はてなキーワード: 沈黙とは
だいたい、なんか心身ともに充実してるはずのアスリートのみんなちゃん、森に文句言ってました?
多様性を尊重するのがオリンピズムだぞ、って言ってた割に声上げた奴いました?
いや居たけどそれがめちゃくちゃ目立つくらいに黙り込んでた連中が圧倒的でしたよね?
為末大学がちょろっと物申したら「よく言ったー!!!!!」って喝采されてましたよね?
なんつうのかな?
黙り込んで逃げる奴はどこにでもいるんだけど、増田もブクマカも世間も「叩きやすい黙り込んでる奴」を選んでぶっ叩いてるよね。
オリンピズムとかの精神をまず尊重すべきはそれの言い出しっぺであり、それで飯食ってるアスリート周りだと思うんだけど。
そいつらアスリート連中に対しては「言いにくいよね分かるよ」とムーブかましつつ、その周辺のオリンピックあんま関係ねえただのおっさんには「声を上げなければお前らも共犯! ジャッポス!」って・・・
控えめに言ってころしたいんですけど。
途中までの追記を読んだけど、
いじめだけは違う。
傍観者は悪くないと思うが、被害者から見たら加担してるのと一緒という意見を重くみてほしい。まず傍観者と被害者とでは情報は非対称で異なっている。傍観者が、幾らいじめが良くないと思っていても、傍観者同士でもわからないし、ましてやそれは被害者には届かない。
また、被害者が「キモい」と言われながら苛められてると、不合理な目に合ってる被害者は「キモいから苛められている。キモいから苛められても仕方ない、キモいから苛められて当然だ」と思ってしまう。思う方が悪いと思うかも知れないが、モラハラと同じように、これ自体がいじめの被害の一種だと考えて欲しい。
この場合、当然認知が異なってくるので、傍観者視点と被害者視点で見えかたが異なる。
そもそも実際いじめにあう時って、モラルとかに社会規範とかは形成段階なんで、いじめと「沈黙は加担」と一緒にしてほしくない。
寝言は寝て言え。
誰かをいじめることと、それを傍観することが同じなわけないだろ。
百歩譲って『いじめを見て見ぬふり』が悪いことだとしても、いじめること自体とはまったく別の問題だろうがよ。
うーん、正直むしゃくしゃして勢いで書き込んだ増田にこんなに言及やブコメが付くとは思わなかったよ。
『いじめを見て見ぬふりはいじめと同じ』も『そんなわけないだろ』も手垢の付きまくった議論だと思ってたからな。
それはそうと、トラバやブコメを見て大分冷静になったので、今の考えをまとめるためにも追記したい。
まずこのエントリを書いた理由は、その時点でいじめに限らず『沈黙は加担』みたいな論調に少なからず頭にきていたからだと思う。
「いい子ぶりたいならお仲間の悪行をなんとかせえよ」みたいなことを言われて、「何で見ず知らずの他人の始末を俺が付けにゃならんのだ…」的な心境だった。
でもトラバやブコメを読んで、今回いじめに限定するような書き方をしたのは、良くなかったかなと思っている。
・そうだよ加害と傍観は別だよ
・加害より悪質だよ
・同じじゃないけど加害者寄りではあるよね
等々…
いじめを許容する空気がいじめをエスカレートさせるので加担してるのと同じ、という(自称)被いじめ経験者の主張(BA) https://archive.vn/wip/9hLmG これへの見解を聞いてみたい。自分の経験からすると分からなくもない
読んだ
トラバでも似たようなことを言ってる人がいたけど、俺は他人に「仲間の不埒を責めないのは不埒ものと同じだよ(だからお前は悪い)」の『お前は悪い』の部分に腹を立てていたんだな。
だってただ同じネット空間にいる不埒ものと似た志向を持ってるだけで仲間に見られた上、そいつらを諌めない限りお前に発言権は無いというような事を言われたわけだからな。
でも一般的にいじめといって思い浮かぶコミュニティの単位(例えば学校のクラスとか)であれば、かなりの(現実での)行動を一緒にするわけだし、「仲間でない」とは確かに言えない。
いじめを許容する空気をコミュニティで共有していれば、その空気を醸した者として責任がある、というのはわかった。
実際にあるいじめへの対処の考え方として、それは多分正しいんだろうな。(お前が悪いが前面に出るとダメだと思うけど)
だから安易に『いじめ』という言葉を使ってエントリを立ててしまったのは、正直申し訳なかった。
『そのエレキバン、えれぇ黄ばんでるね』\ドッ/
都合のいい時には沈黙は荷担
もちろん数値データが必ず必要なわけではないし、数値データがあったところで、それをどう分析するかで結論も操作できることが多い。
ただし、数値データを必要としない場合ってのは、観測方法が成立されていないとか理由がある。
数値データの必要性を、「国民としてのアイデンティティ形成」に限定して書く。
が、この比較は教育では難しい。ある群に「教育的に行うべき」と考えられていることを「あえて行わない」ことが倫理的に許されにくいからだ。
日本の場合、古典教育を行わなかった時期は存在しない。そのため、時代を変えて比較することもできない。あえて行うなら、不登校層などになるかもしれないが、その場合その他の条件が異なりすぎる。その他のフリースクールなどを参照することも考えられるが、これも前提条件が異なりすぎて比較にならないだろう。
参照するなら、他国におけるデータになるだろう。これは探せば存在するかもしれない(以前は行っていたが行わなくなった、あるいは、行っていなかったものが行うようになった、など)。
また、短期間のデータ(古典教育を行う前と行った後でどのように変わったか)も存在するだろうが、短期間で「効果がある」と言えるのかは疑問(短期的には何かしら影響は出るだろうが、長い期間では剥落するかもしれない)
もちろん、その他の「意義」に関しては、各種質問紙調査(などでよければ)であれば、データは玉石混淆で存在している。
もっとしっかりとしたデータを取った方がいいんじゃないか、ということであれば同意する。
義務教育に高等学校も含むということなので確認しておくと、まず、高校に入学した「全員」が必修で受けるのは高校では古文と漢文を合わせて「40時間」くらいだ。仮に1作品に3時間かけるとしても、13本くらいしか触れられない。
古事記、竹取物語、大鏡、源氏物語、平家物語、枕草子、徒然草、奥の細道、論語、史記、唐詩、故事成語類 ぐらいか。この中にも「選択」に回されているものもある。
この40時間は、上記の「まあ存在は知っといてほしいことになってるよね」という古典におおまかに触れる、くらいしかできないだろう。かつてこの国で、どういったものが読まれていたか/書かれていたかについて学ぶ時間を40時間も取るべきではない、と言われたら、「そうですか……」と沈黙するしかないが、「矛盾ってなんで『矛』と『盾』でパラドックスって意味なんだろうな」という国民が大部分を締めるのはちょっと勘弁してもらいたい。ただし、自分もここは「現代語訳」をもっと使ってもいいんじゃないかと思う。ただ、現代語訳使っていいよ、と一度学習指導要領でなったんだが、教科書会社や現場が着いてこなかったんだ……。
で、こういった「古典」を相対化していくのは義務教育(正確には高校教育)の「選択」の役割だろう。これは、全員が受けるわけじゃないんだから、高校生には要求してもいいんじゃないか。一部の、日本文学科などに進んだくらいの人しか古典を相対化できないというのは、これはこれで望ましくないだろう。
市民形成のためには、「国家」がどのような装置なのかを学ぶ機会があることは必要だ。もちろん、それは社会や地歴公民でも学ぶことができるが、ただ書名として「論語」や「古事記」と認識するのと、「ああ、ああいう中身の本が祭り上げられたわけね」とピンとくるのとでは全然違うと思う(これは主観なので、「いや、別に中身知らなくてもよくない?」と言われたら、特に反論はない)
これは…すごい難しい話だ。
「沈黙」とは、神の沈黙、すなわち神を信じる人間が、神に対して祈りを捧げても、神が応えてくれない状態を指している。
なぜ神は祈りに応えてくれないのか。神は信じるもの、わたしを、わたしたちを見捨てたもうたのか。エリ・エリ・レマ・サバクタニ。キリスト教徒の方であれば、一度は聞き、考えるんだろう。
おそらく、神は人間の声が聞こえないのではない。聞こえているが答えを出さない。1人1人の人間を、その人間が思う「救い」のかたちに導かない。もっと超越的な、人間全体や世界そのものの方向付けをする存在として(人間によって)デザインされた存在だから。
そう考えると、「信仰を捨てる / 捨てない」ことや「表面的な教義に従っている / いない」ということは、神の前では非常に小さい問題だ。ただ信じる側の人間が、祈りに応えない神の声を、教えをどう聞き取り、どう人生の中で実践するか。その考えと行動のみが、答えになりえるのではないか。
長い目で見てたら沈黙でちゅよー
そうですね沈黙は金なりですよねよかったでちゅねー
https://note.com/vetement/n/nbfc0099c8456
内容については確かに問題は多そうだが、このことについては、ハヤカワ氏も対応、修正などをしており、今後の対応を見守ってから結論を下すのでもいいと思っているが、今回問題にしたいのは
ということだ。
たとえば、イケハヤ氏は、若返りに効く、という触れ込みのサプリメントを発売し、1日で数百万円の売上をあげた。しかし、はてなでもほとんど話題にならず(彼の話題はすでにほとんど話題にあがらなくなってしまっているため)、そのままスルーされてしまっている。
https://ytranking.net/blog/archives/41254
もちろん、何人かの識者が突っ込みをいれたり、問題視はされたものの、イケハヤ氏は特に何も話題にしないまま、そのままになっている。
少し炎上したところで、そのあとに燃料がなければ沈下してしまうのだ。彼のサプリを買った人たちはどうなったのか、健康被害はなかったのか、薬機法倫に抵触したのは問題なかったのか、などについては語れることすらなくなってしまった。
結果として、イケハヤサプリ事件はほぼ話題にならず、知っているものもほとんどいない状態になっている。
DeNAのキュレーション問題のときもそうだった。DeNAのWELQはたしかにひどいサービスだった。問題も大きくあった。しかし、一番まともに記者会見もし、責任者が責任をとり誠実に対応をしたDeNAだけが歴史に残り、未だに言及されるのに比べて、他の大手企業のキュレーションメディアのことは殆どふれられない。
サイバーエージェントについてヨッピー氏が問題視したというものはあったが、これもDeNAほどの話題にはならなかった。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/spotlight
ほとんどの人は「キュレーション問題といえば、DeNA」となっているだろう。未だに、DeNAに関する記事ではWELQ問題が指摘されやすいが、サイバーエージェントの記事で、キュレーション問題にふれるものはほとんどいない。
ネットウォッチャーのotsune氏は自身が炎上したときに、徹底して沈黙を守り、大事にいたらなかったことがある。ネットウォッチや炎上のプロである彼がそういう対応をするということは、今のネット言論では、何が起きても、自分にいかなる非があろうと、ただ沈黙をするのが賢い選択ということになる。
私は、ハヤカワ五味氏やDeNAのほうが誠実で正しい対応だと思っている。しかし、今のネットでは、誠実に対応したほうがバカを見るようになっている。
どうせ毎日のように炎上ネタが降ってくる世の中なので、何も燃料を投下しないほうが賢い、ということだろうか。
みんながどう思っているのかを知りたい。
https://note.com/vetement/n/nbfc0099c8456
内容については確かに問題は多そうだが、このことについては、ハヤカワ氏も対応、修正などをしており、今後の対応を見守ってから結論を下すのでもいいと思っているが、今回問題にしたいのは
ということだ。
たとえば、イケハヤ氏は、若返りに効く、という触れ込みのサプリメントを発売し、1日で数百万円の売上をあげた。しかし、はてなでもほとんど話題にならず(彼の話題はすでにほとんど話題にあがらなくなってしまっているため)、そのままスルーされてしまっている。
https://ytranking.net/blog/archives/41254
もちろん、何人かの識者が突っ込みをいれたり、問題視はされたものの、イケハヤ氏は特に何も話題にしないまま、そのままになっている。
少し炎上したところで、そのあとに燃料がなければ沈下してしまうのだ。彼のサプリを買った人たちはどうなったのか、健康被害はなかったのか、薬機法倫に抵触したのは問題なかったのか、などについては語れることすらなくなってしまった。
結果として、イケハヤサプリ事件はほぼ話題にならず、知っているものもほとんどいない状態になっている。
DeNAのキュレーション問題のときもそうだった。DeNAのWELQはたしかにひどいサービスだった。問題も大きくあった。しかし、一番まともに記者会見もし、責任者が責任をとり誠実に対応をしたDeNAだけが歴史に残り、未だに言及されるのに比べて、他の大手企業のキュレーションメディアのことは殆どふれられない。
サイバーエージェントについてヨッピー氏が問題視したというものはあったが、これもDeNAほどの話題にはならなかった。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/spotlight
ほとんどの人は「キュレーション問題といえば、DeNA」となっているだろう。未だに、DeNAに関する記事ではWELQ問題が指摘されやすいが、サイバーエージェントの記事で、キュレーション問題にふれるものはほとんどいない。
ネットウォッチャーのotsune氏は自身が炎上したときに、徹底して沈黙を守り、大事にいたらなかったことがある。ネットウォッチや炎上のプロである彼がそういう対応をするということは、今のネット言論では、何が起きても、自分にいかなる非があろうと、ただ沈黙をするのが賢い選択ということになる。
私は、ハヤカワ五味氏やDeNAのほうが誠実で正しい対応だと思っている。しかし、今のネットでは、誠実に対応したほうがバカを見るようになっている。
どうせ毎日のように炎上ネタが降ってくる世の中なので、何も燃料を投下しないほうが賢い、ということだろうか。
みんながどう思っているのかを知りたい。
何度も怒られているけど、敵を作らない人がいる。
観察によって分かったその人のパターンは
・怒られている最中も後もリアクションをしない。恥じたり、イラついたり、落ち込んだりもしない(相手をエスカレートさせない)
・何か言われても基本的に無言。沈黙が続いても無言。とにかく相手に全部放出してもらう(相手が落ち着くのを待つ)
・弁明は「私の言い方が悪かったんです」(相手が悪い場合でも相手のせいにはしてない=悪者にならないし、相手が悪いことは明白なので自分のせいにもならない)
・次からこうする、改善しますという宣言はしないし、行動にも移さない(事態は変わらないが、自分の立場は悪くならない)
エレベーターで一緒にになったら、たいして仲良くない相手にも誰でも漏れなく親しげに雑談しなきゃなんないのか〜?
同性異性問わず仲良くない相手と一緒にいたら微妙な沈黙が流れ、そこに相手の親しい人が来たら楽しそうに雑談し始めるってよくあるじゃん!?ないの???
毎年お正月に集まって、いとこやその子どもたちも一緒にわいわいおせちを食べるような親しさだ。
最近はコロナや年齢の事情もありあまり集まってないけど。何せ、一番下が私(アラサー)、一番上はアラフィフだ。会社の部長と同年代。
そんな我がいとこたちは、数年前に一番上のいとこ(アラフィフ)の旗振りのもと、増田家親戚のLINEグループを作ることになった。
最初はすごく穏やかだった。なんとなーくお互いの誕生日を祝ったり、ゆるい雑談をしたり。ペースは月一以下といったところだ。
雲行きが変わったのは2年ほど前。
お正月か何かで親戚が集まったときに、ふといとこLINEが話題に上がったところ、おば二人(父の姉たち)がLINEに参加したいと言い出したのだ。
特に反論も出ずおば二人が招待されたのだけど、そこからはすごかった。
おば二人の会話で全部埋まったのだ。
おばAがスタンプで「こんにちは」や「こんばんは」と送ると、おばBがすかさず何か一言を送ってくる。おばAはスタンプに続く文章を打っているのに、それを追い越す。早押しクイズなら殿堂入りレベル。
今までは何かしらの話題提供があったいとこたちも沈黙を貫いている。
すっかり草も生えぬ焼け野原の有り様。
今から別でいとこたちのLINEグループを作るのも変だし、かといって前の雰囲気にも戻れない。
元々私はぼんやり眺めていただけだし、今はおばAのスタンプからおばBの一言のスピードが見事すぎて笑っている。
シンプルにおばたちはしゃべり足りないんだと思う。
ある国の少数民族弾圧について、他国の政府ができる数少ない手段の一つは難民の受け入れだが、ネット右翼(の一部と信じたい)が、ウイグルの人々を受け入れに対して全力で嫌悪感を示すのが、割と衝撃だった。一時期、右翼が杉原千畝を称揚していた気がするが、杉原の精神はどこへ行ったのか。
例えばオーストラリアはロヒンギャ含む難民の受け入れを厳格化しているけど、同時にロヒンギャの待遇についてミャンマーを制裁している。という例によれば、難民の受け入れは数少ない手段の一つではない。ではなぜ、弁護士が真実である裏付けのないことをあげてまで、ウイグル難民を受け入れたいのだろう?
え?ウイグルやチベットは中共叩くための道具なんだから当たり前でしょ?ウヨ界隈にとっては、人権なんてどうでも良くて、戦前の特務機関の民族工作みたいなことしてるつもりなんだよ。
「サヨク」や中国批判のためにポリコレ棒ならぬウイグル棒を振り回してるだけだから、彼らは本気でウイグルを助ける気なんてない。ウイグルを論点ずらしの道具にした上で、何も解決せず批判を封じる卑劣さ。
日本の入管における人権侵害が中国ウイグル自治区から伝えられる人権侵害に負けず劣らず酷いことによると、日本の入管における人権侵害はひどいそうだ。
日本へのウイグル難民受け入れと入管規制改革には大大大大賛成なので沈黙なんかしとらんで定期。中国に個人がいうより日本政府動かしウイグル受け入れ表明する方が何万倍も効果あるで。これにDD論かますのも悪手やで
ウイグル難民を人権侵害のひどい日本の入管に入れて規制改革をしたいそうだ。海を越えて難を逃れようとする人たちを、自分たちの願望のための道具にする。ウイグル難民が人権侵害にあうことがわかっているのに。
・日本は戦争をしたがっている(そのために世論誘導されている)
とか言ってるパヨクが、マスコミが政府批判すると、それがエビデンスだと喝采をあげ熱狂するの滑稽だよね
それとも、検閲されてないのか?
なんでかネトウヨだけが陰謀論を喧伝してるかのように言われるが、パヨク連中も相当なお花畑だぞ。
【日本の若者を殺す海外派兵】と喚くパヨクが、日本のエネルギーと経済を支えるタンカー航路の防衛について、国連軍や米軍の若者なら死んでもいいのか?と問うて、答えてくれたことは一度もない。
沖縄などくれてしまえとか、一緒に酒を飲めば解決するとか、頭のねじが外れた妄言なら聞いたことがあるが、それではタンカー航路を守れない。
BLMでは「沈黙は差別賛同」「差別問題にコミットしないのはヘイター」とまで言っていたのに、ウイグル問題ではだんまり。
どっちもどっち論を批判する流れで乗り切ろうとしてるみたいだが、そもそもの立ち位置が違うだろ?
オマエラが言うネトウヨは、差別上等のヘイターなんだから、矛盾なんかしてないんだよ。
Twitterの発言やニュース記事を見ていると、頭にブーメランが刺さった状態で発言している人をたくさん見る
トランプ元大統領を批判してリベラルポイントを稼いでいたニューヨーク州のクオモ知事だが
おそらくリベラルポイントを稼ぐために多くの人が「クオモ知事は素晴らしい、一方で〇〇は~」
と批判したが、今頃になってブーメランが戻ってきたのでどう対応するのだろうか?
反転してネトウヨポイント的な概念作れないか考えたが、なんかしっくりこない。「リベラルが持ち上げたがる過去の何か」があまり存在しない非対称性ゆえか?
個人的にはリベラル派だと「(可変)は素晴らしい、一方で(固定)は~」という、誰かを叩くのが目的の批判が多く
ネトウヨは「(固定)は素晴らしい、一方で(可変)は~」という、誰かを持ち上げるための批判が多いイメージ
だが、今回の森喜朗クラスで批判が盛り上がるケースはネトウヨ側であまり見ないので、批判によるネトウヨポイントは低得点のかもしれない
誰か良い感じの加点・減点条件を教えてくれ
世の中非のない人などいないと思うのだが、一度褒めた人がやらかすとすぐ「ブーメラン」とかって馬鹿にされるので人のことを褒めづらい
自分の理想は「あの褒め方は間違ってたわ、すまんな」「ええんやで」「でも〇〇は評価したい」「わかる」で収まるやさしい世界だが
現実は左右問わず10年以上前の発言を引っ張り出してきて、謝罪してもしなくても叩く、という争いが続いている
「馬鹿って言った奴が馬鹿なんだぞ、この馬鹿」みたいなブーメランなら知らんけど
もちろん「これがリベラル!」等とは言わないが、「こんな感じの世界観でリベラルごっこやってる連中が一定数いる」という話としてなら、とても良く分かる。キメ天vs津田もこのノリ
リベラル派を名乗っているのに本来のリベラル(よくわかってない)と違う行動が多い人は、こういうポイント制ゲームやってると考えれば行動に説明できそうでは?