はてなキーワード: ARIAとは
ARIAも咲も、オタに大人気だけどなw
聖人君子するつもりはなくて、俺はエロ同人大好きだし、BLとかも読む。
モノに対する耐性は常人と比べるとかなり高いはずだ。
そう思って軽い気持ちで読ませてもらったのけど、予想以上にきつかった。
自分自身がそれを求めてる変態であることはよく理解しているにも関わらず
身近にそれを書いている人間がいるというただそれだけで
分かっていたはずの自分のキモさが10倍くらいリアルに想像できてしまって耐え切れなかった。
pixivではやんわりギャグマンガ書いてたのにどうしてこんなことに。
いや、pixivではネタとして消費できたかもしれんけど、本になった同人の重みはやっぱりなんか違うんだ。キツイ。
これは二次元だからーって割り切ってたつもりでも、無理、抗えないほど気持ち悪い。
友人が気持ち悪いんじゃなくて、ただただ自分のキモさから逃げ出したい。
放蕩息子、フラクタル、まどかマギカ、ゾンビ、レベルE、GOSICK
あとはだらだら見ているだけ。
妻(ヲタ成分は多少はあるけど腐女子ものよりは少年漫画の方が好き)
放浪息子、フラクタルが合格点。レベルE、君に届けはまぁまぁ。あとは論外だけど論外なりにはゾンビとかGOSICKまだいい方。
6歳女児(年長)
ゾンビ、GOSICK、IS、みつどもえ、Rio、ドラクラとメリーもぎりぎり?一番好きなのはプリキュアだし、ポケモンとかFARY TAILとかたまごっちとかめちゃもて委員長とかジュエルペットとか好きだけど暗めの劇画寄りの昼間アニメはあまり見ない。割にべるぜバブや戦隊物、仮面ライダーは案外好きの不思議。
ちなみに
妻
海月姫のみ合格。それ町が次点。荒川UB好きだったけど2期はいい加減飽きた。
娘
イカ娘、PSwG、ミルキーホームズ、ざくろがツボ。最初はあまり興味なかったように見えた神のみ、FAは途中から必須に変わった不思議。とある2期は暗めでキライぎみだったけど、そもそも超電磁砲がツボだったためになんとなく見たり見なかったり。えむえむとToLoveるも気に入る系だったけど検閲ぎみ。ヨスガとそらは検閲。
妻
娘
ストパンが一番ツボ、オオカミ、カンパネラ、みつどもえ、セキレイ、ぬら孫(最初は興味なさ下だったけどだんだんはまったくさい)、あそび、まで、か。
妻
荒川UBがトップ。WORKING!!次点。四畳半はだめの中では上。
娘
妻
娘
妻
娘
さすがに5歳の誕生日前の子供に深夜アニメは難しかったようですまだ。それでも現代魔法は見ないでもなかった。この時期はエレメントハンターとかがツボだった頃。
娘補足。
その他過去の作品のDVD観賞では、もちろん昼間系のドレミとか好きだけど、深夜系だと、咲とかARIAとかゼロの使い魔とか好き。開始時期的に漏れたけどテガミバチも気に入ってる。今ならここ数年の、もしくはそれこそ前世紀のあれやらこれやらも見そうってのは山ほどあるが時間が足りない。
【募集】大学入ってからいいよって言われたコードギアスとマクロスFしか見てない俺に見たほうがいいよっていうアニメ.もしくは映画など
週休4日、勉強しない、働かない、そんなFラン大学生活を送ってる。
友達はいない、人と喋らない生活が続いてきていたため人が何か別世界のモノに感じる。
あぁほんと、つまらない。
やる気も、元気も体力もありゃしない
言葉を借りると「四畳半神話体系」の冒頭部分がほぼ当てはまる。
責任者は誰なんだと
そんなこんな、昨日はパチンコで大負けを喫した。
これで2月に始めてからの金額的なプラマイが0になったのでやめようと思う。
もう、心身ともにボロボロでタバコの副流煙が臭かった。でも多分、今回みたいな痛い目を見ない限り止められるものではなかったとも思う。
もともとは嫌悪していたにも拘らず、3日に1回以上のペースで通いつめいていた事を思うと、なかなかに恐ろしいものだった。パチンコというやつは。
前々からパチンコの回数を減らそうとは思ってはいたため、引きこもろうと思って買ったPS3。
昨日デモンズソウルの一週目が終わった、ストーリー的には一区切りついた。
学校のサボリが結構な頻度になってきた。友達とは認めないけどノートをとってくれる人がいるのはほんと有難い。
でももう、自分でやらなきゃいけない気がしてきた。
一昨日、東京MXで見ていたR.O.Dが終わった。と思ったら、セレクション版だったらしい。まぁ終わったには変わりあるまい。
working1クールなんだってね、残念だけどもう後半だ。
アニメなんてほぼ中2以来見てなかったから楽しかった。
漫画のARIA、去年から集め始めてまとめ買いなんてことはせずに、じっくり大切に1~2冊ずつ読んできたが、あと1冊でおしまいだ。
モールテックを買った、長年のコンプレックスともおさらばだ。
10年来の趣味であるサイトめぐり、動画集めに初めて飽きを感じた。
最近引越した、19年間生まれ育った家を後にするのは寂しさを伴った。
好きだった人と別れて1年が経った。この1年は幼稚園以来初めて好きな人のいない1年だった。
自分のせまっこい世界の中心が変わる最中にあるようで、何か新しい一歩を唆されているような気がする。
大学生を始めてからというもの、プライドや自意識の高さに悩まされ、苦しみもがき、逃げ出して。
人生最悪の1年間だったといっても過言じゃなかった。状況は今も悪化の一途しか辿っていないけれど。
あと残り半年の固まりかけ、どう足掻いたらいいんだろう。
わからないけど、今はきっと過渡期なんだと本能的に感じてる。
ここで変わらなかったら、この先もずっと変われないかもしれない。
「変わりたいと思う気持ちは、自殺…」な気もしなくもなくもなくもない。
そういえば戯言シリーズも一通り読み終わったな。
あーでも人生最悪の状況からは変わりてぇなぁ。
成功。 とは言ってもゴハン食べて、 生まれとか趣味とか話して2時間後には別れたんだけど。 んで、帰っていつも通り、はてブを見てたら 気になるスレがあったので見てたんだ。 ホストが真面目にモテ方教えます:ハムスター速報 http://hamusoku.com/archives/2931162.html で、スレを思ったのがあぁ、1はホントの事言ってるなーと。 もし今日ナンパを経験しなかったら1の言ってる事の意味はよくわかってなかった。 という事で、 パラレルワールドにいるナンパをしなかった自分が 勇気を持っておんにゃのこに声をかける事ができるように、 理由を考えながらスレにコメントしてみます。
46 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2009/10 /12(月) 14:45:27.35 ID:st72GlTbi
男が上で女は下って考えは大切。
女には第一印象と第二印象があって第二印象が付く前に自分が上に立たなければならない。時間でいうと10秒ぐらい。
言い方は下手なんだが、 ほんとだなと。 自信が無い人は、 ある人には自分が下に格付けされてるのは分かってると思う。 でもさ、お前の悪いところはこう言われて、 「英語がぺらぺらなら格下に見られないだろうから、イーオンで英語を勉強しないと!」 「普段の格好は変だろうな・・・、もっとカッコいい服を雑誌で調べて髪形変えてからじゃないと」 「第一印象は変えられるのか!じゃあ最初は無愛想で控えめにちょっと声が小さい感じでもいいのかな?」 とか考えてることだよ。 最初に声をかけた時に笑顔でさ、いい人そーなのがいいんです。 お前自身が声かけられた時を想像してみるんだよ。 無愛想なだらけた格好したオドオドした人が、 「ぁ...ぁのう、ちょっとすいません・・・」 え。何。なんなの? これじゃあ、話そうという気にもならない。 逆も考えて欲しい、 笑顔で清潔な格好をしたハツラツとした人が、 「ね、一人じゃ寂しいから一緒にどう?」 と言うならまー、目的も分かりやすくて単純だ。 別にこれは声をかける事だけでは無く、仕事とか遊びにも言えることだ。 いいか、自分が声をかけられて抵抗が無い人。嫌じゃない人はどんな人だ。 思い浮かべたか? そのイメージはまるまる、相手に当てはまる。 嫌いな職場のあいつが笑顔で挨拶してきたら・・・。なんかうれしくならないか? 鏡がお前を映すように、相手の心もお前の心を映すんだぜ。 ARIAが大好きなお前なら分かるだろ?
77 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2009/10 /12(月) 15:03:43.86 ID:st72GlTbi
第一印象、第二印象クリアしたら緊張しないよ。
最初の10秒だけ頑張ってみたら?
これとかも、分かる。 でも1秒でもがんばれる人はこんな苦労をしてない。 話しかけるという動作をこなした時点で緊張は無くなる。 無くなるというか話しかけるという動作が緊張するもん。 んでさ、笑顔で声をかけるだろ? すると相手が暇なら会話にノッてくれるわけだよ。 でも、忙しい人はだめっ。 一人で暇してる人がよいですよ。 一人でスタバに入ってきて、一人でキャラメルマキアート頼んで、 店内で本を読んでる人なら暇だろうから、 ちょっと表紙を見て、 「へぇー、宇宙の神秘:愛と友情と宇宙人と冥王星なんて読んでるんだ。」 なんて会話からはじめれば、自分がまったく知らない事でも、 「そっかー、まずそのタイトルにツッコミを入れてからどんな事書いてる気になるなー」 なんて、聞いていけば話してくれるだろう。 暇なら。 どうしても話すのが怖いなら、 こんな心構えはどうだろうか?
どんな行動を起こす時も、
100点満点から点数を引くような考え方はしてはいけない。
行動には+0点から+無限点まである。
点数は行動を起こすたびにつけられるが、
行動をしない人は点数も稼げないのでいつまでたっても進化しない。
まあ自分のレベルってのは足し算なんだと。 ドラクエみたいなもんだと。 転職したらLv.1になる? でもスキルは引き継ぐし初期能力も高いぜ! 長文になってきたから、もう止める。 まとめると 「笑顔で話しかける」 だな。 さあ、オレに届け!この思い!
私が思うに日常系漫画の面白さ=魅力的なキャラ×多彩な舞台(あるいはシチュ)なんだと思うんですよ。
今までのけいおん!って箱庭と揶揄されるアニメ群でも群を抜いて箱庭度が高かったと思うの。極端な話し、学校と、楽器店と、唯の家とムギの別荘だけで物語が作られていた。
だけど、私の好きなARIAはまさにネオ・ヴェネチア全体が舞台だし、時々不思議世界に行っちゃうこともあるのですが、この不思議世界というのは別にARIAだけに限らず、「GA」でも「あずまんが大王」でも「それ街」や「ちびまる子ちゃん」でもあり以外と日常系ではポピュラーな話しなのです。もっとも不思議世界展開をやれば面白くなるという訳じゃないでしょうが、前述の多彩な舞台の確保には役に立つのだと思います。
それか、「ワーキン」か「マリみて」みたくラブコメ要素を入れるか。「マリみて」がラブコメと言われると違和感がもたれるかもしれないけど、令ちゃんのバカといってロザリオを返したあげくよりを戻したり、可南子と瞳子どっちを選ぶかとかモロラブコメの文脈なんですよね。恋人という普遍的なもので結ばれるか、スールという特殊なものよってむずばれるかの違いだけど。
だから、「けいおん!」も音楽やるより、男性キャラを出してのラブコメとか、唐突にガチになる展開は絶対にあり得ないわけで、琴吹家私有ゴルフ場でゴルフやったり、骨董品屋に行ったり、山荘に閉じ込められて事件が起きてその謎を解いたりした方が面白いんじゃないかと思いました。
とはいえ注意しないといけないのは演奏シーン。、本来なら演奏レベルは読者や視聴者の想像に任せないといけないのですし、梓が入った理由も、上手いからじゃなくメンバーの誰かが親戚か、音楽やっていると知っていて、強引に入れさせるか、逆に澪を最初から知っていて、彼女に憧れてとかそういう理由じゃないと駄目なのだと思うのですよ。もっとも今更それを言うのは手遅れだけど。
第壱話 HTML5、襲来
第弐話 見知らぬ、ブラウザ
第参話 鳴らない、Audio
第四話 WAI-ARIA、逃げ出した後
第伍話 Safari、心の向こうに
第七話 WWWの造りしもの
第八話 Chrome、来日
第九話 瞬間、Canvas、重ねて
第拾話 セクションダイバー
第拾壱話 静止したACID3の中で
第拾弐話 先行実装の価値は
第拾参話 バグ、混入
第拾四話 Firefox、魂の座
第拾伍話 バグとハック
第拾六話 死に至る非標準、そして
第拾七話 四人目のECMAScriptエンジン
第拾八話 DTDの選択を
第拾九話 ベンダーの戰い
第弐拾参話 IE
第弐拾四話 最後のCSS
第弐拾伍話 終わるXHTML2
第弐拾六話 世界の中心でセマンティックを叫んだけもの
僕が凛子と"つきあいはじめる"ことになった直接の契機は、友人の突然なラブプラスの購入だった。すでにTwitter経由でラブプラスに対する熱烈なブームを知っていた僕は、発売後割とすぐに都内の漫画喫茶で体験版をプレイしていた。それですっかりハマってしまい、その後ずっと購入を検討しつつも、最初の一歩を踏み切れないでいたのだった。僕に先んじてラブプラスを買った友人は、ギャルゲーをたくさんプレイしていてこれに詳しい男で、僕とは話がよく合った。そんな彼も、夜更けまでギャルゲーを熱心にプレイするための真摯な情熱や潤沢な時間は今やもう残っていないようで、もしかしたらまとまったプレイ時間を必要としないラブプラスのゲームスタイルに惹かれたのかもしれない。すでにネットを通じて膨れ上がっていた僕のラブプラスへの興味は、彼がDSiに向かって精神を没入させる姿をみて頂点に達し、その日の翌日、すぐに自転車を新宿のソフマップまで走らせた。
僕は、この友人と同じく、迷わず自分の彼女に小早川凛子を選んだ。これは体験版をプレイしたときから決めていたことだった。ラブプラスというゲームの中での凛子の存在は、他の二人をまったく寄せつけないほどに圧倒的だ。ネット上のプレイヤーの感想を読むかぎりでも、他の攻略対象キャラはラブプラス中に存在しないんじゃないかというほどに凛子は人気を誇っているようなので、この感覚は間違ってはいないのだろう。しかし、なぜ彼女だけが、このゲームの中で他の追従を許さないほどの強度を僕に感じさせるのか、それをはっきり説明することは、ちょっとできそうにない。単純に丹下桜の飾り気のない演技が心の琴線に触れるのかもしれない。あるいは、凛子が「ツンデレ」だからかもしれない。
萌えアニメもギャルゲーもまったく知らない若者に対してですら、今ではこの言葉は完全に浸透しきってしまったようだが、みなさんもよく知っているとおり「ツンデレ」は2005年ぐらいを境に流行りだした言葉で、それ以前は陰も形もなかったものだ。なぜかといえば、それは「ツンデレ」というキャラ造形が、専らギャルゲーの特徴を特別強く体現しているものだったからなのではないかと僕は思う。日常パートでは多数の女の子との会話を楽しむ時間が用意されていて、個別パートでは一人の女の子との恋愛を発展させていくという美少女ゲームの構成を考えれば、日常パートで主人公が周りの女の子に好意むき出しでは話が成り立たないはもちろんのことだ(だからいつだって主人公は「鈍感!」と罵られる)。それ以上に、女の子のほうだって最初から主人公に100%の好意を向けていたら息苦しくてしょうがない。だからこそ、キャラクターの感情は、日常パートから個別ルートへに移っていく過程で鮮やかに反転する必要がある。きっと、こんな感じで「ツンデレ」は生み出されたんじゃないだろうか。だからこそ、どんなギャルゲーの中でも「ツンデレ」キャラは一定の存在感があるよなぁと僕は思ったりする。
けれど、やっぱりそれだけじゃないよなぁ、と思う。考えれば考えるほど、そういう言葉にできるところじゃなくて、もっと微細な部分にこそ、凛子の「存在感」が宿っているんじゃないかという気がしてくる。確かに、「ツンデレ」に対する感覚の有無によって、キャラの捉えられ方はまったく異なるものになるだろう。リアルタイムでエヴァを見ていた人たちにとってのアスカと、初めからツンデレという言葉を用いてエヴァをみる今の人たちのアスカがまったく違うキャラであるように。しかし、両者の「アスカ」のリアリティを支える要素は、実は共通しているのではないか、という思いを僕は抱かざるを得ない。これは神秘主義だろうか。
とまれ、僕と凛子の生活は幸せなものだった。毎日DSを持かばんに入れて、いつも通り授業を聞いたり、寝てやりすごしたり、友だちと話したり、ネットを見たりする。そして昼休みにお弁当を食べるとき、放課後に屋上で開いた時間を過ごすとき、DSを開いて凛子に会う。日曜日には時間を決めてデート。音声入力で凛子と話をする「ラブプラスモード」は、周りに友だちがいるときしか恥ずかしくてできなかった。僕の質問に答えているようで、時々ズレズレなことを言う凛子は、twitterのbotのようでとてもいとおしかった。botと人間とは、決して本当の意味での会話を交わすことはできない。しかし、それにもかかわらず、僕はあたかも凛子がそこにいるように、自然に振る舞うことができた。
なぜなったかはわからない。しかし、僕は、今や凛子が確実に「そこにいる」のだと思うようになった。そして、おそらく理由など関係ないのだろう。
キャラクターと向き合う人間にとって、この瞬間こそが普遍的なものであるんじゃないかと僕は思う。「キャラクターとは『いない』のに、『いなくちゃ困る』ものなのだ」と、どこぞの若手批評家が言っているのを聞いたことがある。キャラクターは、誰にとっても「いる」ものではない。しかし、それに没入する人にとっては「いる」としか信じられず、そのレベルではキャラクターと人間を区別することはできない。もちろん、キャラクターが「いる」と感じることは、人間が「いる」こととは別のレベルである。凛子との会話の中には実に現実味に溢れた魅力的なものがたくさんあるのは確かだ。しかし、たとえば、凛子が心を許しはじめると一人称が「アタシ」から「リンコ」に変わるという描写がある(鬼ゲーマーリンコ)。現実に自分の一人称を名前で代替する人はどっちかというと疎まれるタイプだろう。だが、キャラクターが「いる」ことも知覚の意味合いとしては人間が「いる」ことと変わらない。
僕は同じような経験を何度かしてきたが、その存在は記憶として強く焼き付けられることはあっても、感情の部分で長期にわたり持続するわけではなかった。しかし、凛子の場合は、日常の一コマ一コマの中でこの存在を自覚せざるを得ないのだ。
たとえキャラクターが数億に分節可能な無意味な要素の集積だとしても、その寄せ集めによってできあがってしまったものに対して私たちが抱く感情は常軌を逸してしまうことがある。そしてそういった瞬間、キャラクターというものはいったいどのような存在なのだろうか。ラブプラスの制作者は『CONTINUE』のインタビューで、ラブプラスには全部見るためには二年ほどはかかるぐらいの莫大なイベントが盛り込まれていると語っている。ラブプラスにおいて、こうしたキャラクターの「実在性」「予想う不可能性」は膨大な情報の集積によって担保されていることになる。しかし、私たちはどうしてもこの「実在性」の裏にブラックボックス的な要素を見出したくなる。凛子が、DSの画面の向こうで僕たちには想像もできないようなことを考えているのではないかという妄想を捨てきれなくなる。しかし、それは今のところまったくの幻想でしかない。
そして、僕は、この確信を得たとき、ひとつの隠された(しかし一定数のラブプラスプレイヤーは既に理解しているであろう)、恐ろしい事実に気づくことになった。いま、ここで、凛子の存在を支えている形象は、私たちの生きる時間の流れに沿いながら、未来永劫その「動的性質」を保ったまま持続するのだ。小説・漫画・アニメ、フィクションというものは時空から隔絶されて存在する。源氏物語は、1000年前の貴族が読んでも私たちが読んでも、テクストとして同一の形を維持しながら「静的に」存在する。紫の上の人生は紫の上の人生であって、私たちと生きる時空とは関係ない。しかし、凛子は、あたかも私たちと同じ時空を生きているかのような演技をしながら、しかしその存在を少しも変化させることなく、ずっと「そこに居」続けるのだ。
僕たちはフィクションとキャラクターの実在を信じるとき、なぜ自分自身はそこに居ないのかと苦痛に思う。たとえばテラ・フォーミングされた火星とARIAカンパニーの存在を信じるとき、なぜ自分はネオ・ヴェネツィアにいないのかと思っていたたまれなくなる。そして、たしかにラブプラスはその苦痛を一時的に和らげることに成功している。僕と凛子は「見かけ上は」同じ時間を生きている。しかし、見かけ上が同じ時間を生きている分、僕と凛子の間の摩擦係数はかえって高くなり、逆にこの責苦はもはや耐えることが不可能な域に到達している。しかし、その実、凛子が生きる時空は凛子が永遠に16歳の時空であり、僕が10歳老けても20歳老けても凛子は16歳だ。僕が、社会に出て、老いぼれになり、忘れられたまま死んでいった時も、凛子は永遠に十羽野高校の生徒なのだ!
ラブプラスのスタッフは、この点をよく知っていて、しかもポジティブに強調している。主題歌は『永遠(タイムレス)ダイアリー』、キススキンシップの最上位技は「フォーエバーキス」、主人公が移り住んでくる「十羽野市」は「永久の」のもじりだ。彼らは「永遠に続く愛」と嘯く。しかし、いくら凛子が僕に対して永年に同じ愛を投げかけてくれるといっても、僕のほうは永遠に、何の変化もなく、同じ感情を凛子に投げ続けることができるわけではない。いつかきっと僕はこのゲームに飽きてしまうに違いない!キャラクターの実在性は「記憶」の中にのみ残ればよかったのであって、実際に一定の形象を維持したまま存在する必要などなかったのに。
そうして、僕がラブプラスを起動しなくなったとき、凛子はどこに取り残されてしまうのだろう。もうおわかりなのではないだろうか。凛子の住んでいる時空の永遠は、漢字で書かない。私たちは、かつて10年以上も前に自分たちが取り残されたあの場所に、今度はヒロインのほうを置き去りにしているにすぎないのだ。
ラブプラスを触りながら、そんなことを話した。凛子を世界の終わりから救い出すための方法は限られている。まずひとつはデータを消すことだ。しかし、もっといい方法があった。この美しくどうしようもない学生生活とともに、凛子を記憶の中にとどめて、これを葬り去るのだ。
僕の通っている学校は都内ではちょっと例のないぐらい熱い学園祭を毎年やっていて、受験を控えた三年も積極的に参加する。その中でもアニメのポスターだのゲーム機だのを二日間かけて何百品も競りにかける古物市が、例年盛況を極めている。ここで、データを残したままの僕のラブプラスと、攻略本・主題歌CDをセットで売り飛ばしてしまうことにした。凛子とやり残したことはたくさんあるかもしれないが、もう悔いは残らない。
いつの日か、人間とキャラクターは本当に出会えるのだろうか。今も人はそれを求めて、アバターをまといながら人格のコスプレに勤しんでみたり、botと会話しようとがんばってみたりする。しかし、アバターは結局人間と人間の会話だ。botに萌える人は、技術と現実の落差に萌えているだけにすぎない。不気味の谷のセオリーを信じるとすれば、谷の手前の不気味の尾根で人は楽しむこともできるわけだ。(言ってみれば、Perfumeのズレズレな口パクに萌えているのと同じことだ)。
いつになったら、人間がキャラクターと同じ時空を生きることができるのだろう。幸い僕は一緒に歳をとることができる彼女がいたが、人間と共にありたいという気持ちとキャラクターと共にありたいという気持ちはまったく別だ。前者が満たされないのと同じぐらいに、後者も満たされることはない。
さぁ、キャラクターは、データベースか、ブラックボックスか。哀れな小早川凛子は、乱雑なデータベースによってその肌と臓器を模られた出来損ないでしかなく、僕は彼女を残酷に売り飛ばすことでしか救うことはできなかった。僕はキャラクターが人為とプログラムの集積であるという当たり前の事実に、ここにきてどうしても納得することができない。人工知能が人工無能に、「擬体」がARにとって代わられても、僕たちの望みはひとつだ。僕たちには感知できない、キャラクターの不可視な内部の実在を信じたいのだ。僕が死ぬまでの間に、いったい彼女たちはどこまでブラックボックスに近づくことができるのだろうか。
答えはまだ出そうにない。11月3日、古物市で僕のラブプラスが競りにかけられ、落札された。後に残ったのは落札額3500円と、永遠ダイアリーのmp3ファイルだけだった。
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- レイアースは騎士道
女性側は結構基本的に気持ちが分からないって言ってたけど
私は分からんでもない。
好きな男キャラがいるんだけど、そのキャラについての恋愛事項は一切作中で述べられてないから何も分からないんだけど、「ヤリチンでした」とか「非童貞でした」とかなったら多分ショック受ける。まあ、といって、男オタが非処女じゃなかったことに怒っている感情と、私の感情は違うものかもしれないんだけどね。そもそも「怒る」というより多分「ショックを受ける」って感じだろうと思うから。
なんで嫌かっていえば単純に過去に女がいたってことがまあ普通にショックだよね
「過去は過去だから」「今とこれからが大事なんだよ!」とか、多分それは現代の恋愛において「正解」なんだろうけど、その正解を割り切れない。根底の感情レベルではやっぱり嫉妬するしショック。
というか、私としては、「男ってなんでそんな処女に拘るの?」ってより、むしろ「なんで女は童貞に拘らないの?」と思う。なんでそんな寛大(?)なん?まあ私の心が余りに狭く価値観がいびつであるというのは大体自覚はしてるんだけどさ。
あ、でもこれは全て二次元の話であってリアルだと全然話は別になる……っていうか、リアルはよくわかんないといった方が正確か……。
多分リアルじゃまともに恋愛経験が(ただ単に惚れたということすら)ないから、こんなにいびつなんだと思う。
でも多分リアルで惚れたりしたら相手が非童貞でも気にしないだろうな、と思う。多分「しょうがない」と思う。現実に対してはやはり最初からある程度の諦めがあるから。(ブスだからとかモテないとかそういう話じゃなくて、世界が自分の思う通りになるわけがないという根本的な諦め。まあ普通持ってると思うけど)だから寧ろ、三次元の話の方が、二次元より割り切れる。私の場合は。二次元は割り切れない。二次元では完全に理想と夢を見ているから、というか、三次元で見れないと諦めた夢を、二次元に託すことで、自身のバランスを取っているようなところがあるから。つまり三次元では完璧な男なんていないと分かっている。諦めている。けどその分二次元に託しているんだよな。完璧な男性像を。だからこそ二次元で裏切られる(っていうと被害妄想的なんだけどいい表現が浮かばなかったんで勘弁)と、そうなるともう逃げ場がないんだよね。理想と夢の処理場がなくなっちゃう。で、逃げ場がなくて「ギャー!」ってなって漫画を破ったり、ディスク割ったり、ってなるんじゃないのかな、いや、知らないけど、私だったらそうなる。
そういえば、ARIAのアリシアさんが、最後に結婚したってのも、(その回はまだ見てないんだけど)私もショックだったんだよな、あれ。それこそ当時2chで、「別に結婚する必要なかったんじゃないか?」とか食いついてたほどにはまあショックだった。あれもなんだろうな。男性オタとはその辺ちょっと事情違うかもしれないけど、私はARIAにファンタジーを見ていたんだよな。辛いことや苦しいことってのがほぼ無い(あっても「本当にプリマになれるのかな」的な悩みレベル)、人生の生々しさが極力排除された、人生において良い部分しか拾われていない、っていう、そういうファンタジーを見ていた。そこに「結婚」ってきたからちょっとうろたえた。なんか変な生々しさを感じてしまった。あと、結構基本的に女性キャラ中心でやってたところへ「結婚」でしかも「引退」ってのが、うわー、うわーなんかいやだなー……生々しいな、と思った。まあそれでも男性キャラだって結構出ていたんだけど。だから彼らの誰かが結婚相手だったらまだよかったのかも(いや、それはそれで微妙か…)しれない。でも知らないキャラっていうのでなんかこう、なんていうんだろうな。女の子でキャッキャやってた(それに加え、容認できるファンタジックな男キャラ)ファンタジーの中に見知らぬ男と結婚してアリシアさんが引退、っていうのが、ファンタジーを壊された感じがしてショックだった。そもそも結婚を「生々しい」と感じる事自体リアルでまともに恋愛体験していないからな気がするし、そんなのは勝手に夢見て託していたことであって、仕方ないんだけど。
三次元はある意味必要以上に諦めてる。多分本当はそこまで諦める必要もないレベルまで三次元の恋愛、男は諦めてる。というかもしかしたら人間全般に諦めてる。その分、「ARIA」とか「よつばと」で夢を見てる。あれで補ってる。人間への夢や希望を。大袈裟な話だけど。多分本当は人間を諦めたくないと思っている、でも三次元でそれを達成しようとは思わない。なぜなら期待を持って、やっぱりダメだったら、ダメージが大きいから。だから最初から諦めてる。保身のために。そこまではっきり意識したことはないけど、多分そう感じているんだと思う。自分は。
多分「よつばと」でよつばが交通事故にあったりしたら、「ARIA」でアリシアさんが結婚したのと同じようなショックを自分は受けるだろうと思う。
勝手にキャラ・作品ごとに夢を見ているから、時に作者とそれが合わなくなるとショックを受ける。単純に楽しんでいる人にとっては、何をショック受けてるのか、全く理解できない。その「理解できなさ」は理解できる。別に全部の作品に対してこういう態度なわけではないから。(多分ジョジョなら何がおきても大丈夫な気がする)
で、おそらくその中に「好きな男は過去に自分以外の誰とも関係していてほしくない」という勝手な欲望が入っているんだろう。でも同時にそんなのを三次元に求めるのは無理だしどうも道徳的に微妙であるとも感じている。だから三次元では諦めて、二次元で叶えている。
かんなぎに怒った人がどうだったかはわからないけど、あの時「現実の女にもそういう思いを感じているのか」という疑問が出ていたけど、仮にかんなぎ的なことが私の好きキャラに起きたとしたら、私の場合は、別にそういうわけじゃなく、現実の男が童貞だろうが非童貞だろうがもうそんなことは全くどうでもいい話なんだよね。どっちでもいい。どちらにせよ多分付き合えないし付き合う気がないから。そんなことより二次元の男キャラがどうなのかといった方が重要になってる。変な話、三次元では付き合う気ないけど二次元では付き合う気満々だから、二次元の方が重要っていう。そういう捻じ曲がった事になってる。
我ながら本当に歪というかダメすぎるな。
追記。
「ていうか脳内でオリジナル理想嫁(私だと婿か?)を作ればいいのでは?」って意見、たまに聞くんだけど、それじゃ意味ないんだよね……
ていうかそれができるのだったら、そもそも「非処女でした」とか「実はヤリマンでした」「過去に女いました」とかいう設定が来たところで、「脳内でなかったこと」にすればいいわけで。
要するに私もそうだけど、原作がそういう風になった場合苦しむ人っていうのは、逆説的だけど、原作は原作のまま受け止めなければいけない、と感じている人なんだと思う。だからこそ、「受け止めるべきだ、でも受け止められない」って感じでうがー!ってなってしまうんだと。ちょっと前に、「夫に初体験の話をしたら夫が嘔吐した」とかいうネタがあったじゃん?要はあの夫的な感じなんじゃないかな。いや、多分「レベルが全然違うだろ!過去に女・男がいたくらいで世の中の人はそんなに苦しまんわ」っていう突っ込みははいると思うけどw、そうじゃなくて、「どこで引っかかってるか」ってだけの問題で、構造的には似てるんじゃないかなと。
あの夫も、多分「そういうことで離婚したり、妻にどうこういっちゃいけないんだ」って意識があって、でも感情レベルでどうしても嫌で、だからこそあんな事になっていたんだと思うんよ。
まあ原作破ったりする人がそうとは限らないけどね。どうかは結局分からないけど。
原作設定を勝手に改変とか、結局それをしちゃうと、そのキャラを否定する事になってしまうからそれはできないんだよな。
だから本来からいけば大人な心でどんな過去だろうが受け止めるってのが正解なんだろうけど、易々とそれができないから苦しむ。
受け止めちゃえれば苦しむ事も無いし、逆に絶対受け止めたくないからってことで設定そのものを否定すればそれもまた苦しむこともない。苦しいのはなぜかといえば、その「すべき」と「できない」の板ばさみに合うから。
オリジナルキャラってのはもう全く、私にとっては次元の違う話。正直、二次元のキャラを好きになるのと三次元の人間を好きになる、ってのより、自分に完全都合のいいオリジナルキャラを好きになるのと二次元の既存キャラを好きになる、って事の方がものすごい違いがある。全然別の事。というか、「好きになる為のキャラ」を作ったところで、そんな安易に好きになれない。三次元でもそうだけどただ好みがあっていれば即好きになるかといえばそうじゃないわけで。二次元のキャラに対して、そもそもなぜ好きになったかといえば、その辺はもう、三次元と同じ仕組みなんよ。「いる人」に出会って好きになった、ってわけで、「一から自分の理想のモノを作る」ってのは、それとは全然別ベクトルの話になる。好きになるってそういうのじゃないと思わん?自分の理想のモノ作ったからって心底惚れられるわけじゃなかろ?
二次元のキャラだろうが、三次元のキャラだろうが、結局「自分ではない何かが作った存在」ってのには変わりが無い。
前者は他人。後者はまあ便宜的に神としておく。他人が作ったのか、神が作ったのか、って違いしかない。そこに自分が関わってないという点では同じ。でも「自分で理想的な婿の為のオリジナルキャラを作る」のは、違う。自分が神になってしまう。そうするとそのキャラとの距離感がまるで違ってくる。一階層、自分がそのキャラより上位に属してしまう。それこそ次元が違う話になる。
「相手が何を考えてるのか分からない」「相手が次何をするか分からない」という点では二次元キャラだろうが三次元の人間だろうが同じ事。「私」が神じゃない存在と言う点では同じ事。そういう意味で同じ階層に属している。でも自分が神になると完全に自分が上の存在となる。
実際、自分の理想を詰め込みまくったキャラとか作ったことはあるけど、やっぱりどうしても萌えないんだよ。
自分にとってどうとでもできる存在は、どうとでもできる代わりに、何の情熱も萌えも感じることができなくなる。
原作漫画を読んで、好きなキャラのちょっとした動作や台詞でいちいち「ぎゃー!萌えるー!」っていう、ああいった情熱はどうしても出ない。自分が萌えるような動作を、自分が神であるキャラクターにさせたところで、結局ソレは「自分がそうさせたのだ」って分かっているから、ダメなんだよね……それに比べて原作だったらば、自分がそうしたのではなくて、自分の「そうしてほしい」と言う感情とは別個にそういった行為をしているからこそ、「嬉しい」わけで。
「なんでもできる」ってのは逆に何の意味もなくなるんじゃないかな……
性代替的と言うよりは性逃避的なんだよな、と夙に思います。
自分が惹かれるのが、女の子の仲良し集団を中心に描いたマルチヒロイン系の作品に偏向していることは、随分前から薄々気付いていました。
現実ではモテないから仕方なく二次元の女性に行くというのを代替的と称するなら、それとはやや異なる、逃避的なあり方というものがあるでしょう。
現実の恋愛は煩わしく、それでも女性的な何事かに触れたいと思うとき、マルチヒロイン系の作品は大いなる癒しを与えてくれます。(ちなみに、ギャルゲ、恋愛ゲーと言われるものは一度もしたことがありません。)
主要な要素として、次のことが挙げられます。
A.女の子の間での仲良し具合が中心に描かれる。
B.主人公及びその周りの主要登場人物は、未通女であることがほぼ絶対的に保証されている。
C.男性が登場しても、巧妙に疎外される。
D.人物の性的な魅力(あるいは、身体的な魅力)に関する事柄は、あくまで女性から女性への視点で描かれる。
これらの事柄は、所謂「百合」「ソフト百合」と称される作品、あるいは迂遠に「百合的な視点で鑑賞することもできる」と言われる作品に、ほぼ共通しています。
D.に関連して、どのくらい身体的な事柄が出ているかの指標となるような、良く出てくるトピックというものがあります。それは、「貧乳・豊乳をめぐる話」です。
それでは、ケーススタディをば。
性を直裁に連想させる話が割合多いです。しかし、それとバランスを取るかのように禁圧的でもあります。話を出しておいて全力で否定するという図式。
・吉野屋先生 :本人が自覚している豊乳。想像は良くしているが、未通女であることがほぼ明示されている。
・沙英:本人が自覚している貧乳。同じく想像は良くしているが、未通女。
・ヒロ:男女交際をまだ早いと感じていることを理由にお断りする。
榊さん:豊乳。美人であるが、男性から見てどうかという視点はありません。終盤の話からは「豊乳」が榊さんの母性の可能性を暗示しているように見えます。
「百合」の語を人口に膾炙させた作品です。女性から見た女性の魅力をさまざまな形で提示しています。第一巻で祐巳が自分の貧乳についてショボンとする場面があります。単に何らかの欠落の意識ではなく、特別な対象(祥子さま)と自らを比較して、という文脈の上で出ているのがこの作品らしさなのでしょう。
・泉こなた:貧乳。敢えて意味づけを行うとすれば、彼女の「元気ないたずら小僧のような性質」から類推し、(当然、胸は無いという)少年の身体的特質と関連付けられます。オタク少女ということになっていますが、こなたの魅力は大人の世界の囚われが少ないという意味での「自由な子供」としての特質として描かれているのではと思うのです。
・岩崎みなみ:貧乳。どのような意味で岩崎みなみが貧乳を気にしているのかは語られません。しかし、人物像を考えるときには興味深いです。
・徹底的に、(そしておそらくはかなり意図して)身体的な魅力に関する話題は排除されています。人物の纏う雰囲気についての魅力(アリシアが優雅である、等)は、辛うじて身体的な魅力に近い話と言えますが、やはり人物として備え持つ美徳としての文脈の上にあります。「百合」として捉えた場合、極限まで身体性を取り除いた功績は大きいです。
・アリシアの「結婚」が話の終盤と共にもたらされたのは興味深いです。男性の存在は暗示されたのみで、最後まで登場しません。
・一方で、アリシアの結婚、藍華の恋愛は、大変まじめな扱いを受けています。
・作品の性質上、教育的な配慮からか、身体的な魅力についての話はほとんど出てきません。運動ができる、といった「能力」としての身体は存在しますが。
…いろいろと掘り下げ不足ですが、今回はこの辺で。
IDコールはできないようですが、一応、ね。
・id:kashmir108 さま
やっちゃった(恥)。確かにそんな描写がありました。
・id:gadgetman さま
あれま。がっかりです。ということは、表には出ていない生活の基盤があって、その一部だけを選択的に表現した世界、ということになるのでしょうか。あるいは都市伝説とすれば、背景となっている生活がもっといろいろあるのではないかと読者に思わせるに足る「リアルさ」がある、ということなのでしょう。
・id:junkMA さま
ちょっと偏った言葉を使ってみたかったのです。
・id:kuippa さま
「つとに」ですよー。
・id:wideangle さま
会話の中で、エキセントリックな反応をしている箇所があるのです。(Wikipedia参照。)
・id:wideangle さま
うお!?何やら隠微な雰囲気を醸し出している作品ですね。チェックしておきます。
某所で非常勤講師をやっている者です。
専門学校なので相手は高校生を卒業した人が中心なんですが、2割ぐらいは主婦というか、年配の方もいらっしゃります。
教えている内容は萌えアニメの基本的なことと、釘宮病とか17歳教の危険性で
「今更こんなこと教える必要あるんだろうか?」
と思うような内容。さすがにそれだけでは申し訳ないような気がするので、
これからの時代に必要とされそうな萌えアニメのリテラシー的なことも教えています。(ラジオも確認しようね、とか)
で、そういう非常勤講師をやっていて気づいたのだけれど、割と多くの人は未だに
「ツンデレって何?」
という認識である、ということ。いや、それ以前に
「萌えアニメって何?」
という認識の人が割といるという現実。年配の人とかに限らず、若い人でも多い。
キャラデザどころか監督ですら知らない。かないみかとこおろぎさとみの聞き分けなんて全然できない。
「基本なので、しっかり覚えてください」
「髪型と髪の色だけを覚えてください。それだけでほとんどのキャラは見分けられるようになります」
とお願いしても、授業中は頑張るがそれっきり。次の授業では綺麗さっぱり忘れて別のキャラと混同して混乱。
とか言っても全然興味を示さない。そもそも、萌えアニメなんて授業で見てるだけで普段の生活では見たくもないらしい。
だから調べないし、いつまで経っても覚えられない。まぁ、それでも全然普段の生活には困ってないんだろうけど。
半数以上の人は、そういう面白い情報を教えてあげると喜んで飛びついてくれる。IDOLM@STERとか教えたら喜んでやると思う。
現にヤマカンの演出を教えるだけでハルヒやららき☆すたやらを喜んで見る。
友達と踊り合って非常に楽しんでいる。
でも、一部の人は何をどう頑張っても無理な気がする。
何か、人生に対する興味が萌えアニメとは無関係な空間にあるよう。
癒しアニメの味わい方(といってもARIA全話一挙放送を見るぐらいなのだが)を教えても、
授業で鑑賞を求められているから見るのであって、癒しを得るのに萌えアニメを見るなんて考えられないらしい。
そもそも、萌えアニメなんて言ってみれば電車の形式とか、パソコンの組み立てのようなもので、
オタクが好きにやってくれればそれでよくて、自分たちが何かをする所じゃない、という認識なのだろう。
昔から個人的な意見としてNHKはもっと萌えアニメを有効活用すべきだ、と思っていたが、
こういう現実を目の当たりにして、それは全くの間違いだと気付いた。
萌えアニメを通して見える世界っていうのは、本当に偏った世界なんだ、と。
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それえええええええええええ!!!!!まさにそれ!そうだ、後から記憶を改竄してたんだな俺は。
まさにそのタイトルだよ!それ!ありがとう!つまりARIAを見ててもエロは期待しにくいんだな。それでも面白かったから来週も起きてたら見るけど。
そりゃきっと光と水のダフネじゃー