はてなキーワード: 大成とは
結果論的に大成果をどれだけあげていても、リスキーな行動を取る行員、
さらには和を乱す一方で自分のシンパ(つまりは派閥)を作り上げてしまう行員、
そういった者には高い評価を与えないという方針は銀行経営者として有能。
しかも、そのことを目立った形で行わせた上に、見せしめとして使って知らしめるやり方。
「異動(出向)を受けてね」というのはそういった見せしめ役も含めて受けてということだろうし、
受ける側もそれは感じているだろう。辞令を受けて欲しいという発言は下手すると慇懃な態度に見えたけど、
そういったことも含めた上での本心だと思う。
そして、出向先で成果をあげるとともに「銀行員」らしくなったら呼び戻すことで、
出向者に希望を持たせ腐らせないための広告塔としてさらに使おうという狙いもあろう。
徹頭徹尾、銀行の経営を中心に動いた。最後に裏切った、という話ではない。
欣也様、マジ有能。
納期に追われず、上司もいないし、働けば働くほど収入が増える自営業だけど、仕事は辛いよ。
仕事の内容(Web制作)自体は楽しいし、何度生まれ変わってもこの仕事しているだろうと思うほど天職だと感じるけど、
「お金を貰える仕事をする」という点においては、辛いし苦しいし大変だよ。
この前、引退したヤクルトの宮本選手も言ってたけど、仕事を「楽しい」と思ってやっちゃいけないんだよ。
仕事は辛いものであり、苦しいものであり、色々と我慢しなきゃいけないんだよ。
この場合の”大成”ってのは、「就職して定年まで働く」って基本的な部分でな。
それだけ「働く」「お金を貰う」「(お金を貰うだけの)価値を提供する」
ということは大変であり、難しいんだよ。楽しむ余裕なんて無い。
http://anond.hatelabo.jp/20130816063759
この記事おもしろかった。
高校野球って、エンターテイメントなんだよね。日本人の。一大エンターテイメント。
これはもう、高校生の都合じゃない。完全に大人の都合。野球が大好きな大人達の都合。
ここまで盛り上がる環境を用意されたスポーツってなかなか無い。
エンターテイメントとしての野球を盛り上げられるかどうか、が重要なのであって、
こういう過酷な環境で観客を感動させられるかどうかが重要なのであって、
そういう意味で、話題性がなければいかにうまくても極論すると意味がない。
(もちろん、うまけりゃ話題性があるんだけど)。
というわけで、高校生に配慮して安全性をとるのは、野球で活躍したい高校生のためにならない。
あのクソ熱い中で自分の未来を賭けて(というか省みず)戦う姿がどれだけ沢山の人を感動させるか、
ないし感動させる可能性があるのか、ってことが最も重要なのだ。
それにスポーツの世界は、いかに早い段階で見切りを付けるか、というのも重要。
自己管理が出来ていないわけだから、むしろ中途半端にプロに足つっこんでからの方がつらい。
そういうのは早い時期にあった方が良い。
そのひたむきなエネルギーを、別のところに振り向けるチャンスを得るのは、
早い段階の方がいいに決まっている。
さっそくこんなコメントが。
>気持ち悪い
まさに日本の縮図だよね高校野球って。だって、これだけ長い歴史を、熱狂的なファンを維持しつつ、
継続しているわけだしね。
当然野球をやるっていうのは、この日本の伝統の中で生きて行くという意思表示なわけだしね。
凄く当たり前の話だけど、スポーツで大成できるくらいの能力があったら、
特に野球なんていうコミュニケーション能力もあるある程度求められるような競技においてなら、
なおさらだ。
ネット系クリエイターが自分の作品でお金を貰おうと思った時、最低限すべきこと
http://cloudfanclub.tumblr.com/post/54265815939
大変示唆に飛んだエントリーだった。これからクリエイターとして生きていくにはまさに必要なことだと考える。
Cloud Fan Clubというサービスは知らなかったのだが、日本でもこういったサービスがスタートしたのは大変喜ばしい。
クラウドファンディングをもじったサービス名なのだろうが、本質はもっと別のものではないだろうか。
経営者自身がその点をどう考えているのか、願わくばおそらく日本では大成しないクラウドファンディングに意識を引っ張られずに、新しい日本初のコンテンツマネタイズの仕組みに発展して欲しい。
こういった仕組みがもっと日本に根付けば、プロ=フルタイムでクリエイティブなことをしていなければならないという固定観念が壊れて、絵も音楽もその他のクリエイティブなことも誰でももっと自由にできるようになるはずだ。
とは言え、この手のサービスは生まれては消えていくので、浸透するまで堪えて頑張って欲しい。
言われたことも出来ない人で、たまに何でも出来る人もいるが、それは言われたことをしなかったからではなく、
を
に訂正します。それでいいですか?
山本太郎氏に対して60万票を集めるくらい熱狂的になっている一方で政治に対してもあるが山本太郎現象に関しても冷めた目で見ている人達も多いと思うのだが。
山本太郎に熱狂的になっている人達は世の中に対してとても純粋なんだと思う。
そうでなければ言っていることが社民党や共産党と同じで中核派との繋がりを噂されている人物を熱狂的に支持して応援するはずがない。
いくら山本太郎が60万票を集めたとしてもそれ以上に熱狂的に人気と票を集めた小泉旋風や民主党による政権交代も観る影はない。日本の政治において60万票くらいでは何も変わらない。
山本太郎だけでは議会制民主主義においては何の意味もない。脱原発で政権が取れるほど熱狂的に当選させなければ山本太郎を当選させただけで終わるだろう。
金にならないからだと。勉強は将来に役に立って良い会社に入れる可能性も上がって金になるよって言う。
それは分かっている。勉強はやる。
そりゃどうかなあ。本当の意味での学問だって、金になるから程度の動機じゃ大成しないっすよ。
そもそも、金が欲しくないやつがいるのか? と問えば特殊な例外を除いてほとんどの人は金が欲しいわけっす。国民の95%以上はおそらく「金が欲しい」。
で。そんなに金の欲しい国民だって20代の平均年収は300万きってたりするわけですよ。みんな金が欲しいと思ってるのに給与伸びてないわけだ。
つまり金が欲しいという気持ちは、他人と差別化にあたってほとんど有効ではないんだ。そこから前へ抜け出るためにはもっと別の動機で前へ駆動しなきゃいけない。
自分はこんなところに来てしまったが、本当は早稲田に入りたかった。と大きな声で主張する人が。
時々通りすがりにも聞こえてきたりする。(そういう人って大抵男子学生で、そういう人って4年間で見ると大成してない人が多い気がする。)
大学っていろんな人がいるところで、ただなんとなく喋ったり群れたりするために通う人もいれば、
脇目も振らず勉強する人、何かの組織に属して努力する人、いろんな国を旅して周る人など
自分で自分の道を切り開いている人が、探せば周りにたくさんいる。
外枠はあくまで外枠で、その中でどんなきっかけを掴みどんな価値を創り出すかは本当に自由だから、人それぞれなんだよね。
私はそのことに気づくのが遅れたタイプだけど、気づけただけよかったと思っている。
学歴は試験によって測られた、紙の上に乗っかったものだという考え方から、もうそろそろ離れてもいい頃じゃないだろうか。
これからは自分がどう動くかによって得るものの重みが変わってくる段階。学歴をただの付属物として、動かないものとして見るのをやめてみたら?
あなたが何に興味を持ってどんなことに挑戦してきたのか、成功失敗含めその一連のストーリーの方が今後武器となってくるから。
それに、学歴の差にこだわる彼女は心が狭すぎるし、劣等感に苛まれる時間があったら行動を起こせ。これに尽きる気がします。
というか、大学についてうじうじ考えている彼氏と、やりたいことを頑張ってキラキラしている彼氏だったら、彼女は断然後者のほうに惹かれるのでは?
・どうしても気になるなら学歴について彼女と少し話し合ってみる。
・早いうちにやりたいことを見つけてエンジンかける。勉強、趣味、バイト、インターン、海外。
『置かれた場所で咲きなさい』って本の題名を聞いたことがあるけど、今目の前にある縁を最大限活用してほしいです。
あと、“脅されず、踊らされず、踊れ”!
俺も30代前半であり、ミソジニーをこじらせた経験がある。ミソジニーっていったって、単なる女性恐怖症なのだが、これはミソジニーなのだが、それはおいておくとして、同年代の男も、またミソジニーをこじらせた。その話を効きながら、俺は本田透の『電波男』から7年くらい経つんだな、ということを考えていた。本田透も、ギャグとして「非モテ」といっていたのが、段々と30代が近くなってから、病的な印象を与えるようになって、あの本を書いた、みたいな話をきいた。
女性か、あるいはこじらせていない男子は覚えておくといいのは、30代になってから、急に「非モテをこじらせて暴れる」ということが往々にしてある、ということだ(ちなみに、これを書いた当初は「翁媼」と誤記してしまっていた)。
今となっては殆ど信じられないが、『電波男』に影響されたのかどうかわからないが、はてなで非モテの議論が熱心にかわされていたことがある。非モテを一言で語ることは難しいが、単純に「モテないという"自意識"を抱えている男」くらいのまとめ方でいいと思う。彼らが定形化した「※ただしイケメンに限る」という言葉は、彼らの"実体"とは余りにもかけ離れているように思われた。自分もちょくちょくとオフ会などで顔を出していたが、半分くらいは、少なくともフェミニズムもどきの話を出来るくらいには、インテリだった。実際に、男性学がどうのこうの、という話をしていた。
その後彼らの人生を見てたら、技術者として大成し、一人の「デベロッパー」として注目を浴びるようになった。また、海外で働くのを選ぶものや、あるいは大企業に勤めたり、あるいは定期的に同人雑誌を出したり、単著を出していた。そういえば革非同ってどうなったっけ?まあいいや。とにかく、そいつらは、殆ど非モテの話をしなくなった。なぜなら、それはもはや「センセーショナル」ではなくなったからだし、彼らは非モテを語ることよりもやるべきことが見つかっただけだ。
それは宇野(当時の仮想敵)か宮台か知らないが、当時に言っていた「小さな成熟」なのかもしれない。ある程度、彼らは自分の「自意識」に折り合いを付けて、卒業した。他人がどうあの空間を気持ち悪いと思っていたとはいえ(あとから、そう話をちらほら聞いた)し、実害を出していた。乱暴にまとめるが、結婚に付いて語るだけでフルボッコにされた。しかしあの頃を考えるに、それはイニシエーションだったのかもしれないな、と思う。要するに、自分の自意識とどう折り合いをつけるのか、あるいは、そういう話を通じて、自分が「モテない」という、主観的な意識を相対化していったように思う。
最近になって、比較的「リベラル」だと思われる男子が、30代を超えて「恋愛について全てを諦める」といい始めた。これが魔法使いの意識なのかとは思ったが、それはいい。彼は社会学の教育を受け、そしううて大学院に入り、ポスドクになったわけだが、急にそういう風にいい始めた。非モテはネタだし、リア充は爆発しろ、というのは若人にとってはネタではあるが、だんだんと周囲が結婚し、子供を生むにつれて、「それをやっていない自分と言うのは、世間から見て劣っているのではないか」と思い始めた。社会学を専門にしている人でもそういうことを思うのか、へぇ、とは思ったが、学問的な含蓄と実践というのが結びつかないのは往々にしてあるのは知っている。それは、鈴木謙介のクズさだし、東浩紀が単なる「哲学に詳しい中小企業のおっさん」になってしまったのと一緒だ。それも「小さな成熟」かもしれないが、それはよくわからない。
それはともかくとして、既に若者には「非モテ」より、ただ「2ちゃんねるまとめ」の気の利いた話を聞いたりしているが、彼らからは「自分がモテないという自意識をこじらせることについて」みたいな話をしているのか、というのは気になるところだと思う。だんだんと論客が減って、そこにこだわっているのはシロクマ先生みたいなものだが、宇野の「サークルクラッシュ研究」と似たようなもので、もう「脱非モテ」みたいなもので、それを語ることはない。まあ、東にしろ、宇野にしろ、単純に言ってしまえば「非モテなんて自意識をこじらせたやつは気持ち悪い」と心の底では思っているだろうから、そんな彼らの悩みなんて触れたくもないだろう。
はてな村が大好きな有村悠は未だに「童貞」をダシにしているが、あれも単純に童貞を捨てたら自分の価値が無くなるから、アイデンティティを必至に守っているだけでしかない。彼もまた「女性がエロ漫画なんて書くわけがない!」というのを定期的につぶやいて、ミソジニーをこじらせているっぽいが、もはやあれも芸であって、「自分の欠点を認めたくないが故に、自分の欠点を認めたフリをする」といったものなんだと思う。とはいえ、男性のホモソーシャル(ようするに男性中心で回っている共同体)なんつーのは、ただそいつが「童貞」だからという理由だけで同情して仕事を与えたりする。
ただ思うのは、そういう話題が出来なくなって、結果として「俺がモテない」という自意識について、半年くらい考える機会というのは、自分の恋愛経験を相対化して、消化して、自分がどうするべきか、について方向性を与える機会というのはあったと思う。チャーチルの名言(これも怪しいものだが)としてよく挙げられている「20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない」という言葉があるが、結局のところ、非モテを続けている人間は、芸風だけになってしまった印象だ。あれだ、童貞.comの人(勝手に検索してくれ)が、なんかロフトプラスワンでイベントをやるたびに女性を食いまくるために、童貞をダシにしていたのと似ている。あとえがちゃんか。えがちゃんという名前を聞くたびに吐き気がする人間は数人知ってるが、彼は上手く企業して、ぼちぼちと受託をこなしているそうで、彼は彼でまた「あがり」になった。
食堂で飯を食っていたところ、慶應大学生らしき学生二人組が隣に座って「俺たち非リアだもんなwwwwあーゼミの発表とか忙しいなー、○○ちゃんノートうつさせてくれねーかな」みたいな感じだ。もしかしたら、そっちのほうが健全なのかもしれない。だって「俺はモテる」というよりは、「俺がモテない」というほうが話題が進むからだ。(前者はただの嫌な奴だが、後者は「なんでーそんなことないのにー」みたいなキャバクラトークになる)
もしかしたら、今の「中途半端に真面目な人間」というか、「真面目系クズ」と呼ばれるような男子は、Facebookか、あるいはTwitterで、5年前と同じことを繰り返しているのかもしれない。これは観測範囲という問題なのだが、あんまりそういう話題をてんで見かけなくなったように思う。最近の流行りはどうやら「意識の高い学生を叩くこと」だが、そこには怨みたいなことはなく、おっさんの説教みたいなことが繰り返されている。俺がよくわからんのは、今のそういう「自意識をこじらせた男子」というのは、何処で話題を深めているのだろうか。それとも、結局これはインテリの遊び事であって、インテリの遊びが、そういう哲学ごっこではなくて、むしろ「売れている作品のマーケティング戦略を分析してわっしょいする」(これをインテリ界隈では「批評」と呼ぶと聞いた。濱野智史の新書はそういう本だって聞いた)ということのほうが楽しいのかも知れない。そりゃそうだ。誰にも頼まれないのに悩むなんてバカがやることだ。
しかし、この手の「リベラルな男子」が自分のミソジニーみたいなものをこじらせたとき、今は何処に行くんだろう?ゲンロンカフェか?まあいいや。こういうことを書きたくなったというだけで、おっさんであり、老害だ。「俺と結婚しろ」と書いて「まってました!」みたいな承認を貰ったほうが、インターネットは楽しくなったというだけだ。むしろそっちのほうが健全なのかもしれない。そういうのを気にするのは、「みうらじゅんは嘘つきだ」という今更の話をただずるずると引きずっているだけなんだろう。
どもども
ヒヨッコで安定しない時期、あせって結婚をせまらず、彼が大成するのを見守ってあげるのもいいんでは?
ということ。
そうですねー まぁ彼氏は修士で良い企業に入ってるみたいなんで、暖かく見守った方がいいですよね。
というか彼女側も仕事すればわかるみたいな事は沢山あると思うし。
(仕事見つからなくて「永久就職先ありませんか」とか彼にいうのが最悪のパターンではあるが)
そういう時期も見守ってくれた人ってことで、将来大事にしてもらえると思うのね。
すまん誤解されるような書き方をした。
彼が大成するのを見守ってあげるのもいいんでは?
ということ。
そういう時期も見守ってくれた人ってことで、
将来大事にしてもらえると思うのね。
何の根拠もないけれど、貴女自身が書いている通り、口だけの人なんだろうなあと強く感じた。
思うに、好きなものがないから好きなものの為に努力したことがなくて、文章も写真も学業も仕事も薬剤の服用も風俗も恋人や友人との関係も、何もかも自分が楽なようにやってきたんじゃないのかな。それにプラスで自傷行為とかもやってたら、典型的なメンタルヘルスの人ってイメージ。
別に「何かにおいて大成するためには血を吐くような努力をしなければならない」みたいな馬鹿馬鹿しい説教垂れるつもりはないし、貴女の現状が悪いもんだとも思わない。でも、僕が何も知らない赤の他人として勝手に思うのは、ODなんかするくらいなら医師の処方に従って正しく薬を服用すればもっと楽だろうになって事。どうせODなんて言っても死ねないってわかってる量しか飲まないんだろうし、そういうことするくらいなら薬を正しく服用して自分の病気を制御したほうがずっと安楽に生活できるのに、滑稽だなって思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130521232607
http://anond.hatelabo.jp/20130521214503
http://anond.hatelabo.jp/20130521211635の元増田です。
ごめんなさい、話が長過ぎて要点が伝わらなかったみたいですが、
ってことを確認したかったのではなくて
ってことを聞きたかったんです。
私の例が例なのですけど
みたいな!
もっと強調していいましょうか。
タイトルが悪いんですけど、
デジタルネイティブが生まれつき操作できるのか?みたいな話は正直もういいんです。
私たちよりも下の世代でPCも携帯も触ったことがない人なんて絶滅危惧種ですし。
それよりも、デジタルネイティブの言葉だけに甘んじて自主性に身を任せた結果、
大成しても良かったエンジニアがアフィリエイトでアダルトサイトをちまちまPHPで書く小物になりさがり、
ハッカーの言葉だけに誘われてへんな方向に進んでデジタルヤクザみたいに足を踏み外したり、しやすくならないかなって。
デジタルネイティブは正直よくわからない存在ですけど、それでも目を離すのはよくないし、
教師役が必要ですよね、って。そういう存在と社会的な人間関係で見つけて行ってほしい、巡り会ってほしいってことを言いたかったんです...
http://anond.hatelabo.jp/20130325172822 の続き
言語はJava7を想定。(Java8が迫っていますが、Lambdaなど関数型は、まだ早いと言うことで)
選定理由は、C++と比較して学べるところが大きく、安全でシンプルな言語だから。
※いきなりJavascriptはやめとけ、PHPは論外。
Ruby・Scalaでないのは、筆者が初心者には適切には教えられないから。
おもちゃ・ToyとしてjQueryで遊ぶのは、悪くは無いと思う。
これ以降は名著の紹介や学習方法の紹介が主体となります。名著のコンポジションという形が時間的限界ですね。
量については「初級になるなら、専門書を計3,000ページは修得することは覚悟してね」なんて言ったりしています。
Javaで初級のわかりやすい指標ですと、[amazon:Effective Java]とGoFまでの修得。
初級になるまでに登竜門への挑戦期間を含めて、3~4年はかかっても仕方が無いとも思います。
※逆に「一山いくらのコーダー」というのは、Effctive JavaやGoFが達成している技術も知らずに「自分がJavaプログラマー」だと誤解してしまっているような人達です。
そういったコーダーは何年経とうとも初級プログラマーにすら敵いません。
初級を目指して、プログラミングを楽しんでください。
ただ、学ぶべきことはべらぼうですが、「各分野毎に、エレガントな方法がある。だから探して修得する」ということが大切です。
※「一を聞いて十を知る」ような優秀な人に、50冊くらいドーンと本を置いてあげて、各本の目次を読ませるだけで、
底の見え無さを悟ってくれたりすると、嬉しくなってしまいます。
※余談ですが、その底の見え無さは数学という学問そのものですね。例えば、関数型言語の底流に「圏論」というここ100年の最新の数学があります。
また中級くらいで、Liskovの置換原則などが載っている本を紹介しますが、
そのLiskovの置換原則の周辺で出てくるcovariant(共変)って、圏論という数学の概念だったりします。
数学畑出身としては、数学が現実に活かされている嬉しい事例です。
「速く正確に大量の出力」という能力は、プログラミングをする上でも、ドキュメントを書く上でも、何より「つまらん仕事」の時間圧縮ができるようになるため、重要です。
スローガンとしては「思考のスピードで出力することを目指そう」です。
紹介するエディターはemacsやvimやExcelです。ついでにIMEとしてATOKを使用しているため、ATOKの操作をEmacsライクにする話も紹介します。
ExcelはWindows環境でMeadowすら入れさせてくれない場合の最後の砦という扱いです。
コマンドラインは、「コマンドラインというものがある」「時として非常に強力である」程度の紹介です。
※筆者はzshは全然使えません。使いこなしている方々と接する度に「勉強しなきゃな~、でも、あっちの方を先にやりたい・・・」とグズグズして、はや何年・・・
正規表現は置換を用いて、テキストの一括編集が重要です。後、遭遇したくない事態ですが、スパゲッティコードの解析をする上での最後の砦です。
※遭遇したくない例
ん?何か変なところで副作用のある処理があるようだなぁ(消沈)、SQLのInsertかUpdateか一応Mergeも使っているところから逆算して原因箇所を探すか・・・(諦念)
この糞コードがっ!!こんなところに書くんじゃねぇ!!(憤怒激高)
(ここで、他にやらかしていそうな似たようなコードを正規表現でgrep検索。改行コード込みにすれば複数文検索も可能)
わはは、予想通り共通化すべきロジックのメソッドがそこら中にある・・・
入門編で一つLinkedListというアルゴリズムを学びました。
少なくとも一つ本を読みながら自力でアルゴリズムを学べる人なら、大成できる可能性があります。
前に紹介した[amazon:C++実践プログラミング]には、LikedListやStackなど基本的なアルゴリズムが載っておりますが、
これに加えて、初級になるためにはこれくらいは知っておいて欲しいというものを紹介します。
※後、最初から必ずしも手を出さなくても良い上限も紹介いたします。
プログラムは、データを入力して、加工して出力・保存する処理の繰り返しです。
つまり、各一連の繰り返し毎に、「正しい入力」「正しい出力」を定式化する必要があります。
それを人間の手では無くコンピューターにやらせられるように、つまり自動テストできるようにテストをプログラミングします。
そこで処理の進捗を確認するためにロギングし、処理が想定通りであるかをアサーションでチェックし、
不正な入力・不正な出力=例外が起きたら、対処策をプログラミングします。
(ex 途中で処理を中断して、入力者に適切な入力のメッセージを伝えてあげる。入力の自動補正などもあり得る)
で、ここら辺をまとめてどうあるべきかとして「契約プログラミング」があります。
※余談。定式化・テストに際して、数学畑の人間としては、Javaだとequalsのオーバーライドでも必要になるし、同値関係・同値分割だけでなく、集合論・群論から学んで欲しい・・・(ここいらは数学科の学部1~2年の学習内容)
名著は英語で読みましょう。名著が名著たる由縁は、度々引用されることにあります。
つまり最新の技術書を読むときに、引用された名著のフレーズが、新旧のリンクをなし、理解の助けになります。
壁打ちといって、独り言で思考補助をするよりも遙かに有益です。
※素晴らしい師匠を探すなら、大学行くのが一番ですが、見聞を広げていく中で出会いを待つしかないとも思います。
マルチスレッドが難しいのは「バグを起こしにくいプログラミング」を求められるから。
つまりTry and Errorからの決別が求められ、今後の仕様変更・拡張も踏まえて慎重に慎重にデザインする必要があります。
できる限りステータス変数を持たずに安全に、でもマルチスレッドにするのだから、効率を追求しなければ本末転倒。
でも効率のためにはメモ化に代表されるキャッシングは必須と、アンビバレンツな要素のバランス取りが難しい。
このために、リエントラントな実装・抽象と実装の分離など様々なエッセンスを駆使することが必要です。
というよりも孔子曰く、知っているよりも好きであること。好きであることよりも楽しめることのほうが強く、
気づいたら日々時間が許す限りプログラミングをしてしまうのが理想です。
※仕事として嫌々スキルを磨かなきゃということが、これほど不幸な職業も無いですね。
学習の達成度を測るには、簡単すぎる不適切な問題ですね。
写経は数学の証明問題を、教科書のテンプレ通りに、数値や名称だけ変えて記述することしか出来ない人の発想。
つまり「矛盾無く一貫した論理モデル」の構築が自由に出来ず、テンプレの微修正しか出来ない人の発想。
また、外部の「矛盾無く一貫した論理モデル」の吸収が不自由で、アルゴリズムを「手順」としてしか捉えられないように見受けられる。
「連続」であること確かめるための「ε-Δ論法」(数学科の学部1年の学習内容)
事前知識無く、このモデルを理解できる人は、十分に「矛盾無く一貫した論理モデル」を構築できる人。
就活シーズンですが、ゆとり教育を享受してきた二十代前半から。
ゆとりの仲間たちの就職活動を応援する意味で、企業側に言いたい。
いま、即戦力を期待する企業が多いと感じている。そんな企業の姿勢に異を唱えたい。
かなり極端に書いてるが、書いた内容は重要だと思う。
企業は
「ゆとりが使えないのではなく、ゆとりを使いこなすための情報が不足している」
と考えてほしい。
更に言うなら、
と考えてほしいと思う。
そうすべきと私が考える理由は、
だから。
一例をあげてみたい。
普通、人は後進を育成するとき、自らの経験をもとにして指導すると思う。
ところが、そのもとになるところの学校教育が問題だ。
何が問題かというと、管理職世代が受けてきた学校教育と、ゆとり世代が受けてきた学校教育は、質が全く異なる点。
これは、単純に教わる内容が減少したという量的な問題だけではなく、様々なものを教わっていないという質的なところからの問題。
繰り返しになるが、人間を指導教育するためには、その人間が育ってきた背景を知っておくことが不可欠だと思う。
さもなくば、お互いにストレスフルなやりとりがたえない労働環境となる。間違いなく。
別の例を挙げてみたい。
ゆとり教育世代の中の一部では、学校における活動以外で他者と結びつこうというマインドとその経験が圧倒的に不足している人がいる。
ひととひと。
そのつながりがあって、社会は回っている
言うまでもない常識と思う。
なぜか
それは、「学校教育しか受けていないゆとり」が、その事実から切り離された特殊な環境で成長するからだ。
だから、人とつながるということの重要性を認識しないまま成長する人もいる。
そういう人間は、なるべくエネルギーを使わずにらくをしようとする。
人と関わると発生するエネルギーコストを削減しようとする人間は、必然的に、人と遭遇しないようにするため、狭いコミュニティで生きることになる。
必要性があるときにしか行動しないために、見識が広がりにくい。
見識の狭さが活動範囲をより一層狭める。
活動範囲が少ないので学びが少ない…という悪循環がそこにある。
この結果、彼らは自分から人と関わり、情報を取りに行くことができないという、社会人としてかなりヤバ目な特性を持っている
場合がある。
自ら育つようになるまで、育てる必要がある。
このことを企業側が、意識しておかないと、この手の人材は、すぐにつぶれてダメになる。
2つ例を出した。
問題なのは、彼らの特性が、日常生活を営むうえでは問題にならないことである。
しかし、ひとたび同じ職場で働くことになれば、たちまち非ゆとり世代とゆとり世代の常識は大きく異なっていることに気づかされる。
きっと、非ゆとり世代から見た、同じ職場のゆとり世代は「エイリアン」に見えている。
そして、きっとそれは逆も同じなのだと思う。
とりあえず、企業がいかに「ゆとり」を戦力化するかということが最大の問題だ。
ゆとりを効率よく戦力育成するには、ゆとり世代の生育背景を把握し、特性を理解し、それらに基づいた教育を行うよりほかに方法はない。
しかしながら、この景気、経済状況なので、企業側が教育者となる管理職に「ゆとり」について1から学ばせるのは得策ではない。
有効ではあるかもしれないが、最善手とは思えない。
「ゆとり世代の人間から一人、ゆとり統括用のリーダーを指名する」
という方法だ
こうすると低コストで、意外と、とうまくいく。
もちろん、企業側がリーダーと綿密にやり取りすることは必要だけれども。
世間を見渡すと「ゆとり」が、使えない人材の代名詞になっていて腹立たしい限りですが、実際その通りだとおもう自分もいる。悔しい。ビクンビクン
ですが、ゆとり世代の中にも、即戦力となる人間は3~4割程度いる、というのが自分の実感です。
企業側としては、そういった人々を少数でいいので、確実に、最低一人確保することがポイントとなります。
こうした人々の見分け方ですが、いくつか特徴があります。
たとえば、家庭における教育が良かった人。
部活動をはじめとした、種々の課外活動が充実していた人。
あるいは、個人の特性によるもの。
たとえば、学びのサイクルが確立しており、鋭い洞察力によって自ら疑問を持ち、また、その解決のために努力を惜しまない人々。
どの世代においてもこの手の人々が最強なのは言うまでもないことかもしれませんが。
こうした人々は、新しいことをまなび、新しい環境に適応するだけの柔軟性が期待できます。
また、実際、学校で生のゆとり教育を受けてきたので、「ゆとり」の傾向も知っていますし、理解もある。
(もちろん、いくら優秀とはいえ、周囲の先輩方のサポートは不可欠なのですが
補足すると、先ほどもちら触れたように、ゆとり世代は、非ゆとり世代と比較して縦のつながりを作るのがへたくそな人が多い。内向的というか。
そして、その代償として横の関係性を求める傾向もある。
こういた特性も、同世代をリーダーにするとうまくいく要因の一つな気がする。
まあ、ようするに、ゆとりの中でも上の世代と互換性のありそうな人間にゆとり世代を統括させれば、そいつが、応急処置的ではあるものの非ゆとり世代とゆとり世代とがやりとりするためのちゃんねるとして機能する。もちろん、そいつにそんな役割を期待していること、必要があればバックアップすることはきちんと伝えておくひつようがあるけれど。
ともかく、そうすることによって、ゆとりを組織の機能の中にぶち込んでもある程度機能し続ける状態を保つことができるわけです。
こうやって、会社や現場に慣れるための猶予をあたえれば、ゆとり世代を無用に追い詰めることもない。
とにかく、はじめはそんな感じ仕事をさせつつ、徐々に世代の違うリーダーのもとで、仕事をする機会を増やせば、心理的に安定するはず。
がそのままおっきくなってる場合がある。
繰り返し述べているように、学校教育以外のフィールドでの人生経験が足りないために、人生経験の深さや、広さが非常に限定的な人間の割合が高まっている。
就活中にお祈りされるだけで、あたかも人生の終わりであるかのように感じてしまう
鋼メンタルの持ち主なら、
「お前みたいなブス、こっちからねがいさげじゃあああ!」と言って自分を守れる。
(フロイト心理学では、合理化というらしいよ!!どうでもいいね)
でも、でも、それができない。
それは、やっぱり、人生経験の少なさから来ているモノだと思う。
知っている価値観が少なくて、物事を自分の都合のいいように考えられないほどに、思考が狭まってしまうからだ。
自分自身さえ、自分に味方をしてくれないのがゆとり世代の人生なのかもしれない。
ちなみに、この価値観の狭さは、これまでの22年ないし、それ以上の人生で、積み重なってきたものの集大成であり、就職後1か月やそこらで変わるようなものでもない。
柔軟性の無い人間は、なかなか使い物にならないと思う。
だからといって、もし、強力なストレスをかけることによってショック療法的に何とかしようと考えているなら、それはやめるべきだ。
先ほどから繰り返し述べているように、学校教育しか手持ちの判断材料がないゆとりは、貧弱だからだ。
企業側としては苦しいかもしれないが、4~5年は、戦力として使えるようになるまで、面倒を見るつもりで、ゆとり世代を採用してほしい。
そして、企業側は、同時に並行して、ゆとり世代が、どういう教育を受けてきたのかについて、情報収取をしたほうが良い。
なぜならば、今すぐにやれば、それが企業の成長につながる可能性が高いからだ。
これまでの言と矛盾するようだが、大部分のゆとり世代は、ちょっとしたことで非ゆとり世代とも互換性を持つ。
そういう人たちが4割程度。
できる3~4割と合わせると大体7~8割
しかし、ゆとり世代についての知識、理解があれば、その3~2割を制御するのも可能だし、彼らを戦力として育成することもできる。
ギャンブル的要素があることは否めないが、彼らを戦力化することができた企業は、他の企業が拡大成長できずに苦しんでいる中、その規模を拡大することができる。
他の企業が使いこなせないということは、その人材は安価に使えるということである。
やとわれた側のゆとりは、就業チャンスをスキルアップに結び付けられるように努力する必要がある。
それでも、フリーターやニートよりはましだとおもって死ぬ気でがんばろう
なんだかんだ書いたけれども、適切な方法を導入することで、ゆとりはいくらでも使える人材になりうる。
そして、その対応が早ければ早いほど、その企業は実入りがでかく、後々になって対応する企業ほど割を食うと思う。
いくら人材がグローバル市場化したとは言え、企業が即戦力として必要とする人材のレベルは非常に高い。
その不足を補うため、これからの時代は、企業の内部にも高度に専門化した高効率の教育システムが出現するはずだ。
そして、マーケットリーダーでない企業では、特に、即戦力でない人材をどうやって戦力化するかが、深刻な課題となる。
そういった企業は、いずれ生き残りのため、否応なく
に習熟する必要がある。
なら早いうちに「ゆとりを使いこなす」体勢を整えるのが良いように思う。
そのためには、とにかく、ゆとり世代の中で比較的優秀な部類の人間をなんとしても一人確保する。
そして、その人間と一緒に、ゆとりを戦力化する方法を一緒に考える。
これが、現状、一番低コストかつ効果的で現実的な、企業がとるべき方法だと思う。
繰り返しになるが
ゆとりはつかえないのではない。
ゆとりを使いこなせていないと考えるべきだ。