はてなキーワード: 信頼関係とは
芸人のノブシコブシ徳井が不倫現場を不倫相手に生放送され炎上したのだが、実は世間やネットユーザーをだますドッキリだったという事件があった。この事件はヤフーニュースや東スポにもとりあげられるほどの騒動となった。
http://matome.naver.jp/odai/2138171637061863601
しかし、そもそもこれのどこがドッキリといえるのだろうか。
本来ドッキリというものはドッキリを仕掛ける側と仕掛けられる側に強い信頼関係がある中で行われる。テレビ等で行われるドッキリでは、番組側が番組側と信頼関係のあるタレントを騙し、それをみて視聴者が楽しむという構図だ。
ドッキリというものは人をだます行為なので、ドッキリを仕掛けられる側はとても怖い思いをしたり、傷ついたり、非常に大きな不利益を受ける。しかし、ドッキリを受ける側から不満の声が上がらないのは、それ以上に大きなメリットがあるからだ。ドッキリをうけることで、後に多額のギャラが支払われるし、そのドッキリを見ている人におもしろいと思われれば次の仕事にもつながる。このような関係性のなかでドッキリは行われるので、通常、ドッキリは大きな問題にはならないのだ。
しかし、今回のドッキリはどうだろうか。今回の構図は、徳井とそのライブに来ていた人が世間やネットユーザーををだまし、その様子を徳井とライブの人達が見て笑うという構図だ。徳井と騙された視聴者との間には何も信頼関係もなく、このドッキリを仕掛けた後で騙された視聴者に多額のギャラが支払われるということもない。
これはドッキリでもなんでもないただ人を騙しただけの迷惑行為だったのだ。
今回の騒動を行うことで得をした人はいるのだろうか。このドッキリをみて楽しい気持ちになった人はどれくらいいるのだろうか。この不倫動画をみて徳井の子供はどう思うのだろうか。そもそも、このドッキリのどこが面白いのだろうか。
・夜に男を家に上げたり、男の家に一人で上がったら、セックスOKの意味になるからするな。
・盛り場に露出度の高い格好で一人で行って、見知らぬ男に愛想よくしたらナンパ即ハメOKの意味になるからするな。
・信頼関係が成り立っていない男の車に一人で乗ったら、どこに連れて行かれるかわからないから乗るな。
・男へのメールにむやみにハートマークやキスマークを混ぜたら、好意を持ってるという意味になるから控えろ。
こういう当たり前の「慎み」は、全部「男はいつこっちに勝手な好意を抱いて実力行使に出るか分からない」という価値観に基づいてるんだよ。
これを撤廃したいなら、男の人が努力しないと。
仕事辞めることにした。
入れ替えは「協力会社」くらいなもので離職率は低い職場なんだけれど、3年程働いてたが全然水が合わなかった。
そもそも、職場に来た初日に直属の上司から周りに挨拶もなく「席はここ、しばらくコレやっといて」と課題みたいなのを出されて、周りの人ともイマイチ溶け込めない、みたいなスタートからして怪しかった。
隣の席の人とくらいは簡単に自己紹介くらいはしたが、全然わけもわからず、その後も「個人でよくわからない役に立つかも知らない作業を黙々とする」という状況が続く。
後になって、割り振りたい案件が上手く進まずに、採用したもののさせることがない状態だった、みたいなのを何となく理解したが、ほとんど誰と話をすることもなく黙々と作業して帰る、みたいな日々が続いたのはキツかった。
んで、担当させられるであろう案件がボヤッとしたまま、何もすることが無いのもつまらないので、自分で企画書いて出してみたり、社内の新企画コンペに参加したりしてみた。
何度かそういう自分で出したアイデアで仕事作ろうとしたんだけれど、進んでいた話が知らない間にフェードアウトしていたり、上司の手の中で死んでいたり。前も後ろもわからん職場で、自身のアイデアを強く推進するようなコミュ力なんて持ち合わせてないし、そのまま生きるでもなし、死ぬでもなし、たまにちょっと出来る細かな作業をこなして時間つぶしになる、という日々が続いた。
ちなみに、これくらいの時期に、恐らく俺と似たような状況に置かれた人間があと2人いて、その2人は同じくらいの時期に退職していった。その2人が、最後に見た退職した人だと思う。
そのまま1年半が過ぎ、ようやく進み始めたメインで振り分けられるはずだった案件がちゃんと進み始めて、やっと「仕事してる」と実感できる毎日がやってきた。しかし、それも長くは続かなかった。
何か言ってもまったく響かないので、発言する気力も失せてしまった。
そして、どう贔屓目に見ても競合他社と比較してまったく競争力のないものであることは明らかなのに、予算もないし納期が決まってるからと走り出してしまう案件。
気がついたら、予算がないからと「協力会社」の一員みたいな立場を押し付けられていた。
立場の強い社内の人間が導入を検討していた「新しいやり方」を試す実験台としてその案件が利用されることになり、まったく慣れない内容に右往左往して、連日終電まで働く「協力会社」の面々と、俺。しかも、「新しいやり方」の導入準備で作業開始が1ヶ月くらい遅れてるんよ。
わざわざ仕事を面倒に作り変えたり、定例ミーティングと称した「みんなで考えよう会」みたいなのが毎日2~3時間あったり。スケジュールも毎日のように引き直されて。
若い頃は月間残業200時間だろうがなんだろうが平然とこなしていたけれど、信頼関係もなくモチベーションも薄い状況では無理だった。じわじわと体力を奪われ、毎日「トラックに轢かれたら楽になる」みたいなことを考えていた。
軽口で嫁にそういうことを言ったら、酷く怒られた。そんな軽々と命を捨てたい人とは将来を考えられないって。謝って、許してもらったけど。深夜に帰ってきてテレビ見たらちゃんと笑えたし、クソみたいな状況に対する怒りの感情もちゃんと持ててたし、カジュアルに心療内科行って話しても大丈夫らしかったから、鬱じゃなかったとは思う。
連日終電ギリギリで、さすがにちょっと疲れたから適度にキリ良いところで22時くらいに帰ろうとしたら「こんな時間に帰られたら困る」みたいなことをプロジェクトマネージャー的な人が言ったのは笑った。クソが、死ねと思った。
そのことで口論してたら、その隣のソイツの子飼いが机蹴飛ばして出てったのには笑った。バーカ、死ねと思った。
そうこうしているうちに完全に納期に間に合わないスケジュールになって、それでもうちの会社(=協力会社にとってのクライアント)に対して「間に合わせるのが私達の仕事です」とか言って俺とPMの部下に過剰な長時間労働させてたのはゴミだと思った。間に合わないなら腹切るのがお前の仕事だろ、部下にしわ寄せしてるんじゃねえ。
あまりの横暴だったので、さすがに付き合い切れなくなって「案件から外してくれ」ってうちの会社の違う人に頼んだら、「私も酷いと思うから改善するように言っておく。もう少し付き合ってやって」という結論に達したので、結局リスケ1週間も含めて土日終電まで付き合って、燃え尽きた。
んで、しばらく後に「あの状況は酷かった」みたいな話を直属の上司に話をしたら「お前がひっかき回したから酷い状況になったんだから、受け入れて当然」みたいな話になってた。あ、責任おっかぶせられてた。
そういう感じで出来上がったモノからは、当然利益はほとんど上がっておらず、依然として赤字垂れ流し状態。「納期短縮」「コスト削減」を標榜して導入された「新しいやり方」も、結局作業開始を遅らせただけで、その案件で継続して採用されているわけでもなし。
職場内の人にも、メインで担当する案件にも良い塩梅で幻滅しつつも、売り上げの悪いのをなんとかしたいと思ってはいたので、その後も改善案出したり細かな実働部隊のサポートでなんとかならんものかと、奮闘とは言えずとも仕事を続けていたわけなんだけれども。
結局、担当案件も将来に渡って黒転する見込みが見えず、方針もあやふやだし周囲にもやる気が感じられないという状態なので、ここ数ヶ月じわじわとモチベーションを削られていった結果退職を決意することにした。
「仕事は自分で作れ」みたいなことを散々上司は言ってたけどさ、それなりにやってた自負はあるけど限界はあるし、そもそもこの状況で自分で仕事作って意識高くバリバリ働けるようなスーパーマン、俺の知り合いにいるけどトップアスリートのような鋼の男だぞ。豆腐みたいなメンタルの俺には無理だわ。
いや、そういうスーパーマンになりたいと思う心はあるんだけれど、この3年間で何度「なろう」と決意しても無理だったんだわ。
周囲はまったくそういった仕事のしづらさみたいな素振りを見せてないし、この業界には珍しく21時にはデスクほとんど空だし、平穏無事に楽しい仕事ライフ送ってるんだろうなとは思うんだけど、俺には無理だったってことなんだろうね。
書いた文章読めばわかると思うけれど、自分自身が十分なクズで世の中をナメきってるところがあるのは自覚してる。
20歳くらいの時に別れた彼女から最後に言われた言葉は「貴方みたいな自分勝手でわがままな人は、一生一人で生きていったほういい」だったっけ。
スーパーマンどころか、どうしたら真人間になれるのかわからん。
考えていることはあるんだけれど、言い出せない。「言い出せない」が「言わなくてもいい」に変わって、後に「言うべきではない」に変換されている。
それが積み重なって「何を考えてるんだかわからない」「何も言わずに勝手に何かを始めている」に変わって、自分に跳ね返ってくる。
あとは「自分の都合、気分が最優先」なのがいけないんだろうな。自分以外の幸せを本気で願わない限り、真人間になれないのかな。
嫁さんとの間にまだ子供はいなくて、自分の子ができれば変わるかなと思ったけど、たぶんこのままじゃ変わらないな。
不幸な結末になる前に、なんとかしないと、とは思ってるんだけど。
私は、ずっと IT 技術者として飯を食ってきたが、仕事が楽しいと思うことがあまりなかった。その原因について考えてみる。
私は、中学生のときにプログラミングを始めた。いまは40代なので、だいたい30年前からプログラムを書いていることになる。ただ、中学時代の私は、とんでもない「ぼっち」でプログラミング話で盛り上がれる友達がいなかった。しかも、書いていたプログラムも、開発ツールというマニアックなもので、ゲームとか楽しげなものに関心があまりなかった。プログラミングをすることは、ある種の修行のようなもので、決して楽しいことではなかったし、またそれは自分にとっては社会的な孤立の象徴であった。
社会人になった後、ひょんなきっかけで、IT業界に足を踏み入れ、気がついたら職業プログラマになっていた。才能があるのかどうかは不明だが、子供の頃からプログラムを書いてきた私は、まちがいなくデジタルネイティブであるとは言える。まあ、とにかく、コードを書くことを覚えるのに時間はかからなかった。
ただ、私はどうにもチームで仕事をするのが苦手だった。ITの仕事は、調整が多い。仕様変更は日常茶飯事だ。厳しい納期の下、ソースコードに変更を次々と加えるのはリスキーな行為で、関係者に深い信頼関係がないと、人間関係がギクシャクする。
私は、プログラムを書き始めた時、ぼっちであったので、「プログラミング=独りの作業」という思い込みがあったのかもしれない。それがゆえか、ソフトウェアの設計等に関して、他のプログラマと調整したり妥協したりすることが非常に難しかった。自分がいちばんうまくやれる、という思い上がりもあった気がする。そういうわけで、人間関係が険悪になることが非常に多かった。
最近のいくつかのプロジェクトで、喧嘩別れに近い体験をいくつかしたために、プログラミングの仕事をすることにトラウマに近い思いを抱くようになってしまった。
しばらく仕事を離れて休んでみて、いま思うのは、もうちょっと自分が柔軟になれないだろうか、ということだ。答えは決して一つではないはずだ。もう少し、他者の意見を尊重できる人間になりたい。そしてプログラミングの仕事をもっと楽しめるようになりたい。
プログラミングは、人間とコンピュータの間を取り持つ作業で、コンピュータのもつ潜在能力をこの現実社会で開花させるという重要な仕事である。時には、コードが社会を変えることもある。そういう意味でやりがいがあって然るべき仕事だとは思うんだよね。いまの私の課題は、この仕事をストレスをあまり感じずに楽しむことだ。
いったいどうしたらいいんだろうね。ペアプログラミングでもやってみるといいのだろうか?
賠償でなく「謝罪」というのは、そもそもコレで終わる話でもあるわけです。
国家単位であれ個人単位であれ、謝罪ってのは、相手がそれをもってその問題を決着させるという確証なしにやっちゃ駄目なんですわ。
どんなに自分に非があろうとも、相手が決着させる気がないのならば絶対に謝罪はしちゃいけないし、日本以外の殆どの国が実際そうしてきた。ほぼ全ての欧米諸国はかつての植民地に謝罪も賠償も一切していないし、アメリカも原爆投下を日本に謝罪してないでしょ。
特に慰安婦問題に関しては両国の信頼関係が完全に崩壊してるんで、もう解決は少なくとも俺らの世代が生きている間は不可能と割り切るしか無い。
仮に韓国が本心から日本の謝罪を求めるのならば、「次の謝罪でもってこの問題は決着とする。以後我々はこの問題を蒸し返す事も、謝罪を再要求する事もしない」という姿勢を見せるしかないが、韓国側は日本側にそれを信用させるのはもう不可能だろう。そもそも韓国側にその気がないしな。
前記事
http://anond.hatelabo.jp/20130909165612
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(追記)
前記事のコメントで、理想論乙だとか、実践は無理だという意見が多かった。相手を信用せずに結婚を決める人の多さに驚いた。信用していない人との結婚は本当に幸せなのだろうか。
一方で「信用が大切だなんて、当たり前のことすぎて記事にする必要なし」だとか「難しく考え過ぎ」というコメントも多くあった。
自分も当たり前のことだと思っていた。だから前記事の内容は特に考えてやったことではない。自然とやっている人は沢山いるだろう。でもこの年になって、自分の当たり前と、他人の当たり前は違うことを知った。
結婚というテーマで悩んでいる人は沢山いる。自分もよく相談される。そこで、考え方のひとつの提案として前記事を書いた。
ただ、もし今回の記事を読んで「こんな結婚生活をしてみたい」と思う人がいるのであれば、是非前記事の内容を参考にしてほしい。
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付き合い始めて、ふたりで最初に決めたことが「不満は小さなことでも正直に話し合おう」ということだった。「ギブアンドテイク」の話もよくしてたっけ。
何度も衝突した。危機的な状況にもなった。
「嫌だったら、別れればいいじゃない」と友人に言われたこともある。
でも自分は相手と一緒に居たかった。ふたりの幸せな未来のためにケンカした。
その時点では理解し合えなかったこともある。
そういうことは解決を先延ばしにした。それよりも一緒に居たかった。
共にする時間の中で、何度も対話を重ね、問題は解決していった。
解決した瞬間なんてわからない。気が付けば解決していた。
その度に前よりもっと相手を信頼するようになった。
一瞬でお互いを理解できるわけがない。自分たちは時間をかけた。話し合うことを諦めなかった。
信用できると思って選んだ相手だからこそ、時間をかけることができたと思っている。
いつの間にか自分の相手に対する信頼は大きなものとなっていた。
だから、普通だったら嫌われるんじゃないかと思えるようなことも言えた。相手が一番言ってほしくないことだ。
やはり、これが自分たちにとって一番の危機だった。
相手は憤慨した。でも、聞いてくれた。
十数年たった今、相手はその時のことをよく笑って話す。
「あの時はほんとにムカついた。でもあれがなかったら自分は変われなかった。あの頃の自分より今の自分が好き。」
「相手にもっと自分を好きになってもらいたい。こうしたら相手はもっと自分のことを好きになってくれるかもしれない。」という気持ちひとつで取り組んできた。もちろんその改善も十年近く時間がかかっている。途中何度もへこたれながら努力してきた。
やはり改善した瞬間なんてわからない。気がつくと改善していた(まだまだだとは思うけど^^;)。「昔はこうだったよね〜。今の方がいいね。」とよく笑われる。
子供が産まれ、ふたりに降りかかる困難は自分たちのことだけではなくなった。
でも、どんな困難がきても、夫婦で一緒に向き合い、話し合い、解決していった。
昔から比べ変わったことといえば、
ちなみに、趣味の違いは得意分野の違いに発展している。
子供が産まれてからは、夫婦が異なる守備範囲を持つことは重要だと感じている。
子供を含めた自分達一家に降りかかる困難に対して、自分の力では解決できないが、相手が難なく解決できたというエピソードが幾つもあるからだ。
毎日が安定していて、余計なことに気を揉まずにいられる。安心できる。
毎日ふたりで笑って(子供たちも一緒になって)、毎日幸せを感じている。
これは付き合い始めにお互い真剣に向き合った成果だと思っている。
相手と共に紡いできた信頼の綱はあまりにも太く、こんな綱はもう他の誰とも紡げない。この綱を大切にしたいから、自分はこれからもけして相手を裏切らない。
自分を信用してくれた相手、裏切らないでここまできてくれた相手。
墓まで一緒に居たいと思う。来世があるのなら、また一緒になりたい。
どうして結婚したの?と聞かれたら
「失業して何もなくなっても、バイトから始めて立て直そうと言ってくれそう」
といつも答えている。
http://anond.hatelabo.jp/20130909165612
自分に何もなくなっても、一緒に未来を向けると信頼している。だから結婚した。
なぜそう思えたのかといえば、嘘をつかない。隠し事をしない。不満があればきちんと伝える。を自分がしていたから。相手が頼りにしている言ってくれたことを信用できたから。
得てして、スペックで探す人には、スペックで探す人が集まるし、
信頼関係を結べる人には、似た人が集まっているので、会わないことも有るのだろうが。
自分の友達周りだと、信頼出来る人を見つけて結婚していっているね。
そういう男同士で集まっても、不倫とか浮気の話題すら全くでないし。
あの俺のほうがモテるぜトークをしなくていいいのは、非常に楽だわ。
http://anond.hatelabo.jp/20130910182250
結婚相手を選ぶ基準は、信用できる人間かどうかだと思っている。
でもそれを基準にしている人が少ないことに最近気がついた。
外見の好みや、一緒にいて楽しいかどうかや、話題が合うかどうかなど、選ぶ基準には色々あるが、その前に、その人が信用できるかどうかでフィルターをかけてはどうか。
信用できるかの判断は、
もちろん、相手に自分を信用してもらうことも必須だ。ギブアンドテイク。だから、
結婚すれば皆幸せな生活を送っていると思っていた。しかし、夫婦間が上手くいっていない家庭が結構多い。
相手を心底信用できていない、のが原因の一つだと思う。
信用できる人を選び、お互いを信頼して生活をする。それが幸せな結婚生活だと思う。
結婚してから信用できないことが出てくるんだ、というトラックバックをもらったが、
信頼とは、細い糸を寄り合わせて、太い綱にするのと同じだと聞いた事がある。
結婚生活の中で、細い糸を寄り合わせるように、少しずつ信用を重ねていく。だんだんと、ちょっとやそっとじゃ切れない太い綱のような信頼関係が築かれる。
裏切りは糸を切る。たとえ、その時に太い綱になっていたとしても、裏切りはナイフのように綱を削りボロボロにする。
では、裏切りとは具体的に何か。
また、最初は糸のように細い信頼関係を、綱のように太い信頼関係にするためにはどうするか。
相手に対する不満は、ほんの小さなことでも伝えた方がいい。小さな不満をためこむと、いつか大きな爆弾になる。
いくら信用した相手と結婚したとしても、その生活の中で相手に対する不満が生まれるのは当然だ。
信用できる相手だからこそ、自分の不満を聞いてくれるはずだし、一緒に向き合ってくれるはずだ。
素の自分を見せたら嫌われるかもしれない?
相手の不満なところを指摘したら嫌われるかもしれない?
あなたがそう思うのなら、それはあなたが相手を信用してないからだろう。
逆にもしあなたが相手にそれをされたら、相手を嫌いになるのか。
その人と生きていくことを決めたのなら、たとえ嫌な一面が出てきたとしても、そんなことで嫌いになってはいけない。
相手の欠点を、相手の幸せのためにふたりで協力して改善するんだ。もちろん自分の欠点は相手の幸せのために改善するんだ。
本当に幸せになりたいのなら、其れ相応の痛みは必要だ。ケンカにもなるだろう。自分の欠点を治す努力は大変なことだろう。
でも生涯の伴侶として心底幸せに生きていくには、これを乗り越えなくてはならない。これを避けて通るのなら、其れ相応の幸せしか手に入らない。
信用している相手と、お互いの不満について話し合い、お互いが改善する。
それは辛いことかもしれないが、それをするたびに、信用の糸が一本ずつ寄り合わさり、太い綱へと近づいていく。
「結婚したら、お互い信頼し合いましょう。自分はあなたを裏切らない。あなたから逃げない。お互いの不満は伝えて、改善するために一緒に努力しましょう、ふたりの幸せのために。」
この約束を破りそうな相手なら、結婚しない方がいい。そもそも約束なんて守りそうもない相手なら、結婚しない方がいい。
つらつらと書いたが、この記事のようなことをテーマにし、相手と話し合ってみるのもお勧めする。
自分はどう思うか、相手はどう思うか。
私のもとにも招待が来たり(どう頑張っても学校あって行けないけど)、
お世話になっている(人生の)先輩方が拘っていらっしゃったり、知り合いが登壇していたりと、結構身近だったりする。
けれども、もし参加できたとしても…参加しないかなあと思うのです。
理由を書き連ねます。
①人混みが嫌い
これについては、1000人も人がいるところに乗り込む勇気がないっていうだけ。
②なんとなく違和感
講演だけだったら、個人的にはかなり魅力的。
山崎亮氏や西原正氏など、著書に触れていたりインタビューを見ていたりするから。
”NLM2013には様々な地域、分野を超えた仲間が集います。東北、東海、関西に九州。
10年後20年後の未来を共に創りあげる、全国1000人の仲間たちとつながる場を提供します。”
同じ場所にいるだけで、つながるってことなのかな??
ワークショップ構築の技法とか見ても、大人数での意思疎通&理念共有って難しいんですよね。
ワールドカフェとか、タウンミーティングとかありますけど、これは意見を集約するためのもの。
信頼関係を築き、以後も続く繋がりと作るのであれば、みっちり合宿したとしても30人くらいで限度なのでは…。
クラスの人達と皆で何かやるときだって、結局は全員で団結って見せかけて団結してないヒトはいる。
それと同じこと。
NLMの理念が、「新たな価値観に出会う」や「新たな分野に興味を持とう」とかだったら何も言うことは無いのかもしれない。
今のままの理念であっても、人数が小規模だったら価値があったのではないかとも思う。
1000人集めることが出来るのは、本当にスゴイと思う。
参加する人たちも、きっとすごい人がたくさんいるのだろう。
でも、1000人集まれば、そりゃあ大したこと無いのに、自分を過信し勘違いしてる人も居るだろう。
講演やディスカッションが「勘違いを治す場」になれば良いのだと思う。
逆に、1000人が皆で勘違いしたまんま突っ走れば、「リーダー」なんて生まれないだろうな…
フォロワーとしての立場をきちんと務めることが出来る人も重要だ。
リーダー至上主義的な流れが、進まないといいなあと思いつつ、話をまとめたい。
私だったら行かない、と言っているけれども、NLMの運営の方々の中には尊敬している方もいる。
結局は、お互いが刺激し合える良いイベントになるかは、運営の方々の手腕だろう。
でも考えなしに院いくやつは結構多いんだよ。というか実際多いじゃん?
「きょうび院に行かないとまともな就職ないからー」とか嘘か本当か疑うようなこと言ってさ、シューカツの噂話真に受けちゃう子なんてざらにいるじゃん。
これはそうなんだよね。
で、「院に行かないと」ってのは、単に自分の大学の院に、ではなくて、そこそこの大学からなら東大ですら簡単に入れてロンダできちゃうのも大きいんだけど。
そこそこ、ってホント、Fランとか言われる以外のとこからならどこからでも来れるじゃないの?ってくらい。
で、それで基礎学力低いまま来て、最初の半年は授業で単位取るのに精一杯で、後半から就活に入って、んで、2年の夏くらいに就活終わって修了するために研究させろ、って。
そうじゃなくても最初まじめに研究しようってんで入ってきても周りとのギャップにすぐ打ちのめされる人は多いけど。
だからまあ、修士の試験というか、人数とかちゃんと絞って選択する様にすべきなんだよね。
東大も京大見たく、学部より人数絞って内部の人間すら当たり前に浪人するようなくらいにすればよいのに(それは厳しすぎるかもしれないけど、少なくともトントンくらいになるように、そうすれば外部で優秀な奴がいれば
内部で怠けてたヤツは落とされるし、調度良い)
だからさ、対立して病んでいく子ってさ、自分の求めていたもの以外を与えられて求められてる子なんだよ。
つまり、そこで対象にされている "レベルの低い学生" をいかに導けるかが、教育者であり、ラボマネージメントの一部じゃないのかなと思う。
まだ学生だった時に、教授陣と話してたら、「就職コース」と「博士進学コース」ってのを分けて運営したい、って話してた。
もう、「取り敢えず修士」って人は就職コースで、授業だけ受けて研究室には属さない。その代わり授業料を上げる。
勿論、就職活動とかいくらでも自由で、時間が自由に使える。修論も授業の単位さえしっかり取れてれば適当でOK。
博士進学コースはまじめに研究室に属してある程度拘束する。修士論文の審査も厳しくしてちゃんと結果を出さない限り修了もさせない。その代わり授業料下げる。
ま、授業料云々は別としても、もういっそそうやってコース分けして、どうでも良い奴が研究室に来るのを避けたい、と。
でも、そんな冗談(?)も叶うわけでもないので、何だかんだ言いながら、そういう学生になんとか対処しようとしてるね。
一番の大きな変化は、前は大声で怒鳴る事も当たり前だったのが、今は一切しなくなったこと。
今は、そもそも「お客さん」感覚で怒られることを不条理にしか感じない人が多いし、それで訴えられようもんなら教育者として終わっちゃうから。
なんか、ホント真面目に、教授会とかで、絶対に怒ったり強く言ったりしてはいけない、って指示される様になったみたいで(増田さんとこもそうかもしれませんが)。
後、自分の時がそうだったけど、修士論文審査の時に、審査の先生たちに、君は博士行くのか?ってのを聞かれて、行くならちゃんと厳しくやるね、って結構まじめに言われた。
俺も院生のころはそんな考えで、同期の甘い学生にイライラしてたけどさ。
でも考えなしに院いくやつは結構多いんだよ。というか実際多いじゃん?
「きょうび院に行かないとまともな就職ないからー」とか嘘か本当か疑うようなこと言ってさ、シューカツの噂話真に受けちゃう子なんてざらにいるじゃん。
でさ、教える立場になるとわかるんだが、そんな考えなしに進学して、就職したいだけの子に、「正しい研究者の姿」を説くことになんの意味があるんだろうと。
研究のようなものを通して、少しでもこの子の人生にプラスになることはなんだろう、それが学べるテーマはなんだろう、って考えてやらなきゃいかんのよ。
どうせそんな子の出したデータ信頼していいのかわからんし、研究だけで押し付けたって結局意味がないんだよな。
だからさ、対立して病んでいく子ってさ、自分の求めていたもの以外を与えられて求められてる子なんだよ。
つまり、そこで対象にされている "レベルの低い学生" をいかに導けるかが、教育者であり、ラボマネージメントの一部じゃないのかなと思う。
そうやってやる気になってもらって信頼関係を築ければ、彼らの出すデータも生きてくるかもしれない。
ま、馬鹿にするだけは簡単なんだけど、ことはそう簡単じゃないと思うよ。
実際多いんだもの、そんな子。
大筋納得してもらえたみたいでよかったです。
「英語でのビジネス取引を仲介するサービス」への反論については俺はこんな風に考えてるよ。
ちなみにここまでくると完全に元増田の話題からは外れるし、しかも俺ココらへんは完全門外漢だからね。
俺がもしそういうサービスやるなら、あるいは発注するならこんな感じかなという感覚で書いてみただけなのでよろしく。
反論1) 日本の英語教育は何十年も前からあるのに今さら英語話者は増えんだろ
ビジネスニーズが高まれば増えると思うよ。これは門外漢の俺でも断言できる。ビジネスニーズが高まれば間違いないです。
「仲介バイヤー」って「英語でのビジネス取引を仲介するサービス提供者」のことだよね。長いから「英語代行」にしようか。
で、英語代行とて自分たちが食える値段で仕事を受ける。当り前の話だよ。
そのことと「Web制作はオーダーメイドだから安くできない」て、関係なくない?
誤解してるのかな?英語代行業者にWeb制作なんてやらせないよ。Webの知識あれば超ウレシイし追加料金払ってもいいくらいだけど餅は餅屋だよ。
これはね、日本人に出すと40万かかる仕事が、英語代行に1案件8万、中国制作会社に12万、合計20万で済むんじゃないかとか、そういう話を俺はしてる。
単発仕事なら1/10でも、案件まるごとの発注だからこのくらいになるかと。もしこれ以上になると海外アウトソースのメリットはなくなっちゃうね。
ただ最初は数十万レベルの案件で実績積んで互いの信頼関係構築してより大きな仕事を発注できるといいけど。
現地語ネイティブで日本語ペラペラなら最強だけどそういう人は強気の価格設定してくると思うよ。
いずれにしても前述のとおり代行にはしっかり金かけないと。ここは制作でコスト削減する分のリスクヘッジだから。
そこでカネかけてでも中国、東南アジアに仕事出すのはコスト的に有りかも・・・っていう話です。
英語代行ってググると今でも結構あるんだよね。今後市場拡大するのかどうか。
Web制作者としての狭い観測範囲の中ではニーズはあると思ってて、他のいろんな業種でもそうならビジネスとして成り立つよね。
いやいや、そもそも信頼の中には不貞行為をしないってのも含まれてるわけだし、「二人の関係ってその程度のことで壊れるようなくだらない物」ってのは、不倫した側が不倫した時点で壊れてるんだよ。それが全然平気、ってのは、信頼関係があるんじゃなくて、そもそもお互いにまったく信頼関係がないからそれ以上減りようがないってだけ。
信頼ってのは手放し、無条件で成立、維持されるものじゃない。お互いに信用されるような人間であろうとしてはじめて成り立つもの。その努力を怠ったり、実際に信頼を裏切ってるのに、「俺を信頼しないとは何事だ」って言うのは、DV的な考え方そのものだよ。
お互いの関係は、不倫後の喧嘩で壊れてるんじゃない。不倫した時点で壊れている。その後できることは、関係を精算して別れるか、壊れた関係を再構築することだけ。
関係者の明記をしていなかったので、罪悪感を持った相手に誤解させてしまったスマヌ。
どうしたって、会社Bは自分と会社Aのせいで迷惑を被ってる訳で…罪悪感を持たない訳にいかない。
本当に本当に、いい人達いい会社だと思ったよ会社Bは…だから断るのは勿体無いと何度も思った。
今だって、これからこの会社で働けるのかと思っていた面接の時間を思い出すだけで辛くなる。
会社Aに対しては募集と違って賞与が出ないことも不満だけど、無職の自分を会社Bの面接に強引にブッキングして
受け入れが決まってから雇用条件を出して賞与が出ない、その理由が「売上が低すぎる」だったのに呆れ果てた。
会社B勤務では賞与を貰う事は出来ないのか?と聞けば、営業のその場しのぎだろうけど「可能性はある」という。
どんな条件を満たせばよいか?と聞いたら「貴方の技術力が上がった時」だという。
全く意味が判らないと思った。
会社Bから信頼されて在籍し続けるように頑張る事じゃなく、あくまでも単価をあげなければ駄目というのだから。
売上が低いままでも、受け入れ先の企業と信頼関係を築いてる事を評価して社員の士気を維持しようと思わないのか?
売上が低い社員、給与が低い社員だからこそ賞与を出すことに意味がある事が判らないのか?
自分が会社Bに長期在籍できれば、あとは営業が単価交渉を成功させればいいだけじゃないか。
営業が交渉のテーブルにつくためには、社員の士気を高く保つのが最優先だと判らないというのが信じられない。
会社Aのブラック企業ぶりに対する怒りよりも、「この会社に未来はない」という思いが強かったので
数日前、20年来お世話になっている某メーカーAV監督の作品を見ている最中、
たまたまボリュームを大きくしたところ、女優が喘ぎ声とともにこんな話をしているのがうっすらと聞こえてきた。
「監督が優しい言葉をかけてくれるから安心して体を任せられる」
「彼氏に帰ったらまた殴られるかもしれない。どうしよう?」
「気持よすぎて余計なことを話しちゃった。気持ちよくなることに集中します。ごめんなさい」
「私の家が貧乏だって話しちゃったから、もう1本撮影するって言ってくれた。ありがとうございます」
これらは女優の「セリフ」ではなく、男優と絡んだり愛撫の快感に身を捩らせているとき、喘ぎ声とともに発せられる「本当の声」なのだった。
監督はそういった女優たちのリアルな悩み、撮影時の不安を取り除きながら撮影を進めているのである。
ところがこの監督はさすがにベテランだけあって、かなりボリュームを上げてもボソボソとしか聞き取れず、ボリュームを上げてもノイズにかき消されてしまう。
おそらくマイクが拾わない最小限度の声量で、囁くように話しているのだろう。
なぜなら、女優たちの話は相手が必要な会話形式のつぶやきが大多数を占め、女優たちの声や反応だけを聞いていても、ある程度の会話の流れを読み解くことができるからだ。
そうしていくつかの作品では、撮影中にもかかわらず監督の優しい気づかいに感動のあまり涙したり、監督の真意を理解した女優が突然喘ぎながらも「いままで失礼なことばかりしてごめんなさい」と謝ることさえある。
このメーカーに出演している彼女たちはもちろんAV女優だったり、以前から監督の知り合いの素人だろうと思われる。
売れっ子ならまだしも、企画レベルの作品に出演してAVを引退した女優を口説き落とし、1本だけの再出演をさせてしまう、
などというウルトラCは、ネームバリューやツテがあったとしてもほぼ不可能だろう。
彼女たちを心からリラックスさせる(話の内容によっては撮影後に時間をとって相談を受けるそうである)監督の存在ではなかろうか。
もちろん「抜けなきゃAVじゃない!」「女優のプライベートに興味ない」という方もいるだろう。
もしかしたら大多数の男がそうなのかもしれない。
けれどこの監督は女優たちとの信頼関係を築き、安心して体を任せられる相手だからこそ様々な素顔を監督に、カメラを通じて私達男性にも見せてくれる。
「女の子が快楽に身を沈めて(快楽の定義は十人十色だが)いく姿を追い続けた記録映像」がAVだと考える自分にとって、20年目であろうがなかろうがこの発見は本当に驚いた。
ネットで調べてもココに書いたような事に触れたレビューはひとつもなかった。
また当該監督のインタビュー記事等もあたってみたが、やはりここで書いたようなことには一切触れていない。
断片が見えれば見えるほど全体像がぼやけていくような不思議な感覚だけれど、知ってしまった以上誰かに伝えたかったのだ。
最後にここまでの話を読んでメーカー名、監督の名前にピンときた方は是非とも一本手に入れて欲しい。
この監督ほど女優への対応、撮影内容が長年に渡ってブレないというのは驚異的ですらあり、ツボに入れば動画データではなく、DVDを収集したくなる魅力に溢れている。
そして作品を手にすることができたらヘッドフォンをしてボリュームを上げ、出演している彼女等の喘ぎ声に紛れ込ませた言葉に耳を傾けてほしい。
これまでのアダルトビデオに対する見方がガラッと変わるような、衝撃的だったり刺激的だったりする話がはちきれんばかりに詰め込まれているはずだから。
6月24日追記
幻聴だ妄想だチラ裏だと鼻で笑われて終わり。と思っていた初の匿名ダイアリー投稿記事が相当数の方々に読んでいただけたことに驚き、有難く思います。
ここに書かれたことを一笑に付すのは簡単ですが、思わず手を止めてしばらく画面に食い入ってしまったほど衝撃を受けたことは間違いなく、
耳を疑って何本もの作品を見直し、聴き直してのことなので「聴こえた」としか言い様がないのです。
また、これだけ多くの方が興味を惹かれているというのは、真っ向から「嘘だ」と決めつけられない、なにか後ろ髪を引かれるようなものがあったのではないでしょうか。
Twitterで二村ヒトシ監督に事の真偽を尋ねていた方もいらっしゃいましたが、二村監督もこの投稿内容を頭から否定せず「自分ではなく代々木忠監督ではないか?」といったような見解を示しておられました。
さらに「聞こえたような経験がある」とコメントくださった方も、ごく僅かですがいらっしゃいました。
ただこれだけ多くの方に読んでいただいたにも関わらず、AV業界関係者の方からのコメントは前述の仁村監督以外にはなく、
もしかしたら本当にAV業界の(ごく一握りのメーカーにとって、ですが)タブーなのかもしれません。
なのでどのメーカーなのか、監督なのかは明言せず、いくつかのヒントをお伝えするに留めておきたいと思います。
メーカーはアダルトビデオ黎明期から存在しており、当時革新的といわれたスタイルはいまや多くのレーベルがリリースするジャンルにまで成長しています。
そのスタイルの生みの親とも言える監督はすでにリリース作品も絶えて久しく、現在は引退同様の状態だと思われます。
毎月一定数リリースしていたので作品数は相当な数となりますが、2005年前後の作品が(シチュエーションにもよりますが)音質的に良好なものがあるようです。
今後この投稿に追記することはないと思いますので最後にひとつだけ。
私が耳にした女優たちの言葉はどのような内容であれ、監督と女優の信頼を深めるために発せられたごく自然なものであり
そのことに本来の目的である自慰行為さえ忘れ、感動したからこそ誰かにこのことを知ってほしいと投稿をしました。
このケースで言うと、すんげぇ要件定義がしっかりしてて、
もうこれ以上工夫の余地が無いようなワイヤーを、今まで一緒に仕事した事が無いWebデザイナーに送りつけたんだろうぜ。
そういう依頼を受けた際に、Webデザイナーは多分
俺ほとんどやる事ねーじゃん。提案しようにもここまで要件定義しっかりしてんなら、
ここまでいろんな経緯があっての事だろうから、俺が提案した所で無駄骨っぽいってか、
これを覆して提案するなら相当がんばんないと厳しいから報酬の割に合わないしなぁ。。どうしよ。。
あの人言うとおり作んないとOK出さなそうだし、とりあえずワイヤーにちょっと装飾施したもの出しとくか。。シンプルにって言われてるし。。
って思うと思うんだよ。
お前多分そういう風に思われてんじゃねーか。
自分の提案を受け入れてくれるような状況でもなさそうで、
お前に自分の提案を受け入れてくれそうとか、期待してそうな空気がないの。
まぁ、ホントはWebデザイナーが何とか信頼してもらおうと、割に合わないながらもがんばんないと、
相手も自分も不幸なだけになっちゃうからがんばらんといかんとは思うが、
まだ3年のペーペーだろ。中々難しいんじゃねーか。
前提条件:
X:理由を聞き出せず旦那と家庭内別居状態。Aにそれを話す
A:BにX家の話をする
B:Aの話を聞く
C:AとBの会話を聞いている第三者
AM1:00ぐらいに仕事仲間の女友達にメールで「ゴリラ」と送信したら物凄く怒られた。ゴリラと言ったのは初めてではなくて、日常的に言っており、たまにモノマネをさせたりする。普段は笑ってくれたり、モノマネしてくれたりする友達だか、今までにない口調で、電話にも応じてもらえず本気で怒っていると思った。ただ直接怒られたわけではなくメールで怒られたので、もしかすると、女友達の性格的に冗談で怒った振りをしているだけかも知れない。でも、本気で怒っているのに僕がふざけた態度で接すると、関係修復に時間がかかるし、これからも大切な友達として過ごしていきたいので本気で謝ろうと思う。
しかし、僕には「怒る」という気持ちが理解できない。女友達の怒っている原因はわかる。ゴリラという言葉は多くの人にとって褒め言葉ではないことも理解している。ただ僕は「こんなことぐらいで怒るの?」と思っている。僕は怒らない。昔は怒ったこともあったけど、今は絶対に怒らない。イラっとすることはあるが、特に怒ることもなく流し次の日にはどうでもよくなっている。なので怒るまでイライラが溜まらない。そのせいかどうかわからないが、僕は人が怒る限度がわからない。だから言い過ぎてしまったんだなと思う。
また今回の問題を招いた僕の性格の欠点として面白ければ何でもいいというものがある。一応、自分なりのルールとして、相手が本気で気にしていると思うことは弄らない、相手が楽しんでいなければしないということを心掛けている。僕も心底悪い人間ではない(と自分で思っている)ので、流石にそれは心が痛む。全然親しくもない人にゴリラとか言わないし、極々普通に接する。接していく中で、相手のことを知り、キャラ(人格?)を判断し、大丈夫だと思ったらそういう発言をしていく。そんな風に心掛けているが、多少の無茶でも面白そうだとやってしまっているんだなと思う。過去に何度かこの性格を直そうと試みたことはあったが、誰かを弄りたいという衝動や面白そうという好奇心をどうしても抑えきれない。僕はこの価値観を押し付ける気は一切ないが、今回、僕が面白がっていたのはもちろんのこと、女友達も面白がってくれていると勘違いし、僕の価値観を押し付け、僕だけが楽しんでいたのかも知れない。
先ほどは女友達の怒る原因がわかると言ったが、ゴリラに対して怒ったのか、ゴリラはどうでもよくて真夜中のくだらないメールで睡眠を妨げられたからなのか、日頃の僕の言動に対してイライラが爆発したのかわからない。全てかも知れない。これからはゴリラでは弄らないにしても、また別のモノを見つけて弄るかも知れない。この僕の性格は死ぬまで直らないと思う。だからこんな僕でも大抵のことは許してもらえるようにもっと信頼関係を築いていかなければならないと思った。ある意味、体罰問題に似ていると思う。自分は信頼関係ができていると思っていたが、相手からするとさほど信頼がなかった。自分は本当に相手の為を想って殴っているのに、相手からすると「こいつは自分のストレス発散のために殴っているんだ」となってしまう。信頼されていない。もし相手が自分を信頼してくれていたら応えてくれるはずだ。訴えるなんてことにはならないはずだ。信頼関係がなかったから訴えられた。僕の場合は相手も楽しんでくれていると思っていたのに、楽しんでもらえてなかったと思う。訴えられるとかはないが、すっごく怒られた。だから僕はこの性格を補って余るぐらいの信頼関係を作っていかなければならない。それがこの性格との付き合い方だと思う。簡単に言うと恩を売りまくって多少のことは多目に見てもらう。信頼関係を再構築する手始めとして本当に謝罪しよう。
今読んでる本。
こういう家庭で育ったからこういう男と付き合ってしまう、という
いわゆるアダルトチルドレン的な話。
でも「私のことをすごく愛してくれるから」という点以外に魅力を感じられなかった。
心の何処かで相手を見下していたし、裏切るのも裏切られるのも平気だった。
夫は、冷たくて不誠実な人なのに、
どうして私にとって特別な人なんだろうってずっと疑問だった。
今まであんないい人たちにも、嘘を付くことに酷い罪悪感を感じたりはしなかったのに、
何故か信用ならない夫と信頼関係を築こうとしている自分がいる。
その答えが全部書いてあった。
私の母は2つ下の妹だけをかわいがっていた。
親としてやるべきことはだいたいきちんとしてくれていたし、
与えられる物や世話で特別差を付けられたりはしなかったけど、
愛情は注がれなかった。
子どもの頃の事を謝ってくれた。
好きな物や嫌いな物は、全部母と同じにした。
母の好きな酢の物、ほんとは私は好きじゃないって最近やっと気づいた。
こっちを見ない、信頼できない人と、
それがわかって、どうすればいいんだろう。
独身なら、それでいいと思う。
数年後には資格を取得して、経済的にいつでも自立出来る状態になる。
私が変わったら、夫も変わらざるを得ないかもしれない。
そうしたら今よりいい関係になって、うまくやっていけるだろう。
そうでなければ、変わった私から見たら、
きっといらない夫、父親になってしまうだろう。