はてなキーワード: 最期とは
お父様を亡くされたことは本当におつらいと思います。
でもですね。痴呆症ではないひとりの人間が、自分の意思で判断したことですから、
そのことは尊重してあげてほしいと思いました。
●●に騙されているなどといって、
お父様のことを馬鹿扱いしなくてもいいと思うんです。
そして、お母様が体調が悪いことを気づかなかったのは、
それはお父様のやさしさの表れだと思います。
どんなに苦しくても、お母様の前では堪え忍んでいたのではないでしょうか?
うちは肝臓だったよ。レーザー治療と化学療法をやったけど、副作用が辛そうで見ているだけで切なくなった。どちらの方法が良かったのかは、神のみぞ知る領域だと思うよ。
うちは、医師から、せん妄や強い痛みが起こる可能性が高いと言われていたので、最期の山場が一晩で済んだのは、本人にとっても家族にとっても、唯一の良いことだったように思う。
入院してから亡くなるまでは1か月弱あって、毎日顔を見に行くとうっとうしがられるぐらい元気だったのに、ある日ふと「今日、病室に泊まろうか?」と聞いたら頷いたんだ。
その晩、一晩だけひどく苦しんで、そのまま明け方亡くなった。ひとりきりで行かせずにすんだ。
末期がん患者の家族は、だんだん心がすり減っていく。戦っても戦っても「改善」されることが無いから。
患者本人が、少しずつ見た目が衰えていくのは、一緒に暮らしていたり間近にいたりすると分からないんだよ。
そのことでお母さんを責めるような態度を取ることだけは、どうかやめてあげてほしい。
日本の悲惨なコミュニケーションの慣習の一つに、言葉どおりに受け取らないこと。
先ず本音と建前の分離が慣例化している。
もう一つは明文による規律より、非明文の慣習とか
閉鎖的慣習からくる推定可能な空気というものに従う傾向が強いこと。
平気で嘘をついても許されるが、当然自分の言葉も信じないし、相手の
言葉も信じない。信じられるものが、利害共通の小集団だったのが、
家族までに矮小化され、さらに自分だけとなり、手足二本しかない
コミュニケーションとは誠心誠意の言葉のやりとりではなく、言葉
に出さない探りあいのエスパー通信が本音のコミュニケーションで、
悲惨なのは、本心からのSOSを親身に受け取られず、悲惨な最期
を迎えることがあること。
それは有名な、
「お〜い、竜馬」
いま、1人暮らしだけども
全巻家にあります
大学の時に、竜馬が好きだったと
話したら、
父が急に全巻買ってくれました
それをさらに読んで、何度見ても
泣いてしまうのですよ、
何カ所も泣く所はあるんですが
主に
◎まだ小さい竜馬の友達が
斬り殺されるところ
◎人斬り以蔵の最期
◎竜馬の最期
お〜い、竜馬の設定は
本当に居た人物を使った
創作なんですけど
スムーズな設定に
私が一番泣かされる漫画家です、、
私は初恋が竜馬だったんですよ
たぶん9歳くらいのころ
声は、関俊彦さんだった。
それもよかったみたい。
私はアニメの竜馬に
知らず知らず恋してたんです
自然に。
急に斬りつけられ
「わしゃ、脳をやられちょる、、もう行けん、、」
って死んでしまうんですよ
私はその数十分前までは
好きな人に会える喜びで
ドキドキしていたのに、
急な展開に子供ながらわんわん泣いたんです
心の喪失感はハンパなかった
大切なものは急に居なくなると
知りましたよ
小山ゆうは死を描くのが上手い
残されたものの悔しさとか
よく描くよなぁあとおもう
泣いたらしいけど、私は冷めて見ており
そーいうのに弱いんです、きっと
2週間前、飼ってたねこが死んだ。
もう16・7歳だしおじいちゃんだし、
もう数年あんまりはしゃいだりもしなくて、
階段の昇り降りもしんどそうで、
ここ2・3ヶ月くらいになるとよろけることも多くて。
最期は立てなくなって、食べれないし水も飲めなくなって
それでも
だけど、
さっき部屋でムカデ見つけて殺して思った。
こいつのせいかも?と。
こいつに噛まれて毒まわって死んでしまったのかも?と。
弱って立てなくなった時、病院連れて行けばよかった。
最期くらいうちで過ごしたほうがいいよな、とか思ってたけど、
ちゃんと連れてったらよかった。
ちゃんと連れてってお医者に診てもらえばよかった。
そしたらまだ、
生きてたかもしれない。
元気に、とはいかなくても、
定位置で寝てたり
かつおぶしの袋あけると即反応したり
風呂入ってると足拭きマットの上で張り込み待機してたり
ストローに挑んだり
寝返りうってベッドから落とさないように多少気を使って寝なきゃいけなかったり
パン屋さんのクリームパンを食卓に置いとくと器用にクリームたべちゃうから用心しなきゃいけなかったり
まだまだ一緒に暮らせてたかもしれない。
もう2週間前のことだし
ムカデかもしれないしそうじゃないかもしれないけど
また鳴き声聞きたいよ。
また眉間撫でさせてほしい。
本当にごめんなさい。
本当にごめん。
そんな時に、近くの高齢者施設に行ったら、すごくショックだったことがありました。それはほとんどの病棟にいる患者さんがほとんど寝たきりで、胃瘻されていた。そしてその患者さん、ほとんど意識がない。寝たきりで意識がなくて、会話もできない。痛いも痒いも言えない。その状態で何年も、長い人は10年以上です。
胃瘻をする人が皆寝たきりだ、みたいな安易なイメージ誘導はよろしくない。
大事なのは胃瘻ではなくて「栄養を与えるか」「栄養を中止して最期とするか」のどちらを選択するか、ということだろう。
近くに総合病院があるということよりも、市民が意識を変えるってことが、病院があること以上に価値があることだと僕は思います。
一般論としてはそうだろう。
(中略)
だから呼ぶのは訪問看護師、在宅医。もちろん、発熱とか一時的なことで、これは良くなるよってことであれば家で点滴したりして治療します。でもそうでない時は、残念ながらお看取りすると。そういう世界です。だから救急車が減る。しかも医療費も減っちゃったんですね。
救急車の出動回数の減少や医療費の減少は、救急車を呼びたいような人が夕張以外へと転居した、等の統計上のトリックも考えられる。
だが、ここに述べられているように在宅医療の徹底がなされていることも大きな一因であると考えてよいと思う。
しかもですね、何と死亡率まで下がっちゃったんです。これがすごい。
日本人の死因の1位がガン。2位が心臓系。3位が肺炎。1、2、3、全部下がっちゃった。すごいですよね。何がポイントか。多分、僕が思うに予防の意識ですね。
何年で下がったのか、どの程度下がったのか全く見てとることができない。
その後に「日本人の死亡率は100%」と言っていて”死亡率”という言葉を使っている矛盾にはつっこまざるを得ない。
3大死因の死亡率が下がったなら何の死亡率が上がったのか?
死亡率の変化には死亡診断書を書いた医師の変化に影響されているのではないか?
予防意識が死亡率にまで影響するにはかなりの年月を要するのではないか?
今日本がここです、25%。数十年後には40%になります。じゃあ、高齢化率が2倍になったら、借金も2倍になるんですか……? 医療費はどんどん上がってますもんね。ちなみに夕張は今ここです。かなり先取りしてますね。でも日本中が夕張みたいに高齢化率が高くなる。爺ちゃん婆ちゃんばっかりになる。そんな世界になります。
今回の中で根拠があると言えそうなのは終末期における在宅医療の推進。これは本当に進めていくと良いと思う。
国民の健康に対する意識を高めるというのは国が躍起になっているところ。
その方法として総合病院がなくなってしまえばいい、というのが夕張市のストーリーだが、
全国で総合病院を取り壊す訳にはいかないので、全国的には総合病院へかかりづらくするという現在の政策と近い物になると考える。
改めて読んでみると、「医療費、救急車の出動回数の減少」はグラフもどきの絵のせいで印象が悪いが理屈は合っている。
「死亡率の低下」には短い中に突っ込みどころがこれでもかと詰まっており、ここが一番ダメ。
『病院がないほうが死亡率が下がる! 夕張市のドクターが説く、”医療崩壊”のススメ』というタイトルも統計的トリックを警戒させて印象が悪い。
死亡率の話を抜きにすれば、印象の悪さとは反して普通の終末医療の話だった。
そこにずさんなデータを持ってきてしまったことで、ブコメでの突っ込みが多くなるのは必然だろう。
タイトルでその個所を煽っていることも突っ込みを誘発している。
まとめてみると、十分受け入れられ得る在宅医療推進の話なのに、論拠としてうかつに死亡率のデータを出したせいで話全体の信頼性を失わせてしまう、残念な例だった。
15卒、NNT。
去年の12月から今まで就活をやってきているが、どうにも1次面接から先に進めない。
自分なりに実践しているつもりだが、うまくいっていないのだろう。
「1次は人事が若手だし、最低限のことしか見てないよ」。
正直、もう無理なんだろうなと思っている。
自分に何千万のお金と大きな期待をかけてきた両親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
選択肢を広げれば、こんな自分でもあるいは内定を貰えるかもしれない。
けれど、もしこれから数十年やりたくない仕事をして年を取りながら苦しみわずかな幸せを得るために生きるのなら、モラトリアムを堪能しきった今死んだ方がよほど合理的で魂が救われるのではないだろうか、と思う。
YouTubeで自殺した芸能人のまとめを見ていたら、岡田有希子に出会った。
使われていた写真が余りに可愛かったからそこから漁るように岡田有希子の動画を見た。
可愛らしい子だった。子供らしい笑顔の反面、しっかりとした口調でハキハキと話す有希子には意志の強さを感じた。
ごくありふれた地味な名前。
でもそれが田舎の純朴な女の子を想像させて、なお一層好きになった。
とても可愛らしい子。本当に愛らしい子でした。
彼女も生きてたら46、7歳くらいか。
彼女は18歳で自ら命を絶ちました。
何故こんなにも惹かれるのだろう。
もちろん可愛らしい愛らしい子だったからということもあるが、もう二度と会えない存在だからこそ、恋い焦がれるのだと思う。
歳をとれば誰しも老いるし、有希子ちゃんがそうなっていたら、果たして好きであり続けられるかわからない。
ただ、有希子ちゃんがあの時あの歳で命を絶ったことが、彼女の愛らしさを永遠のものにして、僕の心に留まらせたのだと思う。
あなたと時代を重ねたのはほんのちょっとだったけど、同じ時代にあなたがいたということが何故かとても気になっています。
何かご縁があるのかもしれないね。
今日、夢に出てきてくれたら嬉しいです。
また逢いましょう。佳代ちゃん。
「ワトスン、これを読んでみろよ」
「なんだいこれは、手紙か?」
「ただのいたずらじゃないのか」
「少し考えてみようじゃないか。まず雨のくだりについてだ。外で雨が降っていることと、雨が降っていないことは、はたして両立するだろうか?」
「雨が降ることと降らないことが同時に起こるなんてありえないだろう、ホームズ。これはあえて矛盾した文章にしているんじゃないのか」
「いいや違うぞ、ワトスン。雨は全世界で降るわけじゃない。ロンドンで雨が降っていても、パリでは降っていないかもしれない」
「そうか。確かにそのとおりだ。雨が降っているのと、雨が降っていないのは、両立しうるわけだな。でもそれは何を示しているんだ」
「いまはまだ分からない。焦らず次に行こうじゃないか。ワトスン、君はミスター義経を知っているかい?」
「いや、知らない」
「そうだろうな、源義経は日本の歴史的な英雄の名前だ。百科事典を取ってくれ。…ありがとう。源義経については…こう書いてある。源義経は1159年に生まれ、1189年に没した。日本の平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した、源一族の将軍である。天才的な戦術家で、時の支配者を倒したが、悲劇的な最期を遂げ、そのおかげで日本では今でも非常に人気がある。…義経はさしずめジャパニーズ・ナポレオンというわけだ。よしよし、繋がってきたぞ」
「だがホームズ、地域・時代・性別という、三つの理由によって、源義経の母親がナポレオンということはありえない」
「もちろんそのとおりだが…おや、これはどういうことだ」
「どうした?」
「源義経とチンギス・ハンが同一人物だという説があるらしい」
「モンゴル帝国のか?」
「そうだ。チンギス・ハンが生まれたのは1162年頃と言われているから、少なくとも時代は一致している」
「ワトスン、こう考えてみたらどうだろう、源義経はチンギス・ハンの事績が日本に伝わったあと、遡って生み出された存在なんだ」
「まさかホームズ、君は源義経という人物が存在しなかったと言いたいのか」
「あくまで仮説だ。だが、この源義経という人物の生い立ちは、あまりはっきりしないらしい。架空の人物である可能性は高いと思う。他国の人物を自国の人物として歴史に取り込むことはよくあるんだ。マケドニアのアレキサンダー大王がペルシャでイスカンダル双角王になったりね」
「ふむ、わかった。じゃあ源義経がチンギス・ハン伝説から生み出された架空の人物だと仮定しよう、するとどうなるんだ?」
「義経とチンギス・ハンの関係と同じだと考えるんだ。チンギス・ハンはナポレオン伝説から生み出された架空の人物なんだよ」
「君がその目で見たわけじゃないだろう。チンギス・ハンも謎の多い人物だ。当時、モンゴル軍を率いた王は確かに存在しただろう。だが歴史に書き記され、後世に記憶されている、我々が抱くチンギス・ハンというイメージは、実在のチンギス・ハンとは異なるんだ。同じく天才的な将軍であり、ヨーロッパ全土に脅威をもたらし、広大な帝国を作り上げたナポレオンと混同されて、チンギス・ハンという新たなキャラクターとして生み出された。そのような可能性は否定しがたいだろう」
「いや、ありえない、それは受け入れられないよ、ホームズ」
「ワトスン、さっき君は、源義経がチンギス・ハンから生まれた架空の人物であることを、あんなにあっさりと認めたじゃないか。だったら同じ理由でこちらの説も認めるべきじゃないか」
「…わかった、わかったよ。ナポレオンからチンギス・ハンが生まれたかもしれないことは認めよう。だがそれでも、ナポレオンは女性じゃない、母親にはなれないぞ!」
「ナポレオンが男性か女性かを確かめた人間はいないよ。もしかしたら男装した女性だったかもしれない。ナポレオンを描いた肖像画はどれも髭が生えておらず色白で艶かしい」
「いや、でも、信じられないよ」
「もちろん信じる必要はない。ワトスン。ロンドンで雨が降っていても、パリでは降っていないかもしれない。我々はナポレオンが男であり、チンギス・ハンと源義経は別人だと信じているけれど、別の視点から見れば、ナポレオンは女で、彼女からチンギス・ハン、そして源義経が生まれてきたのかもしれない。この手紙の送り主はそういうことを言いたいんじゃないかな」
「いろいろな見方があるということかな」
「そうだ、別の視点から見れば、私たちも二人とも男になってしまうかもしれない。いまとは逆に二人で探偵をやっているなんて想像はどうだろう」
高齢の祖父がいる。認知症で会話は全く成立せず、たまにニッコリするのを見られる程度である。
糖尿病と骨折によりほぼ寝たきり。肺炎を繰り返すため食事はできず、中心静脈栄養。
ホームに入居しているので介護はそちらにお任せだ。
有体に言ってしまうと、元気だったころの祖父は既にもう俺の中では死んでいる。
当時の祖父は厳しい人で、俺はどちらかというと好きではなかった。
祖父はあまり親族がおらず、俺が方針決定の責任者になっている。
ここ2年ほどで何度も入院し、毎回「ご高齢ですから万一の事も…」と主治医に念を押され
そのたびに俺は「分かってます。延命処置は無しでお願いします」と答えてきた。
しかし、あまりに頻繁に発熱などを繰り返し、退院期間が1週間にも満たなくなってきたため、方針を変更。
これ以上の入院はせず、ホームで看取りをしてもらうこととなって現在に至る。
昔の人は頑丈だからだろうか。あちこちガタが来ているだろうに、未だに祖父の生命力は逞しい。
ホームでも調子を崩すと俺に「もしかすると今回は…」というような連絡が来るのだが、今のところその都度持ち直している。
いよいよ最期の時には、一応駆けつけるつもりはある。そうしなければ、手続き面でホームの人にも迷惑がかかるだろう。
そういうつもりでいると、あまり長時間拘束される用事を入れにくくなる。
幸い仕事は比較的時間の調整が効くものだが、例えば旅行などは予定しづらい。
しづらいのだが、実際はすでに夏休みの旅行の予定を組み始めている。
運悪く旅行中に祖父が亡くなる可能性も十分ある。或いは、直前に亡くなって葬式の準備などが発生するかもしれない。
そういう場合は、最悪旅行を中止、もしくは中断せざるを得ないだろう。
当たり前だが、そんな展開は望ましくない。
だから、祖父には申し訳ないが、正直に言って夏休み前までに全て終わってほしい。そうすれば俺は安心して旅行に行ける。
俺は祖父をあまり好きでなかったけれど、祖父は祖父なりのやり方で俺をかわいがってくれていた。
その孫に早く死んでくれと思われるのも気の毒な話だが、どうせ今となっては俺の心が伝わることもない。
積極的にどうこうする気はないが、ひっそりと期待はする。
祖父よ。お盆前に決着つけないか。
冤罪のヒーロー小野悦男も同じようにきわめて疑わしい点が多々見られたのにも拘らず市民団体や弁護団の尽力もあって
有罪100%の中で無罪放免を勝ち取りマスメディアから冤罪のヒーローと祭り上げられたものだ。
しかしながら、その最期はあまりにも呆気なく、後に同様ケースの殺人をし逮捕された時、担当弁護士には「陳述を聞いてる内に小野がシリアルキラーではないかと
疑わしく思うようになった」と証言するほどに小野には限りなく疑わしい誰もが真犯人であると見ながらも結局証拠が挙がらずに釈放されたパターンがあった。
恐らく今回のケースはこれではないかと思われるが、どうか。
一方、この3月に係争中ながら保釈された片山は、スマホを弄り、少なくとも先日16日の一斉メール事件におけるパソコンを遠隔操作のできる立場にあった事は明白だ。
今、無罪という可能性がきわめて高いにも拘らずこのような工作が行われれば片山に疑いが掛かるのは必至であり、その点では小野程慎重ではなかったといえるし、
あるいは第三者の疑いも捨てきれない。あくまで警察検察側の証言であるためである。
いずれにせよ、今回の事件も警察検察の落ち度により、またも真犯人の可能性の高い人物を野放しにしてしまったのである。
冤罪であれば、直ぐにでも連絡を取らないと疑いが晴れないのは被告側の立場であれば当然分かっているはずである。
なお、片山祐輔は現在行方不明とされている。逃亡か、あるいは第三者(警察関係者?)に軟禁されたか不明だ。
そして、これにより片山が明らかに真犯人であったという状況を作り出し、ミスリードを誘う狙いがあった可能性も否定できない。
もしも、これが警察検察側の罠であったとすれば、実に稚拙だと言えるだろうが、本当に真犯人だったという可能性も捨て切れない。
今後の動向に注目したい。
意志が弱いってのは、たとえば本人が痩せたいと強く思っているのに、
つい甘いものをたくさん食べてしまって、後悔することが比較的多い、みたいなの。
が、その事態への態度は、自虐的・共感的・非難など、曖昧な印象があるかもしれない。
……長期的利益を重視しないひとってのは、
たとえば、今すぐもらえる五千円と、一週間後にもらえる一万円のどちらかを選べといわれて、
今すぐの五千円を選ぶような人のこと。
ただし、どの時点や期間に欲求が充足される・快い経験をする・幸福であることを好むかは重要ではなくて、
人生全体のよいことの総計を最大化することを好むような人が長期的利益を重視している。
なので、仮に人生の一定期間のみとても満足した生活を送れるとして、人生の最期にその期間が来ることを好む人は、
長期的利益を重視しているとは限らない。
本家2chが転載禁止になってから、転載元ソースに飢えた生活板系2chまとめブログが増田に目をつけたようだ。
ググった結果がこれ。
抜けている記事もあるかもしれん。
日付を確認して貰えばわかるが、2014年3月末からほぼ毎日転載されている。
増田記事の投稿期間は2008年のものから2014年4月のものまで幅広く転載されている。
このままの状況が続けば、増田に記事を上げると鬼女速に転載されてしまうと思っておいたほうがいいだろう。
はてラボ利用規約 - はてなによれば、著作権はユーザー、財産権ははてなが所有しているそうだから
鬼女速がはてなの業務提携企業の運営するサービスでない限り、ユーザーの著作権を侵害している状況だ。
鬼女速の紹介ページには
ちなみに、削除には応じるとしているけど、コメント欄に増田からの転載を咎めるような事を記入すると速攻で消されるので、試してみるといいよ!
両親に対して今更ものすごく感謝の気持ちでいっぱいになっている。なんでこんな気持ちになってしまったのか全然わからない。
あれはランニングから帰ってきたときのことだ。母の部屋から小銭をいじる音が聞こえてきたのだ。ジャリジャリ、というよく有りがちなアレだ。その音を耳にした瞬間、ぼくの意識の中に数十年後のぼくの意識が乗り移った気がしたのだ。それも母・父の最期をみとっているようなぼく。急に寂しさが心の奥底からこみ上げてきた。
親が生きているうちに親孝行しとけよ、とよくいわれる。しかし、普段から意識することは本当に難しい。日々、自分がやらなければいけないこと、考えたいことが頭の中を占拠し始めてしまう。時間が経てばたつほど両親の存在なんて薄れてしまうのが普通だ。
だからこそ。だからこそ、今のうちにこの想いを書き留めておこうと思い立ったのだ。この暖かい、大事にすべき想いを忘れないために。ぼくは急いでマックを立ち上げ、このノートパッドに書きなぐっている。
人間はいつか死ぬ。そのときに笑ってられるように生きていきたい。親孝行に関しては特に気をつけたい。する後悔。しない後悔を残さないように生きていく決心をしたGWだったのだった。