2014-10-03

日本悲惨コミュニケーションの慣習の一つに、言葉どおりに受け取らないこと。

先ず本音と建前の分離が慣例化している。

もう一つは明文による規律より、非明文の慣習とか

閉鎖的慣習からくる推定可能な空気というものに従う傾向が強いこと。

平気で嘘をついても許されるが、当然自分言葉も信じないし、相手の

言葉も信じない。信じられるものが、利害共通の小集団だったのが、

家族までに矮小化され、さら自分だけとなり、手足二本しかない

日本生活補完はお金になった。

コミュニケーションとは誠心誠意の言葉のやりとりではなく、言葉

に出さない探りあいエスパー通信が本音コミュニケーションで、

声を発して話すのは儀式ロボットしかない。あとは感情爆発

本心からのSOSだ。

悲惨なのは本心からのSOSを親身に受け取られず、悲惨最期

を迎えることがあること。

こんなばかげたコミュニケーション慣習を肯定して、コミュニケーション

能力はいかに?

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん