日本の悲惨なコミュニケーションの慣習の一つに、言葉どおりに受け取らないこと。
先ず本音と建前の分離が慣例化している。
もう一つは明文による規律より、非明文の慣習とか
閉鎖的慣習からくる推定可能な空気というものに従う傾向が強いこと。
平気で嘘をついても許されるが、当然自分の言葉も信じないし、相手の
言葉も信じない。信じられるものが、利害共通の小集団だったのが、
家族までに矮小化され、さらに自分だけとなり、手足二本しかない
コミュニケーションとは誠心誠意の言葉のやりとりではなく、言葉
に出さない探りあいのエスパー通信が本音のコミュニケーションで、
悲惨なのは、本心からのSOSを親身に受け取られず、悲惨な最期
を迎えることがあること。