はてなキーワード: 天牌とは
有名なのだとベルセルクだけど、それ以外でもいよいよクライマックスってところで作者が亡くなったりで見られなかった漫画とか結構あるよな。
比較的最近だと天牌という麻雀漫画、100巻超えて伝説の爺さんみたいな人のために最高の麻雀を見せるという勝負の途中で作者が亡くなって終わっちゃった。
新満さんより先に死ぬなよと。
鮫島、最後の十五日とかシリーズ最大の謎だった究極の横綱泡影との対決を目前にしてだからなあ。
俺が死んで作者と同じところにいけたとしたらどうするつもりだったのか聞いてみたい。
そっちで漫画描いてるのかなあ。
ゴルゴに関しては作者が生きてる間に永遠に続ける体制を作ってたらしいのでまあ。
ルパンとかクレヨンしんちゃんとかはどういう経緯だったけかな。
小説でもゼロの使い魔、屍者の帝国、グインサーガと結構あと引き継ぐのはあるよな。
天牌や哲也もそうなんだけどなんで当たり前のように「ツキ」「流れ」って概念が存在することになってるんだ?
ムダヅモや咲だったら「能力者バトルだから当然だよな」で分かるんだが、一応アカギとかってリアル系麻雀の部類だよな?
それでなんで「変なアガリをしたらツキが落ちる」「ここではこういう流れになる」とか平気で言ってるんだろう。
霊能力マージャンバトルマンガも同然なのに個々人に能力が設定されてないから実質的な「なんでもあり」になってる。
これでよく「河を読めばアレがソレなのでつまりは論理的に」とか抜かせるな。
マジでまだ兎とかの能力バトルのほうが「アイツの能力がコレだからつまりは……」でまともに読みあってんじゃん。
これ描いてる奴も読んでる奴もどういう気持ちなんだよ
素人は困るな。
というか、理解する気がないんだろうね。
それこそ漫画ですら、本物の麻雀を描いた作品なんていくらでも売ってるんだもの。
なんなら咲とかでもいいよ。
あれをタダの嘘だと思ってるなら、それは麻雀をプレイしたことがない宣言と同義だから。
ただの絵合わせパズルだね。
そういう人は麻雀をパチンコと七並べを足した程度のゲームとしか思ってないだろうけど、そんな表層には麻雀全体の10%も浮かんでないよ。
運気を操作する人、特定の牌に好かれる人、そんな、君たちからすればただのオカルトに見えるような人も普通にいるから。
本物の麻雀にはね。
勘違いしてる人多いけどね、本物の麻雀の扉は実力とはまた別の場所で開いてる。
いくら上手くなっても絵合わせしかできない人もいるし、初めて触れた日に本物の麻雀を味わう人もいる。
そういうものなんだよね。
受け入れる気持ち、真実を見る素直な目、現実の理不尽さへのたいせい、そういうのがまるでない人は、延々に辿り着けない場所で扉はいつも開かれてる。
あとは、くぐるかどうか。
作品名 | 巻数 | 開始 |
---|---|---|
ゴルゴ13 | 195 | 1968 |
三国志 | 60 | 1971 |
浮浪雲 | 112 | 1973 |
あぶさん | 107 | 1973 |
釣りキチ三平 | 65 | 1973 |
三丁目の夕日 | 67 | 1974 |
750ライダー | 50 | 1975 |
こちら葛飾区亀有公園前派出所 | 200 | 1976 |
王家の紋章 | 65 | 1976 |
弐十手物語 | 90 | 1978 |
あさりちゃん | 100 | 1978 |
パタリロ! | 101 | 1978 |
釣りバカ日誌 | 104 | 1979 |
かりあげクン | 64 | 1980 |
キン肉マン | 70 | 1980 |
なんと孫六 | 81 | 1981 |
あした天気になあれ | 58 | 1981 |
コータローまかりとおる! | 59 | 1982 |
美味しんぼ | 111 | 1983 |
わたるがぴゅん! | 58 | 1984 |
クッキングパパ | 152 | 1985 |
まるごし刑事 | 75 | 1985 |
総務部総務課山口六平太 | 81 | 1986 |
落第忍者乱太郎 | 65 | 1986 |
妖精国の騎士 | 54 | 1986 |
4P田中くん | 51 | 1986 |
本気! | 50 | 1986 |
ジョジョの奇妙な冒険 | 126 | 1987 |
静かなるドン | 108 | 1988 |
はじめの一歩 | 127 | 1989 |
ケイリン野郎 | 56 | 1989 |
工業哀歌バレーボーイズ | 50 | 1989 |
ゼロ | 78 | 1990 |
風の大地 | 76 | 1990 |
代紋TAKE2 | 62 | 1990 |
スーパーマリオくん | 55 | 1990 |
クレヨンしんちゃん | 50 | 1990 |
いのちの器 | 80 | 1991 |
ミナミの帝王 | 156 | 1992 |
鬼平犯科帳 | 108 | 1993 |
名探偵コナン | 97 | 1994 |
MAJOR | 78 | 1994 |
黄昏流星群 | 61 | 1995 |
ドカベン プロ野球編 | 52 | 1995 |
Dreams | 71 | 1996 |
犬夜叉 | 56 | 1996 |
ONE PIECE | 95 | 1997 |
ふたりエッチ | 80 | 1997 |
ポケットモンスターSPECIAL | 53 | 1997 |
Q.E.D. 証明終了 | 50 | 1997 |
天牌 | 102 | 1999 |
江戸前の旬 | 100 | 1999 |
NARUTO | 72 | 1999 |
銀牙伝説WEED | 60 | 1999 |
むこうぶち | 52 | 1999 |
空手小公子 小日向海流 | 50 | 2000 |
BLEACH | 74 | 2001 |
ゴッドハンド輝 | 62 | 2001 |
史上最強の弟子ケンイチ | 61 | 2002 |
銀魂 | 77 | 2004 |
絶対可憐チルドレン | 56 | 2004 |
あひるの空 | 51 | 2004 |
土竜の唄 | 64 | 2005 |
FAIRY TAIL | 63 | 2006 |
エリアの騎士 | 57 | 2006 |
キングダム | 56 | 2006 |
GIANT KILLING | 53 | 2007 |
弱虫ペダル | 65 | 2008 |
※単行本での巻数のため,雑誌連載はあっても新刊が電子書籍のみの作品,たとえば現在44巻刊行中の石井さだよし「解体屋ゲン」は記載していない(議論の余地はあると思うが)
※蒼鷹社版の「コボちゃん」は60巻で出版が終了しているため,この欄には芳文社版の「新コボちゃん」のみの記載とする
※サブタイトル,監修,協力は割愛
トラバの指摘ありがとうございます
巻数による降順
以下,32巻の「強殖装甲ガイバー」「BARレモン・ハート」「あの山越えて」「ドカベン ドリームトーナメント編」,31巻の「KING GOLF」「ラディカル・ホスピタル」「団地ともお」「七つの大罪」「K2」「ハイキュー!!」と続く
書誌情報に50冊目であることが確認できる作品(よって超人ロックは該当しない,石ノ森の文庫版マンガ日本の歴史は一応該当とする),サブタイトルは割愛,同一作品でも合算はしない(ドラえもんプラス,ダイヤのAact2等)
サザエさんを追加,クレヨンしんちゃんを追加,絶対可憐チルドレンを追加,キングダムを追加,(試験的に)文庫版のマンガ日本の歴史を追加,劇画人間革命を追加
こち亀197
ゴルゴ177
クッキングパパ134
ミナミの帝王134
はじめの一歩112
おい新保111
弐十手物語110
あぶさん107
浮浪雲106
あさりちゃん100
鬼平犯科帳96
パタリロ95
釣りバカ日誌93
名探偵コナン88
天牌82
なんと孫六81
江戸前の旬81
ワンピ80
メジャー78
山口六平太77
まるごし刑事75
ナルト72
BLEACH70
Dreams68
いのちの器68
ふたりエッチ66
風の大地65
ドカベン171
バキ121
ジョジョ115
キン肉マン110
キャプテン翼95
コータローまかりとおる94
タフ81
カイジ62
39種3976冊
http://anond.hatelabo.jp/20130205153620
鷲巣麻雀も決勝二人麻雀も導入目的は明らか。「普通の麻雀より、相手の思惑を推理できる要素を増やす」よ。
福本は「相手の策を読み、裏をかきあっての心理戦」が描きたい(読者もそれが読みたい)が、
麻雀というゲームそのままでやるのは無理があるので特殊ルールにしてるのだ。
そもそも、麻雀漫画で闘牌がメインになっているもの(ギャグとか実録物とか「麻雀をめぐる人間模様」がメインな話とかはとりあえずここでは置いておく)は、
「麻雀というゲーム」か「麻雀を打つ人間」のどっちかで嘘をついてる。麻雀が運ゲー過ぎる(少なくとも短期戦では)からだ。
前者はどういうことかというと、「麻雀はこうこうすれば捨て牌から相手の思惑を読みきることができるゲームだ」とか
「麻雀はこうこうすれば運気の流れを自分のものにすることができるゲームだ」とかいう嘘(麻雀は運ゲーじゃないよ、という嘘)。
一般的に麻雀漫画というのはこういうのを想像されがちだと思うが、現実にはこれは無理。
手配読みとか、100%嘘ではないが、あんなピンズドで読むのは条件が相当限られないと無理。
「嘘じゃねえ!流れはあるんだ!」と言いたい人もいるとは思うが、一応、現代の麻雀戦術では、流れというものはないし、
相手の手牌を読むのは条件が相当限られないと無理ということになってるのだ。納得できなくてもそういうことにしておいてくれ。
バトルマンガで例えて言うなら「拳銃持った相手と素手で戦う時、銃口の向きを確認して高速で動けば全部避けられる」みたいなもんで、
「一見理屈は通ってるけど、現実にはそれ無理やろ」という話やね。
もちろん「嘘だからつまらない」なんてことはなくて、嘘の付き方がそれっぽければ面白いわけだ。
麻雀漫画でこの手のだと、土井(旧ペンネームは山根)泰明原作(『勝負師の条件』『幻に賭けろ』など)が特に素晴らしいね。
福本の特殊麻雀はこの変形で、「相手の待ち牌を読まなきゃ勝てない」とか「相手の手牌が部分的に見える」みたいなルールをプラスすることで、
「それっぽい理屈が成立しそう度」を上げてるわけだ
(まあ鷲巣麻雀とか二人麻雀は実際にやったことないので、もしかしたら「成立しそう」ではなくマジで理屈が成立してるのかもしれないが)。
こんな七面倒臭いことせず、限定ジャンケンみたいに新しいものを作ったほうが無理ないけど、近麻でそれできなかったろうし。
ちなみに後者は、「雀士には人智を超えたすごい奴が居る」という嘘(人間は運をねじふせられるよ、という嘘)。
この代表例は来賀友志原作(『あぶれもん』『ザ・ライブ』『てっぺん』『天牌』など)。
『ザ・ライブ』で、神業的な打ち筋を見せた主人公がなぜそう打ったのかと問われて
「明確な説明は僕にもできません」とはっきり答えたり、
『てっぺん』で「何を切るかではない何を引くかだ それが超一流の条件!」ってアオリがあったのが典型的だが、
「すごい奴ってのは理屈ではなく当たり牌を切らない」「すごい奴ってのは理屈ではなくツモる」って具合なんね。
さっきの例えで言えば、「すごい奴ってのは堂々としてるだけで拳銃の弾が当たらない」みたいな感じ。
理屈にはなってないが、ある意味リアリティはあるとも言える(そういう「持ってる」って言いたくなる人間って居るじゃん)。
『哭きの竜』なんかも土井作品(クレジット無いけどあれ土井)にしては珍しくこっちだし、
『むこうぶち』も、理屈は出てくるけど本質的にはこっち(傀が負けるところ想像つかねー)だと思う。
で、上の二つが分かりやすいけど、「強い! 絶対に強い!」という黄金バット的サムシングを読者に納得させることが出来るキャラクター造形であれば面白くなるわけだ。
なお、咲とか兎、片山まさゆきの『ミリオンシャンテンさだめだ!!』とか『まんちょくスナイパーとどめ』(どっちも片山作品の中では知名度低いが超名作)とかはこの変形で、
人間力的な漠然としたものではなく限定的な異能にしてるわけやね。
ちなみに、「咲は麻雀漫画としてはダメ」とか言うのを見ると「それはどうか」と思うのは、
「麻雀が分かってる人間なら、咲が『牌にドラえもんが描いてあったって成立する』ようなもんじゃなく、
ちゃんと牌譜作ってあって、ネト麻とかとつげき東北以降の戦術をベースにしてることは見て分かるだろ」って気持ちが半分と、
「能力麻雀だってdisるの、片山の名作群をdisるってことだから承服しかねる」ってのが半分。
イカサマものはまあまた別論にしといてくれ。哲也とかのヒット作があるので勘違いされやすいけど、80年代以降の麻雀漫画シーンでは一貫して傍流(『(旧)バード』『凌ぎの哲』『ショーイチ』だけ読んどけばいいよ)だし。