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2024-04-22

40代後半の転職活動

2023年秋まで外資系IT企業に勤めていた。本国レイオフの影響を日本法人も受けて無職に。社内異動も提示されたが、辞めるなら6ヶ月分の給与ボーナスをもらえるとのことで家族了解も得ず、勢いでサインしてしまった。まあしばらくのキャリアブレイクの後に、のんびり転職活動すればいいかと思った。しかし、思いのほか苦戦して4月まで引きずってしまったので、恥さらしだがここに記しておく。

スペック

2023年

知り合いや取引先に「いや〜外資系あるあるなんですよw」「御社にいいポジションあれば入れてもらえませんかw」などと軽い気持ちで打診していた。面接の設定はトントン拍子に進むし、代表者と即話せることが多いのだが、シニアなわりにCxOやVPでもなく、中途半端に前職年収が高い(1800万)のがネックで、「うちにはオーバースペックですねえw」「会社フェーズカルチャー的にフィットしないと思いますよw」などと体よく断られることが多かった。まあそんなこともあるか、すぐに他が見つかるだろうし、などと考えていたが今思うととんでもない思い上がりである。要は40代後半の文系で専門スキルなし(狭い業務領域ドメイン知識と多少のピープルマネジメント経験がある程度)の高コストおっさんであり、何度も断られるのには理由があったといえる。

2024年

年が明けてハロワに行き、国民年金に切り替え、社保の継続加入手続きiDeCoの変更などをしていくうちに、焦りが出てきた。何度面接しても結果が出ないのである3月末時点で書類落ち(転職エージェント転職サイトボタン一つで気軽に応募)は100件を超え、転職エージェントとの面談20件になった。企業とのカジュアル面談20社、落とされた面接は30社に上っていた。準備時間を含めてそれぞれにそれなりに時間コスト(本を買ったりウェブを読んだり)をかけているので、本命と思っているところから失礼なフィードバックがあったときは心が折れかけた。特に許せないのが某(意識高い系ニュースプラットフォーム運営企業ポジションを探して10回も面接をしたあげく、途中で社内の組織変更があったという不明瞭な理由募集ポジション消滅して見送り。それでも何とか心を保てていたのは、少し蓄えがあったのと、酒と麻雀スパ巡りを暇にかまけて再開したおかげかもしれない。…まじでおっさん趣味じゃないか

結局、先週になって前職の知人に紹介された外資系某社で拾ってもらえることになった。やっぱり外資フラット人間関係と高い年収の魅力には勝てないのよ。他には日系、大手スタートアップ含めいろいろ受けたが、本当の意味で入りたいと思えたのは某クラウド、某テレビ局、某AI関連企業の3社だけだった。都合50社と会ったとしても、社会人としてのキャリアの最終盤に「身を置いてもいい」と思えたところは1割にも満たなかった。若さが失われてリスク許容度が下がっているのと無関係ではないと思うが、その企業サービスプロダクトに対して「新しいものが新しく見えない」ようになっているのが最も大きな要因だと思う。40代後半ともなると成長しない企業や楽しくなさそうな企業SaaSスタートアップに多い)の見分けはつくようになるものだ。

というわけで、おっさんがやむにやまれ転職しようと思うと、受け入れてもらえるところに妥協してでも入るというスタンスになりがちだし、数打ちゃ当たると思ってしまうけれど、それでも結構時間がかかりますよというお話でした。

その他

2023-10-16

バカとのやり取り

リーマンショック内定取り消し内定取り消しされた学生対象とする就活内定獲得するも連鎖倒産して内定ないまま卒業派遣就職するも正社員となる前に派遣切り→同じく内定取り消しされて派遣就職してた大学同級生である彼女職場正社員の先輩と結婚景気回復するも時既に遅し→実家に帰り漫画家として一発逆転を目指すも両親から言葉暴力虐待あい家出倉庫での積み込みと介護施設で食い繋いでいたものの、膝と腰を壊し現在一人暮らししながら生活保護受給する独身中年男性

不定期で家にやってくるバカ公僕とのやりとりを紹介。

バカ公僕「同じ町内のご実家に帰られて、一度ご両親のお世話になりながら就労支援などを受けられては?ご両親は健康なようですし」

俺「父から暴言を浴びせられるので。被害届出てるので確認してください」

バカ公僕「……身体故障のある従業員にも理解があり、軽作業の割り当てが可能企業求人がありますよ」

俺「身体故障のあることを理解しておきながら事務職ではなく軽「作業」ですか?」

バカ公僕「……また来ますね〜」

俺「もう来なくていいですよ。来るならもっと話の通じる人でお願いします」

バカ公僕「……」

2023-09-26

税務官僚だった頃の思い出 Part3/3


思い出⑤ 転職を決意した時

 40代前半になり、管理職意識した仕事の進め方(実務中心→マネジメントへ)を検討しはじめた頃だった。ずっと同じ部署で働いていたわけではないが、新卒からほぼずっと法人課税一本だった。

 そんな折、数個年上の同僚のひとりであるN君が「今年度いっぱいで辞めて転職するから」と言ってきた(ビットコインの件で苦しんでいた人だ)。職場飲み会の帰りで、飲み直しで別の店に入った時だった。少しばかり仕事で縁のあった会計コンサル内定を得たという。

 「なんで辞めるの?」と聞くと、「昨年課長にはなったけど、どこまでいっても組織歯車で、それだったらまだいいけど……国民のために役に立っているとは思えない。だったら民間の方がいい。自分仕事力は、広く社会のために使いたい」といった答えが返ってきた。「上司と人事には退職の旨を話してある」という。

 私は、そこまで高邁なことを考えるタイプではない。どこか仕事から引いたところがあって、上から60点の成果を求められた時、80を出せる時でもあえて70の成果を出す。残り10の余力は、いざという時のためにとっておく。そういうタイプだった。

 できるなら上の方まで昇進したいとは考えていたが、審議官とか、次長とか、長官とか、そういう地位はむしろ遠慮したかったし、私の学歴だと奇跡が起きても難しい。職務自体は好きだったから、できれば長い間やりたいとは思っていたが。

 そのN君は、私などよりも公僕に向いている。いつも全力だからだ。そういう人だった。今回、自分の力を社会のために役立てたいという想いを聞いたが、嘘偽りはないと感じた。

 数か月後、私は「絶対にここを辞めてやる」と決意することになった。N君の退職が認められなかったからだ。それで結局、N君は内定先を辞退することになった。伝聞での話になるが、N君の内定先には「霞が関事情説明する」という名目での情報共有(という名の転職妨害)が入ったのだという。

 民間の方には事情がわかりにくいと思う。まずは次の規則を読んでほしい。

人事院規則八―一二職員の任免)

(辞職)

第五十一条 任命権者は、職員から書面をもって辞職の申出があったときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。

 公務員の任免というのは、民法上の雇用契約が基底にある。そのうえで、国家公務員法人事院規則により公法上の契約関係構成する。ざっくりいうと、行政事務職の公務員サラリーマンということだ。労基法適用されないからといって、隔絶した存在ではない。現業職公務員だと、よりサラリーマンに近い扱いになる(団結権があるなど)。

 上の人事院規則は、公務員のみならず民間業界をも拘束する。当規則国家公務員法国会議決から委任を受けているからだ。

 N君の例だと、別の内規により人事院規則第51条が課長補佐以上には厳しく適用されるのに加え、「再就職に関する規制」に該当するおそれがあったのだろう。それゆえ、転職目的としての辞職が認められなかった。

 結局、N君はどうしたのかというと……私が辞める時点では在職していたが……少し述べると、あれから転職活動をしたが失敗に終わったらしい。40代半ばで、国家公務員としての経験しかないN君は転職市場では必然不利になる。

 N君に興味のある会社があったとして、N君からすれば入りたい会社ではなかったという。とはいえ、税務や会計会社を選ぶとまた転職できない可能性がある。かくして、N君は今でも霞が関のどこかで働いている。どうか幸せでいてほしい。

 「こいつらクソだな」と思った。たかだか数年前に1回契約したっきりのコンサルに移るくらい、認めてやってもいいじゃないか。厳密にいうと再就職規制にかかってしまうのかもしれないが、それでもいいだろう。仲間なんだから

 当時は怒りでいっぱいだった。今はとうに収まっているが。所詮は、その程度の仲間意識しか持てない連中の集まりだったのだ――と今では達観している。



思い出⑥ 転職活動転職した後

 繰り返すが、四十前半であれば課長管理職)になってもおかしくはない。平均的には43,44ほどで課長に昇進するイメージがあった。早くミッション遂行しなければならない。

 転職活動を始めることにした。この時、妻はすでに亡くなっていた。子どもふたりいたが、先ほど書いたとおり、霞が関の一人親に子育て不可能であるため実家に預けている。妻が存命だったなら、転職活動自体していなかったかもしれない。

 この時は、リクナビも有名になっていた。転職エージェントネットで探せる時代になっていた。さっそく求人を探していくも、自分に合った仕事は見つかりそうにない。リクルートエージェントにも登録して、毎日少ない自由時間を使って求人を確かめていき、平行して求人応募に最低限必要ドキュメントを作っていった。

 転職活動スタートから三ヶ月ほど経った頃は、こんな状況だった。希望条件には、就業場所入社時期や休業制度や、もっとかい事項もあったが省略する。



【当時の転職活動方針】 ※やしお氏リスペクト

1 どの業界(会社)に応募するか?

 一 コンサル希望

  ア 今の仕事が「説明」「説得」であるため

  イ 専門性を高められる業界がいい

  ウ パワポ職人としての腕も活かしたい

 二 職務内容に拘らない

  ア どんな仕事でもやっていれば好きになる

  イ それよりもどんな人と働けるかが大事

  ウ 嫌な人と一緒にいるストレス想像以上(仏陀も言ってる)

 三 ベンチャーなどリスク高は除く

  ア 突然の内定取り消しや事業悪化可能

  イ カルチャーフィットしない可能性あり

  ウ これまでの企業文化と合っていない

2 職務概要職務経歴書

 一 徴税吏員としての経験を活かす

  ア 相手企業との折衝

  イ 過去判例を読みつつ方針決定

  ウ 最後正論で押し切る

 二 税制改革企画・調整

  ア 上級行政庁が決めたものをかみ砕いて整理する

  イ 全体向けに説明した後、現場レベル立脚した観点で是非を整理

  ウ 上の人間が本番の会議で話しやす資料作り

 三 新税務システム検討や導入支援

  ア コンサル組織内部と密に打ち合わせしつつ完成→検査検収

  ※この箇所は、文字ばかりで窮屈~というエージェントからの指摘あり

   後に、図表を効果的に使ったものに置き換えた

3 会社に求める条件

 一 及第点の実力があれば定時退社できて休日出勤もない

  ア 息子と娘を遊園地などに連れていきたい

  イ 一日にちょっと趣味をやりたい

  ウ この年になるとゆっくりしたいのもある

 二 風通しがいいこと

  ア 息をするように自然議論ができる職場か?

  イ 怒鳴ったり急に泣き出したり、負の感情を吐き出す社員はいいか

  ウ 自分が感じたことを素直に言い合える環境か?

 三 評価基準が明確であること

  ア 前の職場不明確だったので。データによらずに上司が決めるなど。

  イ 低い査定でも納得できるだけの客観性を求む

  ウ 低評価社員をすぐに見捨てたりクビにするのはNG

   ※本当に役に立つ人間勤務評定では判別できない

 四 給料度外視

  ア お金にこだわっても仕事は見つからない

  イ ずっと続けられる好きな仕事にしていきたい

  イ 子がいるので額面700万はほしい。今の年収△200万円までOK



 とまあ、いろいろ考えはしたが……結局、税務コンサルにした。スキルを活かせるうえに、さらに磨くこともできる。そのうえ、応募に必要資格である税理士免許もある。応募要項には「事業会社での税務実務経験5年以上」とか「同業界リーダーシップを発揮された経験3年以上」とか「M&A、組織再編、事業統合事業再生等の案件に対する税務コンサルティング経験」とか、該当していない要件があった。

 だが一方では、「上場企業外資系企業などに対する税務申告書作成業務」など、こちらの十八番ルールを作ったり審査する側)とも言える要件もあった。当てはまるかもしれない。

 こちらの日系大手の税務コンサルを受けたいと転職エージェントに告げたところ、「要件については、体感6割でいいので。ほかにも何社か受けた方がいいですね。増田さんの場合は、最低15社は受けましょう」とアドバイスをもらった。

 言いたいことはわかったが、こういうのは絞るべきだと感じた。一気に15社受けるのではなく、3社を5回に分けるなど、そういうやり方がいいと思った。※よく考えると、転職エージェント転職希望者は利益背反の関係にある。転職エージェントとしては、ほどほど短い期間で離職しそうな会社を勧めるのがメリットからだ。

 かくして、税務コンサルのうち、外資系大手・日系大手・日系準大手の3つにエントリーした。うち2社が書類選考を通過し、一緒に働くであろう仲間との数度の面接を経た後に、幹部社員とも話をさせてもらい、最終的に2社の内定を得た。

 決め手として、一番好感があった会社を選んだ。やはり、一緒に働く仲間――これがマストだった。上の3つでいうと日系準大手になる。

 こちらの会社は、昔仕事でお世話になったことがあった。直接契約を交わしたことはないのだが。とある相談案件を通じて、互いの知見を高めることができた……とこちらは認識していた。その会社は、国税庁を不当課税処分で訴えたことがあったのが気になったが、今さら大した問題ではない。

 次は、どうやって上司転職を伝えるか考える必要がある。まともにやってしまうと、N君の時のように無理筋なことをされる可能性がある。公務員退職にあたっての厳密な許可制再就職規制は、当時の私の役職課長補佐)だとばっちり適用される。※20代とかの若手だと、基準を緩めてもらえるらしい。

 「年度末で退職します」と告げた時の直属の上司の顔を覚えている。諦めと怨嗟が混じったような顔つきだった。一応遺留は受けたものの、上司もわかっていたようで、最後には「これまでお疲れ様。次のところでもうまくやれるように。ただ、辞職が認められたらいいけどな。俺は無条件に認めるけど」と言っていた。後は、人事による退職ヒアリングを残すのみだ。

 思案した結果、退職ヒアリングにおいては、内定を得ていた会社のうち辞退するところを転職先として告げることにした。入社予定の日系準大手は、一応これまでの取引先には当たらないが、関係先に該当すると見做されるおそれがあった。N君の二の舞だけは御免だった。絶対に避けたい。今ここで、今ここで就職しておきたい。絶対に!!

 証拠書類として、第二志望だった外資系大手オファーレターの写しを人事ヒアリングで提出したところ、それから約一週間ほどか、何事もなかったように辞職の許可下りた。そこから、残りの約二ヶ月半の間で引継資料を作り、3月の初め頃には仕事を引き受ける人に業務説明をして、懸念事項の対処方法の素案を示して、最後職場内で気を付けるべきことを述べて……それから数日後、私は職場を跡にした。



 転職成功した。一度下った辞職許可である、春先になって覆されることはない。覆そうにも、4月の時点ですでに民間企業との雇用契約が成立している。どうしようもない。私は管理職ではないからして、そこまで大事にならないはずだ。

 実際、春先になってすぐ、雇用保険健康保険手続き関係で、私の勤め先は元職場に知られることになったろう。それでも、私に元職場から電話がかかってくることはなかった――転職成功したのだ。

 新しくスタートした税務コンサルティングの仕事は、私にピッタリ合っていた。最初の1年間は、向こうの会社でいうところの雑巾がけ(企業の予定納税額の調べ、特定の申告方法の可否の問い合わせ、税制改正の動向調査)に当たる仕事だった。これまでの経験が活かせる、いい仕事出会うことができた。

 定時退社が実現し、給与は少しだけ上がり、休暇日数も増えて、福利厚生も十分だった。何より、一緒に働く仲間だ。自然な話し合いができる。暴言を吐く者や、怒りや悲しみの感情をぶちまける者や、不貞腐れる者もいない。言いたいことを言い合える。

 反対意見に弱い人達じゃなくて、なんというか、「精神的に健康」というか。自分と考えの違う人の反論に耳を傾けることができる。それでいて、自分意見として昇華できる。そんな人達だ。

 いい職場に移ることができた。運がよかった。太陽が昇っている時間に家に帰れるなど、私にとっては夢のひとつだった。夕焼けは近かったものの、まだ青空が残っている部分を見上げると、子どもの頃に読んだ児童作品を思い出した。少し前にも思い出そうとしていたっけ。きっかけは忘れたが。

 タイトルは、『ちいちゃんかげぶんしん』だった。時代背景は、太平洋戦争の末期だ。ネタバレは避けるけれども、ちいちゃんという女の子家族と一緒にやった『かげおくり』という遊びを通して、戦争反対を訴えるものだ。

 かげおくりというのは、地面に映った影法師をしばらく見てから青空に目をやると、網膜に焼き付いた影の残像が空に映ってみえるというものだ。未成年だった頃の私の心にドスンとき作品だった。増田民にも是非おすすめする。

 晴れ晴れとした気分だった。それからマイホームで羽をのばした。なにしろ毎日が定時帰りなのだから子ども実家から引き取るまでの間、家でゴロゴロしたり、趣味に勤しんだり、妻の遺品を整理したり、平穏な日々を過ごした。

 暇な時間を使って、『犬神さんと猫山さん』のBlu-rayディスクを購入して観た。やはり、何も考えずに見られる。1話CM込みで5分なのもいい。最終回は、花火大会だった。今まで出てきたキャラクターがみんな登場して、最後ふたり花火を見上げながら手を繋いだところでエンドだった。

 ネット掲示板を読んだところ、原作漫画(※記念に1巻を購入)の方は、残念ながら打ち切りのような結果だったらしい。作者も若い人だから、いろいろと苦労があったのかもしれない。でも、あの作品面白いと思った人がたくさんいるのだと――作者に知ってもらえたら幸いだ。

 私のようなおじさんが楽しめたのだから若い人だったらもっと楽しめる。面白い作品に違いない。できれば15分枠のアニメだったらよかった。

 たった三ヶ月の間だったが、思い出に残るアニメだった。ありがとうございました。



 ここまで書き終えて、今は自室にあるパソコン机の前で一息ついている。携帯電話の通知を見ようか、それともコーヒーを飲もうか、ボーッとするのもいいかなと、いろいろ考えている。

 税務官僚だった頃に比べると、今は幸せだ。そのうち慣れるとは思っていたが、あの辛かった日々を思い出すと、しみじみ幸せに思えてくる。不思議かな、辛かった日々であればあるほど、思い出す時に幸せな気分になる。なぜだろうか。

 そんな思いに捉われて、ふと携帯電話を拾い上げた私は、デリヘルでも呼ぼうかと思い、アドレス帳を開いた。お気に入りの子脳裏に浮かんでくる。

 ここで思い留まった。そうだ、先日誓ったばかりじゃないか。もう風俗店を利用するのは辞めようと。昔はよくソープに行ったり、デリヘルを呼んだりしていたけれども、もうしない。そういう店は利用しないと決めていた。

 長い日記になった。ゆっくり読んでもらえばいいし、わかりにくいところや、興味のないところは飛ばしてもたぶん理解できる。

 今回、昔のことを振り返ることができてよかった。書いている最中、じんわりとした幸せが込み上げてきた。この幸運感謝したい。



(追伸)

 上で挙げたN君だが、半年前に話をする機会があった。今でも彼は、どうにか転職ができないか模索しているらしかった。裏技を使おうかとも言っていた。さすがにここでは言えないが。

 N君の転職活動成功する未来を祈っている。彼は独身から、私よりは選ぶ会社自由が利くだろう。彼の多幸を願って日記の結びとする。

2023-07-24

anond:20230723181923

2009年卒だからわかるよ。

あのときは、過剰な売り手市場就活おかしくなってるって論調記事をよく見た。

ただ、内定ポンポン出るとはいえ、それは一部の優秀な人に対してだったから、俺みたいに面接の下手な奴はなかなか決まらなかったな。ただ、すぐに面接までは進めるから、場数を踏みまくることで面接に慣れて、今の会社内定を貰えたよ。だから1年ずれたら就職できなかったんじゃないのかという恐怖感は当時あったわ。

ちなみにリーマンショックによる内定取り消しが騒がれてたけど、少なくとも知り合いにはおらんかったし、○○が内定取り消しになったみたいだぞ!って噂すら耳にしなかったから、なんだかんだでこの世代はほぼ逃げ切ったイメージ

マスコミを騒がせた内定取り消しの会社って、年度末に潰れてたから、本当にリーマンショックの直撃を食らって、にっちもさっちもいかなくなってたんだろうな。

2023-07-18

anond:20230718000650

リーマンショックはあらかた就活終わってから来てるから内定取り消しされた一部の可哀想な奴を除いて、2009年卒は逃げ切ってるぞ

2023-07-15

anond:20230715104312

いやいや価値観っていうのはさ、「こうあるべき」って理想で決まるわけじゃなくて時代的、制度的、物理要請に基づいて、なし崩し的に決まってしまものなんだよ

 

たとえば就活を考えてみろよ

一昔前は採用側が強くて、応募側が弱い買い手市場だったか圧迫面接内定取り消しがまかり通っていた

でも今では少子化による空前の人手不足で圧倒的に応募側が強い超売り手市場になったので、圧迫面接なんて完全に消えたし、応募側が企業に対して強気に出るのが当たり前になった

 

翻って男女の話になるが、恋愛市場においては(若い)女が圧倒的に強い

なぜなら統計にもあるように、女の場合20代の女は20代の男を望むが、男は20代も30代も40代も50代もそのまた上も、全ての世代において20代の女を望むから

仮に全ての世代一定数だと仮定しても、20代の女を1とするとそれを望む男の数は20代~70代で6になる

1:6の比率、つまり6倍の倍率だ

実際には少子高齢化若い女の数より老若男の数が異常に多いのでとんでもない倍率になっているのが現状だ

このように(若い)女が圧倒的に強い市場において、「女が男に告白する価値観にした方がいい!」と理想論を唱えたところで何の役にも立たない

かつての就活現場において、圧迫面接はやめましょうと唱えたところで何の意味もなかったのと同じことだ

世迷い事を言う前に現実をみろ

 

きみらがバカげた理想論を唱えている隙に手練れのオッサン粛々と若い)女にアプローチしてモノにしていっているぞ

2023-06-22

anond:20230621210336

氷河期第二世代だよ

Wikiを見たら氷河期世代って2回あるんだね、自分の辛かった就活2011年2012年(つまり11卒)だから第二世代にあたる気がする。

朧気な記憶辛酸を舐めた感覚けがトラウマ的に残っているから、忘れ去る前にだれかに知って欲しいと思って書き残す。

2011年はすでに「リクナビ 」「マイナビ」が発達していて、基本的会社説明会はここからエントリーする形式だった。合同会社説明会国際展示場で何度も開かれていて、そこに行って説明会を聞くか、エントリーして説明会のご案内がもらえればそこに行く形だった。

就活全体としては、説明会ESSPI/適正テスト面接グループディスカッション、一次面接二次面接〜中略〜最終(五次)面接)→内々定のような流れ。説明会に行くのは必須

何回も説明会に行って、何回も大学支援センターESで直してもらっても大体は書類で落ち続けているうちに、3月3.11が起きた。

行こうとしていたNY行きの卒業旅行の3日前で、戸惑いながらキャンセルの連絡したら、向こうの代理店日本人の方が、すごく丁寧かつ心配そうに良きに計らってくれて、問題なくキャンセルできて「あぁすごいことが起きたんだもんな」とぼんやりと思ったのを覚えている。

(翌年の世代さら就活が厳しくなった)

それからクソ暑い真夏リクルートスーツを着続けた、暑くて辛くて惨めで、死にたくなったのを覚えている。同卒の学生は顔が良い人や、コミュ力の高い人から卒業前に内定を勝ち取っていったのを見ながら、自分絶望しつつ頑張っていた。「お祈りメール」を読む日々のなかで、唯一お断りとともに自社製品を送ってくれたカゴメのことは今でも好きだ。戦略だとしても唯一優しくしてくれた企業だったので、喜んで掌の上で踊りたい。それくらい会社という社会からの拒絶感に病んでいっていた。内々定3月にもらった友人が4月内定取り消しを受けていた。内定取消し、圧迫面接問題とされていたけど普通に起きていた時代だった。今みたいにSNSが発達していなかったから、個人晒しあげる手段空気もなく、不当だと感じつつ割と泣き寝入りしていた気がする。

就職したのは東京の小さなIT企業だった、25歳〜30歳の先輩はおらず、30歳以降の先輩は高卒しかいなくて、雰囲気全然違って「なんだここは」と戸惑っていたのを覚えている。10卒の若干イケメンの先輩は明治卒だった。そんな時代だった。大田区工場みたいな作業場で作ったものを、お客さんに届けるルートセールスを数年やった。客先からセクハラを受けて(手を舐められる、胸を突かれる、接待で連絡先を聞かれた後に帰宅時に付き合ってほしいとメールが来る)(今でも恨んでいるぞ中◯製◯)営業からはずしてもらったけど、セクハラサービス残業20-50h)も仕方ないよね、って時代だった。むしろ会社としては優しい方だったと思う。

会社が傾いてきて人員整理を始めたから波に乗って辞めた。半年アルバイトをしつつ就活した。運良くバイト先で社員登用されて希望業界転職できた。なんでかそこで人事を数年やったんだけど、12卒だけ圧倒的に「性格が良く仕事もできる子」が多くて、しみじみと氷河期を実感した。あの子達も時代が違えばもっと大手待遇の良い会社採用される人材だっただろうに…自分より不遇だな…となんだか時代の悲しさを思った。採用に関わった数年は、卒業年度によって応募してくる人達全然変わることをすごく実感した。

こうやって書いてて思うけど、第一氷河期の人たちの方がしんどそうだな、と思う。私達の頃は就活って大変なんでしょ?って認識があったし、就活自体過酷だったけど、悲惨レベル比較的マシ?なのかもしれない、母数も違うし。あと私みたいに20代のうちにキャリアを立て直せる可能性があった時代だった、私が25くらいから「第二新卒」って言葉で若手採用が行われて転職できるチャンスがあった。

ここ7-8年で「セクハラパワハラは悪!」「サービス残業なんてありえない!」「働き方改革!」「育休!」なんて風に怒涛のような労働のあり方が変わったよね。自分世代が無理なく育休が取れ始めた世代なのかな。これでも今の新卒とは見える景色全然違うんだろうな、私のときはこんな感じだった。良ければ他の世代の話も聞きたい。

2023-06-21

anond:20230620104704

就職、冬の時代なんて言われてたんだよね。最初は。

それがいつまで経っても春が来ないから誰かが「氷河期」と言い出した。

大学生内定取り消しニュースが出た時は、まだ高3くらいだったと思う。私が就活する時じゃなくてよかったなと思った。お花畑だったから、これは一時的不景気で、すぐにまた(バブル期の)好景気…当時は平成景気と言う人もいた、に戻ると思い込んでいた。

Z世代はこれ突っ込んでいいよ。

で、97年に山一自主廃業ニュースがあって、その頃は公務員試験教員採用試験勉強をしている学生も多かった。

家に送られて来るマイナビの厚みが男子学生女子学生全然違ってた。当時京都に住んでて、住所がすごく長かったので、資料請求葉書を書くのが辛かった。

内定が出なかったので実家に戻って非常勤仕事をしてた。

2023-06-20

氷河期なんていわれた世代だよ

山一證券内定が決まってた同級生がいた世代。なので、記憶ちょっと曖昧なところもあるかもしれないが許してほしい。

山一廃業ニュースが流れた日、内定をもらっていたその人は大学に姿を見せなかった。翌日青白い顔をして現れ就職相談課へ向かったが、状況はどうにもならないようだった。

10人に内定を出していた企業は、2月になって1人を除いて内定取り消しを知らせてきた。そんなことがあちこちで起こった。

内定を取り消された者への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから不況からね。山一が倒れるくらいだから他の企業も潰れてもおかしくないだろう? そういうリスクがあるのはわかってるんだから、なんで公務員試験を受けなかった? そんな空気だった。もっと公務員試験教員採用試験も受けたところで採用される確率はとても低く、強いコネでもないと決まらない時代でもあった。

当時の空気感は今と全く違うし、知らない世代には通じないものがあると思う。そんな話をしていきたい。

まず、当時はインターネットがそんなに普及してなかった。地方に行くほどその傾向は高く、他所で何が起きているかを把握するまでに少し時間がかかった。一番早くてテレビそれから翌日届く朝刊。口コミの伝播も遅かった。東京流行っているファッションアイテム地方に届くまでにも、半年くらいかかっていた。

就職のための情報収集もとにかくアナログで、ホームページのある企業はまだ少なかったし、あっても用を成さなものと見做されていた。だからリクルートがくれる分厚いカタログについてくるハガキ資料請求

そんなことをしてると部屋中企業案内のカタログだらけ…になると思うだろ? 企業ハガキにある大学名を見て送ってこなかったりもしたから、そんなに増えないのだ。そして応募しても当たり前のように落ちるし、酷いところは結果も知らされない。絶対電話で結果は連絡しますといっても、かけてこない企業の方が圧倒的に多かった。電話代もいちいちかけるには高いもんな。当然封書での不採用通知ほとんどくることはなかった。履歴書も戻ってくることはほとんどなかった。

パソコンよりワープロのほうが普及していたけど、増田のいたゼミ卒論手書きで出してた割合の方が高かった。そして履歴書は当然手書き。当時はそんなソフトもない。(頑張れば履歴書も作れたかもしれないが、当時の手書き文化の前で認められることはなかっただろう)そんな手書き履歴書を何十、何百枚と書いて各企業に郵送していた。当然、コピーなど許されなかった。ペンだこができるまでボールペンを握り続けた。ちなみにボールペンも昔はたいして種類がなくてソフトグリップなんてものはまだ多くなかった。だから履歴書も手を真っ黒にして書き続けるしかなく、その多くが徒労に終わった。

ちなみにあの頃ケータイは高すぎて、学生は皆ピッチ(PHS)かポケベルを持ってた。田舎住まいだと実家に帰ると電波が入らなくて、履歴書にも家電の番号を書いていた。

しかしながら増田の周りの女子大生特に短大生の内定率は高かった。まだ腰掛けが当然の時代で、30歳前、早ければ25歳くらいで女性社員結婚理由にどんどん退社していく。つまり常に会社には若い女性が入れる隙間があった。そして企業がそんな若い女性に求めるのは、「将来的にいいお嫁さんとして最適な時代に辞めていくこと」でしかなく、学生側もそれを良しとしていた。総合職を目指す女子大生は求められていなかったのだ。そこは厳選された男子学生の席だった。

男女雇用均等法はまだ、あってないようなものだった。インターネットが普及していないかたから、今のように誰でも気軽に告発するようなこともできなかった。そういったことは共産党相談するしかなく、それはとても高いハードルだった。

氷河期世代理由に今も不遇をかこっているのがおじさんばかりなのもそこに理由がある。あの当時、女子大生短大生はサクッと内定を獲得し、数年働き、そのほとんどが結婚を機に職場を去っている。そして家を建て、車を買い子供を産んだ。

もちろん、そうはいかなかった女もいる。これを書いている増田だ。中学生の頃から母がフルタイムで働いていて、自分でもそうするのが当たり前だと思っていた。だから分不相応にも就職活動ではキャリアを目指したいなどと言ってしまった。

結果、どこにも決まらなかった。そんなものはまだ必要とされていない時代だったのだ。

内定先を見つけられないまま卒業式を迎えた。求人誌で見つけた大手企業アルバイトに応募したら案外あっさりと決まった。社員登用もありなんて書かれると人は弱い。そんなことは結局起きなかったが。

アルバイトながら4月1日に勤務開始。仕事は主に伝票計算。社保も厚生年金も入れず自分で払うと最低時給の給料は吹き飛んだ。そしてその職場には、同じく就職できなかった女子がいた。卒業した大学増田よりはるかに上のランクだった。こんな人でも決まらなかったのか。彼女はやはり25歳になる前にお見合いをして職場を去った。

増田も30前にしてやっと手に職をつけることができた。アルバイト先を辞めて実家を出て、なんとか就職できた。

数年働いた後、昔のバイト先が消滅したとバイト仲間から知らせを受けた。紙と手でチェックしていた伝票計算仕事が無事にすべてIT化され、施設自体が閉鎖、アルバイトも全員解雇されたのだ。

だが昔の仲間を労っている暇はなかった。キャリアも何もないアラサーの女は多少のことで辞めはしないだろうという激務につぐ激務で、体を壊した。

転職しようと就職支援会社に行くと「年齢とキャリアミスマッチですね」と言われ、紹介できる会社はないと遠回しに言われた。ずっとこの言葉はついて回るのかと思いながら、別の会社を経由して無事に転職した。このときにはもう、履歴書手書きで出す必要はないと言われた。いつのまにか時代は変わっていた。ネットに落ちているExcel履歴書ダウンロードして入力して、プリントアウトして提出した。あっさりしたものだった。

無事に転職した直後に、リーマンショックがきた。暮れのテレビでは派遣村ニュースをやっていて、自分もいつそこへ行ってもおかしくないと痛感した。当時付き合っていた人は不況煽りを受けて職場倒産し、その後変な山師みたいなおっさんについてベトナムに行くと言って連絡が取れなくなった。風の噂で今は日本にいると聞いたが、どうしているのかまでは知らない。

それから震災やら大コケするビッグプロジェクトやら家族との別れなど、色々なことに遭遇しながら、今も一人で生きている。会社は辞めたが、仕事はしている。久しぶりに自分健康保険国民年金を払ったら、思った以上に高くなっていた。この先もずっとこんな感じで生きていくと思う。職をつけてよかった。

増田には今、大学同級生たちとのつながりがほとんどない。世の中にSNSが普及したころ、彼女たちは子育ての真っ最中でそれどころではなかったのだ。Facebookで卒大のグループを見てもそれらしいアカウントは見つからなかった。かろうじて繋がっている数少ない友人たちもLINEをやるくらいで、SNS積極的に発信することはない。特に言うべきこともないからだ。

2023-06-17

anond:20230617095828

氷河期ってほどではないが内定取り消しで泣いた奴は結構いたという話

ANA内定取り消されて急遽金融に拾われて適応障害発症してVtuberになったやつ、とか

2023-03-17

36歳独身無職おじさんの年表

2005年

明治大学経営学部に進学する。

2008年

夏休み明けに内定取り消し内定取り消しされた学生対象として急遽行われた就活で別の企業から採用を貰うもその企業取引先が倒産した影響で内定取り消し。そのまま卒業

2009年

ファミレスアルバイトをしながら就活

2010年

同じく内定を取り消され派遣社員をしていた彼女から職場正社員結婚するとのことで振られる。

2012年

26歳にして介護施設事務職正社員として採用され歓喜しか初日から事務職ではなく介護作業を割り当てられる。「事務職ですが」と聞くと「男性でしょ?」とのみ返される。また介護士としての資格を取得しなければ試用期間後に採用し続けることは無理と言われ、介護士となる。

2017年

腰痛と膝痛が悪化退職する。

2018年

派遣自治体職員となる。

2019年

派遣で別の自治体職員となる。

2020年

腰痛改善したため宅配会社正社員として入社

2022年

腰痛が再発し休職後に退職。「帰ってきたらおしまいだぞ。諦めるな」と玄関で騒ぐ父親人生初の実力行使で殴り飛ばし実家の子供部屋に入居。

現在

ライトノベル作家を目指して実家執筆活動中。

2023-01-22

anond:20230122124023

転居までして内定取り消しって何やらかしたのか、そっちのが気になる

どんな顔するんだろうな

ウチの会社入社予定で会社近くに転居してた新卒の奴が、つい一昨日内定取り消しになってたw

既に懇談会研修もやってて多少なりとも顔見知りができてるから会社人間とすれ違う事もあるかもね~

そんときどんな顔するんだろうなwwマジ受けるwww

2023-01-02

留年はもちろん嫌だけど、それ以上に内定取り消しの方がダメージかい(だからもし仮に内定なかったら、「来年卒業でもいいかな」とか思ってるかもしれない)

何としても卒論書き上げて卒業しなくては。。。

2022-12-23

滞納していた奨学金を払った話

10年以上放置していた奨学金を一括返済した。

親と大喧嘩をして、自分で払うから親元を出たいと懇願し、機関保証で借りたお金だった。

私は都会の大学に行って、立派な会社に入って、バリバリ働くんだ。

インターンにも行きまくって、ビジコンで優勝したりした。みんなに優秀だね、と言われたし、自分でもなんだかそんな人間になれた気がした。

そうして、とあるコンサル会社内定をもらった。

給料がよく、高そうなスーツを着たギラギラしたおじさんがたくさんいる会社だった。

親の反対を押し切ったことが、全部報われると思った。

奨学金だって、毎月少しづちゃんと支払うことができると思っていた。

リーマンショックがあり、卒業直前に内定取り消しにあった。

その後、一年希望留年して必死就活して、ハウスメーカー営業になった。

全然優秀な私に見合わない仕事だと思った。

一年目で、パワハラ上司にあたり、夜眠れなくなり、メンタル破壊され、鬱になった。

何もかも自暴自棄になって、信用情報がどうとか、どうでもよくなった。

一度払わなくなると、もっとどうでも良くなり、なんともお気楽なことに、そのまま記憶を葬り去った。

時々は、派手な色の封筒でハッとさせられたが、見て見ぬ振りをした。開けもしないでゴミ箱に隠した。

休職を終えると、パワハラ上司とは違う部署で、仕事に復帰した。仕事内容は変わらず営業だったが、死ぬ気で働いた。3ヶ月間に一度休む程度で、朝から夜中までとにかく働いた。

給料は増えるがとにかく時間がない。

見た目には気をつけていても、見えないところはどうでも良くなった。

虫歯ができても、何本も放置した。

歯科検診も逃げ回った。

痛くてもロキソニンで誤魔化して、とにかく仕事をした。

ナッツを噛んでいたら、笑った時に見える歯が欠けてしまった。

歯医者に行ったら怒られる気がして放置した。

だんだんもうどうでも良くなった。 

何本か歯が抜けてしまったが、やっぱり歯医者には行かなかった。

小綺麗にしているのに、奨学金は踏み倒すし、虫歯だらけ。20代なのに歯も抜けている。

まともな大人じゃないのに、ちゃんとしてるふりをして暮らした。

そんな私にも、彼氏ができて結婚した。

彼は虫歯は一本もないし、奨学金もきちんと払っていた。

私と大違いだった。

多少の貯金はできたが、今度は貯金が減ってしまうのが惜しくなった。

貯金もできない女だと思われたくなかった。

30を過ぎたころ、この人の子供を持ちたい、と思い立った。

営業から内勤に変えてもらった。

週に一度定時に上がって歯医者に通った。

定時に帰ったのは新人研修以来初めてのことだった。

その頃には、営業として売れるようになっていたので、

せっかく売れるのに勿体無い、とか、誰かと不倫して内勤に異動させられたとか、陰でも表でもいろいろ言われたが、まともな人になりたかった。

一年かけて、毎週歯医者に通い、人前で口を開けられる歯になった。

その後、ありがたいことに子を授かり、産休に入ってから、しばらくして、見覚えのある派手な色の封筒が届いた。

ずっと目を背けてきた督促状だった。

十数年ぶりに、きちんと開封し中身を読んだ。

利息が膨れ上がっていたが、それを見た瞬間なんとも言えない気持ちになった。

その日のうちに、電話をかけてお詫びを伝え、振り込みをした。

会社では、周りからストイックだと思われていると思うが、それはただの外面で、嫌なことからとにかく逃げたい、上辺だけ綺麗にしてる自分から、ほんの少し変われた気がする。

ダメ大人になってしまったし、子育てちゃんとできる自信はない。私のような人間に生まれてくる子がならないことを祈って、この体験をここに記します。

2022-11-06

Colaboじゃないけど採用を取り消され無職になった話


最初に書いておくと私はフェミニストでは無いがフェミニズム親和性が高い人間ですし
件の人に対しても活動理念等には共感する部分も多いので、否定的引用は止めて下さい


数年前、私はとある企業転職する事を決めた。

女性活躍する新進企業」のイメージに惹かれ、実際に女性管理職も多く

説明会でのキャリアパスもしっかり説明され、理念に惹かれたからだ。

その企業社員としてSNS活動している方も複数おり、いずれもフェミニズムとの親和性が高く

今よりはフェミニスト寄りだった私は、従来の社会のあり方に辟易していたのもあり、

多少条件下がるのは覚悟で応募。

理念共感」の部分を必死アピールし、内定獲得。

ここまでは良かった。本当に嬉しかった。



転職(予定)先からは月の初めに内定通知のメールを貰い、その数日後「本当は来週か再来週から勤務をスタートして欲しかったが、

中途だし『特別に』月末に現在の勤務先を退職して、翌月から勤務して欲しい」という連絡を受けた。

元ネタ記事を書いた人と似たような状況になった訳だ。


自分で言うのもアレだが、当時いた会社ではそこそこのポジションにいた事もあり、引き継ぎは一ヶ月フルでやっても相当厳しいスケジュール

しかも週1~2程度は、会社仕事の流れを覚えて貰いたいのもあって、フルで出社して欲しいとも言う。

この時点で「何か違う」と気づいて辞退すれば良かったのだが、憧れの会社転職が決まったのもあって、了承してしまったのが運の尽き。

会社に月末で退職意向を伝え、当然慰留のお願いを何度もされたが「転職先も決まっているので…」で押し通し、渋々了承された。

自分で言うのもアレだが、当時いた会社ではそこそこのポジションにいた事もあり、引き継ぎをしないと後に残る会社人達に多大な迷惑がかかる

という事情もあり、更には転職先にも行かなければいけない事もあり、残った有給消化など出来る訳も無く、急ピッチで引き継ぎを進めた。

急な話だったので当然他社員には色々迷惑負担をかける事になり、針の筵状態だったが、頑張ってこなす事にした。

当然残業は夜中や深夜まで及び、それでも終わらないので土日も出社して一人で作業していた。

自分で言うのもアレだが、当時いた会社ではそこそこのポジションにいた事もあり、クライアントをどう振り分けるか

今抱えている案件をどう処理するか(私か上司ぐらいしか処理出来るポジションがいなかった案件も多数あった)というのもあり

いくら働いても足りない状態だった。


そんな最中転職先に赴いてOJTを受けていると、あるポジション女性に声をかけられた。

「どうしてあなた疲れた顔をしているのか」「仕事が合わないと感じているのか?」と。

単純に元会社仕事疲弊したいただけだし、「引き継ぎ作業が色々あって少し疲れているだけです」という回答をした。

女性はフン、って感じで立ち去っていった。今思えばあれが見限られた合図だった。


二日後、転職からメールが入っていた。

「当社の考えるキャリアプランあなたスキルがアンマッチしている、OJT中のモチベーションが低かった」

といった理由で、内定取り消しします、申し訳ありません、というものだった。

慌てて次の日電話(夜中だったので)したんだけど、残念ながら上司や○○(先の女性がいるポジション)からNGが出ているので

内定取り消しが取り消される事は無いとのこと。

私が思う限り、能力不足といった事は無かった筈(そもそも同業他社みたいな所だったし)


私、もう退職する事を言っているのですが…とは抗議したけど「それは私共とは何も関係が無い事ですので、あなた自己責任です」とピシャリ

ダメ元で、上司退職取り消せないかとは言ったものの「既に後任を決めたりクライアントにも周知しているのに、今さら困る。社会人としてどうなの?」

と言われ、グウの音も出ず、そのまま死んだ目で最終日まで引き継ぎ作業した後、私は無職になった。

当然、保証は何も無かった。

自主退職の扱いなので、失業手当すら無い。



腐ってもいられないし、とりあえず収入を得なければいけない、あん会社にいった自分が悪いと当時は思ってしまい、再び転職活動を始めた。

○○社の事は伏せ、「退職時の引き継ぎ等で忙しく転職活動出来なかった、退職してから腰を据えて転職活動を始めました」という体で何社か回り

その内一社から内定を貰った。その会社(B社)からは再来週から来て欲しいという返事。

これでやっと落ち着ける!と思ったのもつかの間、出社3日前になり、若干遠方だったので転居先なども決めたりしていた矢先、連絡が来た。

内定取り消しの連絡だった。


何故!?と思い抗議して、それではラチが開かないので直接B社に乗り込んで担当者に色々詰問したが、担当者はやんわりと

「実は、○○(元々の転職先)の方からあなた問題を起こして内定取り消しになった、という情報を耳にしまして…」との事だった。

まあ同業他社転職しようとした私も悪いかもしれないが、横のつながりで変な噂が出回っていた。

後に知る事になるが、○○の社員SNSでも、恐らく私らしき事の、ある事ない事のネガティブ書き込みもあった。


再び無職になり、弁護士を雇って戦う…気力も無く、心折れて失意の内に地元に帰り、実家精神落ち着けながら何とか転職活動を再開。

以後はその時に内定した会社で働いている。




例え主張がいくら正当で誠実で輝いて見えても、同じ口で誠実に対応してくれるとは限らない。

その優しさは、「他人」にしか向かないものであるかも知れない。

私は嫌という程それを学び、痛感した。

元を辿ればフェミニズムに傾倒していた結果、○○社の人間共感して…という流れだったので

当時よりはフェミニズムとは距離を置いている。

フェミニストが全員、女性に対して優しいとも誠実であるとも限らないんだという当然の事実を、高い勉強料を払って学ばされた。


件のニュース見て、当時のトラウマが蘇ったので増田で吐き出し。

特に誰かを批判するという意図はありません。




追記

労基に行け、何故いかなかったのとは知人友人からもよく言われましたし、確かに正論なのですが

当時はニ度も内定を切られる=社会から拒絶されるという体験に深く傷ついたのと、無職収入状態でいる自分に耐えられず、実家に帰る事を選びました。

完全に泣き寝入りですが、それを選んだのは私ですし、戦えなかったのは自分自己責任だと思っています

自分で言うのもアレですが、今までそれなりに上手く学生時代社会でもやってこれていたので、初めてに近い大挫折で心が折れてしまったのだと思います


crimsonstarroad 勤務開始日を、転職者じゃなく会社の都合で決めるのってその時点でブラック確定だよなあ。前職あれば引き継ぎその他で少なくとも1,2ヶ月先になるなんて常識だと思ってた。

冷静に考えればその通りなんだけど、理想の働き方が出来る!という所でバグってた。

寧ろすぐに私と一緒に働きたいって事なんだ~とまで思っていた。今考えると浮かれて頭おかしくなってた。


lovely フェミニズム関係ない

100%じゃないけど、20~30%は関係あると思うよ~個人的意見だけどね。

会社でも女性活躍とか新進的な理念とか凄く推してたし、会社の顔たる社員アカウント

所謂フェミニスト界隈の人が多く、今よりはそちらに傾倒していた当時はこんな風に考えてくれる人達と働きたい!って思ったか

釣られた動機の一つにはフェミニズムがあり、思い切りその期待を裏切られたので。


korilog うちの奥さん女性社長女性を輝かせる事業をやってる会社面接で行ったら子供が小さいから駄目って言われた話する?まだ内定じゃないだけマシだったけど。

これも酷い。

理想現実イコールじゃないのは分かるんだけど、理想真逆の事やってるじゃん、言ってる事と実際にやってる事違うでしょ!と憤るのは仕方ないと思う。

2022-11-05

数か月前は「公務員試験 全落ち 夏から就活」とか調べてたし、今は「卒論 留年 内定取り消し」とか調べてる。まあ就活はなんとかなったから、気持ちが折れなければ卒論も何とかなるでしょ...焦って混乱しすぎず着々とやっていくしかないですね...あーしんどい

2022-08-31

キセル人生変わってしまった俺の体験談

捕まったのは大学4年の秋。

家(アパート)→大学バイト

という経路で電車を利用していて大学バイト先の定期がないのでキセルをしていた。

家と大学郊外なんだけどバイト先は都内だったからそこから片道500円近くしたので、バイトから出る交通費ではまかないきれずついやり続けてしまった。

混んでる時間ピンポンが鳴っても駅員が来ないのは分かっていたし、隣の駅の駅員がいない時間の改札も把握していたので絶対にばれないと思って大学1年の途中から4年まで3年近くやり続けた。

捕まった時はバイト先の駅で改札出た瞬間、スーツの男2人に「お兄さんちょっといい?分かってるよね?」と言われて囲まれた。

もう4年の頃になると罪悪感や緊張感もすっかり失われていて「えっ?」みたいな感じになり、捕まった時の言い逃れも何も考えもしなかったので一気に頭が真っ白になってしまった。

結局そのスーツの男は鉄道会社職員だったんだけど、完全に俺は警察だと思い込み就職も決まってるしどうしようと頭がグルグルパニックになった結果、大泣きして全部白状するという惨状に陥った。

バイトに通っていた約3年間、週4〜5回往復でほぼ毎日キセルしてた事。

バイトから交通費を1日800円貰ってた事。

全部ゲロってしまった。

その後、駅員が警察電話したのを見て「ああ、この人は警察ではなかったのか」と気づいた。

そうしてやって来た本当の警察官に警察署に連れて行かれ、事情聴取された後に身元引き受け人が来るまで帰れないと言われる。

地方に住んでる両親はどんなに早くても明日にならないと来れないので、本当に申し訳ないがバイト先に電話してもらう。

その後、バイト先の店長が来て事の顛末が全部バレる。

店長から交通費の件に関しては後で連絡するので必ず出るように淡々と言われ、とりあえずこれからバイトに来なくていいと通告される。

翌日、また警察から連絡があり鉄道会社としては今までの乗車分とキセル罰金を払えば被害届は出さないと言っているからその駅に行きなさいと言われる。

駅に謝罪へ行くと正確な金額計算する為に、バイトから出勤履歴確認できないかと言われる。

店長電話してその話をして、あとは店長が駅に電話してくれる事になった。

そこからさらに数日して駅から連絡があり、今回請求するのは過去1年分でいいとの事でそれでも約70万円だった。

最初はとにかく親にだけはバレたくなかったのでサラ金キャッシングを回りまくって何とかしようと考えたが、最終的に一番ヤバいのは就職に響く事だと思い殴られるの覚悟で両親に伝える。

翌々日アパートに来た両親に本当に数発殴られた後、菓子折りを持って駅にお金を払いに行く。

その後バイト先にも両親と謝りに行くと、店長から不正使用した交通費は今までの勤務分全額返納してもらいますと言われる。

バイト先の交通費の件はすっかり忘れていたのでまた頭が真っ白になる。

親父が土下座して謝っているのを初めて見る。

数週間してバイトから来た交通費請求が約50万円。

これもまた両親に同行して払ってもらう。

このバイトから請求が来るまでの数週間の間に、想定外のことが起こる。

内定から突然の呼び出し。

キセルの事が全部バレてる。

本当にいまだにこれだけはなんでバレたのかが分からない。

当然のように一番恐れていた内定取り消しになる。

バイト先に50万円を払ってもらった帰り道、両親からこの先就職先が決まらなかったら実家に帰ってくるように言われる。

年末から必死就活して、紹介予定派遣で拾ってもらいその後正社員にはなったが当初の内定先とは全然違う業種で離職率も高いブラックサービス業勤めになってしまった。

最初内定先がうちの大学にしては有名なところで、パンフレット就活体験談とか載せてもらう事になっていたから辛かった。

内定先にはバレたが何故か大学にはキセルの事はバレなかったので「内定辞退したので」と嘘の理由就職課に体験談を載せないようお願いに行くのが情けなかった(最近になって本当だったら大学までの通学定期券不正扱いになるのでその罰金を取られてもおかしくなかったと知った)。

俺がキセルで失ったもの

大企業で働いていたはずの人生

親父からの信頼(亡くなるまでほとんど口を聞いてくれなかった)。

大好きだったバイト先の友達人間関係すべて。

いまだに俺は「あの時逃げちゃえばよかった」とか「今日だけやったと言い切ればよかった」とか後悔しているほどのクズだけど、たぶんそれをやって逃げられていたとしてもどこかで人生のしっぺ返しがあったのだと思う。

キセルマジでやめとけ。

キセル簡単に出来るから、冷静に考えれば毎日コンビニ弁当タバコ万引きしている位にヤバいことしてると気づけなくなる。

特に若い子、俺みたいなクズ野郎になるな。

人生の一番これ以上ないタイミングでしっぺ返しは必ず来る。

2022-08-23

anond:20220822213528

お疲れ。

だいぶ年下の方なんだろうが、同じバックオフィス系として勝手に親近感を抱く。

とりあえず入社可能日が当初の予定と大幅にズレるのはヤバい(最悪内定取り消しがあり得る)ので、

「次の会社入社予定日がもう決まっている」

「法的には、従業員退職の申出から2週間で退職が成立する」

「そこまで強行的に辞める気はないが、11月末まで勤務するのが最大限の譲歩である

ということを、人間関係気にしないなら直球でぶつければいいし、最後にぎすぎすすんのが嫌ならなるべく下手に言うしかないよ。

それでもダメなら、上司上司か、人事に言うしかないけど、原則として退職労働者側の権利なので会社咎められない。

がんばれ。

2022-08-17

増田勘違いを改めた方がいい

anond:20220816014148

大学あなた能力を伸ばしてもらうために卒業研究を課しているわけではないです。あなたが「〇〇大学☓☓学部卒」という資格を持つに足る能力があることを証明するために、卒業研究を完成させなければならないのです。あなた証明する側です。

能力証明せずに卒業資格を得るのはおかし

増田は「全学生には4年間を自由に過ごす権利があるため、様々な4年間の過ごし方が認めるべきだ」と言っています。それはその通りです。

しかし、「〇〇大学☓☓学部卒」に足る能力があることを証明せずに卒業資格を得たい、というのは完全におかしいです。エゴ研究強要しているのではないです。「〇〇大学☓☓学部卒」という資格を得るためには、あなた能力証明しないといけないのです。

あなたの主張は「医学部で6年間過ごしたんだから医師国家試験に受からなくても医師免許交付してくれ」と言っているようなものです。

大学社会人生活あなたに役立ててもらおうと、卒業研究を課しているわけではない

また、「研究社会人生活でどのように役に立つのか教えてくれ、定量的根拠を示してくれ」と言っています。これも勘違いです。

大学社会人生活あなたに役立ててもらおうと、卒業研究を課しているわけではないです。大学は「学部卒の資格を与えるには、卒業研究を完成するという形で、能力を示してもらう必要がある」と考えているのです。

資格を与えるのは大学で、あなた大学に対して証明する必要があるのです。

卒業研究内定必要

追記で「卒業研究をやらずとも技術職の内定4社からもらった」と書いてあります。その事実で「だから卒業研究必要ない」と言いたいのかと思いますが、端的に間違いだと思います

内定卒業見込みの形で出ていると思います。その場合あなた入社するためには卒業する必要があり、すなわち卒業研究必要です。なので、卒業研究をやらなくても内定がもらえる、は間違いです。

企業内定を出したのはあなた卒業研究を(就職するまでの間に)やるからです。やらずに退学したら、おそらく内定取り消しです。

学部によっては卒論がないところもあります(ブコメ等で多数指摘があります)。そういった学部必須単位が多かったり定期テストが難しかったりします。そのようにして、大学はその学部卒の人の能力担保しているのです。

なので、卒業研究必須学部卒業研究だけを無しにすると、能力担保できなくなるでしょう。あなた内定をもらえたのは卒業見込みがあるからで、それは卒業研究をやる前提です。なので卒業研究任意ではないのです。

あといくつか気になった点を。
あなた視野が狭いと思います

「今はインターネットを探せば、大学から提供されるものよりも分かりやすものはいくらでもある。社会から隔絶された場所に籠っている教授は極めて視野が狭い。」と書いてあります

あなた大学教授インターネットアクセスできないのでしょうか?インターネット上に(信頼性はともかく)様々なコンテンツがあることは、おそらく全ての教授が知っていますよ。レポートインターネット上のコンテンツからパクリする人とかいっぱいいますから(Twitterとかでも話題になります)。

そういったことが想像できない、情報が入ってこないあなたも、だいぶ視野が狭いと思いますよ。

看護大学学位もらえておかしいですか?

卒研やらなくても学位もらえる大学あるの初めて知ったわ。看護大学とかじゃないよね」と書いてあります

なんで看護大学だって思ったんですか?もし看護大学のことを偏差値基準に下に見ているのだとしたら、改めた方がいいですよ。

日記の書き出しにいきなり「まぁまぁ偏差値の高い大学」と書くあたりその辺りに自信があるようですが、そういう態度で人に接すると失敗します。定量的根拠はないですが。

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