はてなキーワード: 精神医療とは
少女漫画に限らず女性作品は、なんであんなに人間関係のことや人間の心の繊細なヒダを丁寧になぞるような話をやりたがるんだろうね。
って、まさにぴったりくる表現だわ。
人と人の心の繋がりみたいなものに、そんなに興味あるかね。
それよりも、俺とアイツでどっちが強いか、アイツに勝つにはどういう策を練ればいいかを気にするわって感じ。
心理を気にするにしたって、たとえばギャンブル漫画の心理戦で相手をコントロールするのとか、デスノートで月がミサミサの恋愛感情を利用して敵に勝つ策を練るようなシーンは面白いけど、女性向けの心理描写はそういう権謀術数戦闘道具としての心理じゃなく、仲良しのための心理だから別物である。
「典型的な男」にとって「典型的な少女漫画」はつまらないってのは、人間関係に興味が薄い読者にとって少女漫画は人間関係描写のウェイトがデカすぎ、ということなわけ。
バトルを通じた強い弱いも広義の人間関係だとツッコミがくるかもしれんが、今はそういうゴチャマゼな話をしてるんじゃないからな。なんでもボーダーレスにすればいいってもんじゃないのよね、少女漫画専門ファンが格闘バトル漫画を読んだって、「強い弱いやその悔しさが人間関係のうまみになるのは分かるけど、日常生活でそういう屈託をやってほしいわぁ。この作品は楽しんだけどメイン趣味は少女漫画だわ」ってなるだろ。
これはインターネット学級会が疲れるみたいな話や、女オタクにとって同人活動は社交の場という面がデカいからオシャレさんも多いけど関係トラブルも多いみたいな話にも繋がってくんだけどさあ、ずっと人間関係やってく気かよ~?
まあ、人間関係をやってきたい人がやっていくのは個人の自由ではあるけどさ。
こう考えてくと、女にも少数いるだろう「典型的男」な感性で人間関係に興味が薄い奴は、クッソ生き辛そうだよな。この文章も分かりやすさ重視で「典型的男」という言葉を使っちゃうくらいだから、人間関係に興味が薄い女は自分を簡単に説明する言葉を準備するのすら苦労してそう。
最近は男オタクも、泣きゲーや君と僕のセカイ系など人間関係作品を経て、関係性が尊いわ~~とか言って女オタクっぽい感性に接近してる層も目立つって? それは部分的に頷こう。
だが少なくとも、少女漫画はあんま読んでないがぱっと見面白くなさそうだぜ少年漫画とかバトル漫画ギャンブル勝負漫画が好きだぜってタイプは、人間関係に興味が薄い「典型的男」だ。
そして、人間関係に興味がある人間の方が絶対的に上等ってことはないだろ。
にもかかわらず世の中には、強い弱いのバトルをやりたがる男は幼稚でダメね~みたいな風潮がある。
被害者アピールはあんましたくねえけど、少年漫画好きがときおり少女漫画に噛みつくのは、世の中に少年漫画sageと「典型的男」sageの雰囲気があるから、普段は『男らしく』黙って我慢してるけどたまにはバトル始めてみっかてことだと思うわ。売上(戦闘力)みたいな数字を出しがちなのもいかにもバトル漫画好きからのアプローチっぽくていい。そのバトルに付き合うか否かは勝手だけど、トラバ先の増田氏に対して「日本語読めてなさそう」みたいな反応する奴はバトルする気マンマンだよな。
それにしても、「日本語読めてないだけじゃん。これじゃ少年漫画も読めてないだろ」とか言ってるブコメなんかは本当に人を馬鹿にしてるわ。
俺はこの増田の実際のところはしらんけど、それこそデスノ、カイジやアカギ、ハンターハンターみたいな、戦いのための策略を延々文章でやってるのは楽しく読めてそうな雰囲気は端々から出てる。それも読み取れず「日本語読めてない」とはホント馬鹿にしてる。
ま、とりあえず、「人間関係や人間心理に頓着したがらない典型的男性(身体男性とは限らない)」に、読まず嫌いなだけで少女漫画は面白いんだよってすすめたい時は、人間関係をあまりやってない少女漫画を選ばないと響かねーよ。
二次元キャラの人間関係が趣味なのも、芸能人の人間関係が趣味なのも、ご近所さんの人間関係が趣味なのも、人間関係フェチって意味じゃみんな一緒。
キャラの人間関係やクソデカ感情に興味深々なのは、ワイドショーの芸能人交際報道やご近所の噂話でキャッキャするのとおんなじ人間関係フェチ。
強さフェチと人間関係フェチ、どっちが人として上等かは自明ではない。
精神医療的に適切な発言じゃないが、「典型的男」はうっすら自閉スペクトラム症の要素がある強さフェチで、「典型的女」はうっすら境界性パーソナリティー障害の要素がある人間関係フェチみたいな感じ。
優しさや気遣いはくだらないとみなし、目的のためにストイックで自分も他人も傷つけても構わないマシーンみたいな姿を格好良いとするのが典型的男向け物語だもの。(ってのは言いすぎか)
エロ漫画ですら、メスガキに負けてザーコザーコ💕って言われるか大人ちんちんで上下関係をわからせるか、間男にNTRれて負けるのかNTって勝のか、勝ちヒロイン負けヒロインは誰かみたいに強さ弱さ概念が自然に出てくるし、そこにおいて愛だの恋だのは添え物なのだ。SEXはメイクラブじゃねえ、デュエルスタートだ!
推理小説の登場人物が殺される描写を指して「殺人事件の被害者の気持ちをないがしろにしている」とか言われても困惑する。
それと同じことで、表現の規制戦士をモデルとして描かれたわけでもないマンガ絵を指して「この絵は、性的に消費された私の気持ちをないがしろにしている」とか言われても困惑する。
妄想を伴う精神疾患に罹患した人は、テレビCMや街角のポスターから"自分だけが読み取ることが出来るメッセージ"を見つけ出すらしい。それと同じ状態だと思う。こういう妄想性の精神疾患の苦しみを、罹患経験の無い人間や、精神医療の専門教育を受けていない人間は理解できない。それは仕方が無いと思う。
自分に無関係な絵を見て「私が性的に消費された被害をないがしろにしている」と言う人の精神を救えるのは、表現規制ではなくて「あなたの体験は大変でしたね」と共感の言葉を掛けてくれる医療専門家と、煩わしい世間から離れられる施設だと思う。もしくは、修道院みたいに俗世間から隔絶した女性だけの場所で自給自足生活を送るとか。
この増田は真剣に向き合って主張してるんだから根っこはすごい真摯なんだと思う
こんな酷い待遇が罷り通るのは社会を構成するお前らがそれを必要としてるくせに、せめて憐れみくらいは持とうぜって話なわけで
でもなんでここまで叩かれてるのかって
ITでも精神医療福祉でも何でもそうだが、増田って2、3年前ならまだしも今は搾取されてる側のド底辺ばっかじゃん?
現状「搾取されてる側」のさもしい人間に酷い待遇を疑問に思えよって言われても
コメ欄見てもわかる通り「俺(私)だって我慢してる!!!!」としか反発しない、そんなの当たり前だし誰だってそうなるだろう
でもそれが日本人の民族的特性なのだから、どうしようもないんだよ
個人ができることは個人で頑張ってそう言う社会を恨み切った気狂い底辺のいない、上流階級に自分をのし上げて行って、高級国産野菜や国産食品でロハスで健康に投資できる金持ちや本当の意味での意識高い人らになるしか方法がない、金稼いで
儲けてる間だけ「酷い待遇で働かせてる奴らの売ってる物を買わない」と言う選択ができるんだから
結局「搾取されてるさもしい底辺」を食い物にする必要性があるから手を汚さざるを得ない(もちろん法には触れないが制度構造上そうなってる)
ネットで一生関わることのない世界を見られるようになったのに、現実問題それを実現する堅実な方法や情報や計画の立て方みたいなものは学校で教えられてないってのが問題ではあるんだが
撮り鉄とか典型的なんだけど、自閉症の常同性に対する固執とそれを崩される事に対するパニック行動って、思ってる以上にあっちこっちで社会で暴力と暴言を生み出してないか?
本当はあの暴言おじさんもヒステリーおばさんも未診断自閉症で、社会の変化について行けず常同性を崩される事に怒り狂って暴れてるんじゃないのか?
自分は自閉症というハンマーを手にして全てが自閉症に見えてる異常者かも知れないけど、もしこのアプローチが正しければ、もっと頻繁に精緻に自閉症を診断して社会悪の芽を精神医療の立場からバサバサバサって断ち切って欲しい。
その結果、自閉症がスティグマと化して排除の論理に使われるとしても私は排除を甘んじて受け入れる。何故ならニューロダイバーシティなんて嘘っぱちで、誰も自閉症当事者となんてお近付きになりたくなんかないからだ。
最後に、ワクチン接種券みたいに服毒安楽死券の配布を希望します。どうせ整理する財産もないし、早くベルトコンベアに乗って迷惑を掛けずに骨壷の中身になりたい。
俺は裁判ってのは
・人に危害を加えうる猛獣に調教を施す期間や殺処分の可否を設定する
って機能を持った精度だと思ってる。
そして、このどれに当てはめても責任能力がないことが無罪になる理由がわからない。
起こしてしまった犯罪という行為に対して「狂ってたから仕方ないんです」では犯罪者予備軍たちに「狂ってるふりすればいいだけじゃん!!!」という動機づけをしてしまう。
犯罪予備軍度が低い人に対して「でも狂っちゃったら裁かれるならもう頑張って生きても結局裁かれるかも知れないしバレない程度に犯罪してこ」と感じさせる部分はあるかも知れない。
だがそれだって「もしも狂っても犯罪をしない内に病院に行ったり、犯罪をしないように普段から距離を置いていこう」と考えさせる効果もあるはずだ。
危険予知運転の基本として教習所で「速度を低めにする。かも知れない運転はしない」と誰もが教わっただろうが、それらを道交法以外の部分にも応用していく。
狂ってしまった瞬間の自分の瞬発力を予測し、日頃から犯罪との距離をとり、そして近づいていると感じたら早めに病院に行く。
キチガイ無罪の否定はそういったことへの動機づけになるはずだ。
有罪判決によって懲役や死刑を課する目的の本質は、犯罪者を無辜なる者達が暮らす社会から遠ざけることだ。
そして、戻ってきても再び犯罪をさせないように調教を施すことである。
調教に失敗した場合のリスクを考えると生かしておくこと自体が不適切と判断した場合はもはや殺処分しかない。
犯罪者に対する処置は保健所による害獣指定と大枠は変わらない。
実刑判決を受けた人間は人権の何割かを奪われ、そのへんのペットよりも悲惨な階級の生物となる。
さて、それでは気が狂っていたから責任能力がないとされた人間はこの調教を逃れる権利を与えられるべきなのだろうか?
与えられるべきではないだろう。
狂ってしまったからといって犯罪を犯しておきながらキチンと処罰を受けなければ、犯罪に対しての価値観が歪んでしまう。
さながら某アーチストが過去の障碍者イジメをイキりながら自慢したように、歪んだ価値観からは歪んだ行動が生まれるばかりなのだ。
歪み始めた価値観を矯正するためにも、治療と並行して刑務所での調教も施すのが本人のためではないだろうか?
もちろん、一時的な狂気によって外れたと思われるタガが殺人と行った禁忌にまで及ぶのならば殺処分も検討していくべきだ。
ここだけは少し悩ましい。
その需要とはなにかといえば、究極的に「悪いやつは裁かれる。正しいやつは裁かれない」というシンプルな勧善懲悪論の肯定だろう。
人類全体の教養レベルが向上したことで、現代人の道徳観は昔ほどは短絡的でなくなったにしろ、未だに基本的な部分はこのシンプルな理論に基づいている。
そして、裁判というシステムの需要はこれによって支えられている。
裁判においてキチガイ無罪が成立すべきか否かとは「キチガイ故に犯罪をしたものは悪いやつなのか?」という命題に置き換えられる。
悪いやつという曖昧な定義の中身に「実際に犯罪をしたら悪いやつ」「望まずに犯罪をしたのならギリ正しいやつ」といったものが含まれている。
これらの衝突によって生まれた歪の間でキチガイ無罪は宙に浮いている。
時代によって変わっていく価値観によって、最近の社会では多少人間として欠落していても許していくべきという方向で世界はまとまっている。
が、それでもなお「人に大きく危害を加えないなら」という注釈がつきがちだ。
そしてキチガイ無罪に対して考えるべき点は、「現代の精神医療を持ってすれば多くのキチガイが治るキチガイである」ということだ。
強い薬の服用によって元の人格が歪むリスクや様々なホルモンのバランスが崩れる可能性もあるが、それでも治せるキチガイの数は非常に多い。
そうなると現代の価値基準では「人に危害を加える前に病院に行く選択肢もあったのに、チンケなプライドや我が身可愛さにそれを忌避した時点で悪いやつ」となるのではないだろうか?
道徳観が進歩したからこそ多様なあり方が肯定されたが、同時に医学が進歩したことでキチガイで有り続けるという愚行権の行使が許されにくくもなってきている。
ロボトミー手術を受けろと行っているわけでもなく、単に1日3錠のカプセルを服用しろというだけのことを嫌がって、人に迷惑をかけることが、現代の道徳では許されるのだろうか?
許されないことのほうが多いだろう。
横田だが、理念はわかるが、金が絡むと悪いやつが利用しようとする可能性がある。
たとえば、JGPなら仕事を与えるやつにとっては他人をタダ働きさせられる良い手段なわけだ。
それこそ生活保護にたかる貧困ビジネスみたいな連中が関わってこないとは限らない。
それでも生活保護を受けるような人間は相当扱いにくく人を騙すことを厭わないくずみたいなやつもいるからある程度実力行使が必要な側面はある。
また、クズみたいなやつも、何らかの高いストレスでそうなってしまったこともあるだろう。
次に、やはり好景気であれば極力次の供給増大に向けた産業に人間を供給したほうが良い。たとえばJGPが受ける人にとって居心地が良かったとして、インフレで失業率が低いときには終わらせることが必要。
しかし、ある意味税金による既得権益となったとして果たして終了させることができるかな?さらに、JGPがキャリアにつながらないようなことをやらしてたとして、いい再就職につながるかな。
不景気好景気によって変動させて、好景気のときはなくす。障害者、犯罪者のような雇用されづらい人間を中心に行う。JGPは職業訓練に近いようなことをする、なおかつ、犯罪性向の高い人間は精神医療と絡めながら善処するみたいなことは必要だろう。
好況時に終わらせるとなると、それこそ職業訓練給付を非常に幅広くするのが理想的なJGPではないかと思う。場合によっては中卒、高卒、大学中退で終わった人間に、高校、大学などに公費で行かせ直したりすることにJGP時代の最低賃金で行うとかね。
ルックバックが取り上げなくたって、大多数の人の中の統合失調症患者のイメージなんてあんなもんでしょ、って思う。
私も破瓜型統合失調症患者だからやっぱり陰性症状が強いけど、そんなの病人や精神医療関係者以外にはわからないでしょ。
残念だけど専門医以外なら、医療関係の人だって「陽性症状」と「陰性症状」の違いを知らないと思うよ。
意味不明な被害妄想、本人以外には理解出来ない言動、本人以外には理解出来ない理由による暴力行為。
それを家庭内だけでどうにか出来ないから、統合失調症陽性期の患者は入院させられることも多い。
過去の犯罪を見ても、この犯人は統合失調症陽性症状の可能性高いな、って人がけっこういる。
統合失調症陽性期の患者は、医者にかからせるのだって大変なんだ。(なぜなら、自分のことを周りが殺そうとしている。医者のフリをして毒を処方している。って妄想するから)
あと、目立つから。
陰性症状が強く出ると喜怒哀楽の感情が鈍麻して、意欲減退も著しいから、暴れる元気もないってだけ。
うつ病に似てる。
その間に医者にかかり、薬を処方され、治療を適切にされたから当該ブログ主は精神病患者にしては順風満帆な人生を歩めてるってだけなのになぁ。
だいたい、ルックバックのどこにも犯人が統合失調症とか精神障害者とか、書いてなかったんだよね…。
アホかな、って。
『ルックバック』の犯人の特徴が統合失調症と一致する問題が話題になってます。
この問題の本質は、作者や読者、個人レベルの差別の問題ではなく、そして個人を責めるべき話でもなく、社会と統合失調症の果てしない遠さにあります。
この殺人犯に関するマンガ内の描写は極めて簡素です。およそ記号的です。それが当事者、関係者が見れば誰でも統合失調症を想起する描写(その他には薬物依存症ぐらいしか考えがたい描写)で描かれています。つまり、殺人犯という記号に、統合失調症が使われたということです。
これはおそらくそこまで意図的な使用ではないでしょう。良くも悪くも統合失調症に対する思い入れは作品からは感じられません。つまり、統合失調症も単に記号として使われた、ということです。
殺人犯という記号に統合失調症という記号を代入した。それだけなのでしょう。しかし、だからこそより問題は根深いわけです。
軽い気持ちで殺人犯に統合失調症を当て嵌めることは「差別的で問題である」ということは多少でも事情を知る人には常識です。マンガの世界でも、20年前に『ブラックジャックによろしく』で全く同じ問題が取り上げられています。
にもかかわらず、さしたる配慮もなく使われたというのは、統合失調症に対する全くの無関心と捉えざるをえません。
統合失調症という疾患についても詳しく知らないし、知る必要も感じないし、殺人犯に統合失調症と一致する特徴を描写することで、当事者、関係者がどのように感じるか、ということが想像出来ていないし、それを想像する必要すら感じていない、ということです。
仮に、単なる偶然、適当に描いた特徴が、たまたま統合失調症と一致していた、としても同じです。無知であり無関心であることに変わりありません。当事者、関係者ならそんな偶然は絶対に起こりえないわけですから。
繰り返しますが、作者や読者を責める意図はありません。本当に悪気もないし、無垢で無邪気なのでしょう。だからこそ問題なのです。
統合失調症の有病率は約100人に1人です。それは途方もない数です。そんな数のありふれた疾患に関して、これほどまでに無関心に無配慮でいられる、ということが、そういう社会状況をいつまでも許してしまっているということが、統合失調症の差別、ひいては精神医療全体の問題の根深さを如実に示しているのです。
この問題にもう少しでも関心のある方は以下のコラムを読んでいただければより理解できると思いますのでご参照ください。『ブラックジャックによろしく』精神科編は20年経っても古くならない素晴らしい作品です。それはこの20年、日本の精神医療の根本的な問題が何も変わっていないことも示しているわけですが。
20代女性です。私は17歳のときに病院に連れて行かれて、薬漬けにされましたよ。統合失調症と言われましたよ。でも、私はもう22歳になりますが、病気は治りましたよ。毎日が楽しくて、でも、時には辛いのですよ。お薬は飲んでいませんし、カウンセリングも行ってませんよ。病気は乗り越えられるのですよ。林先生、私みたいに自然治癒力で統合失調症を治せる人もいるのですか? 今は誰も悪口を言いませんよ。自然治癒力が高ければ、精神医療も救われますよね。頑張って自然治癒力を高めていきますよ。皆さん、幸せはやってきますよ。林先生にも、私にも、皆さんにも、自然治癒力が大切ですよ。ありがとうございます。私はもう泣きません。本当に本当に感謝します。ありがとうございます。熱中症は怖いから林先生も気をつけて下さいね。自然治癒力!私は大丈夫ですよ。もうすぐ誕生日が来るんです。年をとると自然治癒力は高まりますか? 22歳になるんですよ。毎年22歳になるんですよ。暑いから、誕生日のケーキはアイスクリームのケーキがいいです。林先生、身体には気をつけて下さいね。ありがとうございます。皆さんも、大事なのは自然治癒力ですからね!ありがとう!昔のんでいたジプレキサという薬、あれは名前が生意気でした。今ではすっかり良くなり、薬も飲んでいませんし、カウンセリングも必要ありません。今は22歳になり、立派な大人になりました。それもこれも、自然治癒力を高めた結果なのです。これは林先生もご存じかと思いますが、自然治癒力はハーブの力で高められるそうですね。私はハーブの入浴剤を使い始めてから、統合失調症が良くなり治りました。ペパーミントとかが良く効きます。ラベンダーは、あんまり・・・。でも個人の好みですから、林先生もラベンダーがすきな患者さんを否定しないであげてください。あと、熱中症には気を付けてください。もうすぐ私は誕生日になりますが、22歳になります。苺のケーキが食べたいのですが、季節じゃないのでアイスクリームのケーキになりそうです。でも、期末テストの結果があんまりよくなかったから、ケーキは食べられないかもしれません。今朝も、そのことで父親に叱られました。自然治癒力をもっと高めていきたいです。ハーブは夏はスースーしますね。ミントはやはり効くと思いますよ。このことは精神医療にとてもためになると思います。私の誕生日を林先生は祝わなくてもいいですよ。また22歳になるだけなので、たいしてめでたくもないのです。それよりも出席日数が危ないと父親が叱るのです。父親にも自然治癒力を高めて、ハーブをプレゼントしたいです。自然治癒力で統合失調症は治ります。大丈夫!あ、あとジプレキサって生意気ですよね。私に説教してくるからキライ。セロクエルも、あんまり・・・。でも、自然治癒力があるから平気です。父親は入院したらって言うんです。でも、私も自然治癒力があるし、ラベンダーは、で、も、ハーブがあるからペパーミントがあるからきっと支えになってくれるんです。もうすぐ誕生日。また22歳になります。林先生も、自然治癒力を高めてください。統合失調症も、たぶん、うつ病も、自然治癒力(ペパーミント)で治りますから。悪口も聞こえなくなったから、大事なのは自然治癒力ですよ!
望まれるのは苦しんでるやつに「休め、休めば判断力が取り戻される。判断力が戻った段階で進むこととやめることの峻別をしなよ。そのうえで、過去こういう話があるんだけど君の参考になるんじゃないか?」と教えてくれるAIじゃないかと思う。
けど、苦しんでるやつは騙す手法で金を出し続けさせたほうがやっぱり儲かるんだよ。
それでいて、苦しんでいる人間は基本的に頭がいっぱいいっぱいだから、周りの話も受け入れられない。その上で攻撃的になるというバグが有る。
まあ苦しんでいるやつが攻撃的になるのは苦しんでるやつを騙そうとするやつがいるための防衛本能じゃないかとおもう。
必要なのは脳の疲労度が観測できるようになり、精神医療で脳疲労のフェーズごとに「まず休むよう支持したほうが良い」「今はこういうアドバイスをしたほうがいい。こういう名言がある」というのを精神科医やカウンセラーに助言するAIじゃないかと思う。
過去の正しいこと詰合せだと思うよ。
ただし、人間は昔は人間関係や社会のほうが関心があったからそちらに関心を持った。キリストとか釈迦とか孔子やマホメッドが人間社会はこうじゃないかと考えて、実際それなりに正しかったから後世に受け継がれていった。
だけども、「聖書が正しい」(プロテスタント)と、「聖職者が正しい」(カトリック)で大揉めにもめて戦争になって「明証分析総合枚挙からなり、合理的批判に耐えられたものは正しい」(科学)がうまれた。
しかし科学は振れが多くて明証分析がなせないものは苦手とする。だから一番の根っこの人間関係や社会については苦手。統計で頑張ればギリギリいけるか?ではある。
それから、そもそもが人の心を惑わす手法はいくらでもある。無論それも宗教内で語られたりする。なので、プロテスタントとカトリックの大戦争以前は、人の心を惑わす連中は異端審問として潰されていった。
だけど信教の自由を掲げるということは人の心を惑わす手法で騙す連中がのさばるということでもあったと思う。
人の心がまどうのはやはり何らかの苦しみがあるから。苦しんだやつが適切に救われることだと思う。一番近いのは人間心理関係の研究が進んで、精神医療+カウンセリングかと思うけどね。
学術系新書とは、いわゆる岩波新書とかちくま新書とか、装丁のフォーマットが決まっていて
アレが、ブックオフの一部の店舗で、なんということか、ジャンルごとに並んでいる店がある
ジャンルって例えば「心理」とか「健康」とか「歴史」とか「スポーツ」とか「ビジネス」とか
これがもうめちゃクソ見づらい
あの細い(薄い)背表紙にこまこまとタイトルが書いてある新書というものは、フォーマットが揃っていないとこれほど見づらいものかと
しかもジャンルって、まず客からしたら、そもそもこの新書の棚の中に、どういうジャンルが設定してあるのかがわからない
医療と健康は別の見出しなのだろうか、医療と精神医療は別の見出しだろうか、精神医療の他に「こころ」なんてジャンルもあったりする?
棚の上のわかりやすいところに書いてもいない、本と本の間に挟まってる見出しを見るしかない
ジャンルの設定もわからなければ、当然、探している本がどのジャンルに入っているのかわからない
通常の単行本だってそうといえばそうだけれど、新書は何しろ薄い、タイトルが見づらい、それがぎゅっと棚に挟まっているところがそうなっていたら
なんであんなアホなことしてるんだろう
話を聞かない親と15年ぶりに和解できた話
昔兄の暴力について親に助けを求めた事があって、その時「ただの兄妹ゲンカでしょ」と言われてあ〜この人は娘を助ける気はないんだと思ってそれ以来助けを求めないしその事を口にしないのが15年位続いたんだけど、親が精神医療の本を読んで「家族の事で言いたい事があるなら言っていいよ」と言ったので久しぶりに兄の話をしてみたらやっぱり親は不機嫌になって話が通じなかったので「あ〜やっぱりこの人は息子の非を理解しないししたくないんだな」と後悔した
母から見た兄は勉強は苦手だが優しくて素直で純粋で友達が多いという意味で"いい子"だから、そんな子が妹を殴ってるのはただの兄妹ゲンカでしかないという所で思考をストップして、兄の姑息で弱い者をいじめる側面という不都合な事実に気付かない方が幸せなんだろうと、私にはもう手の施しようがないなと思った
が、後日親と会った時親は私にごめんね、と過去の事を謝ってきた
この前は不機嫌になって話を聞かなかったが、それから私に言われた事についてずいぶん考えたみたい
聞いてみると親いわく「自分は鈍くて理解に時間がかかる」つまり自分に不都合な事を聞くと瞬間的に反発してしまう
けど時間をかけて考えれば私が言った事を理解できる、自分の不都合について考えるのは苦しい事だからいつも反発して終わりにしていたけどこれからは考えるのを諦めないで「がんばりたい」との事
私はケンカになるだけだから本当の事は言わない方がいいねと前に言ったけど、親は反発してしまってケンカになるかもしれなくてもそれからがんばって考えるから言ってほしいそう
私は親のその「がんばりたい」って言葉が心の中になんかすごく落ちて、また信じたいという気持ちが出た
今まで私は言っても通じないから自分の気持ちを話す事を諦めてたけど、親が「がんばりたい」なら諦める必要ないんじゃないか?と思った 親は理解できるのに時間がかかるという事を私は覚えとけば、瞬間的な反発でシャッターを下ろすのではなくがんばるという言葉を信じて待てる
親は「親は自分の子供を自分の作品のように思っててそもそもそれが間違いなんだけど、子供の悪い部分を受け入れられない」「自分と息子の関係にねじれがあるのを放置してた結果、息子と娘の関係、自分と娘の関係もねじれてしまった」まで自分で考えて到達してて、あんなに不機嫌になって話聞かなかったのに今メッチャ理解できとるやんけってなった
だから考えても分からない人もいるかもしれないけど、考える事から逃げずに不都合な事実に向き合って反発の向こう側に行ければ、理解できる事もあるんだと学んだ
というか結果がどうであれ、不都合な事実に向き合う苦しい作業をするという「がんばる」事自体が大事なんだと思った
後から補足:母はフルタイムで働くシングルマザーだったので、15年経って子育てから解放されて考える余裕ができたって所も大きそう