ジャンプラに嫌いな腐女子のお手本みたいなキャラが出てて、読みながら笑っちゃった。せっかくなので主観嫌いポイントで自分語りさせて頂く。
何が嫌いがより何が好きかで自分を語れよ派の方や、腐女子のお気持ち長文嫌いな人はただただ不愉快になると思うので見ないことをお勧めする。戦う気はないので。
ジャンプラに載っていた読み切り漫画の主人公が、私の嫌いなタイプの腐女子だった。その漫画をざっくりいうと「腐女子霊媒師(主人公)が敵対する嗜好の腐女子怨霊と殴り合い、怨霊の怨念を吐き出させて成仏させる」というストーリー。今誰でも読めるので気になる人は読めばいいと思う。詳しい内容は割愛する。
というものがある。この例えがもう嫌い。
いくら主人公の主観による例えとはいえ受け攻めという概念の画一化がちょっと乱暴じゃないか。
受け攻めは全て個々人の好みである。受け攻めは人により違うので定義できるものではなく、唯一の共通認識がちんこ突っ込むか突っ込まれるかという基準である。逆カプが許せる許せないも人による。言うなれば酢豚にパイナップルのようなの話じゃないか?
そんな好みでしかない話を競馬に例えてしまうと、”馬”と”人間”並みに受け攻めに乖離があるのが当然のように受け取れる。そんなことはない。受け攻めは見てる側の感覚でしかない。素人に対して客観的な説明ではなく主人公の好みを押し付けているところがもうすでに嫌いである。
二つ目の嫌いポイントに、「正しさで殴り合い」をしようとしているところである。それは主人公が発した以下のセリフから読み取れる。
・「読解力磨いて出直してこい」
また、素人にカップリングの正しさの証明を聞かれた際に以下のようにも発言しているが、それはつまり「正しい正しくない」という感覚を主人公が持っているということの証左ではないか。
・「○×○が正しいと証明するにはどうしたらいい?!」→「正しい正しくないは関係ない!」
そもそも二次創作物は全て正しくない。正しいのは原作だけだ。二次創作は全部個人の幻覚だ。規模が大きくなりある程度市民権を得たとしてもそれは集団幻覚に過ぎない。
「私の幻覚は正しい、私にとってはな」それは大いに結構である。しかし主人公は、自らの幻覚の正しさの根拠に原作を持ち出し、しかもそれで他人を殴っている。(これは怨霊に関しても言える)そんな行為の後に「正しさなんて関係ないよね!全てをぶつけ合おう!」なんていう河原でライバルと殴り合って真の友情が芽生えるみたいなノリをされても納得いかないのである。
ちなみに蛇足だが、現実にも逆カプ者同士で(言葉で)殴り合う腐女子はいるが、前提に互いへの信頼があるから殴り合っているのである。思想と感情の問題で譲歩なく殴り合った結果に友情なんて普通芽生えないのではないでしょうか。わからんけど。
三つ目の嫌いポイントに、主人公の人間性が嫌いという点がある。もうこれはどうしようもない。主人公が可愛くて好きって人にはごめんね。
まず、腐女子同士が互いの性癖で争うことは本当に無意味である。何も産まないどころか軋轢を生み界隈衰退の原因にまでなり得る。だからこそ互いに棲み分けをして平和にやっていこうとしているのである。しかし主人公は、
・「超王道カプ」であることを理由に逆カプ煽り&マウントを取る
・過激派右固定総受上等左非固定 を主張
これは平和にやっていこうとする者から見ればストレス以外の何者でもない。互いの性癖で喧嘩するなんて労力の無駄でしかなく、また腐女子同士なら思想の違いで実害が出るわけもなく、お互いノータッチでいれば済む話なのに、わざわざやっかみに来ることはもう「迷惑な人」でしかない。そんなことをやってしまう主人公が理解できない。が、実際にそんな腐女子はいる。頭によぎる過去の出来事と主人公が重なり、ああ、嫌いだなあと笑ってしまったわけだ。
蛇足の所感。今回の件、Twitterでは主人公受けに対するヘイトが散見されたけど、どちらかというと主人公受けというよりオサムのような腐女子に対して苛立つのであって、主人公受けが責められまくっているのはちょっと違うのではと思った。まあ気持ちはわかるけど。
おしまい。
主人公の姿勢が正しいという描かれ方には読めなかったが
作品の是非を問いたいのではなくて単純に主人公が嫌いだったという話なので、主人公が作中や作者の意図的に肯定されてようが否定されてようがどちらでも関係ないかな
なるほど。意図を理解した。