インターネットに浸かり始めて十数年が経つ。その中で色んな交流をしてきたしその中で出会いも別れもあった。思い出したくない程最悪なことも割と時間が経てば酒を飲みながら、いや酒など無くても面白おかしく話のネタとして消化できるようになってきた。
そこまで至るのにかなりの時間と精神をすり減らしたと思う。現実世界でも精神をすり減らしているというのに。
自分は人間と顔を合わせることが得意ではないド陰キャだ。だからインターネットという海の中で相手の顔が見えないという利点を用いて気軽に手軽に話をしたり、好きなものを分かち合ったり、ゲームをしてみたりなどと揺蕩ってきた。
そんな中で経験し最近になって理解したことと言えば、付き合いが長くなるほどそいつの気持ち悪い部分が露呈するということだ。これは己にも当てはまる事だろうと思う。
現実問題、友人だろうが恋人だろうがなんだろうが他者と関わるうえで当たり前にぶつかる問題である。ただ、それでも関わりが続くのは自分と相手の許容範囲がどれほどか理解し合えたかの話なんだろうが、人間同士なためそれを避け続けるのも難しい話。
自分はインターネットの海で知り合った四捨五入して10年ほどの関りがあった人間に面白おかしく縁を切られた。まあ、ここまで関わるのも片手で数えるほどの数でありなかなか珍しかったもののどちらも同じく自分が違和感を覚えたにも拘わらずに交流し続けただけの時間ということだった。
話を誇張したり嘘も交えるが、具体的にどんなことがあったかというと未成年時に成年とオフ会をした際のオフパコ未満。いやこれは当時の自分が完全に悪い。何故ならば相手がクズだとなんとなく知っていたのにオフで遊ぶという話に乗ってしまったからだ。
まあ当時もかなりネットには浸かっていたものの、まさか自分がこんなことになるとは思わなかった。今となっては面白い話だが、相手とは本当にすぐに別れた。理由は簡単で以前付き合っていた相手とのよりを戻したいと話したからだ。
当時普通に付き合っていたがやたら以前の相手の話をするもので聞いてみたらそう返してくるもので、未成年だった当時の自分は怒り散らかして縁を切るということをした。それから恋愛は気持ち悪いという根深い思想を抱くようになった。
そしてもう一人。よく考えてみればこの相手もまた自分に対してネトストのような行為をしてきていたが、軽く受け流していたのが間違いだったのだろう。というか本人が元ネトストとか言っていた。え?そんなことあるか?まあだが所詮はネットの海。距離を置いたりたまに近づいて行って遊んでみたりとで年数が経過した。これも面白いことに縁が切れた理由は相手の思いやりの押し付けだった。
こちらとしても悪い部分は勿論あり、その部分は謝罪し本人も許すということで終わったはずの話をほじくり返し丁寧に誹謗中傷をするまあヤバいやつだった。自分はこの相手とのやりとりの中でも違和感は覚えていた。やたらと肯定をしてくる。自分の意見は無いのだろうか。そして遊びに誘うなどすると毎回来る。いやいいのだが、縁が切れる中で吐かれたのはやることあっても行ってあげたといったようなことだった。普通に断れば良かったのではないだろうか?
結果として誹謗中傷に怒りを覚え段々荒々しくなった自分を先にブロックしていった。別に構わないがこの寸前に自分と関わりのある他の人物たちにも誹謗中傷の言葉を投げつけて行ったのだが、相手のアカウントを見るとその誹謗中傷を投げつけて行った人物たちとつながりのあるままだった。いやどうした?という感じだ。自分から見に行ったわけではなかったが、共通のネットの知り合いのやり取りがたまたま見えた結果そうだと分かってしまったというのが正しい。なるほど、これが道化か…と独りごちた。
どちらもなんというか、事前に自分に違和感を覚えていた。しかしそれを違和感として受け止めなかった結果、長い月日をかけて熟れていき腐り落ちたという話だ。まあネットの海ではよくある。
ただ年月として長かった該当者が二名なだけで、それを含めなければ他にも多い。ネットは広いので深く関わればやはり衝突するのだ。そしてネットという匿名性だからこそ簡単に切り捨てられる。実に簡単で楽でいい。
だからこそ二件の笑い話と共に思う。違和感に気が付くべきだと。
ネットリテラシーだのそういう話もあるのだが、これは現実問題として必要だと自戒することにした。
面白いくらいに今自分がいる場所には簡単に個人情報を開示する人間が多い。どの県に住んでいてどういう職種の何歳。どういう学歴でどんな名前で今どこにいて何をしているのか。面白いくらいに大人数の個人情報が流れてくる。
匿名性というのは消えたにも等しいのかもしれない。ネトストというわけでもないのに流れてくる写真だけでああ、大体こんな場所に住んでいるなということが分かってしまう。これはもう一種のスキルではないだろうか。
愚痴を吐きちらかす画面向こうの人間がその内容でどういった家庭環境や職場/学校環境にあるか手に取るようにわかる。まあこんなスキルはあったとしてもネトストとして発揮する以外に何も特は無いし、現状自分がそういうことをする予定も未来永劫ない。
だが自分もこのダイアリーを書くことで匿名性を失っているのだ。少なくとも二件の笑い話を知っている人間が見れば匿名性は完全に失う。
面白い話だ。このダイアリーをあの元ネトストが読む日が来るのだろうか?と考えると少し笑えて来る。
匿名性とはなんだろうか。
何が匿名なのだろうか?自分の存在なのか、それとも情報なのか、はたまたこれを読む側のことなのだろうか。
こんな自分に酔いしれたような文体にしたのも匿名として動くためである。全く意味はない。が、こんな長い文章を読んで面白がったり気持ち悪がったりそして悪態を吐くものがいるのだろうなと思うと楽しくなる。
これが自分のネットの海での楽しみ方。自分の欠如部分であり匿名性の使い方。
いつかまた気が向いたらここに残しておこうと思った。
自意識肥立しすぎてなんか気持ち悪い
細かいけど自意識肥立って言うのか?自意識肥大なら分かるが
細かい人は嫌われるよ
細かいクンニリングス