はてなキーワード: 生活費とは
俺はムカつくよ。
で、「実際家事も育児もしないで生活費入れるだけの男は多い」「男性自身が経済力を自分の魅力だと誇示してる例もある」「男女で給与格差があるからしかたない」「女性の性的魅力をキャバクラや風俗でお金という形で買ってる男も多い」なんて言われても納得しないよ。
もちろんムカつかないって人もいるだろうけど、ムカつく男はいるって思えない?
で考えてみて。
たしかに男性の魅力は経済力だというイメージは広告や物語であるけど、それってそれほど多くはないでしょう?
金持ちがヒーローな例と、ヒロインが若い魅力的な女性(胸は豊かな事が多い)。圧倒的に差がない?
いや、破嵐万丈だ御坊茶魔だ、旋風寺舞人、黒崎蘭丸とかいるけど、圧倒的でしょ?
千年戦争アイギスってゲームやってるけど、これ男性キャラはおっさんやオジ様、ふとった髭面のおっさん、じいさんまでいるけど、女性は皆若くて魅力的なキャラばかりなの、まあ人外もいるので実は80歳とか1000歳超えとかいるけど見た目は10代から20代ばっか(胸の大きさは大きい方にかなり偏りつつも中くらいや小さめもいる)
まあR18の男向けだからしゃーない。って側面はあるだろうけど、FGOやグラブルとかどうよ?
若い魅力的な女性(胸は豊かな事が多い)以外って、母親や宿屋だ食堂の店長だとか以外だとがくっと減るでしょ?
そういう非対称性があるの。毎日目につく広告やゲームやアニメで「男なんてATM」って言われ続けるの想像してみてよ。
それすれば、女性を性的に消費する広告が持つマイナスな点を実感できなくても想像できない?
主人公に関しては確かにおっさんだと コップクラフトや、神宮寺三郎とかあまり浮かばないが、女性だとそれこそ精霊の守り人のバルサくらいじゃない?
まあ流石に草薙素子は厳しい気がする。
で言いたいのはゲームやアニメに出てくるがおっさんキャラとおばさんキャラ(そこに太った人をいれてもいいかもしれない)あからさまにおっさんの方が多いだろ?
最近のは知らないがFFなんか毎回の様におっさんがPTに入ったりするのに女は若い女の子ばかりだったじゃん?いちおうウネは婆さんになるかな?
若くて魅力的ではない女性キャラ(若くないもしくは魅力的ではない女性キャラ)と若くて魅力的ではない男性キャラ(若くないもしくは魅力的ではない男性キャラ)思い浮かべたら圧倒的に後者が多いでしょ?
異世界で楽して高給を取れたのでその話をしてやる。
こっちに来たら、まず着ているものを全部売ってその金で大学受験するんだよ。
受験票の控えを持って高利貸しに行くと少し金を貸してくれるんだ。
その金で服を買って、しばらく残飯を漁ったり野宿したりして発表を待つ。
合格したら合格証を持って高利貸しに行くと入学金と最初の学期の授業料と生活費とかを貸してもらえる。前に借りた分はとりあえず返しておこう。合格証ありの方が利子が少し安いからな。学期末試験の成績を持っていくとまた次の学期の授業料と生活費を貸してもらえる。
こうやって借金を繰り返すと卒業までに凄い額の借金になってるんだけど、卒業して就職すると5年で全部返せる。
私のような奴がいる
まるっと同意。親に月10万生活費を渡して、子供部屋おばさんしてる
同じく親はそれなりに金があり、家事も全部するし、昼に私の代わりに銀行に行ってくれたり買い物してきてくれたりする。すげえ助かる。
仕事も総合職で、転勤もあり。出張なども多い。忙しい分、給料もそれなり
私が今のパワーで仕事が出来るのは実家に住んでて、親が家事とかしてくれるおかげ。一人暮らしだと多分家事代行頼んでた
今の仕事が気に入っていて、やめたくもなければ、地域社員になりたくもないので、そうなると、実家住まいが一番楽で快適すぎる
ニューヨーク行きの便の中でこれを書いている。往復たった9万円のエコノミークラスだ。席は狭い。日本人標準体型の自分の足でも前との余裕は10cm程度。自分の背もたれを倒そうにも数センチしか動かない。食事が配られる際には後ろの人に配慮して席を戻さねばならない。暗いキャビンの前方ではバシネットに入りたがらない赤ん坊が元気に泣いている。
なぜ自分はビジネスクラスに乗っていないのか、いつも飛行機に乗ると自問する。
ビジネスクラスは高いのだ。このニューヨークと東京の直行便往復だったら約50万円から70万円かかる。このエコノミークラスの5倍以上。もし4人家族なら200万円以上の出費だ。移動のためだけなのに法外な値段に思える。
旅客機のビジネスクラスは経済格差を目にする数少ない機会だ。普段は金持ちも普通の人も同じようなレストランで食事をし、同じ道路を歩き、同じ電車で移動する。たまに運転手付きリムジンや特別なレストランに行く金待ちもいるだろうが、彼らは私達からは「見えない」。見えないなら格差を感じることもない。一方で、飛行機を乗り降りする時はエコノミークラスの乗員も否応がなくビジネスクラスの席を通過させられる。見せつけられる。プライバシー確保のために一つ一つ仕切られている座席。足を広々と伸ばせるシート。同じ場所に向かう同じ飛行機に乗っているのに、その特別な席に5倍-10倍の価格を払える人達と、そうでない自分達。ビジネスクラスのキャビンを通過しエコノミークラスにある自席に向かう時に、いつも自分がこう問いかけるのだ。
これまでにビジネスクラス乗ったことがないわけではない(むしろビジネスクラスのフライトを過去に経験してしまったからこそこんな無用な思えを生んでしまうのかもしれない)。以前に仕事の関係で東京に出張した時がそうだった。カレーも明太子ご飯も食べ放題のラウンジ。倒せばベッドのように横になれる座席。飛行前に席まで来て挨拶してくれるフライトアテンダント。レストランのメニューのような機内食。会社のお金(OPM = Other People's Money)で飛ぶビジネスクラスフライトは格別だった。
なかでも自分にとってのビジネスクラスの一番の体験は飛行前にあった。搭乗し、フルフラットになる自席に着いたあと、大勢のエコノミークラスの人達が横を通り過ぎる時だ。もちろん目は合わせない。だがフライト中の食事メニューを手にしながら、自分の意識は全て通路を通り過ぎる人々に向いていた。エコノミークラスへ向かう彼らと違い、自分は「快適な空の旅」をする優越感。今まで「あちら側」だった自分が今足を伸ばして、席の幅を気にせず離陸を待っている。ようやく自分がここまで「成長」したのだと。この醜い優越感と安い自尊心が幸せとは相対的なものなのだと教えてくれる。
しかし、ふと我に返った。これは会社が買ったビジネスクラスだ。会社のお金だ。凄いのは会社であって、自分ではない。この時から、あの問いは少し具体的になった。
どれだけ豊かになれば自分のお金でビジネスクラスに乗ろうと思えるのか。
ビジネスクラスの乗客を観察したことがある。自分と同じく出張で飛行機に乗っているような中年男性にまじって、普通のおばさんや小学生がいる。彼らの資金源は勤務先ではないだろう。その辺のスーパーでレジ打ちをやっていそうなのおばさんだ。(なお、子どもの頃からビジネスクラスに乗るようなやつはろくな大人にならないに決まっている)
出張と関係なさそうな彼らはマイルを使って乗っているのだろうか。額面の値段を払わなくともクレジットカード附帯のマイルを普段の買い物で貯めて乗る方法だ。しかし、東京-ニューヨーク間のビジネスクラス往復航空券は10万マイルである。買い物額100円に対して1マイルなので、この10万マイルを貯めるには1000万円のクレジットカード利用が必要だ。高額だ。もちろん乗客の中にはマイルを使っている人もいるだろうが、ごく少数と考えていいだろう。やはり会社の金もマイルを使わずに自分の財布からビジネスクラス航空券を買っている人はそこそこいるのだ。
それは自分ではない。
自分の収入は多い方だと思う。アメリカでソフトウェアエンジニアをしていて年収は日本円で約2000万円。それにRSUという株も付与される。税金や家賃、生活費を差し引いても毎年約400万円程貯金できている。年1回ビジネスクラスで東京-ニューヨークを往復するには十分な数字だ。だが自分はビジネスクラス航空券を買ったことは一度もない。昔の自分からすると夢物語のようなこの収入額ですらビジネスクラスを買う「心の余裕」がないのだ。
前にとある会社のIPOで一山当てた友人に聞いてみたことがある。「それだけの金があるなら、君は飛行機のビジネスクラスに自分のお金で乗るのか?」彼曰く「乗らない。もったいない。おそらく自分のお金で乗る気分になるには資産の量ではなくキャッシュフローが重要なんだ」と。つまり彼の感覚からすると、ある時点でお金をどれだけ持っているかではなく、出入りするお金の量こそがビジネスクラス航空券購入の判断材料になるのだという。今は会社経営をしてる彼が満足するキャッシュフローを手に入れるのはいつになるだろうか。
曇り空の向こうにマンハッタンの摩天楼が見えた。この窮屈な席もあとちょっとの辛抱だ。
なんとなくわかっている。多分自分はこれからもビジネスクラス航空券は買わないだろう。たとえいくら年収が上ろうとも資産が増えようとも、ずっとエコノミークラスに乗り続ける。この格差はお金の問題ではなく、心の問題なのだ。航空券を予約するときにビジネスクラスの価格を見て、「50万円あれば他に何ができるか」、「自分の財布から出していいのか」、「汚い優越感に浸りたいだけじゃないのか」と、ああだこうだと考えてしまう自分はいつまで経っても「あちら側」へはいけないのだ。
ライブやイベントで、チケット購入時に同行者の情報を入力するものが増えてきたように思う。
転売を防ぐためなのだろうが、二日開催されるライブなど、どちらにも参加したい人がDAY1の同行を条件にDAY2を求めるといったことも多いのではないだろうか。
友人もそのことを愚痴っていたのだが、その話を聞きながら感じてしまったモヤモヤを書きたい。
私と友人Aはアイドルゲームをきっかけにして出会ったネット友達だった。もう10年近い付き合いになる。
オフ会やライブなどで会うことも多く、オンラインゲームで言うギルドのようなグループの中でも特に親しくなった一人でもあった。
当時はチケット購入に制限などはほぼなかったが、同行者を互いに決めてライブの申し込みを行っていた。
私も彼もほぼ同じ程度CDなどを積んで応募していたのだが、そのうちAの当選率がかなり高くなっていき、よくよく話を聞くと事前の話以外にもシリアルコードをオークションなどで購入していたようだった。
どうしても行きたかったから自分が勝手にやったことだと彼は笑っていた。
その時もAのみが当選し、私は申し訳なさからいくらかチケット代に上乗せさせてくれと提案した。気にしないでいいと何度も言われたが、ライブ後の飲食をおごるということで何とか落ち着いた。
時折私が当選してAは落選すると言うこともあったが、私以上にお金を使わせてしまった彼にチケット代以上のものを要求する気もなく、Aもそれをありがとうと了承してくれた。
そんなやりとりが何度か繰り返された頃、趣味で使うと決めた金額以上のものが自分にはどうしても出せず、そのジャンル自体急速に人気が出たことも手伝ってか、倍率はとてつもなく高くなっていった。
Aはそのゲーム以外にも多くのアニメや声優さんのイベントに参加するようになっており、私を誘ってくれることも多かった。
けれどそのイベントの正式なチケット代ですら払う事が難しくなるほど誘いが増えて、同時に地方遠征にまで出かけるAは生活費など大丈夫なのだろうかとふとたずねて見た。
昔は毎日もやしだ素パスタだと笑いながら答えてくれたAだが、あなたが行かなかったチケットやダブったものが高額で売れるから平気だよ、と笑って言った。
そもそも大量のCDDVDシリアルを積んだのだから必要経費をプラスしたのであって、転売とは違う。
そう言う彼に私は同意も注意もすることが出来なかった。Aがくれるチケットの同行枠は魅力的であり、それを失うのが怖かった。けれど賛同も出来なかった。
チケットの転売が厳しくなり、複数アカウントでの応募が通らなくなっていった。
私は私生活で大きく状況が変わり、ゲームに接する時間が減ると共にモチベーションも緩やかに下がってった。
Aからの誘いを断ることが多くなったが、それでも何かあればAは私に声をかけてくれるし、付き合う態度も変化などはない。
ただ、Aはチケットを取る時に必ず複数枚を購入するのをやめることはなかった。
多くのイベントに足を運び、ラインやツイッターに当選の画像を載せて同行者を募っている。
イベントが二日あるものではなくても、決まった同行者がなくても必ず。
見知らぬ誰かと行くことで、そのジャンルを好きな新たな友人が出来るかもしれないから。
そんな風に言いながら、「友人が行けなくなったため」と言う一文とともに同行者を求めている。
イベントを楽しんで新しい出会いを望むそのAの言葉にうそはなかったと思う。
また少したった頃、映画の舞台挨拶か大ヒット感謝での挨拶だったか、有名なアイドルが登壇するチケットが当たったとAが上機嫌に教えてくれた。
私はまったく興味がないものだったのですごいねと話を聞くだけだったのだが、あまりに同行希望者が多く選ぶのに苦労したと話すAの顔が、今までに見たことのない表情だった。
事前に何の情報もなく行って全くわからなかったと言いながらも、その次のイベントも参加するようだった。
私と会う時のAは昔から何も変わらない。イベントの誘いもあるが、チケット代以上を要求することもない。
ただ何万円のプレミアだよと言われる度、こちらもかかった経費の半分を持つと伝えても拒否され、食事を奢ると言う流れが毎回に追加されることになった。
イベントが楽しいのか、沢山来る同行者を選ぶのが楽しいのか、そのどちらをも楽しんでいるのか。
そんな風なAを見ているのがとてもモヤモヤする。
芸術とかアートを語って解説する人って相手がそういうのわかってない前提でバカにして馬鹿にされたくなかったら認めろってスタンスなの?
成果物が王族とか貴族むけとかそうでないものもあるってそれ完全に別ものの話してるよねなんで混ぜてるの?
フェラーリとかマセラッティとかあるけどもちろんダイハツ軽もあるってそれもはや工業製品や自動車商品またはその道具をつかった価値や付帯するサービスの話じゃないよね
自動車本体自体の話をするのにタイヤが四つとか発明とか動摩擦とか燃料の話または税金や維持費の話をする尺度だよね
パトロンつけて大聖堂の絵を描くのに生活費がという意味の分からない構図から伝統音楽を奏でることで生計をたててる人までまぜてなんの話なの
ここだけにかぎらず全体的にそういういいかげんな基準で「わかりやすく」してくれてるのがその程度のものなのだったら現代アートってそういうもんだねって理解なんだけどたぶんそれで正解なわけだよね
そういう口先で取りつくろって問答が面倒になったらはいはいお前の勝ちっていわれたら勝利宣言するようなのが現代アートってわけね
それだと腑に落ちる
食堂のテレビでワイドショーが垂れ流しになってなんとなく眺めていると吉野氏のノーベル賞受賞のニュースを取り上げていた。
その番組は吉野氏が旭化成で研究をしていることにフォーカスを当てて「民間企業に研究者が籍を置けば、直接実用化に繋がるようなより社会的に有意義な研究を進められる。科学立国を立て直す契機はそこかもしれない。」というようなことを言っていた。
挙句司会の恵俊彰が「今の大学のランキングで東大とか京大の順位見てると腹がたってくるんですよね。『もうちょっと上行ってくれよ』って思いますよね。」とかぬかす始末。
「てめらみたいな世間様が地道に基礎研究やってるとこに圧かけていくからぼろぼろになって言ってるんだろアホか」と他人事ながら暗澹たる気持ちになると同時に、この受賞が「大学機関なんて自己満足の道楽で民の財を食い潰すだけの所だ。」だと基礎研究にかける予算を締め上げていこうという世論を余計に強固にするきっかけとなるのではないかという危機感を覚えた。
しかしながらそもそものところ、なんで日本人が日本の研究機関で結果を出すことにそんなこだわるのか僕には理解できない。
各分野で最先端の研究をしている機関は世界に散らばっているはずなので、その恵まれた環境に優秀な日本人をより多く送り込もうという方が真っ当な考えだと思うし、日本人が評価を得るという目標からすればその方が近道なのではないか。
反対にノーベル賞が取れればいいのなら世界中の優秀な研究者を国家ぐるみで金で釣って日本人にしてしまってもいいのではないか?
アメリカが抜きん出て権威的な賞受賞者が多いのは、あの2人の元日本人ノーベル賞受賞者を含む多数の研究者を、潤沢な研究資金と生活費を与えることで国に取り込んだからだ。無論それはアメリカという社会がやったことで国家が行ったことではないが。
考えてみればノーベル賞受賞者の数で一喜一憂すること自体、本質に目が向かない人間のしょうもない態度なのではないかというような気がしてきた。
保育園は余裕で入れるし、近くに住んでる両親が休みとか子供預かってくれるし、近所のじじばばも野菜くれたりするし
いらなくなった冷蔵庫とかも貰ってしまった。米は近所のじいさんが新米を安く売ってくれる。げきうま。魚も釣りに行った同僚とかがくれる。とれたてうまい。
休みになったら、子供釣れて山に行ってカブトムシ取ったり、ザリガニ釣ったりしてるし。一、二回くらいは車で県外に遊びに行く。
都会マンはよく田舎の風習が~とか子供の教育が~とかマウントとるけど、そんなの田舎の全部じゃないし、確かに閉鎖的なところはあるけど
そういう閉鎖的なじじばばはそろそろホームに入ったり死に始めてるので気にすることない
あと教育って面でも今はネットで有名塾の授業も見られるし、田舎は子供の数が少ないから、先生に聞けば個別で熱心に教えてくれる
あまりに楽なので3人も作ってしまったが、一軒家建てて平和に生活してるわ
嫁もパートやってるだけだけど、とにかく学校にかかる金とかはともかく生活費(食費、家賃等)が安いので、余裕
俺は年収600はあるからかもしれんが周囲の高卒の奴らだって地元の大手工場に勤務してると三交代で金になるから高級車乗ってるし、
世の中にはほんの2%分のイートイン脱税すら許さない正義マンとやらが存在するらしいが、はっきり言ってちっぽけな正義だ。他人の納税の監視でなく自分の納税で正義を果たすべきなのに、と思ったので私自身の正義の行動をここに記してみる。
収入印紙は国が、収入証紙は地方自治体が発行している。通常は国や地方自治体に対する手続きに収入印紙や収入証紙を利用するが、何も使わずに燃やすことで納税が可能となる。1万円札を燃やすのは、日本銀行券の流通量を減らして政府が目指す緩やかなインフレに寄与するためだ。
ここ2・3年ほど上記の方法で毎月3万円を納税(寄付?)している。年収が何千万円も何億円もある人にとっては小さな金額だが、私の手取りは月15万円程度なのでこれが限界だ。本当なら、私の正義の行動を身の回りの人に勧めるべきなのだが、とても理解されるとは思えないので、消費税増税を機にこの匿名ブログで布教する。余剰資金をもっと有意義なことに使うべきだという意見もあると思うが、有意義に使える人はいるのだろうか。少なくとも私の職場など周囲の人にはいない。職場の同僚が生活費以外に金を何に使っているか、そしてそれがいかに無駄かを示そうと思う。
このように職場の愚かな人間どもに私の正義を説こうとも、逆に金をたかられてしまうこと必至である。ここまで読んでみると、私のことを無欲・無趣味な修行僧かと思うかもしれないがそんなことはない。趣味は散歩して図書館へ行くことであり、将来の夢は一冊でも多くの本を死ぬまでに読むことだ。たまたま、趣味に金がかかっていないだけであり、決して3万円分燃やすために生活を切り詰めたり趣味を我慢しているわけではない。
消費税増税で物価も便乗値上げの感があるが、それが続くようなら燃やす額を下げるだけだ(というより減らさざるを得ない)。また、燃やしている収入印紙:収入証紙:日本銀行券の比率が1:1:1であることに特別な考えがあるわけではない。金額面でたまたま切りがいいのでこうしているだけだ。もし、金融などに詳しい人がいたら適切な比率を教えてほしい。納税や寄付に関しても、もっと良い方法や納税(寄付)先があるというなら、その意見も欲しい。ただし、寄付金控除やふるさと納税をするつもりはない。寄付や納税は何らかの見返りのために行うものではないからだ。日本人としての正義で日本の将来を支えたいので、海外に投資などをするつもりもない。
気まぐれに、今の仕事を続けた場合の収入を大雑把に計算してみた。65歳時点で年収は672万円。生涯賃金の総額は2億円。手取りだと1.5億円だ。残業がなかったとして、38年間のうちおよそ7万6千時間(通勤等含まず)を拘束され、ストレスと疑問に悩み続けた対価は1.5億円らしい。生活費が月10万円だとしたら、自由に使えるお金は1億円。今後ぼくの人生は、この1億円をどのように使うかを考える人生らしい。
当然、勤めるほどに収入が伸びる仕事というのは、相当な価値がある。社会的に見て「恵まれて」いて「価値がある」。ぼくはハローワークで職探しをしたこともあるし、ワープアの話もそれなりに聞いてきている。今の仕事は大変に貴重なものだ。仕事なのだから当然苦労はあるが、これを人並みに続けるだけで、1億円を自由に使えるのだ。必要なことは組織に属し続けるだけであり、誰にも優る必要はない。退職金と厚生年金も考えると、その価値は更に何割という単位で増す。お金以外ではどうか。仕事を通じてのやりがいや成長は当然あるだろう。この立場でしか知りえない情報、得られない視点、会えない人。相当なものがあり、お金で得られるものではない。対外的には、この身分だけで得られる評価は大きい。結婚するにこれほど適した仕事もない。
さて、キャッシュがいくらあれば仕事を辞められるだろうか。生活費だけならば、5千万円で38年間の「生活」は保証される(その他に年金や保険、医療費としてかなりの額が発生する)。時給千円のアルバイトだと5万時間。7万6千時間を得るために、アルバイト5万時間相当の価値と、1.5億円を得る機会を差し出すことになる。「38年間」を後悔なく購入するには、2億円支払う必要があるということだろうか。38年後に待つのは、退職金も厚生年金もない生活だ。
組織で働くというのは、これ以上ないほどに社会に最適化されている。長いものには巻かれるべきなのだ。組織から能動的かつポジティブに抜けるというのは、7万6千時間を使って2億円以上の価値を生み出し、組織の中で38年掛けて得るはずだった能力と経験、人脈を超えられるという「自信」がある人にだけ許された行為だ。それ以外の能動的な抜け方は、組織から逃げることが目的のネガティブな抜け方ということになる。
そんな自信は、ある方がおかしい。根拠なく「やれそう」というのは、仕事が嫌だとか組織で働くことに向いていないだとかの、社会不適合者の言い訳を隠しているに過ぎない。ぼくがそうだ。「サラリーマンの安定感」というわざわざ書き出さなくても十二分にわかることを、改めて考えてみないと、現実が見えないのだ。
夢も目標も自信も見出せない無能は、大人しく自分に見切りを付けて、組織で働き続けるべきなのだ。
と、ここまで書いてみたが、そんなに極端になることもない。組織に属しながら、手を伸ばしていくことができる時代だ。副業はNGだが、利益なんて早々付いてくるものではない。そのまだ見つかっていないだけど思っている「何か」を、まず始めてみて、利益が出たなら組織から抜ければいいだけだ。ただし、その「何か」を始めるような精神的な余裕がないのは重々に承知している。今は脳みそが腐らない程度に勉強をし、身体を鍛え、本を読み重ねるだけでいい。組織を離れるのは何歳になってもできるし、遅ければ遅いほど離れたあとの地力は大きく、リスクは小さい。その時に支えるべき人が居るならば、その時に考えればいい。
睡眠時間3時間でOLと兼業やってる漫画家がブッ叩かれてるらしいけど
本当の事言ったら叩かれて可哀想だな
すでに専業でバリバリ売れてる漫画家が上から目線でそんなことしてたら死にますよみたいな事言ってるけど
こっちからすりゃ
あーあー売れてる人は偉そうな事言えていいっスねw
なんだわ
今はどこもデビューする時に
「当面は両立するつもりでいきましょうね」
それは専業でやっていける可能性は今の時代限りなくゼロに近いからだ
単行本も紙で出してもらえるとは限らず電子書籍は宣伝力が無ければ出ている事すら気づかれない
つまり今現在実家暮らしやパートナー持ちで生活費折半、専業主婦という基盤などがないかぎり
漫画家というのは基本的にフルタイム兼業前提でスタートするのである
そういう仕組みの中で漫画家としてスタート切らせる構造になってるのに
ブッ叩かれるのは実際に手を動かしてる漫画家のみ
専業になれるほどの才能も無いのに勝手に漫画家になったんだから
勝手に自分がどうしてもなりたくてなったんなら迷惑かけていいのは自分だけ
というわけで世の中の兼業作家はほとんど全員突然死上等でやってますよ
という話
昔はちょっとオーディションに落ちたくらいでずっと引きずってたけど、今は就活何十連敗しても平気。性的加害を受けても平気。生活費を盾に親と大喧嘩しても平気。
もちろん、その出来事があったその時は気持ちが沈んでいる。でもちょっと増田やツイッターで愚痴って、一晩寝て起きて、ご飯食べたらもう立ち直ってる。
知り合い(ツイッターで相互ブロック)に、メンタルの自己回復力が弱い人がいる。そいつは何もかも持っている癖に、ほんの些細なことで死にたい、死にたいとほざく。
苦しさのキャパは人それぞれで、そいつにとっては本当に死にたい出来事なのだろう。
自分とあいつと同時にメンタル弱ってたら友達の目はみんなそちらに向くし、大げさに心配する。
正直羨ましい。