はてなキーワード: 沈黙とは
https://www.yomiuri.co.jp/world/20210320-OYT1T50148/
米国のバイデン大統領は19日、アジア系女性ら8人が銃撃で殺害されたジョージア州を訪問した。アジア系に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)を巡って住民らと意見交換し、その後の演説で「沈黙は共犯と同じだ。声を上げ、行動しなければならない」と訴えた。
インド系の母を持つハリス副大統領は第2次世界大戦中に日系人が強制収容された歴史に触れ、「人種差別は米国の現実だ。大統領と私は黙っていない」と訴えた。
これは心強い。
これから差別問題に黙ったままの人には共犯ですよ?大統領もそう言ってますよ?と問う道筋ができた。
バイデン氏は首都近郊から大統領専用機に乗り込む際、タラップで体勢を崩して何度もよろめき、一度、膝をつく場面があった。ホワイトハウスの報道担当者は「とても風が強かった。大統領は100%大丈夫だ」と説明した。
焦った・・・ただの風か。
しかし建前がとっくに消滅していようが実際的な権利のすべては権利者にあります
なので権利者が沈黙を貫くのであれば、日本国の法律と利用するイベント・プラットフォームの規約に反していない限り、
原作への敬意が感じられないポルノを発表する自由・有償販売する自由があります
権利者ではない第三者が、原作への敬意が感じられないポルノを発表する自由・有償販売する自由に圧力を掛ける事は絶対にあってはならない事ですが
貧乏に陥るのは怖いな、嫌な奴がいて嫌だったなという自己語り。
長い文章だが、だれか読んでくれるかもしれない、その気持ちが少しでも今の自分をマシにしてくれそうな気がしたから、書き出します。
そのうちの1人に私は嫌われたのがきっかけと思う。
嫌われた原因は未だにわからない、特に私から相手へ悪意をもって接したことも無ければ、他のメンバーと差をつけたつもりもない。
私の行動が相手の目にどう映っていたかはわからないが、意識として嫌いだったことはない。
その相手をAと語る。
その中でひたすらにAはお菓子や趣向品をオススメしてきて、メンバーに布教しており疎外感を感じ始めていた。
ここに関しては、私自身の問題であり周りを恨んだことも勿論ない。
そして、メンバー内で誕生日プレゼントを贈り合う事もあったのだが、私はその当時あまりにも金銭的余裕がなかった。
贈ってもらう時も、相手に事情を話し何も返せないかもしれないというのも都度伝えた。
そんな中でメンバーの一人、●さんの誕生日が来る時、私はお金がかからない手作りの物をプレゼントに選んだ。
それを準備しているころにAと電話をする。
私「××を作っているよ、送ろうと思って」
A「●さんに沢山貰っているのに、それだけなんだ?」
A「さすがにそれはやめときなよ」
2回間をおいて「ふ、」と相手が笑い声をあげたのを鮮明に覚えている。
これを言われた時、私は頭が真っ白になった。
笑われたことで「自分の貧乏が恥ずかしい」と心の底から羞恥が沸き起こった。
●さん、にはその年の誕生日にとても高価なものを私は貰っていた。
こんなものしか返せないのに、断らなかった自分が恥ずかしくて卑しい者だと死にたくなるほど恥じて、それに気づかされた気持ちになった。
「ごめん、なんか」
私は「なんかごめん」という言葉がとても嫌いだが、精いっぱい出た言葉はそれだったことを覚えている。
その後作っていたものは破棄して、●さんにはもっとシンプルな物と言葉でお祝いをした。
余計に凝った物を送るのは恥ずかしくて、精いっぱいにできる事がそれしか当時の私には浮かばなかった。
その後●さんといるときに、Aから●さん宛の誕生日プレゼントが届いた。
それを心底喜ぶ●さんを見て、私は自分の手作り品を送らなくて本当に良かったと思った。
今の私から言っても正直そういった物しか返せないのはふがいないが、他人からそんなことを言われる筋合いはないと思っている。
只、当時金銭的余裕がなかったこととその理由のせいで落ち込んでいた所でAからの発言を受けて芯から私が悪いのだと思っていた。
2人で電話の際にはAからそういった蔑んだような、馬鹿にされるような言葉を受けるようになる。
私が他のメンバーとSNSでやりとりをしたことを挙げ、恥ずかしくないの?とひたすら問われる日が続いた。
そのたびに私は「ごめん~」「そういうつもりではないんだけど、これ以上できなくてさ~」とヘラヘラと返していた。
私の立場が悪く、悪い事を自覚していなかった私のせいで相手を不快にさせてしまうのだろうと本気で思っていた。
Aは他メンバーのために私に注意してきているのだろう、と思っていた。
しかし、残りの一人のメンバーであるTさんから執拗に連絡がくる。
当時の私は卑屈にもなっており、私の混ざれないオススメ品の話題で盛り上がる他のメンバーに対しても「私は迷惑な存在だろう」と思っていた。
だからTさんからの連絡も、しばらく私の心には響かずかなりの塩対応をしてしまっていた。
それでも続く連絡に、もしかして?という気持ちが沸き起こり、連絡を受けとるようになる。
最初は何を言われても、戻っておいでと言われても、そっけない返事を繰り返した。
それでも、Tさんは変わらず応対してくれた事で、私はTさんに対しての上記のような気持ちを払拭した。
人並みの生活を得て、振り返り、貧乏になった原因は私のせいではない事とAからの行為は「嫌がらせと悪意」だという事に気付けた。
私はAから物をもらった事はないので、返さなかったことで恨まれているわけではないと思う。
日常の言動が相手をイラつかせていたのならそれは申し訳ない事だが、ここまでされるほど恨むことがあったなら遠回しにこんな事をする必要はないよな?
と、今は思っている。
現在、Tさんとは個人的に遊んでいるものの、私とは別でAを含めた3人は仲良く遊んでいる。
それを嫌かどうか、と言われると私はとても嫌だ。
やめてくれというつもりも壊すつもりも毛頭ないが、嫌だと思う感情が抑えられない。
私はAの事をとても恨んでいる、私がメンバーを集めたあの場所で私を蔑んだことを、それを他のメンバーの居ない時に執拗に行ってきたことを。
そんな感情になる自分がまた嫌なのだが、抑えもできずそう思ってしまうと当時の二の舞だとも思うので、今は純粋に気持ちだけ恨むことに留めている。
Tさんの事が友人としてとても好きな反面、そのAと仲良くしているのをSNSなどで目にしてしまう度自分にとっても嫌な感情が沸き起こる。
多分これは時間が経てばどうでもよくなっていく、そう自分でも思う。
Tさんとは仲良く遊んでいる事で何の弊害もない今、きっともっと今より辛い事でも起こってくれれば、これはどうでもよくなる感情だと思う。
そこまでわかっているのに、嫌な感情にとらわれて仕事や日常生活のパフォーマンスが落ちてしまっている自分を、どこかに吐き出してしまいたかった。
今のネット上でのコミュニケーションはニュースを通じて行われている。
日世界のどこかで感情を揺さぶられるような事件を見つけてきてニュースとして報じ、そのニュースについての意見を発信しろと迫るのだ。
「同意」か「反対」か、「右」か「左」か、「○○支持者」か、迫るのだ。
毎日、悲しくなったり、怒ったり、憎んだりしているが、数年後どうなるのだろう。
日本では当事者のゲイがBLに文句言わないから、こんな甘えたこと言ってられるんだよね。
僕は英語と中国語ができるので(ハングルは勉強中)微力ながら「日本のBLの差別性」を海外に発信し続けている。
最近はBL嫌ってるゲイもSNSでポツポツ可視化されてるけど、日本人的奥ゆかしさなのか、騒ぐと逆に差別が強まるという怯懦からか、社会運動として声を上げる動きはまだ無い。そういう被差別当事者の沈黙を踏み付けて娯楽として消費してるのが腐女子(ジェンダー平等に気を遣うなら腐男子も)。
米国ではノンケ女性作家がゲイの物語を書くのが「ゲイ作家のチャンスを奪う、文化の盗用」という批判はもう出てるし。
新入社員 23歳女性、かわいくてエロい、仕事はできるほうでこれから期待している(していた)
エルダー 35歳男性、イケメン、仕事はできると見せかけて実はできていない
弊社は新入社員にエルダーがつくことになっているが、絶対に同じプロジェクトにアサインされるわけではなく、その場合は同じプロジェクトの歳が近い先輩が実務のサポートをしつつ、エルダーは社会人の基本的な行動を教えたり心理的なサポートだったりをすることになっている
で、新入社員と同じプロジェクトにいて歳も比較的近かったので実務的なサポートをしていたのが私だ
弊社は一応大企業なので基本テレワーク必須になっており、教えるのにはなかなか苦労した、でも新入社員も素直でかわいかったのもありそこまで苦でもなかった
問題なのはヤリチンエルダーの方だ、あいつは業務に関することは本当に何も教えず、勤怠の切り方からメールの書き方まで私が教えた
あまりにひどいのでヤリチンに苦情を入れたところ、すんませんでも週一で面談してるんで言っておきますわーと言われたことがある。言っておきますも何も問題があるのはお前だろクソが
ただ心配になったので、新入社員にもそれとなく聞いてみたが不満の発言も無かったので、まぁ心理的なサポートはちゃんとしてるのかなと思い納得した
部会で急に報告がありますとかヤリチンが言い出し、新入社員と結婚しますと、子どももいますと
少しの沈黙の後、事前に聞いてたらしい部長がおめでとうと言い出し、みんなパラパラおめでとうと言って部会は終了した
ありがとうございます、とか照れくさそうに言ってたけど、その裏ではチャットでのディスリ祭りですよ
キモい、エルダーとして何教えてんだ、ヤリチン、普通に引くわ、などなど、みんなドン引き
私としてもね、そんなんヤルひまあるなら勤怠の切り方とか教えてやれよと心底ムカつきました
社内で新入社員とか若手に手を出してデキ婚したおっさんたち、マジでお前ら誰からも祝福されてねーから!恥ずかしいよ!裸の王様だよ!
仕事覚えてくれてきたのに、産休に入るから全部パーだよ!私が残業して何とかすればいいんだとよ!
死ね!
先日、市役所で住民票発行されるの待ってるとき、目の前に2歳くらいの女の子とお母さんらしい女性がいたんだわ。子供の挙動って見てて飽きないもんで、観察してて面白いから、(俺なりに)不審者にならないように注意しながら眺めてたんだよな。
その女の子、この子がまあよくしゃべるしゃべる、彼女の視界に何が映っているのか、あらゆるものについて母親に次々に説明しまくる。壁のポスターだとかガラスケースの中に置かれたぬいぐるみだとか、自分が見ているものについて機関銃のように話し続ける。
このぐらいの年齢って、身の回りの世界について自分で表現できる言葉のパワー? みたいなものが実感できて、めっちゃ楽しい時期なんだろうか。俺には子供いないからわかんないけど、2歳くらいって大体みんなこう? でも、こんなよくしゃべる子供見たことねえし、この子がやっぱ、どっか変わってんのかな、すげえヤツだな、っていうかお母さん大変だ…という妙な頼もしさと戦慄を感じながら観察していた。
…
最近『神々の沈黙』って本を読んだんだけど、4,000年くらい前まで人間には意識というものがなかったそうだ。
厳密には「(今日的な意味での)意識はなかった」、ということで、じゃあ昔の人類がどうやって物事を判断していたかというと、脳内に常に「神」の声が聞こえており、その指示に従って活動していたという。
人間の脳ミソというのは、心身の大抵の機能について右脳・左脳の双方で共同して取り組んでおり、左右のどちらかが比較的優位という場合はあるにしても、一方だけが何かの役割を負うのは珍しいらしい。
そんな中、左脳にウェルニッケ野と呼ばれる領域がある。ここは言語に関する能力を司る部分なのだが、右脳側でこれに対応するエリアが何をしているのかというと、これがよくわからないのだそうだ。左脳のウェルニッケ野の役割から推測して、その謎の領域も言語の機能に関わっている(あるいは、「関わっていた」)と想定されるが、明確になっていないという。
興味深いのは、右脳のこの謎のエリアに電流などで刺激を与えると、幻聴を聞いたり異常な知覚を感じる被験者が現れることだ。そこで本の著者が持ち出した仮説が、古代、人間はこの謎のエリアを通じて声を聴く能力を持っており、この声を「神」の指示と認識して、それに従って行動していたのではないか、というものだった。
じゃあ、なんで今はその声が聴こえないのか? というと、人間の言葉の機能が進歩を止めなかった結果だという。言葉によって抽象的な思考を働かせたり、過去や未来を想像する範囲が広がっていったために、段々、人間の実生活においてみんなの脳内の「神」同士のすり合わせが難しくなってきた。結果として人間は「神」を手放し、(一応)自分の意識でものを考えるようになっていく。
つまり、言葉によって見出された脳内の「神」が、言葉の進歩についていくことができず、言葉によって追放されてしまったわけだ。人間ってのはすげえ生物だな、と思う(ただ、『神々の沈黙』は半世紀近く前の本なので、脳科学の常識はとっくにアップデートされている可能性がある。詳しい人がいたら現在はその辺どうなってるのか教えて欲しい)。
…
人間の言葉のパワーのすさまじさ、この世のあらゆることを貪欲に説明しようとする姿勢を特に実感するのが小説読んでて心理描写を目にしたときで、人間のあらゆる感情の機微だとか普通なら理解不可能な狂気の心の働きだとか、もうなんでも言葉で説明してしまう。
中には、明らかにあまり実態に則しておらず、「これ、作家が『こんな奴いたらやべーよな』つって現実に有りもしない心理状態仕立ててやがんな」っていう、京極夏彦の『巷説百物語』シリーズとか、架空の狂気思いついてから逆算してキャラクター作ってんな? そんな奴は現実にいねえから、っていう場合もあるんだけど、おおよそは「確かにこういう心理ってあるよな、よく言葉で説明してくれたなあ」って感嘆することが多く、人間の言葉はマジすげえな、と思う。
…
市役所の女児のことを考えると、言葉の衝動ってのは個人差はあってもほぼ制御不能というか、乗っかるかどうか是非を決定する余裕がある類のものではなく、とにかく激烈に意識にドライブがかかっていくのを前提としてどうやって付き合うか、というものっぽいのでいくらか恐ろしいが、基本的には人類を前進させてきた能力だし、幼児とか若いヤングとかに対しては「いいぞ、もっと、この世のなんでもかんでも言葉にしてやれ」と思って見ている。
実際は生きてると「これは言葉になんねーな…」という場面、出来事もある。たぶんあの女児も成長していく中で自分の口をいったんつぐまざるを得ないタイミングが訪れるんだろう。いま話題の「わきまえる」とは違う、純粋な言語化の困難さだ。
ただ、その辺は期待が現実的な予想を上回ってるというか、まあ1,000年単位で変化してきた人間の資質の前に一つ二つの世代の差なんて関係ないかもしれないが、俺自身はもう古い時代に属する側の人間に自分を組み込んでしまっていて、あの女児を含んだ子どもたちが、小説でもラップでも詩でも音楽でもいい、大いに色んなものを言葉にして征服していったらいい、と思っている。
するよ
これこそが腐女子が大っっっっっ嫌いな理由、腐女子が嫌われる理由だよ
腐女子について書き連ねたい、けど面倒、けど書き連ねたい を先日からずっと繰り返してるよ
けれど、別ツリーでも書いた通り、
権利者が沈黙を貫くのであれば、日本国の法律と利用するプラットフォームの規約に反していない限り、
作品は作者とファンの共有財産です。しかし実際的な権利のすべては権利者にあります
なので権利者が沈黙を貫くのであれば、日本国の法律と利用するプラットフォームの規約に反していない限り、
"嫌なら見なければいい"のです
ですが、原作への敬意が感じられないポルノを発表する自由があるのと同様に、
そして黙認されている場合、権利者ではない第三者は、不快なものを見ない権利(嫌なら見ない)を行使出来ます
ただし、ほぼすべての国で異性愛だろうが同性愛だろうが"性描写はセンシティブなコンテンツ"です
また恋愛は別にセックス無しでも描けますしそもそもセックスは義務ではないです
創作している方にも見ている方にもポルノだという自覚は欲しいですね
作品は作者とファンの共有財産です。しかし実際的な権利のすべては権利者にあります
なので権利者が沈黙を貫くのであれば、日本国の法律と利用するプラットフォームの規約に反していない限り、
"嫌なら見なければいい"のです
ですが、原作への敬意が感じられないポルノを発表する自由があるのと同様に、
これこそが腐女子が大っっっっっ嫌いな理由、腐女子が嫌われる理由、
書き連ねたい、けど面倒、けど書き連ねたい
いいえ、違います
ただし、原作に敬意を払わないという点ではセクシャルに言及があるキャラのセクシャルを変えるのと同じです
作品は作者とファンの共有財産です。しかし実際的な権利のすべては権利者にあります
なので権利者が沈黙を貫くのであれば、日本国の法律と利用するプラットフォームの規約に反していない限り、
"嫌なら見なければいい"のです
ですが、原作への敬意が感じられないポルノを発表する自由があるのと同様に、