はてなキーワード: 素面とは
常連のお客様に酔っぱらいセクハラお爺さんなお客様がいる。素面かあまり酔ってない時からすでにセクハラ的なのだけど、かなり酔っているときは女性従業員の尻や胸を触る、迷惑な人だ。
その酔っぱらいセクハラお爺さんなお客様に、この間Dさんがキレた。すれ違いざまに尻を触られたDさんはすかさず、
と怒鳴ったそうだ。という話をAさんから聞いた。
Aさんによれば、酔っぱらいセクハラお爺さんなお客様が先日、フリーター女子バイト18歳さんの手をさわさわ~っと触ったらしく、それをフリーター女子バイトさんがDさんに相談した。そしたらDさんは「あのクソジジイ許せねぇ!」となったらしい。
確かに、未成年の店員にまでセクハラされるのは由々しきもんだい。まあ、成年の店員にもセクハラはしないで欲しいけど。
私はというと、もう老い先短いお爺さんにセクハラするなよと今更諭しても効果はないだろうと思っていて、警察沙汰どころかオーナーに相談する気もなかった。セクハラお爺さんなお客様はエロは(される側の女にとっても)ご褒美だと思ってるくちで、わりと冗談が通じる方なので、触られたら「めっ!」と言って手を叩き落として反撃していた。コンビニは夜のお店じゃないんだけど、夜のお店くらいのじゃれ合いというか猫パンチの応酬で済むんならまあいいか、と思ったのだ。
だが、Dさんは妥協しなかった。未成年のバイトを守るためにセクハラお爺さんなお客様に立ち向かったのだ。もしかすると、私みたいに日和った対応をしていた奴のせいでセクハラお爺さんなお客様を付け上がらせたかもしれないと思って、私は反省した。
私が当店に勤め始める前は、一年前に辞めたベテランパートの人が、セクハラお爺さんなお客様の主なターゲットだったらしいが、ベテランパートの人はセクハラされるのに甘んじる代わりに、セクハラお爺さんなお客様にたまに「チョコ買ってよ」とかおねだりして買ってもらっていたらしい。さすがバブル時代をピチピチギャルとして生き抜いた女は強いぜ! と、そういうとこだけは尊敬され一目置かれていた、ベテランパートの人だった。
自称「ロジックが身についた人」がガバガバロジック(笑)な主張をしているとツッコみたくなってしまうね
でも私の幼馴染にはこんな暴力的で卑劣で犯罪者な人はひとりもいないし、
そんな事件の話を聞いてこんな狂ったコメントをする両親もいない。
妻の前歯を全部折る夫の話なんて知り合いの話としてすら聞く機会がない。
あえていうと、ご自分の周囲の環境の異常性に気付いてるHanPannaさんご本人ですら
もしリアルで出会ってしばらく付き合ったら私は、相当強い違和感というか価値観や感性や習慣の差を感じるのだと思う。
ネットで物凄く攻撃的だったり上からだったりしつつ、異様な前提を振りかざしてくるフェミニスト、
それが通じなくて相手にキョトンとされたりドン引かれたりすると「とぼけるな!」と怒り出すフェミニスト、
追記前までの主張はこう
B.なので、DV加害者・被害者を知っているHanPannaさんの環境は異常である
C.ところで、フェミニストはもしかしたら自分の異常な生育環境や文化や空気を世界全体と混同しているんじゃないか?相対的な視点の無い田舎者っぽい
ここまで客観的なデータの提示が一切ない。ロジックってなんだ。主観を垂れ流すのがロジックなのか???
むしろ自分の環境を世界全体と混同しているのは元増田の方ではないか?無条件で自分の生育環境だけが「普通」だと思っていて、それ以外は理由の提示なく「異常」と断言しているので
元増田はまず、元増田が「普通」で、HanPannaさんが「異常」「相対的な視点の無い田舎者」だとした根拠を提示するべき
「珍しくもないこと。」 って言われても
あなたのそのエピソードは登場人物全員(それがふつうのことだと思ってる語り手含めて)が
あまりにも衝撃的であまりにもぶっ飛んでいるように私には感じられるんですけど。
前歯全部折る人もそれを肯定する人もそういうの良くないと思いながらもありふれたことだと考えてる人も
私はこれまでの人生で一度も接したことがない。珍しいとか軽く通り越してる。
それが普通だと思ってみんなの前提だと思って話を始めてるせいで
多くの人に「何言ってんのこの人 こわ…」と言う反応をされて
という不幸な循環起きてない?
「あまりにもぶっ飛んでいるように私には感じられる」っていう感情の話と、事実認定は分けて考えようね。ロジックに強いんでしょ???
「珍しくもないこと。」を否定したいのであれば、統計なり何なりを持って来る必要があるのね。でも元増田は「私はDVなんて聞いたことない」という主観の話しかしていない。
まずは検索してデータに当たる癖をつけよう。日本で年間何件のDVが起きているのか、なぜ行政がDV対策に力を入れているのかとかも考えてみようね。
事実としてDVは社会問題にとして行政が対処するくらいにはメジャーなんだから、もしそのメジャーなDVを知らず「何言ってんのこの人 こわ…」と思う奴がいたとして、不見識でバカなそいつが悪いでしょ
社会を語るなら極力自分を捨てて手に統計データだけ持って話をするしかないんじゃないかと思う。
自分の経験や感情を前面に出して社会を論じようとした結果の「おかしな人」であり
他者との(意識されない)認識の齟齬や感情の対立なのではないかというのがこの文で書いたことです。
ありがとうございました。
これはそのまま元増田にブーメラン。あなた自分の主観以外に客観的なデータとか提示しました?
なんとなんと、「自分の周りではDVなんて聞いたこともなかった」ってバリバリ主観を一般化して論じている無理な人間がいるんですよ。自覚あります?
とか素面で言えちゃう奴が実在するのキツすぎん?しかもどうも自分のことをロジカルだと思っているらしいんよな。。。
ブコメでツッコミもらってから追記でしれっと主張を変えてきているのもダサいし。。。異常って言い方が迂闊だったと気がついて、「普通」と「別の普通」って言い方に直しているけれど、結果として最初の主張と食い違いが出ているね
放送中にベロンベロンに酔っ払って、思いつきで深夜に喧嘩中の友人に出演を求めて、
これの東浩紀的な言葉とかの部分を津田大介的なものに変えたが適当だと思う
政治的な立ち位置が違うだけで政治への悪影響という点では似たようなものと考えている
この部分への自戒が足りなさすぎる
よく小池百合子や橋下徹を批判しているが、おまえら一緒じゃないかと思っている
いや小池百合子や橋下徹は、まだ政治家になった分だけマシと言える
政治家になるわけでもないのに大衆扇動の技術ばかりを磨いている
一中小企業経営者でとどまっている東浩紀と比べ、津田大介は政治的影響力を大きく行使したいというのが見えるからその分だけは質が悪い
自分たちの界隈だけで勝手にやるのなら構わないが、宗教みたいなやり方をするのなら社会にちょっかいを掛けてくるなと言いたい
今の世の中は創価公明を批判しまくってるやつや大嫌いないやつが、それと似たようなことをして政治参加を歪ませてるように見える
太平洋戦争から70年以上経った現在、戦争の経験者は少なくなっているこのごろ。
私の曾祖父は戦争経験者なのだが、もう曾祖父は私が生まれる前に亡くなったしその息子である祖父も亡くなった。
けれど祖父が伝えてくれた曾祖父の武勇伝…が私の中で残っている。
しかしもしかしたら忘れてしまうかもしれないし伝える子供もいないかもしれないのでここに残しておく。なお、本当にその出来事があったのかは私自身疑問に思うこともあるので「へ〜そんなことがあったかもしれないのか〜おもしろ」みたいに流してもらえればと思う。というかむしろ本当にそうだったか検証してもらいたい。
ちなみに曾祖父は戦争の途中で日本へ戻ったため終戦時は地元にいたらしい。
①出立日
曾祖父は戦争の割と初期に徴兵された。出立の日、地元の駅ではみんなご存知のあの「バンザイ」が行われ、列車に乗り込んだ。
目的地がそこそこ遠いため、空いた時間がたくさんあったという。そこでいるメンバーでカードゲームらしきもので遊んでいたらしい。戦争に行くとは思えない、まるで遠足に行くかのように和気藹々とした車内だったという。
曾祖父が配属されたのは中国のとある地域だった。陸軍だったので陸地の移動にはトラックが用いられたらしい。
ある日、曾祖父が同期とトラックで運転していると一面のとうもろこし畑が目の前に広がった。曾祖父達は喜び、何故か車内にあった炭火焼きを出して勝手にとうもろこしを収穫、焼いて食べたらしい。
しばらくした後、様子を見にきた隊長が「お前達何やってるんだ!」と走りながらこちらへ向かってきた。
地雷が仕込まれていたらしく、その地雷はトラックをこのまま走らせていたら確実に踏んでいた場所にあったという。食欲が命を救っていたのだった。
ちなみにこの他にもトラックで地雷を踏んだ事案はあったが曾祖父は特に怪我なく生き延びている。
③憲兵を殴る
曾祖父は酒好きな人で、陽気な人であった。そんな酒をよく飲んだ日の晩、門限を過ぎてから隊へ戻ったとき憲兵からかなり厳しく注意された。
しかしここで曾祖父は「うるせえ!」と酔った勢いで憲兵をぶん殴った。
「大丈夫か」「これを食え」など憲兵の目を盗んで仲間たちが曾祖父のことを心配し、ご飯を差し入れしていたのだ。
そして曾祖父が懲罰房から出るときには、入った時より太っていたという。
④敵と遭遇し逃亡
その日は霧が濃い日であった。隊が霧の中を進軍し、少し休憩に入ることとなった。曾祖父も一休みしすでに休憩に入っている仲間のすぐそばで休憩していた。
もう一度言うが、その日は霧が濃い日であった。ちょっとすすんだ先も危ういくらいの。
強風が吹いたのか、霧が少し晴れる。
すると、仲間の姿が映る。自分のようなアジア系の顔立ち、しかし装備している軍服が違う。
なんと、敵も休憩しているところに曾祖父達も休憩してしまったのだ。
突然目の前に現れた敵に、お互い驚く以外なく。
その日、会敵したにも関わらず戦死者はおろか傷病者も出なかったという。
他にも思い出したら追記するかも。
自分はゲーム配信を垂れ流しながら裏でゲームしてたのでコメントできなかったけど
自称50代のオッサンが、ダイの大冒険がやってた頃は子供だったっていう発言に違和感を覚えたので
ダイの大冒険の期間
この自称オッサンが本当に1970年生まれで、リアルタイムでダイの大冒険に触れてた場合は
最短でも19歳の頃になる。もし単行本派だった場合は20歳を超えている可能性が高く一般的には大人の部類になるだろう
既に配信を終了していて、1時間ほど裏で垂れ流してた自分の感想になるが
声質はどう考えてもオッサンのそれではなくかなり若い人間の声質だった
また、自分のゲームの腕前をマジトーンで加齢のせいにしてたが、上記の違和感もあり若い人間にしか見えなかった
コメントへの反応がとにかく子供っぽいのも若い印象を持たせていた。気に入らないコメントがあれば「んだゴルァ」と反論するし
何より自称オッサンが自分で「俺は厳しくされるといじけちゃう。甘やかしてくれないと」と素面で言ってたとすると、さすがにドン引きである
あと自称オッサン以外の人間でもそうなのだが、自分が出来ないことをなんでも加齢のせいにする人間は非常に腹が立つ
出来ないなら出来ないなりに工夫すればいいではないか。ゲームなんて工夫して出来るようになった瞬間が一番楽しいのではないか
彼氏が欲しい。
年齢=彼氏いない歴だけど。
彼氏できるわけないだろという感じ。
だけど、彼氏が欲しい。
彼氏が欲しいから、オタクであることは男の子の前で言ったことないし、腐女子であることなんて女の子の友達の一部しか知らない。
程度としては、グッズとかも集めないし、創作もしない。形に残らないように電子書籍で漫画を集めているくらい。でも3次元のオタクなのでアイドルの現場に行ったり、2.5次元舞台に行ったりはする。通ったりはしてない。
彼氏が欲しいからってわけではないけど、コスメを見て流行りの買ってみたり、高いブランドのカバンを欲しがったり、服を見たりするのが好きだ。月に1〜2万くらいは服とか髪とかコスメとかにお金使ってるので、無頓着というわけではないと思う。
高校卒業する時、同級生の男の子に「増田(仮名)は大学生で絶対彼氏できるよ!」と言われた。でも、彼氏はできていない。
大学はキラキラしたものだと信じていたけど、人より授業をたくさん取らなきゃいけない状況だったから、週5で夕方まで大学にいたし、家と大学が遠すぎるからサークルにも入らなかった。その結果、出会いがなくなった。
外見は普通だと信じたい。ちょっと整形したいなと思うことはあるけど、リスクを考えたら諦められる程度のブス。彼氏が欲しいから痩せようって思ってはいる。デブは罪。美味しいものを食べるのは生き甲斐だから、量を減らしつつリングフィット先生をやっている。
「楽しそうに生きてるよね」とよく言われる。
私は彼氏が欲しいけど、彼氏がいなくても人生がめちゃくちゃ楽しい。学歴はないけど、勉強はそこまで嫌いじゃない。就活とか卒論とか嫌だと思うことはあるけど、それ以上に好きなものがたくさんある。恵まれていると自分でも感じている。
家族が大好き。お父さんとお母さんはどうしようもない娘でも大事に育ててくれたし、やりたいようにやりなさいとお金も惜しまず使ってくれた。昔から歯並びがコンプレックスだったから矯正もさせてくれた。旅行にもたくさん連れてってもらった。私はこういう親になりたいと思う。お兄ちゃんも会話は少ないけど、優しい。
友達が大好き。高校の友達は連絡全然しないのに時々私を遊びに誘ってくれるし、大学の友達は一生の友達でいてくれるような気がするくらい色んなことをしようねと話している。一緒にいるだけでずっと笑っていられる。私はお酒が飲めないけど、「素面で酔ってる」と言われるくらい楽しそうに見えるらしい。
彼氏が欲しい。
オタク辞めたいから。大好きで依存できる存在が近くにいてくれたらどれだけ幸せだろう。彼氏ができたらきっと大好き〜!ってずっと言ってるだろうな。実際の恋愛そんなに甘いものではないと知ってはいるけど、夢は見ていたい。彼氏ができたら世界が変わると本気で思っている。
私の友達は彼氏いなくても楽しいと思って生きている子ばかりだ。オタクの子もいれば、異性があまり得意ではないからという理由の子もいる。そういう子達からしたら私が異常で、重症。
私だってちょっと前まではそう思っていた。オタクをしているのが世界一幸せで、生き甲斐だった。でも現場がコロナでなくなったら一気に現実に戻されてしまった。オタクをやっていても何も残らない。それなら、推しより彼氏が欲しくなった。
子供を育てたい。
年を取るたびに子供が可愛くて仕方ない。電車の中で赤ちゃんや小さい子供を見たら可愛い〜〜!!!ってなる。中高生を見ると若さに対して微笑ましい気持ちになる。
自分も親になりたいと思うことが増えた。私の親は本当によくできた人たちだから、両親のようになれるかはわからないけど、「子育ては大変だけどやっぱり嬉しいよ」と言われて自分も子供が欲しくなった。あと、親に孫の顔を見せたい。
子供を育てるためには、子供を産まなきゃいけない。子供を産み育てるためには、結婚しなきゃ難しい。結婚するために、彼氏が欲しい。
私は120歳まで生きたい。
人生が楽しいし、死にたくない。死ぬなら人に看取られて死にたい。1人で死にたくない。1人でいるのは嫌だから、今から彼氏が欲しい。
これだけ書いても私には彼氏がいない。
何を間違って生きてしまったのか、本当は自分が1番よくわかっているのだ。
それでも、彼氏が欲しい。
中途で入った中小企業でいわゆる「Webエンジニア」をやってるんだけど、新卒から入ったやつが尽くクソすぎ。
5人中まともに言葉使えるのは2人だけ。
残る3人のうち、一人はナチュラル煽り野郎(エンジニアとしての実力は世界レベルなのでしょうがないが、口を開けば「昨日富士山登ってそのまま出社しました」みたいなことを言う)。一人は常にだるいめんどいかっこ悪い言ってる中二病スカしデブ(巨乳フェチでときどき彼女のノロケ自慢してくる、うざい)。もう一人は「人の気持ち考えない俺カッケー」系クズ(常に素面で「何が聞きたいんですか?」みたいな口調)。
まともな奴から転職してクソだけ残ってる。てめーら新卒だから許されてるけど他の会社行ったら許されねーからな。いっぺん死ね。
ドチャクソ好みの男(以下ドチャ男)に食われてしまった。
あらゆるところがドチャクソ好みやねん。
やっぱ好っきゃねん。
キコンやねんけどな。
はい、ここで不快に感じた方は、もう読んではいけません。ごめんなさい。さようなら。
叩いても無駄です。
憶えてないけどもったいねーので思い出しながら書いてみよう。
嘘かもしれない。多分夢だったんだ。
ことの起こりは、友人Pの野郎が遺書みたいなLINEを送ってきた夜か。
心配なのもあり、連絡する口実ができたのもあり
あ、明日そうだったね。
覗きに行ってみようかな
あ、私も行きたい
じゃ一緒に行きますか
(あれ?いきなり会うことになったぞ?)
動揺して動悸がしてあまり眠れなかった。
ん?どういうことだ?と思ったものの
それでも良いよ と答え、最寄り駅で待ち合わせ。
ドチャ男は目立つのですぐ見つけて、舞い上がる。
(うっひょーやべーオフライン久しぶりー
やっぱかっけードチャクソ好みぃー!緊張するーはー!)
どうしよっかとちょとうろうろしてチェーンの居酒屋へ。
軽く1杯か2杯だと思ってたんだが、最初に4、5杯飲んだよな?
3杯目終わるころ、そろそろ行く?と聞いたら
もう1杯、増田さんと飲むのも滅多にないし
と、延長ありがとうございます。
そうだな。2人きりは初めてだよな。
そしてPのいる街へ向かった。
一緒に電車乗るとか緊張するんですけど。
なんだかんだ飲んで解散となり、もうベロンベロンベロンになりつつ
帰路につき
俺もです
そうなんですか
とにかく緊張しすぎて、飲みすぎた。
帰り道も途中まで一緒だった。
もう1杯付き合ってください、と言うので
もちろんオッケーよ、と増田の最寄り駅で降り、トリキへ。
「ずっと言おうと思ってたんだけど」
(なんだなんだ?)と身構えたものの
「結婚してるんだよね俺」
「うん。知ってるよ?」
そうなの?知ってた?誰に聞いた?
Pだったかなあ
そうかーあいつかー
と言ったような言わなかったような
帰ると思ってたから。
トリキを出たら
ええ?もうしてんじゃんええ?いいの?何してんの?
あれよあれよと脱がされたようで
一度中断してコンビニ行ったような?
その時ゴム買ったんかな。
その日になぜそれに反することをする?
(トリキのシーンに戻って)
(増田はあなたのファンです好き好き、とぼんやりはっきり前から言ってた)
「いいえー、今日はありがとう。Pにも会えたし楽しかったね。」
「じゃまたね」
ほんとに手ぇ出されるなんて思ってなかった。
いや見た目だけじゃなくて作品や活動もすごい尊敬している人なので
酔っぱらってたせいもあるけど、あんなめちゃくちゃいかされたら
そりゃ記憶も飛ぶだろ。
帰ってバタンキューするつもりだったんだ。
いつものひとりで過ごす土曜の夜になるはずだった。
増田さん、中でもいくんだ
俺の周りでそういう人いないよ
などと言ってたけど、そうなんですか (周りって何)
中でいく人は珍しいんだろうか
中でいくほうが良いです
割とSっぽかったな。予想はしてたが。
いや多分両方できる人だろうな。
喋る仕事もしてるほど口が達者な人なので
最中もまー上手いこといじってくるわけだ。
Mなのでビンビンに感じてしまった。
(ペンネームを使って活動している時に出会ったので、それで呼ばれている)
ずっちーなー
ドチャ男は行為までドチャクソ好みの男であった。
私はサッカリンを12歳まで知らなかった。両親は本当に私を大切にして甘い液体に浸して育ててくれた。
父は私のことをシンプルに溺死させようとしている。頭の中の9割以上は蜂蜜のことで占められていると思う。「お父さんはいつも蜂の蜜を吸っているよ」とか素面で言い出すから蜜が出る。
母は「甘味料が入ってなきゃ別に何でもいい」みたいなスタンスで、まるで「蜂蜜が蜂蜜である限り愛している」とでも言うような、放任に見えてハチミツ愛が深い。
私はサンタを12歳まで信じていた。両親は本当に私を大切にして甘やかして愛して育ててくれた。
父は私のことをシンプルに溺愛している。頭の中の9割以上は娘のことを占めていると思う。「お父さんはいつも娘の幸せを願っているよ」とか素面で言い出すから涙が出る。
母は「道を外れた事しなきゃ別に何でもいい」みたいなスタンスで、まるで「私が私である限り愛している」とでも言うような、放任に見えてメチャメチャ愛が深い。
とにかくとにかく、もうハチャメチャに愛されて育ったので、私は人から愛される努力をしなかった。そして半端に頭の出来が良かったので適当に生きても高校生までは特に何も困らなかった。まあ半端なので大学入試まではこなせなかった。
「浪人したい。一年頑張るから」と言ったら私を信じてそこそこ投資をして浪人させてくれた。ろくに勉強せず適当な私文へ。
「就活めんどくさい。勉強は嫌いじゃないし公務員試験受ける」と言った時も私も信じて予備校に通わせてくれた。完全に舐めてかかった私は面接で全落ちした。
そうして大学卒業目前の私は、どこにも拾われないまま学生最後のクリスマスを迎えた。
拾われないって就職先だけの問題じゃなくて、「愛されて当然」みたいな態度で生きて来すぎたから私には友達がいない。丸2年LINE使ってないけど何も困ってない。
それでも父と母は家族三人で今年のクリスマスを迎えられた事を喜んでいる。外食してケーキも食べてあとは家族団欒、相変わらず両親はめっちゃ優しいし幸せなクリスマスイブ。
だけど、きっと話題にしないだけで二人とも心配している。愛情と時間とお金をたっぷりかけて育てた娘は宙ぶらりんのまま大人になってしまったよ。本当にごめん。
申し訳なくて、たまに涙がだばだば流れてどうしようもない時がある。でも数時間後にはケロッとしてご飯食べてるから救いようがない。
今更どう生き方を変えたらいいのか分からない。両親は私に高望みなんかしてなくて、「自立して安心させてくれたらいい」くらいにしか思ってない。それさえ私には出来ない。
とうとうかけてくれた愛情が重くて辛いだとか最悪な事まで考えている。私が嬉しがってると両親も喜ぶので、ひとまずのんきな顔を見せてヘラヘラしているけど、気を抜くと泣きそう。もう早く楽になりたい。
>酒6本飲んでも素面
恐らく「酔う」ということが何なのか元増田にはわかってない。
酔うっていうのは意図的に脳の一部を麻痺させる行為なんだけど、真っ先にどこを麻痺させるかっていうと、前頭葉です。感情を抑制する能力っていうのを真っ先に麻痺させる。みんなそのために酔っている。
感情抑制能力が麻痺すると、例えばちょっとでも楽しい気分になったときに、そのままストレートに楽しくなる。大して面白くもないはずの友達のトークでめちゃ笑える。
つまり人間を楽しくするのは、酒それ自体ではなく、あくまで周囲だ。
酒を6本飲んだけど、映画を見るでもない友達と話すでもない、ただただ座って黙ってると、あたかも自分が素面のように思えるはずだ。氷が解けて水面になっても、風が吹かなければ波は起きない。
インターネットは何でも調べられる便利な場所だと、検索しても中々ヒットしない項目がある。
自殺の方法である。自殺の方法について調べると真っ先に相談センターがヒットし、他の項目は出て来ない。
一過性の自殺衝動は、気持ちが落ち着いて頭が冷静になれば自然と無くなる物だから、まず自殺を思い留まらせようとする事はきっと正しい。
ただ、常日頃から自殺という選択を考えている人にとって、「とりあえず一旦自殺を思い留まらせればいい」程度の気遣いは何の優しさにもならない。
殺人は犯罪であり違法な行いであるが、自殺に関しては自殺した人間を処罰する法律は無い。自殺は法律の上では違法性の無い全ての人間に許された選択である。
自殺の話題になると「今から死ぬのに何でわざわざ苦しくない方法を選ぼうとするんだ、どうせ死ぬなら関係ないだろう」と言う人が必ず現れる。もしかしたら現れないかもしれないが。
考えてみてほしい。世の中には自分の力だけではどうしても自然に睡眠できないので睡眠導入剤の力を借りたり、お酒を飲んでから寝る人だって居る。死ぬ事は睡眠と似ている。だから死ぬ事を永眠と言うのだろう。
眠るように逝きたいのであれば、可能な限り苦痛とは無縁でありたい。今の状況から解き放たれ楽になるために死にたいのに、何故酷い苦痛を味わってから死ななければならないのだろう。
ここからが本題であるが、苦痛の無い死に方とはどのような物か。自分は自殺に関してはド素人も良い所なのでさっぱり分からないが、素人なりに考えてみた。
麻酔である。モルヒネなどで感覚を酔わせて、苦痛を無くしてしまう。その時に命を絶てば苦痛なくあの世に旅立てるのではないだろうか。
ちなみに麻酔はあまり大量に使用とするとそれだけで命に関わり、場合によっては死んでしまう事もあるらしい。麻酔の影響で死んでしまった人は恐らく訳も分からないまま死んでしまったのだろうか。
まあ実際のところ医療関係者でもないと麻酔の入手なんて出来ないだろうし、それも個人で使おうとすれば違法行為になるだろう。法律を犯すのは良くないと思う。
ならこういう方法はどうだろう。睡眠導入剤を沢山飲み、その後お酒を沢山飲む。薬とお酒は飲み合わせが悪いとかでとても体に悪いらしく、実際一緒に飲んでしまったあたり死んでしまった人も多いと聞いた事がある。
これも実際に試した事は無いのでよく分からないけれど、少なくとも素面で死ぬよりは楽そうな気がする。お酒で酩酊状態になるのだから、痛覚は大分薄れているだろうし寝ている間に死ねるかもしれない。
ただし、もし万が一死ねなかった場合…薬の過剰摂取による酷い副作用によって酷い苦痛と一生物の後遺症に悩まされるらしい。もしそうなってしまった時の事を考えたら、恐ろしくて自殺も出来ないかもしれない。
やはり人間は自然に生き、自然に病気になり、自然と死ぬのが最も自然なのだろうか。そうかもしれない。そうでないかもしれない。人類がこれから先更なる発展を迎えるなら、苦痛なく自裁出来る手段は発明されるべきだと思う。
父親って言うんだけど
父親、母に出て行かれてから家事全部わたしに押し付けた癖にそう言うことをぬけぬけ口にするから嫌いだった
兄はクズだから手伝わないし、弟は障害児だから役に立たなくて(可愛い弟だったが)
現に働いて7年目だけど、へーこんなもんかってぐらい。父は7時に家を出て、16時に帰宅するような仕事で、責任も大して重くなかったから、その程度の仕事でマウントをとってきたのかと、今となっては不思議さすらある。仕事柄、他人の離婚話にしょっちゅう首を突っ込んでるので父親以上のクズもよく見る。今は絶縁状態で父にもう興味ない。
こないだネットで、「男性は仕事をしなくては結婚できないから大変なんだ」と読んで
エェー(゚Д゚)と
そうくるのかと。今時無職と結婚したい人など、そうそういないと思うのだが。
まあなんでしょう。特有の大変さがあると主張しなくてはやっていけないんですね。と父のことを思い出した。
わたしは生涯独身で弟の面倒でも見ながらのらりくらり仕事に生きれたら良いなと思っているので、職は失えない。老後の貯蓄も必要だ。いい老人ホームに入りたいと思っている。
家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。
「死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足で学校に行って、
眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。
そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、
ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。
次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。
高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身の無力感に苛まれていた。
次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、
たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちからも厄介者のような扱いを受けていた。
そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、
「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。
どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分が死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、
それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。
暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。
翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。
遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、
拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。
まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。
確かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。
冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
「自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、
しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物を咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。
結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。
真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。
一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学で一人ぼっちになってしまったのだ。
そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。
最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大な希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在が可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。
あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。
私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、
そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった
素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚だけが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。
路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。
裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。
一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。
離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。
ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学を卒業することができた。
真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟に入院していると風のうわさで聞いた。
気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。
私は死ねなかった、自分の長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。
それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。
家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。
「死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足で学校に行って、
眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。
そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、
ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。
次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。
高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身の無力感に苛まれていた。
次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、
たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちからも厄介者のような扱いを受けていた。
そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、
「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。
どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分が死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、
それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。
暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。
翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。
遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、
拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。
まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。
確かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。
冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
「自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、
しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物を咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。
結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。
真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。
一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学で一人ぼっちになってしまったのだ。
そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。
最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大な希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在が可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。
あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。
私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、
そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった
素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚だけが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。
路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。
裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。
一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。
離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。
ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学を卒業することができた。
真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟に入院していると風のうわさで聞いた。
気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。
私は死ねなかった、自分の長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。
それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。