はてなキーワード: 物質とは
自分が優位に立っていたいとか得したいという思いが当たり前のように先に来て他人の成功を喜べない。新しいアイデアがあり、それを形にしようとする人がおもしろくないから潰しにかかる。そんな性格を持った日本人の集合体から新しい企業など生まれにくいと思う。宗教心もなくお金や地位、容姿の良しあし、結婚しているかしていないか、恋人がいるかいないか、友達の数など表面的、物質的な部分にばかり価値を置いている日本人は、助け合いの精神なども失われ、お金しか信用できない。会社もできるだけ安く人を使おうとする…そんなこんなで経済も停滞したと思う。
エヴァンゲリオンは全体のストーリーが最初は皆川亮二のスプリガンなんですが途中からナディアになって最終的にトップをねらえ2になってんだよね
あんまし内容は練りこまれてないけどアニメとして絵が魅せるので気にならないといえばならない
その人気の人間描写なんだけど人間の観察とかがすごいんじゃないくて庵野氏の実体験を描写してるだけなんだけど表現としてはそれも十分にすごいね
アスカがのり子でノリコで法子だったところからいきなり恥も尊厳もなく覆い隠すように苗字を変えてみたり奥さんが世界をつなぐアンバサダーのようにマリにしたり
地球に飛来したなぞの父と母がイマジナリーで親不在の孤独な監督が恋に落ちたけど世界に認められなくてからのいろんな変遷を経てからのあのなんか
不真面目めがねキャラとゴールインしましたみたいな自叙伝たるや昭和の漫画家が売れてないときに女子アシスタントといい仲になっていく短編がいくつか
あったのを思い出させるよね
みやむーでうまくそういうものだってしてるけどあの本当に隠滅すべき過去を流布されてる事実でごまかすのは諜報活動的ですごい
最後にトップをねらえに回帰してくるところでああこの監督快感物質ここでたれながしてるなーってすごく感じれてきもちよかった
犬の扱いの適当さもすごい ビーグルだったらもう笑い声がすごかっただろうね
猫のかわいがりもすごいというかあの猫が次の世代を紡いでいくあれだけがエヴァンゲリオンしてたっていってもおかしくないよね
人類補完計画っていう自分以外みんな死んでしまえってくらい恨んでたあの庵野氏がマリ一人でここまで人間再生できるんだってドラマすごかった
自分は結構、私財をなげうって人に金を貸したり、助けたりすることがよくある。完全に自己満足の世界なのでそれはいいとして、腑に落ちない現象が発生することがある。今日はその現象について考えたい。
例えば自分はよく金を貸すことがある。基本的に請求しない、取り立てもしない。心から返ってこなくてもいいと本気で思って貸している。それは金だけでなく労働力でもそうである。
ところが貸した人から恨みの念のようなもの、、、(陰で悪口を言われたり等)を抱かれることがよくある。これはなぜなのか?
ひょっとして人間というのは他人に「貸し」を作ることに大きな心の負担があるのではないか。そしてその負担は「恥」に根ざしているような気がする。
「人に金を借りた」事を、他人に知られてしまう「恥」の感情のようなもの、それがどこかのポイントで恨みに変わるのではないか。そして「恥」の感情のような心理的負担から逃れるため、助けてくれた人をなんとか悪く言うことで、負担の相殺を試みているのではないか。
「あの人は金貸してくれたけど、悪いことされた事もあるから、自分の心理的にはイーブン。」的な。
そういうことを考え出してから、自分は人を助けるときはこういう態度で臨むことにしている。
まず「自分は最低の人間である、あなたは最低ではありません。最低の人間である自分が、最低ではないあなたをお手伝いしたいんです、どうかお願いします。助けさせてください。」と思うことにする。
なぜここまで考えるかというと「他人を助けたことで優越感に浸ろうとする気持ち、他者よりも上の存在たらんと考えようとする己の邪悪な心」を消し去る為である。
さらに助けた人に対して「金を借りたことは他人には言わないでくれ。俺は絶対に言わない。漏れたとしたらそれは君の口からということになる。」と釘をさしておく。
すると恨みに代わることが少なくなるみたいだ。
人助け時は相手の「他人に知られるという恥の外聞のような」気持ちまでくみ取って考える必要があるのではないか。
自分の「他人より上の存在であると考えたい邪悪な心」があって、そういう心が似たような人を呼び寄せている可能性もありますね。
(本当に感謝してくれる素直な人もたくさんいます、もちろん。自分的にその人種はレア度高くて、そういう人に出会うために助けているのかもしれないなぁ。)
そもそも人を助けない、という選択肢もあるが、それは無理だろうなぁ。
いろいろ返信ありがとう。
自分でもよくわからないんだが、多分「趣味」でやってるとしかもう思えないんだよね。あれだよ、BLACK LAGOONのロックが言ってたやつ。
本当に羨ましい。ズルくて憎いとまで思いそうになる。
週ごとにホルモンバランスがコロコロ変化してその影響を受けない、安定した肉体と精神。
多少の無理をしてもその報いが毎月襲ってこない丈夫さ。
ちょっと今月は頑張ろうかなってカフェイン取りまくり睡眠不足気味になっても、その月に確定でお仕置のように生理が激重になるようなこともなく、頑張った後にしっかり休息すればチャラにできるのが羨ましい。そのくらい無理して働いてみたい。でもそれ真似したら、生理前はバリバリできたけど生理きたら激重で、生理痛痛すぎてゲロ止まらなかったんだわ。
男性と同じように働くなんて無理だな〜って悟ったよ。
あとネットでよく見かける、仕事や勉強で精神的に辛い時はゆっくりお風呂に浸かろう!とか、運動してリフレッシュしよう!みたいのも、生理と被ってるとやりずらい。生理の時は基本シャワーだし、走ったり筋トレしたりなんてナプキンがズレるのが気になってとてもできない。好きな時に入浴や運動でリフレッシュできるのが羨ましい。
こういうこと書くとピルオススメされるけど、とっくに飲んでるんだよなぁ。ピルって万能なわけじゃない。確かに生理は軽くなったし前よりは楽だけども、出血は変わらずあるわけで…。毎月の苦行期間が少し短くなったな程度。相変わらず苦行は毎月ある。
あと、男は性欲(射精欲求)で苦しんでる!てのも反論?として言われるよね。
卵子もしくは精子を繁殖のため蓄え排泄する影響としては、まぁ射精と生理で対になるとは思うけども、そこに快感を伴うか、自分の意思で排出コントロールができるかの差は大きくないか?
精液や子宮内膜(経血)を排出するために、筋肉を収縮させないといけないんだけど、男性の精液が強い性的刺激をトリガーに脳からの司令で筋収縮して排出されるのに対して、子宮内膜は内膜から生産されるプロスタグランジンっていう痛みをおこす物質の作用で子宮を収縮させて内膜を排出させる。ちょっと子宮内膜排出プログラムおかしくない?なぜ痛みを感じさせる物質で排出させる??
男性のように強い性的快感でってのは妊娠の仕組みとして難しいにしても、他にやりようがあったのでは?
あと男性の古くなった精子って溜まり続けたら体内に吸収されちゃうんですね。子宮内膜もそういうシステムにしてくれ…。毎月使い捨てずに使わなかったら別の用途に使うとかして。
こんだけ男性羨ましい羨ましいって恨み言を書いたけど、どうやら生理が重すぎる女性と性欲が強すぎる男性ってのは、どちらも黄体化ホルモンと卵胞刺激ホルモンが多すぎるからそうなってるらしい。両者ともホルモンの分泌量が多すぎて、テストロンが増えて性欲過剰、エストロゲンとプロゲステロンが増えて子宮内膜が過剰に分厚くなってるのよ。体の機能としての男らしさ女らしさが過剰な両者。
自分がもし男として産まれてたら、逆に性欲過剰で女は性欲弱くていいよなってブチ切れてたかもしれん。でも男でも女でもホルモン過多で苦しむことになるって思うと、こうやって羨んで恨み合うのも虚しくなってるくわ。
本当に羨むべきは、ホルモン分泌の少なそうな生理激軽女と性欲激薄男かもしれん。フットワークが軽くて、体の性別らしさの薄いヤツが羨ましい。
エヴァ や 理解ある彼くん や 関係性萌え に乗じて 人生観 や 人間 について語りたい増田がいるようなので新しく増田を作りました。
タイトルの『人間とはなにか?それ以前に "自分" とは何か?』に入る前に、大前提としておさえて欲しいことがあるよ。
↑ 上記はおさえられている前提で話を進めるよ でないとタイトルに入れないので
スコープの大き過ぎる問いなので、ここでは、サピエンス:理解する、知っている、知恵のある とは? に限定するよ
増田の考える、"理解する" とはなんだろうか?人間以外の生物やコンピュータは理解することはないのだろうか?
増田の考える、"自分" とは何か? 自分は身体のどこにあるのか?指し示して欲しい。
ちなみにこれは既に答えが出ているので先に答え書いちゃうね。頭を指し示してもそこに "自分" は無い。
身体や環境的文脈から完全に独立した脳機能は皆無だ。もっと言えば自由意志が存在しない。
過去の "自分" と今の "自分" は組織からして物理的に違う。
人間の記憶は同じだから連続した存在(同じ存在)とするのもだいぶ無理がある。
記憶は五感を伴うものであり、身体の組織が違っていれば、思い出しても当然感じ方は違うし、
(似たような環境で育てたとしても完全に同じ個体にならない理由がまさにこれ)
そもそも記憶のインディックスを失い、正しく記憶を読み取れなくなるかもしれない
(いわゆる"忘れる")
早い話が人間は、身体も記憶も連続していない。少なくとも、連続性を保証するものは何も無い。
日本生物物理学会も “材料的には生命と非生命の物質の間に本質的な違いはありません.それでは,「生命」と「物質」の違いはどこにあるのでしょうか?“ とか言ってる。
そしてその生命現象を人類はいまだに理解が出来ておらず、生も死も非常にモヤっとしたものだ。
"未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らん" (まだ生についてよくわかっていないのに、どうして死のことがわかろうか)みたいな?
たとえば、食肉処理場から、食用に解体された(お肉になってるので臨床的には当然死んでいる)の 豚🐖の頭部を使った実験。
[Nature]Pig experiment challenges assumptions around brain damage in people
https://www.nature.com/articles/d41586-019-01169-8
[日本語記事][Nature ダイジェスト]死んだブタの脳を体外で数時間生存させることに成功
どうしよう、日本語記事のタイトルの通り、食用に解体されお肉になった豚🐖の脳🧠が復活しちゃったよ?
> 研究チームは、BrainExに組み込んだブタの脳が6時間でどの程度回復できるかを調べた。
> その結果、保存液を注入しなかった対照群の脳の細胞は崩壊してしまったのに対し、
> BrainExに組み込んだ脳では個々の細胞や部位の構造が保存されていた。また、ニューロンや他の脳細胞が正常な代謝機能を再開したことや、
> 脳の免疫系も機能しているらしいことが分かった。さらに、BrainExに組み込んだ脳から採取した組織試料に通電したところ、
> ただし、高度な脳活動を意味する脳全体の協調的な電気的活動パターンは全く見られなかった。
> 研究チームによれば、そうした高度な機能を復活させるには、電気ショックを与えるか、もしくは、もっと長い時間にわたって脳を溶液中で保存し、
> 酸素供給がない状態で受けたあらゆる損傷から細胞を回復させることが必要だろうという。
>
> すでに、BrainExを使ってブタの脳を最大36時間生存させている。
さて明確に活動を再開してるのだけどこれは "生きる" のかな?"死んでいる"のかな?
「我思う、故に我在り(Cogito, ergo sum)」
「私は在る、私は存在する、これは確実で ある。しかしどれだけの間か。もちろん、私が思惟する間である。
なぜなら、もし私 が思惟することを完全にやめてしまえば、おそらくその瞬間に私は、存在することを まったくやめてしまうことになるであろうから」
とか言った人もいたが、実際的には "自分" という存在は気のせいだ。
だが、増田は 『自分なんて気のせいだから自分があるように振る舞うのはやめろ!!』 と他人に言われて従う?従わないでしょ?
ーーーー・・・以上で前振り終わりで、本題に入る。
1−4を踏まえて、増田にとっての "人生" とは? (人生観を語るのが好きな人が好きなワード "成長" や "大人" や "希望" や "救い" とかでもいい)
社会的なごっこ遊び (Social Pretend Play) じゃないヤツで頼むね。
思い出してどうしても書きたくなったので書く。
ベストセラー「十二国記」シリーズのエピソード0なのだけれど、独立して読めるのでこれにした。
この作品に魅了された理由は二つある。一つは、二つの異世界が出会うことで起きる惨劇がSF的に面白いということ。こちらの常識が向こうには全く通じず、逆もまたしかり。ホラーではあるが、コミュニケーション不全の悲しみもある。作中の大量死の原因は、たった一つの誤解が原因なのだ。
もう一つは、主人公の未熟さが残酷なほど明らかになっていくことだ。ある意味、ファンタジーに逃避しようとする読者に喧嘩を売る態度で、後述するが僕は作者に喧嘩を売られるのが好きである。
貧困による家族との別離、恋愛のもつれや政治的立場の相違によってばらばらになっていく幼なじみ、人妻による少年の誘惑、昔の知人との思いがけぬ場所での劇的な再会などなど、個人的に好きな要素が濃密に詰め込まれている。それは安易な娯楽に堕しそうでいて、何とか踏みとどまっている。
カミュの小説では背景に過ぎなかった人々を主役にしているのもいい。「異邦人」のアラブ人はまったくの他者というか、理解できない原理で動く人格を描かれない、あるいはそもそも持たない存在だったように記憶している。
同著者の「カブールの燕たち」も面白かった。イスラーム原理主義者により公衆の面前で恥をかかされたことで、妻は夫を軽蔑し、憎むようになる。タリバン政権下の苛烈な描写は読んでいて苦しく、告発の書としても読めるのだが、同時に、ストーリー自体はオペラのように派手なのだ。わざとだろうか?
壮大な時間と空間の中で行われる追跡劇で、歴史改変やタイムパラドックス、進化の階梯など、テーマのスケールが大きすぎてこの長さでそれをやろうとするのは完全な蛮勇なんだけど、でもたぶん小松左京の作品では一番好き。この作品にはエピローグが二つあり、そのうちの片方は比較的序盤に現れる。失踪していたある登場人物が帰ってくる場面だ。これを、小説の最後まで読んでからもう一度読むと、深いため息が出る。本当に果てしない旅を経て、帰ってきたのだなあと。
扱われた科学技術は古びるかもしれない。未来世界の女性観や社会の描写も今では受け入れられないかもしれない。でも、表現しようとしたテーマは古びていない。SFはいつだって宇宙と時間の果てに手を伸ばそうと愚直なまでの試みなのだ。
冒頭で、パリのどこを歩いていてもお互いに出会ってしまう恋人の話で始まったので、どんなロマンチックな話になるのかな、と期待したのだが、友人が服毒自死未遂したり恋人の赤ちゃんが死んだりしてもひたすらマテ茶や酒で飲んだくれている、こじらせ芸術家(ワナビを含む)たちのお話だった。
しかし、この作品には仕掛けがある。通常の順番通りに読む「第一の書」という方法と、著者に指定された順番で、巻末にまとめられた付録の章を挟みながら読む「第二の書」という方法、この二通りで読めるのだ。第二の書では章の番号が飛び飛びになり、まさに石蹴り遊びのようになる。そこでは第一の書で省かれていたいくつかの事実や、登場人物の秘めた行動原理が明かされる。そればかりか新聞からの脈絡ない切り抜きや、この本の著者と思しき人物の晦渋な文学論を含んだ独白が含まれ、そこでは一貫性を過剰に求め、受動的にしか読もうとしない者が批判される。要するに読者に喧嘩を売ってくるわけだ。
読者に喧嘩を売る芸術が好きだ。なぜなら偉大な作家と同じ土俵に立てた錯覚を持てるから。
「ダフニスとクロエー」並にこっぱずかしいイチャラブもの。誰だって一緒に育ってきた少年少女が迎える性の目覚め的なシチュエーションに萌えてしまう時期があるのだと思う。もっとも、村上春樹作品の場合、一緒に育ってきた幼馴染の男女は不幸な結末を迎えるのが常套なのだけれど。
少年が人妻に誘惑され先に性体験をするというのも、王道でいい気もする。とはいえ、昨今は少女が先に目覚めるパターンも読んでみたいと思うのである。
北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」とか妹尾河童のインド旅行記にしようかとも思ったが、終着地のロンドンについてからのオチが笑えたのでこれにした(興味があったらこの二つも読んでください)。
元々はデリーからロンドンまでバスで行けるかどうかという賭けが旅のきっかけだが、「一人旅の海外は二十六歳くらいがちょうどいい、それよりも若いと経験値が少なすぎて、あまりにもすべてを吸収してしまおうとする」なんて趣旨のくだりがあり、初めての一人旅を読んでそうかもしれないとうなずいた。
少し前の時代の旅行記は面白い。今では身近なフォーやケバブがすごく珍しいものとして書かれているし、天然痘が根絶されていない時代の怖さもある。一方、アフガニスタンもイランが今ほど物騒ではなく書かれており、政変を身近な危険として感じることができる。
それはさておき、ほんと、スマホができて一人旅はずいぶんと楽になった。
強くてかっこいいことや、くじけずに挑むことに背を向けていた自分が気に入った数少ない強い人間の物語。「星の王子様」が気に入った人は、ぜひぜひこちらを読んでほしい。いや、星の王子様が子供向けに感じられた人や、表現が簡潔すぎたり抽象的過ぎたりしていると感じた人にこそ読んでほしい。あの物語の背後にあった、サンテグジュペリの飛行機乗りとしての経験がそこにある。
はるか未来の、中国の影響下にあるロシア。そこでは文豪のクローンに物語を執筆させることで、謎の空色の物質を生成する、錬金術的プロジェクトが稼働していた! この神秘の物質をめぐって繰り広げられる陰謀の周囲には、ロシアの文豪の文体のパロディあり、フルシチョフ×スターリンのイチャラブセックスあり、ナチスと同盟を結んだ並行宇宙のソ連あり。
筒井康隆と高橋源一郎と矢作俊彦を足して三で割らずに、ロシアの権威と文学を暴力とセックスでぶっ飛ばす。ちなみにラストは爆発オチ&ループオチだ。
章が進むごとに使える文字を一つずつ減らしていく趣向で、たとえば最初の章から「あ」の含まれる言葉を使えなくなっている。表現の自由と不自由について体を張って考える作品であり、使えない文字が増えるにつれ、新しい表現を開拓しなければならない。その中で語られる文学論や自伝は、片言だからこそ重い。また、使える文字制限がある中での官能表現も、表現の自由について鋭く問う。
筒井康隆のすごいところは、狂っているように見える文章を書く才能だ。それがなんですごいのかっていうと、正気を失った人をそれらしく演じるのがとても難しいからだ。というのも、精神を病んだ人のなかにも、本人の中では一貫した理屈があり、全くのでたらめではないからだ。また、倫理観の壊れた人間を書くのがめちゃくちゃうまい。かなりグロ耐性のある自分も「問題外科」だけは気持ち悪くて読めなかった。これも、人間の常識についてかなり深く考えないとできないことだ。
ちなみに、ジョルジュ・ペレックの「煙滅」はイ段の文字を一回も使わないで翻訳された小説で、これもただの遊びにとどまらない。語りえないホロコーストという事件をモチーフにしていて、あるべきものが不在なのにそれが何かわからない居心地の悪さをテーマにしている。これが気に入ったらオススメしたい。
ドストエフスキーはヤバいやつだが、トルストイもそれ以上にヤバいやつだ。家庭を顧みずに財産を国に残そうとする狂信者だ。正直、妻や子供たちがかわいそうだ。後期の「光あるうち光の中を歩め」もはっきり言って宗教の勧誘パンフレットであり、読んでいて内容が完全に予想できる。ヤバい新興宗教のパンフレットのほうが何が書いてあるか予想できなくてある意味でまだ興味深い。
しかし、そんな将来そこまで頭の固くなる人間が不倫の話を書いたのだから面白い。確かに、清純な愛を貫くいい子ちゃんなカップルと不倫カップルの対比はわざとらしい。けれども、まじめカップルの愛情の細やかさと、一時の感情に負けた罪のあるカップル、どちらも美しい文章で書かれている。物事は正しくあるべきと考えている人間が、罪を犯してしまう悲しみを描いているのがいい。
これは、プロットを道徳に完全に屈従させてしまう前のトルストイのすばらしさが詰まっている(そういうわけで好きな長篇の順番は年代順に「アンナ・カレーニナ」、「戦争と平和」、「復活」)。
あ、今思い出したけど、ソルジェニーツィンも好きだったんだった。
作品の根底には人間性への諦念が横たわっているのだけれども、初期の頃はそれが明確な暴力となって描かれていた。表現は淡々としているが、殺人や人類滅亡なんてよくある話だった。けれども、このころになるともっと表現が静かになっていった。悟りを開いた、というのとは違う。間違いなく諦念はある。けれども、苦い絶望とはまた別の感情がこもっている気もする。非SF風のものが多いのも面白いので、星新一の芸風に飽きた頃に改めて手に取ってほしい。
自意識について考えて
自由意志を担保するには物理から精神が派生しているのではなくその逆とするしかないという結論にはいたらなかったの?
ただ別の増田で『生きるのが辛いから意味付けしたい』というのがあった
■すごく疑問なんだけど「理想ガー」とか「生きる意味ガー」とか「男ガー」とか「女ガー」とか言う割には
なぜなの?
■なんのために生きてるのかな
生きる意味がない
生きる意味が欲しい
生きる意味を考える
とかいう謎の勢力がいがちなので、じゃあワイが適当に答え出したるわ!!!!
生物も、
生物かどうか意見が分かれるヤツ(ウイルスは生き物だと思います)も、
いずれも成長しているかのような振る舞いや変化を見せる
日本生物物理学会も “材料的には生命と非生命の物質の間に本質的な違いはありません.それでは,「生命」と「物質」の違いはどこにあるのでしょうか?“ とか言っている
母ちゃん父ちゃん兄弟姉妹や会社の上司とセックスでコミュニケーション取ると良いと思う
ウイルス進化論なんてのもあるがすべての変異が人間にとって好ましい変異では無い
ヒトパピローマウイルス(HPV)によって引き起こされる中咽頭扁平上皮癌は予後が良好であることと関連しているが、
腫瘍のHPV感染ステータスが独立した予後因子かどうかは未だ明らかでない。
https://www.jastro.or.jp/medicalpersonnel/journal/journal-club/post-30.html
日本では年間100万人に約3.5人に発症し、50~60代に多くみられる一方、新生児や小児がかかる場合もある。
初感染時または再活性化(一度治癒し休眠しているウイルスが再度活発になること)時に発症する。その病態は発症年齢によって大きく異なる。
なお、HSVは世界的に広く浸透したウイルスで、感染経路はHSVによる口唇ヘルペスや皮疹を発症した患者の唾液や病変部との接触や、
性器ヘルペスからの性的感染や母子感染によると考えられている。
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/516-herpes-encephalitis.html
嗜癖性障害とは?
・正常な楽しいはずの活動が、コントロールしがたい欲求や衝動によって繰り返され、その結果、その個人や他者に対して有害となっている状態。
・嗜癖性ありとして特定されている過剰行動には、ギャンブル、摂食、性交、ポルノ、パソコン、ビデオゲーム、インターネット、エクササイズ、買い物がある。
診断基準案
1. ある種の行動(多くは非適応的、非建設的な行動)を行わずにはおれない抑えがたい衝動(craving)
2. その行動を開始し終了するまで、他の事柄は目に入らず、自らの衝動をコントロールできない(impairment of control)
3. その行動のために、それに代わる(適応的、建設的な)楽しみを無視するようになり、当該行動に関わる時間や、当該行動からの回復(行動をやめること)に時間がかかる
4. 明らかに有害な結果が生じているにもかかわらず、その行動を続ける
報酬系回路
行動嗜癖と物質依存において、同じ脳内回路の異常が指摘されており、その主なものが脳内報酬系あるいは辺縁報酬系回路(reward system)と呼ばれるものである。報酬系回路とは、食行動や性行動などの本能的行動を快感として感じることで、行動の継続を図る種の保存のための神経系であるが、生存のための本能的行動が快感追求だけの目的で行われると、快感追求の継続と反復という嗜癖や依存に強く関わる神経回路として機能する。
セックスに依存する人は人間関係を怖がる傾向が高い
調査ではオンライン・セックスや売春、人前でのセックス、複数人との同時セックスをしたことがあるかどうかを質問した。またアルコール摂取や自尊心に関する質問も行った。
この結果、セックスに依存しているとした人は、人間関係を脅威と捉え、人との付き合い方が不安定で親密になることを怖がる、あるいは避ける傾向の割合が高かった。
セックス依存ではない人たちが親密さを望ましい、あるいは価値のある関係だととらえ、また人との関係に安心感を覚え、自分のパートナーを信頼できると考えているのとは対照的だった。