はてなキーワード: 中二病とは
についてたブコメ
性犯罪は他の犯罪と大きく違うところがある。性犯罪者の性欲が非犯罪者でも理解できてしまうところだ。
多くの人間がさまざまな媒体で、性暴力や性暴力に繋がる行為の様子が描かれたフィクション作品を手に取り、性暴力の主体あるいは客体に感情移入して、時には自分の欲望を投影して、鑑賞することができる。
一方他の犯罪、例えば窃盗や殺人はどうだろう。そりゃあ、物語上のイベントとして描かれているフィクション作品は無数に存在するが、
窃盗や殺人のみを描き、その主体客体に感情移入して楽しむ作品ってのは、あるっちゃあるんだろうけど、少なくとも性暴力の描写を楽しむ作品と比べればかなり少ないはずだ。
性犯罪の報道に対して、加害者を擁護する意見がよく見られるのは、性犯罪の欲望を理解できる人間が多いからだ。
そして、窃盗や殺人の加害者を擁護する者が見られないのは、そんな欲望を理解できないから。
児童の虐待致死事件なんかだったら被害者への非難なんて皆無だろう。「あー、児童虐待してぇー」って奴居るか?
でも、口説ける見込みのない相手に対して「あー、あいつとエッチしてぇー」って欲望は多くが一度は抱えたことがあるだろう。
ただし、欲望を持つこと自体は悪いことではない。誰しも内心の自由がある。
悪いのは、それを現実におおっぴらにしてよいという風潮だ。
仮にこういうブログや掲示板などで殺人への憧憬を語れば、「中二病」「犯罪者予備軍」「通報した」などと非難や中傷的なレスポンスがつくが、
性的欲望を刺激する特徴や出来事を語れば、同意や共感、建設的な意見など、比較的肯定的なものが集まる。
性的欲望イコール性犯罪ではないが、本来同意を得た人間にしか向けてはいけないものなのだから、ほうぼうに広げてよいものではない。
ツイッターなんかでよく女オタクがプロフで年齢確認したり、エロを別の鍵垢に分けたりしているが、あれくらいの空気感がほしい
軽く勢いをつけて手すりに登ろうとしたけど、泣きすぎで力が入らなくてうまくいかなかった。
三回目のジャンプで親に手を引っ張られてよろよろと室内にころげこんだ。未遂の未遂くらいで終わってしまった。
希死念慮は昔からあった。小学生の頃からずっと。その度に「読んでいるシリーズの新刊が読めなくなるのは残念だから」とかなんとか理由をつけて先延ばしにしてきた。
リストカットはしたことがない。しようとしたことはあるけれど。小説で「手首を切ってもうまく死ねない」と読んだことがあったし、うっかり生き残ったら跡を誤魔化すのが大変そうだと思っていた。
高校生の頃、クラスメイトの今から思えばちょっとメンヘラと中二病が入った子と「どうしてもっと前に死んでおかなかったんだろうって思うよね、早く死にたい」と意気投合したことがある。私は表面的には今日も明日もハッピーです、という体をとっていたので、その数分間が私の学校生活で唯一希死念慮を表に出せた経験になる。
正直17歳くらいで自分は死ぬんだろうなと思っていた。酒が飲めないうちに死ぬのは惜しいなとも。
大学に入った直後高校時代よりも楽しく、開放的で、死にたいと思うことは少なくなった気はする。
それも居酒屋とホテルのバイトで疲弊するまでの間だったが。無能力感でバイト帰りに川を見て、「ここから飛び込んだら深さがないから頭から飛び込んでどこかに打って気絶して溺死かな」と考える日が続いた。
あまりにも仕事ができなかったのでADHDを疑い、通院が始まる。ADHDではないものの極度のあがり症と診断され、通院し続けるようになった。
その後いろいろあって至る現在。就職活動とストレス買いで作った借金を親に詰られ、死のうと思った。
ベランダから見る地上には全く恐怖を抱かなかった。履いていたスリッパを放るように脱いでしまったので揃えてから決行しようと思っているうちに止められた。
親にはずっと死にたいと思っていたことを泣きながら話した。親はピントのずれた返ししかしなかった。
自分の無価値感についても話したし、期待に添えない子供でごめんなさいと繰り返した。「そんな期待なんかしていない」と言われた。
飛び出すように家を出て、半日考えた。
私は「価値がない子供でもいいから生きていてほしい」と言われたかった。「死のうとなんてするな」と言って欲しかった。
親の期待やら何やらから逃れたくて、自分が親の思い通りに動く人形じゃないと証明したくて親が嫌がるとわかっているオタク趣味に夢中になったのかもしれない。でも結局逃れられなかった。親はそれを「正しい」方向にしようとし、私を「正しくない」と糾弾し続けた。
事実、借金してまで買い物をするのは異常なのだとわかっている。でも止められなかった。自分の無価値さから目をそらしたかった。
でも逃げさせてくれなかった。大学を自主休講したこと、就活を(私はそれなりに頑張っているつもりだが)頑張っていないこと、大学に行く時だけ電車に乗ると吐き気がすること(実際は楽しいことがあった後でも吐き気がするし、大学自体に恐怖心を抱いて家から出られなくなり、それを治療していたこともわかっているはずである)。
私はもう耐えられない。生きていくことに耐えられない。親に生きてくれと言われたら生きるつもりなんて、何でもかんでも親に依存しているのだろうか。でも親にさえ生きてくれと言われなかったらどうしたらいいのだろう。私にはもう、死なない努力をする精神力が残っていない。
カウンセリングにでもかかれば変わるだろうか。今更もう何もかもどうでもいい。
これから私は身辺整理をする。親が望む通りに物を減らして片付けをし、部屋を綺麗にする。
無駄遣いをせず私がしてしまった借金を返し、3〜50万くらいの現金を作っておく。
それが終わったらなるべく迷惑をかけない形で命を終えようと思う。
1年もあれば準備には十分かなと見積もっている。それまでに生きる気力が沸くようなことがあればその時考え直す。
簡単な賭けだ。十分な金を稼ぐまでに生きる気力が沸くかどうかの賭け。
考えてわかったのは「やっぱりもっと早くこの決断を下すべきだった」ということ。
せめて大学に通う前に決断していれば、私大の決して安くはない学費を親に浪費させずに済んだのに。そのお金で老後資金の足しにできただろうにと思ってしまう。
お父さんお母さん、お金と時間を私みたいな不良品に使わせちゃってごめんなさい。
息子は専業主婦の私をいつも見下してた
ネットの影響もあったんだろうな
それでも子供のためにと再構築するつもりだったけど、息子に
みたいなことを言われ、専業主婦をdisるのはいつもの事だったけど
浮気された時にこれはキツくてもう無理だと思った
それで旦那の慰謝料は養育費と相殺、浮気相手からは慰謝料もらって離婚した
離婚する時に旦那が息子との面会について決めようとしてきたので
「別にもう会わなくていい」
と言ったら息子が「えっ?」って泣きそうな顔してたけど
今更何だとしか思わなかった
ちなみに浮気相手は離婚したら子供は母親が引き取るものと思ってたらしくて
今息子から戻ってきてメールが来るけど全く心動かされないので放置してる
👮🏻
趣旨は上の通り。
自分がオタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。
ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。
オタク差別批判とか、ただの害悪でしかない。もうやめたほうがいい。
差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。
つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化や言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである。日本人ヘイトだの専用車両は男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんとベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃんと物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。
今まで自分が存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである。
そう視点を変えた方が、いろんなものが整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。
でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴だから足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子の彼女だからだったりした。
もちろんきっかけが「オタクだから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別や女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。
「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないから批判の対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。
なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタク」から流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。
わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。
いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。
そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティやニュースを通したもの。
それで思い出すのだけど、俺の中高時代はあんまりオタクがいいとか悪いとかいう意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。
じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。
だって、バラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間は学校にいるんだから見るわけがない。
金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンのホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。
テキストサイトが一世を風靡していたころ、オタクやオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画の感想サイトや、漫画やゲームをメインで扱う日記サイトでの話である。
何を言っているか分からない人もいるかもしれない。例えば、ラブひなやいちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんなものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイ。ホイッスルやミスフルやテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんなものに(ry そういう話である。この範囲は結構広くて、らんま1/2やH2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。
もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈で実例を挙げるの風評被害でしかないので避ける。俺の好きな作家や作品も混じるし。
テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品のスレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合系スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。
そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージが自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分はオタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクだからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。
ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクとマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑なものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。
これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。
ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画、リドミで上位常連の大手サイト、オタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化がそもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画やインターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーやバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。
本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。
これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。
オタクが差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。
それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別を行使する側の「集団」として機能してませんか、と。
腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者の権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。
趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記を尊重)。ゴルフや車などを老害の趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分と関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって「爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。
そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘や学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。
それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分を批判の対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別の案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである。
逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解や思想に共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。
つまり、オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。
C.R.A.C.の野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイートの応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまったからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか。野間氏の真意など知らないけれど。
そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子やフェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタクを差別している、という文脈で批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手の竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクヤママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女、本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。
そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。
10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言をすべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
当時はオタク系個人ニュースが全盛期。そういったサイトの管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログで擁護していた。
あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言や侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやりと邪推してしまう。
今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分に関係ないところでの言論の自由に興味がないかむしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動(別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。
そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクをバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別が話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。
オタクと差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。
反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別を煽り、偏見を煽り、強者に諂い(自分たち以外の)弱者を嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。
あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベット、フリー東トルキスタン。
残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベットや東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか。
こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうである。メディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものはオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。
もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。
ガキの頃からファンタジー小説大好きでダレンシャンとかエラゴンとかローワンシリーズメチャ読んでた
魔法とか冒険とか大好きだったいつも寝る前に妄想してドキドキしてた
中二の頃はお手本のような中二病で自分は悪魔と天使のハーフだと思ってたし眼帯つけて闊歩してた
大学なんとなくはいった まあ勉強したかったことあったし就職のことも考えて
いま社会人2年目 魔法も冒険もない たのしくない ただ仕事して寝て仕事して寝て 週末は遊んで
不幸なわけじゃない 会社もブラックじゃない残業ない有給取れる
仕事苦しくない大変じゃないはずなのにODがやめられない逃げちゃう薬に
買い物ばっかしちゃう いろんなもの買っても満たされない何しても楽しくない
魔法使いたいんだもん本当は
いい加減卒業しないといけないこの考えから でも無理ないちゃう
つまんない全部 全部自分のせい自分がつまらない人間だからつまらく感じるのはわかってるけど
だって別に成功したいわけでも幸せになりたいわけでもない欲しいものが何もない
魔法使いたいんだよでも魔法なんてないじゃん なんもないわマジで目標もクソもねえ
こういう冗長でわざとらしい書き方をする人って時々見るけど、どういうプロセスで生まれるんだろ。中高生に人気の作家かなんかでこういう書き方をするのがいるのかな。
それはともかくとして、ほんとにひどい文章。頭が悪そう。自分の書いてる内容を理解せずに言葉を並べてる印象。例えば「図や数式といったものをそのまま扱い思考を進めることが出来ない」ってどういうこと?2次方程式を解くときどうしてんの?想像だけで書いてない?ちゃんと経験をフィードバックして表現を精密化しよう。
「だ」「である」は統一しよう。あと多分わざとだと思うけど、陳腐な比喩を使うのは寒いし、鼻につくしでやめた方がいい。「ハムスター」とか「戦場」とか「悪魔」とかね。
元増田がツイッターに毒されているというのは確かになという感じ。ツイッターって一部の面白い人が創りだした言い回しとかネタとかを、つまんない人たちが形だけ真似して使って、つまんないのに「面白いもの」として扱う風潮があると思ってるんだけど、元増田が文章書く技術全然ないのに、小手先で文体いじってご満悦なのはそういう風潮に通ずるところがある。
でもこんだけ鼻につく点があると最早微笑ましくて嫌いじゃない。全身黒い服着てシルバーのアクセサリつけてるタイプの中二病に感じるのと同種の微笑ましさね。次回作にも期待してる。
・卒業後は、音楽イベント裏方、廃棄物処理業者、コンビニ店長、ネットワークビジネスの販売員などの職を転々とするが、2年以上同じ職を続けたことは1度もない
・1度親から家を追い出され、しばらくホームレスとして公園で生活してた
・30代で鬱を発症
という男を知っている
働けなくても生活できてよかったな、年齢は50歳手前ぐらい
再就職したいという口ぶりはするが、そのため活動してる形跡は乏しい
今年はじめには、保護費の「もち代」がカットされと言って俺に借金を頼んできやがったorz
でも、役所に障害者認定をかけ合ったり、自分の身を守る事に関してだけは法知識と交渉力があるから、まったくの無能じゃないだろうな
正確にはミリオタあがりで、「軍事の歴史や世界の戦争のリアルに詳しい俺、世間の平和ボケ連中と違ってカッケー」って大人の中二病
それも当人にとっては「俺はただの無知無能ではない」ってプライドを維持するため大事なんだろう
同じネトウヨのツイッター仲間にナマポ受給者とバレるのを内心では恐れながら、表面上は中国の悪口とか米朝戦争脳内シミュレーションで盛り上がって楽しくやってるらしい