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はてなキーワード: 過激派とは

2021-07-28

anond:20210728090430

本家MMTアメリカで「日本を見習え」と言ってるよな?

その意味では、日本国民が「なぜMMT政策をしないのか」なんて批難をするはずもないし、

同時に、MMT信者が「なぜMMT政策をしないのか」と言うのもクレイジーだと思うのだが。

それとも、日本MMT信者は「MMTよりもMMT」みたいなMMT過激派なのか。

オリンピック反対派はキチガイ過激派でいてほしいと思う。もちろんそんなことはできないけど。

2021-07-26

東京五輪、賛成/反対/傍観増田見解分かれる

東京五輪が開催され、五輪について賛成か反対かで世論は真っ二つになっているようだ。しかし、意見の異なる両者が現実空間で真向からぶつかることはあまりない。どちら側の人もお互いを敬遠し合っているか、その場の空気を読んで波風立てずにいるのだろう。そこはそれ、我々は良くも悪くも日本人ですからね。

では現実空間を離れ、ネット空間における限界集落、そのはずれの庭石の裏に棲みつくダンゴムシ、こと増田たちの間では東京五輪についてどのような見解が交わされているのだろうか?ここ数日でブクマの付いた増田記事を、賛成/反対/傍観にざっくり分類、列挙してみた。

■賛成派

思考停止派 【金メダル威力が絶大すぎる。もう同僚と昼飯食ってても五輪面白い、あの試合は凄いって話しか出てこない。】

https://anond.hatelabo.jp/20210726141309

視野狭窄派 【追記オリンピックはてブ民が嫌いになった】

https://anond.hatelabo.jp/20210725153418

ウヨサヨ思考派 【パヨクの歯軋りでメシが美味い】

https://anond.hatelabo.jp/20210723225938

勝利条件後出し派 【やれば成功だって分かってたでしょ?w】

ttps://anond.hatelabo.jp/20210723223439

■反対派

過激派 【愚民すぎる日本死ね

https://anond.hatelabo.jp/20210726181224

理性派 【オリンピック楽しむことは悪いことじゃない←そんなわけがないだろバカ

https://anond.hatelabo.jp/20210726190351

ちゃう派 【ごめんなさい、オリンピック見てます

https://anond.hatelabo.jp/20210725204842

傍観

冷笑派 【日本人さん、マジでチョロいw】

https://anond.hatelabo.jp/20210726124449

憂慮派 【(卍追記)結局政府が思い描いた未来になってそう】

https://anond.hatelabo.jp/20210725225651

自暴自棄派 【予想される五輪許されポイント

https://anond.hatelabo.jp/20210726191334


追記リンクを貼れる本数が決まっている?9本まで?のようなのでリンクを一つh抜きとした。

2021-07-25

はてなは「日本死ね」に全身呪われ堕ちた

日本死ね」のインパクトは強烈だった。

それでも、当初は「そんな強い表現なんて」「いや、この位言うべきなんだよ」という言い合いが成立していた。

 

だが、以降のはてなは強い表現で衆目を集める、同志を募る、運動を起こすことを目的とした表現が増加し、

形成されたはてなの新しい空間は強い言葉を使ってこそという言葉過激派蔓延した。

そうしているうちに単に言葉暴力を振るいたいだけの層まで流入し、交わされる言葉はすべて暴力と化した。

変化していったはてなの内部や流入からすれば当然となったそれは、ひとたび外部から見れば恐ろしい集団となった。

 

見よ、自らの姿を。言葉暴力をふるうことこそが当然の手段であるというその身を。

これが全身を呪われつくしはてなの姿だ。

 

 

https://anond.hatelabo.jp/20210724221607

2021-07-24

オリンピック反対派っていったって

秋とか来年に延期すればワクチンも行き渡ってマシだったはずなのに、ぐらいのマイルドな反対派が多数で

自民の関わるものは全て潰すべし」

「参加選手人殺し

みたいな過激派は少数で

そうすると、多くの人は始まったもの応援するっていうのはわかってたはずなんだけど

ネトウヨも、本当はわかってると思うんだけど

パヨク矛盾が明らかになったwwww」って高揚感に浸りたいんだよね

まあ楽しいよねそういうの

anond:20210724001724

五輪反対運動全学連中核派などの過激派極左がバックにいる、と開催側は宣伝できるんだよなあ

2021-07-23

不謹慎だけど、オリンピック妨害テロする人が現れてほしい。過激派はこれぐらいやってほしいと思ってしまう。そして、ツイッターでのオリンピックに疑問を持つ人たちの界隈を注目させ、どんなことになるのか見たい。

2021-07-22

日本テロなんて起きない。過去に一度もない。仮にあるとすれば政府自作自演

anond:20210722223730

柳条湖事件みたいに国軍所属特殊部隊員がテロやったのを過激派がやったと政府大本営発表するいつもの日本的な奴だろう

強硬的なテロ対策法を作りたい政府警察自衛隊を使ってテロ自作自演するのだろ

anond:20210722095030

そもそも不自由展の作品自体は言うほど過激派じゃない。(企画者・運営については……ノーコメント。)

最初に頭のおかしい連中が「問題だー!」と騒ぎ立てると、よく知らない人たちも「炎上」に乗っかってくるという好例。

宇崎ちゃん献血ポスターとかと一緒。

問題を見つけようとするから問題だと感じるようになる。

anond:20210722094659

そうなんですよねむしろ不自由展についてはトリエンナーレデカ過ぎただけで本来過激派過激派ニッチ対立で済むのでマスに影響出る奴じゃないはずなんですよね……ただ声がデカいのでいちいち処理しておかないと一般層にも勘違いが広がる可能性あるのめっちゃめんどくさい…

2021-07-19

anond:20210719105151

その人を過激派テロリストに置き換えたら怖い

例えただの亡命希望者だとしても、見つけることができないってかなり問題だと思う

2021-07-17

フェミニストとかビーガン過去毒親がいたり、虐待されてたり、障害を持っていたりする。こういうことされた人の中に道を間違えた人が出てくるだけなのはわかる。でも、過激派に同情を感じない。むしろ、こういうひどいことをされた人たちを犯罪者予備軍として加害者と一緒に隔離したいと思う。ひどいことされた人たちも同様。いじめ被害者ブラック企業被害者みたいなひどいトラウマを抱えたり傷ついた人もだ。これは過激思想すぎるし、実現なんてしないし本気でやろうとしてない。

嫌な経験がある奴が問題行動を起こしたり、何かの過激派になる現象社会気持ち悪さと人間の儚さとエモさを感じる。なので、増田やツイフェミとかを見る時吐き出しそうな感情と一緒に切なさを摂取している。中毒性がある。

2021-07-12

https://www.chibanippo.co.jp/news/national/810433

狭い道路が多く、渋滞の発生もしばしば。これも、「非線引き」のため市街化調整区域を設けられず、用地買収にかかるお金が高くなってしまたことが背景

八街成田よりも前に国際空港建設候補地となり、農業者たちが激しく抵抗した歴史

千葉県道路がクソなのは中核派革マル派代表される新左翼過激派が、成田闘争で空港のもの妨害するだけじゃなく、土地収用委員会一般人テロ殺傷して機能停止に追い込んだから

左翼マスゴミ歴史修正主義はいいかげんにしてほしい

レンタルビデオ屋が好きだということと、映画館過激派について

先日、好きな俳優おすすめ作品を聞かれて紹介した際に、とある作品は除外しました。

とても良い映画なのですがGEOしか取り扱っていなかったからです。

近所にゲオがあるかどうか分からなかったし、宅配レンタルにしてもハードルが高いのでは、という懸念から除外しました。

そこで少し考えたのです。

どうしてゲオしか見られない作品があるのかと。

たぶんですが、そうしないと生き残れないんじゃないでしょうか。

まだ日本に入ってきていない面白い作品をせっかく見つけてレンタル商品に加えようとしても、あとから大手配信サイトで取り扱われれば、大抵の人はそちらを選ぶと思います

利益を守り、社員を食わせていくのに仕方のないこととです。

私の近所にはゲオTSUTAYAがありますが、最近家電製品トレーディングカードのコーナーが面積を増やしつつあります

個人的には残念ですが、さきほど言った利益を守るために必要なこととして繋がります

コロナ禍で外出が制限され、配信サイトが潤沢に用意されている現在

時代の変遷とともに不要とされるものが出てきてしまうのは致し方ないことだと思いますが、私はレンタルビデオ屋が好きです。

田舎に生まれたこともあり、映画館へ行くよりレンタルビデオ屋の方が映画を見るのに身近な手段だったこともありますが、現実に並んでいるぶん、情報摂取が容易なのです。

あの俳優が出ている作品、あの監督作品など、検索をするぶんには配信サイトは楽ですが、映画に触れたいと思って行く場合レンタルビデオ屋の方が優れていると個人的には思っています

同じ事象として、映画館の閉館があります

上映作品が絞られ、人が外出できなくなった今、利益が上げられなければ閉まるのは当然です。

映画を作るには莫大な費用がかかり、回収できなければ誰かが割りを食います

配信サイト最初から流してしまっても、それは一概に責められるものではないと思っています

ですが各配給会社映画制作会社が配信へと舵を切ろうとしたとき映画ファンはこぞって製作側を責めました。これまでの映画業界への貢献、宣伝を打たせておきながら配信へ切り替えたこと、度重なる延期により映画館に人が来なくなった、などが理由です。

一つ前に書いたことと矛盾するようですが正直、もっともではあります

どちらも利益を守りたいのです。

でも、それはレンタルビデオ屋だって同じじゃないですか。

私は映画館で映画を見た回数よりも、借りてきた映画を家で見た回数の方が圧倒的に多いです。

しかし私の回りではレンタルビデオ屋のスペース削減や閉店を惜しむ声はあまり聞かれません。

映画ファンはどうしてレンタルビデオ屋が少なくなることにたいしてなにも思わないのだろう。

もしかして彼らは新作が映画館でやらないことに憤っているだけであり、旧作は配信サイトで良いやと、それこそこれまでの恩を忘れ、レンタルビデオ屋をないがしろにしているのではないでしょうか。

私も配信サイト登録してはいますが、それはそのサイトしか見られないものを見るためです。

それ以外は極力、映画館やレンタルビデオ屋に足を運びます

なくなってほしくないからです。

前記したように時代の変遷とともに消えていくものはたくさんあります

仕方のないことです。

でもできたら、映画館と同じくらいレンタルビデオ屋も惜しんでくれたら嬉しいです。

病気」と診断を受ける意味

かつて自分ネットで絡まれた奴の一人にやべーやつがいた。

そいつは一つの国語表現固執するあまり不特定多数に自説を吹聴して回り、

あまつさえ特定国語学者のアンチまで務めるという壊れっぷりであった。

自分国語表現の正しさには素人なりに厳しいつもりであるが、

流石に目に余るのでそいつプロフィールを見たところ「発達障害」という文字列が入っていた、

ああそういうことね、と冷たくレスを返してみると、案の定相手がいきり立ったものである

ひたすら自説の正当性大義名分を主張しヒートアップしていく一方、

発達障害のものには一言も触れることはなかった。


私はそれを見て、かわいそうなやつだなと思った一方、

「なんのためにこいつは発達障害自称しているのか」と思ったものである

自分素人なので詳しいことは知らんが、ネットちょっと調べた限りでは、

発達障害はどうでもいいことに固執する傾向がある」というような話があった。

(下手に曲解するといけないので、そういうふわふわした理解にとどめておく。)

その性質自覚しているなら、そうなっていると指摘された時に、

「すまんな」「ええんやで」とならなくては意味がないのではないか

逆に言えば、それができないのが発達障害なのかもしれんが。

いずれにしろ、彼が発達障害と診断された意味微塵も感じられなかったのである




そういえばもう一つ、「病気の診断」に関して思うことがあった。

一昔前に「新型うつ」という概念流行たころ、それを否定する風潮が強かった。

お茶の間にとって「うつ」とは「常に気分が落ち込んでいるべきもの」という偏見があった時代で、

(あるいは今もそう変わってはいないのかもしれないが、少なくともメディアの扱い方は違う気もする)

「やるべきことに直面すると落ち込む、解放されると嘘みたいに明るくなる」という新型うつを見て、

「甘え」や「仮病」の二文字が頭に浮かぶ人は少なくなかったであろうと思われる。

その様子を見ていた自分は当時まだ子供であったが、子供なりにその風潮を憂えたものであった。


いざ自身大人になってみると、うつ病の人が周囲にちらほら出てくるようになる。

私の交友関係はだいぶ狭いほうだが、それでもあんな人やこんな人がカウンセリングを受けている。

仕事で心を破壊された気の毒な人もいれば、体育大学に通いながら精神を病んでしまった人もいる。

健全精神健全な肉体に宿れかし。そう思わずはいられない。

無知の知ではないが、うつ病とはわからものだなという事だけがわかってくる一方、

彼らが日々己の心身と闘っている様子が切実に見えてくるものである


しかしながら、うつ病患者からといって100%同情されるわけでもない。

知人のとあるうつ病患者は、日々の体調管理すら苦労している様子が見て取れる一方、

もともと愚痴が多いうえに「かわいそうな自分」に酔うタイプであった。

それを日々聞かされる周囲の人はだんだんと耐えられなくなり、距離を置くようになってしまっていた。

うつ病であることそのものではなく、自分に酔うことを苦々しく見られていたのである


私の身内にも距離を置かれているうつ病患者がいる。

元々ヒステリックな部分があり、機嫌がコロコロ変わりやすく、

子供のころから見ていた自分は「こいつ病気なんじゃね」と思っていた。

私が大人になるにつれて傾向は見えてくるようになり、

どうやら忙しいだとか面倒なことが控えると機嫌が悪くなり、

思うようにならないことがあると、それをしばらく引きずる形でまた機嫌が悪くなるようであった。

それにもかかわらず自身勝手なこだわりでタスクを増やし、

頼れるものに頼ろうとしても結局文句ばかりで一向に楽になろうとせず、

そうして忙しくなるとまた機嫌が悪くなるというマッチポンプばかりをしていた。

ネットを通して「そういう人もいる」という知見を得て、そういう人なら仕方ないなと思っていた矢先、

本人からうつ病であると打ち明けられたのである診断書を見せられるでもなく。

そのとき私が抱いた感情は「かわいそう」とか「お気の毒」ではなく、

申し訳ないが「それ見たことか」「何を今更」「で?これからどうする?」という気持ちであり、

正直言って同情は一切わかなかったものであった。

なぜなら自らを病に落とし込んでいるようにしか見えなかったかである




近年は様々な病気、あるいはナントカ症というものが多数生まれてきている。

先日某ラジオでも取り上げられていたが、とくに恐怖症になると枚挙にいとまがない。

お酒恐怖症でーす!なぜなら目の前にあったら飲んじゃうから!違うかw」という投稿には個人的にムカついたが、

ほとんどは「落ち着きをなくす」「立っていられなくなる」のような割と切実な訴えであったし、

自身の友人知からもそういう話は聞いたり、あるいは付き合ってきたものである

そうした新たな病気やらなにやらというものの周知が試みられているのもまた現代であるが、

じゃあすべて見て聞いて覚えられるかと言えば、そんな余裕は多忙な一個人にはないし、

公の場で突然異変を起こした人を「あ!これネットで見たやつだ!」と100%適切に助けられる自信もない。

ましてや「病気認定差別的ものになりうることは過去現代も同じであり、

無垢マイノリティの方々が切実な訴えをなさっては、様々な人間が入り乱れて大騒ぎになるところである


では「病気」という診断は何のために存在するのか?百害あって一利なしなのか?

そもそも病気」は「病気」のレベルでなければいけないのか?

私はそうは思わない、というか、「病気」だけが特別である必要がないと思う。




西川貴教という歌手がいる。

彼はかなり前に、声帯ポリープ発見されたことがあったらしい。

声を出すお仕事の人にとっては特に厄介な病気であり、切除をしてしばらくお休みをいただくのが常である

しかし彼は「付き合っていけば味になる」と割り切り、手術をしなかったというのである

そのせいもあってか度々喉の不調で活動休止ということもあったようなのだが、

2011年の時には「プロとして情けない」とツイートした履歴もある。

そういう心持ちでいらっしゃることがまさしくプロである


身体と心の不調では話が違う、と言われるかもしれない。

しかしながら私が言いたいのは、彼はある種の病を「個性」として受け入れたということである

先ほど述べたように現代病気の種類が増えていく一方で、

病気とまでは言われないものや、単なる性格に過ぎないものも細分化されつつあるように感じる。

あなたはこだわり屋さんです」とか「あなたネガティブです」とか言われても、

それは正式病気や障碍ではないし、なんらかの公的な援助が受けられるわけでもない。

あるいは病気や障碍とまでは言い切れない「グレーゾーン」なるもの存在するようである

そういう「個性」が明らかになったときに、自分はどうするのか?

自分がその個性とどう「付き合ってい」くか考えていくべきなのではないか


もちろん病気や障碍には「どうにもならない」「仕方がない」部分はあるし、それに伴う人並み以上の苦労もある。

では病気や障碍であるからといって何もかも許されるのか?

自身身体コントロールできない病なら、どんなに偉そうにして厚かまし要求をしてもいいのか?

自身精神コントロールできない病なら、コントロールを諦めて好き勝手罵詈雑言を吐いてもいいのか?

一般人にとっては、大義名分があるから批判することは難しい。でも人として嫌な思いはする。

そうして直言を受けることなく、一部の優しい人に甘やかされ続け、他の人からは疎まれ

傍若無人にしてある種の孤独モンスター、言い換えれば「裸の王様」が生まれる。

とくにマイノリティにおける過激派は、どいつもこいつもこうなってはいいか




実は私も一度だけ、カウンセリングをすすめられたことがある。

相手は肉親でも何でもない、大学一助教授であった。

大学の授業に通えていない現状を憂えてのことであったと思われる。

当時の自分は「怠けているだけなのに病院に行かせてくださいだなんて…」と、

周囲に言い訳がつかないからと助言を封殺したのであるが、

今思うと「たとえ病気でなくても」医者にかかったほうがよかったのではないかと思っている。

自分が怠けてしまう原因を明らかにできたかもしれないから。


結局二度と機会は訪れなかった私であるが、

大学時代におけるリアルネット交流を通じて多くのことを学び、

時には大きなトラブルを起こして教訓を肝に銘じ、

また時には友人からの諫言も受けつつ自分自分なりに成長させることができた。

かつては絵に描いたような「メンヘラ」だった私も、

今では精神疾患を冷静に分析し、自身客観的に見られるようになり始めた、と思う。

そうか?と思われるかもしれないが、少なくとも昔よりはマシである

なぜなら今思い返すと「昔の自分」が恥ずかしくて仕方ないかである

未だに昔の自分に同情する部分もないわけではないが、

一方で人の振り見て我が振り直すことも多くなった。

それだけ人の、自身の「醜さ」というものをより理解できるようになったのである

自身の気分の落ち込みも「これは見苦しいな」「こうすればおさまる」と自己分析し、

専門家によらないセルフコントロール自分なりに築き上げてきた。

そんな自分から見ると、コントロールのもの放棄している人が理解できないのである




現代科学西洋医学時代であり、「病気を治す」ことに邁進しているものと思う。

しかし一方で、「付き合っていく病気」というものは決して無くなるものではない。

今のコロナ禍においてもワクチン接種が進む一方で感染は防げない!と言われたり、

変異株に対する懸念が未だワイドショーをにぎわせている。

一方で人類は今まで毎年インフルエンザと付き合ってきており、

新たな生活習慣においては鳴りを潜めたことで、日々の感染対策重要性が浮き彫りになった。

ワクチン打てばかからない!でもなければ、タミフル飲めば大丈夫!でもなく、

自分ができることをして病気と付き合っていくことこそが大事であると改めて示されたものと思っている。


以前ネット上で「自分の機嫌は自分で取る」という言い回し話題になった時には、

元ネタを離れた曲解もあってか賛否両論を呼んだようであるが、

それができるかどうかはさておき、やろうと思わなければ始まらないのである

不機嫌な自分正当化するだけでは、だだをこねる子供と変わらないのである

自分の心をなだめてあげること。

心の不調の原因に向きあうこと。

それをやらずして「病気」に甘んじていては何の意味もないのである


人はたいてい、何かしらのハンデを抱えている。

それでも人は、一般人に混じって生きていかなくてはならない。

病気や障碍を隠して生きるよりかは、カミングアウトできる世の中であってほしいが、

カミングアウト免罪符と誤解している人間は、その秩序を乱してしまう。


自分に対しては、病気個性を認め、なるべくコントロールしてみよう。

他人に対しては、病気個性を認め、なるべく受け入れてあげよう。

それらが並立して初めて、やさしい世界体現できるのではないか




そんな自分の願望を尻目に、今日ネットの「病人」たちはレスバトルにいそしむのであった。

2021-07-10

※反出生主義者の方が見るのは控えた方がいいかもしれません。

過激派の人を擁護してると見られるかもしれません。

偏見があります

過激反出生主義者、美少女キャラにして恋愛ゲーム攻略対象にしたい。

家や境遇が不幸で性格が歪みまくり、その呪詛ネットに書き込んでいた。ツイッター上で攻撃した育児垢や穏健派に嫌われてエコーチェンバーによりさら孤独になっていく。やってることが境遇を考えてもやばすぎるので誰も擁護はしない。これらのことからストレスが溜まりまくり正常な判断ができなくなった結果、妊婦腹パンを試みる。そこを主人公は止める。主人公メンタルケア理解しながら攻略する。人類絶滅endとメンタル回復endがある。

2021-07-07

anond:20210707075148

宇崎ちゃんポスターミニスカポスターについて、本当の世間の支持不支持はどうか?

「どうでもいい」が圧倒的1位だと思いますよ。 

「そんなことで必死に言い合いしてる奴等キモい」が2位じゃないですか



規制派にはここを百ぺんくらい読んでほしいわ。

増田意見とは反するかもしれないが、何が人々に害を為す規制されても仕方ない表現かというのは結局、人の快・不快とは無縁ではいられないし、だから多数決とまで言うのは極端だけど、『一般的感性においてどう受け取られるか?』というのは考慮されらべき要素だと思っている。

例えば、人の腹が開かれた写真を往来に張り出して良いか? と訊かれたら、過激派とか原理主義者とかい言葉が枕につくような人達以外は、普段から表現自由を守ろうと言っている人も規制賛同するだろう。

この反対は具体的な根拠に依る規制というよりは「ふつーに考えてそこまでは駄目だろ」という一般感覚に依るモノだと思う。


でもだからこそ、この表現は許さないという個人感覚果たして本当に一般感覚に叶っているかは慎重に議論しなくてはならないと思う。

よく規制派『他人迷惑を省みず性的表現を好むキモオタ』VS『その被害に遭う一般人』みたいな対立構図を作ろうとするけど、この考えは『どーでも良い派』を規制派に勝手カウントしたご都合主義まりない詭弁であって、絶対に認められるモノではない。

『どーでも良い派』は中立、もしくは、表現自由というのは自由原則で、規制は人々に多大な被害を及ぼすモノに対してのみ最小限の範囲で行われるのが正しい状態と考えれば、規制のされていない現状の消極的肯定カウントされるべきだろう。

初めて同人誌を捨てた話

先日、初めて同人誌を捨てた。

内容は推しCPで好みなシチュエーションのとても素敵なものだった。

このクソキモヲタ腐女子によるクソみたいなお気持ち増田を見つけてくれた物好きなインターネット住民は「なんだ、未練タラタラのいつものお気持ち表明文かよw」という感じで適当に読み流すなり見なかったことにするなりTwitter等で煮るなり焼くなりして頂けたら幸いです。

その同人誌出会ったのは去年初めて参加した推しジャンルwebオンリーだった。

コロナのせいで行く予定だったリアイベや友人と旅行に行く予定が潰れてしまった私にとってはとても素敵な出来事で、アバターを使って会場を散策した時間も、性癖が合うヲタク達と交流する時間も、どんどん金を同人誌達に落としていく瞬間も、購入した同人誌達を待つ時間も、その同人誌を読む時間もどれもみんな楽しかった。

「じゃあなんでその素敵な同人誌を捨てたの?」と言われると、その同人誌を作ったヲタク人格の嫌な部分をお腹いっぱいで破裂しそうな程見てしまたからだ。

私のいるジャンルは基本子どもターゲットシリーズが長く続いているもので、年齢層も広く人も多い常に旬とも言えるジャンルだ。それ故に世間的には良かった作品でも、他作品を貶して自分推し作品を褒め称えるヲタクや、自分に合わなかった作品=悪とみなし口汚く罵る評論家ごっこヲタクや、〇〇は駄作!!!全員そう言ってるだろ!!!と一部の声だけを膨張しクソデカい声で貶すヲタク結構いる所謂民度が低いジャンルだ。

そして、その素敵な同人誌作ったヲタクも気に食わない作品を貶す嫌なヲタクだった。

最初Twitterフォローしに行った時にフォロバされた時は飛び跳ねる程に嬉しかった、勢いで普段チキン感想を送らない私が少ない語彙力を私なりに引き伸ばして同人誌感想を送る程に嬉しかった。

悪夢が始まったのはフォローして1ヶ月ぐらい経った頃だ。

同人誌作者とその腰巾着がリバ民ヲタク作品をほぼ名指しで貶し始めたのだ。

最初は「同人誌作者さん左右固定過激派でこわ…リバ民さんのこと好きだから胸糞悪いけど、同人誌作者さんの普段ツイート作品好きだしな…」と気持ち悪い悩みを抱える優柔不断姿勢でいた。

そして、推しCP作品物語終盤になるにつれ同人誌作者がCP的に解釈違いな展開になってしま腰巾着と一緒にヒスり始めた際には「なんでこの人こんなに怒ってんだろ…?」と困惑しながら最終回を迎えるまでしばらくミュートしていた。

その間に同人誌作者の腰巾着推しCPwebオンリー主催をした時は「これが地獄ってヤツか?!」と憤慨した事もあった。

そして現行の新シリーズが始まりミュートも解除し、しばらく経って何も嫌なこと起きない平和時間を過ごしていたら私が同人誌を捨てる原因となった出来事が起きた。

同人誌作者が急に現行作品を貶し始めたのだ。最初は視聴してたらしいがほぼ毎週放送されたものをあらすじと周辺のアンチの偏った情報だけを見てネガキャンし、終いには「前作の〇〇の方が面白かった。あの作品は最高だった」と散々終盤でネガキャンしまくった推しCPのいる前作を持ち上げ更に現行作品をネチネチとネガキャンし始めたのだ。

かに現行作品はクセが強く人を選ぶ作品だけど、私がずっぷりハマってる作品が故に遂に我慢限界が来てしまブロックしてしまった。

ていうかなんで今までブロックしてこなかった!?バカじゃん???今までずっと1人我慢大会でもしてたの???

坊主憎いけどその袈裟はいいね!」や「作者と作品は切り離して考えるべき」という正論でありとても素敵な思考を持つ人間になりたかったけど私には無理だった。

好きなドラマミュージカルで推しを演じた役者犯罪を犯して逮捕された時も役者キャラは別物として切り離して考えれたけど、作者と作品は切り離して考えることは出来なかった。

結局私の思考は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」そのままなのだ

同人誌作者は嫌な奴だけど同人誌は素敵なものから…と思いながらその同人誌を再び読んでみたが作者のクソみたいな言動がチラついてしま不快気持ちになってしまった。

キン〇ン西野のことは嫌いだけどSTUDIO 〇℃。と芦田〇菜ちゃん藤〇慎吾氏が好きなのでプペルを観に行った時と同じ感覚だった。

とても素晴らしい作品な筈なのに嫌いな作者の顔がチラついて不快になる。

私の中で今まで好きだった同人誌作者が嫌いなキン〇ン西野と同等な存在になってしまったのだ。

そして、わたしは今まで購入してきた同人誌作者が頒布した3冊の同人誌シュレッダーにかけて捨てた。やっぱりちょっと悲しい気持ちになってきまった。

よくTwitterで「絵師文字書きがどんな発言しても良いだろ!!!」「影響力あるとか関係ないだろ発言自由!!!」と話題になることがちょくちょくあるし正論だけど、このようなものを目にしてしまった今は「人が好きなものを貶さない」や「何の罪もない人を晒し上げて叩かない」とか最低限なものは守るべきだと思いした。

あと、どんなに治安が良かろうが悪かろうがクソみたいなヲタクは必ず湧いてくるのでつらいわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

アホバカカス(暴言)!!!!!!!!!!!!!!

そして、こんなクソみたいな愚痴しかないお気持ち増田最後まで読んでくれたインターネットの民に幸あれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

最後まで読んで下さりありがとうございました!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2021-07-06

 ジャンプラに嫌いな腐女子のお手本みたいなキャラが出てて、読みながら笑っちゃった。せっかくなので主観嫌いポイント自分語りさせて頂く。

 何が嫌いがより何が好きかで自分を語れよ派の方や、腐女子お気持ち長文嫌いな人はただただ不愉快になると思うので見ないことをお勧めする。戦う気はないので。


 ジャンプラに載っていた読み切り漫画主人公が、私の嫌いなタイプ腐女子だった。その漫画をざっくりいうと「腐女子霊媒師主人公)が敵対する嗜好の腐女子怨霊と殴り合い、怨霊怨念を吐き出させて成仏させる」というストーリー。今誰でも読めるので気になる人は読めばいいと思う。詳しい内容は割愛する。


 まず一つ目の嫌いポイントとして、逆カプの説明

競馬で人が馬乗せて走ったらもう別の競技ですよね」

 というものがある。この例えがもう嫌い。

 いくら主人公主観による例えとはいえ受け攻めという概念の画一化がちょっと乱暴じゃないか

 受け攻めは全て個々人の好みである。受け攻めは人により違うので定義できるものではなく、唯一の共通認識ちんこ突っ込むか突っ込まれるかという基準である。逆カプが許せる許せないも人による。言うなれば酢豚パイナップルのようなの話じゃないか

 そんな好みでしかない話を競馬に例えてしまうと、”馬”と”人間”並みに受け攻めに乖離があるのが当然のように受け取れる。そんなことはない。受け攻めは見てる側の感覚しかない。素人に対して客観的説明ではなく主人公の好みを押し付けているところがもうすでに嫌いである。


 二つ目の嫌いポイントに、「正しさで殴り合い」をしようとしているところである。それは主人公が発した以下のセリフから読み取れる。

・「原作ちゃんと読め」

・「読解力磨いて出直してこい」

 また、素人カップリングの正しさの証明を聞かれた際に以下のようにも発言しているが、それはつまり「正しい正しくない」という感覚主人公が持っているということの証左ではないか

・「○×○が正しいと証明するにはどうしたらいい?!」→「正しい正しくないは関係ない!」

 そもそも二次創作物は全て正しくない。正しいのは原作だけだ。二次創作は全部個人幻覚だ。規模が大きくなりある程度市民権を得たとしてもそれは集団幻覚に過ぎない。

 「私の幻覚は正しい、私にとってはな」それは大いに結構であるしか主人公は、自らの幻覚の正しさの根拠原作を持ち出し、しかもそれで他人を殴っている。(これは怨霊に関しても言える)そんな行為の後に「正しさなんて関係ないよね!全てをぶつけ合おう!」なんていう河原ライバルと殴り合って真の友情が芽生えるみたいなノリをされても納得いかないのである

 ちなみに蛇足だが、現実にも逆カプ者同士で(言葉で)殴り合う腐女子はいるが、前提に互いへの信頼があるから殴り合っているのである思想感情問題で譲歩なく殴り合った結果に友情なんて普通芽生えないのではないでしょうか。わからんけど。


 三つ目の嫌いポイントに、主人公人間性が嫌いという点がある。もうこれはどうしようもない。主人公が可愛くて好きって人にはごめんね。

 まず、腐女子同士が互いの性癖で争うことは本当に無意味である。何も産まないどころか軋轢を生み界隈衰退の原因にまでなり得る。だからこそ互いに棲み分けをして平和にやっていこうとしているのであるしか主人公は、

・「超王道カプ」であることを理由に逆カプ煽りマウントを取る

過激派右固定総受上等左非固定 を主張

 これは平和にやっていこうとする者から見ればストレス以外の何者でもない。互いの性癖喧嘩するなんて労力の無駄しかなく、また腐女子同士なら思想の違いで実害が出るわけもなく、お互いノータッチでいれば済む話なのに、わざわざやっかみに来ることはもう「迷惑な人」でしかない。そんなことをやってしま主人公理解できない。が、実際にそんな腐女子はいる。頭によぎる過去出来事主人公が重なり、ああ、嫌いだなあと笑ってしまったわけだ。


 細かい嫌いポイントもっとあるけど、疲れたので終わる。

 蛇足の所感。今回の件、Twitterでは主人公受けに対するヘイト散見されたけど、どちらかというと主人公受けというよりオサムのような腐女子に対して苛立つのであって、主人公けが責められまくっているのはちょっと違うのではと思った。まあ気持ちはわかるけど。

 おしまい

anond:20210706025037

オレじゃなくて「エロ恋愛=全規制」っつってる大雑把増田に直接クラシファイ説教しろ国語増田

レーティングがかけられてるのは「比較過激恋愛」だよ

コンビニでお釣りをもらうとき手がさわってどきどきするのも恋愛だ。

シンデレラ恋愛ものだがエロ表現規制は今後ともかからん

おまえらそんなこともわからんのか

表現規制過激派は自主コンテンツ断ちして飢えつくして知性の自殺でもしてろ

2021-07-05

過激派腐女子怖い

https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496381675608

これ面白いの?本気で面白いの?

自分腐女子だがこの異様に攻撃的な腐女子(いわゆる過激派)が恐ろしい

ネタだとか茶化してるけどこのレベル腐女子ってtwitterとかで普通に存在する

趣味嗜好が合わないってだけでここまでヒステリックになるのやめてほしい

ネタにもギャグにもなってないんだよ

怖いんだよ

ギャグでぶん回してる拳でも、向けられる方はマジで怖いんだよ

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