2024-01-26

anond:20240126002950

法っていうのはね、人の復讐心感情(が行き着く先の殺意)を国家が代行するためにあるものじゃないの。

ビジネス人権家とか言って人の心が分からない人間かのようにいつも肯定派は人格攻撃するけど。

しろ法によって正しく人の世が治められるにはどうあるべきかを誰よりも深く理解しているからこそ、仮に自分の近親者が無惨に殺害されたとしても、国が殺し返すことで解決とするような安直な発想には理性で抗っていかなきゃいけないと了解しているわけ。

法というのはよりよい社会環境を作っていくためにあるものだよ。罪が生まれる原因を罪人個人帰着させてしまうのは、思考放棄とかわらない。

人間が育ち暮らす環境制御できる最大の権限もつ国家が、罪人を産みだす社会環境を作ってしまたことと、その改善真摯に向き合うには、死刑で済ませてたら前進しないのよ。

からさっさと死刑にするよりも国に負担はかかるけど、無期懲役として養い続けながら、更生の芽がないか探り続ける役目を負うくらいの覚悟が国にはないといけない。それがままならないくらいになれば、本気で社会構造改革しないといけなくなるでしょ。

死刑にしてたら、どんだけ世の中が腐敗してても、ゴキブリ潰しを延々と続けていれば国は仕事してるように見えてしまうけど、そんな社会は誰も望まない。ゴキブリ大量発生しない環境を作るのが本来仕事でしょ。

もちろん、実際的には、個人責任を負える存在だと仮定して、罪が生まれる原因を罪人個人にある程度帰着させてしまうのは有効だよ。だから刑罰があるし、責任能力を慎重に判断した上でジャッジをするんだけど。

命を奪う究極の刑罰に向き合うときは、そもそも人間って本質的に、責任を負えるものなのか?ってことを、負えるものだと仮定する法の枠組みを越えて、科学的にちょっと立ち止まって考えなきゃいけない。

その視点からすると、死刑には慎重になるべきだというのが自然な着地点だと思うね。

記事への反応 -
  • 死刑を反対する人は無責任な人権ビジネスマンばっかりじゃん じゃあお前の家あるいは地域で責任持って面倒見ろってなったら全力で反対するくせにさ

    • 法っていうのはね、人の復讐心や感情(が行き着く先の殺意)を国家が代行するためにあるものじゃないの。 ビジネス人権家とか言って人の心が分からない人間かのようにいつも肯定派は...

      • 法は上級国民の感情のためにあるからな 上級国民が死亡事故起こしても逮捕されなかったり政治家が脱税しても罰則なし 米兵が日本人を轢き殺してもバイデンが岸田に一言声かければ全...

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