はてなキーワード: 助長とは
https://this.kiji.is/581526968514757729
さすがブクマカの皆さんはリベラルで、人権講師に「この中にも○○がいる」と言われても動じない方ばかりなんだな。
皆さんには信じられないかもしれないが、世間はそこまで同性愛を理解していない。
同性愛を、同和地区の人、在日外国人など、見た目でわからない被差別者に言い換えてもいい。世間はブクマカの皆さんほど理解していない。
私の友人に、性的マイノリティ人権講師をやっている人がいて、私はそのサポートをしている。講演のあと、アンケートをまとめたりする。(以下アンケートの回答は原文のままではありません)
アンケートでは、児童生徒が否定的な回答をすることはまずない。記名で先生が読むアンケートだからということもあろう、模範的に答えようとする子供がほとんどだ。
・かわいそうだと思いました
講演の中で、「クラスメイトの皆さんと変わらず仲良くしていたいと思っているのに、ゲイかもしれないと疑われた時点でよそよそしくされる。それはとても辛いのです」と伝えているにもかかわらず、だ。「自分たちはカミングアウトをしなくても、皆さんと一緒に普通に生活しています。多くの当事者は、特別扱いされたいとは思っていません」と伝えているにもかかわらず、だ。
子供たちの多くは友達に優しくあろうとしているので、アンケートの答えが点数稼ぎばかりとは思わない。きっと本心でそう思ったのだろう。
でも、そんな、腫れ物に触るような対応を誰が望む?
ブクマを読んでると、子供たちが何らかの手口で当事者を燻り出していじめる場面を思い浮かべたのかな? と思えるものが結構目についた。子供がそんなことやるのはどう考えても悪だし絶対ダメだ。
実際の現場でおきることは違う。
「このクラスにもいるかもしれないんだって」「もしいたらどうする?」「あの人"そう"っぽくない?」「かわいそうだし、優しくしてあげる」
そんなような会話が、数名の仲のいいグループ内でなされる。そのグループの中に当事者がいる可能性に気づきもしないで。
これまで隠してきた当事者は、ますます「言えないな」となる。隠さなきゃいけないなら友達じゃないって? 誰だってすっごく仲いい人にだって打ち明けない秘密の一つや二つ持ってるでしょ?
あるいは、クネクネと「実はおれ、ゲイなのよん。差別しないでね〜ん」なんてウケを取ろうとする子がいる。その場に当事者がいる可能性に気づきもしないで。助長される「いじめ」はこんなふうに、特定個人相手ではなく自覚なく行われる。諫めると自分が疑われるかも、と思って、周りも笑う。当事者ならなおさら、怖くて抗議できない。
何クラスもを一度に集めた講演会で、数分から数時間程度のお話を聞いただけで深く考えることができる子って、実際すごく少ないんですよ。上っ面の理解で、インパクトのある「この中にもいます」だけが印象に残る。当事者探しは教室で「お前か?それともお前か?」なんてわかりやすい方法じゃなく、それこそ LINE のグループなんかでヒソヒソやられるんだ。クローズドの当事者がそのグループにいたら? 自分が疑われなかったとしても、「この中にだけは当事者はいないだろう」を前提にされている空気にすり潰される思いをする。
(すり潰される経験があまりに多すぎて諦めている人もいる。すり潰されているのは自尊心で、人生を大きく左右するのに。)
性的マイノリティ人権講演は、自治体や教育者対象のものも多い。児童生徒よりも、講演後アンケートの回答はばらける。大人は自分の部下や子供からカミングアウトされたら? ということを現実的に想像して答える。
・うちの生徒にはいないが、今後の参考に
とても現実的だと思う。自分は理解していても周囲はそうじゃなく、変えていく力はないと思っていたり、自分の偏見が拭えないことに悩んだり、どこか他所ごとだと思ったり。社会の現実はこうなんだ。
実際、近しい人が当事者だと気づいたときに戸惑わないと言える人はどのくらいいるのか?
(戸惑ったら「戸惑った」ってリアクションしてもいいと思うけど。なかったことにされるよりずっといい)
世の中はまだまだこんなふうで、子供たちはそんな世の中で成長しているのだ。
理解の浅い段階で「この中にも同性愛者がいる」って言葉を投げかけられると、当事者が不安とショックに囚われる。当事者でなくても立場の弱い子供にも、しばらく友達との会話が恐怖になる可能性がある。
しっかりとした性的マイノリティ教育(その他人権教育)が行われていれば、子供たちは、自分の周りにも当事者がいるかも、という前提で人と付き合うことができる。「この中にも同性愛者がいる」とわざわざ言う必要がない。
児童生徒向けで、全体講演のあと、クラス単位や希望者のみなど、もう少し少人数で距離も近くして講義を行うことがある。質疑応答の時間も設ける。子供たちの姿勢が違って、上っ面だけじゃなくしっかり理解しよう、受け止めようとして聞いてくれる。その後、アンケートよりもずっと長文のレポートを送ってくれる。
・もし友達にカミングアウトされたらどうすればいいかって考えていたけど、その人にいつもしてるみたいに言葉をかければいいんだなと思いました
・将来自分が同性を好きになることもあるかもしれないから、今はそうじゃなくてもふざけてネタにするのはやめようと思った
・性的マイノリティの人がその場にいたら言えないようなことは、誰の前でも言ってはいけないと思いました
講師は「この中にも同性愛者がいる」とは絶対に言わない。「同性愛者にはこう接しなさい」と言うわけでもない。人と人との関係の、答えのない問いを、一緒に考えていこうね、と伝えただけだ。
そういうこと書くならあなたにたいしてだけは逃げないよ?
このコメント書いたSoranekoさんは私のコメントは誹謗中傷だけど数々の暴力的なはてなブックマークコメントは「反論」でしかないというわけね。
ふーん。自分がこの状況でコメントするのを攻撃的じゃないと思ってるんだ。
わかるよ。私も最初そういうつもりでこの匿名記事書いちゃったから。みんながワイワイと伊藤さんをたたいている状況で、私がその状況を否定せずにでも伊藤さんも変なところあるよねって書いちゃうことがどういうことか全然わかってなかった。でも今ならすごいよくわかる。寄ってたかってぼこぼこにされてる状態で無邪気にSoranekoさんみたいなコメントを書くのはいじめなんだって。
でも、だからといって伊藤詩織さんじゃない人が私をいじめていいのか。
Soranekoさんはいじめっ子なんだけどその自覚が全くない。おかしなことを言ってるやつにこいつおかしいぞって言ってるだけだと思ってる。Soranekoさんは自分が一人目になる覚悟はなくて、みんながぼこぼこにたたいてるやつだから気軽にコメント書いてる。それを言われた側がどういう気持ちになるのか全然わかってないから自分がやってることがわるいなんて思ってない。
私もまったくそういうつもりなくこの匿名記事書いたからわかる。いじめってこういう風にして起きてるんだ。
Soranekoさんはそんなに過激な発言してないけどでも私にとって一番私をきずつけたいじめっ子はSoranekoさんだ。そういう傍観者然としていじめを助長する人間が一番の悪なんだ。
自分も伊藤詩織さんについてはいじめみたいなことをしてしまった。その結果次のいじめの標的になった。伊藤詩織さんには申し訳ないと思うし伊藤詩織さんには何を言われてもごめんなさいとしか言えない。けどだからといって伊藤詩織さんとなんにも関係がないのに私をいじめた人は許さない。だから私はSoranekoさんを許さない。別に何もしないけど、あなたが今後発言することはずっと見てる。
https://megalodon.jp/2019-1221-1229-12/https://anond.hatelabo.jp:443/20191220014349
とりあえずこのあたりだけ読んどけばええやん。
なんかよう分からん奴らが振り回すよう分からん理屈を鵜呑みにしてみせる必要はないやろ。
http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html
特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に, 日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動が,一般に「ヘイトスピーチ」と呼ばれています
http://www.moj.go.jp/content/001184402.pdf
専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するものに対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命,身体,自由,名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど,本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として,本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動
https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/hate-speech
人種、宗教、性別、性的指向(=同性愛者であるという事実など)に基づいて、人またはグループに対する憎悪を表現する、または暴力を助長する公開発言。
ヘイトスピーチって何ですか?
ヘイトスピーチの国際的な法的定義は存在せず、 「憎むべき」 ものの特徴付けについては議論があり、論争もある。この文書の文脈では、ヘイトスピーチという用語は、人やグループの宗教、民族、国籍、人種、人種、肌の色、血統、性別、その他のアイデンティティー要素に基づいて、人やグループに関する軽蔑的または差別的な言葉を攻撃または使用する、発言、文章または行動におけるあらゆる種類のコミュニケーションとして理解される。これはしばしば根付いており、不寛容と憎しみを生み出し、ある状況では屈辱的で不和になることもある。
記事を書いてる方はS1を途中までしか見ておらず、S2を途中からしかみていませんよね。
同性愛への偏見を助長すると誤解されても仕方がない表現はたしかにS1にもありましたがS2にもありました。この方が見ていない1話が特に酷かったです。
それなのにS1は無理でS2はOKというのは完全に矛盾しています。
S1もS2もまともに見ていない人が片方を下げてS2の宣伝。こんなわざとらしいステマ記事がSNSで大拡散されてますが皆さん踊らされないようにして頂きたいです。
このご時世に特定民族の強制収容をする人権軽視国家なら、自国民であろうと家族を人質にして行動や言動を強制するだろう事は容易に想像できる。であれば訪日中国人を自身の組織に入れるのは危険であるから雇用しないと公表するのはなんら問題ではない。
中国共産党は我が国の領土に対して明確な野心がある。よって中国共産党は我が方の敵なわけだが、共産党員であるかは外見上わからないので、中国人と一括りにしてパージする以外外患の誘致を防ぐ手だてがない。
というような親中共的な言動を日本人が行うのは、はっきり言って狂気だ。
中共企業と商売する企業も狂気だし、この期に及んで親中派なんて標榜したりされたりして何ら否定しない政治家は狂っている。話し合いで解決とか言う輩も十五年前ならまだしも、今となってはむしろ平和の破壊者だし、戦乱混乱の助長者に他ならない。
差別と表現規制の話題を,人工知能学会誌表紙,キズナアイ,宇崎ちゃんポスターと追っているが,フェミニスト側の立論の雑さが目立つようになってきた.フェミニストによると,これらの表現は
という.
この2点について,多くの規制反対論者が「エビデンスはあるのか」と問うてきたが,フェミニスト側は真面目に答えようとしてこなかった.ここでは,市民にエビデンスを提供することが期待されているであろう,社会学者たちがいかに知的不誠実な態度に終始してきたかを見ていきたい.
ここでいう「エビデンス」とは evidence based medicine (EBM; 根拠に基づいた医療) や evidence based policy making (EBPM; 根拠に基づいた制作決定) におけるエビデンスで, 単なる「根拠」「証拠」より強い意味を持つ.例えば,EBMにおいては下記のようなエビデンスレベルというものがあり,一口にエビデンスといっても質の強弱がある:
I | システマティック・レビュー/RCTのメタアナリシス |
II | 1つ以上のランダム化比較試験による |
III | 非ランダム化比較試験による |
IVa | 分析疫学的研究(コホート研究) |
IVb | 分析疫学的研究(症例対照研究、横断研究) |
V | 記述研究(症例報告やケース・シリーズ) |
VI | 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見 |
もちろん,社会科学分野では完全なランダム化比較試験は難しいという事情はあるだろう.それでも,行動心理学の研究や,具体的な事例の紹介はできるはずだ.以下で指摘するのは,表現規制の議論において,社会学者たちが,質の高いエビデンスを提示せず,最も低い「VI 患者データに基づかない、専門委員会や専門家個人の意見」相当の論考しか提示してこなかったという怠慢である.
宇崎ちゃん事件の発端となったのは弁護士の発言であったが,しばらくして,牟田氏による下記の論考が出た:
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68185
女性差別撤廃条約(1979年国連採択、85年日本批准)はジェンダーに基づくステレオタイプへの対処を求めており、日本政府への勧告でもメディアでの根強いステレオタイプの是正を重ねて求めている。
たとえば第4回日本レポート審議総括所見(2009年)では、勧告の項目「ステレオタイプ」に、「女性の過度な性的描写は、女性を性的対象としてみるステレオタイプな認識を強化し、少女の自尊心の低下をもたらす」と警告している。
上のエビデンスレベルに照らすと,条約や所見は最も低いVIに該当するであろう.もちろん,所見を作成する上で何らかの質の高いエビデンスが参照されている可能性はある.残念ながら,そのようなエビデンスがフェミニスト側から提示されることは現在までない.
と,有害性は明らかであるとする.自治体のガイドラインは炎上しないためのHow toであり,これに抵触したからといって即時に性差別にあたるわけではない.例えば,日弁連のポスターですら,形式的にはガイドラインに抵触することが指摘されている:
https://togetter.com/li/1425795
こういう立論の雑さが「お気持ち」と揶揄される一因になっているのではないか.
キズナアイ事件の発端となったのは千田氏による下記の論考である:
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/
「相槌」がなぜダメなのかと思うかもしれないが、社会学では「権力」は相互作用の場面からもつくられていくと考えられている。コミュニケーションの場において、どのような言葉が交わされ、どのように会話が達成されるのか。コミュニケーションは当然、社会システムのなかで行われ、そしてまたその社会システムを再生産するのだ。
このNHKのサイトで「キズナアイ」に割り振られた役割は、基本的に相槌である。それは、従来「女性」に与えられてきた役割である。ある意味で、性別役割分業を再生産していると言えるのだ。
「性別役割分業を再生産」というのが上の「1. 現実の性差別・性犯罪を助長する,あるいは直接女性を加害する有害性を持ち」にあたるだろうが,この点に対してエビデンスは示されることはなかった.問題になっているキズナアイのイラストのように,ポルノとは言い難い軽度の性表現がどの程度人の行動に影響を与えるのか,質の高いエビデンスを示してほしい.
https://twitter.com/chitaponta/status/1047386005139906560
ズナアイは可愛いし、別に愛でてくれていいし、ノーベル賞のサイトから引き上げてくれとか要求もしてなくて、今後、同様の企画を作るときは、少し考えてくれと言っているに過ぎないんだけれど、「誰も傷つけていない」「考えすぎ」というのは少し違うと思う。思春期の自分は、やっぱり傷ついたから。
自分が年をとると快適で、性的対象として見られることがときに女性をいかに傷つけるか、想像もつかないことは理解できる。自分の趣味にケチつけられたら、腹も立つだろう。
ここでも,氏の言う加害がどの程度普遍的に通常人に成立しうるのか,なおかつ公共空間から排除すべき加害性なのか,提示されることはなかった.もちろんこれが社会運動なら,こういった「共感」に訴えるだけで事足りるだろうが,当該分野の専門家としての発言が「共感」に終わるだけでは,なんというか残念.
千田氏自身は,法規制を求めているわけではなく「市民的公共性」から自主規制を求める立場であるとする.なるほど,権力の介入を避け,市民の議論によって線引がなされるべきというのは同意できる.その上で,学者として,市民の議論の補助となるエビデンスを提示してもらいたい.
今年の4月,フェミニストから称賛された上野氏の祝辞があった.
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
上野氏は祝辞という限られた環境ながら,種々の研究を紹介し,数字を引用し,現在の社会にある男女差別を提示してみせた.統計の扱い方には色々と難があるし,私とて上野氏の思想で同意できるものの方が少ない.しかし,ここで注目したいのは,エビデンスを提示しようとする上野氏の姿勢と,表現規制でエビデンスから逃げ回る社会学者たちの姿勢とのコントラストである.
誘拐犯が剣道部に所属し、成績も優秀だったというニュースについて、事件と直接的な関係がなくそれが偏見を助長するという意見が多く見られる。
件のニュースでは同時に、犯人は高校受験に失敗し、定職に就かずブラブラしている人間だとも報じられてる。
これについては事件との関連性が認められる。まだ若いが無敵の人と同じく自暴自棄になっている可能性が示唆されるためだ。そういう人物像が共有されることは同様のケースと考えうる人物が怪しい人物だとして社会が目を光らせるという意味で有用である。
つまり剣道部は不要な情報だが、成績優秀だったが失敗したと見える人間は精神的にこじらせている可能性があるので気をつけるべきという事を周知する上では有用なニュースである。
情操教育と家族サービスの一環として、家族4人(私・妻・小学生の子供2人)でディナーに行ける
少し高級なレストランを探しています。予算は一人1万円程度。ほんとは合計で3万くらいが嬉しいですが。
ほんとはホテルのレストランが良いのだと思うのですが、都内は高すぎる。
要件は以下の通り。
いろいろ考えた結果、うかい鳥山やうかい竹亭あたりが遠いけど良い感じ。
なんか他に良いところありますか?
そもそも正当性は証明されているので、わざわざ証明を補足する必要もないんですが。法的に問題ないのは明らかだ。
この問題に関して非論理的な否定で「献血ポスターの正当性」を否定できたと勘違いする人が居るといけないので、「補足」しておく。
その「反論」を献血ポスターに適用するのは「無理」だというのが、言いたいことの中心だ。
無理筋である理由を説明しておこう。一言で言えば、「男性が求めるから」
男性が求めてはいけない理由が存在しない以上、無くなることはあり得ない。
女性が見たくないものを「見たくない」という権利がある。それは当然。と「同時に」、見たいものを「見たい」というのも男性の権利として存在しうる。
なので、単に「見たくない」で規制するのは、「男性への差別」だ。全部の男性がそう思うかどうかは重要ではない。昔々はフェミニズムが「先」に権利があったかもしれないが、今は存在しない。これらの権利は「同時」に発生しうる。
フェミニズムがもう無理な理由は、ここにある。男性差別が激しく、これからの論理としてもう終わってると考えるべきだ。
なお、これは男性を優遇しているという論理ではない。当然女性を差別していいという論理でもない。
例えば、人前に出たくない女性を無理やり出させるとか、明らかな「差別」をしていいと言ってるわけではない。
そもそも元がポスターなのだから、嫌な人に強制されているわけでもなく、女性差別をしているわけでもない。過度に性的なわけでもない。
この献血ポスターを見て「女性を性的対象とみていい」というメッセージだというのは、「気のせい」だ。それが証拠に何一つ証明されてない。
これからは、「女性を性的対象にするな」は無意味であって、「何々だから」という理由が必要だ、という話。
なお、「女性」を性的対象にするなという主張が無意味な理由は、もはやすでにほぼ達成されているから、だ。「アンチフェミニズム」で、その論理を一生懸命否定する奴が存在しない。否定する理由もない。
ひと昔前はそういう「アンチフェミニズム」も存在した。例えば「女性は出しゃばってくるな」とか、非論理的なのは存在していたが、さすがに今は絶滅してる。
献血ポスターのような存在は「絶対に存在しない」命題も否定されることになる。
ある程度献血ポスターのような三次元も「存在しうる」のは明らかであり、「存在しないような」女性を描いて差別を助長しているという批判も当たらない。
なお、この献血ポスター他の場合、なぜ巨乳かと言えば、以下の理由がある。
ある程度の理由があるのであって、成り立ってるものを何の理由もなく否定できる理由はない。
結局のところ「問題ない」所の「公開」を否定されてしまった場合、これからは「全てダメになるだろう」と予想せざる得ない。
いわば領土みたいなもので、すでにさんざん浸食されているのだから、これから際限なく浸食されるのだろうという思うのは「自然」だ。
モンスターアイドルのことだけど、性的搾取を助長するレベルじゃなくて性的搾取そのものだと思うんですけどなんで叩かれないんだろう。
私はポスターも漫画もこの番組も規制はしなくていいと思ってるけど、フェミニストを自称する人たちの中でどういう判断で叩く/叩かないが決められるのか気になる
https://www.asahi.com/articles/ASL7645G4L76UPQJ006.html
受付嬢ロボットはその代表で、見た目も声も人間の「受付嬢」にそっくりに作られている。最先端のロボット技術を海外に披露するという意図もあり、国の研究開発機関や大学も開発を競っている。それらには「アメリカやEUでは受け入れがたい」ほどのジェンダーバイアスがある、というのだ。