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はてなキーワード: 物心とは

2024-02-01

家にいた爺さん

同じ家に住み生活を共にする、配偶者および血縁の人々のことを家族という。

私が生まれ育った家庭では、物心ついたときには一般的に「お父さん」や「パパ」と呼ばれる事が多い父親は「爺さん」と呼ばれていた。

「爺さん」はどこかおかしかった。

今思えば、何かしらの不定型発達があるのだと思う。

時代時代であったからかもしれないが、子供ちょっとした悪戯をしたら思いっきり殴られるのは当然。

機嫌が悪いときにはプラスチックバットで殴られた。

脚や身体にできたアザのことを今でも覚えている。

「爺さん」はある日、勤めていた財閥系の会社退職してきた。

話によると、横領をして窓際に左遷させられ、退職たらしい。子供であった私は良く分からなかったが、横浜某所にあるピカピカの借上げ社宅を追い出され、韓国系菓子工場の近くに引越す事になった。夏場、ドアを開けた時に広がった人工的な葡萄臭い吐き気を催した事で、今でも葡萄お菓子は苦手である

「爺さん」はその後も職を転々とした。

ある時、「爺さん」の身元引受人になるよう、母のもとに連絡があった。

当時勤めていた、自転車整理のバイト先にあった放置自転車自分のものとして乗っていたら、警察に職質をされ、「妹の旦那が癌で…」と逃げようとして、捕まったらしい。

犯罪歴がついたのか、厳重注意で終わったのかは知らない。

家族全員で責め立てたところ、沸騰したてのお湯をかけられそうになった。

ワタシが二十歳を超えた時の事だったと思う。

この時から親しい人に父親のことを話す時、「便宜上(やむを得ず)の父親(と呼んでいる人)」と呼ぶようになり、癌で母が死ぬ前に久しぶりに見かけた「爺さん」はいつもと変わらないおかしな「爺さん」だった。

最期に手を握る場面でも、母から手を払いのけられていた。

母の葬式後、「爺さん」とは絶縁した。

今、「爺さん」はタクシー運転手をしている、と風の噂で聞いた。

車の運転が粗かった「爺さん」よ、どうか人様を巻き込むような事故だけは起こさないでくれ。

2024-01-28

土日は昼過ぎまで親が起きてこないから、物心ついた頃には土日の朝昼は冷蔵庫にあるもので妹と二人で勝手に済ませて、テレビ見たりゲームしたり近所の公園図書館に行ったりと好き勝手に過ごしていたし、周りもそうなんだろう、と特に気にもしていなかったけど、世間の親は土日子供を連れてどこかへ出かけたりするものだと知った

小学生上がるまでは、まだ存命だった祖父母食事の世話はしてくれていて、簡単調理ご飯炊くとか目玉焼き作るとかお湯を沸かすとかリンゴを剥くとか)も祖母仕込みだった

親になってみて、土日疲れ果てて昼まで寝たい気持ちもめちゃくちゃわかるし、一方で、子供が一人で調理して怪我とか火事とかあるのも心配だし勝手に出かけて事故とか事件とかも心配だし、バランスが難しい

2024-01-26

anond:20240126081237

変わった価値観の人だな

たいてい「そりゃなるでしょ」って言うと思うけど、確信をもってならないって言ってるのが不思議

例えば思春期出会ったコミュニティに一生帰属意識を持つことだって普通にあるのに、物心つく頃からその文化の中で暮らしアイデンティティに影響しないと思うのってなんなんだろ

それも「必ずしもそうなるとは限らない」とかじゃなくて「絶対にそうはならんやろ」なんて言うほど確信を持ってるんだよな

煽りとかじゃなくて、純粋にどういう人間観でそう思うようになったのか興味あるわ

2024-01-24

ウクライナで5歳まで暮らしてその後日本移住した人が、アイデンティティ日本人と同じだと決め付けられるのって本当に理解出来ないんだよね

みんな5歳の時ってそんなに幼かった?普通はもうとっくに物心ついてて言語も話せる年齢だよね?

実際私は日本国内の話だけど5歳で移住して、移住前に暮らし土地こそが故郷だと思っているもの

移住後の土地には何ら思い入れはない。それどころかこんな所早く出て行きたいってずっと思ってた。

5歳にもなればもう周りの人間関係大分出来上がっているし、周りの人達同類だなんて思えなかったよ

高校卒業して大学入学し、生まれ育った場所にやっと戻って来られて本当に嬉しかったし、絶対田舎に戻りたくなんかない。

これ書いたものですけどhttps://anond.hatelabo.jp/20240123114222、いくつか回答します。こういう使い方は非推奨だったらすまん後で消す。

トラバ

タモリの件

尻振るかどうかを決めているのは制作会社なのでタモリが決定してるわけではないと思う、容認は当然してただろうけど。そういえば山田五郎と尻の品評会もかつてはやってたし、オープニングの尻を選ぶオーデイションもやってた。ただタモリ倶楽部も後期では、このご時世なので…みたいな留保をつけながらやってたから、まぁ自主規制も緩い深夜枠とはいえタモリ倶楽部はアップデートしてた方だと思う。

立証できないから疑わしきは罰せずだろ

刑事事件(罰が決まる)ではなく、民事事件賠償金和解金の金が決まる)なので、そもそも違う。罰は決めない。決着付けるための金額を決めるために事実社会的影響考慮されるということ。

フリはもう十分、どこでどう笑いにするのか

裁判で笑いにできるぐらいならXで笑いにしてたと思う。いや本人は笑いにしたつもりだろうけどドン滑ったと元増田は感じている。増田はあのポスト面白かった?

その他雑感

松本ファンにミソジが多いのか、ミソジをこじらせているからずるくて悪い女に訴訟しかけた松ちゃんカッケーなのか、どっちなんだろ?どっちも?ファンの客筋の治安変化してるね、筋肉付けた賜物だ!

ブクマ

sutego386 なんかあの人がわざと文体変えて書いたような文章

あの人って誰だ。先週1000ブクマ行ったやつなら私が書きました。こっちの方がより深く腹が立ち悲しいか乱暴言葉になっているかも。

WildWideWeb アップデートって誰が何をもって判定するんだろう。

受験勉強の回答ではないので、色んな立場の人たちが大勢ひしめいて暮らしている社会では法律以外では白黒判定はつかなくて、価値観は、個別の誰かの何らかの感情や思惑によって変化の内容もスピードも変わる。それが社会ってやつなので仕方ない、大勢異なる人が住んでいるから。そしてそのあいまいで人によって違う尺度を「いっせいのせで変更しよう」となったらそれはファシズムしかないと思う。

法律についていえば、セックスわいせつ行為に関する犯罪トラブルにおいてはこれまでとにかくヘテロ男性がひたすら有利だったのが、法改正で(完璧機能しているとは言わないが)性加害自体起訴やすくしたり、男性被害者認定できるようにしたりと変わってきている。法改正はお望みの通りの「タイミングを揃えた変化」で、もっと言えば法律って社会生活における「NGの最低限の価値観」を明文化したものだ。最低限ラインすら変化してるんだよ?ということは断言できる。それまでは男性レイプされても罪に問えなかったんですよ。男子もっと喜べばいいのに、不思議

craftone もし同意書があったって、強制的に書かされたとか断れなかったとか主張したら無意味なんでしょ?

強制的に書かされた事実があればもちろん法的にアウトで何なら1翻乗る。「強制的に書かされた」と言い張る美人局的なことが立証されれば美人局側(強制された!と言った人)が犯罪になる。訴訟の行く末を見守るしかない(でも美人局復讐であるとはさすがに言えないと思うだってお前らが呼んだ女やぞ?ってなるから。売名や金目当てというのも現状被害者名前を出してないかあんまり筋が良くないと思う)

crimsonstarroad 裁判では、名誉毀損させたことは確定していて、

どうだろうか。松ちゃんは女遊びをすること自体素人に行くこととかも含めて日頃からメディア出演の中でさんざん話しているのでそちらは名誉棄損にはならないんじゃないかと。性加害の有無は事実かどうかによって名誉棄損に当たるかはかなり微妙では。もしも事実なら名誉棄損どころか起訴になりうる。もし本当ならレイプであればまだ時効ではない(まぁでもお互い実証がしようがないからそこで泥仕合はしないと思うけどなぁ…するとしたら松本サイドは相当マヌケだと思う)

Midas 他の吉本タレントがたくさん関わってて全てが表沙汰になると企業としても存続できなくなる(同時に同じ理由松本さん本人を切るにきれない)

まぁね、その可能性は結構あるかもかなーと思ってるけど、さすがに陰謀論めいてくるので私は言わないようにしました。

ROYGB 一般的な性被害に関する裁判だと、被害者証人尋問かに出てこないこともあって、そういう場合は不利みたい。ジャニーズ裁判だと尋問は行われてる。

元文春編集長が、A子さんは法廷に出ると言ってるそうなので、セカンドレイプが行われないような配慮をもってなされるといいなと願っています

JohnnyJosui 松本人志は相方の迅速な行動を見倣わなかったんかね

これは私の邪推だけど、松ちゃんは(相方であり幼馴染としての情や信頼は当然あるだろうけど)ビジネスパートナーとしてのハマタさんを日頃から、私や世の中の人たちの評価からしたら不当に低く見ている(見下している)と思っていて、ハマタさんの真似は絶対にしなさそう。

zaikabou 『立川談志議員をやった時はだせぇと思ったし』増田はいくつなん…

第一氷河期世代です。談志議員になってた頃は当然リアタイでの記憶はなく物心ついた後も「なんかバンダナひげの人がテレビで怒っている…」ぐらいの認識大人になり当時の彼氏談志大好きで本などを読まされてこのおっさんめちゃかっこ悪いと思った。落語会に行こうと誘われて何度か行ったけど政治をやったのを後悔するような話をぽつぽつするのがキュートだったという感じです。談志落語については、私は結局あんまり好みではなかったな。彼氏(現夫)は今でもすごく好きみたいだけど。

Tamemaru 半引退芸能人ガチ裁判挑んでくるのは嫌だろうな文春にとっては。あっという間に「過去騒動」になって読者の興味は失せていく一方

分からんけど多分そうはならないと思う。文春はさすが下種メディアだけあってこの手の訴訟を始終抱えていて、そのことをご存じない程度には「それはそれとして訴訟は受けて立つ」体制になってるんだと思うますよ。

そもそも松ちゃんタレントとして名前が大きいから引きが強いし、相方ハマタさんはメディアに出続けるだろうから松本の不在は意識され続けるだろう。過去の例ではあるけど、たけし被告時代テレビがまさに「たけしがいない」をひたすら意識する感じだったので。むしろそれより紳助に近い(いなくなったが今田東野普通にやれてる)かもしれないけど、それはそれで松ちゃんには辛いかもね笑

zuiji_zuisho 松本人志総括みたいな文章たくさんネットで見かけるけど、しょせんお笑いテレビ番組について一丁前の口を利くだけでわかってるやつ感を得られるくらいにお笑い権威を高めたのが松本人志なんだよなーとも思う。

私の文章についていえば、一丁前の口ではなく松本人志評でもないしお笑い評でもなくて、私のお笑い体験と好きだったお笑い芸人が闇落ちしていくのが悲しいという文章なんです。わかっていただけていないようだったら残念です。

松本人志は人をしてお笑いを語らしめるタイプお笑い芸人である」という点については同意。それが仇になってる(裸の王様化)のが今だとも思ってて、むしろ私はそれを言いたいのでした。「お笑いが語るに足るなにかになった」のは松ちゃんだけの功績でもないし、それが功績だったとして自分がその功績を踏みにじってるのが今なのかもよ?

女で生まれて生きていて「面白いと思うのになんでこの女性蔑視はやめないんだろう、それをやらなくても全然面白いのにな」と思い続けているので、男に生まれるとそこらへんは鈍感になれるってことなのかな、だとしたらうらやましいっすね!

その他のブクマしてくださった方

ありがとう。好きだったんだよなぁ、でも同時に好きじゃないところ(女性蔑視なところなど)もあった、そして好きじゃなかったところがどんどん肥大していって失望し続けている。悲しい。

2024-01-19

1950年まれ人生テクノロジー変わりすぎ問題

仮定の話、1950年まれだとすると今年74歳

 

変更履歴:皆が体感より遅いと言うので、一般化を普及率50%にしました。都会は-3年、田舎は+3年くらいでちょうどいいかも(2024/01/20 8:41)

 

1960年 10歳 白黒テレビ一般化(一般化=50%)

1962年 12歳 洗濯機一般

1962年 12歳 自宅のお風呂一般

1965年 15歳 冷蔵庫一般

1960年代 10代 年賀状が隆盛

1967年 17歳 掃除機一般

1969年 19歳 大型店舗でのレジスター一般的に

1970年 20歳 プッシュホン、キャッチホンなど始まる

1971年 21歳 カップヌードルが登場

1971年 21歳 カラーテレビ一般

1972年 22歳 電卓が爆発的に売れ始める

1972年 22歳 炊飯器一般

1970年代 20代 アナログレコードが最盛期

1970年代 20代 自家用車一家に一台に

1979年 29歳 スペースインベーダーブーム

1980年 30歳 ウォークマンが登場

1980年代 30代 カセットテープが隆盛

1983年 33歳 ファミコンが登場

1984年 34歳 電子レンジ一般

1985年 35歳 エアコン一般

1986年 36歳 写るんですが登場

1987年 37歳 水洗トイレが当たり前に

1988年 38歳 ビデオデッキが隆盛

1989年 39歳 CDカセットレコードを超える

1991年 41歳 バブル崩壊

1991年 41歳 ポケベルが隆盛(1996年まで)

1994年 44歳 プレイステーションが登場

1995年 45歳 Windows95発売

1995年 45歳 MDが隆盛

1995年 45歳 海外旅行が隆盛(以後横ばい)

1990年代 40代 コンビニ一般

1990年代 40代 カーナビが隆盛

1990年代 40代 ビデオカメラが片手持ちに

1997年 47歳 CDピー

1998年 48歳 携帯電話一般

2000年 50歳 デジタルカメラが当たり前に

2000年 50歳 FAXじわじわ浸透

2000年代 50代 インターネット一般

2002年 52歳 DVDビデオを追い抜く

2005年 55歳 パソコン一般

2008年 56歳 動画投稿サイト流行り始める

2009年 59歳 液晶テレビ一般

2004年 54歳 ウォシュレット一般的に

2011年 61歳 地上デジタル

2012年 62歳 iPodが最盛期

2014年 64歳 スマートフォン一般化、SNS一般

2016年 66歳 GoProアクションカメラ)が最盛期

2018年 68歳 TikTokショート動画)が流行り始める

2019年 69歳 60代のスマートフォン率がガラケーを超える

2010年代 60代 本、新聞CDDVD凋落電子化スマホ化する

2020年 70歳 リモート会議一般

2020年 70歳 ドローンが浸透し始める

2020年 70歳 スマホキャッシュレス決済が隆盛

2021年 71歳 VRAR一般化?

2023年 73歳 AIが隆盛?

2024年 74歳 ?

 

変化が濃すぎる

 

年はザックリ、わかりやすさ重視

全部調べて書いてます

普及率の伸びというのは体感より遅いんですよ、先進的な人は5〜10年早めるくらいで丁度いいか

→ 皆が体感より遅いと言うので、一般化を50%にしました(2024/01/20 8:41)

※隆盛:身近になってきた当たり 

※最盛期:ピー

一般化:大体普及率50%(ピークがそこまで行かない場合ピークの5合目当たり)

 

FAXは非常にゆっくり浸透した、時代遅れになってから一番売れているのが面白い

固定電話の普及は1950年代なのでこ50年生まれ物心つく頃は既にあったと思われる。また電話普及率は良い統計が無い

炊飯器についても良い普及率のデータはなく、推測する論文がある始末

新幹線飛行機を入れたかったが、時代差より個人差が大きそうなので割愛

プリントゴッコ情報が少ない、年賀状データばかり出てくる

※衣類についても言及したいが、何か革命的なことあっただろうか?

もう随分前から物心付いた頃からテレビワイドショーは興味のない話題が延々続いて心底くだらないと思っていたが

はてぶも一緒だということに10年前に気付いた

心底どうでも良すぎてお前ら見下してる、多分アホなんだろうなぁって

2024-01-18

anond:20240118132322

娘は楽器体操習わせてブランド服着せて私立幼稚園だぞ?

息子は安物服で公立習い事もさせない。

何歳差かは知らんけど、端から見てもちょっとヤバイよ。

子供二人と一緒に出掛けることもないんだろうな。

しかも息子の方が年上で物心ついてるだろ。この虐待子供自身にバレてるよ。

2024-01-16

転生なろうに共感する?

死んだと思ったら異世界赤ん坊

魔法がある事を知って物心付いた時から魔法修行 ← お前らこれ無理だろ

魔法の力が認められて学園に入学

  

しょうもないお前らはだらだら年だけ重ねて今と同じような無意味人生を過ごすだけ

だったら召喚されてチート能力をもらえる話の方が楽で好きだよな

anond:20240116145008

から怨念を一身に背負った、若い時にシャレにならないことし続けてきたヤリチン芸能人中年以後に最愛の娘がヤリマン化するとか反社と恋仲になるなどの形によって過去因果が巡って苦しむことになる、

っていうのが世の常だったけど

今は最愛の娘が物心ついて以降のタイミング自分過去性的スキャンダルが大ニュースになり親娘の信頼関係が(おそらく)崩壊する、

って感じのトレンドになってきた気がする

イスラム教棄教が認められていませんがこれは信教の自由に反していませんか? なぜなら信者子供ができた場合の子供は物心もつかないうちに生まれた瞬間から拒否権もなく信者にさせられるからです。そして物心ついて改宗したくなったりしても、棄教死刑ですのでここ日本であって少なくとも迫害対象にはなると思います。ここに事実上信教の自由侵害が生じていると感じます。どうなんでしょうか?普通に人権問題だと思うんですが。

質問としてはなぜこのように信教の自由に対して教義必然的にもたらす構造上の問題を抱えたイスラム教日本許可してるのかということです。政治家裁判所の人たちがこの問題に気づいてないからですか?それともこの程度の議論はとっくに知っている上で(それどころか典型的な周回遅れの素人の発想?)なんらかの正当化可能なので看過しているのですか?

2024-01-15

anond:20240107224248

ごめん最初最後の行だけ読んだけど、

「歪むやつは歪むべくして歪んでる」という事実だけだった

これ、ワイも最近気づいた。

クサマン女性物心ついたときから腸内環境クサマンになってしまい、脳が腐ってしまった」

ってことなんだなってわかった。

さすがに30年とか40年のクサマン歴史を腸内環境カイゼンさせるには、

相応の健康知識努力必要なので、歪んだまま戻れないんだろーなと。

2024-01-13

anond:20240113212025

わたしの母もケーキ作りが趣味で、わたし物心ついた頃には美味しいケーキを作ってくれるようになっていたけれど、それを横目に父は遠い目で、結婚したばっかりの頃に作ってくれたケーキは、本当にひどくてなあ…ってよく言ってたよ。身の危険を感じて、オーブンハンドミキサーと各種道具は高くてちゃんとしたやつをプレゼントしたらしい。

あとは、生クリームが辛いならクッキーパウンドケーキ誘導かなあ

瞑想をなんだかんだ10年ほど続けたので効果を書いてみる。


といっても寝る前にMeditopiaってアプリ適当1020分やるくらいだけどね。


・表出する感情は多少コントロールできるようになった。

中高生くらいまでは小さいころ自分が気に入らないことがあると衝動的に怒りや不機嫌を口にしてしまうやべー奴だったんだけど、

怒りの感情とそれを口に出す間にワンクッション置けるようになってそれで友達を失うことはなくなった。


・ただし、内面感情コントロールは一切できない。

今も昔もムカつくことはムカつくし過去の恨みや嫌な思い出は消えないし、自分他人を許すとか愛する的なことはない。


・一番のメリットは、自分話題ががあちこち飛ぶ人間だと気づけたこと。

社会人なりたてだったということもあって、早めに軌道修正できて良かった。


・とにかく私の場合は、自分が話す言葉に注意を向けられるようになった、というのが瞑想の一番わかりやす効果だった。

なんというか、無意識物心がついたみたいなそんな感じ。劇的な変化と言えるのはそれくらい。


・今も集中力ないときとか、イライラするときとか、瞑想するんだけど、そういうのにあんまり効果があるとは思えない。

でも、瞑想続けてればもっといいことあるかも、、、みたいな期待感でなんとなく10年続いてる。

期待感だけで10年続くってことは、脳みそ的には快寄りの習慣なんだと思う。

あるいは瞑想を続けてなければもっと悪い状況になってるとかね。


・たぶん最初の1~2回が一番変化を感じられると思うので、試しにやってみてもいいと思うよ。

ちなみにMeditopiaはゆるふわスピ系寄りの瞑想なのでおすすめしない。

自分は「スタンフォード自分を変える教室」で瞑想を知ったので、そこに載ってるやり方がおすすめ


とめのない文章になってしまった。

瞑想効果出てねーじゃんっていうツッコミはなしで。

2024-01-12

女性漫画家男性キャラズボンの描き方が気になる

女性漫画家男性キャラの履いているズボン股間周りのシワの描写女性のそれになってるケースが多い。

男性キャラ股間あたりに水平なシワが左右の太股の付け根を股間の部分を通って横断している描写になっている人が結構いる。


男性諸氏はご存知かと思うが男性ズボン股間部分のシワはこうはならない。

底にまとまった体積の物体がついていて布がその面積分盛り上がっているから、シワは太ももか股間に向かって斜め下に向かう形になる。


女性漫画家の描くズボンのシワはちんぽがないようにしか見えないシワになっている。

布がちんぽの体積で盛り上がっていることや、縫製がちんぽのぶん余裕をもたせた形になっている事を分かっていない作家って多いんじゃないか

女性向けのズボンは平坦な股間にぴったりな縫製になっているがそこの違いに意識が向いていないように見える。


男性に比べ女性股間に関心が薄いと言われる。

男性物心ついたときから小便のたびに自分性器を見るし、公衆浴場プールの着替えで他人の物を見て大きさの違いなどを実感したりと股間意識を向けることが多い。

だが女性便器腰掛けて尿の出る部分は見えないし、単に平坦な場所なので、せいぜい小学校高学年の修学旅行プールの着替えで毛が生えたかどうかくらいでそれ以外は他人股間に関心を持たないのだろう。


個人的には服の縫製の男女の違いは意識してもいいかとは思う。

anond:20240112184730

それはそう

というか俺が物心ついた時点で結構大御所だったからいちいち神とか天才とか思わないな

さんま見て凄いとか好きとかいちいち思わないじゃん

2024-01-11

anond:20240111172715

いや人間社会的動物である以上そこが皆無ということはありえないという話。

まあ俺は物心ついた頃からずっと「社会」に馴染めず苦労しつづけて大人になったからね

 西武ソフトバンクFA移籍した山川穂高内野手(32)の人的補償として、和田毅投手(42)を指名する方針を固めたことが10日、分かった。

27歳女性です。

物心ついた時からダイエーファンで、和田投手が大好きでした。ホークスに戻ってきてくれた時は本当に嬉しかったです。

まだバリバリ投げれるだろうけど、いつ見納めになるか分からないと思い、今年は数年ぶりに和田投手を見にドーム観戦に行きたいなと考えていました。ですがそれも叶えられなさそうです。

今回の件でホークスファンやめようかなと思いました。それくらいショックで胸が苦しくなるようなニュースでした。

2024-01-10

anond:20230930185328

年も変わったので追記

猫はあれからすくすくと大きくなり、今や生後半年を過ぎた。体も見違えるように大きくなったが、老け顔なのは相変わらず。なんなら成長過程でお前…足が短くなってないか?というずんぐりむっくりに近い体型になった。子猫の時のスマートな猫はどこへ行ったんだ。冬毛なのだと思いたい。

甘えたなのも相変わらずで、最近は私がトイレ風呂に行くと大きな声で鳴き出す。気配がしないと好きなことをしてるっぽいのだが、少しでも物音や私の気配を感じるとあーんあーんと響き渡るような大声で鳴いている。分離不安じゃないかとこっちが不安になりそうだが、粗相などはしないので、素直に寂しいを全力で表明しているだけではないだろうか。

あとは、よく喋る猫になった。私の独り言が大きすぎるせいか。アーン!ンナァーン!プァーン!と鳴くことで毎日自己主張している。私はペット畜生と思っている冷たい人間なので、鳴かれたからどうこうするとかはないのだが、ああなんか話しかけてるなあ…と思う。猫語がわからない人間で大変申し訳ない。

寝る時は今も一緒だ。枕元に来た時に布団を持ち上げるといそいそと中に入り、我が物顔でくつろいでいる。寒いらしい。朝起きると腕枕で猫が寝ていて、大変良い目覚めだった。

年始地震飛行機事故で、もし災害があったとして、猫はどうしよう?など見直してみた。地震などであればできる限り連れて逃げたいが、こちらの命がかかった緊急事態なら、残酷だと思うが猫は捨てていくと思う。

でも、この先も何事もなく一緒にいたい。賢いが寂しがりで、物心ついた時からぬくぬくと室内で人に飼われた箱入り猫だ。外ではきっと生きていけない。できることなら、死に際を看取らせてほしい。

2024-01-09

anond:20240109141310

浪花恋しぐれ」(なにわこいしぐれ)は、1983年5月21日に発売された都はるみ岡千秋によるデュエットシングル

当時もう物心ついて歌詞意味がわかるとなればいまは50~60代くらいか

ウンコの話なんだけど

色んな人に聞きたいけどTwitterで聞いても誰からも返事来ないだろうから増田で書く

自分便意ってものがよくわからない

物心ついてからずっとで、尿意はわかる

なんか具合悪いな〜ってときに、トイレに行くと五分五分確率でなんかウンコが出るって感じ

調べると便失禁とか出てくるんだけどウンコ漏らしたことはない

下痢してる時はケツが熱くなるから分かる

でも普段からケツが燃えるように熱い!死ぬ!っつってトイレに駆け込んでる人なんかいないよね?

特に困ってはないんだけどみんな便意って分かるものなの?

これって病気とかなん?

2024-01-07

松本人志の笑いがいじめの笑いであるという点だけは違うと反対したい

年末から松本人志話題になっている。

性加害うんねんは当事者たちが法廷で決着を付ければいいと思うが、気になるのは松本人志の笑いがいじめ肯定する笑いだという意見だ。

正直、理解ができない。自分の知っている松本人志とは別の誰かの話しているかとすら思った。

まったく逆だろう。

ダウンタウンの笑いとは、いじめられている人間の放つ蟷螂の斧である

個人的には、笑いを「いじめる側の愉悦からいじめられる側の反撃」に変えたのが松本人志の最大の功績だと思っているぐらいなのに。

おそらく、ダウンタウンいじめの笑いと思っている人は若い人が多いのだと思われる。その人たちにとって、ダウンタウン物心ついたときから大御所で、昔のダウンタウンを知らないんだろうなと思う。

私が若いころ、とんねるずは嫌いだったがダウンタウンは好きだった。それはとんねるずの笑いが「いじめ人間人生の勝者」の笑いだったのに対して、ダウンタウンのそれは「いじめられる人間世界に居場所のない人間」の笑いだったからだ。

ダウンタウンの笑いを構成する元素は「根暗貧乏田舎者友達がいない、喧嘩が弱い、勉強ができない、ブランド品を知らない、ダサい、舌馬鹿」等である。これはとんねるずとは真逆属性であった。

ダウンタウンの笑いは、虐げられた人、世間に馴染めない人間世間を下から見ることによって生じる笑いである。

これは言い換えればオタクの笑いである。今でこそオタク系の笑いは珍しくないが、当時は画期的だったのである(それこそダウンタウンの影響で普通になった)。

からダウンタウン日本中根暗に受けた。

当時、ダウンタウン根暗救世主だった。

ダウンタウンがあっという間に天下を取ったのはいじめ系の笑いに対するアンチテーゼとして世間を馴染めない人間に圧倒的な支持を受けたからだった。これは若い人には信じられないかもしれないが、当時の空気感を知っている人、特にダウンタウン東京進出してきたころに学生だった人であれば首肯いただけるかと思う。

(「笑っていいともレギュラーだったころの松本は、東京に馴染めず、友達がいなくて、髪はズラ、というキャラだったのを不意に思い出した)

当時はとんねるずに限らず、「おれたちひょうきん族」や山田邦子森脇健児など陽キャの笑い、いじめの笑いが普通だった。

「明るくノリのいい奴こそ偉い、正しい。いじめる側に回れる奴が成功者」という風潮への反抗の旗手ダウンタウンであった。

松本は「俺は根暗」「根暗のほうがお笑いに向いている」と言い続けた。

松本だけではない。浜田傍若無人もただの暴力キャラではなく、あくまで「何も持っていない若者権威に噛みつく」キャラだった。

甲本ヒロトのように「ダウンタウンに救われた」という人がいるのは、こういう背景によるものである

甲本に限らず、現在40代~50代ぐらいの人の中には、ダウンタウンのおかげで勇気づけられた、元気が出たと言っている人間は多い。

ここらへんのことは若い世代にも、もうちょっと知られていいことだと思う。

実際、当時のダウンタウンの影響というのはすごいもんで、全国の男子学生松本浜田のノリを真似していた。

もちろん、そいつらのほとんどはただの劣化品で、ダウンタウンエレジー理解していなかったため、ダウンタウンへの誤解が生じる原因にもなっているのであるが、なにはともあれ凄いブームであった。

今や陰キャ系の笑いは芸能界に限らずエンタメ全般進出している。M-1などを見ても間漫才コンビネタ作り担当根暗そうな人間が多い。こういった一連の流れに大きな影響を与えたのがダウンタウンであることは間違いない。

もし、ダウンタウンがいなかったら、今のお笑い界の形も、エンタメもまったく違ったものになっていただろう。

いじめ・いじり、内輪受け、体育会系部活ノリ、のひょうきん族とんねるず系統の笑いからの脱却は、むしろダウンタウンよってもたらされたものである

そして、「世間を下から見る」松本スタンスは年取ってからも、そんなに大きくは変わっていないと私は思う。

ただ、ダウンタウンというネームは大きくなりすぎた。松本も『遺書』で書いているが、権威を笑う側が権威になってしまった。正直、こうなってしまってはダウンタウンが何をやってもいじめに見えるという人が出てくるのも仕方ないところである

松本芸能界に長く居すぎたのかもしれない。彼自身若いころに言っていたとおり、老いる前に引退すべきだったのかもしれない。そうすれば、「ダウンタウンの笑いはいじめの笑い」などという真逆の受け取り方をされることもなかっただろう。退き時というものは難しい。

さて、長々と松本人志の笑いについて書いてきたが、私の文章を読んでも若い人にはいまいち伝わらないと思うので、実際にダウンタウンの笑いを見てみてほしい。

違法視聴なので大っぴらには言えないけれど、Youtubeで「ごっつええ感じ」「松本人志 コント」などで検索してみるといろいろ出てくる。

お見舞い、思春期ストリッパー物語、トムとマイクおかんマー君、ガタンゴトン、西日本番長地図記者会見挑戦者、豆、日本の匠を訪ねて、悪魔、あざみ、くさや団子虫、しょうた、いかがです、ザ・バイオハンターサラリーマンツアーズなどがおすすめだ。

これらを見ているとうすた京介をはじめとする00年代に出てきたギャグ漫画家がダウンタウンから非常に大きな影響を受けていることがわかる。

実業団選手会大会剣道などは澤井啓夫彷彿とさせる。

また、ピー助というコント島袋光年もっとお気に入りコントだと述べているものなので、見てほしい。

Youtubeにはないもので一例をあげると「荒城の月」というコントがある。

便所の底に住む夫婦の話である便所の底から上にある便器の穴を見上げると、便器の形に切り取られて蛍光灯の光が月のように見えるという話。「世間を下から見る」松本世界観がよく表れている。

これらを見れば、ダウンタウンの笑いがいじめの笑いというの違うというのはわかるだろう。ここにあるのは弱者ペーソスである

2024-01-04

『私が受けてきた虐待とその影響。家族環境。そして私の将来について。』

私は20代女、大学生

これまでずっとどこかに書き残しておこうと思いつつ、なにかと手が進まなくて書き残せなかったことを、今回こそ残しておこうと思う。

~~テーマ

『私が受けてきた虐待とその影響。家族環境。そして私の将来について。』

私は父親から身体虐待心理的虐待を受けてきた。物心ついた時からだ。

今は身体虐待ほとんどないが、心理的虐待は続いている。

一番古い記憶幼稚園生の頃に、深夜3、4時に突然起こされ、母、弟と並んでリビング正座して、ひたすら「ごめんなさい」と土下座して謝ったことだ。

詳しい理由はわからなかったが、両親の喧嘩に巻き込まれて起こされたんだなと思ったことははっきりと覚えている。

その時にすでに、「お父さんをこれ以上怒らせないようにしなきゃ」と必死だったから、それ以前からから虐待はあったと考えられる。

すでにこのエピソードを書いただけで泣きそうだし、なくのを堪えようとして喉が痛い。でも書き残したい。

~~虐待の具体的な内容

「バカ」「アホ」「マヌケ」と鬼の形相で怒鳴られる(必ずついてくる基本セット。もはや戦隊ヒーローの名乗り的な。)

幼稚園の親子参観で父親が私に恥をかかされた(と思った)ので、帰宅後に殴られたり怒鳴られたりした。

幼稚園に登園中、(当時すでに嫌いな)父と手を繋ぎたくなさすぎて、幼稚園前の泥道を走った結果、転んで制服を大々的に汚す。このことに父が怒り、その日は仕事に行かず、帰宅後に父にめちゃくちゃ怒鳴られる。

・顔や腕、足を殴られる(父は極真空手経験者)

・顔を叩かれる(父は極真空手経験者)

お腹や足を蹴られる(父は極真以下略

・買ってもらったコートをすぐに見せなかったのでマグカップで殴られる(すぐに見せれば良かったな〜)

ゴルフクラブ背中を殴られる(直前に布団を被ったのでセーフ)

ゲーム機破壊して見せしめのようにリビングに置かれる(「「見せしめ」」)

ノートPCで頭を殴られそうになり、腕で頭を守った結果、PCで腕を殴られる(守ってなかったらどうなってたんだろう)

数学問題理解できず罵倒されたり殴られたり

・「◯ね」、「とび◯りろ」と罵倒される

・何かと「金を出してるのは誰だと思っているんだ」と言われる。(中学までは公立無料で入れるのに、なぜ早くから私立に入れたの?と思ってやみません)

コロナ禍の時に学校に行けないので家にいなければならず、余計父と顔を合わせるタイミングが多くて衝突することが増えた

大学受験に失敗し、「低学歴」と罵られる。(大学生になってから心理的虐待メインで、ほぼこれ。)

・私が洗濯物を干し忘れたので、鬼の形相で罵倒

他にもたくさんあると思うが、忘れてることも多い。なにかをきっかけに思い出すこともあるが、たぶん脳が忘れようとしているのだろう。

すでに書くのが辛い。でも、今まで辛くて書くのをやめてきたから、今回は最後まで書き切りたい。

~~身体虐待の影響

学校が終わるのが怖い、家に帰るのが怖い、金曜日が終わるのが怖い。

・父が帰ってくる時間が近づくたびに怖くなる

・いつ死んでしまうのか不安

・いつか刃物で刺されて殺されるんじゃないかと、頭のどこかで常に考える

・頭に3-5cmの傷ができて血が止まらない。のちに跡が残る(髪で隠れてるのでセーフ。尼さんじゃなくて良かった。)

・10cm以上の傷あとが残る

・足を捻挫し、小学校階段が昇れなくなったのでエレベーターを使わせてもらう(学校先生には病院に行きなさいと何度も言われた)

・その他、傷、あざ、捻挫、などなど

なぜ病院に行かなかったのかと思う人も多うが、その理由は後述。

~~心理的虐待の影響

・どんなに人前でポジティブに振る舞っていても、心の奥底では強い自己否定をする

・家に帰るのが怖い、金曜日が終わるのが怖い

DVを扱っている映画ドラマ問答無用にボロ泣きするので見れない

・なぜか大学受験を控える高3の時、学校の授業中や塾の自習室でそれまで受けてきた虐待のことを思い出し、泣いてまともに勉強ができない。友達に(受験に対して不安だと思われて)慰められる。(大学受験の失敗は私の勉強不足もあったから、そのせいにはしたくないけど。)

大学で取った授業のテーマDV家庭内暴力)で、毎回紹介される具体的な例を聞いて大号泣する。(オンライン授業というだけでテーマも調べずに取ってしまいました。恥ず。)

・やっぱり自己肯定感がめちゃくちゃ低い

割と内容がハードめだと思っているので()おちゃらけコメントとか入れてみたので、読みやすかったかもしれません(?)

このままもう少しお付き合いください。

~~虐待の影響(その他)

男性が怖い

・どんなに優しい人でも裏の本性はやばいのではないかと思い、信頼するのに時間がかかる。

男性が怖いので、疑り深くなり、彼氏ができたことが一度もない。(まあ今時そういう子が少なくないのは救いですが)

・将来結婚して子供を持てても、私が子供虐待をしてしまうのではないかと思い、将来の選択肢結婚を入れにくくなる。

・でも、親は選べない分、自分で選んだ家族は持ちたいか結婚はしたいし、子供に恵まれたら子育てもしたい。(超ジレンマ

~~病院に行かなかった理由

特に中学生までは医療費がタダだったので、病院なんて保険証を持っていけば一人でも行けたかもしれない。

でも、まず母が病院に行こうと(たぶん一度も)言ってくれなかった。

母は父の暴力をあまり止めることができていなかったし、怪我をしても病院に行こうと言ってくれることは(たぶん一度も)なかった。

正直、これに対してすごく怒りがある。

それは、傷跡が残ったからだ。

から出血して血が1時間たても止まらなかった時や、10cm以上も傷ができる怪我した時ですら、母から病院に自ら連れて行ってくれなかった。

病院なんて近所にいくらでもあるのに。

1ヶ月後くらいに、私がようやく母に病院に行きたいと言い出せて皮膚科に行ったが、おじさんの皮膚科から「なぜすぐに来なかったんだ」「一生傷跡は残る」と言われた。

すごく悔しかった。泣きそうだった。

だってすぐにでも病院にいって手当してもらいたかった。でも、理由をどう説明すれば良いかからなかった。

「父から殴られた」なんて言ったら児童相談所通報されると思った。児相に連絡が入ったら、親が仕事をなくすかもしれない。

そしたらまた「金を出してるのは誰だと思ってるんだ」的なことを言われるかもしれない。

「お前が黙ってれば良かったのに」と言われるかもしれない。

そんなことを想像してぐるぐる考えていたら、1ヶ月が経っていた。

結局、適当理由を思いついて皮膚科医のおじさんに説明した。

傷跡は今でも残ってる。

最近その傷跡を消したいと思い傷跡レーザー的な治療見積もりに行った。20万以上すると言われた。

それでも傷跡は完全に綺麗には戻らない。

悔しい。

~~母について

ただ、母は専業主婦で、仮に児相相談したりして別居になったり、離婚でもすることになったら私と弟を引き取ることになり、2児のシングルマザーになってしまう。

一度だけ、母に「なぜ離婚しなかったのか」と聞いたが、「離婚してほしいと思ってたんだ」と返された。たぶん心理学のバックトラッキングとかオウム返し的なことをして共感表現したつもりなんだろうけど、私には共感や同情どころか、離婚なんて選択肢があったんだという驚きに感じられた。

事実かどうかはおいておいて、離婚絶対に嫌だったのだろうと思う。

それは幼稚園小学校低学年の時に、母は「玉の輿に乗った」のだと気づいたからだ。

父はそれなりに社会的地位が高くて収入の高い職業に就ているし、将来も有望だ。(実際、結婚して20年以上経った今でも高収入

しかもお互いに海外旅行好きとあれば、(出会った時は想定外だったであろう)DVにさえ耐えれば、毎年海外旅行に行けるし、ブランド物のバッグや服やジュエリーが手に入れられるし、一生安定した生活が望める。

そんな人生を捨ててまで一人で子供2人を育てながら再び働くなんて考えにくかっただろう。

~~私の将来について

ただ、物心ついた頃から虐待を受ける経験をしてきた私は、もし母の立場なら即刻子供を連れて離婚する。

子供金銭的に不自由で肩身の狭い思いをさせることにはなるかもしれないが、少なくともこれ以上父親から虐待を受けさせずに済む。

やっぱり、虐待子供に与える精神的な影響は根深くて、一生レベルで続くと感じているからだ。

これは、まだ彼氏すらできたことのない私だから言える理想論かもしれない。

でも、真面目に結婚できるか相手基準は「良い"パパ"になりそうだと思える人」、つまり子供虐待をせず、子供愛情を注げそうと思える人だ。

それを見定める基準は今のところ

店員さんやタクシー運転手さんへの態度

イラッとした時の対処

普段の考え方がポジティブ

・その人自身意見の伝え方

かなと思っている。

本当に信頼できる、安心できる相手が見つからなければ、結婚しなくていい。

私が結婚する時は、世界中に自慢できるくらい素敵な人と縁があった時だと思う。

~~もし児相相談していたらどうなっていたのか(想像

先ほど「「お前が黙ってれば良かったのに」と言われるかもしれない。」と考えたと記したが、実際に公的な人や機関相談していたら、どうなっていたか想像してみる。

児相保護される

②父は警察に取り調べを受ける(傷害罪的な?)

仕事は失わないかもしれないが、どこからか噂が流れて仕事は減っていたかもしれない(噂はどこからともなく広がるのがこの世の不思議なとこ)

保護されて金銭的にはそれまでよりは恵まれない環境に身を置くかもしれないが、それ以上父から虐待を受けることは無くなったかもしれない。

要するに、金銭的には裕福ではなくなっているかも知れないが、身体的・心理的にはそれ以上悪影響を受けずに済んでいたかも知れない。

~~将来の私が虐待をしないようにするためにやってきたこ
~~読書

物心いたこから人と比べて怒りやすいところがあると思っていた。また、大学受験の時に結構自己肯定感が低いなと気づいた。そしてどちらもその原因に父の虐待は大きく影響していると思っていた。

なので、特に大学に入ってからアンガーマネジメントの本や自己肯定感の本など、いわゆる自己啓発系の本を読むようになった。

もう定番の本から図書館の貸し出し回数が少なさそうなものまで、くまなく読んだ。

その中で、次第に、少しずつではあるが、アンガーマネジメントができるようになってきたり、自己肯定感を上げられるようになってきている。

まだ、将来に対して大袈裟なくらいの不安を抱いたり、自分可能性を信じられなかったり、人に頼るのが苦手なところがあるが、毎年少しずつ精神的な成長を感じる瞬間がある。

ただ、こういう精神的なものは一生かけて育てるものだと思うので、定期的に読書勉強を続けていく。

~~教育バイト

特に小学生対象にしている中学受験塾や家庭教師バイトをした。

これは、私が特に小・中学生の頃に父親から勉強を教わるたびに暴力罵倒を受けてきていたので、そうではなく理性的に、子供が納得するような指導方法を身につけたいと思ったからだ。

私は少し算数数学が苦手で、問題の解き方がわからないと、それだけで罵倒暴力を振るわれてきた。

勉強がわからないだけで虐待されるなんておかしいと思いつつ、将来私が子供を育てることになった時、子供が「(私にとって)簡単なことすらできない」と感じた時に、父と同じように怒りに任せて罵倒したり手を出したりしてしまうのではないかと恐れていた。

そこで、子供気持ちがまだわかる大学生のうちに、教育に携わることで少しでも正しい教育の仕方を知っておきたいと思った。

バイトの中で1番に気を配ったのは、言葉の選び方だ。特に小学生男子はいたずらをしたり、全然勉強しなかったりする子が多い。そんな子に対しても、怒るのではなく、「周りの子勉強を頑張っているから、それを妨げるようなことはしてはいけないよ。私と一緒に問題解いてみる?」など、その子のしていることが良くないことだと伝えつつつ、本人の勉強サポートする意思があることを提示するような声掛けをした。また、問題が解けなかったとしても、必ず褒めるポイントを見つけている。「ここまでの計算は合ってたからあと少しで正解するよ」とか伝えたり、「難しいと思っても頑張って解こうと考えてたのが良かったよ」と伝える。そして。結果よりも過程を褒めるようにしている。

とにかく、父のようにできないことを怒るのではなく、少しでもできたことを褒める方針をとっている。

教育系のバイト経験することで、少しでも私の伝え方や教育の仕方を上げることができたらと思っていたが、我ながらその成果は得られていると思う。

でも、いざ自分の子供を育てることになったらどうなるかはわからいから、怖い。

~~影響を受けた2つの動画

私は大学生になってから、私がこれまで受けてきた虐待にしっかり向き合おうと思い、色々と本を読むことに加え、関連する動画を見るようになった。

やっぱり、見るたびに大号泣するし(普段はそんなに泣けるタイプじゃないに)、過去を思い出して辛くなるし、悔しさや怒りが込み上げてくる。

それでも、私はこれから人生を少しでも明るくするために、過去に向き合って原因を見つけたり、思考の癖を見つけて改善したいと思っている。

その中で、特に影響を受けた動画が2つある。

~~『ねほりんぱほりん』「わが子を虐待した人」 | Eテレ

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2019103761SA000/

この回は、加害者である父親が、虐待を振るう心境や、本人の養育環境を語っている。

簡単にいうと、虐待を振るっている時、理性は存在しないらしいし、虐待をすることは「教育」であり「正しいこと」だと信じてやまないらしい。

この父親は、妻から児相通報されたことで、子どもから離された。

そして、虐待加害者が集まる「更生プログラム」に参加しているという。

加害者側の心境を知る機会など多くないと思うので、この番組はすごく参考になった。

有料だが、こんな内容の番組他にないと思うので良ければ見てほしい。

私の父も同じ心境だとは断言できないが、普段生活の時と虐待をしてくる時との豹変ぶりから判断するに、自分が悪いことをしているとは思っておらず、むしろ教育にあたっって正しいことをしていると思っているかもしれないと思うし、理性でもって父親自身の行動止めるなんてこともできないだろうと考えた。

私は父親に、そのが集まる「更生プログラム」して、少しでも自分の行動と言動反省してほしいと思うが、簡単に言い出せない。

~~[ハートネットTV] 「子どもと向き合うのが苦しい」虐待の“後遺症”に苦しむ | NHK

https://www.youtube.com/watch?v=zSCNXWIQ0Js

から虐待を受けていた女性のことが取り上げられている。

6分ほどで誰でも見れるので、ぜひ見てほしい。

この動画で1番印象的なのは女性には子供が2人いるが、虐待したことがないことだ。

女性の長女が「よく自分暴力を振るわなかったな」、「よく自分を止めた」、「私に愛情を注いでくれた」と言っているのをみるたびに、必ず号泣する。

私はずっと、「将来の自分の子供に暴力を振るってしまいそう」と考えていたし、虐待を受けて育った人は、虐待以外の教育方法を知らないのではと思っていたからだ。

でも虐待を受けて育ったとしても、子供にその経験をさせない人がいた、と知れたことで、自分未来に少し希望が持てた。

また、女性自分で色々な本を読んだりして自分感情との向き合い方を探っていて、そこも参考になった。

~~父に対して思うこと

物心ついた頃から虐待されてきたので、正直殺したいと思ったことは山ほどあった。

その気持ちは、怒りよりも不安からくるものが大きかった。

キッチンにある包丁を見て、親が寝てる時にこれで殺したら、もう虐待されずに済むのかな、刺すならどの位置が確実なのかな、なんてサイコパスみたいなことはまあまあ考えた。

そんなことを考えるくらい、命の危険を感じることが身体的にも精神的にも多かったと思う。(ゴルフクラブとか、、)

でも、ニュースとか小説とかで少年法を知って、14歳から少年法適用されて、人を殺したら少年院に入れられると知った。

警察にお世話になるのは時間人生全体の無駄になるので、14歳誕生日前日夜に、「絶対に父を(もちろんその他の人も)殺すことを考えるのは辞めよう」と決めた。それからは一度も父を殺したいとは思っていないし考えてもいない。

ただ、なるべく早めに死んでほしいとは正直今でも思う。

父さえいなければ、と思うことが数えきれないほどあるし、これからもそうだと思う。

一度父が大きな病気をしたが、看病になんて1ミリも行きたくなかった。父は物凄く来て欲しがってたらしいが、私は、子供が看病に来ないことに気を病んで寿命が縮まらいかなとか考えてた。(サイコパス?)

でも、父が一定期間家にいなかったあの時期ほど、安心して家にいられた日はない。あと、父と母の海外旅行中。

父の年齢で既に亡くなってる人だっているのになんで父みたいな人が生きているのだろうか。元日石川地震も、翌日の海保機の事故も、父より若い人も亡くなってる。

神様不公平だ。

遺産なんて私は1円もいらないので、私たち子供が母に仕送りなどしなくて済むようなお金を残して死んでほしいとか考える。

考えるだけなら罪ではない。

~~弟について

弟も虐待被害者だが、これは私が書いているブログなので、弟が受けた虐待については書かない。

弟とは、小学生までは喧嘩が絶えない間柄だったが、今ではお互い成長して、喧嘩ほとんどしなくなった。

しろ、私が父から虐待され始めると止めに入ってくれたり、後で父に対して客観的な態度で「あの発言が良くない」など言ってくれるようになった。結構それに心が救われている。ありがとう。(このブログ知らないけど)

そんな良い感じの関係になってきたので、弟と、父の虐待について話すことが増えてきた。

続きはこち

https://anond.hatelabo.jp/20240105203944

2023-12-31

死ぬ理由はない。でも生きる理由もとくにない。

_ 

前置きというか予防線として、私は増田達にはあまり好かれないタイプで、嘆き風自慢話にしか聞こえない可能性は、十分に理解した上で書いている。

ただ、「死にたい!」という理由はなくても、だからといって別に、「生きねば!」という強い理由もないからなぁ~。だったら死んじゃおっかな~。

案外、このくらいの感じで自死を考えちゃう、そんなしょうもないおっさんが実は結構な数いるんじゃないかと、そんな思いで書いてみる。(もし似た人がいたら、少し安心できる気もする)

でもたぶんどうせ、死なない。死ぬ理由もとくにないからな。ふはは。



__

33歳の年も、残すところ10時間を切った。

18でも20でも30でもないのでなんの節目でもない年齢だが、

35歳(私の中での明確なおじさんの基準)が目前に迫った34歳を迎えるな~、とか、知らないうちに無理やり自分の中で理由をつけていたのか、

この1ヶ月はやたらと人生を振り返ることが多かった気がする。

結果として、これからおじさんとしての人生が50年くらい続くことに対して、希望が持ちづらいと思う日が増えた。



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本当に、なにひとつ不自由のない人生を歩んできた。


東京まれ

富豪とまでは言わないまでも、それなりに裕福な家庭で育った。

物心ついた頃から頭が良い子だと言われ続け、足もそれなりに速く、小学校ではごく自然な形で学芸会演劇の主役をしていたし、生徒会会長も務めた。


私立中学の受験にも成功した。塾時代の成績はいつも全国模試上位だったから、失敗することなんて考えもしなかった。

部活学園祭実行委員最前線で楽しみ、彼女も当然のようにいた。童貞は、附属高に上がる16歳頃には卒業していた。

卒業アルバムを開けば、嫌な記憶ひとつもない輝かしい中高時代が思い出せる。


学校名は伏せるが、所謂最上位の大学に進学した。最早、まわりも当然だといった様子だった。

バイトサークルゼミ活動大学生のお手本のような生活を送っていた。

講義サボりすぎて1年留年したりもしたが、大手広告代理店にすんなりと内定した。


代理店で、新卒女子自殺をした頃、広告業界の忙しさが嫌になり転職経験したが、

次の会社でも大きな挫折経験することなく、同期の中では出世の早い方だったし、全社表彰されたことも何度かあった。


ある程度の給与をもらえていたので、都内繁華街近くの1LDKで20代の独身生活を存分に謳歌した。

その時々の彼女を連れては、グルメインフルエンサーが紹介したがるような、洒落バルやら、ネオ酒場やら、

ミシュランの星がつくような店にも、何か記念日などのイベントがあれば、それほど無理をせず行くことができていた。

フレンチイタリアン中華も、職人から手渡しされるような寿司屋も、数えきれないほど行った。「kint〇nとかガキが喜ぶ焼き肉屋だろ」とかイキったりもした。

連休があれば近場の温泉にふらっと出かけた。海外旅行はあまり好きではなかったが、女にねだられれば年に1~2回は連れて行った。


嫌味のような半生を書き連ねてあらためて、本当に、なにひとつ不自由のない人生を歩んできた。と思う。

衣食住はもちろん、三大欲求をそれなりに高いレベルで満たし続けてきた。



____

少しだけ挫折を感じたのが、結婚離婚だった。

30歳で結婚をして、1年も待たずに離婚してしまった。

理由をあげだせばキリがないのだが、一番は子作りについての考えの相違で、要するに私は子供が欲しくなかった。

入籍当初には同意してくれていた元嫁は、すぐに「やっぱりわたし子供が欲しい」と言い始め、口喧嘩が増え、離婚した。

別に島耕作時代でもないので、離婚出世に響くとかは考えたことがなかったが、自分でも意外なほどに離婚はしたくないと粘ってみたりもした。

でも、自分の子供が欲しくないという気持ちがどうにも変化する気がしなかったので、結局、離婚した。

(子供が欲しくない詳細理由割愛するが、ざっくりいうと、絶望と閉塞感のあるこれから日本に、子を産み落とすことは無責任なように感じる、みたいな理由が主)


俗にいう若手エリートモデルケースからズレたような気持ちになって、急に仕事に対する熱意がなくなってしまい、

半年後には会社退職して、個人事業主になっていた。


でも少し経ったらそれもなんだかんだ事業軌道に乗り、リッチとは言えないまでも、今はまた不自由ない独身暮らしを送っている。


お金は、めちゃくちゃな贅沢は出来ないまでも困ってはいないし、莫大な資産を築きたいという野望がなくなった。

思えば、別にエリートを目指して生きていたわけでもないので、また大企業に勤めたいという思いはないし、日本を動かしたいという思いもなく、ステータスへの渇望感は消えた。

夜のお店にたまに顔を出してはお店の女の子と仲良くなったりもするので、セックスもとくに困っていない(今は、かもしれんが)。

10年後くらいにいよいよ老後の孤独を考えたりする頃には、多少気持ちも変わっているかもしれないが、再婚もあまり考えていない。

から、真面目な出会いは求めていない。もちろん、子供は今も欲しくない。

若いからずいぶんと分不相応美食家を気取っていたが、ある程度の金額で満足できる程度のバカ舌だったのか、赤提灯で十二分な満足が出来てしまうことを知り、必要以上の金をかけて食事をすることに喜びは感じなくなった。



_____

となると、だ。

残すところ短く見積もっても30年、長ければ60年近くの人生漠然と待ち構えているわけだが、

そこに対して全く、何かを成し遂げたいという欲が起きないんだ。

金を稼いで、良い家/車/服揃えて、良い女を抱きたいとも思わなければ、

将来のこの国のために子孫を残す気もないし、だったらと血が繋がっていない若者を導くような使命感もない。


君たちはどう生きるか、というより、もっと前の段階のところで躓いているわけで、

やべ、とくに生きる理由ってなくね?

老化は避けようもないし着実におじさんになっていくわけで、あれ、人生今より楽しくなることってなくね?って考えるようになった。

生きる理由より、むしろ死んでもええかって理由の方が、よっぽど簡単に見つかることに気づいてしまったわけだわな。


結局のところ、人類なんてものは大いなる生命螺旋を繋ぐための歯車しかなく、

子供が欲しくない奴なんていうのは、歯車としては欠陥品ってことなのかもしれん。


冒頭にも書いたけど、どうせ死にはしないと思うんだ。

生きてればそれなりに、本当にそれなりに程度でも、楽しいこともまだあると思うんだよ。

でも、楽しさも幸福も、これまで以上は超えてくる気がしないという謎のおぼろげな展望が、日を追うごとに輪郭がはっきりしてきていて、

その現実からどうしようもなく逃げ出したい。逃げる?あれ、死んだらいいわ?そゆこと?


みたいなことを思ってしまう。そんな大晦日だね。

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