はてなキーワード: プロボノとは
フツーは小学校・中学校・高校の公立校へ通うだけで多様性を学べるもんだが
勉強だけを行うオンラインスクールと、様々な子どもたちが交流する遊びの学校みたいなの作れば解決はするが、
うーーーん、不自然過ぎる気がするよ。あと既に大人になっちゃった分はどうする?みたいな
やっぱり、アニメ・ゲーム・マンガ・小説・映画の力を借りるのが良い気がする
とある有志の団体に参加していろいろ活動している。仕事から完全に離れた場だけど、やっていることはそれぞれの仕事にとても近い。プロボノみたいな感じ。組織がそれなりに大きいので、それぞれやるべきことをやらないと対外的にもいろいろ困ったことが起きる、というような環境だと思ってほしい。
どんな団体でもそうだと思うけど、所属している人は大きく二つのタイプに分けられる。自由を重んじるタイプと、規律を重んじるタイプ。団体の活動趣旨上「自由>規律」みたいな雰囲気はあるけど、組織運営上規律もまた重要であると認識されている(と思っている)。そして、お互い得手不得手はあるのだからカバーし合おうよ、という雰囲気もあり、それはまあまあ機能していると思っている。
ただ、自由にしたいタイプと規律を守ろうタイプ(そんなに単純なものではないが、便宜上そう呼ぶ)がお互いをカバーするにあたって、どうも規律タイプのほうが我慢することが多くないか? と感じることが多い。自分が(かなり強めの)規律を守ろうタイプだから。
強度の自由タイプはのびのび動く。枠にはめられると動けなくなるよー、だから規律は見逃して! という主張をする。それに対し、周囲のフレキシブルに対応できる人々(普通の人ということか)はそれは個性だよねー、カバーしてあげよう、と認めることが多い気がする。これは団体の特性上、多様性とか個性の尊重とかの価値観が浸透しているので、日本の一般的な組織よりは認められやすいと思う。それで自由タイプがいろんなアイデアを出していくのはとても素敵だと思う。
ただ、その一方で規律タイプとしては、枠にはめることができない状態への不快感がすごいわけだ。なにも、アイデアを枠にはめようとしているわけじゃない。ものごとの提出期限とか、形にしていくための手続きまでもを自由の名のもと規律を守らないのはどうなの、ということのみ。ある程度の枠にはめるのは、すばやく形にして世の中に出すためだ。そして、規律のある物事の進め方はストレスが低く、こちらとしては非常に快適なんだ。ちょうど、自由タイプがのびのびやっているのと同じ精神状態じゃないかと思う。
でも、定型的にやったほうがうまくいくエリアまで自由にさせてあげて、なんていうのはこっちの個性をまったく無視されているようで、納得いかない。それぞれのマイルストーンや決め事は事前に合意して設定したはずなのに。それを乱されることによる生理的不快感は我慢しなくてはいけないんだろうか。それは自由タイプが枠にはめられることの不快感と同じじゃないのか?
なんだか「アスペ乙」って言われて終わりそうな気もするけど、アスペ的な個性は尊重されないのかな。もちろん、行き過ぎた規律を求めることもあって、それを教えてもらえて反省できる(後に活かせる)ことはとてもありがたい。とはいえ、こっちのタイプに対するカバーが「もっと自由にすればいい」「だいたいで大丈夫」という助言って、苦手なことの押しつけで何もフォローになっていない。
団体と活動じたいは好きなので、もう少しお互い持ちつ持たれつでできないものなのかと思っているだけ。ただ、この話をタイプの違う人にしても全く理解してもらえないんだ(図解までするのに)。やっぱりこの感覚はわかりにくいのか。
「人間不信に陥るよ」。それまで不平不満も言わず、まじめに働いていたフリーのデザイナーがある時、急に態度を変える。
デザイン業界における労使トラブルでよく耳にする話だ。決して労働環境が整備されているとはいえない業界にあって、こうしたトラブルはいま、現場で頻繁に起きている。
今回、当事者となってしまった東京都内の事業者も、「話に聞いていたが、まさか自分がという思いだ」と打ち明ける。
「不平不満も言わず、まじめに働くいいやつだ」。社長が最初に受けた印象で、何事もなく半年が過ぎようとしていたが、それまで何も言わなかったデザイナーが報酬を貰いたいと申し出てきた。
有償のデザイナーを用意するだけの余裕はない同社にとって、気持ちばかりとはいえ報酬を取られるのは痛手だ。
社長は状況を説明した上で、苦肉の策として、会社の印刷物にデザイナーの名前を記入することを許可し「これが仕事につながれば良いだろう」と了承を得ようとした。
一時はそれでしのげたが、そのデザイナーの態度は徐々に悪化。何かといえば不平不満を口にする。見かねた同社長が注意しても、態度は変わらない。
対応に苦慮していた時、新たな問題が起きる。今までの未払報酬の支払いを要求してきたのだ。払えないと諭すと、今度は弁護士を伴って発注元へ駆け込んだ。
同業大手の仕事をしていた同社は、発注元からその事実を聞かされ慌てた。
後でわかったことだが、デザイナーは外注契約を結んでから、すべての発注に請求書を作り経理に送っていたのだという。確信犯だった。
デザイン費の請求は100万円に上ったが、契約書の不備を理由に妥協案を示し、10分の一の10万円で事なきを得たという。
しかし、問題はそれだけで終わらなかった。契約していたフリーのデザイナーが次々と報酬を請求しだしたのだ。仕事は途中で色々仕様が変わるし、まともに発注できるわけがない。
トラブルが無いように、契約などに詳しくないフリーのデザイナーと契約をしていただけに、「仕事は頼んだが請求書が送られて来るのは納得行かない」のが実情だ。
だが、フリーのデザイナーは、毎年次々と生まれてくるため、「平気で請求書を送って来るようなデザイナーはすぐ切れば良い。人間不信に陥らないうちに…」。
最近は、耳障りの良い「プロボノ」という言葉を使えばホイホイ無償でデザインしてくれる馬鹿が釣れることに気がついた。
イケハヤ師が、「オピニオンリーダー」のようなものを目指しているのは間違いないだろう。
奴のサイトに行けば、「賛否両論?オピニオン」なるコーナーがあるし、
内田樹大先生からもお墨付きを頂いているわけだから(どのつぶやきか忘れたが、内田大先生はイケダ師のことをえらく褒めていた)、
奴がそういう方向を目指そうとしているのは分かる。
だが、奴がオピニオンリーダーになるのは無理だろう。
たとえば、ホリエモン、大前研一、(知名度は低いが)佐々木俊尚なんかは「オピニオンリーダー」と呼ばれるに相応しい人物であろう。
異論は認める。異論のある人は、是非自分にとっての「オピニオンリーダー」的な人物を思い浮かべてほしいわけだが、
所謂オピニオンリーダーと呼ばれる人間に必要なものは、2つあると考えている。それは、誰もが認める経歴と、リサーチ能力である。
先に挙げた人物にはこの2つがある程度備わっているが、イケハヤ師にはこの2つが致命的に、ない。
学生の時分にまとめサイトでそこそこの収入を得たという話だが、それだけではかなり弱い。
2009年にルネサステクノロジに入社するも、入社した月に合併が決定。いきなり沈み行く船に乗ってしまいました…。
ブログをきっかけに知り合ったトライバルメディアハウスの代表、池田紀行さんに誘われ、2010年3月に転職。ソーシャルメディアコンサル事業を立ち上げ。
2011年4月、NPO支援、ライター活動により多くの時間を割きたくなり、フリーランスに転向。「テントセン」という名前でNPOマーケティングを支援するプロボノ集団も作っています。
2012年4月からは、育児に時間を割くべく「プロブロガー」というキャリアを歩んでいます。広告収入、アフィリエイト収入で生きてます、もとい皆さんに生かされています。
とまあ、別にそこらへんの意識高い()系の学生と大差ない経歴なのである。というか、億単位稼いでいるよざわつばさ(よながつばさと間違えそうだ)に比べると
アフィリエイターとしてもポンコツ…
ここに「年商数億の社長」とか、「MITの博士号を取得」とかそういう経歴が要るのだ、オピニオンリーダーというものになるには。
奴のエントリーがよくブログとかTwitterで突っ込みを受けるのは「自分が優秀で有能で、周りはそれをやっかんでる」と勘違いしている節がありますが、
たとえば、
厄介なのは、正義を執行する彼らには罪悪感が微塵もないことです。本気で世の中にいいことをしていると思って、気に入らない人間を「在日」と罵るわけです。歴史を振り返れば、こういう「正義漢」たちが魔女狩りをし、ホロコーストを行ったのでしょう。
魔女狩り、ホロコースト、在日…非常にデリケートな事柄を、「正義感の仕業」と何の根拠もなく断言しているあたり、
リサーチ能力の低さが滲み出てしまっているわけですが、どうなんですかね。
こういうのって根拠もなく主張してもいいんですかね。
もっと言うと、「のでしょう」「たぶん」がやたら多い。数えたことないけど。
そういえば、残業してまで高収入なら低収入でも残業せずに家族との時間を大切にしたいって仰ってましたねぇ。
嫁は残業しているのに。
というわけでイケハヤ師はオピニオンリーダーになるには大変御愁傷様な素質しか持ち合わせていないわけだが、