はてなキーワード: 校長とは
自分の母も熱心にやってるけど、選挙で訪問した後、定期的に遊ぶようになったりとかで、友達の数が多い
学会員じゃない人にも「この年になると友人とも疎遠になるけど、あなたは選挙で来てくれるから~」と言われることが多いようだ
若い頃は友人も沢山いるから選挙訪問うっとおしいだけでも、年を取ると昔の友人がやってきて、雑談して最後に「選挙よろしくー」くらいだと、「いいよー」になるっぽい
女子部男子部で結婚出来そうにない人たちも、婦人部が動いて全部見合いして、かなりの確率で結婚する
県営に入れないとか、ホームに入れないとか、そういう困った問題は、公明党の議員に話をすればすぐに対応、他の人が水害の後仮設には入れなくても優先的に入ることが出来る
子供が虐めに遭ったと議員に相談したら、議員がそのまま教育委員会と校長にかけあい、親がどんなに言っても対応しなかったのにあっさり解決した
高校でセパタクロー部を立ち上げた熱血主人公が仲間との衝突や校長や生徒会からの嫌がらせを乗り越えてついに全国大会に出場できたが他の学校にはそんな部なくてそのまま優勝しちゃうギャグマンガ描いて
そして翌日。
まずアノニマンは、俺にその“道”がどういったものかを教えてくれた。
「アノニマンの教訓その1、“居場所とは社会の縮図”である! その中で自分の居場所を見つけるためには、とどのつまり社会の一員になること。仲間になればいい!」
「どうすれば仲間になれるの?」
「少しは自分で考えろ!……と言いたいところだが、この段階で勿体つけても時間の無駄なので答えてあげよう。せっかちな私に感謝したまえ」
「……ありがとう」
「いいぞ、その調子だ。アノニマンの教訓その2、“感謝とは言動で示したとき、初めて感謝となる”のだ」
「その教訓、いま考えてない?」
アノニマンは偉そうで、強引だった。
だけど、あの頃の俺にとってはそれ位が丁度良かったのかもしれない。
「何度も言おう、私はせっかちだ。だから理屈はクドくとも、答えはシンプルにいく。キミは“一目置かれる”存在になれ!」
「それって……どういうこと?」
「例えばキミと同じ学童のウサク。彼はある日、学校の朝礼にて校長のカツラを剥ぎ取った」
その場には俺もいたのでよく覚えている。
確かにあれは衝撃だった。
「ウサクは後にこう語った。『ありのままの姿を隠すことは、否定することに繋がる。学園の長がそんなことでは教育以上よくない』……と。この主張の是非はともかく、それで彼が一目置かれる存在になったことは間違いない」
「キミは応用力がなさすぎるな。今のはあくまで一例。他人のやり方を形だけ真似ても、ただ悪目立ちするだけだ」
「じゃあ、何のために今の例えを出したの?」
「ほんとキミは疑問系ばかりだな……あの話から学ぶべきこと、それは“個性を認めてもらう”ってことだ」
個性……。
アノニマンの言うことは理解できたけど、どうすればいいかはまだ分からない。
だって自分の個性なんて、ちゃんと考えたことがなかったからだ。
「俺の……」
「みなまで言うな。自分の個性が何なのか分からないのだろう。だが、それは大したことじゃない」
だけどアノニマンはそれを察した上で、その不安を一蹴してくれた。
「アノニマンの教訓その3、“個性とは自称するものではない”。『自分はこういう人間だから』と吹聴する人間はロクでもないからな」
アノニマンも似たようなことやってるような気がしたけど、そこはツッコまないようにした。
「だったら、どうするの? 自分の個性が分からないのに、認めてもらうことって出来るの?」
「先ほどしたウサクの話を思い出してみろ」
確かにそうだ。
「他の人のことも思い浮かべてみろ。そしたら自ずと見えてくるはず」
他の人……。
その時に俺が真っ先に思い出したのは、今日の兄貴のことだった。
「俺の兄貴なんだけど……コマ回しをやってた。難しそうな技が出来て、周りも驚いていた。本人も得意気で……」
「……そうか。どうやら“道”が見えてきたようだな」
「何か頑張れることを見つける……ってのはどう?」
「よかろう! では、次のステップだ!」
俺が自分で答えることができて、たぶん喜んでいたんだと思う。
話がそこまで進展したってわけでもないし、ましてや俺の問題なのに。
それでも自分のことのように喜んでいる様子を見て、俺はこの人に頼って良かったと思った。
「野球という遊戯は悪くいえば巾着切りの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れよう、ベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが、英人やドイツ人には決してできない。野球は賤技なり、剛勇の気なし」
「野球の弊害四ヵ条。一、学生の大切な時間を浪費せしめる。二、疲労の結果勉強を怠る。三、慰労会などの名目の下に牛肉屋、西洋料理等へ上がって堕落の方へ近づいていく。四、体育としても野球は不完全なもので、主に右手で球を投げ、右手に力を入れて球を打つが故に右手のみ発達する」
「対外試合のごときは勝負に熱中したり、余り長い時間を費やすなど弊害を伴う」
「連日の疲労は堆積し、一校の名誉の為に是非勝たなければならぬと云う重い責任の感が日夜選手の脳を圧迫し甚だしく頭に影響するは看易い理である」
「あんなにまでして(ここでは渡米試合のことを指す)野球をやらなければ教育ができぬというなれば、早稲田、慶應義塾はぶっつぶして政府に請願し、適当なる教育機関を起こして貰うがいい」「早稲田、慶應の野球万能論のごときは、あたかも妓夫や楼主が廃娼論に反対するがごときもので一顧の価値がない」
男を優遇しないと入学できる生徒に女子が多すぎて困るとか、優遇された結果入学した男の頭が女より悪くて授業に支障があるとかすごい話だ。
女子高に優秀な女子が行ってるんじゃないの?何で男子学生はこんなに女子より学力が劣るんだ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20180803-00091738/
しかし、女性がテストで優秀な点をとっても入学が許可されないことは、大学入試だけではない。
女子学生は男子の合格者よりも高い点数を取っていても、不合格になっているのである。その理由は、男女別募集定員の存在である。
男女別定員があることによって割を食っているのは、成績優秀者が多いほうの女子である。
1998年から、この男女別に募集人員を定めている都立高校の「男女間の合格最低点における著しい格差を是正するため」、募集人員の1割だけは男女に関係なく、成績順に合否を決めることで、少しでもこの不平等を是正する制度を始めている。
全定員のなかのたった1割だが、それでもこの制度すら不要だと考えているひとはいるようだ。
それでは、中学校長が男女別定員を緩和すらすべきでないと考える理由はなんだろうか。
○ 男女別定員制の緩和により合格するのは、ほとんどが女子である。東京都には私立の女子高等学校が多く、東京都の教育の支えの一つであると考えるが、男女別定員制の緩和の制度により、結果的に女子を多く入学させることになり、私立の女子高等学校から学生を奪う形となってしまう難しさがある。
○ 成績の上位には女子の方が多い傾向がある。そのため、全てを男女合同定員制として合否を判定したとすると、今以上に男女比に大きな偏りが生じ学校施設等に影響が出ることが懸念される。
○ 実際に男女別定員制の緩和を行うと、多くの場合、女子の入学者数が増加する。私立高等学校でも女子の定員の方が多いため、結果的に男子生徒の進路先が決まらない状況が生まれてしまう。
つまり、女子を入学させると、私立の女子校から生徒を奪ってしまう、男性生徒が進学できなくて困ってしまう、学校の施設に影響がでる、というのである。
これに対して、現場の高校の校長は、また違った意見を持っている。
○ 男女間の学力差が縮まることで授業効率が良くなり、生徒の学力向上につながっている。
○ 男女別定員制の緩和により、総合成績が同じでも性別によって合否の結果が異なってしまうことに対する不公平感を緩和することができる。
○ 男女別定員制の緩和によって女子が多く入学し、男女の生徒数のバランスを欠く状況にある。体育の授業や学校行事を実施する際の不都合や、部活動等への影響が生じる場合がある。
32歳。80人の女性を抱いた。
元々顔は整っている方だったが性格が根暗だったのであまりモテなかった。
貧弱なもやしっ子だったので、小学校ではいじめられ、中学校でもスクールカーストとしては下層だった。
そこで自信がついたのか、高校で文科系の部活に入ったからか、少しずつモテるようになる。
今まで女の子にちやほやされる、なんて経験がなかったのでイキりまくった。
顔が中の上くらいでも、文科系の部活においては「イケメン」キャラだ。
今考えると恥ずかしい話だけど相当イキっていたと思う。3年間で6人と肉体関係を持つ。
大学時代。
大学1年の時、はじめてネットで知り合った人と肉体関係を持つ。
大阪の人妻だった。今考えると人妻の自宅で旦那が不在時にヤリまくったというのも冷や汗ものだが
その時はまごう事なきサルと化していた。ここで、「ネットで女性を抱ける」という自信と経験がついてしまった。
元々、小学校時代に虐げられた経験の反動でプライドが高く、大学時代には「他の人より全ての面で劣っていたくない」と思うようになっていた。
ピグマリオン効果と嚙み合ったか、自己承認の手段がそれしかなかったのか、今となってはもう不明だが
「性の知識と経験」に関して、とにかく(少なくとも周りの男には)負けたくない、と思うようになった。
勿論、自分から他人にあけひらかす事はなかったが、どんな陰口や昔の同級生にバカにされても「でも俺はセフレが複数人いるし」と思うだけで全てを耐えることができた。
大学時代の4年で7人を抱いた。
そんな中、大学卒業時の飲み会で「お前は何人抱いたことある?」という話になった。
いつも通り「まあ、そこそこだよ」と答えていたが、大学の友人が冗談で「コイツ80人は抱いてるって~!」と大声で言ったのをきっかけに
飲み会のテンションなのか「80人を抱いた男」という事になってしまった。
当然、飲み会の与太話、今や誰もその事を覚えていないだろう。
だけど、自分の心には「すごいと思われるラインが80人ならそのラインを越えてやろうじゃねえか」といらぬ闘志が沸いてしまった。
社会人になって、お金を稼ぐ手段が出来た。会社も緩く、時間と金が出来た自分はとにかく手当たり次第に女性を抱きまくった。
知り合い、合コン、ネット、最初はマッチングアプリなんて邪道だと思っていたがそのプライドもとうに捨てた。
ありとあらゆる手段を使い全国を回った。抱きまくった。
自分の中のルールとして「強姦、睡眠、騙すような手口でのセックスと中絶は絶対にしない、させない」という事だけは心がけた。
勿論、失恋直後などの心が弱っている時を狙う事はあったが、全て和姦だった。
自分の性の嗜好で無理やりするのがNGだったことは本当に神に感謝したい気持ちだ。
ストーキングもされたし殺害予告もされた、刺されたり勿論、性病を貰ってしまう事もあった。
そうしてお金や体や精神やその他諸々を犠牲にしながらも先日、風俗などの女性を除いて、80人を達成してしまった。
もちろん、世の中には80人以上抱いたり、校長のようなもっともっと凄いヤツがいたりするのだって分かっている。
ただ、それでも自分の中で、「80」という数字を越える事が出来た。
そんな僕の心の中に残ったのは、「老いへの恐怖」だった。
いつの間にか女性を抱く事が生きる意義になっていた自分にとって、抱けなくなる事は生きる意味を失うことになっていた。
中折れする事が少しずつ発生してきた。3回戦の途中でどうしても勃たない事が増えてきた。
80人も経験すれば、上達もする。今までの感想から、それなりにテクニックがあることも、下半身がよい形である事もある程度自覚をしている。
そんな、自分のセックスの才能(と努力)が失われていくのが怖い。ただただ、老いていくのが怖い。
もはや自分がセックスする事は二次的な楽しみとなり、今は「まだ自分が若くて食べられる内に、一人でも多くの人に美味しいものを食べてもらいたい」そんな驕り昂ぶりの中で生きている。
自分の鮮度が落ちていくのが、怖い。
オチも何もないけれど、ここにひっそりと記しておく。
校長「来年から君にメイクの授業をしてもらいたいと思っている。教えられる人がいないので独学になるが頑張ってほしい」
教員「私は男ですしメイクなんてやったことがありません。家庭科の先生に頼んでもらえませんか?」
校長「もう頼んだんだが…家庭科と保健・体育を兼任してもう手一杯だそうだ。それにもう50歳なので若い子のメイクは知らないということだ」
教員「……」
校長「新任・非常勤も考えたのだがどこも人手不足で人員が確保できなかった。君は教師で唯一の20代だ。君しかいないんだ」
教員「……わかりました……」
一ヶ月後
教員「校長、メイクの授業ですが、男子にもやらせましょう。世の中は男女平等に動いています」
校長「そう言ってくれると助かる。実は男子の武道の教員が確保できていなくて困っていたんだ」
保護者A「うちの子が友達と女装してたんですけどどういう教育しているんですか!」
保護者B「うちの子も女子用の服しか着なくなった!下着もですよ!」
保護者C「メイクの授業やる前はこんな事言わなかったんですよ!どうしてくれるんですか!」
保護者D「この女装ユーチューバーってメイクの先生ですよね?なんでこんな人にやらせてるんですか?女の先生はいないんですか!?」
本文をうっかり読んでしまうのは時間の無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。
これは一人のクソ女の自分語りだ。
多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクションの小説が好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。
文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。
特に意見やアドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。
そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。
石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。
それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的で趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう。
さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。
私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレの中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。
親に無理矢理突っ込まれた進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値で勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。
結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試のきれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校を受験して合格した。
妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。
彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。
彼は誰にでもそうする人間だ。
そういう人間を私は好きだと思った。
高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛を満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。
彼は時折、家族が留守にしている放課後や休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車をこいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身を他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。
彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。
たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だからと地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。
いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。
部活の大会や模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。
関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。
鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校の卒業も危うくなった。彼のメールを無視し続けた。友人たちのラインもブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。
音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センターも保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。
高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬と睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。
私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業式から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像をはるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校の前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室で卒業式をやってくれた。
さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学に合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。
私は全くもって元気では無かった。
恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。
人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末を説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。
そういうことでお付き合いは継続されることになった。
彼は大学に入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。
私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死に家族に説明し、ひたすら精神科に通った。
彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。
彼はサークルが忙しかった。理系だから男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。
私達はあまり会わなくなった。
彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから。自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。
色々なことがあった。
死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。
私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。
そんな状況を医者は許さず、私は精神科の閉鎖病棟に入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。
看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。
母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。
少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。
これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。
あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。
閉鎖病棟に入院したことがあるレッテル付きの私は母からの罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。
そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。
母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。
彼はおめでとうと言ってくれた。
新調したスーツ、きれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達。
私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。
しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。
私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。
大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。
そういえば私は彼とセックスしていなかった。
呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。
セックスする前に私は酒を飲んだ。
薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。
こんなもんか、と思った。
彼は別にセックスしたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。
その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかったからだ。彼と話すのは楽しかった。
それが数ヶ月前のこと。
それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。
精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠も規則的になった。
兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。
私の生きる価値は無くなった。
ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。
終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。
翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟が一人暮らしをしている家に転がり込んだ。
それから紆余曲折あり、結局兄弟の仕送りで私は生活している。兄弟は大学に行き、私は自分と兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。
もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。
今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。
彼と連絡を取っていない。
これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。
私は多分もう駄目だ。大学は妹宅からは距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。
自分は異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・
彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかもセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛とかいうフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。
友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。
さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学の夏休みの期間を調べている。
でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。
こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。
生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。
そろそろ死んじゃおうと思っている。
メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。
恋愛には向いてなかった。
多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。
罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気を治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。
参ったなあ。
『プールの生理見学は減点、そのままだと内申下がるから嫌なら夏休みに補習受けろ』
と言われたらしく、女子の反感を買いまくったそう。
かくいう娘(中3)も昨日から生理が始まりガッツリあてはまる事態に…
女の敵はやっぱり女か…と変なことで感心してしまった。
で、それを聞いた母としては
「病気ケガならともかく自分でどうすることもできないそれこそ生理現象なのに女子だけ減点とか有り得なくね?」
と思ったので、一応裏を取っておこうと思い教育委員会に電話して聞いてみた。
結果
「教委的にはそういう指導はしてない、学校というか先生の方針ではないか」
とのことだった。
ふーむ…
(いきなり校長とか行かない方がいいという教委のアドバイスに従い)
事の次第を確かめる予定。
モンペだと思われるかもしれんが(こんなことで)
納得いかないことにはやっぱり声を上げなくてはイカンのじゃないかね?
と思う母でしたが、検索すると意外とそういう指導しているところが多いのに驚く。
っていう意見もあって実際そういう子もいるだろうけど(←実際いるらしい)
じゃあそうじゃない証明するためにその場でパンツの中身見せてやれば納得すんですか?
とか
股間血まみれで授業参加して同級生ドン引きさせてもいいですか?
インターネットでよく見るヤバイ教師ってほどでは無いけど、そういや自分の小学校のある教師は教育的にアウトだったんじゃないかと最近思っている。
小学生のうちは何でも簡単に覚えられるから、どんどんいろんなものを暗記しようという考えだった。
最初は後々入試とかで覚える必要があるからという理由で「枕草子」や「平家物語」の冒頭を覚えさせた。本文の意味を教えてもらった記憶は殆ど無い。
ちなみに、私の通っていた小学校では学年に1人ぐらいしか中学受験はしない。だから、その暗記した文章を使うのは何年も後の話で、その頃には私はほとんど忘れてしまっていた(これは私の記憶力の問題かもしれないが)。
つぎに暗記させようとしていたのは「雨ニモマケズ」だった。完全に教師の趣味である。その教師の好きな作家が「宮沢賢治」だという理由だった。ほかに理由は無かったと思っている。
宮沢賢治の誌の中でも比較的わかりやすいものだが、わざわざ覚える必要があるか?と感じている。あの詩は宮沢賢治の思想が十二分に含まれているし、きっと小学生には理解できない。私を含め、ほとんどの同級生は宮沢賢治の一生についてほとんど何も知らなかったからだ。彼の人生を知っていても、並の小学生は時代背景を理解して文章を読み解けるのはほんの一握りだと思っている。これは小学生に限らないかもしれないが。
その次に暗記させたのは「般若心経」だった。これはひどい。教育に自分の宗教を持ち込むなよと思う。私の家は仏教徒だがその他の生徒はどうだったのだろう。キリスト教やイスラームの家庭かもしれない。宗教的教育は公立の小学校でする必要はない。それを暗記させようとしていた頃には私はほとんど嫌気が差して覚えようとは思わなかった。記憶力の良い生徒は丸暗記していたし、それをクラスのみんなの前で流れるように唱えていた。あれは異様な光景だったと今なら思える。
1つは宗教の自由だ。日本人は比較的に仏教徒は多いが、全員ではない。また、仏教系やキリスト教系などの学校では無い普通の公立小学校である。つまり、他の宗教を信仰している生徒がいる可能性があるにもかかわらず、特定の宗教だけを教えるのは極めて不適切だと思っている。
2つ目に丸暗記の弊害だ。生徒は意味もよくわからずひたすら暗記するだけだった。果たしてそれに何の意味があるのだろう。まして、宗教的文章となると無意識的に生徒の思想を操作しているのと同じではないだろうか。
あの文章を暗記させていた教師は教頭か校長になっていると聞いたことがある。その教師は熱心に生徒と接していたので人気も高かった。きっと問題にならずに済んだのだろう。
この教師が一般的だとは思わないし、思いたくないが、探してみると案外いるのかもしれない。この文章を読んで似たような体験をした人がいたらぜひ教えてほしい。