はてなキーワード: ぼんやりとは
去年の暮れに、両親が離婚した。
薄々そうなる気はしていた。二人の間には会話もなかったし、一緒に何かをするという事が絶えて久しかった。
だけど、今か、と思った。
その年に始めた仕事が軌道に乗り、うつ病の治療も安定し、ここ最近では一番、元気だった。
その日は、月に一度の実家に帰る日だった。誰もいない実家の、自分の部屋に入って、デスクの上に、それはあった。
「お母さんとお父さんは、離婚しました。お母さんには、支えたい人が別にいるからです」
口で言えよこの野郎、と思った。言葉の代わりに、涙が溢れだした。
脳みそがパニックを起こしている気がした。書いてある文字がちっとも理解できなくて、頭に入ってこなくて、全部水滴になって落ちていった。
●
母のことは、よくわからないなりに、大好きだったと思う。
小さい頃からちょっとそりが合わなくて、よく反抗した。よく怒られた。よく泣かせた。
同族嫌悪、と言えばいいのだろうか。近すぎるから、同じだから、気持ち悪くて、心地よかった。
わたしはどちらかというと感性は父に似ており、本を読んだりゲームをしたり、小説を書くのが好きだった。
母は、街を歩くのが好きだった。手芸をするのが好きだった。お菓子作りが好きだった。
どれもこれも、子育てのために我慢していたから、私は彼女のことを「無趣味のひと」だと思っていた。ずっと。
そんな母が、ふらりと一人で出かけるようになったのはいつのことだったろうか。
増えた白髪を茶色に染め、ほうれい線に化粧を乗せ、元気に家を飛び出す背中を見送るようになって、どれくらいが過ぎただろうか。
そんな母と化粧の話をするのは楽しかった。服の話をするのは嬉しかった。やっとすきなものの話ができる。これからたくさんしていける。ずっとずっと、そう信じていたのに。
母は、家を出ていった。
●
飲む薬が一気に増えたし、涙が止まらないせいで仕事にも行けなくなったけど、元気だった。
わたしには、父が、弟が、パートナーがいる。結婚だってしたいし、子供だってほしい。来年のウルトラマンが楽しみでたまらなくて、予定はヒーローショーで一杯だった。
二月に入って、調子が悪くなってきた。
微熱が下がらない。検査をしても異常なし。横になる時間が増える。
頭がぼーっとして動かない。薬を変えたからだろうか。本が読めなくなる。
胃が鈍く痛い。食欲もない。下痢の日が続く。水は飲まなきゃ。
イライラする。他人といるのが苦痛。相槌さえうてない。パートナーに申し訳ないな。
最後に小説書いたのはいつだろう。母はあの手紙で私に「書け」と言った。だから書き続けないといけないのに。あれは遺言だ。遺言は守らなきゃ。守らなきゃ。
吐きそう。
三月になって、実家に泊まることになった。二月はしんどくてそんな余裕がなかったから、年始ぶりに父に会うのは楽しみだった。
父は飲み会ということで、一人で夕飯をなんとかしないといけなかった。誰もいない家に人でいるのも何だか寂しくて、せっかくだしマックでも食べようかな。そう思って私は、近所を散歩することにした。
やめときゃ、よかったのに。
店を見た瞬間、涙が出てきた。
そうだ。ここは、母とよく行ったスーパーで、母によくナゲットを買ってもらったマックだ。
わたしは立ちすくむ。両腕で自分を抱きしめる。気を抜くと口から何かが飛び出しそうで、自然と口呼吸になった。
親子連れがわたしの横を通っていった。母と娘だった。わたしは目が離せなかった。
釣られるように、わたしも店に入る。座席に座って、ネットオーダーをする。
涙が止まらない。子供の甲高い声が頭に突き刺さって、気分が悪かった。
ハンバーガーの味は分からなかった。胃からせりあがってくる何かに蓋をするみたいに食べた。泣きながら食べた。
そして、逃げるみたいに実家に戻った。
新居に戻れば、よかったのに。
わたしはベッドに倒れこんで、おかあさん、おかあさんと泣いた。
もうおかあさんと化粧品を買いに行くこともないんだろうな。
もうおかあさんと並んで料理をすることもないんだろうな。
もうおかあさんとテレビを見て笑い合うこともないんだろうな。
もうおかあさんに、抱きしめてもらうこともないんだろうな。
だけど、これから帰ってくる父にも、遠方に住む弟にも、仕事中のパートナーにも、誰にも、メッセージを送ることはできなかった。
ひとりで、眠りに落ちるまで、泣いた。
●
翌朝、腫れぼったいまぶたをこすりながら、父におはようと言った。父はわたしを見て何も言わなかった。だからわたしも、何も言えなかった。
あいかわらず体調は最悪で、熱っぽかったし、腹痛もあった。頭の中は真っ白で、身体がふわふわとしていた。吐き気だけが鮮明だった。
高校中退引きこもり3年の20歳田舎住み不細工はどうしたらいいか。17歳冬体調不良で学校に通うことができなくなり成績不振で高校を自主退学。
18歳に高卒認定をとる、親が離婚して母方に弟と妹と私がつくことになる。19歳はアルバイトを何回か始めるがすべて一日で辞める。20歳、自動車学校通い始めるも内容が頭に入らずまた技能が怖くて出来なくなり中退する、引きこもりが続き精神がおかしくなって家の壁を殴り、精神科で統合失調症と自閉スペクトラム症と診断される。現在引きこもり継続中、今年から編入という形で通信制高校に通う事になった、アルバイトを始めて続けて来年は働きたいと考えている、でも通勤やひとり暮らしをするためには車の運転が出来るようにならないといけない、なのに恐いという気持に支配されて出来そうにない、原動機付自転車なら出来るかもしれない。人生おしまいだと思って高いところから落ちてみようと2回した、でも出来なかった。勉強が出来なかったり人から学ぶことができなかったらもう生きていけないと思うんです。人とうまく話すことも歯並びや顎関節などの影響で不細工だから出来なくて代わりに理路整然とした文章が書けるかといったらそうでもない。やりたいこととか夢とか希望もぼんやりだけどあって、そんなこと言ってる場合じゃないのに比べてしまって自分には何も為せることがないと苦しくなる、毎日地道に生きて継続して行くものだと分かっているんですけど簡単なことも出来ないんです。だからそんなこと思ってしまうんです。私の唯一好きなことは読書なんですけど、ゆっくり何回も繰り返して読めるから好きなんです、あと自分も同じストーリーを生きてきたとかこれからそれが起こるかもしれないとかが快感なんです、それも苦しくなってきました、私の読書に今求められているのは速さと正確さと適当に手を抜けるかという私の想像する仕事のようなものなんです。これはどうでもいいことだと分かっています。
一番の死にたくなってしまったことの原因は顎関節のことと自動車の免許で新潟市に住んでいるのですが、免許なしではこれから生きていけなくて、どうすればいいのか分からない。
私が子どもの時分から抱いている概念・感覚のようなものなのですが、名前があれば知りたいです。
申告な悩みではなくただの雑談の主旨で、こういう感覚ある人いるかな?みたいな感じです。
日常生活を送っている中で以下のイメージを抱くことがあります。
・視界にHPバーや文字、数値などのHUDのような表示が浮かぶことがあります。
常に出るものではなく、変動があったときや思い起こしたときにふいに現れます。
・痛い思いをするとHPゲージが減る、長時間仕事するとMPゲージが減る、
飛んだり走ったりするとスタミナゲージが一時的に減る。睡眠や風呂や、食事や排泄などで回復する
・電車の時間を調べて駅に向かうときなどに視界の上のほうにカウントダウンタイマーが現れる
・対話者が回答を考えているとき、「思考中」「入力中」のような表示が現れる
・外出中にカバンに入っているものなどの持っているものがリスト化される
・自宅の家具の間や街路樹の隙間など、狭いところに挟まるとスタックして動けなくなるかもしれないと考える
いつも必ず明確に現れるわけではなく、ぼんやりとゲームだったらそうなるよなーと考えた結果でイメージが固まる場合もあります。
なんの根拠もなく、誰しも少なからず持っている感覚なんだろうな、と長く思っておりましたが、
ゲームやアニメは人並みに好きだと思いますが、何時間も夢中になるほどハマった経験はありません。
1人の上司がファイル名で作品を並べ替えるって方法を理解できなくて、
エクスプローラーの画面をスクショして、ペイントでファイルの位置を並び替えた画像を添付してきて、
「この並び順でファイルをバックアップしておいて」って言ってくる。
その人はキーボードも人差し指一本打法だし、未だにスマホメーカーと通信会社の区別がついてないし、
障害が起きてネットに繋がらくなったら、さくらインターネットに電話かけるような人だ。
俺民主党政権のの時ガキだったから経済のこととかわかんなかったし、新聞も読まなかったしテレビもバラエティしか見てないからどんぐらい続いてたのかもうすぼんやりだった。
悪夢っていうし、イメージ的にはそれこそ東条内閣みたいなのが10年くらい続いてたのかなと思ってたんだけど、3年くらいなんだな。
そうおもったら急に不思議におもってググったら、自民党政権って民主党政権の後もう10年くらい政権担当してるんだな。
たかだか3年政権を担当しただけで、10年も政権を担当している党が修正できないほどひどいやらかしをしたから悪夢の民主党政権って言われてるんだろうけど、具体的には何やったの?
なんとか生きています。
その太陽の光を希望に生きていかないといけないんだなあ、なんて当時ぼんやり思いながら
時間が過ぎるのを待って過ごす日々でした。
なんとか仕事を見つけて
5-6回転職繰り返して
親しくなった人に死産経験をカミングアウトしたりし始めていたところです。
1人で産むって決めたら色んな人が色んなこと言ってたよ、
死産だって言ってるのに「本当に?」って聞いてくる無神経なマダムがいたりとか、人間関係リトマス試験紙だったよ
なんて笑い話にしてるくらい。
なんだけどね。
涙止まらないんだよね。
幸せなシーンなのにさ。
別に私、いま不幸でもなんにもないのにさ。
悲しくて悲しくて涙止まらないんだよ。
泣いたってあの子が10歳になって目の前に現れてくれるわけでもないのにさ。
もう一度妊娠できるわけでも全くないのにさ。
涙止まらないんだよ。
まだ悲しいの。
悲しくて寂しくてたまらないの。
11年目も12年目も20年後も30年後もずっと悲しくて寂しいんだと思うけど
骨壷抱えて、いっぱい泣こうと思う。
ここまで読んでくれてありがとう。
ここを読んでくれてる人も、同じ思い抱えている人かもしれないね。
ずっとずっと悲しいよ
寂しいよ
でもそれは異常なことではないよ
当たり前なことだよ。
最初に言っとくけど見た夢は相当グロいので嫌いな人は読まないでほしい
昼寝してる間の30分くらいの間に最悪な夢を見た
大きな古い洋館のような屋敷で親族の集まりがあり自分も行かないといけないのだが
そこで遺産がどうので血縁同士で醜い争いが起こっておりあまり行きたくないなと思ってる
だが顔を出さないわけにもいかないのでできるだけ遅れてしぶしぶ向かう
着いた頃にはちょうど会合が終わったところだったみたいで、玄関から中の様子を伺ってると親戚たちが帰路につくとこだった
内心ほっとしながら一応顔を出そうとしたと示すために家主を探そうとする
大きさはてんとう虫くらいで、体もてんとう虫みたいに丸っこいが表面にはトゲみたいな突起がいくつかついてる
その体に細長い胴体部分がくっついていて、脚はカブトムシなんかと同じような感じ
色は赤錆色とでもいえばいいのか、ザラザラしたようなノイズ感のあるオレンジ色
家主を探してうろうろしてたらその虫が屋敷内のあちらこちらにいることに気づく
床だけじゃなく手すりや壁にもひっついている
親戚たちも「あっなんだよ」とかいいながらそれらの虫を払ったりしてる
なんだか気味が悪いので家主に会うのはいいやと思って自分もすぐ帰ろうと思う
蹴った瞬間霧吹きでシュっと一吹きされたような感触が足の甲にあった
なんだろうと思い、玄関先で見つけた他の一匹を少し観察する
靴紐の先でつついてみると、虫の身体のトゲからなにか液体がパっと飛び散るのが分かった
なんとなく、ああなんで裸足で蹴ってしまったんだろうと後悔するがとにかくとっとと帰ることにする
屋敷を出て数分もしない間に足が痒くなる
気になって靴を脱いでまた裸足になるがパッと見は特になにもない
かゆみを感じた足の甲は霧吹きをかけられた感触があったほうの右足だ
足の甲を少し撫でてみるとずるっと皮膚が剥がれて取れてしまった
痛みはないが驚く
取れた皮膚は皮下脂肪といっしょにえぐれてけっこう厚みがあった
剥がれたとこはもう骨に近い深さなんだけど、血はなぜか全然出ない
あおしてえぐれたとこの断面になにか白いつぶつぶみたいなのが見える
それに触れてみるとつぶつぶが一気に動き出して細長い寄生虫みたいなのだと分かる
蛆がすごく長くなったようなのが物凄いスピードで動き出してどんどん足の中の肉に穴をあけていく
大量にいるのでほとんど束になってあっという間に足に大きな穴が空いていく
露出した他のとこにも白いつぶつぶがあり、それらも刺激されると同じく一気に動き出して肉を食らっていく
パニックになり必死でその白い細長いやつらを指で引っ掛けて剥がすが動き回るし数が多すぎてきりがない
ほんの数分で足は小さな穴だらけになっていて全体的にもろくなってるのが分かる
もはや虫を取ろうとしても足の肉ごと取れてしまうのだ
足首から先はぐずぐずになってこれはもう立てないとぼんやり思う
そしてふと気づく
最初に玄関に入った時、天井からなにか落ちてきてとっさに手で払ったが、その時顔になにか水分を感じなかったか
あの家に行かなければ!行くのをやめておけば!!
目が覚めた時は夢でよかった、本当に夢でよかったと足をなんどもさすりながら泣きそうになった
ところで、夢の中で見たものは映像的にあまりにもリアルでそれが恐ろしかった
こういうのは色んな今まで見てきたものがあれこれまぜこぜになって視覚的に再構築されてるんだとは思う
グロいものも映画とかでそれなりに見てきたからリソースは多少頭の中にあるとは思う
「ぼんやりしながら歩いていたら電柱に頭をぶつけちゃったよ、トホホ~!気をつけなくちゃなあ」みたいな書き込みに
「ぼんやりしながら歩いていたのが悪い!!」「気をつけないのが悪い!!」「お前が悪いんだ!!電柱は悪くない!!!!」みたいなキレ方するやつ
「鞄のジッパーを開けっぱなしにしていたら財布をスられてしまった、短時間でも閉めておくべきだった」「鞄のジッパーを開けっぱなしにしていたお前が悪い!!」
「公園で右手にサンドイッチを持って左手でスマホを持ち時間を確認しようと目を離したらトンビに襲撃されてサンドイッチを取られてしまった、油断した」「油断したお前が悪い!!」
「牡蠣を食べたら当たってしまった、下痢と嘔吐が止まらなくて辛い、もう今後の人生で食べるのやめます」「もう二度と牡蠣を食べるな!!」
とかまあなんでもいいんだけど
とにかくこんな風に
・既に反省している
・既に後悔している
・何がいけなかったのか、今後どうするべきか本人が既にきちんと理解している
という様子の人に向かって殴りかからんばかりの勢いで「反省しろボケ!!」「後悔しろカス!!」「お前の何がいけなかったのか理解させてやる!!それまで許さない!!」「逆ギレするな!!最低野郎!!」と意味不明な罵倒をしてくるのってなんなんだろうなあれ
別に本人がちゃんと理解してたら自分はそれ以上何も言おうと思わないし、
周りに迷惑をかけるタイプの失敗じゃなかったらなおさら別によくないかって思うんだけど
どうしてもわめき散らして説教しないと気が済まないのかなあ
でもセックスはしたくない
親の遺産が僅かばかりあるので私が死んだら国に取り上げられるよりは信頼できる人に渡したいなぁとかぼんやり考えてて、友人の兄弟で独身のあの人私と書類上結婚してくれないかなぁとか思ってる
でもそんなこと迂闊に言って友人に縁切られると困るので、チラ裏に吐き出し
小学生の頃図書館で読んだ漫画で、内容はぼんやり覚えてるんだけどタイトルや作者が特定できない。
短編集に収録されてたもので、全体的にホラーよりの世界観だった...はず。
・1つめ
主人公は世界の珍獣?紹介TV番組のプロデューサーだったかな。ある日ジャングル奥地の少数部族の取材のために現地に向かう主人公含むTVクルーたち。しかしその部族の罠にハマり主人公以外は殺され、主人公は捕えられる。その部族たちの不思議な儀式を受ける主人公。暗転。
珍獣に変化させられ今度はTVで紹介される側になる主人公というオチ。
・2つめ
主人公は探検家だったかな...。仲間たちと遺跡?を探してた。滝の奥に入り口を見つけて進んでいくんだけど、奥に広大な遺跡を見つけたと思ったらそこに暮らす人たち?の襲撃を受けて主人公以外死ぬ。主人公も槍を背中に受けるがなんとか逃げ出す。
「このことを皆んなに伝えなければ...」とか言いながら砂漠をジープに乗って走り去るコマで終わった記憶。
・3つめ
ごめん一番記憶あやふや。主人公は研究者だったかな。みんなでどっか探検いくらしい。少女が自分も連れていくことを強くお願いする。探検先の沼にみんなハマってしまう。実は少女は人間じゃなくて、羽が生えた少女が助けてくれる。
昨年、33歳で初めての子どもを出産した。子はもうすぐ4ヶ月になる。
20代の頃は子どもの人生に責任が取れないと考え、子どもを持つことに否定的だった。
でも30代を迎えて「自分は何にもなれない」ということがわかり、かつ「自分の人生はこんなもんだろう」という先がぼんやり見通せるようになってきた。
このおかげで楽に生きることができるようになった反面、自分の人生がつまらないものに思えてきてしまった。
変化をもたらすには子どもを持つくらいしかないな、と考えてゆるっと妊活をして、幸運なことに子どもを授かることができた。
が、とにかく愛しいのだ。愛しさのかたまり。
赤子は自力では何もできないので、とにかく親を信頼して全力で頼ってくる。
それらがかわいくて愛しくて仕方ないのだ。
育児は相当大変で寝不足で疲れているのに、赤子のことがこんなに愛しいなんてどうかしている。
親に快感を与える麻薬物質か何かが赤子から放出されているのかと思うくらいである。
赤子は毎日、できることが増えていく。
頭を動かすことができるようになる、声を出せるようになる、物を掴むことができるようなる、など。
この成長を積み重ねた先は、親である自分と違って無限の未来がある。
赤子も成長すれば、私と同じ「何にもなれない者」になっていくと、理性ではわかっている。
でも、「末は博士か大臣か」的な妄想をしてしまう。してしまえるほどに、赤子は白紙なのだ。
(話が逸れるが、世の祖父や祖母が孫を喜んぶのもこの理由なのだろう。)
ARでアイドルマスターかなんかのキャラをフレームに映り込ませて旅先の写真を撮るとかいうやつを偶然知って悲しすぎて衝撃を受けてしまった
アクスタとかぬいぐるみのもぼんやり悲しいけどそれ以上に悲しさレベルが高い
そもそも旅行地の写真って思い出じゃん 自分とか一緒に行った人がいて楽しかった思い出を記録することで完成するものじゃん
自分を映したくないほど自分のことが好きじゃなくて、盛れなくて、景色を映すだけで物足りなくて、一緒に行ってもいない架空の美少女を写真に映り込ませてそれを思い出とするの悲しすぎん?その美少女キャラとその旅に何の思い出があるんや?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.akaneshinsha.co.jp/news-ad/21038/
↑この記事で圧倒的に★を集めているトップブコメが、以下のもの。
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前段階として豪の保育所で91人1600件超の児童性的虐待発覚、社会問題化→H&Mが女児服を「性的魅力で振り向かせよう」と宣伝→炎上、撤回→日本人LO作家が茶化して炎上の流れ。2次と現実の切り分けが出来ていると言う欺瞞
はてブでもこれがあたかも事実のように語られているが、Buzzfeedが続報したように、
この広告を攻撃し、炎上を煽ったメディア評論家のメリンダ・タンカード・リースト氏の批判投稿は
↓
H&M、制服姿の女児の広告を撤回 ⇒ 目立った抗議理由は「性的表現」よりも「ルッキズム助長」だった(オーストラリア)
https://www.buzzfeed.com/jp/kenjiando/hm-girls
そもそも初報の段階での小宮先生による解説も、戸惑い含みというか、歯切れの悪いものだったよな。
小宮氏:児童への性的虐待に対する危惧、女性がより性的対象にされやすい現状への問題意識などが議論のポイントになっていると考えられる。
広告は一見すると、女の子を性的対象にする描き方はされておらず、むしろおしゃれをしようという女の子の主体性が描かれているともとれる。
しかし、だから問題ないという話にはならない。あくまで広告には作り手がおり「どういった価値観を表現しているのか」が問われる。
小宮先生も初見で「これのどこが問題なんだろう?うーん、でも批判を正当化せねば」と頭をひねったであろうことが伝わってこないか?
しかしメリンダ氏の投稿は「性的虐待に対する危惧」ではなく「アパレル企業が子供にまでルッキズムを煽ること」への批判が主である。
小宮先生もちょっと困って「などが議論のポイントになっていると考えられる」といううすらぼんやりした表現を使ったのではないか。
それでも広告狩りを正当化したい人々が「Make those heads turn in ~という表現は性的なニュアンスが強い」などと言い出したが、
記事を見る限りオーストラリアではこの表現自体は別に問題視されていない。
この光景ももはや何度見たことか、日本のネット民の悪い病気の一つだと思う。
だいたいさ、はてブで最初にホッテントリ入りした以下の記事のブコメを見てほしい。
↓
「女児の性的対象化につながる」H&Mの広告に批判殺到→削除し謝罪 消費者は広告とどう向き合うべき?識者に聞いた
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/maidonanews.jp/article/15133686
性的対象云々以上にルッキズムを煽ることへの批判でしょ。とくに女児にオシャレに対するプレッシャーをかけることが正しいのか。
女児は思った以上に気を付けて見ておかないとすぐにおしゃれを通じて承認欲求を煽られる事で摂食障害や危険な整形手術にシームレスに繋がってしまう現状を知ってるかどうかでこの主張の理解度変わると思った
大人の視点を子供に押し付けてないかという問題だと思う。女の子達から見てこの広告は素敵に映るだろうか?個人的には子供より大人・親へのアピール感が強くて微妙。
批判は正しい。ナニを表現したいか、そして、広告だからこそ、受け手の評価がすべて/印象としては、女児を素のまま広告塔にする意図が透けて見えるから気持ち悪い。これでケバケバしくヘイクしてたら気持ち悪くない
男子2人の親だけど、子供を消費者に仕立てあげるマーケティング活動が年々対象年齢を下げていることに危惧を覚る 経済的自立が可能な年齢を対象にして欲しいと、子供が接する各種メディアを横で見ていて思います
これくらいでと思うかもしれないが、その“これくらい”が無数に積み上がって若い女子の無理なダイエットや拒食過食整形などに繋がるので。男子も未成年の脱毛や整形希望が増えて親が困ってたり他人事じゃない。
表現の自由と、ルッキズムに煽られてすぐ摂食障害やら港区女子になってしまう女子のリスクと。家庭で教育したくとも外の世界で友人や雑誌、漫画、アニメ、広告から影響を受けてしまうのよね。
「女児を素のまま使う広告の意図が透けてみる。ケバくメイクしてればキモくない」(これが一番意味不明。素のままか???)
なのに全員が「これは誰がどう見ても◯◯って意味でしょ。普通わかるでしょ。ロリコンどもはとぼけるな」ってテイなのがまたよくわからん。
非難してる人たちも「正直どこが問題なのかよくわからないが、白人様によるリベラル的な立場からの性搾取批判っぽいから肯定せねば(使命感)」みたいになってないか?
結婚して2年、好きな相手との暮らしは楽しい。相手はすごく家事をやってくれて、本当にありがたい。人と暮らしていると自然と睡眠時間も固定されるし、朝食もきちんと食べるようになるし、朝と夜誰かとご飯を食べることで健康になっている気がする。リモートワークだから喋る相手がいるのもありがたい。
でも、無性にひとり暮らしが恋しい。わがままだとわかってるけど恋しい。
パートナーはすごくきびきび動く人で、とにかく他人がもたもたした動きをしているのが許せないようだ。親からもとにかくきびきび動けとろとろすんなと躾けられたようで、たとえば食器を並べるときも食洗機をかけるときもきびきびした働きを求められる。何かにまごついていると「どうしたの?」と瞬時に言われる。
でも、自分は家ではぼんやりしていたい。休日は朝起きたらもったり動き出してもったりお風呂に入りたいし、疲れた時はきびきび動けなくて明らかに動きがとろくなる。でもそういう状態だとパートナーに怒られる。ドアを閉めてとかそんなところに物を置かないでとかとにかく細々したことで怒られる。
ぼんやりしたい。とにかくぼんやりと動きたい。仕事では頑張るから家でくらいぼんやりしたい。疲れた。でもみんな案外家でもきびきびしてるんだろうか。
周りには山と森と田んぼと畑だけがある。木苺やアケビがなっていて、道を外れると古い文字が刻まれた石碑があった。山の中で迷子になり、でかくて怪しい雰囲気の池を見つけたりした。そのまま適当に歩いていたら集落に出たためその辺の人に助けてもらったことを覚えている。その後何度山に入ってもあの池に行けたのはその一回だけだった。よく無事だったな
逆に山を探検していた同級生が裏庭に転がりこんで来たこともある。裏庭には蓋を開けちゃいけない穴?みたいなのがあるから危ないところだったかもしれない。その時は祖父が送っていった。
牧場でもないのに牛を何頭か飼っていた。出産に立ち会い、子牛に名前をつけて育てていた。人生で唯一ペットと呼べる存在だ。最後はトラックに乗せられドナドナされていくのを見送った。子牛はオスだったから多分お肉になっただろう。
どこに行くにも遠くて、小学校へ通うのも一苦労だった。小学三年生まではスクールバスがあるけど、スクールバスの来る場所までがまず遠い。毎朝五時に起きなきゃいけなかった。四年生以上で自転車通学解禁されたけど、朝早く起きないと学校に間に合わないのは変わらなかった。
給食の白米が持参だったのは農家ばかりだからだろうな。月・水・金曜日が米の日で、皆のご飯が保温器で温められていた。
茶色くてフサフサの毛虫を筆箱で飼うのがクラス中で爆流行りしていた。虫が嫌いな人間は生きていけないだろう。
学校がある町の方では春と秋に祭りがあって、色んな店が出ていたけどいつも行く店は決まっていた。いじわるなお婆さんの飴玉屋。先に飴を選べとか先に金を払えとか毎回言ってることが違ったんだよな。怖かったけど、その飴玉は特別に美味しく感じて大事に大事に食べたのを覚えている。
人間は面倒だったな。繋げた和室に集まる酔っぱらいのおじさんは何を言ってるのか分からないしうるさいし。離れた集落の子の家にこっそり遊びに行ったのにどこからかバレて電話がかかってきて、すぐ帰ってこいって怒鳴られたし。祖母からすればあそこは遊んじゃいけない家の子、とかそういうのだったらしい。
こうして書き出してみると、良い思い出も嫌な思い出も同じくらいあるもんだ。今は離れた地方都市に住んでるからこそ良い思い出だったなと思える部分もあるし。子どもだから受け入れてたけど、もう一度あそこで暮らせって言われたら絶対無理。
接客業に従事しており、わたしの職場はとある販売店だ。自店舗の他、周りに別の様々な店舗がある。ショッピングセンターとかデパートとかそういう所のフロアを好きに想像して欲しい。自店も周りも女性販売員ばかりのフロアで、男女比は9:1くらいか。周辺の販売員たちは一切会話をしたことが無くてもなんとなく見覚えのある存在になっていくが、男性に対し特にその傾向がある。
その中の1人に、わたしが勝手に3児の父とあだ名している人がいる。別にその人が子供連れで職場に現れたことがあるというわけではない。体型ががっしりしていて貫禄があって、なんとなくいい人オーラがあって、3児の父ですと言われても納得するなあ、という妄想が元でそう呼ぶことにしただけだ。そしてたまに袖をまくって仕事をしているために見えてしまう腕が赤みのある白い肌色をしており、ブルベ夏か?としげしげ眺めたこともある。3児の父ブルベ夏お兄さん。勝手すぎるあだ名がじゅげむじゅげむと続いていく。言葉を交わしたことも接点も無い女にこんなこと思われて歓迎する人なんて居ないだろと思うくらいの感覚はわたしにも残っているので、誰にも言ったことは無い。
わたしは積極的に人と関わりをもってエネルギーを消費することや、傷付いたり自己嫌悪する事に伴う心の負荷を自分にかけたくない。他人を勝手に客体化して満足する自分の身勝手さに対し既に自己嫌悪は生まれているけれど、人間誰しも身勝手さは抱えているものだから許されたい。そういう身勝手さを恋と呼ぶのだろうか。でもわたしは恋に伴うあらゆる行動を何も起こしたくない。一条ゆかり作品をバイブルのひとつとしている割に、なんという腑抜けだろう。恋愛や結婚に関する欲をひとつ挙げるとしたら、これに尽きる。「弄せずしてマンションの隣で気の合う人間と別居婚がしたい」。黄桜可憐さんにぽかんとされてしまいそうだ。
3児の父ブルベ夏お兄さんが本当に3児の父だったら少し傷付くクセに、どうして予防線を張るんだよ。別に焦がれ死ぬほどの恋じゃないし無理やり関わりを持とうとするのめんどいし…なんて思うクセに、どうして3児の父ブルベ夏お兄さんのがっしりした身体に抱きついたらどんな感じかなと想像するんだよ。
そんなふうに思うだけ思って、相変わらずわたしはぼんやりとお兄さんの姿をチラ見したりしなかったりして過ごしている。
この恋愛偏差値の落第級の低さを現実の自分の生活圏で晒すのがあまりにも“だから何?”な話題であると踏み、ここに匿名で綴る。だから何?であることに変わりは無いけれど、少し自分の気持ちが整理出来て、自己満足。落第どころか受験資格すら無いな。