はてなキーワード: むくみとは
1日に飲む水の目安は大まかに分けて「1.2ℓ説」か「2ℓ説」があるらしくて
1.2ℓ説は厚生労働省が掲げてる目安からきていて、どういう理屈で算出されているかというと
・1日に体から排出される水分量が2.5リットル(尿や便から約1.6リットル、汗から約0.9リットル)
・この内のおよそ半分の水分は食事から摂取されたり、体内で作られたりする。
だから残りの約半分である1.2ℓは、水を飲んで摂取しようってわけ。
ただ、この「1.2ℓ説」では水分たりないんじゃないかって考えもあって
・日本の食生活は塩分を摂りがちなんで、もっと水分摂ったほうがいいのでは?
・必要な水分量は、激しい運動をしたり、お酒を飲んだりとかで個人差もあるので実際はもっと摂っておいたほうがいいのでは?
という感じ。
まあ、言われてみれば、そりゃそうだわな。
で、「2ℓ説」はアメリカで流行ったものが日本にも浸透してきたものらしくて、なんで2ℓかというと
・アメリカは日本より乾燥した環境で、体格も日本人より大きめなので失う水分量が多い。
・水分を多く飲むと肌が潤ったり、むくみが解消したりして美容にいい。
・定期的に水を摂取することになるから腸の働きが促されて、便も固くなりにくくてお通じがよくなる。
・水を定期的に飲むことで空腹感を減らし、結果としてダイエットにもなる。
なるほど、つまり水をたくさん飲めばいいと。
ただ、この「2ℓ説」は水を飲みすぎているって考えもあって
・アメリカで流行った健康法なので、日本の風土だったり日本人の体や食生活に合っていないのでは?
・水を飲みすぎると腎臓に負担がかかる(腎臓病のリスクが高まる)のでは?
・塩分とのバランスがとれなくて「低ナトリウム血症(いわゆる水中毒)」になりやすいのでは?
言われてみれば、そりゃそうなんだけど、なんか翻弄されてる気がする。
しかも、これが流行っていたアメリカですら最近では「水を2ℓ飲むんじゃなくて、水分の多い野菜や果物で補ったほうがいいのでは」って考え方にシフトしてきて、何なんだよ~っていう感じ。
と思っていたら、最近はてブで水はもっと飲んだ方がいいのではっていう記事がエントリにあがってきたりとか、もう何なん?
とりあえず体から排出される分の“水分量”は補った方がいいってのは確かなようだから、1.2ℓ説と2ℓ説の間をとって1日1.6ℓくらいで様子見してる。
1~2時間ペースで、100~200リットル位こまめに飲んでる(もちろん起床時とか、激しい運動をした後とか、風呂上り後は多めに飲んでるけど)。
あ、あと、野菜や果物とか水分のある食い物も摂るようにはしてる。
これでダメだったら俺はもう知らん。
流行りのリベルサスほか飲んで一番手間かけたのは毎食のあれこれ
米を食え、食うな、糖質はダメ、小麦粉はダメ、麺類却下、野菜を食えでも糖質多めのは却下、夜は糖質取るな、当然間食はしてねえよな???
あと水を飲め2リットル(飲めるかよ…
コーヒーとかカフェインも取るな、アルコールなんて飲まねえよなあ???
でまあ食事にそんな熱い思いはなくはないがそうでもなくなってたので適当に従い
薬がよく効いたのか、職場でも空腹がストレスになることがまずなくなってそれが快適
薬による胃の不快を差し引いても腹減りすぎて何か食べたいアレな衝動がないのマジ快適
ちな生理時の暴食は薬効いた感あるうえでなんか普通に食えるな…くらいで済んだ
これやめて普通に食事するようになったらリバウンドするんかねえ…
普通に暮らしてて太る意味がわからないつったやせ型のあいつらも徐々に太っているみたいでみんな行く道なんだな、とかそれより老化が目に見えて老けたなあんたらのが印象強いけど
薬のデメリットをggって調べるとなんとも、クソな飲み方してる人の多いこと(半分に割って飲むとかそれ意味ねえからアホか)
ちゃんとと飲めねえから精神がデブなんだろうなあと元デブはデブに厳しいのを見せつつ
見た目大して変わらんが服が確かに上から下まで緩くなって水飲んでむくみが消えたのとですっきりはした
なんでダイエットなんぞ…は50を前にせめて健康体重になりたいからのあがきでしたとさ
薬たっけえよな!を飲んでる間は真面目にやっとくか…タダじゃねえしが支えですかね
DMMの薬変えるやつ便利ねーという話
こういうのの実測数を有料noteにしたら買う人いるんかなー
姉から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分の意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟だからなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。
ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院に入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。
医者からは一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。
「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」
とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。
「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。
翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子。
溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。
その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法(プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療を検討しようということに。
母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。
程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤の副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。
実家に家族と帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。
副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。
「癌の専門医の先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医の先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。
その道の専門医の先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。
それでも、「やっぱり経験値が高い専門医の先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。
細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果の期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」
とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。
「あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。
ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。
改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医の先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。
これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤の副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してからも状態は改善しなかった。
母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。
この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。
妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャのタイミングだった。
死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー。東京で結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。
12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。
ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態に言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。
足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。
そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。
母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護の段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。
急遽、仕事を休み、実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。
少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。
妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。
「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。
その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。
泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。
訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。
そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。
最後に看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。
看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取りや役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。
一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。
翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係の手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。
覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。
おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分の祖父。自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。
納棺のときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子どもの写真を納めた。
短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから、棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで。
葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族と帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。
夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。
翌日も葬儀、火葬とバタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。
母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通の見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。
それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。
その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。
母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。
当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。
そういえば、ウィッグは友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。
ウィッグの販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。
思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。
癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。
【追記】
たくさんの方に、暖かな言葉をいただき、恐縮しております。ありがとうございました。
私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。
野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。
母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転でドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています。
経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います。特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族の介護+訪問看護の体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家の比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかったこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。
なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード、年金手帳、マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係はほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います。
長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。
とりあえず雑にぐぐったが
https://www2.rikkyo.ac.jp/web/taki/contents/2018/20180530.pdf
10 代では子宮がまだ十分に成長していないことがある。未熟な子宮で妊娠することは、母体や胎児にとって大きなリスクになる。
若年出産の早産や早産に伴う出産時低体重の発生率は高く、高齢出産の発生率とほぼ同じ。
②骨盤が未熟
若年出産では、子宮だけでなく骨盤の発達も不十分なことが多い。骨盤が未熟だと、妊娠中のリスク(子宮が大きくなりにくい、大きくなった子宮を支えるのが難しいなど)
だけでなく出産にもリスクが伴う。産道を通っての自然分娩が難しいため、帝王切開で出産することになる。
10 代ではホルモンバランスが整っていなく、ホルモンバランスが崩れやすい。初潮後、しばらくは生理周期が安定しなかったり、月によっては、生理が突然きてしまったり、反対に
生理がこないなんてこともある。ストレスや寝不足などで生理が止まりやすいのもホルモンバランスが整っておらず崩れやすいから。若年出産では、20 代以降の妊娠出産よりもホ
ルモンバランスが不安定になりやすい。ホルモンバランスが不安定なことで、骨盤や子宮の妊娠・出産に向けての準備が正常に行われなかったり、つわりがひどくなり長引く、頭痛や
微熱などの体調不良が続いたり、腰痛やむくみがひどくなることがある。若年出産ではホルモンバランスを整えるのが難しいため、妊娠中の体調や精神面の管理が難しいことが多い。
若年出産(特に 15 歳以下)では妊娠高血圧症候群のリスクが高い。妊娠高血圧症候群になると、常位胎盤早期剥離(分娩前に胎盤が子宮壁から剥がれて大量出血を起こす)や胎児発
育不全、胎児機能不全などを引き起こすことがあり、最悪、胎児が死亡する。
⑤周産期の赤ちゃんの死亡率が高い
若年出産では周産期(妊娠 22 週から生後満 7 日未満まで)の赤ちゃんの死亡率が高い。
「妊娠や出産は早ければ早い方がよい」「初潮を迎えたらいつでも妊娠できる」と考えている人が多い。たしかに体力がある・回復が早いなど若年出産にはメリットもあるが、
だそうだが
初めて妊娠した友達に出産の時1番必要だったものを聞かれた→結論「テニスボールと夫」
https://togetter.com/li/1945946
コメントに「無痛分娩と帝王切開がより一般的になればいい」みたいなことが書いてあるが、帝王切開が手術だと知らない人未だに多くないですか。帝王切開なんて名前のせいも大きいのではないか。
帝王切開の名前の由来は知っているが(Wikipediaにも載ってるし)、未だに「帝王切開」という一般名称がそのままなのが良くないのか。「切腹胎児摘出手術」とかいう名前にすりゃいいのだよ。無理か。
帝王切開は手術である。腹を切って子宮という内臓を切る。これは日本では医学的な理由がないとしない。「手術しないと母親か胎児あるいは両方死ぬか重篤な障害が残る」場合である。
(コロナ流行ってからはコロナに感染してしまった妊婦さんは感染を防ぐために帝王切開になったらしいが。)
「陣痛痛いから手術ね」はありえんし、そもそも腹切った方が痛いし一生傷痛むで。場合によっては傷口と腸とかが癒着してえらいことになるんじゃ。
自分の場合は予定帝王切開であった。手術の数日前に決まった。慌てて手元にあった「初めての出産」本の帝王切開の項を見たが、1ページくらいしかなかった。大した参考にならんではないか。ネットで検索し、当時一番役に立ったのが2chの帝王切開スレだった。経験談や入院の際の役に立つアイテムなど大変お世話になった。
いよいよ入院。前日昼から食事抜き(だった気がする)。夜から飲み物もなし。手術前のインフォームドコンセント。妊婦かつ骨盤内手術のためダブルの血栓リスク。血栓出来て詰まる場所によっては最悪死ぬ模様。
自分は部分麻酔で済んだので、手術前にまず腰椎に麻酔。これが激痛らしいのだが、自分は陣痛が始まってしまっていたため陣痛が痛すぎて注射の痛みを全く感じなかった。不幸中の幸いであった。
いよいよ腹切り。幸い麻酔が効いて痛くない。ちなみにネットで読んだ話だと、緊急帝王切開で一刻を争うために麻酔効く前に腹を切り始め絶叫手術になった人がいるそうな。予定で良かった。
しかし手術で麻酔かけたからって「痛くなくて楽したねー」なんて言う人いるかね?しかし帝王切開だけは言われるのだ。「帝王切開で楽してさ〜」と。なんでだよ。いてーよ。
大体手術始まって10分弱で赤ちゃん出てくる。早い。呼吸確保した赤ちゃんとご対面した後、赤ちゃんは保育室へ。一晩保育器で監視。赤ちゃん死にやすいから24時間は保温して要監視。
麻酔は術後すぐ切れて激痛が来る。子宮収縮剤を点滴される。文字通り、子宮を収縮させるためである。経膣分娩だと分娩中に子宮が収縮するわけだが、帝王切開だと収縮しないので薬で収縮を促すのだ。なので後陣痛と腹の傷のダブル激痛。痛み止めの注射を一回だけしてもらえるのだが、これは手術の傷にしか効かない。後陣痛には無力である。筋肉注射で痛いですよ〜と言われたけど腹の傷が痛すぎて注射の痛みはわからなかった。不幸中の幸い(2回目)。ちなみに痛み止めは大して効かなかった。痛いわ。
血栓とむくみ防止のために足にはバルーンマッサージ器を装着。空気で膨らませたり抜いたりして一晩中足をマッサージ。シュコー、シュー、と音がうるさくて傷でヨレヨレの体にしみる。
忘れてたが手術前に尿道カテーテル入れた。これも痛いらしいけど入れたの麻酔前か麻酔後か忘れた。痛かった記憶がないので。不幸中の幸い(3回目)。
発熱もして一晩ほぼ激痛で眠れず翌朝病室へ戻る。カテーテル抜くのも痛いらしいが、傷の痛みで(4回目)。病室へ戻れば夕方からは歩行訓練開始である。子宮の傷口が腸等と癒着するのを防ぐためだ。絶食からのー、歩行〜。背筋伸ばして歩いたほうが痛くないよ!と助産師さんに励まされる。痛い。
手術で胎盤は大半取ってしまうものの、後産はあるので出血が続く。子宮内ののこりもんを排出するために助産師さんが腹をぎゅうぎゅう押してくれる。手術の傷の上から。フゴォ…と唸るしかない。
入院したのが大部屋だったのでトイレが遠い。トイレ行くの大変でしょう、と看護師さんが部屋に便器持ってきてくださったが、さすがに大部屋で他の人もいるのにするのは…とトイレまで唸りながら歩いた。
このあと数日は後産のために傷口ぎゅうぎゅう押しが続く。痛いよ。
11日目に退院した頃には痛みはかなりましにはなっていたが、しばらくは傷の痛みがフレッシュであった。
その後もうひとり出産し帝王切開歴は2回になった。ちなみに一度帝王切開をするとその後の出産は普通は帝王切開になる。何故かというと、一度子宮を切ると切った部分が薄くなり、次の出産時に陣痛が来ると子宮が破裂する確率が高くなるからである。子宮が破裂すると大体30分以内に腹を切り胎児を取り出し出血を止めないと母子ともに死にます。帝王切開後の経膣出産をVBACと言い、やる人もいるけれど日本でも子宮破裂で病院が訴えられたことがあり、手掛ける病院は減っている模様。産科も減ったしな。
VBACの歴史については各自検索で。元はアメリカで入院期間減らして医療費を安く上げるために30年くらい前に流行ったらしい。
日本だと「自然な出産」へのこだわりやら「帝王切開は楽してる、甘え」みたいな考えのせいも少なくはない気もしなくもないけど。
話がそれたが、最後に腹を切ってから10年以上経ったが、未だに痛む。寒いと腹の傷は痛む。元から月経痛が酷かったが、月経のたびに刺すような痛みも加わった。痛みのアンサンブル。
あと便や尿が溜まると子宮あたりに激痛が走るの、癒着してるんですかね?しらんけど。
こんな感じで、帝王切開は楽じゃない。手術だよ。自分の場合は比較的術後の回復が良かったので、もっと大変な人も沢山いると思う。帝王切開した人に「楽できてよかったじゃーん」と言う人にはなんかちょっとした呪いをかけたい。うどん食べると鼻から出るとかな。結構痛いよねあれ
世間はお盆のお休みの最中の突入なのに私は隣の会社の部署のお手伝いで
今日も借り出されているのよ。
まあもともと事務所には出たり入ったり汗ばんだりしているので、
いいっちゃーいいんだけど、
これまた夕方までかかりそうな物量なのかしら?って
私だけの事務所の用事なら午前中に済ませておくことができるのになぁーって。
からあげクン1個増量中の方がまだ差し入れとしての値打ちがあるわよね。
いや、
ここ連日たこ焼きの差し入れを喰らうことが多かったので連続で続いているのよねってことなのようんざり感増している感が否めないわ。
そんで
ルービーでもあれば、
たこ焼きキメれるんだけど、
早く終わらせて
銭湯行きたいわー
迫力が違うわよね。
遠出もしたけど、
私はどちらかというと馴染みの場所に通い詰めて足繁いた方がいいと思う派なのよ。
そんでね、
家風呂もいいじゃん!って思い始めたマイレボリューションなんだけど、
だいいち深さが違うしね
深い分足の先に水圧がかかるから心なしかむくみにも解消にも効果があるかも知れないアルカポネ。
デカい方がやっぱりいいって大は小を兼ねるってよく言ったもものだわ。
だから
もうお猪口の概念すらない
だからここは逆に大は小を兼ねなくても大なり小なりかもなーって
結局は
お風呂の快適さ加減が爆上がりだけど、
平日の夕方にEテレのアニメ番組を見ていると平和だなーって思うのと同じよ。
でもさ、
最近マクドナルドのストローが紙ストローになって紙がかってるんだけど、
あれ、
あれは結構紙だと気密性が若干紙なのでスースーして
完全にマックシェイクに対しての吸引力が100パーセントマックシェイク本体に伝わらないのよ。
若干紙の間の隙間からと言うか、
ものすごくダイソン級のもう私のデジタルモーターが開発されて吸引力がアップすればまた話は別なんだけど、
あれ結構逆に飲みにくくなってマックシェイクチャレンジユーチューブに動画がたくさんあがっているので、
みんな苦戦しているんだなぁーって
さすがにまあ飲みにくいけど仕方ないことなのかも知れないし、
これはさすがに大は小を兼ねるとは言い切れないわよね。
ダイソンは小を兼ねるとも言い切れないところが辛いわ。
嘘だと思ったら
微かに紙を通過する吸引力がダイレクトに100パーセントマックシェイクに伝わっていないことが分かるから!
ただでさえ、
通常のプラスチックストローのときですらかなりの吸引力を要したのに
笑っちゃうわ。
しかも!
しかもよ!
紙ストローなので
かなりマックドナルドのマックシェイクの難易度がはるかにハードになっていて
マック怒鳴るど!って言いたいぐらいなのよ。
結構マックシェイク飲むのには大変になった時代が到来しているから
みんなも1回試してみて欲しいわ。
うふふ。
サンドイッチ屋さん。
しばらく美味しいサンドイッチはお預けね!
暑いので
再三言っているけれど水分補給はしっかりとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
自分の気持ちを殴り書きします。めちゃくちゃな文だと思います。
生理を遅らせるために7月14日からピルを飲み始めた。生理周期は毎月ぴったりで、25日に来る予定の生理を避けたいために飲んでいる。
とにかく体のむくみと精神状態が良くない。鎖骨が見えなくなるくらい体は浮腫んでしまい、浮腫んだことを考えると涙が出てしまう。
今すぐ服用を辞めたいが、生真面目な性格が邪魔してどうしても生理を遅らせなければならないという思考になってしまっている。
25日が彼氏の誕生日で、24日の夜からお泊まりをする予定があるから遅らせなければという焦りがとまらない。
彼氏は生理で行為ができなくてもお泊まりすると言ってるが、そんなの申し訳ない。
今すぐ服用を辞めたいのにめんどくさい思考のせいでやめられない。自分の体が可哀想になってきた。
焦りが止まらない、どうしたらいいのだろう。
今日からやめたら25日に絶対きてしまうと婦人科の医師に言われた。
どうしたらいいんだろう死にたくなる。
自分も女でむちむち体型を目指していて思う
むちむちするのは本当に難しい
むちむちというのは要するに筋肉も脂肪もたっぷりあるという状態
これにたどり着くのはガリガリに痩せることよりも難易度が高く時間もお金もかかると思う
10代ならそもそも肌にハリがあるからただ脂肪がたっぷりあるだけでもかわいいむちむちになる
20代以降だと徐々に肌にハリがなくなっていって脂肪だけだとむちむちというかたるたるぼよぼよになる
なので筋肉をつけないといけないのだけど、適度に脂肪を残しながら筋肉をつける、これが難しい
ムキムキかガリガリのほうがまだ簡単だと思う ボディメイク頑張ってる人はみんな凄いし努力で手に入れた身体はどんな感じでも美しいけど難易度的な意味でね
・栄養バランスを考えた食事をしっっっかりと摂る(特に良質なタンパク質をたっぷり、脂質を削りすぎない、糖質もカットしすぎない、野菜でビタミンたっぷり)(めっちゃお金かかる)
・筋トレをしっかりする(全身しっかり、バスト・ヒップ・背中トレを特に、太ももは太くする)
・ボディケアをきちんとする(全身化粧水→ボディミルク→ヒップ、バストには専用クリームとオイルでしっかり保湿、たまにスクラブ、むくみはいらないので絶対に身体を冷やさないなど)
・ちゃんとしたブラジャーをつける、使い分ける(胸をしっかりホールド、脇肉を胸に寄せる)
・ストレスケア(仕事しながら自炊に運動に筋トレにボディケアに…ってやってたら疲れるんだけどストレスは睡眠不足に繋がりしっかり眠れないと肌荒れするし筋肉も減りやすくなるので)
やることが…やることが多い…
男性が言う「ちょうどいい体型」が一番難しいような気がする…(私の理想の体型に近い方(努力されている)が「そのくらいでちょうどいいよ^_^」とおじさんにリプされてて違う…違うんや…気持ちは分かるんだけど…むちゃくちゃな努力の上に成り立ってるんや…あなたがそんな(悪気がないのはわかる)評価していいものじゃないんだ…とモヤった)
それでも私はむちむちな身体を手に入れたいので頑張る
胸とお尻と太ももにボリュームあるのにくびれがあってフェイスラインはしゅっとしてる…みたいな最高な体型になるんや
【追記】
そなのよね
いわゆる骨ストさんは痩せて見えないとかガンダムとか言われて嘆かれてるけど自分からしたら骨ストほど羨ましい骨格ないよ
しっかりした美しい骨格にいい脂肪と筋肉つめられたら最高でしかないじゃん
あと食べたら食べただけ身体につくって人も
それ身体に栄養取り入れやすいイージーゲイナーだからめちゃ羨ましい
私は骨格貧相で筋肉も脂肪も付きにくいからンゴゴゴってなってる
10代のころはラッキーだと思ってたけど今はうーん 気を抜くと痩せてるのに腹だけボンみたいな餓鬼体型になるしさ…デコルテもふっくらしないしさ…
むちむち目指すには不利だけど自分見てテンション上がるようになりたいから頑張るよ
コメント欄に書いてあった犬童美乃梨さん初めて知ったけど最高最高最高。目の保養。ありがとう。
ちとせよしのさん最高だよね。インスタフォロワー3桁の時からファンです。DVD持ってるしTネックレスお揃いと気付いた時超テンション上がった。
私が太ももに目覚めたのはこまちよさんがきっかけなんだけど今何してるんだろ。
【追記2】
NIKUYOKUレーベルすっっっごいな…これこそ努力じゃどうにもならないやつだ…もはや神秘的ですらある…抱っこして欲しい
あとコメントでそんな見た目に執着するな、年相応でいいじゃんみたいな意見があり
その気持ちもめちゃくちゃ分かるんだけど、私は仕事でもプライベートでもなんでも自分の理想に向かって努力してそれに幸せ感じるタイプだから別に無理してるとか辛いとかじゃないんだよね
デュピクセントというアトピー向けの新薬を使うことになったのでメモ書きしておく。
まだ初回使用から1週間くらいしか経ってないんだけど、個人的にはこれまでの治療の中で一番効果出てるので、似たような人へのサンプルになれば幸い。
■どんな薬?
製薬会社から解説が出てるので詳しくはそっちを見てほしい。https://www.support-allergy.com/atopy/
簡単に言うと特定物質の作用を抑えて、炎症やかゆみを抑える薬。日本では2018年に認可されたばかり。
注射型で、基本的に2週間に1回打つ。インスリン注射みたいに自分で腹や脚に打つタイプ。慣れないので痛いのと、新薬なのでめちゃくちゃ高いのが現状のネック。3割負担で月4万/2本くらい。
今年の夏には2回目の薬価改定で少し下がるらしいけど。高額医療費制度の対象で、製薬会社の問い合わせ先でこの辺も相談できる様子。
知ったきっかけは通いの皮膚科の先生に教えてもらった。ただまだ使用例が少ないようで、紹介状出してもらって近くの総合病院で投与・処方してもらうことになった。
■どう良くなった?
・全身の赤みがかなり落ち着いた。
いつも風邪ひいたような顔だったんだけど、だいぶマシになった。
家族や時々しか会わない人にも「変わった」とか「健康そう」とか言われる。
・全身の乾燥感がだいぶ減った。
この時期になると冷房の風で乾燥負けしてくるが、以前に比べてまだ皮膚が水分を保っているのがわかる。
炎症が減ってきてるので、身体の回復が追いついてきているのかひび割れで痛む箇所がほぼなくなった。
罹患者でないとわかりにくいが、関節や首周りがひび割れして痛むと、それをかばって姿勢がこわばってしまい、すごく全身が凝りやすくなる。
これがなくなったので体力的にもだいぶ余裕が出てきた。
正直ここ数年は病人みたいな顔を認識するのが嫌すぎて鏡を見るのがとにかく苦痛だったのだが、回復してきたことで結果としてメンタルも良くなってきている。
汗ばんでもかゆみになりづらいので、苦になりやすい運動も心理的ハードルが下がってきた。
罹患してるともう慣れというか諦めみたいなので病院通いもナアナアになりがちなので、正直ここまで劇的に改善する治療法が出てくると思わなかった。
社会人になってからの不摂生とストレスで悪化してしまったので、もう良くならないと諦めてるような人は一回病院で相談してみてほしい。
https://convergence.hatenadiary.org/entry/20060614/1150253507
血糖値が上がると満腹感が訪れるというメリットもあるが急速に上がった場合血糖値を下げようとインシュリンが出現する
一定値を超えた血糖をさっさと脂肪に変えようとする憎いアンチクショウ
同じカロリーを摂っても血糖値がゆっくり上昇すれば作られる脂肪は少ない
食事中に水分をとると塩分と結合するので水分を排出せず体内に蓄積する
胃液
水一杯だけでも殺菌作用が大きく減る
噛む力が育たない
食物が大きいまま体内に入るので消化がきちんと出来ず内臓も負担になるし便秘に
水分をとらないと飲み込めるまで咀嚼するので少量で満腹感も!
その他(どうしても飲みたいときなど)
緑茶はアルカリ性なので食事中は飲まないが吉。他のお茶が望ましい
食前30分、食後1時間程度は水分は摂らないほうがよい