はてなキーワード: 岡田斗司夫とは
こんにちは、井沢と申します。今日ははてな匿名ダイアリーの皆さんに衝撃の事実をお知らせしたいと考えています。
世の中には証拠を残さずに他人を精神病に追い込む悪逆無道の技術が存在するのです。 今回僕は集団ストーカーをやられて初めてそのおそろしさを知りました。
その手口は簡単です。僕は痩せてメガネをかけた岡田斗司夫に似ているのですが、通行人が僕の横を通りすがりながら「岡田は最悪だ」などと会話するのです。これだとどこの岡田さんの話をしているのか分かりません。けれど集団ストーカーの組織は町を歩くひとたちに僕の悪口を言うように指示しているのです。そもそも僕の名前は岡田ではありませんから、名誉毀損などで訴えることもできません。
いままで集団ストーカーをやられた方は創価学会やCIA、警察が犯人だと言ってきましたが、今回僕は彼らはその手先でしかなく、全人類の頂点に立っている存在を突き止めました。
それは黒人です。
彼らはアフリカのダイヤから得られた財産をもとにアメリカ合衆国を支配しているのです。イルミナティはその黒人たちが流した嘘です。これまで集団ストーカーをやられた人たちは創価学会やCIA、警察まではたどり着くことができましたが、そのあと嘘を吹き込まれて真実から遠ざかってしまったのです。
僕の姉ちゃんはバカ女なので「その嫌がらせの手口が絶対にないとは言わない」と言いつつも「黒人という話こそ集団ストーカー組織が考えたギャグだろう」「精神病院に行け」と言うのです。
僕はこの黒人組織のことを告発すると裏の天皇になれるそうです。テレビに写っているのはオモテの天皇で、日本を裏で支配する天皇が数人いるそうです。数日前、CIAが黒人組織に反旗を翻したそうです。そんななか、僕が勇気をもって告発したことが評価されたようです。
※本文は統合失調症での入院経験がある人間が書いたものであり、同病を嘲笑うものでありません。強調しておきたいのは「集団ストーカーが絶対に存在しないとは言えない」ということです。一方で事実でないことを事実と確信し社会的な問題を起こすのは病気です。もしこのような言動をする人間がいたら安易に考えず専門家に相談することをおすすめします。
この番組に違和感しかなかったのだが、カネオくんの声担当千鳥のノブのおかげで分かった。
これ、完全に関西ローカルの「せやねん」午前の部と同じ内容である。
せやねんとは2001年から放送されているMBSの番組で、毎週お金の調査をするコーナーが午前のメイン企画になっている。
例えばネットニュースである動物が人気!となったら各局その動物を追うのに対して、せやねんはその動物での経済効果について深堀りしていく。
プロ野球選手の年俸や、アイドルグループの売上、M-1をとった場合の年収、ネーミングライツ、世界の富豪など幅広く取り扱ってきた。
先日もチリのアニータの現在の稼ぎを調査したばかりだ。先日だぞ。
王様のブランチを放送中に、関西ではこんなものを放送しているのだ。しかも人気番組である。
アッコにおまかせ!で同番組をパクった際に生放送でクレームを入れるくらいには吉本の力は強い番組で
歴代M-1決勝進出者が出演してきた番組としても有名だ。千鳥も売れる前は良く出ていた。
海外芸能人や国内役者へのインタビューの際の失礼度合は酷く、関西の面汚しというか、恥ずかしさしか無いのだが
まぁそれを差し引いても有吉のカネオくんよりはちゃんとお金について考えて特集していると思う。
カネオくんは…ここで言うよりも一度見て考えてほしいのだが、せやねん以下の特集をしているように見えた。NHKで。
謎のバラエティタレントを並べて、やってることは民放と変わらないだろう。
NHKは最近こういう番組が増えたように思う。目がちかちかする。
少し前のフジテレビのような色使いだ。悪意の少ない日テレというか。
しかしNHKでそんなの見たくないと思う人のほうが多くないだろうか。
少なかったらすまない。
例えば関西ローカルで性別不詳の人の免許証を見て胸を触るなんてゲスい番組を見ているときにNHKをかけて
NHKなりにいろいろ考えてみたんだろうが、結局住み分けとしてあった、NHK=真面目な番組というイメージがなくなりつつあり
あえて民度が低い番組を、バラエティスキルの低いアナウンサーや、コンプラで好き放題言えなくなって手を抜いている芸人たちが出ているのを、選んで見る意味は無くなったと思う。
ニュースや速報についても年々他の局から遅れをとっているように思う。
大して情報の無い電話取材をやめようとはしないし、被害情報が更新されるのはどこの局よりも遅い。
NHKが連絡をとる相手が自治体や役所の人というのも問題だと思う。
民放はその辺の人に電話してる。よく放送事故起きるけど、実際現場の邪魔にはなってないと思う。
真面目な番組風でも専門家といってバラエティタレントを出して喋らせるし、不倫や女性スキャンダル女性蔑視、虚言癖のあるタレントなど民放が出さなくなったタレントなどを平成の文化を語る番組で出していたのも意味不明だった。岡田斗司夫が見られるのはニコニコとNHKのみである。
改元のときのNHKの番組は全キー局と比較して最低の出来だった。多分ゆく年くる年のように鐘をつく映像を流すのが正解だった。
「オタキング」の通称で知られる評論家の岡田斗司夫氏が、『いつまでもデブと思うなよ』(新潮社)を上梓したのは2007年。著者の痩せた容貌が説得力を強め、「レコーディングダイエット」が一世を風靡した。食べたものを記録して1日の摂取カロリーを1500kcal以内に収める――そのシンプルな方法も大いに話題を呼んだ。
ところが現在、スリムになった姿は見る影もなく、岡田氏は25kgもリバウンドした。それどころか、かつて自らが提言したレコーディングダイエットを全否定している。
これ好き。
(2)
当時の惑星開発委員会はオタク界隈ではけっこう話題になっており、それを象徴するのが岡田斗司夫の来訪です。
4月12日(金)
逃避でネットを覗いていたら「惑星開発委員会」というサイトを見つけた。
http://members.tripod.co.jp/toumyoujisourin/rvtop.htm
惑星開発大辞典コーナーに僕の名前もあったので掲示板に挨拶したら、さっそく管理者の方からメールをいただく。
返事で「なぜ岡田斗司夫は作家を自称しているのか、については次の日記で答えましょう」と約束してしまうけど、なんでオレは仕事でもないところで働こうとするのか。とほほ。
その後、岡田さんはこのサイトを気に入り、定期的に掲示板に書き込みをしたり、知り合いに紹介したりしていたみたいです。
8月13日(火)
「ロスノフスキ家の娘」、あっという間に読了。
しょっちゅう覗いてるサイト「惑星開発委員会」にこんなテキストがあった。僕も今、格闘技オタクたちが嫌いで嫌いでしかたないので、思わずここに紹介してしまう。
(中略)
あああ、俺の言いたいことを俺より上手く書いている~!もう俺、物書き引退しようかなぁ。
相当宇野さんのことを買っています。当時の日記にはこんな記述もあり「これは善良な市民のことでは?」と言われてました。
知り合いから「就職活動に失敗した」というメールを受け取る。彼に「就職なんかせずにライターになれ」と忠告したばっかりなので、これはなんとか編集者に売り込んであげなければいけない。
まぁ僕よりは才能もある人だし、なによりまだ20代前半という若さなので、ライターとして喰っていくことぐらいはできるだろう。しかし彼を「こういう人生」に引き込んだ責任というのは、あるのかな?
僕は「自分への責任は、他者には移譲し得ない」という考えなので、あんまり悩んだりしないけど、これが唐沢俊一さんのように責任感の強い人なら、あとあとまで面倒見たりするんだろうなぁ。
この日記も宇野さんのことですね。実際に会って話したようです。
10日(水)
朝、マクドナルドでハンバーガーを食べる。ついに一個まるまるを完食できるようになった。まだ喉の痛みは残っているけど、まぁ一安心。
おもしろ会の武さんと5年ぶりぐらいに会う。なにかと思えば「物書きになりたい」という相談。彼女の同人誌を預からせてもらって、編集さんを紹介する約束をする。
続いて京都から宇野くん。彼とは初対面だけど、昔に彼が浅羽通明氏に説教された話を教えてもらう。浅羽氏の書き下ろし本『教養とはなにか』を院生たち取り巻きと話してるときの浅羽さん「これで革命を起こす」と叫んでいたらしい。当時10代だった宇野君がこれに疑問を呈したら喫茶店で閉店まで説教されたらしい。やはり浅羽さんは熱くて面白い人だ。
そして、岡田さんは惑星開発委員会のオフ会にまで顔を出すまでに。その時のことを日記でこう書いています。
27日(火)
木曜のオフ会に向けてリビングをかたづけ、そのあと覚悟を決めてついに北歯科へ。
もうずっと前に神経を抜いた歯なので、おそらく歯茎が炎症を起こしているのだろう、
ということで今回は様子見。
ブックスルーエで宮脇檀の『男の生活の愉しみ』(PHP文庫)を買う
20年近く前、仕事で一山当てたら宮脇氏に自宅を設計してもらおう、と思っていた。
不幸なことに宮脇氏は98年に他界し、僕はいまだに一山当てれずにいる。
でまぁ、書店で氏の本を見かけたら自分の果たせなかった夢への供養だと思って
買うことにしている。
……その後、岡田さんが惑星開発委員会に言及することはなくなりました。「あんなもん」だったので飽きてしまったんでしょうか?
惑星開発委員会の更新をやめ、善良な市民のキャラを捨てて2003年8月頃にはてなダイアリーで新たに始めたのがヘルシー女子大生(id:kurosawa31)と言われています。挑発的な言動、サブカルへの豊富な知識、そして女子大生であることが話題になり「はてな界の斎藤美奈子」と称されたりします。
と書かれているのである程度の騒動を起こしたことがわかります。
しかし、今となっては日記はプライベートモードに設定されており、internet archivesに残っている断片的なものしか読むことができません。
それによるとヘルシー女子大生は京都在住ということになっており、宇野さんは立命館大学卒業後、京都で就職したのではと推測できます。
2ちゃんねるの過去ログを追うと初期から善良な市民との類似性が指摘されているのが面白いです。その時は「言っていることが似ている」と言われる程度ですが、しばらくして2004年3月に「オトコノコ」「キャラ売り」「同じ穴のムジナ」「ブンガク」などのワードの相似性、話してることが一緒などの指摘がされヘルシー女子大生=善良な市民なのが濃厚となります。この指摘に伴って日記の更新頻度は落ち、プライベートモードとなったわけです。
この頃の宇野さんは旧・惑星開発委員会のような「有名サイトになろう」とか今のような「ライターとして成りあがろう」という気概はなく、ネカマして周りを翻弄させて楽しみつつ、趣味としてドラマなどの評論を書いていこう、という印象を私は持ちます。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1901/30/news132.html
おまえら恥ずかしくないの?
平成も末だよ?
「年間何万使ってる俺たちこそ真のオタクであっておまえのようなニワカはお呼びじゃないの」
みたいなプレッシャーかけてくるジジイどもを老害として切り捨て、
ニュービーを優しく迎え入れて手取り足取り導いていく、
そんな明るく楽しいオタクコミュニティをこの10年20年で目指してきたんじゃなかったの?
みんな忘れてしまったのだろうか。あの祝祭的な季節を。
ぼくは覚えている。それは90年代半ばに始まった。
海外でアニメが人気だと新聞に報じられ、日本のアニメが国際的な競争力を持ったコンテンツだと、盛んに論じられた。
エヴァのブームや村上隆のアートもそれを後押しした。あるいは岡田斗司夫の各種書籍も貢献していたかもしれない。
アニメは幼児的だとバカにされているが、実はそのローカル性こそが世界では面白がられるんだ。あるいはアニメこそが作家主義を貫いて深いドラマを作れるんだ、とかも言われていたっけ。
まぁ、要するに文学や邦画なんてまったくダメで、アニメこそが日本の誇るべき文化なんだ、という論調が一気に広がった。社会学者や文芸評論家もこぞってアニメを語るようになった。
国もそれに同調して、「クールジャパン戦略」を唱えるようになった。アニメを輸出して日本の文化的プレゼンスをあげようとした。これ自体は音楽を戦略的に輸出したイギリスのクールブリタニカ戦略の猿真似だったけど、実際にやったことは誉めてやっていいだろう。石原慎太郎が「ほしのこえ」を絶賛していたんだぜ。
そうやってゼロ年代半ばにはクールジャパン論はピークに達していた……しかし、その後の惨状はどうだろう。
まずクールジャパン戦略は無惨にも失敗に終わった。これ自体は今でも施策が続いているが、アニメの姿はなりを潜めて、ゆるキャラや各地の名産品を押し出すようになっている。各国にあるクールジャパンショップも同様だ。
アニメこそがすごい文化なんだ、という論調も次第に静かになっていった。アニメを持ち上げる人が、どんどんいなくなっていった。
それはアニメ自体の流行の変化にも原因があるだろう。攻殻機動隊やエヴァンゲリオン、カウボーイビバップといった「大人向けアニメ」はあまり作られなくなり、キャラクターのかわいさを押し出す「萌えアニメ」が主流となっていた。
それはまだいい。致命的なのは「萌え」が語るべき言葉を持っていなかったことだ。
ゼロ年代にはまだ「萌え」こそが思想的に新しくて最先端の消費行為なのだと言い切ることもできた。「萌え」の言葉の意味や、それのなにが新しいのかを語ることができた。
しかし、個別の作品を語るとなると、「このキャラがかわいい」で終わってしまう。これが決定的にまずかった。
なぜなら、それはクチコミで広がらないことを意味している。エヴァはこういう作品で、ここが面白いんだよ、と説明できる。しかし、萌えにはそれができない。言語化できないってことは、海外にも紹介できないってわけだ。
さらには社会的な風潮の変化も、アニメには打撃を与えているあろう。90年代はまだ表現の自由がどこまでも広がっていくという幻想があった。あれも表現してOK、これも表現してOK、村上隆のオタクアートはその幻想を土台にして成り立っていた。
しかし、その後にやってきた現実は、大きなバックラッシュだった。ポリティカル・コレクトネスが席巻し、あれもダメ、これもダメ、という世界がやってきている(かつて政治的な正しさは「生真面目なやつらがくだらない批判をしているぜ」とお笑い草にされていた。そのときの空気は、『政治的に正しいおとぎ話』シリーズで感じ取ることができる)。
これはアニメにとってとてつもない逆風だ。なぜなら、アニメにおいては奇形的であることがクリエイティビティの証明だったからだ。たとえば、ゼロ年代は「エロゲー」をベースにした諸作品が注目を集めたが、これは今ではとてもじゃないが取り上げられなくなってしまっている。
アニメは今ではかつて(90年代半ば以前)のように「省みられない」存在に戻ってしまった。
日本のコンテンツで話題になるのは、コンマリやテラスハウスだ。まだ宮崎駿や新海誠はがんばっているけど、かつてのように「アニメというジャンル自体に優位性があるんだ」という勢いはない。みんな忘れているけど、「すべての映画はアニメになる」なんて言われていたんだぜ。
今ではアニメが話題になるといったら、アニメーターの待遇がどうだ、といった就労問題ぐらいだ。
しかし、この残念な現実を見るに、なんでこうなってしまったんだろうと首をひねってしまう。あれは幻想だったのだろうか。いったいどこで道を間違えてしまったのだろう。みんなあのころのことはどう思っているんだろう。忘れてしまったのだろうか。あるいはまた盛り上がることがあるんだろうか。日本の未来は、これからどうなってしまうんだろう。
それ思春期くらいには女性は一回はだれでも妄想することなんだよね。
自分の息子だけはこんなわけのわからない生き物にしたくないなとか思うだろう。
すまされてるところが
それでヒマな無職とかニートになってネットで世間勉強してるときに
驚いていちいちあげつらうんだろうと思うんだよね。
男性だって戦争なくすにはどこよりも強い核兵器があれば・・とか
いやいや知略で、そうだ今の技術力があれば昔の戦争など・・とか
タマトレも表現のタネだし実際そっちのネタで漫画にして売れてる本たくさんあるし。
(○奥、テ○○ストなど)
流行りの本読んでないのかーって感じ。
ブクマ※について
・「生理、生理ってうるさいんだよ!そんなに嫌なら子宮取れよ!」→ 実際生理痛が子宮内膜症とわかったら子宮まるごと取っちゃう手術あるよ。健康になった報告読んだことあるよ。という流れからすると何がいいたいのかわからん。現状での輸精管結紮術と対応してるね。岡田斗司夫さんの手術レポも読んだなあ。そのあと仕事発注を餌にセクハラしてたことがバレて仕事干されてたなあ。
・「「ハイエースしたい」と同様に、どちらも公共の場で表明したら通報ものだろう。 」 → 公共かなあ?SNSはつぶやく場でしょ。人格としてこいつあぶねーやつだ付き合いを考えよう、くらいの判断材料にはなるだろうけど犯罪そのものの予告ではないじゃん。男女とも、現実化しそうで気になるツイートが本当にあったなら通報して判断を託せばいいのでは? その先は運営や警察が公平に判断することになる。
・私は妄想しなかった→まあたしかに、自衛のためとはいえ性犯罪者の記録を読み耽る女性はあまり多くない。夕ご飯が食べられなくなる程度には胸糞悪いからね。一時期wikiの事件ページなどが流行ってたけど、読まないで済ませられると思えるなら一生読まないほうがよい。
どうしても納得したくない人がいるようなのでたとえば・・ってあげようとおもったけどまあああいうことをやらかした犯罪者がのうのうと暮らしていると知るのはヘイトのもとだから
男で収入も低く配偶者や恋人もいなくてという人が海外ではテロ事件を起こしている。
それを、自分がモテなくて収入も低いのは女性達とイケてる男性のせいだと訴えている。
ミソジニー(女嫌い)とは違うらしい。
人によっては日本の新幹線殺傷事件や秋葉原歩行者天国無差別殺人事件も同じだと言う人もいるけれど。
私は、もし彼らに神さまの悪い冗談で出くわしたら、間違いなく標的になる。女性自活していけるだけの収入もある。モテはしないが配偶者もいる。彼らに嫌われる要素しかない。
だったら彼らの要望に社会は応えるかと言ったら決してそうはならない。
日本は資本主義だ。資本主義は自己責任を盾に彼らを責める。そうなったのは自分が頑張らなかったからでしょ、と。
資本主義は一部の、ほんの一部の人たちが利益を得る。それを良しとしている世の中。
私だってそうだ。彼らを助けて行くことは、今の安定を捨てることに遠くとも繋がる。そこまでの自己犠牲はできない。
「じゃあどうしたらいいの?」
「彼らを知ることだよ。そしてそういう人がいることを、覚えておくことだよ」
ある日私の問いにそう答えた人がいる。
https://digital.asahi.com/articles/ASL8R4S75L8RUCFI00B.html
回答としてとても全うで、納得のいくものだった。だったのだが、当然回答者が岡田斗司夫である以上、「朝日新聞は岡田斗司夫が指導者という立場を利用したりして精神不安定な女性数十人と異性関係を持ったことが判明したあとも、彼を切らなかった。metooと程遠い人権感覚の会社だと思ってる。 」というブコメがついている。
ブコメをつけた人を非難したいわけじゃなくて、これは正にme tooにおけるある種の「正義」の本質を表している。つまり、「言動そのものや、その人が作り出したものの是非ではなく、その人の社会的状況に応じてその人の言動を判断する」。
これは、不正義の是正を誰かに任せるのではなく、評価者自身の判断で不正義を是正するものだ、ということになる。一面の真理はあると思う。社会は完璧ではないので社会や公的機関が必ずしも正しい在り方をしているわけじゃなく、それを正すのは社会に生きる人間であるべきだ。そのような仕組みが市民社会であり、社会的不正義に対して暴動や大規模なデモが起きるのはある種「健全」なこととは言えて、そういう事例が散見されるアメリカやフランスと違ってどうして日本は……という話題は、本筋からズレるので閑話休題(こういったある種の国ごとの政治態度や市民感覚の違いをまとめてる研究書どっかにないですかね。真面目に読むので割と本気で募集している)。
そういった考えの裏には、実のところかつてのモヒカン族とは全く逆の価値観がある。評価するかしないか、という価値判断だ。
上記の例で言えば、岡田斗司夫は評価されていい人間かどうかである。とりあえず自分の評価は差し控える。その全く真逆の例で言えば、〈ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー〉シリーズの監督を務めていたジェームズ・ガンが、過去の不適切なツイートを理由にシリーズ監督から降板させられた事件だ。その二つの違いはなんなのか。違いはいくらでも挙げられる。実際に問題になっているのが実在の女性との実際の関係に関する話題か、不特定多数に対する言及だけか。日本国内で活躍する批評家か、全世界的にヒットした作品を生み出した監督か。社会的な評価の違い。味方についた人がどの程度いたか、それが大きく報じられたかどうか。「不正義」とされるものは白か黒かではなく様々なグラデーションが存在し、「灰色は白である」=推定無罪の価値観はあくまで刑事事件=公的権力が市民を罰する際に発生するものであり、このような違いが発生するのは当然である。だが一方で、ジェームズ・ガンは擁護されるのに、『二度目の人生を異世界で』の原作者「まいん」氏が炎上した挙げ句にアニメ化が中止になるのは当然であるとされる。問題発言が日本における大きな政治的争点かどうか、という違いはあるが、それ以上に大きな違いは、2人がどんな作品を書いていたか、と言ってしまっても差し支えないのではないか、と個人的には思っている。一方で、慰安婦を揶揄していた「月曜日のたわわ」の比村奇石はさほど炎上せずに未だに活動を続けている。比村奇石が炎上しないのは不思議だなと思っているが、とはいえ自分自身、「うっわー気持ち悪いことしかやってねーなこの人、でもめっちゃエロい作品書くな。もっとやれ」って思いながら毎週月曜日を楽しみにしている。しかし本当に邪悪。
雑多になってしまったが、何が言いたいかというと、me tooというのは「何が正しいか」ではなく「どんなかたちの正義を指示するか」というある種の価値観、雑な表現であるところの「政治的態度」を求められている。正義に対するコミットメントである。だが正義は一枚岩ではなく、黒と白の間には無限のグラデーションが存在し、結果me tooのような価値観はある種のダブルスタンダードを許容する。
社会において「理性的判断」というのは存在せず、人間は社会のなかでしか行動ができず、社会のなかで行動するなら結果的に社会にコミットしなければならない。あたかも村上春樹がデタッチメントからコミットメントへの転換をした(「せざるを得なかった」と言っていいのかは、正直わからない)ように、これはある種当たり前のことなのだが、その事実を前に困惑するひとは少なからずいるのではないか、と思っている。自分は比較的その変化を受け入れている側の人間ではあると思うが、困惑する人間がいるのはよくわかる。人間は矛盾する生き物だからね。
だがはあちゅうてめーは駄目だ。