はてなキーワード: 教会とは
どれどれ、と中をみて見ると、しょっぱな
献金は自主的にやってるものです!強制じゃないので問題ないです!ってかいてあってダメだこりゃ、ってなった
マインドコントロールじゃねえの?ってのにたいして、自らの意思で信仰してるから違う!!!って・・・
まあそりゃそう言い張るよなあとしか思えない
消費者庁に対する相談件数も、消費者庁への相談全部に対して教会関連はわずか0.003%とかいってる
彼らは「もうこの地に夜は来ない」という意味の言葉で朝の挨拶を交わしていた。
私がその街に滞在する間、彼らは私と同じ時間に寝て起き、同じ服を着て、同じ食べ物を食べ、同じ腹痛に襲われた。水も私と同じ量を飲み、同じ身長でいようとし続けた。
それは見ず知らずの東洋人である私に対して、彼らが家族のように接した結果だった。それがこの廃墟同然の街を街たらしめる理由であり、彼らにとって家族と呼べるのももはやそのような存在以外になかった。彼らは全員、はじめは私と同じ観光客だった。
ある日、夜中に目が覚めた私は水を飲むために彼らを起こした。最初に起きた二人を連れ添って、私は台所へ向かった。彼らは名前を持たないから、その二人をここでは「赤い男」、「白い男」と呼ぶことにする。由来は伏せる。
私は水を飲んだ。隣に立つ赤い男が水を飲みながらこう言った。
「このまちにはかみがいる」
白い男が続く。
「かみはこのまちと、われわれをつくった」
「なぜおなじようにするのか」
もちろん無駄だった。
「なぜおなじようにするのか」
「なぜおなじようにするのか」
私は性懲りも無くまた尋ねた。
「かみはどこにいるのか」
「かみはどこにいるのか」
「すきま」
赤い男が白い男を驚いたように見た。
その街の教会には長い蛇が巻き付いていた。
処刑は日の出と同時に行われる。彼らによって目隠しを付けられ、広場の中央に連行された白い男は、地面から生えた低い棒に手首を拘束されていた。その間一言も発することなく抵抗も命乞いもしなかった白い男は、少し俯いて正座していた。そして罪人と向かい合う位置に教会がある。表情は見えなかったが、白い男の姿は祈っているようにも、一切祈ってなどいないようにも見えた。
次に彼らはどこからともなく大量の水を汲んできた。各々の器に水が注がれ、それを持って広場に出る。彼らは広場の縁に等間隔に並び、円をなして白い男を囲むように立った。私は少し離れた場所で水の入ったボトルを持って座っていた。早朝の空気は冷たく、やや湿っており、絶え間なく弱い風が流れていた。
私は水を飲んだ。彼らも一斉に水に口をつけた。白い男に教会の蛇の口から水が噴射された。私はボトルの水を飲み干した。彼らは器の半分ほどを飲み終えたようだった。白い男の体にまんべんなく水が当たっている。私はじっと広場を見ていた。彼らが水を飲み終えるころ、白い男は動かなくなっていた。
あっという間だった。彼らはずぶ濡れの白い男を抱えて教会の中に入っていったが、まだ太陽は昇りきっていなかった。
しばらく経って赤い男が教会から出てきた。近づいてくる私を認めると赤い男は微笑んだ。私は言った。
「もうこの地に夜は来ない」
赤い男は言った。
「もうこの地に夜は来ない」
それから私たちは短い会話をした。赤い男によると、白い男が教えに反した理由には心当たりがなく、あの処刑法は彼らの宗教にしかない特殊な死因を引き起こすのだという。
彼らの宗教については結局わからないままのことが多い。架空の宗教なだけあってその街には聖職者はおらず、教典もなかった。彼らの話から知ることができたのは、儀式を含むいくつかの慣習と断片的な神話のみだった。
その中でも最も多く話をしてくれたのが、街で唯一の老人だった。私は水を飲んでから耳を傾けた。
かみのいばしょはだれもしらない。ふたつのたまごがあって、かたほうだけにかみがはいっている。それをわってもかみがでてくることはない。それをたべてもかみのあじがすることはない。にんげんもかたほうのたまごにしかいない。たまごをくべつすることはむずかしい。にわとりのたまごをしっているか?とてもまぎらわしい。それとおなじだ。
ゆうれいはみずのなかにいる。しろいおとこはみずのなかにいる。すべてのしにんはみずのなかにいる。みずはおまえのなかにはいり、かれらはすきまからわれわれをみる。もっとみずをのめ。しにんのすがたがみえるか?みえるはずはない。みずをのぞくとじぶんのすがたがみえるだけだ。ははははは。
このまちのきたにふかいもりがある。つぎのきせつをしっているか?きせつのめぐりかたは、うまれるまえのこどもたちがきめている。このまちでうまれたこどもがすぐにいなくなってしまうのは、おとずれなかったきせつのうらみをかって、そこへとじこめられてしまうからだ。そこでかれらはみずにとけ、つぎのこどもたちはそれをのんでそだつ。するとすききらいのないこどもになるが、それでも50ねんいじょうおとずれていないきせつがある。
水。水が飲みたい。私は日本に帰らなければならない。もうこの街での目的は果たしただろう。赤い男はまだ私のベッドで寝ている。ボトルはすでにすべて空だが、喉の渇きを抑えられなかった。私は老人の部屋に向かった。
深夜に一人で外に出るのは初めてだった。老人の部屋へは建物の外壁伝いに少し歩くだけで着く。もちろん老人は眠っていて、床にも壁にも天井にも沢山の水があった。私はほとんど無意識にその中の一つに手を伸ばした。
赤かった。だが私はそれを飲んだ。口の中に水の味がすると、老人が寝返りをうった。次の水も赤かった。今度はひどい味がした。その次の水も赤かったが飲んだ。朝になってから気付いたのだが、このとき私はあまりの喉の渇きに手から出血していたのだった。老人は私が水を嚥下するたびに大きく息を吐いたり、うなされたりした。
また水を飲んだ。確かに幽霊は私を見ていた。ちいさな子どもだった。私が一心不乱に壁や天井から水を取って飲んでいるのを部屋の隅から見つめていた。しかし喉を潤さなければまともに怖がることもできない。
また水を飲んだ。彼らはどこから日本の食材を手に入れたのだろう。また水を飲んだ。彼らはどうして一晩で日本語を話せるようになったのだろう。また水を飲んだ。彼らはいつからこの街でこんなことを続けているのだろう。子どもの幽霊はそのすべての問いに対して明確な答えを返した。老人は眠っていたが、子どもの幽霊の回答に対してはすべて首を振った。
私は太陽が昇る前にありったけの水を持って彼らの街をあとにした。
http://dailycult.blogspot.com/2023/11/blog-post.html
id:nomitori アメリカでもそうだけとファンダメンタルなキリスト教団体はイスラエルにとても親和的なんやなぁ…。宗教面からのその辺りの理屈を聞いてみたい…
について書く。なお書いている増田はいわゆる宗教二世ではあるが成人後も自身の意思で教会に行き続けているクリスチャン。
これは「カルト新聞」に載っている記事、なのでその文脈で捉えて欲しい。ググれば主流派からは異端視されていることがすぐわかる。
なお異端=カルト(社会的な悪性を持つ集団)ではなく、その教えには(宗教的にはともかく一般論として)一定の妥当性を持つケースもある。プロテスタントから見た異端とは、「使徒信条から外れた教えを唱える人たち」と言える。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E4%BF%A1%E6%9D%A1
これは一言で語るのが非常に難しい。
だが最近の世代間の差と共和党の支持母体についてのNHK記事は読んでおいてもいいかと
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/489097.html
ポイントはロビイストの存在と、共和党の支持母体である福音派ががっつり噛み合ってしまっているところかと。それに対して若い世代には反発やしらけがあることがわかる。
福音派の年寄りは何も考えずにイスラエル政権を支持しがちだが、クリスチャンであったとしてもそこは一枚岩じゃない。だが多数派であり声の大きいところでそういう風に言われがち。実際礼拝の中でも言及されたりしてるみたい。
これも難しいが無理矢理まとめると
ということだ。
聖書には「エルサレムの平和のために祈れ(詩篇)」と書いてある。闘うための武器や資金を供与せよ、ではない。
もっというとここで用いられる平和という言葉は「シャローム」といい、神の平安の総称となっている。つまり単に他者との争いの状態を避けるとか、そういうものではなく「全能の神とともにいる祝福を享受する状態」である。
一方でユダヤの歴史はイエス・キリストを否定し排除してしまったのも事実であり、新約聖書には次のようにも書かれている
エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。 言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。
マタイによる福音書 23:37-39 新共同訳
https://bible.com/bible/1819/mat.23.37-39.新共同訳
これはイエス自身の言葉である。クリスチャンにとっては前述の使徒信条にイエスキリストによる裁きのときがくる、ということを信奉しているわけだけれども、そのときがくる前提条件が、エルサレム(象徴的に都市名であらわされるがユダヤ人をさす)が、キリストに立ち返ることであると示されている。
NHKとかのメディアでも「イエスはユダヤ人だから」とか言ってイスラエルを支持する人を切り取って放映しているけれど、聖書の教えにたつならば、平和を求めるのは当然であるし、それ以上にその平和は「神は愛なり」と説かれているその教えのうちでないといけない、というのが聖書をそれなりに読んでいるつもりの自分なりの姿勢。
スパゲッティモンスターだなんだと揶揄されがちではあるが、全知全能の存在を自分は信じているし、その介入だけがパレスチナ問題を解決しうると思い、戦況のニュースに悲しい気持ちになりつつも今夜も平和を祈ります🕊️
統一が会見で語ってた話が流れてきた
現役信者の書き起こし
https://twitter.com/vocgensan/status/1721813258586521914
・全国で、ある有名ブランドの自動車は、我が教団に販売することを禁止ということで上から通達が下りているので、各支店でも車を買うことができなくなっております。
https://twitter.com/rvYVone3IF4h5BT/status/1721873619222224981
自動車の件はトヨタ自動車ですね。。教会の名義で購入しようとした車が、入金まで済ませて納車日の連絡までしてきた段階で一転して引き渡しを拒否された形。そして返金。販売店の説明では上からのお達しがあったとのことだそうです。
トヨタが統一教会を反社会勢力として追放する姿勢を見せたようだ。大変素晴らしいじゃないか。
はてな一同はトヨタの勇気ある決断を称えて購入推奨企業にしなければいけないだろう。
いつも不買ばかりしてないで応援もしないとな。
【ここから本文】
私は神戸で生まれて育ちました。昔は裏六甲の北区で、今は海側の住宅街に住んでいます。
他の街は分からないけど、神戸は海も山も都会も田舎もあるいいところだと思っています。
子供のころはよく洋裁が得意な祖母が作ってくれたワンピースを着て、祖父に連れられて王子動物園と須磨海浜水族園に連れて行ってもらいました。
この夏は本当に暑くて、灘湾にもくもく立っている入道雲が憎たらしかったです。
神戸都市部の排熱が、全部六甲山から吹く風に淡路島の方まで流されて、雨雲になります。
こないだ、三宮でコーヒーと紅茶を買って、南京町で老祥記の豚まんを買いました。
山か海が見えると方角がわかるのですが、ビルに囲まれてしまうとたいてい、南北逆になってしまっています。どこにいても山が見えたらなあ。
湊川商店街は学生の頃と変わらずにぎやかで元気があります。湊川公園の、ちょっと怖い通路も実は好きです。
ずーっと下って新開地まで歩くと、西方面に大開通という道があって、とても懐かしかったです。高校生の時の通学路でした。
別の日。山に行きたくなって北区に行きました。
といっても地下鉄一本抜けたとこ周辺です。六甲山と丹生山系に挟まれた地域です。大切な風景です。
空が高くて、藁葺の屋根と田んぼの彼岸花を見ているとギューッとした気分になります。水路には赤とんぼがいました。
別の日。川に行きたいと思ったので住吉川を歩くことにしました。この川は地域の人達の協力もあってとてもきれいな川です。カモとかサギとかがのんびりしています。夏は子供さんが水遊びしてます。
別の日。山歩きがしたくなったので、少しだけ六甲山に入りました。新神戸駅の横から入ったけど、運動不足が祟って1つ目の滝をみてギブアップです。また、登りに来るねえ。
その日はフロインドリーブの焼き菓子を買ってバスで帰りました。
別の日。山に行ったら次は海!と思っていたので、海へ一目散。着いたのは六甲アイランドのマリンパーク。久しぶりに動いているガントリークレーンを見ました。子供のころはこれをキリンと思っていました。
阪神淡路大震災で、港は随分元気をなくしてしまったけど、まったく機能しなかった時からすれば、よく動いてくれてるなあと思うんです。
この日は帰るのが少しめんどくさくて、石段に座ってボーっと夕日が落ちていくのを見てました。
その日の夕飯は、スーパーで買ってきたコロッケと、作りおきの切り干し大根、卵のお味噌汁にしました。
お風呂に入っていると、夜、ボーーーーッという大きな汽笛の音が聞こえます。
昔祖父母の家に泊まった時も聞こえました。
別の日。買い物でハーバーランドへ行きました。神戸駅は東海道線の西終着駅です。大阪の梅田が終着駅だと思ってる人がいるんだとか。
それにしてもまた海です。ここはできた時からガラッと変わった部分が大きくて、まだ慣れません。
「かつてデートで来ていた二人がファミリーになってもう一度来る場所に」という感じのコンセプトでリニューアルしたそうですよ。
私、大きなモールの西側入口にあるディンドンというからくりが子どもの頃から大好きで、うっかり立ち止まってしまうとずーっと眺めてます。
ホールの東出入り口の近くに、モザイクに行くためのエスカレーターがあります。このエスカレーターは途中で平らになるんですよ。私のお気に入りです。
買い物を済ませて高浜岸壁に行くと、大きな船が入ってきていました。コンチェルトだったでしょうか。
夜は花火が上がるとのことだったので、混雑に巻き込まれないよう、早めに帰りました。
別の日。友達が来ることになったので、自分でパウンドケーキを焼きましたが、いまいち地味に仕上がってしまったので、急遽ケーキを買いに出ました。
日が落ちると友達が「今から夜景見に行かへん?!」というので、車に乗せてもらって、六甲山から夜景を見ました。お車代は断られたから、作ったパウンドケーキの半分をお渡ししました。
別の日。旦那と喧嘩しました。些細なことです。お箸たてにお箸をさすとき、どっちを上にするかで喧嘩しました。
現実逃避したくて、ずーっと部屋で犬を飼う構想を練っていました。朝起きるのが苦手な自分のことは棚に上げました。
犬がいたら、一緒に色んなところに行けそうなのになあ。
別の日。異国の寺院が見たくなって北野へ行きました。最初に頑張って北野神社に参りました。階段でいきなり足ガタガタです。
北野にはイスラム教寺院があります。とてもきれいな建物ですが、いまいちきれいに撮れるポイントがないです。でもここのモスクは日本で一番古いモスクなんですよ。
ジャイナ教の寺院があるのは日本でここだけです。どうしたらいいのか分からない度がすごいです。
輸入食品店でハルヴァという中東のおかしを買って、ちょっと西にそれながら坂を下って栄光教会を見上げました。この教会は阪神淡路大震災で崩れた煉瓦をもう一度組み立てて再建したという根性エピソードがすきです。
生田さんにお参りして終わりです。日本の神様は、他の神様にも参ったことを褒めてくれたらいいなあ。
この日は早めに帰って旦那と家で食事をしました。鶏モモを照り焼きにしたやつと、スーパーの高野豆腐と、トマトサラダと、卵の味噌汁です。
旦那の出身は神戸ではないので、こっそり、早く神戸好きにならんかなあと思っています。無理強いはできないけどね。
嫌な事件も多いし、どないなっとんねん!と思うこともあるけど、まあまあのどかで楽しいですよ。
ここまで読んでくれた人に、平和さが伝わってたら嬉しいです。
いろんな反応やコメントがあって嬉しいです。ありがとう。夜中に日記を読み返しながら書いたものなので、恥ずかしいはずかしい。
今日はいい天気なのもあって、嬉しかったし、なんとなくレスしたい気分なので、レスさせてください。
・固有名詞全部わかる~の人
→ありがとう。摩耶埠頭は私も好きです。県美のりんごには一人ではたどり着けません。なぎさちゃんもです。
・住んでたから分かる~の人
→ありがとう。住んでると身近なものばかり書いてしまいました。
・箸立て~の人のひとたち
→お箸の先が底になったら底の汚れが先に付きますよね。でも上にしてたら空気中の汚れが付きますよね。
そんな感じです。蓋付きのお箸立てを買えばいいことに気づきました。先端恐怖症ではないんですよ。
→怖い人とは関わりたくないなあと思いながら暮らしています。中学校は遠い昔の話ですけど、全員坊主はアカンかったなあと思います。関西弁、ごめんねえ。他地域の人にわかりやすく話したいとは思ってるんですよ。
・センタープラザ~の人
→カード屋も多いけど、最近はガチャガチャコーナーも増えてますね。うっかりすると小銭すぐなくなっちゃう。
シャッター、寂しいです。昔はもっと中古CDとか古本とかの店が多かったですね。
・イノシシの人
→ありがとう。夜道で遭遇すると「あれ?犬?」ってなります。うりぼうは可愛いけど近づきません。油断大敵です。
たまに小さい川の方に降りてきててカモと一緒にいると、鍋コンビやなあと思ってます。
・長田に行って~の人たち
→悲しい気持ちになるのは嫌だけど、切ない気持ちにはなります。シューズプラザの赤い大きなハイヒールを高校生の時に見て、もっと子供だったらすべり台にしてそう、と思ってました。
靴の青空市場で、一袋靴詰め放題1000円!というのがあって、さすがケミカルシューズの町!って思いました。
歌は謎だけどそばめし美味しいよね。長田は美味しいお好み焼き屋さんも多いんですよ。
・良い街なんだけど~の人
→ごめんなさい。そういう話し方をしたいわけではないんですけど、兵庫の言葉は押しというか、圧が強いみたいです。
敵意も悪意もないんです。私が話すのは神戸弁ですが、怖がらせてたら申し訳ないです。
・生まれ育った街が~の人
→いろんな街に住んで、それぞれの魅力が知れるのは、嫌だなと思う経験があったからかもしれませんね。
死ぬほど羨ましいと思ってくれるのはちょっと鼻が高いけど、でも死なないでください。いつか神戸に遊びに来てください。
・移住者だけど~の人
→住んでこそ楽しい街、本当にそうです。移住してきた方に言われると嬉しくなってしまいます。嬉しいなあ。
一緒に神戸に骨を埋めましょう。でも時々、生まれた街のことも思い出してくださいね。
あまりこういう日記を書かないので読みづらかったらごめんなさい。
エスカレーター、間違ってた!いやー!はずかしい!
【16:55 再追記】
こんなつたない散文がホットエントリに入ってしまったようです。念のため身バレを防ぐためにいくつかの箇所をいじりました。
内容は若干虚実入り交じっているし、別の日なだけで、時系列は過去未来様々です。
ブコメで懐かしいと思ってくださる方、良い文章だと言ってくださる方、本当にありがとうございます。
あまり他の都市のことは書かないようにしたいですが、神戸は近くに京都や大阪という大きな都市がある分、そしてそれ以外にも周辺に魅力的なまちがたくさんある分、旅行で神戸だけに長く滞在してもらうにはむつかしいのかなと思います。
でも暮らしていると、まあまあ平凡でぼんやりできるとこですよ、ということが書きたくて日記を読み返しました。
書いてない区のこと(西、垂水、須磨などなど)もちゃんと神戸です。読み返した分の日記の中には偶々なかったり、書くと身バレの危険がある部分だったりしたので内容には入りませんでした。
名谷駅のタイルの壁がなくなったの、ちょっとさみしいですよね。でも地下鉄の駅前はどこもにぎやかになっててすごいですよ。
書いていたら本当にキリが無くなるのでこの辺で。
【仙台】「神のお告げがあった」教会で男性の頭をハンマーで殴った疑い 無職の女(58)現行犯逮捕 [ばーど★]
仙台市内の教会で59歳の男性の頭部をゴム製のハンマーで殴りけがをさせたとして、58歳の無職の女が現行犯逮捕されました。
傷害の疑いで現行犯逮捕されたのは、名取市田高の無職の58歳の女です。女は5日午後1時頃、青葉区内の教会で、責任者の59歳の男性の頭部をバッグに隠し持っていたゴム製のハンマーで2~3回殴り、軽いけがを負わせた疑いが持たれています。「出入りを禁止している女性が騒いでいる」と教会の関係者から警察に通報があり、駆け付けた警察官が女を現行犯逮捕しました。
警察によりますと、女はこれまでも複数回教会を訪れ、「神のお告げがあった」「私が神父になる」などと騒いだり暴れたりすることがあり、教会が出入りを禁止にしていたということです。
0011ウィズコロナの名無しさん 2023/11/05(日) 19:32:23.74ID:yllvc0f70
中で言われたら一生出られんのか
この絵のどこが凄いのかわかるだろうか?
それは・・・
昔の庶民は字が読めなかった。字が読めなければ当然聖書も読めない。
牧師さんたちは字の読めない人のため、教会の壁に聖書の名場面を描き始めた。宗教絵画の始まりである。
親方、師弟制度、そして職人ギルド。絵を描くことで金を稼ぐ専門家集団。彼らは芸術家ではなく職人であった。
彼らの稼ぎのもう一つは肖像画である。昔の金持ちはよく肖像画を描かせた。我々が写真館で証明写真や753の写真を撮るように、彼らは自分や家族の肖像画を描かせたのだ。当時の絵描きは写真屋の代わりであったと言える。
写真屋から出発した西洋美術がよりリアルに、より精密に、表現が発達していくのは歴史の必然であった。
長い時が流れ1866年、「笛を吹く少年」エドゥアール・マネはあえて背景を描くのをやめた。マネは絵をデザイン的に捉え、少年の赤い服を魅き立たせる補色を背景に置いたのだ。
マネは写実主義から印象派へと人々を導いた。「印象派の父」として知られる。
『あえて背景を描かない』
現在では手抜き絵と呼ばれる
動のジョンウィックと静のイコライザー、似たような二作を同時期に観たけど対照的なサマを感じられて良かった。
ジョンウィックはアクションに遊びがあった気がする。一騎当千に飽きさせない工夫というか。満身創痍で暴れ回りつつ、ヌンチャクアクションはコミカルな感じもあった。MGSみたいな俯瞰映像も嫌いじゃない。凱旋門の往来は敵に囲まれるというよりオブジェクトに襲われる特殊ステージのような緊迫感があった。最後は決闘で締めるのも良いね。
犬のくだりとかで一応「報い」というテーマは挟むけど、総じてアクション面で魅せてくる印象だった。
イコライザーの方はもはや敵に倒されてしまうかもしれないなんて不安すらなく、スプラッター映画のように淡々と粛清する感じ。
序盤で惨殺死体の果てに登場する時の佇まいとか、完全に悪役のそれ。教会や十字を挟んで、やりすぎじゃね……?って感じの自問めいたシーン。スントを外してドンパチ抜きの休養で、美しい街と善良な人々の生活をじっくり映す。そしてそれを踏みにじる存在をねっとりと描いて、溜めて溜めての制裁。もはや戦いではなく、一方的。ぶっ刺したチンピラにじっと目を合わせる所とか、瀕死の相手をのたうち回らせて何をするでもなく側についている所とか、完全に異常者のそれ。一作目のDIY戦法、二作目のステーション・バーじみたお節介殺戮おじさんときて、最後は平穏というテーマに重きを置いた感がある。良いね。
イコライザーって音楽とかのやつを先に思い浮かべちゃうけど、確かにイコライズしてたわ。平等にするものが転じて銃をそう呼ぶの知らんかった。ピースメーカーとかと同じか。ホンマに平等になっとるか?
二作とも観て思ったけど、ただ銃で撃ち殺されるとか轢き殺されるとかよりも、ナイフで手を刺す所をジッと映すシーンのほうがウッてなるな。痛みが想像出来る分そっちの方がキツい。アウトレイジの拷問とかもそうだけど。
そもそもの話として
これを説明するに足らない話で歴史みたいなものを語ろうとしても言ってる本人も聞いてる側も全くさっぱりだろうよ
第一に宗教がなんでそんな闘争の根幹になるのかって生活基盤だから習慣や財産の定義そのもの生きていくうえでものさしだからそれを曲げられたり折られたりする危険についてはまじで根絶やしにしてそれを正義の証として代々伝えて守るべき定規の目盛として刻んでいくからだよ
日本人にはお家が根絶とか忠臣蔵が近いものだろうけどそれでさえ風化するほど安全で平和だからだれも理解できないわけだけどフィギュア捨てられるとか人生否定されるの種族レベル版というか、容認したら歴史から消えて白紙どころか紙そのものも残らないからただ生き抜くということのためだけに定義をもったものが宗教でそれを基準に生きるためにそれ以外と共存する方法が相手の殲滅と自分の歴史に刻んであげることだけだからこれはまじで種が安寧な日本人にはどうしてあんなに猟奇的になれるかわからないものだろう
じゃあ宗教が死ねって言ったら死ぬの?と言われたらまじで死ぬんだよ
アニメみれなかったら死ぬの?と聞かれてまじで死ぬやつの心境にちかいだろうよ
そこに大義がある、自分の歴史を白紙にされず残しておくためになら消えて無として生きながらえるよりって選択かもしれんね
まず宗教って言い方じゃいいきれない人生の定義、財産とか自分の記憶のすべてがそこに定義してあるそれをまもるためだから戦争にもなるんだよ
陸続きの国の歴史はそんな否定と肯定の血の歴史でどの宗派がどうとかじゃない
一度ぶちあたったら最後まで殺し合って生き残ったものが殲滅もしくは勝利の証明としての贄として取り込むかしかない
話せばわかるなんてことは日本ですらありえない話だが日本はどこにいっても日本人と誰でもおなじ習慣と定義をもつ日本人どうしだからそこまでしなくても生きていけるし死ぬわけでなし否定されてもいいじゃないとか考える
厳密にいうと宗教が原因というわけではない
第二にユダヤ人がどうのというはなしはしょっちゅう出てきて皆おなじみだからユダヤ人といっとけばなるほどと思うんだろう
パソコンやGPSが出回る前から聖地を地球規模で配置してワールドマップで組織化してる
同じように侵略しては教会を建ててそこにマップを開いていこうとキリスト教が構成されたが基礎構造が全然違う
固定の聖地でセントラルキッチン方式でウォーターフォール式に組織があるのと点在して暖簾分け方式で同じ屋号だけ点在しているチェーンでは回帰の精度が全然違う
もちろん生活レベルで証明が必要なので生き様をもってして共存共有できる
この歌とか愛とか心が一つになればなんとかみたいな組織化の理想形を生き方を縛ることで可能にしたというのがユダヤなわけ
インターネットに散ったデジタルタトゥーをどうやったら対処できるかみたいな話のようにどこのどんなユダヤがと話をしてもそんなものは意味がない
宗教として出来て完成してそこにある宗教組織を否定する方法を同じ手段で構築されたほかの組織が持ち得るわけがない
より大きい方だけが勝ち残ることになる
ただの2つの要点だけとりあげたがこのほかいくつもの前提に加えて地域や情勢のほかにいくつもの条件が絡んでバランスを保とうと足掻いてる
金がないパレスチナがなぜ巨大な精鋭を手に入れたのか、それがどこからか透けて見えるところはわざわざ顔を出すわけがなくどこなが仲介してる事くらいは想像に易く、また普段はどこにも重い腰だった国がやたら高い機動力で高度に対応をするだのし始めただのといえばうまみがどこにあるかは隠しきれないだろう
猿が理解するのはそれをふまえた上でだ