はてなキーワード: 哭きの竜とは
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うしおととら(伝奇アクション)、からくりサーカス(伝奇アクション)、黒博物館(近代アクション)
龍が如くは面白いよ。桐生チャンはカッコいいし魅力的なキャラクターばっかりだし。
アカギとか哭きの竜も面白い。ヤクザが居なければ成立しない話だから作中でヤクザの存在は欠かせない。
でも現実で暴力団員、所謂ヤクザが居る事のメリットって何なんだろう。犯罪行為を行って人に迷惑をかけてばかりな印象がある。
まともな社会では生きていけない人間達の受け皿?AVや風俗みたいな性産業はヤクザが居ないと成り立たない?
社会に必要不可欠な存在なら合法化しちゃえば良いのに暴力団対策法なんてヤクザを締め付けるためだけの法律もあるし
でも日本に銃や麻薬を密輸してばら撒いてるのもヤクザだって聞いた事がある。この人達が現代日本に存在している意味は何なんだろう?
hagex氏はネットウォッチャーと言われると少し首をかしげるんですが…
ネットウォッチって定点観測をするのがウォッチだと思ってたんだけど違うの?
氏のサイトは、まとめサイト的な抜粋が中心では?ってきがするんだけど。
基本的なネットウォッチって、ちゆ12歳氏とか哭きの竜氏とかのイメージがあるから
古式もそうだけど、基本、ネットウォッチにかかわる人間て対象もそうだけど
その祭りに関わる人間もキチガイの含有率が高いから顔とかさらすの危険すぎる認識だったんだけど…。
というか今まで事件が起きてなかったのがキセキだとおもってたわ。
だって合宿所のまとめだと、サイコさんばっかですげーヤヴァイ話しかないじゃん
よく顔出しして刺されないなって。
自分の情報は一切明かすことなく、他人の不幸を楽しみたいという人に自慢できない趣味。
なにがいーたいかっつーと私怨大杉。ネトゲの私怨とか、他人が公開した反社会的行動とかどーでもいいわ。
SNSとか出てくる前のウォッチャーって、もっとひっそりとしててあんま拡散とかってしてなかったと思うんだ。
それ見てるほうも嘲笑半分、なにやってんだろー自分の自虐半分的な。
今みたいにリアルにかかわるのって少なかった印象。
自分が見たいのはあれなんよ。痛いやつが醸すあの独特の文章、またそれに群がる取り巻きの擁護の嵐、
それにより僕はここにいてもいいんだ!的に勘違いしてしまった対象者が繰り返す自己憐憫にあふれる行動の数々。
一般人がまずやらないであろう行動を起こし、それに対する反発をうけても自分は正しいと信じて貫き通す続ける対象者。
そーゆーのがみたいんよ。
なんか総ウォッチャー時代みたいな感じでみんなが個人情報公開するようになって、ウォッチ対象が増えるのはいんだけど、
その割には昔みたいにすっごい濃いのって見なくなった気がする。
でも正直、古式は少し引いた。
ヤリスギ的な。
http://anond.hatelabo.jp/20130205153620
鷲巣麻雀も決勝二人麻雀も導入目的は明らか。「普通の麻雀より、相手の思惑を推理できる要素を増やす」よ。
福本は「相手の策を読み、裏をかきあっての心理戦」が描きたい(読者もそれが読みたい)が、
麻雀というゲームそのままでやるのは無理があるので特殊ルールにしてるのだ。
そもそも、麻雀漫画で闘牌がメインになっているもの(ギャグとか実録物とか「麻雀をめぐる人間模様」がメインな話とかはとりあえずここでは置いておく)は、
「麻雀というゲーム」か「麻雀を打つ人間」のどっちかで嘘をついてる。麻雀が運ゲー過ぎる(少なくとも短期戦では)からだ。
前者はどういうことかというと、「麻雀はこうこうすれば捨て牌から相手の思惑を読みきることができるゲームだ」とか
「麻雀はこうこうすれば運気の流れを自分のものにすることができるゲームだ」とかいう嘘(麻雀は運ゲーじゃないよ、という嘘)。
一般的に麻雀漫画というのはこういうのを想像されがちだと思うが、現実にはこれは無理。
手配読みとか、100%嘘ではないが、あんなピンズドで読むのは条件が相当限られないと無理。
「嘘じゃねえ!流れはあるんだ!」と言いたい人もいるとは思うが、一応、現代の麻雀戦術では、流れというものはないし、
相手の手牌を読むのは条件が相当限られないと無理ということになってるのだ。納得できなくてもそういうことにしておいてくれ。
バトルマンガで例えて言うなら「拳銃持った相手と素手で戦う時、銃口の向きを確認して高速で動けば全部避けられる」みたいなもんで、
「一見理屈は通ってるけど、現実にはそれ無理やろ」という話やね。
もちろん「嘘だからつまらない」なんてことはなくて、嘘の付き方がそれっぽければ面白いわけだ。
麻雀漫画でこの手のだと、土井(旧ペンネームは山根)泰明原作(『勝負師の条件』『幻に賭けろ』など)が特に素晴らしいね。
福本の特殊麻雀はこの変形で、「相手の待ち牌を読まなきゃ勝てない」とか「相手の手牌が部分的に見える」みたいなルールをプラスすることで、
「それっぽい理屈が成立しそう度」を上げてるわけだ
(まあ鷲巣麻雀とか二人麻雀は実際にやったことないので、もしかしたら「成立しそう」ではなくマジで理屈が成立してるのかもしれないが)。
こんな七面倒臭いことせず、限定ジャンケンみたいに新しいものを作ったほうが無理ないけど、近麻でそれできなかったろうし。
ちなみに後者は、「雀士には人智を超えたすごい奴が居る」という嘘(人間は運をねじふせられるよ、という嘘)。
この代表例は来賀友志原作(『あぶれもん』『ザ・ライブ』『てっぺん』『天牌』など)。
『ザ・ライブ』で、神業的な打ち筋を見せた主人公がなぜそう打ったのかと問われて
「明確な説明は僕にもできません」とはっきり答えたり、
『てっぺん』で「何を切るかではない何を引くかだ それが超一流の条件!」ってアオリがあったのが典型的だが、
「すごい奴ってのは理屈ではなく当たり牌を切らない」「すごい奴ってのは理屈ではなくツモる」って具合なんね。
さっきの例えで言えば、「すごい奴ってのは堂々としてるだけで拳銃の弾が当たらない」みたいな感じ。
理屈にはなってないが、ある意味リアリティはあるとも言える(そういう「持ってる」って言いたくなる人間って居るじゃん)。
『哭きの竜』なんかも土井作品(クレジット無いけどあれ土井)にしては珍しくこっちだし、
『むこうぶち』も、理屈は出てくるけど本質的にはこっち(傀が負けるところ想像つかねー)だと思う。
で、上の二つが分かりやすいけど、「強い! 絶対に強い!」という黄金バット的サムシングを読者に納得させることが出来るキャラクター造形であれば面白くなるわけだ。
なお、咲とか兎、片山まさゆきの『ミリオンシャンテンさだめだ!!』とか『まんちょくスナイパーとどめ』(どっちも片山作品の中では知名度低いが超名作)とかはこの変形で、
人間力的な漠然としたものではなく限定的な異能にしてるわけやね。
ちなみに、「咲は麻雀漫画としてはダメ」とか言うのを見ると「それはどうか」と思うのは、
「麻雀が分かってる人間なら、咲が『牌にドラえもんが描いてあったって成立する』ようなもんじゃなく、
ちゃんと牌譜作ってあって、ネト麻とかとつげき東北以降の戦術をベースにしてることは見て分かるだろ」って気持ちが半分と、
「能力麻雀だってdisるの、片山の名作群をdisるってことだから承服しかねる」ってのが半分。
イカサマものはまあまた別論にしといてくれ。哲也とかのヒット作があるので勘違いされやすいけど、80年代以降の麻雀漫画シーンでは一貫して傍流(『(旧)バード』『凌ぎの哲』『ショーイチ』だけ読んどけばいいよ)だし。