受けた話

そうだ、ブラジャーを買いに行こう

きっかけは「ブラトップをしていると将来的にやばいことになる」みたいなツイートを見かけたことだった。

そういえば、普通ブラジャーをしなくなって何年経つだろう。今思えば体に合わないブラジャーをしていたかなのだろうが、肩紐がずり落ちてきたり肩が凝ったりパカパカしたりするのが嫌でブラトップ愛好家になっていた。

ブラトップは楽だ。しかし将来のことを考えると胸を支えていないので良くないらしい。確かにそんな感じはする。

途端に「ちゃんとしたブラジャーを着けなくては」という気持ちになり、一念発起してブラジャーを買いに行くことにした。

採寸はハードルが高い

しかし、ここである問題が発生した。胸が小さい事もあり「どうせAカップだろう」と思っていたのでちゃんとした採寸をした事がなかったのだ。

まり下着を買いに行くのに自分サイズが分からないという事態に陥っていたのだ。

これではいけない。まずはちゃんと採寸をしてもらわなければ…。でも下着屋さんで採寸をしてもらうのはなんとなくハードルが高いような気がする。

そんなことを考えながらTwitter情報収集をしていたら、なんと機械自動的に採寸をしてもらえるサービスがあると知って驚いた。

しかも近々出かける予定のある場所で予約なしで採寸してもらえるようだ。

これはいい機会だと思い、一念発起して下着売り場に突撃することにしたのだった。

自動採寸サービスがすごい

今回利用したのはワコールという下着ブランドが展開している「3D smart & try」というサービスだ。

最初に言っておくが、私はワコールの回し者ではないし、これはステマではない。

しかしあまりに感動してしまったので事細かにレポートをしていく。結論から言うと下着に悩みのある女性にはお勧めサービスだった。

まずどのようなサービスなのかというと、3Dスキャナーを使って全身の立体データを記録して自動的に体の各部位の採寸をしてもらえるサービスだ。

驚くべきことに料金は無料で、計測結果は紙に印刷して渡してもらえたので便利だった。

セルフサービスなので店員さんに体を見られることもないし、計測する場所も大きなカギ付きの個室なので安心だ。

ネットで調べるといろいろとレポートが出てくるので詳細は省くが自分ショーツと専用の紙下着を着けて数秒で計測できるので簡単だった。

計測が終わると専用のタブレットデータを移して詳細を閲覧することができる。

この際に希望すれば店員さんにデータ見方や体に合った下着の形などを教えてもらえるので大変助かった。

まさかの…

今回一番驚いたのは、Aカップまな板だと思っていた自分バストサイズCカップだった事だ。

バストトップーアンダートップ」は7センチ前後だったので一般的な測り方だとAカップのはずなのだが、後ほどフィッテイングをしてもらうと確かにCだと言われたので間違いない。

どうやら下着サイズトップとアンダーの差というよりも胸の横幅(直径?)のサイズらしく、高さはないが横幅があるのでCカップ下着が合っているらしい。

実際にBとCの試着をしたがCの方がしっくりきたのでそうなんだと思う。

とすると、今までAカップだと思って買っていたブラジャーが着にくかったのは体に合っていなかったかなのだろう。

小さいかブラジャーがカパカパしていたのではなく横幅が収まりきっていなかったからカパカパしていたのだ。多分。

今までの計測方法って

そうなってくると、一般的に言われている「バストトップーアンダートップの差=胸のサイズ」という方程式とは何ぞやという話になってくる。

おそらく私と同じようにこの式で計算して本来バストサイズと合わない下着を身に着けている人も多いのではないだろうか。

実際に下着専門店に行くのは敷居が高いなと思うかもしれないが、自己採寸で下着を買っていて着けにくいなと感じている人は是非勇気を出して下着売り場の店員さんに声をかけてみてほしい。

それも怖いな、難しいなと思った人は機械測定の3Dがお勧めだ。

自分の体の正しいサイズを知って、正しいサイズ下着を身に着けるとこんなに違うんだと感動した。

貧乳の謎

余談だが、昔夫に「胸が小さい」「もう少し大きかったらなぁ」と小言を言われたことがある。

しかしながら世の中の女性の半分はBかCである。つまり女性の平均的な大きさなのだ。

グラビアアイドルセクシーお姉さま方は胸が大きい方が多いのでそれと比べて小さく見えるかもしれないが、世の中の女性の半分は私くらいの胸の大きさなのだよとメールした。

多分男性が思っているCカップ現実Cカップ結構差異があると思う。男性が思い浮かべているAカップや「貧乳」って実はCカップDカップことなんじゃないかと思えてきた。

それくらい自分でも衝撃的だったのだった。

2023-01-08

人魚

人魚ってやっぱり「人」と言われるだけあるんだよね。

物語に出てくる人魚ってみんな可愛かったり美人だったりするじゃん。

鏑木清方の「妖魚」ってどこだったかな、都会の美術館特別展で見たんだけど、美人えっちなお姉さんじゃん。

でも違うんだよね。俺は釣りをしによく三方五湖の方のあんま人のいないところにいくんだけど、やっちゃダメなんだけどたまにちょっと海入るんだよね。

腰くらいまでしか行かないんだけど、1人でパシャパシャしていたらいつの間にか海側の背後にスッって立ってた。

いや立ってたってのはおかしいな下半身魚なんだから。そう言う風に浮いてたってこと。

音もしないでいきなり後ろにいたからかなりビビった。

いや上半身を出す音はしていたんだろうけど、他の波音と風の音で気づけなかったってこと。

顔はさちょっと浅黒くてそんな目鼻立ちは際立つ感じじゃない。鼻も低いし。

んで髪も濡れてるからボサボサと言うかお手入れしてない感じ。リトルマーメイドとか髪綺麗じゃん。その逆。

そりゃ外にいるんだから日焼けもするし髪も乱れるわな。よくない例えかもしれないけど昔の、写真で見る明治とか大正労働者階級みたいな感じ。化粧なんかもしてないしね。海だから

おっぱいもさ、肝心のおっぱい普通な感じよ。

大体人魚って描かれる時はおっぱいエッチじゃん。描く方も気合入れるところだと思う。

でも普通よ。

そりゃそうだよな。普段生活しててもみんなグラビアアイドルみたいな感じじゃねーもんな。俺だって純烈みたいにカッコよくねーもん。人魚もそうなんだろ。

んでおっぱいよ。邪神ちゃんドロップキック邪神ちゃんみたいにおっぱいが髪で隠れてる感じだった。邪神ちゃんみたいに全然エッチな感じがしない感じだったな。

じっとこちらをみてくる。人間に興味があるのだろう。

言葉はわかるか」と聞くと「少々のことは覚えはべり」と答える。

古い時代に人の言葉を覚えたのだろう。

室町時代の地下官人が書いた日記『康富記』に人魚の肉を食べた女(やおびくに)が若狭から上洛したって記事がある。

でも目の前にいたらさすがに食べようとか思わねーな。

しかしやっぱ福井県ってのは謎の多い県だと思うわ。

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

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