統一教会の解散命令に反対する二世信者がいるようだが、そもそも信仰という行為に団体は必要なのかなと思ってしまう。
宗教の本質は団体よりも教義そのものにあるのだろうから、信じていたい人が教義さえ忘れないようにして進行し続けていればそれでよいのでは?
こういう考え方にとって団体は教義を忘れたときのバックアップ程度の価値しかないはず。が、しかし、中世ですら教会(現代でいう団体と本質的に同じもの)は不要と言ってる人がいるのだから、今のような情報社会でピアツーピア的に信者同士で教義のバックアップがとれてる現代においてはなおさら不要ではないのか。
ルターやカルヴァン流の考え方じゃだめなものなのか?
Permalink | 記事への反応(2) | 18:29
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教えがあってなんならテキストがあれば十分だね 必要があればユーチューバーが解説や実践動画を作ればいい あとは個々人が信じて実践するだけだから団体はいらないし集金はもっとい...
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