はてなキーワード: 沈黙とは
「嫌いだ」も違法にすればいいじゃない。
LGBTなどのマイノリティに対しては、何も言わないか、「好きだ」のように肯定的なことだけを言える社会にしていくべきだと思う。
なんかブクマ集めてるけど、納得できないわ。
だって現実では、かわいそうランキング(権力勾配認定)でそんなにかわいそうじゃないとされてる奴らへは、嫌悪の公言すら許されてるじゃないか。
君がトラバで書いた内容は、「心の中で嫌う自由と、その嫌いを公言する自由は別で、公言する自由は制限されるから気を付けよう」ということだと理解した。
これが、現実で一律に通用してるルールならある程度頷くけどさ。というか昔は俺もそのシンプルな切り分けに頷いてて、他人をその理屈で説得しようとしたことすらあったけどさ。
でも実際には、あいつらに対しては嫌悪を表明してもよい、と扱われてる対象が沢山いるじゃん。
サムいダジャレをいう奴、仕事ができない奴、コミュ障アスペ傾向空気読めないオタク、チンピラ、ホスト、ロリコンショタコン、メンヘラ、アル中パチ中、服装のダサい奴やだらしない奴、体育会系、オッサンオバサン、デカくて腕力ありそうな奴、老害、富裕層、強大な国家としてのアメリカ、など。(これだけあげた中には一個や二個反論が思いつくかもしれんが、それは俺が例示をミスっただけで話の大筋は覆らんからな)
「サムいダジャレばっか言う人ってマジでキツいわ」「体育会系のノリが嫌すぎる、近寄らんとこ」みたいなのは、Twitterに書いてもエッセイに書いても友達との会話で出てもほぼ問題がない。
たしなめられるにしてもマイノリティを嫌った時の猛烈な責められ方とは違う。
これって結局、権力勾配があるからマイノリティや弱者は手厚く保護されるべきだが、マジョリティや強者への保護は薄くしますよっていう、しょっちゅう非難されてる逆差別じゃないか。
こういう話をすると、これからだんだんとマジョリティへの攻撃や嫌悪表明も咎められるようになっていくでしょうみたいに言う人もいるが、そんな理想的未来が来ることはまずありえない。
どんな層への嫌悪も咎められる社会って、持続ができないだろ。一歩一歩地雷を踏んでないか確かめるようなコミュニケーションを日常からやるなんてコストがかかりすぎて崩壊する。
だから「この弱者層への言及で地雷を踏んだら致命的に咎められるので気を付けましょう、それ以外は強者だし言及で地雷を踏んで咎められてもダメージ少ないのでリラックスして語っていいっす」という逆差別がどこまでいってもまかり通る。
老化で鈍感になり、センスや気遣い力が落ちたやつらは弱者じゃないのかい。
ギャグの面白さはたまたま世間と違う好みに生まれ育ったんじゃなく自分の意志で決めてることで、サムい人は「つまらないこと言うぞ!」とわざと顰蹙を買ってるから、そこら中で嫌いと言われるのが妥当なのかい。
俺は、老化で足腰が衰えたり、たまたま男だけどバレエが好きに生まれ育ったりたまたま普通に話す時どもったり顔や体がゴツくて怖いのと近い、仕方のない要素だと思うけど。
(以前、センスが悪いなら黙ってればいいだけだろなんていう、ある種の人間は楽しい会話への参加を求めず沈黙しろってヤバい抑圧を無自覚に書いてる奴も見たが)
もしも強者弱者認定がそこそこきっちりできたとしても、強者なら嫌悪を公言されても受け入れろという非対称性を盾にした逆差別の問題は残るしな。
それにしても、こういうかわいそうランキングの線引きや逆差別の問題って指摘されすぎて、してる側の方が一つ覚えって言われそうだが、それでも問題が残ってるなら指摘されるべきだわ。
あと一応言っとくが、だから弾圧や差別もオールオッケーにしろとは言ってないぞ。
そういう趣旨だと思って読んでた奴は、正義vs悪とか差別vs反差別みたいな、白黒わかりやすいイデオロギー闘争に夢中になりすぎだから自覚しときな。
逆差別なり恣意的な弱者強者認定なりの問題があることを認めろ、そこを見ないふりした説教や説得はするな、そういう不誠実な説教の尻馬に乗るな、自分たちは正しく筋が通った考え方をしているという安心感を捨てて、「ワルモノ」からの疑問や反論があったらちゃんと自分たちを疑え、それでも総合的に考えて犠牲はあっても断罪の剣をふるうべきと判断したなら構わないがその剣を振るうのは最小限かつ手加減するくらいの理性を持て、可能ならアフターケアもしろ、という話だ。
こういうこと書いてる俺自身は自分を疑ってないんじゃねえのという点については、その自問自答も入れてたらクソ長くなるので省略してるからな(自問自答が十分である自信は確かにないが)。
少なくとも今日の俺はまだわずかに世の中や社会に期待しているから、こういう立場だ。
まあ、この記事にトラバしてるやつにはすでにすっかり絶望してもっと過激なこと言ってる増田がいて、俺はその絶望と諦めにも大いに同情するけどな。精神病の調子が悪い時の俺はもっと破壊的な気分になる。
ブクマカ 元増田の趣旨は「マイノリティを抑圧してはいけない」で、マジョリティへのヘイトは許されてるとは書いてない。お前の主張と何も矛盾しない。書いてないことを読み取るな。
書いてなくたって、マジョリティや強者(と認定された層)への悪口が甘く見られている現実は目を開けりゃ見えるだろ。
いわば議論の前提だ。
紙幅にも文章書く元気にも限りがあるので何もかもカバーした話をしろなんてことは言わないが、強者叩きは許されてる現実があるってのは重要だろ。
不都合だからって重要な要素への言及を避けて、都合のいい部分だけ使って綺麗な断罪の剣を研ぎあげる、その輝きに人々が群がって正しいと持て囃す、そういうことのズルさと危うさを問題視してるんですよ俺は。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 93 | 16683 | 179.4 | 60 |
01 | 64 | 8858 | 138.4 | 47.5 |
02 | 52 | 6104 | 117.4 | 64 |
03 | 19 | 1919 | 101.0 | 70 |
04 | 26 | 3636 | 139.8 | 59 |
05 | 13 | 1886 | 145.1 | 111 |
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07 | 59 | 4103 | 69.5 | 34 |
08 | 103 | 20335 | 197.4 | 35 |
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12 | 167 | 18249 | 109.3 | 48 |
13 | 115 | 6716 | 58.4 | 35 |
14 | 164 | 10607 | 64.7 | 33 |
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1日 | 2381 | 256716 | 107.8 | 43 |
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20210228-00225033/
この反応を見る限り、リソースの許す範囲で社会問題に相対すればよく
意識の高い、リベサヨ様方の踏み絵に付き合う必要はないって事だよな
他人を殴りながら「暴力をやめろ!」と叫んでるやつがいても、誰も相手しないだろう
「お前が言うな」は「お前でなければ正しい」という意味だから反論などせずニヤニヤしながら眺めておけばいいんだ
自分達の支離滅裂さを突かれて、発狂して更に支離滅裂な事を言うネトウヨのサンプルリストが出来上がっとる
お前らのサヨク認定は融通無碍にもほどがある。悔しかったら日本共産党のウイグル弾圧批判に否定的な「りべらる」を引っ張り出して来いよ
11時時点の直近をサンプリングするだけでも、誰も「ウイグルの問題への取り組み」を話してねぇんだから
「沈黙は賛同」なんつう訳の分からん踏み絵でマウントとったつもりでいる意識高い「系」自称リベラルなんざ無視して良いって事よな
なにが「ウイグル話法」だよ
マジクソだなリベサ
日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。
どの作品を入れるべきか迷った。古典の翻案に見られる知性とユーモア、晩年の作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に「歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活の不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。
「河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界の架空の言語に魅せられたのか、その理由はわからない。
アンデルセンの小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。
で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。
ところで、ディズニーの作品の価値を貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫」だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニーは普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)
「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンがニュートンとアインシュタインの物理学を自力で発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者とエンジニア最高、政治家と宗教家と文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。
そうしたえぐみが比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。
友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代に適応できない英国の執事の物語である。
彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものだから、登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。
カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。
彼の作品は不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい。
作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき、人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯に思考した書物である。
ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。
僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程を子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。
そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物の意識から別の人物の意識へと、外界の描写や連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本の映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分の意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。
「灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。
さえない少年が万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれてしまう。これは主人公が異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式でチートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白い小説なのに、その小説が現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨の台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。
ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆のメッセージのストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人と商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。
基本的に自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉や文字で物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。
元々SFの人だけれども、最近は日本の古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。
どうしてこれほどあなたを信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやかな奇跡であなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。
以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。
ただただ弱くて情けない人物が遠藤周作の作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。
「男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である「女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。
世界の文学をパロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語の関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマが物語レベルとメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。
知的障害者のチャーリー・ゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者とセックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。
チャーリーは女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。
天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか。
素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点が距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。
子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類の運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。
人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙で意味があるのか。
人類の運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。
内容はタイトルの通り
まず猫を飼おうと思ったきっかけは約20年間一緒に住んでいた猫との死別
なかなか日常の会話も進まない二人の不器用な男、そんな暮らしにささやかだが彩りを与えてくれていた愛猫
その喪失感に耐えられず、死別から一年経ち喪が明けたという気持ちもあり、二人でしっかりと相談を重ね猫を再び飼おうと決意した
様々な条件はあるが、最初は車で一時間程度の所にある保護団体の募集に申し込んでみた
答えは 否
その後調べた所、保護団体は条件が厳しいとの情報があったため、個人での譲渡希望者を探す事にした
二件目は同じ県に住む相手、どうやら家猫の避妊手術をしていなくて増えすぎた子猫を譲りたいようだ
これならばと思い申し込んでみた
もしかしたら申込みが遅すぎたか?と思い次を探してみる事にする
三件目は同じ県、車で40分程度 好条件だ 拾った子猫の扱いに困って譲渡したいとの事
なんとやはり 否、とのこと理由は不明だが、申込みが遅かったわけではなく……やはり家族構成だろうか?と考え始める
四件目 偶然にも隣の市、車で10分以内、しかもトライアル期間(1週間程度お試しで飼い、お互いに感触を確かめる)あり
さすがにこの条件ならば、と思い募集後すぐに譲渡希望の申請をした
もういいだろうが返答は 否、である
しかも理由はお決まりのように「家族構成がこちらの条件と合わない」
私は辟易した うんざりだ 返信もせずにサイトの退会ボタンを黙って押した
さて、私が譲渡する側にもしもなったら確かに「60代の父、30代の息子」に安心して猫を譲渡出来るか?と言われたら若干悩むかもしれない
確かに世間から見て理想の家庭像かもしれない、そして猫からしても……?
それを見極めるのが「面談・トライアル期間」ではないのだろうか?
「人となり」を見極めるのは難しい 実際相手を目の前にしていないと尚更だ
アルバイトを募集するのに、30分程度の面接でその相手を完全に判断出来る人間など居ない
面接官は気難しい顔をして相手の顔と履歴書をチラチラ伺い、お決まりの問答をして「じゃぁ試しに雇ってみる」事だって多いはずだ
大企業の学歴フィルタレベルにラインがある たった1000文字にも満たない応募文章でとりあえず選別をする
あたかも透視能力でもあるかのように、「人となり」を見極めようとする 私にはとても真似できない芸当だ
「60代男性、30代男性二人か うん、ダメだね」 気持ちは分かる
猫が20年生きたら父はその前に死ぬからだろうか? 男性は猫を虐待するからだろうか?
では「40代夫妻、10代の子ども」だったら確実に幸せにしてくれるだろうか?
「もしも」を考えたらキリが無いのだが、夫婦円満な家庭だろうか?この時代で仕事に疲れている夫婦は虐待や放置をしない?
病気はしないだろうか?私の叔父などは私より若い歳で妻と子を残して白血病で亡くなった
昔、私が10代の時に学校でアンケートがあった「ペットを虐待したことはありますか?」
なんと、犬猫を飼っていた家庭のかなりの子どもが大なり小なり「経験がある」と答えていた
それを作文で発表し、自らを戒める道徳の授業だ
ちなみに私はその時ペットを飼っては居なかったので、正直そんな他人の話に興味は無かったという記憶もある
話が脱線したので戻すこととする
『なぜトライアルすら許されないのか』
「人となり」を確かめるなら一件ずつ面談、条件が良さそうならばトライアル とすればいいのではないか
しかし彼らはそれをしない 「人手が足りない」「時間が足りない」のだろう
それらしい理想の家庭を文章だけでまずエスパーのように読み取り、あたかも大企業の面接官のように面談したりトライアル期間を設けて決定する
それが最も「効率がいい」のだ
彼らにとって持て余してしまった動物は言わば「不良債権」であり
その「不良債権」をなるべく高く条件のいい所にそれっぽく手放し、そして「ああ、私は”儲けた”」と言う自己満足に浸る
特に二件目の「無責任に増やしてしまった」飼い主などは今頃自分の無関心、無知が産み出してしまった過ちを「私の猫たちが可愛がって貰える!」なんて胸を撫で下ろしてるに違いない
■くそくらえ だ
確かに私達は客観的に見て悪条件である それは認めざるを得ない
しかし、命を扱う覚悟をアピールする場も無く、門前払いを受けるのは不当だと強く感じた
特に最後の件だが、10分ちょっとの場所にある我が家を是非見に来て欲しかった
亡き愛猫が残したペットタワー、ブラッシングや爪切り道具一式、冬も安心の猫用ホットカーペット
動物を愛してやまない心優しき父、猫と適度な距離を保ちお互いを同じ家族として扱う私(さすがにこれは自惚れだ)
当然二人とも猫に暴力を振るったり、放置したり、必要なケアを怠ったりなど20年間一度もしなかった
日中日当たりも良く、猫のくつろげる場所はたくさんある かかりつけのペット病院も歩いて行ける
フードやトイレもすぐにホームセンターへ飛んでいって用意して歓迎する事を約束出来る
でも私達は彼らに「猫を飼うには不適切なダメ家族」というレッテルを貼りつけられまくった
■そして選ぶ道
結局、里親募集のサイトは諦める事となった 時間の無駄だからだ
今後、春になったら捨て猫が居るかも知れない 知り合いからの縁で譲り受けられるかもしれない
普通のやつは隣のやつが何喰おうと興味ないし、何か言うモチベーションはないよ
でもヴィーガンは違うでしょ。隣で動物の死体食われたら黙ってられないんじゃないの?沈黙は同意とかなんとか考えてさ。何か言うモチベーションは高いよね
だからケンタッキーとかの企業に抗議するんじゃん。本当に肉食に寛容なら抗議しないよね?
つまり、ヴィーガン側から喧嘩売ってんだよ。ニワトリか卵かじゃない。ヴィーガンが先だ。
で、ヴィーガンの言う事って動物さんかわいそうみたいな感情論でしかないよね?別に人権のない畜生が殺されようとかわいそうとは思わないが?
五体不満足かつ池沼だろうと人間のまんこから這い出てきたんだったら人間だし我々と同種だし人間が作り出した法の下に置いて保護されるべき存在ではあるが、我々と別種の意思疎通も当然できない畜生なんてどう扱われてもいいんだが?
豚を殺して犬をかわいがることも矛盾しないよね。畜生をどう扱おうと人間様の気分次第なんだから。
畜産は非効率だしそこに回す食料を人類にいきわたらせれば食糧難は解決する?
それは畜産の話であって、魚やイノシシやシカを食べない理由にはならないよね?
ヴィーガンから喧嘩売ってる割に理屈がボロボロなんよ。まじで。
せめて喧嘩を売るな。肉食のやつに寛容になれ。
沈黙は産道だとみなしてすぐに脱がせるよ