はてなキーワード: オケとは
なんでかというと男で弦楽器やってる奴って何気にハイスぺな奴がちょいちょいいるから。
例えば医者の息子とかね。要は親が子供に弦楽器の習い事をさせるくらいには裕福かつ芸術に理解があるって家庭環境。
個人的に知ってるオケ内恋愛から結婚したパワーカップルだと、旦那が医者家系で本人も医者で、嫁は某財閥系勤務で世帯年収3000万以上くらいありそうなやつとか。
いやそれはちょっと極端な例だが……。
ただし何故か弦楽器やってる男には、ハイスぺだとしても「変人」としか言いようがない奴がちょいちょいいるので、自分の人間性に自信があるなら頑張ってみてもいいかもしれない。
あと過去の捏造については、離れた土地の学校で……とかややこしいことをする必要は無い。
出身校ネタにはついつい食いついてしまうのが人間であり、あれ?離れた学校じゃなかったの?とかなったら目も当てられない。
「子供の頃、親に無理やりやらされていたが、嫌だったので全然身につかなかった。吹奏楽部も嫌で入らなかったし、やってることも友達にも言わなかった」
これでもし出身校の同級生とかとウッカリ遭遇しても問題ない。実際に、親が楽器教室に通わせてるが本人は家で一度も練習したことない、なんて奴は普通にいるのでね。
それで、じゃあ何で今更って聞かれたら
「大人になってたまたまクラシックを聞いたら(ラジオでもN響アワーでもなんでもいい)、何故かすごく良いなと思って、今になってもう1回最初からやり始めた。それなりに吹けるようになったと思うので、誰かと一緒にやってみたいと思った」
これで完璧だ。このストーリーで疑いを持つ楽器演奏者はほぼいない(はずだ)。楽器やってる奴なら「本人は実は乗り気じゃなかった」系の体験談に接したことがだいたいあるからな。
ただし、当たり前だがクッソ下手糞だと普通に邪険にされる(ゲーマー界隈で言うところの『人権が無い』感じ)ので、イニシャルコストだと思って吹奏楽団に入るまではちゃんと練習せい。
シュバ!要するにゲーム曲やな!ワイが好きなの勝手に列挙してくで!
まずTalesWeaverのSecond Runやね。やってた人はだれもが印象に残ってるはずの綺麗なピアノ曲や
あとAsgardのhyaloidsides。天上の曲なんやけど独特のリズムと音がたまらん
Seal OnlineのAvec Le TeMPsは綺麗なSoundTeMP枠で一番好きかもしれん、めちゃムーディ
Ragnarok OnlineのDesert、こういう癖のある曲がええんよね
AIONのFrogotten Sorrowは声入っとるけど英語やしなんか音楽的で良いんよエモい系
突然の東方やけど少女秘封倶楽部、途中で結界が開けたような感覚があるのと狂気的な旋律がすこ
ららマジの亜里砂・エロイーズ・ボー=ボガードのテーマ、これはシナリオの思い出込みとしか言えんやつ、この高らかなトランペット?が亜里砂なんやろな
原神のメドレーやけどスメールオーケストラ現場、オケ+エキゾチックな伝統楽器ってのがめちゃ味があるのよ
崩壊3rdのTruE、は挿入アニメの一部でボーカル曲やけどワイ的にこれはアリ、曲は3:26からやけど冒頭から見て最後のピアノアレンジにたどり着く流れが最高やな(プレイヤー補正込みで)
知人にすっごくいい漫画だから!と薦められて読んだのだが、アマチュア弦楽器奏者としてつっこみどころが多すぎて困惑している。
まず、コンクールでトップとるような子は普通の高校の部活オケには入らない。
音高にいくか、普通の高校に進学したなら放課後は個人のレッスンに明け暮れる。
……まぁでも漫画だからね。なんらかの事情で「コンクールでトップとるような子が、普通の高校の部活オケに入った」とする。
すると、そこで彼/彼女が感じることは……自分の音がどうこう……より、正直まず「周りの初心者との圧倒的なレベル差」をどう受け止めるか?ということだと思う。
はっきりいってコンクールでトップとるレベルの子と、高校から初心者ではじめる子のレベル差は歴然……というかもう雲泥の差で、
彼/彼女はその「素人」に囲まれての全員の演奏で「どう高みを目指したらいいのか?」ということに少なからず頭を悩ませるはずだ。
悩ませない、一切気にならないならサイコパスすぎ、他人に興味なさすぎ、というかもはや音楽にも興味なさすぎなのでは???と言わざるを得ないが、本作の主人公は一切気にしていないようだ。
というかライバルポジの天才バイオリニスト少年もその点を一切気にしてなさそうで、「サイコパスが2人」みたいな状態にしか見えない。
個人的にはもっとファースト(バイオリン)の他のメンバーの面倒みるなりなんなりしてあげたほうがいいのでは……?と思うが、彼らは自分(とせいぜいヒロイン達)にしか興味がなさそうである。
しかもそのオケで「まわりの楽器の音を聞く」とか当然も当然のことをやって「なるほど…!」みたくなっているが、
初心者はともかくこのレベルの子が「しらなかった…!」みたいになるのはあまりにも今更感がすぎる。今まで何やってたの????
さらにオケでは個人個人がそれぞれの表現ばっかやっているようにみえる(優雅に…とは…妖しさ…とは…怒りを…とは…みたいなことの追究)が、そんな音色の抽象的な議論には普通時間かけない。
そこには指揮者の思想が色濃く反映されるはずだし、しいていえばコンマス、パートリーダーがガッと決めて、音量から弓の位置から弾き方から、もっと具体的に指示を出すところである。
あと席順でそんなに一喜一憂しないよ……一番うしろに実力者を置くことも全然あるし、いろんなバランスで決まっていくから、前がいい!表がいい!てそんなに気にしない。
モバマスがサービス終了するので、担当アイドルである塩見周子のこれまでを振り返っていた所、初登場のR +の衣装を見て感情が溢れたのでいても立ってもいらずこの文字を入力しています。
アイドルマスターシンデレラガールズに登場する京都出身の18歳。
性格は「自由奔放でノリが軽い」(pixiv百科事典)「気楽」(ニコニコ大百科)と評されています。
実家が京都で長く続く和菓子屋であり看板娘として店番をしながら過ごしていました。
高校を卒業後、実家でヌクヌクしようとしていたら追い出されて…何やかんやでアイドルとしてデビューします。
ー閑話休題ー
とりあえずここまで読んだ皆様へ、Webの検索「塩見周子 R+」をして、「実際、周子のR+の衣装ってどんなだっけ?」というのを確認をしてから続きを読む事をお願いいたします。話の解像度がちょっと上がりますので。
ー再開ー
京都出身で和菓子屋の看板娘だったから「和菓子屋の看板娘」モチーフの衣装をもらったんだな。というのがこの周子を初めてみた時の自分の感想でしたし、おそらく周子自身もそんなことを思っていたのではないかと思います。
そんなところからスタートしたアイドル生活を過ごし周子がアイドルとして活躍することで…
家出をしてきた為にぼんやりと「居場所・帰る場所がない」と感じていたのが、アイドルとして活動していったことで「アイドル:塩見周子」という居場所・帰る場所ができた。
「京都の和菓子屋の娘」という経験がアイドル活動を行う上で役に立ったことで、これまでを何となくで過ごしてきてしまった自分の過去を肯定することができた。
家出同然で出てきてしまい、わだかまりのあった実家ともなんだかんだで仲直りでき、そして改めて実家は自身の「帰る場所」であると思うようになった。
京都出身だからこそ多く振られた和モチーフの仕事を通じて、伝統の意味や役割、それが持つ人々を感動させる力について再認識し、それを背負うことの意味を知った。
転じて、自身の曲の一節「あたしらしく新しくなれ」の言葉通り、「古いもの」「新しいもの」のどちらかに振り切らず、それぞれの良さを取り入れて尚且つ自分らしくある、というスタイルを確立した。
(一曲目のソロ曲「青の一番星」中に出てくる歌詞。また、2曲目の「Private Sign」のオケは現代的な曲調なのに対し、ボーカルは古めかしさもあるオーソドックスなものになっている為、まさに「古きと新しきを混ぜた」曲を歌っています)
※引用元 https://twitter.com/ykm91/status/1147049692124987392?s=61&t=HROkGpbo8k3NBs4WcQadzA
以上を踏まえて再度R +の衣装を見返すと、和菓子屋の看板娘のあの服は、
「実家が和菓子屋故にやりたいことも考えられず、将来はこのまま看板娘を続けるのだろう…と何事もなく過ごしていた、それまでの日々で着ていた服」
「実家が京都の和菓子屋で看板娘だから、で着ていただけの和服」であり、
「両親が和菓子屋をやっているからこその看板娘だったのに、その両親との関係が良くない状態で家出した先で与えられた衣装」
「家出したからこそ失った、これまでの自分の居場所を象徴する衣装」だったのが、
「古きも新しきも取り込んで自分らしく輝く」塩見周子というアイドルが、
「アイドルとして活躍する、新しい日々の階段」の最初の1段を登る際に着た衣装が、
「これまでの自分が着ていた和菓子屋の看板娘モチーフの衣装」だった。
ということではないかと気がついて、情緒と語彙力がアレな状態でもとにかく吐き出したいと思ってキーボードに向かっていた次第です。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
~
中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
2022年も終わるし、今年の汚れ今年のうちにということで書く。
先に言っておくと、良かったのはカービィの可愛さとアンコールだけです。
25周年のオケコンとは違う、アップテンポでノリの良い「これぞ星のカービィの音楽フェス!」とテンションMAXで楽しめるフェス
【お出しされたもの】
フェスがしたいのかコンサートがしたいのかメンバーの意見が対立したまま当日を迎えた発表会
【音楽】
ノリノリでペンライト振っているのに突然変拍子入れてくるのは微妙。
フェスで通すなら深く考えずに単純に振れて楽しいアレンジのほうがよかったと思う。
大画面でカービィがぽよぽよ振るのは可愛いけど、あまりにもペンライトが振りづらかったので途中から振らされてる感が強くなってきて正直ペンライト邪魔とまで思った。
カービィでも出さんと何も楽しくないもんな、だから出したんだな、という感じ。
一部の曲目が明らかにフェス向けではなくオーケストラコンサート向けの雰囲気で、コンセプトが一貫してないから結局フェスとしてもコンサートとしても中途半端に感じてしまった。
フェスだのコンサートだの関係なく、曲自体のアレンジはよかっただけにコンセプトのぐだぐだ感がより気になった。
一番ノイズになったのは指揮。
中学校の音楽部の学生指揮者かと思うレベルで動きも面白みもなく、なんで指揮者立てた?とひたすら疑問に感じる完成度。
そもそも今回の演奏スタイルで指揮者立つ必要ある?立つ必要があったとしてもあのクオリティはない。せめてもっと楽しそうにやってくれ。
唯一楽しくていいなあ、と感じたのはアンコールだけだった。あの指揮はとてもよかった。
正直、このアンコールですべて救われた感ある。
【演出】
ペンライトとカービィの映像についてはさっき書いた通り。カービィの可愛さで許されている。
バルコニー後方から眺めた無線制御のペンライトはすごく綺麗だった。
今のディレクターさんは俺が俺がの自己顕示精神強すぎて個人的に苦手だったけど、このフェスの全体的な雰囲気もそれに引っ張られてる気がして、よりいっそう苦手になりました。
カフェでの演奏ムービーも一体何が良くて何が面白かったのかよくわかんなかった。
【演奏以外のこと】
一番高いチケットの席範囲広すぎ。自分は比較的低層のバルコニー席だったけど、もっと高層の奥の方まで全部S席指定でアリーナとの差が激しすぎる気がした。
せめて3~4段階くらい金額の幅設定したれよ……正直このフェスのクオリティで13,000円はカービィでもさすがにぼったくり。
これはイベント運営会社の問題だけど、誘導スタッフの一部の行動が微妙。
会場周辺のデジタルサイネージに映るフェスの告知を撮ろうとして十数人が通路を塞いでいおり、スタッフが常に「通路を塞がないでください!」を声をかけてたんだけど、
それでも動かない人に対してかなり接近していって「ねえ、今言ったこと聞こえてますかね!?塞がないでください!ふ・さ・が・な・い・で・く・だ・さ・い!!!!」と喧嘩腰で注意していたのはちょっと驚いた。
そもそも通路を塞いで動かないファンが一番悪いのは当然なんだけど、あの注意の仕方はトラブルのもとになるのでは…と見かけたときにヒヤッとした。
会場内に入ったら今度はエスカレーターの二列乗りをイライラ叫ぶスタッフもおるし、なんか全体的に物騒な雰囲気のスタッフが目立った気がする。
あと演奏中に自分が座ってた席の近くで急病人が出て周辺が一瞬慌ただしくなったんだけど、スタッフっぽい人が一切来なくて扉の近くに座っていたお客さんが介抱したり扉開けて介助したりしてて、
こういう時ってスタッフ来ないもんなんだな…と思った。
ネットで見る限りは大絶賛の声しかなかったので、こう感じた人も現場にはいたんですよ…という声も投げておこうと思った。チキンなのでここでしか書けなかったけどね。
この問題提起の面白いところは音楽と絵画の解釈と受容の違いだと思う。
あとは自分で歌詞を入力して初音ミクに歌わせれば一応の「オリジナル曲」ができる。
これが許されるなら、AIの描くイラストに対する拒否反応はなんなのかって疑問が出るのは普通だろう。
原因の一つは目に見えるモノは誰にでも分かりやすいという点があるんじゃないだろうか。
音楽は素養のある人でないと判断しづらい。好きか嫌いかくらいは誰でも言えるが
ところがイラストは誰でも見れば好みに上乗せしたもっともらしい批判が可能になる。
もう一つは完成までに手間がどれくらいかかるかという点。
オケのオーボエでも吹奏楽のクラリネットでもいいけど、アマチュアの団体だと、チューニングの基準となる音がやたら無味乾燥で、とても楽曲では使えないような音だったりする。
そりゃチューナーとにらめっこして吹いているんだろうからピッチは正確なんだろう。
でも音色が全く受け付けないというか、音色に全く気を使っていないせいでピッチが合っているように聞こえない。
具体的にはヌラっとした音色で吹かれると自分の耳には低く聞こえるし、キンキンした音色で吹かれると高く聞こえるんだよね。
てか、なんでチューニング専用なんて、そんな口先だけみたいなイケてない音で吹くんだよ。