はてなキーワード: ガクチカとは
2022/9/5
本当にありがとうございます! 心臓がバクバクいってどうなるかと思いました!!
ひとまずは転職を目標にしたいと思います。転職は今しかできないので……
転職活動で納得のいく結果にならなかったら、弊社で上を目指そうと考えています。
重ね重ね、ありがとうございました。
(以下本文)
深夜にすまんな。増田利用者の中では若手な方だ。30代前半の会社員男。たまに短文を投稿するくらいで、基本は読んでるだけになる。
仕事のことで気になってることがある。転職を考えている。それとも働き続けた方がいいのか。人生経験豊富な増田の先輩方のご意見を伺いたい。
子どもの頃からずっと憧れだったラーメン作りの仕事。此処からキャリアを始めることができて、幸せな方だったと思う。今は辛い。無気力だ。やっていける気がしないし、やりたくもない。
今すごい精神が疲れていて、しんどい。何をやっても元気が出ない。確実に読みにくい。ごめんよ。
小学生の時に、夜9時からやってたお仕事系のドキュメンタリー番組を家族(自分、父、母)で観ていた。
カップラーメンを作る会社で働く若手開発職の物語だった。その中には、自分が食べたことのあるカップ麺や袋麺がたくさん登場していて、家族で盛り上がった記憶がある。
番組の中では、若手開発者が精魂込めて作った新商品の試食会が行われようとしていた。偉い人達が長い机に座っていて、これから試食しようとする場面があった。カップ麺の容器が外側まで真っ白だったのを覚えている。若手開発者以外の人も、自分が作ったやつを食べてもらうために順に並んでいた。
「いまいちだね」
偉い人の第一声がそれだった。ほかも続く。
「ちぢれてる麺だったら○△のスープだと相性悪いでしょ」
「消費者のこと考えてない。惰性で作ってる感じ」
「あなたのはね、ふたつ前のやつと被ってるね。同じ社内で同じもの作っても意味ないよ」
「悪くはないが。ほかの会社には勝てない……勝てない」
みたいな具合で、若手開発者が偉い人達にボコボコにされていたのを覚えている。
それでも彼は腐らずに頑張った。過去の製品について学んだり、コンビニで他社製品を買ってみたり、度重なる試食を繰り返した。仲間とのミーティングとか、試したことのない味を組み合わせたり、いろいろと試行錯誤を重ねて、ついに販売するに適うだけの一品を作り上げる。
「いいと思う。頑張ったね」
という、先ほどの役員の一人からのメッセージをもらい、自分が作った商品が出荷される光景を眺めるところで番組が終わった。
その時、自分は確かに言ったのだ。「母さん。この会社に将来入りたい」と言った。それほど感動していた。涙を流す程度には。
母は、ちょっと考えた後で、「あの会社(※日清食品)はいい大学を出ないと入れないのよ。あんたの成績では無理」と告げて父の方を見た。父も「うんうん」といった具合で頷いていた。
当時は傷ついた。確かに小学生的に見ても悪い成績だった。算数のテストはいつも40点以下だった。国語と社会は70点以上は取っていたのだが。
しかし、母と父の意見は正しい。彼があの会社で商品開発職をしている以上は、相当以上の大学偏差値であるのは間違いない。MACARON以上は確実だろう。
でも、その時に自分の未来は決まっていたのだと思う。中学生になっても、高校生になっても、ずっとインスタントラーメンを作る仕事がしたいと考えていた。
勉強は頑張った。元々頭のキレる方ではなかったが、国語とか歴史とかの暗記系は大得意だった。苦学の末、偏差値でいったら当時62~63ほどの都内の私立大学に入学できた。数学その他の理系科目は諦めた。センター試験でも数学は45/200点ほどだった。アホみたいだろう。でも、これくらい捨てまくって文系科目に集中しなければ到底合格などできなかった。
後はもう就職に向けて頑張るだけだ。さてそれで、勉強も、サークル活動も、アルバイトも頑張って、エントリーシートを十分埋められるだけのガクチカ(※当時の就活用語)を貯めて、それでラーメンの開発ができる会社を受けまくって、2/8社から内定を取って、真剣に悩んだ結果として今の会社に決めた。
あのドキュメンタリー番組は、多分やらせか演出によるものだった。確かに、この業界では比較的若い年代の社員でも新規商品開発に携わることができる。でも、あの番組にあったような、情熱をもって新商品を開発しているなんてことはなかった。はっきりいって惰性だった。惰性。惰性。
もう辞めた身ならいいんだろうけど、まだ勤めてる身なので細かいことは書けないけど、こんなところに失望している。
・食品開発とはいうが、ほとんどが過去に販売した商品の焼き直し。ひどいものだと、過去に売れなかった中味が同じものをガワだけ変えて売っている例もある。その先輩が言うには、デザインやキャッチコピーを変えるだけでも売れ方が変わることがあるらしい。
・あの番組では本部長~役員クラスの偉い人達による試食会が行われていた。が、弊社でそんなものが行われたことは一度としてない。試食は行われるが、若手担当者が試食OK→その上司がOK→さらにその上司がOKみたいに、決裁段階は自分を含めてせいぜい数段階であり、ふたつ上くらいになると試食すらしないことも多い。
・他社のパクリ。もうこの際だから言ってやろう。自分もほかの社員も、いかに他社(特に名門大手)からパクってくるかを心がけている感がある。その方が効率がいいのだろう。うちは名門大手じゃないけど、麺のさまざまな状態を観たり、スープ粉末を解析できる機器は揃っている。競合他社(のコンセプト)を真似しつつ、既存の技術・知見や過去の製品群を組み合わせればそれなりのものはできる。それっていいのか?という葛藤を抱きつつも、自分もいつしか彼らの仲間になっていた。そうしないとまともな商品が企画できない。
・まだ我慢できるものだと、新商品の初回出荷時のトラブルだ。製造業だから試作品さえ完成すればあとはスムーズなんだろうと思われる人もいるだろうが、事故は起きる。主には、試作品と実際の製造工程とではスケールが異なるのが原因である。麺の硬さやスープの濃淡や、かやくのフリーズドライの出来高がサンプル時と違う結果になって……といったことが重なり味が不味くなる。知っている先輩のチームは、その類のトラブルをどうしても解決できなくて、会社に凄まじい金額の損害を与えて、次の年度には別部門に異動(左遷)された。
実際に働いてみたらイメージと違うじゃん、みたいなことは当然あるだろう。でも我慢できないのだ。自分が反社会的な行為でもしてるんじゃないかという不安に襲われる。
自分が働き始めた頃は、雑巾がけみたいな仕事をしていた。裁量のない、完全なる事務とか作業とかそんなのだ。それはそれで楽しかった。自社の鉄板商品となったブランドを守るだけでも世の中のためになってるんだな、そのためのパーツのひとつとして動いてるんだな、という誇りと自負があった。
それが、開発担当をしていた先輩方が昇進とかで抜けていって自分の番になると、子どもの頃の想像とは違っていて打ちのめされた。
コンビニで並んでいるカップ麺や袋麺を眺めてみる。そこには弊社のやつがあって、稀に自分が開発担当者として作ったものが並んでいる。嬉しいけれども、なんか違う気がする。
消費者を騙している。自分達は新しい物なんか作ってない。これは新商品じゃない。ガワだけ変えた既製品だ。こんなのはおかしい。でも……変えられるだけの力はない。全く新しいラーメンの開発ができる人ってやっぱりすごいよ。
今、考えている道はふたつ。ひとつめは弊社に残って耐え続ける道だ。あと5~6年も耐えれば自分も昇進できるかもしれない。
後は、転職の道だ。転職エージェントに登録した。先方には、上で挙げたような名門大手に挑戦してみたい旨を伝えていて、今職務経歴書を作っている最中だ。これで入りたい3社に挑戦してみて、ダメだったら同じ食品業界の他社を考える。
けど、それはたかだか30年しか生きていない自分が考えたことだ。ほかにいい道があるのかもしれない。
初めに述べたとおり、増田利用者の諸兄に意見を求めたい。辛辣な意見がほしい。うつ病になって即死するくらいの厳しいコメントがほしい。自分は変わりたい。今の状況は嫌だ。なんとかしたい。何卒宜しくお願いします。バッチコーイ。
自分が好きなインスタント麺を挙げていく。第三位から順番に3点を並べている。
リンクはすべてAmazonだ。倫理的に当たり前だが、弊社の商品はランキングに入れていない。
【第三位】
安心できる味。舌の上で旨味が炸裂するといったことはないが、とにかく安定している。
大学生の時によく食べていた。ちょっと小腹が空いた時に、ネギと胡椒とラー油を大量投入していた思い出がある。
飽きにくいのは最大の利点だ。何年食べようと飽きない。真においしいものは、おいしいと感じないようにできているのかもしれない。白いご飯のように。
9/8追記 ブコメの人が紹介しているが、「イトメンのチャンポンめん」も同じく安心できる味だ。辛めのトッピングが合う。スーパーで売っていたら、ぜひ購入をお勧めする。
【第二位】
日清食品 カップヌードルPRO 高たんぱく&低糖質 チリトマトヌードル
なんと、この商品は糖質18gだ。標準的なインスタント麺は大体55g~65g。参考までに、白いご飯が1杯分で50g~55gほどになる。
たかが50gと侮るべきではない。簡単にいうと糖質を50g摂った場合、体の中で150g~200gの水分とくっついて脂肪になる(9/3追記:過程をすっとばしているが、過剰に摂り過ぎた炭水化物は最終的には脂肪となり、お腹の肉として蓄えられる)。茶碗1杯のご飯だけで、最大で0.2kg~0.25kgも体重が増えるのだ。若い頃はどうってことないが、中年以降になると基礎代謝が落ちてお腹が……ということになりかねない。こういう商品を作ることで消費者が幸せになるのだと思う。
肝心の味も本家のチリトマトヌードルと比べて遜色ない。麺の感じはちょっと違うが我慢できる。
【第一位】
自分が知っているインスタント麺では、これがダントツ№1で美味しい。溶き卵を回し入れる必要はあるが、デメリットとしては小さすぎる。
麺を口に含むと、酢の香りが鼻孔に入ってくる。スープを飲んだらむせ返るほどだ。でも、酸っぱさはそこまでなくて、旨味が舌の上に広がる。容器に浮かんだ麺とスープとふわふわ卵に、できればキャベツも加えて、何も考えず食事に夢中になれる。至高の一作といえる。
①麺がまずいという人へ
細かいことは企業秘密だが、インスタント麺には表面加工がしてある。口に入ると滑らかな舌触りを実現するのだが、なんとこの成分、菜箸で麺をほぐすだけで取れてしまう。カップ麺も同じだ。ほぐすのはよくない。
麺を一切ほぐすことなく最初の一口を食べてみよう。世界が変わるかもしれない。
②スープが味気ないという人へ
粉末のスープに旨味がないのは認める。特に、ラーメン店の本家の味を粉末にするのは大変難しい。味の濃淡を調整するだけでは済まない。実際、粉末スープで表現不可能な味はいくつもある。
スープの味気なさが気になるのであれば、ごま油でもサラダ油でも中華油でも何でもいい。油分を投入してみよう。ラーメン屋のスープに少しは近づくはずだ。個人的には老干媽(ラオガンマ。玉ねぎのラー油)をお勧めする。これがメインのラーメンを開発してみたい。
③量が物足りないという人へ
気持ちはわかる。量がもっと多い方がいいよな。カップ麺や袋麺の場合は、スーパーカップ程度の量が事実上の限界だ。ペヤング超大盛なんかは、売れ筋商品になったから定番として製造できている。
特盛クラスの商品を作るとなると、それ専用のロットや製造レーンが必要になる。過去に試みた会社はあったのだろうが、経営的に割に合わないことが多い(※マルちゃんやエースコックの大盛のやつを解体すればわかるが、意外と麺が小さい)。
安くたくさん食べたい人は、ペヤング超大盛にスクランブルエッグや大量ネギを投入するといい。どうしても袋麺がいいのであれば、スーパーで薄いビニールに入った30円くらいの麺があるだろう。あれを鍋の中に追加投入するのが個人的にはアリだ。
野菜のフリーズドライは難しい。インスタント麺だと、小さいビニール袋に入っているネギやワカメで精いっぱいだ。できないことはないが、全く採算が合わない。大人しくスーパーで野菜を買って、まな板の上でカットしよう。
インスタント麺に合う野菜の鉄板はいくつかある。お勧めする順に、ブロッコリー、ネギ、ほうれんそう、千切りキャベツなんかがいい。ラーメンスープには緑野菜がマッチする。
学歴がよくなくて、就職が困難だったので中小 SIer で働いていた。 (プライム案件を取ってこれる分マシらしい)
レキサルティ、レクサプロ、デパスのお世話になって続けてたけど、結局は薬でどうにかできず、辞めてしまった。
参考程度だけど、未経験の人が 300万 をもらうために、どのようなスキルが必要かを、まとめておく。
ちなみにどれくらいプログラムが書けなかったかというと、競技プログラミングで努力しても AtCoder の黄色になれず青色のままってくらい。
AtCoder でいう、初心者から抜け出せないという、要するにセンスがないということなのだけど、そういう人も居そうなので、参考までに。
未経験のプログラマに対して、これだけ要求されるのだから、未経験の人は覚悟するようにという指針を提供したいので書いた。
基本的に、損害を与えた場合には、それを作業者が補填するという誓約書を結ぶ。
要するに、捨て駒として扱って、失敗したら賠償しろ、という事になる。
このことを認識して、失敗しないように振舞ないと、連帯保証人含めて迷惑をかける事になる。
要するに、低賃金で未経験プログラマを案件にノーリスクで送りこんで、稼ぐための手段です。
基本的に PL (夢想家) → PM (御用聞き) → プログラマ という環境なので、プログラマが自分でディレクションして意思決定する必要がある。
例えば、下請けの場合は、PM の御用聞きの結果の WBS に合わせないと、顧客から DM で 瑕疵担保責任がどうとか言われる。
社内開発の場合は、PL の方から直接、長時間の叱責を受けなくてはならない。
そういう不幸を防ぐためにも、自分でディレクションして、PM の決めた実態を反映していない WBS に合わせて作業するスキルが要求される。
基本的に手戻りは個人の過失になってしまうため、手戻りしないように考え抜いて意思決定をする、というのが重要になる。
これこそ、ガクチカと呼ばれる、頑張れますというスキルなので、学生時代に頑張っておけばよかったなぁ。
こう見せたい、こう表現したい、という事を伝えるには、必然的にデザインの知識が必要になる。
創造的思考とデザインは切っても切り離せない概念で、デザインとは創造なのだから、当たり前である。
ソフトウェアアーキテクチャも、ソフトウェア設計も、コーディングもデザインと言えるかもしれない。
顧客と 1:1 で話す事が DM でもボイチャでも突発的に発生するので、いつ、いかなる時でも論理武装していなければならない。
まぁ、顧客であったり PL であったりはキレるのが仕事なので、それに対して理路整然と説明する必要がある。
なんとなく、では納得しないし、すぐ損害賠償請求とかそういう話にいくので、答えられないと持ち帰りますとお茶を濁して、エマージェンシーになる。
後述する設計能力においても、課題を把握するための言語技術(言語化能力)は重要なファクターだと思う。
C/C++ のシステムプログラムはフレームワークが基本的に無いので、自分で概念を整理して、どのような変更、拡張があるかを考えて設計する必要がある。
この能力が弱いと、手戻りが発生しやすくなり、瑕疵担保責任を問われることになる。
読んだ本の中だと、ボブおじさんの本が、やっぱりしっくりくるなという個人的な感想がある。
UDP で送ってくるデータを受けて 24/365 で停止しない WebAPI への繋ぎ込みという簡単な作業があって、振られた。
リークしてはいけないという事で malloc は禁止で、グローバル変数を利用するという変なルールがあった。
Rust で書けばいいんじゃないかなと思ったけど、Rust 書くのもシンドイし、C/C++ で、しんどくて読みづらいコードを書いた。
あとで保守する人が大変そうだけど、そういうルールを決めたのは PL だしね。
なんか、特殊な PCI Express のカードからベンダーが用意している SDK でデータ引っこ抜いて Web API へつなぎ込む部分をやった。
一応、SDK の使い方をパラ見して 1 日で作ったので、別に負担じゃなかったけど、素人にやらせるんなとは思った。
当たり前だが、DB 作って RestAPI を生やすのは現代のプログラマにとって自然にできなければならない。
なので、新規開発のサブモジュールのバックエンドを任せられた。
だが、ORM の癖を把握したり、発行されるクエリを確認したりするのは、疲れる。 SQL を直書きするのはシンドイ。
結局 SQL を直書きすることにしたけど、あまりいい決断ではなかったと思っている。
それ以外は フレームワーク に乗ってしまっていいので、書き捨てる分には楽だった。
最近だと、TypeScript で Prisma 使うのが、型安全でよさそうだなと思っている。
デプロイを EC2 直でやったり ECS にしたりとしていたので、ベアメタルの知識が必要になった。
要するに systemd のいじり方とか、死活監視の仕方とか。
個人的には、クラウド嫌いなので、ベアメタルの方が安心できる。
Bind で権威DNS を管理して、postfix で絶対止めてはいけないメールサーバを管理するとかもあったけど、出来て当然ではある事だし。
未経験プログラマでも、月単価 100 万以上で顧客に請求してるんだから、会社はそりゃ儲けるだろうと思った。
会社が一人前の経験N年のプログラマといったら、その通りに振舞う必要がある。顧客に責任はないのだから。
当たり前だが、Webディレクション、Webデザイン、Webプログラミング, Webマークアップ は、全て作業者であるプログラマの仕事になる。
個人的には、これが分かれている理由が良く分からないけど、分けたい人がいるんだろう。
デザインで、CSSフレームワークを使うと、その色が出るという事で、全部 CSS は手書きしていた。
tailwind が出た現在では使っていればよかったなと思う。
結局、全く分からない中、手探りでデザインし、コードを書いて、顧客に 1 日 5 ~ 10 回リリースするという行為をした。
顧客は大手企業だったので、自社のエンジニアならもっと出来る、と叱責されまくったけど、だったら自社でやればいいじゃんと思った。
一応、今でもサービスは生きていて、ユニークユーザ数は上がっているらしい。
そして、焼き付け刃だったので、 WAI-ARIA を知らず、アクセシビリティへの配慮が足りない事が問題になってしまった。
これはなんとか保守対応にねじ込めたのでトラブルにならなかったけど、瑕疵担保責任と綱渡りだなと思った。
当たり前だが、リリースサイクルを短くしないと顧客はキレてしまうので、CI/CD を整えないといけない。
今は Github Actions とかあるけど、昔は無くて Bitrise が高いからみたいな理由で Azure Pipelines で CI/CD フローを構築した。
もう Multi Stage Pipeline になってるだろうけど、Release Pipeline が GUI からしか設定できないのが辛みだった。
当然だが、デプロイするためには IaC を整える必要がある。
これを知らずに、コンソールでポチポチしていたので、 IaC 出来てない事がバレた時に色々怒られてしまった。
本来はテストも自動テストを整えて、質保証をしてバグを減らさなければならない。
だが、テストを書くという手間を払えなかったので、人力テストしかできなかった。
一応、リグレッションテストを人力でやりまくったので、バグ発見曲線が結合テストでの IF 不一致しかない、という結果にはなったけど
自動化できれば費用が必要じゃなかったから、怠慢だと、責められてしまった。
未経験でも誓約書を盾に、振られた事全部を出来なくてはならない慣習があるので、プログラマはそんなに良い職業じゃないよ。
甘い考えで、プログラマになろうと思っているのなら、考え直した方がいいです。
こないだ内定が出たんだけど、金曜日に人事から連絡があって、「あなたのエントリーシートの内容が嘘だと連絡が入っている。本当ならば内定を辞退してくれないか。今後によっては内定の取り消しもありうる」と言われた。
確かに嘘をついていた。学際サークル(追記:インカレサークルの意味です)で活動してたんだが、実績でいうと10だったものを2000~3000くらいにまで盛ってた。
同じ会社の内定者に、その学際サークルの人がいて、「嘘つくな」って注意されて、それで反論して、多分そいつが人事に連絡したんだろうな。
ずっと入りたかった会社なんだ。それで海外に渡って、インドネシアの石油化学コンビナートとかの事業開発に携わりたかった。それが目標だった。
俺の大学は大したことないんだけど、その会社の内定取ったの俺が一番の最初で、学生課の人も喜んでくれた。両親もそうだし、友達もそうだし、相談に乗ってくれたネットメンターの人も喜んでいた。
偏差値低い大学だったけど、TOEICはすごく頑張って、700点以上も取った。俺の大学では上位5本の指に入る成績だ。ガクチカとして自慢できるのはこれしかない。
はてな匿名ダイアリーにしてきた貢献といえば、自分よりも年上の人の考えが知りたくて、1回生の時からたくさん言及でコメントを打って話をしてきた。それくらいだ。あとはブクマ数0~3のクソ記事を量産したくらいだ。
あんまり貢献はできてないけど、今回ばかりは助けてください。自分で考えたけどダメでした。お願いします。
同日追記
長文の人、返信ありがとうございます。ほかの方も。
7/1
本日内定先には、「経歴は嘘ではありません。事実です。なぜこうなっているかは不明ですが、告げ口をしたと思われる人は事実と異なることを話しています。裁かれるのであれば彼女の方です」
といった内容を堂々と胸を張って伝えました。
私は若輩ですが、自分自身と親しい人達の力で商社の内定を取ったものと考えています。確かに経歴を盛りましたが、内定を辞退する行為が、自分を応援してくれた人を侮辱する行為だと考えるようになりました。
重ね重ね、皆さまのご意見に感謝いたします。特に長文でコメントをくれた方、ありがとうございました。
厳しい言葉の中に優しさが伝わってきました。
めでたく一区切りついたので、現行の就活制度に対する感想と、役立ててほしいなと思うことなど。
「この面談は、選考に関係ありません」の文字列をいくつ見たことか!
とにかくどの会社も絶対「面接」と言わずに、「面談」「OB訪問」「選考に関係ない」の三点張りで通してくるのが恐ろしい。
これを言われるともう自分が今どの選考ステップにいるのか全くわからず、霧の中をひたすら彷徨う気分で就活していた。
一回限界になって、かかってきた非通知の「次回”面談”案内」の電話に、これって本当に選考に関係ないんですか!?と聞いたことがある。
「関係ありません」と言われたのでその場は下がったのだが、後日メールで「次回面談の案内はいつ来るのか」と質問してみたところ、「選考に関わる内容には答えられません」という返事が返ってきた。どっち!?!?!!
1回「複数人キャリアデザイン面談※服装自由※選考関係なし」と謳われたものにラフなシャツで参加してみたことがあるのだが、自分以外の全員ネクタイ締めてたし、その後その会社からの連絡はずっと途絶えている。悲しい。選考に関係ないって言ったじゃん…。
自分の今している行為がどこに繋がるのか全くわからない(当然選考フローは未公開)というのは想像以上に精神に負荷がかかり、最後の方は正々堂々戦え!!と刀を振り回す炭次郎みたいになっていた。鬼滅エアプなので違ったらすみません。
経団連は広報3月・選考6月からと謳っているが、上記のように「※選考に関係ありません」の脱法面接がはびこるだけだし、ここら辺どうにかなりませんか?
ベンチャーとかは10月くらいに堂々と「面接」のメールをくれるのだけど、表向き経団連を遵守しているスタンスの大手はほぼ脱法面接※選考に関係ありません(ある) だった。
正直学生を守るどころか学生の敵だと感じる。正々堂々戦える場を作ってくれよ!!
対面で呼び出されてもコロナ禍ゆえにマスクをつけたままの面接となり、個人的にはかなり気持ちに余裕ができた。
一方でカメラ越しだと表情がわかりにくくもなるため、オーバーに表情を動かす練習はしていた。
ワンキャリアとか5chとか色々あるけど、断トツで役に立ったのはオープンチャット。
一般就活グルは不便。会社名入った個別グルに入ると非常に有益な情報が得られる。
選考フローや質問の内容、大体の進み具合をリアタイで共有できるのはとても参考になる。ワンキャリアも便利だけど過去の情報しかないのでどうしても今年とはズレが出る。
また、会社によってグループチャットの雰囲気が本当に異なり、これは絶対確認しておくと良い要素だと感じる。
「雑魚」などの強い言葉や学歴マウント、下品な名前芸のアカウントが飛び交うグルがある一方で、はきはきと情報交換がなされ、励まし合うグルもあった。
そういう人たちが多く志望する(内定を貰う)会社なんだな~という視点は企業を選ぶにあたって役立つと思う。
ほんとに終始レスバのようなグルもあるので、社会見学に見てみるのもオススメ。
これは逆に全く使ってない。
こう言うとなんだけど、twitter就活界隈はサロンとか陰謀論界隈と雰囲気が似ててあまり信用できない。
中にはちゃんとした情報を発信してくれる人もいるんだろうけど…。
有名な人でも現行の就活、会社情報と違ったこと言ってること多々あったし、見なくて良い。
信用してはいけない。
たまに真実を言ってる人もいるけど、嘘がかなり多い。
総合職と一般職を混同したまま○○会社はノルマが酷いからブラック!と言っている人がいっぱいいる。信用してはいけない。
自分はエンカレッジのメンターに月イチで面談してもらってたけど、正直そんなに役には立たなかった。
メンターも別に研修を受けたわけじゃないただの学生だし、ピンからキリまで。
メンターに頼るよりも大学のキャリアサポートセンターに頼るか、または図書館の学生相談に駆け込んだ方がよほど良かった。やはりプロの添削が一番参考になる。
もしくは、市が運営してるキャリアセンターに申し込むのもあり。就活つらたんテンションの時にお話聞いていただけます。
最初に1冊買えば十分かなって気はする。
右も左もわからない4月くらいにインターン・自己分析それぞれ1冊買って、自己分析の指針にするくらいがちょうどいいかなと。
後は小論文の本とか志望動機の本とか1冊買って読んでおくと、面接で喋ることの引き出しができたりして役立つ。
これも1回参加すれば十分だと思う。
インターンに参加すると特別選考案内くれる会社もあるけど、特にそういう制度がないなら企業分析がてら気楽に受ければよいかと。
課題点、その課題点をどう解決したか、周りの人にどう影響を与えたか、それらを論理的に話せばよい。
盛るとしたら「大した課題点はなかったけど課題点があったことにした」くらいの盛り方をするべきで、ボランティアやったとか海外行ったとかの事実の盛りは全くいらん。
数学(特に計算)が得意な人、日ごろから本をよく読む人はあんまり対策しなくていいかなと思う。
自分は元々公務員の勉強をしていたこともあって、特に対策なしで高得点が取れた。
今はテストセンターに出向いて密室で受けるのが主流(特に大手は)なので、替え玉とか解答集とかは活躍の場を失いつつある。やめましょう。
公務員は筆記試験の点数と面接の点数の合算で合否決まるところが多いので、面接に全然自信ない人は狙うのもアリ。
勉強は大変だけど学校で習わないことが多く、個人的には非常に楽しく受験勉強できて良かった。判例たのしい。
また、体感だと大手民間の説明会がはきはき!バリバリ!という人が多く登壇する一方、公務員はのんびりした人が多い印象だった。
集まる人の層は明らかに違うと思うので、多くの説明会に参加して見極めるとよい。
公務員試験と民間の面接時期はガッツリ被るのだが、今は民間の多くがweb面接をしていることもあって、並行するのは全く無理な話ではない。
流石に民間10社とかは厳しいけど、3~4社なら民間面接進めつつ公務員試験も対策できます。
全然やる必要はないけど、自分が働くであろう職場の周りを散策し、実際ここで長期間働けるものか…とイメトレするのは有用。
企業分析をやり始めると最初の内は年収とかやりがいとか見てしまうのだけれど、「この環境に長期間い続けられるか」という視点もかなり大事だと感じる。
自分は毎回「御社の一番の課題点は何か、その課題点をどう改善していくべきか」を聞いていた。
自分の志望動機の参考にもなるし、会社の特色がはっきり出る質問だと思う。
数人に聞いてみて、全員が似たような課題点を挙げ、かつ現状進む改善案を教えてくれるような会社は、方針が共有されている良い会社だと感じた。
ある。が、就活を進める中で(特にTwitterやオープンチャットを見ていて)感じたのは、学歴による話し方、話題の選択肢やESの書き方の明確な違いだ。
いわゆる高学歴の人が書くESは論理的で、時事や社会問題も練り込んだ質の高いESになっている。
一方で低学歴の人が書くESは所々日本語がおかしいこともあるし、自分なりの意見が出ているとは言い難い。仮に学歴フィルターが無かったとしても落ちるだろう。
こう言うのもなんだが、「学歴によってはっきりと能力が違う」ことを意識すると、背中の辺りがひやりとするような感覚になる。
高年収の親の下に生まれ、教育を受け、大手に入社し、高年収を得る人々と、低年収の親の下に生まれ、あまり教育を受けられず、就活に苦しんで低年収の会社に就く人々。
その事実が確実に存在するということは就活をしていて強く感じた。
そしてそのことを忘れたくないし、覚えておかなければならないと感じたのでこうして日記の最後に書いたが、自分がどう行動すべきなのかは未だ言葉にできていない。考える。
小学生。近所に住んでいた友達と些細なことでもめ、いじめられた。幼稚園までは親の転勤で新しい環境に飛び込んでもすぐに友達を作れるくらい明るかったが、いじめられたことで私の強みは潰された。自分が何を言っても誰にも聞いてもらえないが、言動で私を傷つけようとしてくる人があまりにも多く、少しでも人に話を聞いてもらいたくて異様なほどの早口で話したり傷つかないために自分に対する悪口を軽く受け流したりする癖はこの頃ついたと思う。
中学生。音楽部に入った。ピアノ等未経験の音楽初心者で入ったなりに努力して1年生の頃の顧問の先生にはたくさん褒められていたが、2年になってその先生が退職し、新しい顧問には嫌われ、3年生になっても自分だけ役職につけてもらえないなどの仕打ちを受けた。
家に帰ると勉強はあまりせず、全然楽しくない部活の憂さ晴らしとしてアニメばかり見て絵を描いていた。
そのせいで親にはよく怒られており、小学生の頃いじめてきた子を引き合いに出して〇〇さんよりいい高校に行きなさい、悔しくないのなどと言われ続けていた。
高校受験では3年夏には国際系の行きたい高校を見つけたものの、内申書と数学と理科が最後まで振るわなかった。本命1校の公立高校に落ちたら私立に行かなければならない県に住んでおり、私立に行かせる金はないと毎日気が狂いそうなほど言われた。やる気のない生徒が集まる塾に通っていて、講師もいかにも大学生バイトという感じであまり教えてくれないし、親に塾を変えたいと言ったものの、お金がかかると言われて叶わなかった。
最終的に家から近い、自分の偏差値で行けそうな公立高校を受験し、合格した。通っていた塾にも私と同じ高校を受験した人が何人かいたが、私以外は落ちたようだった。私より高い偏差値の高校に行った生徒はいなかったらしい。
高校生。トラウマと化した中学とは180°違う運動部に入った。先輩の中にも初心者で始めた人がいて、とても優しく教えてくれた。友達もでき楽しくて良い環境ではあったが、初心者だったこともあり周りと比べて体力もなく競技は全く上達しなかった。そのうち教えてくれる先輩とか友達にも引け目みたいなものを感じ始めた。先輩や友達は強かったため地区大会や県大会の応援に行くたびに交通費がめちゃくちゃかかり、お小遣いでは足りなくなった。親からは毎月のように応援に行くたびにそんなことをして何の意味があるのと言われた。もうお金は借りられないと思った。
親に黙ってアルバイトを始めた。部活と勉強との両立はとてもキツかったが、将来のために少しでも働いて、お金を稼いでいると思うと何か安心感のようなものがあった。この頃にお金を稼ぐことの楽しさを覚えた。
特に頭がいい高校ではなかったからか高校時代の友達は美醜の話で盛り上がる人が多く、昼休みのたびに誰が可愛いとか誰がブスとかそういった話ばかりしていた。ブスで恋人もいなかった私はそういった話を聞くのも嫌だったが別の話題に持っていく力もなく、適当に相槌を打つことしかできなかった。
高2の3学期に大学受験に対して危機感を持つようになった。前述の部活とバイトの掛け持ちで学校の勉強は疎かにしており、特に2年生の頃は学校をサボりがちで午後から高校に行ったり部活だけ参加したりしていた。そのため、親が最も期待していた指定校推薦は望めそうになかった。
高3になる直前くらいに部活もバイトもやめ、親に頼み込んで塾に入れてもらった。部活もバイトも辞めるのはすごく気が引けた。親のせいと周りには話したものの、全部自分で決めたことだった。子供の頃から学歴コンプや貧困などの話を読み漁っており、親から絶対に私立には行かせられないと言われたことも相まって絶対にお金のない大人にはなるまいという思いが強かった。
大学受験では入りたかった塾に入れたが、中学時代から得意だった国語以外あまり成績は伸びなかった。英検をとれば有利になる大学が多数あることを知り、受けた。検定には合格したものの一番行きたい大学の英検利用はスコアが足りず諦めざるを得なかった。
受験の前、大学に全落ちしたらどうするかの相談を親に持ちかけたところ、お前は女なんだし、落ちたら浪人しないで働け、結婚して早くいい旦那さん見つけろと言われた。自尊心がズタズタになっていた私はつらくなって泣いた。
その頃は12月だったためなんかもう全てのやる気を失ってしまったが、英検と得意だった科目を活かしなんとか2月、一般受験で世間的に有名な大学に合格することができた。
親も喜んでくれた。塾の先生も高校の先生も喜んでくれた。見返せた気がして嬉しかった。
大学が決まると以前働いていたバイト先に戻り、たくさんシフトを入れて働いた。その頃の店長や先輩がいい人だったこと、先輩に同じ大学同じ学部の人がいたことも私のバイト先への帰属意識を強めた。他のバイトを探すなど考えられなくなっていた。
4月になり大学に入学した。東京の大学だったためダサいのは恥ずかしく、今まで友達が本当に少なく親からあんた親友いないよね、と毎日馬鹿にされていたので東京でも生きれる普通の女の子になってみたいという気持ちがあり、大学デビューしたいとの思いから服や化粧に金を注ぎ込んでバイト代は一瞬で飛んだ。家では夜10時までに帰ってこいと門限が決められ、お金もなかったためサークルや部活の新歓期間は逃したまま結局入らなかった。
大学で最も楽しかったことは(私の周りだけかもしれないが)人を容姿で揶揄する子がいなかったことだ。周りはみんな頭のいい高校を卒業した子ばかりで、発言に強要が含まれていて聞いてるだけで面白かったし、オタクでも1人でいても陰口たたかれないし後ろ指を指されることもないしすごく快適だった。プライベートでは相変わらずバイトばかりしていた。
秋になり、バイト先では私がお世話になった店長が別の店に飛ばされた。そのころからバイト先の環境は少しずつ悪くなっていった。めちゃくちゃ気が強い先輩が何人も入ってきた。今思うとここで辞めておけばよかったのだが、当時のバカな私はそれをしなかった。
2年生になった。コロナが流行り、授業は全部オンラインになった。生活リズムはグチャグチャ、なんのために生きているのかよくわからなくなったが、2年から入ったゼミの授業が週2であり、カメラオンのzoomで同期や先輩と話ができたことだけが精神安定剤となった。この頃には授業とバイトの両立が不可能と親に訴えたことで門限はなくなり、2年生からやっとサークルに入り直せると思ったがコロナのせいでできなくなった。
というのも親はとてもコロナを気にしており1年くらいバイト以外の外出ができなくなった。友達と遊ぶというとものすごく苦言を呈され、一緒に住んでいる人のことも考えてと言われた。落ち着いた頃友達とチケットを取ったディズニーランドもバレて延期せざるを得なくなったし、成人式もそのあとの友達との軽い夕食の話も断らざるを得ず、そのあとだんだんと誘われなくなっていった。
唯一の息抜きはゼミの教授がきっかけで始めた昆虫観察だけだった。自然がたくさんある郊外に住んでいるため、邪魔されずに散歩だけはできた。自然の中を歩いて、虫を観察している時だけは面倒な親のことも溜まっている課題のことも忘れられ、癒された。そうして私のつまらない大学2年は終わった。
3年生になり対面授業が再開し始め、相変わらず親は文句を言っていたものの少しずつ大学に行くことができるようになった。
5月ごろに就活を意識しいくつかの長期インターンに応募したが全て落とされた。夏休み、やっと参加できた地元のボランティアの活動期間はまたしてもコロナが猛威を振るい、親にはまた文句を並べられた。東京に行くなんてもってのほかで、ずっと地元から出られなかった。ボランティアもコロナのせいであまり活動できなかった。
8月に親の職域でワクチンを打つことができ、9月からは感染状況の落ち着きもあって割と自由に出歩けるようになった。1年も延期していたディズニーランド、ゼミの同期との飲み、泊まり、1年生から憧れていた「大学生らしいこと」をやっとできた。
さらに転機が訪れる。大学でやっていた勉強会に参加し、そこで今まで会ったことないくらい頭がよく、私に色々な世界を教えてくれる人たちに出会った。そこで初めて勉強の楽しさを知った。なんでこんなに楽しいのに今まで気づかなかったんだろうと思った。高校受験で諦めさせられて以降嫌になっていた外国語も、友達と一緒に高校の時履修したけど知識は身についていなかった政治経済も学び直し始めた。遠くへ行って、知らない世界をたくさん見たいと思った。生まれ直した気分だった。
しかし、11月ごろから周りは一気に就活ムードに入りそれどころではなくなる。夏からインターンには応募していたが、1年次から興味のあることが一切できておらず、環境は最悪だったが6年続ければ何か足しになるだろうとしがみついていたバイト先でも、社員や先輩に嫌われ責任者にはなれなかったため、俗に言うガクチカも自己PRもなく、落ち続けた。周りには何人か休学して長期インターンやボランティアなどをする人も出始めた。私も一度きりの新卒就活、後悔しないように休学か就留か就浪して長期インターンをし自分のしたいことを見つけたい、ちゃんと何かに打ち込みたいと相談したところ親にこっぴどく怒られた。家を出てってくれと言われた。インターンも何も参加できず、就職先が決まらないかもしれないと言うと、女なんだからバリバリ働けないでしょ。就活なんか適当に地元ですればいい、それより男に好かれる、愛されて結婚するための努力をしろと言われた。あまりに呆れてしまい、返す言葉がなかった。私の人生ってなんなんだろう。
実は大学に入り、見よう見まねで都会の女子大学生としておしゃれをしてみて何か嫌悪感のようなものを感じるようになった。女として扱われるのが嫌だ。バイト先で自己肯定感の低い私をたくさん褒めてくれる先輩が入ってきて仲良くなったが、軽く肩を叩かれる程度でも体を触られたり、下ネタの話をされると途端に気持ち悪くなり、おまけにとんでもないクズだったので、関わるのをやめた。親とか同性の友達とかにも体を触られるのが嫌で喧嘩になったこともある。飲み会で酒が進み、恋バナや性行為みたいな話になっても嫌悪感があった。そのせいか恋人は今まで一度もできたことがないしまだ処女だ。
それなのになぜ女として振る舞い、男に好いてもらうために努力しないといけないのだろう。憤りしか感じなかった。自分のためだけに生きたい。
この間中学時代の友達と話す機会があったが、彼氏と同棲するなら〜とか、結婚を考えると全国転勤ありは嫌だよね〜とかの話をされ、私はやっぱりそういう考え方はできないなと思ってしまった。
年が明け、またコロナの感染者が増え始めた。親は毎日毎日感染者数をLINEで送りつけてきて、外出しているとどこにいるの早く帰ってきなさいと頻繁に連絡してくる。もう外食もできない。
こないだ休日のランチタイムにバイトしていたら普段は担当しないホールに回された。満席になった店で楽しそうに食事をする家族連れを見ているとなんだか辛くなってきた。コロナがなければ、もっと自由に生きられたのだろうか。誰も何も悪くないけど、涙を堪えながら接客をした。
人をまとめる力もなく、卒業見込みの大学に見合った頭もなければ普通に女として愛嬌を振りまくこともできない、これからの私はどうしたらいいのだろう。
今興味があるのはコロナ禍で始めた一眼レフでの写真撮影と昆虫と小学生の頃から好きだった自然、あとは自分が悩んだジェンダーとかお金とかの問題で、私みたいにやりたいことを諦めなければならない女子もいるだろう現状の社会には割と不満を持っているけど、別にものすごい性差別を受けたとかめちゃくちゃ貧しかったとかではないから何かの志望動機にするにしても説得力ないなと思っている。志望動機を書いていても自分ごとにできてないってキャリアセンターの職員には言われた。多分大学時代にあまり興味のあることも好きなこともしてないしどこにも行けてないからだと思う。
強みは今でも偏差値が70以上ある国語と、性格面では小学生の頃いじめられたからか自分と違う意見でも人の話をよく聞こうと意識しているのと最近いろんな友達との交流を経てやっと取り戻した明るさ、あと昆虫について詳しくなろうとする探求心だと、友達とか教授に教えてもらった。これが活かせるところがあれば知りたい。
それか生まれ直した私でもう一度勉強し直したい。もう4年生なので、そのためには社会に出てお金を貯めてからもう一回大学に入り直すか大学院に行くことかなと思う。
もう自分の人生において、お金にこだわる私はいない。今までは親の影響でコスパばかり考える気味が悪い子供だったが、たくさん遠回りをしてこそ学べることがあるのではないかと考えるようになった。
一度自立し、一人暮らしをしてからであれば親からはなにも言われないだろう。けれど1人で生きていくにあたってやっぱり職がないのは困るし、20代後半で大学を卒業してもちょっと貯金ができ、一人っ子なので自分しか頼れない両親の老後の面倒を見れるようなお金がもらえるところに就職できるかが不安だ。それかとりあえず行けるところに就職して、後々自分の興味関心があることができるところに転職するか。転職のことを考えると気が重くなる。新卒キャリアがどんなものでも、そこから転職ってできるものなんだろうか。
とりあえず早く親元を離れたい。
私の大学生活を返して欲しい。
本当に無知ですみませんが、向いてそうなものとか、どこに転職するにしても役立つスキルみたいなものがあれば教えて頂きたいです。
昨日か一昨日、『文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え』のエントリを書いた人間です。
でもめっちゃ風評被害をまき散らしてしまったので、ちょっとだけ冷えた頭で過去を捉えなおした記事を書きたいと思いました。
あれを読んで嫌な気持ちになった人に謝れるわけではないし限りなく自己満足ですが、ネットの海に放流しておきたかったので。
就活で心が折れてしまった上に、俺の性格が極端で未熟だったことによるところが大きい。
確かに、客観的に見れば貴重なことを文学部で学んだのかもしれない。
文学部の人や人文学に触れたことがある人は知っていると思うが、文学部は感想文を書き散らすところでは断じてない。
まずは対象となる作品に触れて、自分で疑問を発見したり、隠されたものがあるのでは?と気づく。
そしたら、その疑問や発見を足掛かりにさらに深くテクストを読み込み、適切な研究書・論文を探して読んで根拠を集める。
必要な場合は、過去の理論を適用して新たな気づきがないか探したり、自分の立場を明らかにする。
そうして根拠を十分集めて、最初の疑問や発見に対する結論を導きだす。これが俺の学んだ手法。
思い出してみれば、自分は一年生の時から成績がよかったわけではなかった。
なぜなら入学当初、課題発見力が限りなくゼロに近かったから。お得意の受験勉強では全く何もできなくて、最初に書いたレポートは散々でした。
で、レポートを書けるようになりてえと思った。正直言うとその動機はお子様なもので、アカデミックな論文が冷徹に真理を追究してるみたいでかっこよく見えたから。
まあ悔しかったのか文学が好きだったのか、今ではよく分からんがとにかく少しでも大学の学問に触れたいと思って、そこから色々やった。
教授に質問したり、レポート上手い友達にどうすればいいか助けを求めたり、『レポートの書き方』とかロジカルシンキングの本を読んだり。
それで成績が上がったんでした。
コメントでも指摘があるように俺は自分の評価を限りなく外部に依存する悪癖があり、成績を自分の判断基準にしすぎというのは真っ当な指摘です。
でも、その外部からの評価を得るために自分でいろいろやったなあ、ということをガン無視していたので、それはちょっと認めてもいいのかもしれないと思った。
ということで、もらったコメントを受けて考えてみれば、文学部に行ったから俺の未来がどうこうなんじゃなかったということです。
それどころか、文学部で勉強して知った「テクストを客観的に読んで課題を発見し、資料を参考にしながら結論を出す」という手法はどこにでも通用する教訓なのかもしれない。
いや、そうじゃないかもしれない。俺は社会に出てもいないし、就活にしても本選考が始まったわけではないし、本当に社会に通用するのかは今知りようがない。
とにかく考え直してみた結果、俺は価値ある学びを身につけられたのかもなあ、と思った。
文学部の人、文学部に行きたいと思ってた人、すみませんでした。グチャグチャメンタルで軽率に貶したりして、本当に馬鹿でした。
この謝罪は読んだ人への媚び売りではなく、もらったコメントを読んで自分の学んだものの価値を思い出した結果だと思っている。多分。
これが万人に通用する真理かどうかも知らない。今のところの自分の結論というだけ。まだ未熟な部分が腐るほどあるんだろう。
・ただ文学部は関係ないけど、俺がやらかしたことに変わりはない
そうは言ったところで、俺が人付き合いから目をそらしてきた事実は変わらない。
なので、自分がゼロ地点にいることを自覚したんだから、今度こそ自分でなんかやろうと思った。
今の時点ではまず進路をどうにか決めるのが先だが、その先はバイトかボランティアがグループ立ち上げか、とにかく人と会わなきゃと思う。
がむしゃらにただ会うんじゃなくて、自分と相手の対流みたいなもんを作ればいいのだろうか、よくわからないけども。
しかも、あれだけ叱責のコメントをもらってすら未だに周りの人間を恨んでいる節がある。
ただ、これもコメントにあったことだが、実際には「コミュニケーションをとれ」というアドバイスをもらいながら目を背けていただけの気がする。
自分には合わないから!机に向かってれば楽だから!そういう自分本位の理由でアドバイスを無駄にしてたんだろうな。
それで俺に愛想をつかした人、多分たくさんいるだろうと思います。
あと根本的な問題点として何かに失敗するのがどうしても嫌というプライドと不安があるのも分かった。
なので失敗したら引きこもるのではなく、どこがダメだったか考えて再試行するのを人付き合いで繰り返そうと思う。怖いですが。
「勉強を頑張れるのは一つの長所」という励ましのコメントをくれた人が数人いました。今はまだ大事なものを取りこぼしたしくじり感が強いけど、将来「勉強したことが血肉になってるんだな」と思える日がくればいいと思う。
その一方、「ガクチカでそれを書けばいいじゃないか」というコメントにはあまり同意しない。
なぜなら、就活本に書いてあったガクチカについての説明がとても筋の通ったものだったからです。
就活始まってたくさん読んだマニュアルの大半には、「ガクチカに大学内でのことを書くと視野が狭いと思われる」という指南が書いてあった。
そして具体的なアドバイスとして、「社会人としての素養=コミュ力、社会性をアピールするため大学外部のことを書け」という対策が書いてある。
だからみんなサークル・ゼミのことをアピールするのは極力避け、アルバイトやボランティアのことを書こうとするんです。
これは筋が通っていると俺は思う。なら、上に書いた文学部での学業はガクチカとして不十分だ。特に俺はほとんど一人で動いてしまったから、社会性とコミュ力のアピールにはならない。
で、その上でガクチカをどう書くかはまだ決められてません。とりあえずキャリセンと外部の講座に頼ります。
・自分語り(コミュニケーションが苦手、人格が幼いことについて)
これを治せないのかは分からない。
ただずっとコミュニケーションが嫌いだったかというとそういうわけではなくて、その方法を限りなく間違え続けたあげく人間関係で病んだのがきっかけだった。
小学生の時にいじめを受けていて、それで辛い人の気持ちが分かったつもりになった。
で、自分は優しい人でありたいと思ったので、それ以来誰彼かまわず相手に尽くしまくった。
ただ人格形成が遅かったのか、はたまたその時から他責性格で自分の成長を怠ったのか、自他の区別がつけられず優しさと甘やかしの違いが分からなかった。
その結果メンヘラ製造機になり、それを抱えきれなくて自分がメンヘラになった。
横になって壁見ることしかできねえ何もできねえ何も食えねえみたいな時期が続き、高校で教室に行けなくなった。
精神科には行かずにスクールカウンセリングを一年ぐらい受けたけど、結局克服には至らず。
で、大学に行ったらぼっちを謳歌するぞ、友達なんかいらないぞと思って、それを実行した。
ここで周りの「他人と向き合え」というアドバイスが実際あったのに無視したとすれば、それがさらに人格形成をサボる分岐点だったんでしょう。
上で「友人にレポートのアドバイスを聞き…」と書いたように、確かに数人は大学の友人がいる。しかし自分から全く外部に行かなかったので成長できてないんだと思う。
根本的な原因としては「甘やかすことと優しくすることの違いが分かってない」=「自分がない」なんでしょうか。
ただしばらく考えてもこれを解決する方法が分からない。でも今まで頭でっかちで失敗してきたのは確か。なので今までの沈考から趣向を変え、トライアンドエラーを繰り返す方式で他人と関わろうと思う。
大学生になる人、俺みたいに「人間関係しんどいから一人でいるぞ!」って逃げずに自分から人を見つけに行け、めちゃくちゃ遠回りすることになるから。
・で、将来どうするのか
明確には決められていない。決めたことは、
2.キャリセンなりガクチカ講座なり行って、相変わらず涙目になりながら自己PRの文章を助けを得つつ書く。
(3.橋にも棒にもひっかからなくて全滅したら、大学に推薦があるか聞きにいったり、お金ためて来年の公務員試験を狙ったりする。)
これで全部。
コメント読んでて確かにそうだなと思ったのは、そもそも文学部選んだのだって、恵まれた環境があって自分で決めたんだろうということ。
もうこれは客観的に見てそうなんだろうけど主観的にはまだ周りを恨む他責思考が抜けきってない。改心するのは時間がかかる。
本好きだなあ、もっと知りたいなあ、文学部行きたいなあ、って思った高校生を周りが尊重してくれた、というのが事実なんだろう。
今「尊重」と書いてて思ったけど、周囲の人たちは「文学部は通用しないと知りながら黙ってた」ではなくて、「周りの忠告も聞こえないぐらいなら尊重してあげよう」と思ったのだろうか。
入学して学業の難しさ、つまり「本好き」だけでは文学研究は成り立たないことを知ったわけだが、学業の入り口の入り口ぐらいには立てたと思うので、本懐を遂げたと言っていいのだろう。
・まとめ
一言で言うと、「恵まれた環境にあぐらをかいている+おそらく価値あることを学んだのだろうが、価値を自分で認めきれない+学んだことの活かし方が分からない+今まで逃げてきたことのしっぺ返しを食らってパニクっている」ですかね。
座学じゃない勉強が足りねえんだわ。
これからどうするかは決められてません。大学三年間ずっと他人との向き合い方を学びませんでしたから、未だに絶望感はあります。
ここからは周りに甘えた上に責任転嫁するのはやめて(そもそも周りの責任じゃなかったような気がしてきたので)、自分の人生ここからは自分で何とかするって気持ちでいたい。
無責任に思ったことなんだけどこの気持ちをそのまま志望動機に転化したら普通に割と行けるんじゃないかな。
例えば商社とか受けたとして「〜な人生を送ってきて自分を振り返った時、周りに流されていたことに気付いて、チャレンジングな環境で人生をやり直してみたいと思った。(勉強頑張って来たことを例に)ガッツには自信があります。」てな具合に。
新卒に求めるガクチカなんて(商社はちょっと周りのレベルが高いかもだけど)そんな大それた実績なんてなくても良い、というか増田には成績という分かりやすく誇れるものがあるんだから、そんなに悲観しなくて良いんじゃないかな。
いただいたコメントを受けて過去を冷静に振り返るエントリも書いたんで気になる人は見ていってください。
https://anond.hatelabo.jp/20220116181308
23卒の文学部。マジで日本のキャリア教育も私の周りの人間もとことんなじって泣きたい気分だ。
まず受験を経て中学に入学してから、大学受験は恐ろしいものだという周りの言葉にしたがって、青春を勉強にささげた。
高校生の私は、文学や映画といった芸術が好きで、それを勉強してみたいと思った。
その結果、オープン模試では浪人も含めた受験生で一位になるなど、自分でも本当かよと思う成績を常にとっていた。
そして大学受験。過去最高の点数をたたき出し、狙い通りに宮廷大の文学部に晴れて入学。
入ってからは、サークルに所属することもなく(人と関わるのが面倒くさかった)、変わらず勉強に打ち込む日々。
文学理論の本をあさり、文学作品を読み、レポートを必死に書いた。
アルバイトはしたのだが(ノンバイサーはさすがにやばいかもと思ったので)、結局勉強する時間がなくなったし人と関わるのがしんどかったので半年でやめた。
そして今、就活を始めてやっと気づいた。今の私を求める企業なんかない。
ESに書けることがない。ガクチカで、今まで勉強を一人でしてきました!とは書けない。自己PRで、成績めっちゃいいです!とは言えない。
そこまで頭がいいなら研究者になれば?と思うかもしれない。しかし、私が得意なのは勉強であって、真理を追究しようという強い意志も、狭き門を狙って親の穀潰しを10年以上続けるほどの度胸もない。
もし仮に十年以上穀潰しをやって、博士課程を出たとして、そしてどのポストにもつけなかったら死に向かって一直線だ。
親は私が文学部に進むのをまったく止めず、「せっかくその頭があるんだから好きなことを研究しなさい」と言って送り出してくれた。
小学生の時から中学受験のために塾に入れ、バカ高い私立進学校の学費を払い、ここまで育ててくれた。
ごめんね、ありがとう、でもあなたたちはマジで教育を間違えたよ。私のこの先の人生のことはまったく考えずに、勉強だけさせたらいいと思ってたんだね。
勉強だけしてきただけあって、私の大学での成績はGPA3.6。宮廷でこれなら、かなり上位のはず。
そしてそれを見た親は、ここまで来ても「そんなに頭がいいんだから、人生一度なんだし院に行ったらいいんじゃない」「研究者になったりして!」と言う。
親は分かってないのだ、何にも。文学研究者になって食っていくことの困難なんて。もうすでにその一度の人生を棒に振りかけてんだよ。
仮に文学修士で卒業するとしても、そんなやつどこの誰が雇いたいと思うのか。6年間文学の研究してた人間を雇いたいと思うか?誰でもいやだろ。
これなら、「お前の人生はお前で歩け。後はしらん」と放り投げて知らん顔する親の方がまだよかった。
親の言葉を信じて、親も私の成績の良さが誇らしくて、共依存になっているうちにここまで来てしまった。本当にばかだった。
もう今では、自分は学ぶのが好きだったのかどうかすら自信がない。
勉強する才能は間違いなくあるのだろうが、学問が好きなのかというと分からない。というか、正直多分そこまで好きじゃないし向いてない。
高校までは、勉強さえしていれば褒められる。私は三教科で偏差値80越えの生徒だったから、周りの先生や生徒に、そして親にちやほやされていた。
その実、性格的にはややコミュニケーションに難があり(HSPなのかメンヘラなのか知らんが、常に不安でいっぱいな感じ)、高校生活でも最後は保健室登校みたいになっていたが、それでも注意されることはなかった。
甘えてないで人と接しろと、それがお前の将来のためだからと、そんなことを言ってくれる人はいなかった。
分かっている、悪いのは私だ。一人でできる勉強にばかり逃げて、人と関わろう、向き合おうとしてこなかった。
自分の価値決定を他人に任せてきて、褒められたから自分は生きていていいんだと、そんな風に他人任せで真面目に自分の人生を顧みなかった。
でもさ、でもよ、大学入学までの18年間、ずうっと勉強しては褒められる環境にいた結果、「勉強をしてれば報われるんだ」と考えてしまったのは私だけの責任じゃないはずだ。
思ってしまうのだ、そんな私をつくったのは、親であり教師でありこの社会のシステムのせいでもあるんじゃないのかと。
高校では「勉強していい大学に入れ!」と尻を叩かれつづけ、大学に入ったら「好きにしろ(あと数年で就職だけどね)」と放っておかれる。
最初から言ってくれよ、文学なんか勉強しても社会で何も必要とされないって。
国語が特にできるね、読書が好きなんだね、マイナー映画も好きなの?なら君は文学部で好きなことを勉強しなよ。
いい加減にしろ!そうやって私の将来なんか何も考えることなくおもちゃみたいにして!誰も私の人生のことなんか考えてねえじゃねえか!
私が優れてるのは小手先の成績であって、持っているのは記憶力と心配性であって、研究を続けられるずば抜けた力なんかねえよ。それぐらい見たら分かるだろうが。
初めから言えよ、今までと同じように勉強だけしてても、お前はゴミにしかならなくて生きていけないよって!研究者になれる人なんか一握りだから勉強はもうやめろって!
だれか途中でせめて軌道修正してほしかった、叱ってほしかった、もっと真面目に将来のことを考えろって。今のままじゃ、社会は誰も今のお前を必要としないよって。
今までの人生何だったのか。私が大切に持ち続けていた成績という武器は、もうどこにも通用しない。
もっと人と関わればよかったんだ。いくらそういうのが苦手でも、コミュニケーションで疲れてしまっても、無理してでも普通の大学生活を送ればよかった。
もう涙しか出ませんよ本当に。どこにも行くあてはないよ。キャリセン行っても面接講座行っても涙目で、電車で泣いて変な目で見られたさ。
みんな、親や教師のことなんか信じずに自分の力で歩いてたんだよな。大学の勉強だけやるなんて馬鹿なことはせず、、社会勉強をちゃんとしてたんだよな。偉いわ。
それに比べてなんて私は馬鹿だったんだろう。将来のことを本気で考える頭もなかったんだから、これじゃFラン以下の脳みそだ。
誇れるのは成績だけだった!!てへ!!
あーあ、死にてえw
アドバイスくれた人ありがとうな、こんな読みにくくてルサンチマン爆発の日記にコメントしてくれて。まだ絶望感がやばくてずっと涙が止まらんが、資格、バイト、公務員、学校の推薦、就活対策など、頭冷やして今からでも動こうと思う。あーでもやっぱり辛いな、曲りなりに頑張ってきたつもりだったんだけどな。
追追記
引き続きコメントありがとうございます。他責しつづける幼さや浅はかさ、指示待ち人間なのがそもそもの問題なんだなっていうのがよく理解できた。みんなちゃんと生きててマジすごい。
これから人の良さやすごさを見つけて尊敬できる人間になるべきだと考えたので、自発的に人と出会いに行くところからでしょうか。
あと人格が未発達すぎるというコメントがちらほらあるけど、専門家に行ってみた方がいいレベルなの?俺の怠惰さが原因なだけで修正可能なのか、先天的に問題がありそうなのかわからん。劣化版チャーリイ・ゴードンは嫌だ。
ちなみに、第二志望は国公立の大学職員×2、第三志望は私立の大学職員だった。
私は地元の名門といわれる公立高校出身だが、高校の教員の大多数に嫌われたことが運の尽きで、学内の成績上位にも関わらず指定校推薦をもらえず、Fラン大学へと転がり込んだ。そのため、学歴コンプレックスは人一倍強いし、学歴フィルターが根強く残っていることも強く意識していたため、公務員試験に専念することにした。ちなみに、独学であった。
私は部屋の一番後ろの席に座っていて、前の人から適性検査の用紙が回ってきた。そして、私の分を含めて、3枚渡されたことに気がついた。すなわち、2枚多いのである。私は、「2枚余っています」と言って手を挙げ、試験官(自治体職員)に知らせた。すると、試験官は走ってきて、「どうして2枚持っているの!!!」と、私を怒鳴りつけ、二枚余った試験用紙を乱暴に抜き取った。私の席の周辺の人は、「?」という顔で私を見るし、私も「すみません・・・」と言うしかなかった。いかにも私が何か悪いことをしたかのような口調で言われてしまって、ただただ萎縮した。
ちなみに、他の学生のところでも紙が余ったことがあったが、怒鳴りつけられている様子はなかった。なぜ、私だけ・・・と思った。
「集団で行動した経験はありますか。エピソードを教えてください。」と言われた。
「はい。小中高、大学と色々と経験があるのですが、とりわけ印象的だったのは、中学での・・・・・・という経験です。」
「大学では無いのですか。」
「・・・無いです。でも、ゼミで数人で活動した経験ならお話しできます。」
「結構です。」
そう言って、試験官は私の面接評価シートに、私から見ても分かるくらいめちゃくちゃ大きく横線を引いた(評価「/」ということなのだろう)。
バッサリ切られてしまった。実は、私は、高校時代になかなか酷いレベルの嫌がらせを受けていたために人と関わるのが怖くなってしまい、大学時代にはサークルにも入らず、友達も作れずに、ずっと孤独でいた。そのため、「大学時代の集団行動経験」という質問への対策を入念に練った(就職支援課の方にもアドバイスを受けていた)。その結果としての、「たくさんあるけど~とりわけ~論法」であった。しかし、そんな論法は通用しなかった。とにかく焦った。焦りながらも、嘘をついたらその後を取り繕うのは無理だと思い、結局「無いです」と言ってしまった。「結構です」と言われたときには、体の芯から体温が奪われていくような感じがした。
話すら聴いてくれないし、なにより、大学での集団行動経験が無いがゆえに「評価マイナス」とは、なかなかの人格否定だなあと思った。
その女性の試験官に、「○○さんは、“大学では1人を好んで、というか、少人数で固まって”、コツコツ勉強するタイプなんですね」と言われたときには、私が言ってもない言葉を付け加えて、私の発言を悪いように変換してまとめたようだった。
私はただ、なんだかなぁと思うだけだったが、このことを親(公務員のきょうだいをもつため、公務員の実情を比較的よく知っている)に話したら、それは圧迫面接だし、公務員試験の面接なのに、民間の面接並に面接官が、面接官の主観で、学生が言ってもない言葉を付け加えてまで勝手に学生を悪く評価しているのか、と言った。
2回目の面接で、男性の面接官との冒頭のやりとりで怖くなった。
「このような面接は初めてですか。」
「はい。」
「先ほど1回目の面接がありましたので、これは2回目の面接になると思いますが、まだ緊張していますか。」
「あのね、緊張してるって言われるとこっちもやりにくいんだよね。」
「申し訳ございません、精一杯頑張りますので、どうかよろしくお願いします。」
就職試験の面接で、「緊張している」と言うと、相手から嫌みを言われるなんて想像もしていなかった。「緊張している」はNGワードなんだ、と不思議に思った。
そして、ガクチカ(学業)に関して、周りに指導者がいなかったこと、モチベーションを上げてくれる存在が居なかったから、自分で自分を鼓舞しながら頑張ったことを話した。
「つまり、もう一人の自分が自分を応援していたというか(失笑)、自分で自分をコーチングしていたということなんですね。」
と言われた。それはそうなんだけど、なんか二重人格者みたいな言われようだなぁ・・・とか、ここ笑うところなのか?とか色々思いながら、「仰るとおりです」と言った。
誘導尋問もなかなか多かった。
他者と接するときに気をつけていることを聞かれ、「相手の価値観を否定しない」とか、そんな感じで答えたら、
「では、○○さんがそう思うようになったきっかけというのは、あなたがそのようなことをされたことがあるからなんですか。」
と聞かれた。よく経験談とかエピソードとかを交えて答えるべきであると言われる。確かに、この場面でもエピソードを語る必要があるのだろう・・・たとえそれが"人に嫌なことをされた経験"であろうとも。
実際、先述の通り、高校では教員からも生徒からも完全なる人格否定を受けていて、普段から「キチガイ」「馬鹿」「アホ」呼ばわりされていたものだから、そのような意識(相手を否定しない)を持つようになった。結局、オブラートに包みながら、それとなく、そういうことがあったと述べた。
すると、その後の、"他者との関わり系質問"においては、「あなたがそういうことをされたから、逆にそうしないようにしようとしたということなんですよね?」と、まるで私がかつていじめに遭っていたことを見透かしていて、それを引き出そうとするかのような質問が続いた。さすがに面接官もやばいと思ったみたいで、
さらに別の男性の面接官から、「過去の辛い経験を深掘りして聞いてしまい、ごめんなさい。」と"謝られた"。"いじめられ経験を聞いている"という意識を持ったうえで、このような質問をしていたのだと悟った。確信犯だったのか。
細かく書くと長くなるので、トラウマになったポイントを簡単に挙げていく。
・ガクチカが学業で、特待生をとったという話を面接カードに書いたところ、「どれくらいの額をもらったんですか。学費の半分とか、全額とかありますよね。」と、野暮な質問をしてきた。
・マスクを外した上で本人確認をするのだが、顔写真と私の顔を"人差し指一本で指しながら"、目やら鼻やらを確認していたこと。
・面接で大学名を言ってはいけないと言われているところ、面接官は弊学に関して調べて知っているようだった(試験申込時には、大学名を入力している)。
・学業をガクチカにしたせいで、"優秀な学生であること"を鼻に掛けていると面接官に思われたようだった(女性の面接官「勉強がお得意なんですね~~」男性の面接官「特待生になることを狙ってたんでしょう?」と言われて、嫌みったらしいなと思ってしまった・・・)。
どこもESで落ちてしまい、第一志望の自治体での面接が人生初・本番面接だったからこそ、私は面接というものを甘く見ていたのだろう。自分が嫌だと思うことを聞かれたり、いわゆる「圧迫面接」が"常に"行われていたりするなんて、想像もしていなかった自分が馬鹿だった。それとも、自分が敏感すぎるのだろうか。これが「公務員試験の面接」なのかと、酷く落ち込んだ。
最初から話を聞いてくれなかったのは、論文で足きりされていたからなのだろうか。それとも、精神疾患か否かを検査する心理検査(試験官は、"あくまで参考にするだけです"と言いつつ、"嘘をつくと、皆さんに不利になります!"と脅してきた)で悪い結果が出て、不利に働いたからなのか。クレペリン検査で、少しがたつくくらいの、ほぼ直線を描いたからなのか。
身なりやマナーは、きちんと事前に学習したし、きちんと守った。これだけは、胸をはって言いたい。
このほかに、面接会場で、高校のときに私のことをいじめた首謀者グループの2人や、「キチガイ」呼ばわりしてくれた嫌なやつ1人(いずれも指定校推薦で名門大学入学)を見かけたことで、過去のトラウマがよみがえって、ますます嫌な気持ちになり、受験した「公務員試験」自体がトラウマとなった、ということも付け加えておきたい。ちなみに、いじめ首謀者グループのやつの目の前で、面接官にフルネームで名前を呼ばれたときには、四年間身を隠して生きてきた努力が水の泡になったと思い、辛くなった。どうか私の事なんて忘れていて欲しい。まぁ私のことをなめ回すように見てきたから、間違いなく覚えていたと覚えていたと思われる(他の受験生はジロジロ見てこないから)。
これから民間企業を探して就活しようかな、と思うけれど、日本で最も公平・公正に行われる、学歴フィルターもない公務員試験にすら落ちてしまうのだから、見込みなんてないだろうと思う。ESを出せば非通知のイタ電が増えて、それも嫌だから、躊躇する(実際に、選考期間だけ極端に非通知が多い)。内部進学での院進も躊躇する。どの先生も私のことを否定ばかりしてくる。
どこにいっても、私のことを少しでも肯定しようとしてくれる人は居ない。私に関して何も知らない人にも叩かれる。
そういえば、受験した自治体が、試験前に○庁イベントとして「座談会」を開いたので、それに参加した。
私は何もしていないのに、人事課のある方は、私のお礼の言葉を無視したり、私の質問を否定的に受け答えしたりした。ちなみに、私の質問はおかしなものではなかったと、大学の就職支援課の方は言っていた。後から同じ趣旨の質問をした、別の人には、丁寧にニコニコと受け答えをしていた。
この「座談会」のときから、第一志望の自治体の人から、嫌な思いをさせられていたくらいなのだから、よっぽどその自治体に縁が無いのだろう。
というか、その自治体の人になにか恨まれてるのかというくらい、トコトンヤられたな。
どうせ落ちるくらいなら、そしてトラウマになるくらいだったら、受けなきゃ良かった。
論文か適性検査(1日目)で足きりになっているのだったら、2日目の面接をする前から「落とす」と決まっているわけだから、2日目には呼ばないで欲しかった。
換気のない、カーテンの閉まった待合室に20人近く詰め込まれて、色んな人が少し長めにマスクを外したり(お茶を飲んですぐマスクをつけるのではない。マスクを外して、お茶を飲んで、お茶を鞄にしまって、一息ついて、しばらく外して休んで、ようやくマスクを着けて、という感じである。)鼻をすすったりする人がたくさんいるなかで、30分以上待たされて、コロナ感染が怖かった。
緊急事態宣言がでている中で、就活だから、と言って外出する罪悪感があった。
交通費、スーツのクリーニング代、その他もろもろの費用が、もったいなかった。
どうせなら、論文と適性検査を、筆記試験のときにまとめてやってくれた方が経済的だ。
被害者面をしたいわけじゃないが、さすがに今回の第一志望の自治体の公務員試験は、トラウマになった。この経験を通じて得たものといえば、絶望感、疲労感、過去の負の記憶の再燃による心的外傷くらいか。
文芸サークル活動を「ガクチカ」として就職した人が「テニスサークルだったら違ったかもしれない」と言われるだとか、その程度の違いでも棒に振ったとまで言われるとかいうことが元増田には書かれてるからなあ
就職できたとしても「普通の就活」とは違う!って煩い人に色々言われるって話なんじゃない、それで「詰み」とまでは言われたくないけど
(トラバ先とは直接は関係ない、連想したという立ち位置の話。)
高校生が創作者を目指そうとするのを「人生棒に振る」からやめろって主張する人がいるって前とげったかなんかで話題になってたのを思い出した。
勿論そういうコンテンツ系の学校に行くことになったけど結果が伴わずみたいな末路を想定してのことなのだろうなとは思う。
だけど実際は単に創作をするだけなら、普通の大学とかに進学してサークル活動でもなんでもやればいい。
その中でネットで発表したり、新人賞に応募したりしたって良い。
そういうことをやりながら、文芸サークルでの活動をひとつの「ガクチカ」として一般企業に就職したって人も自分の時代ではたくさんいた。
今の時代はそういうのはどういうふうに受け止められているのだろう。
まあそういうのであっても、例えばテニスサークルとかに入って就活ガチった人に比べたらみたいな点で棒に振ったといわれることがあるのも現実ではあるが。
例えば、2023年卒の学生(現3年生)の中で、早くに動き出している層は、既に業界研究や自己分析を済ませ、夏季インターンシップに応募する企業を選別している。
企業側の優秀層を早期確保したいという思いと、学生側の早くに内定が欲しいという思いが一致して、その傾向が年々増している。
その上、本選考開始時期は変わらない企業もあるので(特に大手企業)、長期化しやすい。
5月から就活スタートして、翌年の夏まで就活、なんてことも普通にあり得る。
期間が長いということは、学生への負担も大きく、その分、疲弊しやすいということである。
コロナの影響で、インターンシップ、企業セミナー、面接、全てオンラインで完結する企業が増えている。
一度も来社せず、内定が出ることが普通になりつつある。オフィスやそこで働く社員の雰囲気も分からない。そもそも、就職活動において外出することが減っている。
インターンシップで同じグループだった人と、終わった後に飲みに行ったり、企業セミナーで隣になった人と帰り道に雑談したり、、
今の社会人にとっては就活において普通だったことが出来ない。(出来る確率が格段に減っている。)
同じ業界を志望している人と知り合って、そこから色んな企業知ったり、悩みを相談しあったりしてお互いに励ましあったり、そんなことが出来ない。
大学の友達と会って話すことはあるかもしれないが、コミュニティを広げる難易度は大幅に上がっている。
そういう学生はどうするか?
「内定◯個目獲得!余裕だわ〜今の時点で一つも内定取れていない学生って何してたの?」
等と煽ったりしていて、不安が更に増す。
(想像力の無い人間がする酷い行為だと思う。本当に優秀な学生はこんな投稿はしないので、気にしなくて良い。)
コロナで留学が中止になった、サークル活動もできなくなった、研究室も行けない、バイトもクビになった、、
そんな学生が本当に多い。
それでも、面接官は「学生時代頑張ったことは?力を入れたことは?」と聞く。
内容自体は大きなことを求めている訳ではないのだが、「そんなこと言われても何もないよ、、」と自己分析して落ち込む学生も多いだろう。
勿論、コロナ禍でも、しっかりとしたエピソードを持って面接に臨む学生も一定数いる。
2022年卒までの学生はまだコロナ禍前に大学生活を経験しているので、比較的その割合は高かったが、2023年卒以降はさらに辛くなるだろう。
ここまで読んで、強い人は言うだろう
「それでも、みんな条件は同じ。時代に対応できた人が生き残るだけの話。対応できなかったら自己責任だ。」
私自身も就活では色々悩んだ方だが、就活の中で出会った仲間や、社会人に悩みを話すことで、気持ちを保ていたからだ。
就活で悩んでいる学生は、周囲の人間をめちゃくちゃ頼って欲しい。
まずは両親。仲の良い友達。勿論、就活で出来た仲間がいるならその人達。
また、紹介してもらうのも手だ。自分の近くにいる人達から、その先の相談になってくれそうな人を紹介してもらう。
歳が近いので、話しやすいだろうし、今の1〜2年目はコロナ禍での研修等を経験していて、オンラインでのコミュニケーションに慣れている。
1年目は勿論、コロナ禍での就活も経験している。友達経由で大学の先輩を紹介してもらってZoomで話す、とかが良いだろう。
在宅勤務も増えているし、都合はつけやすいはずだ。
そして、逆にこれを読んでいる社会人の皆さんには周りに就活生がいたら、最大限サポートしてあげて欲しい。
皆さんの想像以上に今の就活生は悩みを抱えているし、相談する機会が無い。
ちょっとした励ましやアドバイスが、大きな勇気になるはずなのです。
こんな大変な時代に就活をしたという経験は、皆さんの今後の人生で絶対に大きな力になると思う。
これは、本当に心から思うが、企業は君たちに期待している。何故なら、君たちは「ZOOMネイティブ世代」だからだ。
今の就活生を見ていると、本当にオンラインでコミュニケーションを取ること、自分をアピールすること、人の話を聞くことに慣れている。
うちの会社でも中堅層やベテランの社員でZOOMやTeamsの使い方を知らない人がなんと多いことか、、
その中でも、オンライン上でも、リアルと同様に自分をアピール出来る人材は少ない。オンラインだと照れたり、上手く話せない人が多い。
就活で多数のオンラインでの面接を経験した君達は、既にその力が付いている。自信を持って欲しい。
社会人になって数年して、
「あのコロナの時代に、俺就活してたんだぜ!そう!ちょうど東京五輪が中止になった時!ほんま大変だったわ、、でも今となってはいい思い出かな〜」
って後輩に飲みの席で自慢してやったらいいと思う!
この5月時点で内定が出ていない4年生は、不安に感じている人も多いかもしれないが、焦らず、自信を持って、周りを頼りつつ、頑張って欲しい。
23卒の大学生に向けて思うことをつらつらと書いていく。ちなみにあまり大した内容ではないなので、ダラダラとでも呼んでくれたらうれしい。
※この記事は軽く炎上しそうな内容を含んでいます。嫌なら読むな。
まず最初に私の簡単な紹介。日本では3番目ぐらいの旧帝大4年の文系だ。
そして大学1年生の時にはベンチャー企業を興そうと奮闘した経験がある。なので、この記事はそういった視点から書いたものだ。
箇条書きで書いていく。ちなみに大手病自体は定義が色々とあるが、この記事ではおそらく最も多いであろう(と個人で思っている)定義
「みんなが知っている企業に入りたい」病とする。
就活ブログとかを見ているとプライドが高いから~みたいなわけのわからない記事ばかりでうんざりする。そうじゃない。中小企業の情報が全くと言っていいほどないのだ。就活ブロガーとかは中小企業も見ましょうね~ といって終わる。おいおい、何を書いているのだ。そこは、こうすれば優良中小企業も見つけられますよとか書いておくべきだ(まあ書いてある場合ほとんどアフィリエイトサイトで収益目当てなことが多・・)
余談だが、自分もブロガーで実はそこそこ稼いでいるので、他の人にアドバイスをすることがある。一度こうした就活ブログを書いているやつがいて、ダメだしをした。そいつは「いや、中小も受けろって書いてありますよ!」と偉そうに反論してきた。
なるほど、お前は東大行きたいやつに対して「たくさん勉強しろ」としか言わない奴かと皮肉を込めて言ったが、伝わらなかった。稼げないアフィカスブロガーの恐ろしさを知った瞬間だった。
基本的に大手企業の方が面接で何を聞かれたかは充実している。ma○cherなどOB訪問を支援するサイトはあるが、やはり大手企業の方が登録者が充実している。
また、one care○rなど面接で何を聞かれたかについても充実している。ちなみに私自身は、中小も受けているが、はっきり言って大手の方が企業研究および対策がしやすかった。最初に内定が出たのも大手だった。
まず就活アドバイザー(通称:ブラック企業仲介業者)は「今の時代は大手でも安定じゃない」と言っている。そりゃそうだ。どこの企業だって潰れる可能性はある。でも、たいていは大手の方が中小やベンチャーよりも潰れるリスクは低い。なぜ大企業がいいかはこの後詳しく説明する。
大手病の克服方法として、BtoB企業を進める人がいる。BtoBはBusiness to Businessの略で、企業がお客さんの会社だ。こういった企業はTVCMをそこまで打たないので、知名度は高くない。そのため、狙いやすいと言われ、大手病の記事を見るとよく書いてある。業界で言うとゴムやガラス、繊維、工業機械などだ。
でも、こうした企業に対して志望動機などない。工学部だと何かはあるだろうが、文系の学生はどうすればよいのだろうか。
(一応ヒントとしては、企業理念と自分の就活の軸が一致したとか企業の姿勢と自分のガクチカを絡める・・というのがある)
まあほとんどの学生はこうした企業に興味がない。だいたい40年働くのだ。一体ゴムやガラスに対してどのような思いを抱えて働いていかないといけないのか。
ちなみにBtoBで働いている社員の方に「なぜ御社で働いているのか?」と聞いたことがある。少しむっとされて、企業理念に共感したと答えていた。
さて、続いて23卒の就活生たちになぜ大手がいいのか、まあ言われなくても分かっているとは思うが、私も就活でストレスがたまったのでダラダラと書かせてほしい。いずれ就活に詰まった時とか大手への就職が終わった後にでも見てくれ。たぶん面白いから。
基本的に給与や休みが多く取れるのは大手の方だ。そうじゃない大手もあると反論するやつもいるが、そういった会社は受けなければいいだけだ。
給与が低くて、休みが少ない中小企業の方がたくさんある。受けない会社でギャーギャーいうのはやめてほしい。
2、ベンチャーの「意思決定のスピードが速い」は本当に魅力的か?
ベンチャーの会社の説明会に参加すると必ずいわれるうちは意思決定のスピードが速いと聞く。ベンチャーを起業した時になぜそろいもそろってこんなアピールをするのか知った。
ベンチャーは基本的に大手と比べて、人材・知名度・資本金の点で負けている。そのために、大手に勝てるとしたらスピードしかない。実際この話はベンチャーを起業しようとした時に先輩から聞いた話だ。なのでスピードをやたらと自慢してくる。
ちなみにだが、ビジネスの世界はあくまで顧客のニーズに答えたやつが勝つ。スピードも重要っちゃ重要だが顧客のニーズに答えられるかの方がはるかに重要だ。
それに学生にとっては給料もらえるかとかの方が重要だろう。それならデータとかがしっかりある大手に行くべきだ。
成長できる というがただ単に業務をたくさん振られるだけだ。長所は短所に言い換えられるというがその詐欺をやっていいのは学生だけだろう。
また書きたくなったら追記する。
私はきっと自殺するでしょう。たぶん30歳くらいまでには
若いとおもいましたねwww?
いやもう私は死にたいのです
ガクチカとして卒業論文(私は現在M2)でつくりあげたシミュレーションモデル(完全に一から作り上げた。ちなみに非情報系)をつかってるのですがうまくいきません
まあ高校は高校教師に吃音いじられてそれを教師の弱みにして出席日数足りずにそれで卒業した卑怯者なんですけどね
浪人してそこそこの国立大学入ったのに結局うまくいきませんでした
なんだかんだ頑張ったのに、社会は私のことをいらない(まあとっくにわかってた。だってみとめられたこともないし)
ああ、うまくいかない
マッチングアプリで作った同い年同じ大学の彼女(顔はかわいくないけど、頭はいい。私のことわかってくれると思ってたけど医療かじってるから表面だけわかる中途半端な嫌な奴だと今気づいた)
は、就活状況に対してDisってくる。まあ薬学部で成績よかったもんね。僕のことわかったふりして傷つけるの得意だったよね。まあいいやもう連絡しません
理解者のふりして自然にマウントとってくるやつが多い(西成にマウントとりにいったくそ女とか)
ああ、女っていいよな。馬鹿でも顔がよくて頭いい振りすればまともに生きれるんだし
それは私がここ一年てんかんのような症状で三度病院にはこばれたからです
私は今まで、うつ病、発達障害、吃音を隠すように生活してきました
もう生きたくないです